全国会議議案

革共同中央労働者組織委員会

 以下の議案書は、大原が執筆し中央労働者組織委員会の議論を経て、革共同と中央労働者組織委員会が一致して提起する内容である。全指導的同志には、本会議を期して全国全同志に対しこの議案書を基に、この内容で徹底討議して意思統一する党員としての義務がある。

「三月大行動―4月闘争の革命的勝利に踏まえ、階級的労働運動路線の全国的実践に突入しよう! MWL1000名、MSL1000名建設を水路に11月1万人結集を実現し日本革命の大道を押し開こう!」

1.帝国主義世界体制の矛盾と危機の爆発、世界労働者階級人民の怒りの爆発―革命情勢の接近に対する党と日本労働者階級の回答としての階級的労働運動路線。

@ イスト152号木崎論文では「国際階級闘争か全体として21世紀のプロレタリア世界革命へと進撃を開始したと言う立場から時代をとらえる」「時代をとらえると言うことは、マルクス主義者たるもの『何が何でも、我と我が手で革命をやるんだ』という立場から時代を見る、それが革命的共産主義者としての時代観です。」と提起されている。多くの同志が、その通りだと思うに違いない。しかし、これが「主観主義の満展開」だという批判が党内の一部から出されている。この批判文を読んだ歴戦の古参同志から「革命の現実性は、革命家の執念に宿る。」ということは一体どこに行ってしまったのだろうかという意見も出ている。結党以来三度の分裂を通じて三全総路線を確立し、70年決戦を切り開き、PI・PUの壮絶な死闘に勝ち抜き発展的に「5月テーゼ」のを打ち出し、その物質化と発展を賭けた革命路線を巡る党内闘争を経て「党の革命」を切り開いてきた根底にあったのは、革命に対する執念であり、情熱ではなかったのか。かつてカクマルは、我々に対し「パラノイア」と差別的悪罵を投げつけ、CPは「科学的社会主義」の名の下に労働者階級の自己解放的決起を抑圧し続けてきたのではないか。これらの反革命に対し正に不屈の執念と情熱で圧倒し続けてきたのか我が党と党員の歴史である。誤解を恐れず言えば、理屈はこの執念の後からついてきたとも言えるのだ。あらゆる革命の歴史は、歴史的人格としての個別革命家の不屈の執念と情熱を通して実現してきたのである。木崎論文の提起する革命的時代観、革命家としての執念が「主観主義」であり、あるいは「空叫び」であるとするなら、批判者の時代観や革命家観というものは一体何なのか。「党中央」批判はあっても、革命家としての批判者自身の戦闘性や主体性か見えてこないのである。それ故、全国の同志たちの主体的闘いと、批判者に対する同志的批判は無視されている。こうした批判を「党中央」が組織しているに違いないとでも思われているのだろうか。だとすれば「私党化グループ」がつくりあげた、歪んだ「党中央」観や同志観の中に依然としてあるということだ。もっと鮮明にするならば新たな私党化か生まれてきているということだ。22CCにおける全国委員の一致、そして政治局における一致に基づく中央指導が放棄されている。3・18を軸とする3月大行動、そしてこれを継承し切り開かれた4月闘争において同志たちが最前線で切り開いてきた革命的地平は、木崎同志の提起する革命的時代観と革命に対する革命家としての執念を抜きには、決して総括し得ないことを冒頭ではっきり確認したい。

A イラク戦争の米帝敗勢と1月7日「イラク新戦略」による増派の強行と日帝の支援。しかし、米帝はアフガニスタン―イラクで政権の転覆と「点の支配」ができても面としての支配・占領が決して出来ないことを露呈している。まず我々は、日帝の支援に基づく米帝の大量虐殺・破壊兵器よるイラク―ムスリム人民に対する大虐殺をイストとして満腔の怒りを以て弾劾する。同時に帝国主義に決して勝利など無いこと、米帝の凋落は必至でありそれ故に一層戦争にのめり込んでいくのだということをはっきりさせる。同時にこのままでは帝国主義争闘戦が激化し世界的規模の戦争か不可避であることをはっきりさせなければならない。

B イラク侵略の泥沼化とその下での上下院議員選挙での共和党の敗北、中南米支配の崩壊の中で「世界同時株安」2/27に続き3/31に第二波暴落住宅バブル崩壊が発生した。米独占・金融資本の全面的危機か露呈し、ドル暴落への転化―帝国主義世界経済の破局的危機に転化しつつある。

C 3/14米商務省発表による「06年経常収支」では、経常・貿易赤字とも5年連続で史上最大の赤字。そして、3/23日本財務省発表の「06年度末債務残高」では、国832兆2631億円十地方自治体167兆円=1000兆円に連することが明らかとなった。イスト152号秋月論文に明らかなように一切の原因が独占・金融資本―帝国主義の危機にあると言うことだ。これを労働者階級人民に転化すること自体に怒りを爆発させなければならない。(「支払い能力論」など革命を本質で対置しない体制内論理では、「夕張型恫喝」と闘えないのである。)

Dまさに07年新年号で打ち出した情勢論の核心「米帝の没落と『最弱の環』日帝」の危機が激しく進行しており、世界第一位と第二位の基軸帝国主義が生命力を失っているという世界史的事態が進行しているということである。

E この中で中東―イラク、アフガン侵略戦争の破綻を不屈の民族解放闘争の爆発が突き出しているということであり。これがアジア支配の危機を巡る北朝鮮―中国侵略体制の構築としての米軍再編と日米同盟の強化、改憲攻撃―戦後的制動「戦後レジューム」の突破として帝国主義的死活を賭けて進められているのである。

F 同時に全世界でこの帝国主義の戦争に対する階級的反撃が巻き起こっているということをはっきりさせ泣けなければならない。3月世界一斉イラク反戦デモは、米―ワシントン、ニューヨーク、サンフランシスコ。ヨーロッパ―英、伊、西、ベルギー。中東―トルコ、イラク。韓国。etc.で爆発した。取り分け日米韓において11月集会陣形が言わば階級的労働運動路線に基づく労働者階級を軸とした意識的行動として統一的に闘われたことが決定的だということである。

G そして、国内においても青年労働者をめぐって、いわゆるワーキング・プア―ロストジェネレーションの世代が正に「戦争か革命か」をめぐって激しく分岐し始めているのである。(メーデー報道、NHK「クローズアップ現代」等)

H 正にいつどの様な形で大破局―革命的激動が到来するか分からないのだ。帝国主義自身がこの破局に、根底的に怯えつつ「搾取と戦争」にのめり込んでいる。革命家たる我々および労働者階級は、これまでの体制内労働運動に無防備に安住するあり方であってはならないのだ。レーニン主義的オーソドキシーを貫徹し「帝国主義論」(「秋月論文」など)で徹底武装し「労働者階級の組織された闘争」を決定的意識的に対置しなければならないのである。全党は、その革命的組織者としての指導部をこの中で猛然と育成していかなければならないのである。この様な情勢認識時代認識から3月大行動、取り分け3・18が切り開いた地平を徹底してはっきりさせることである。

2.3月大行動―4月闘争の勝利の核心を打ち固め、諸反動にたじろがずMWL1000名、MSL1000名建設に総力で驀進しよう!(「党の革命」の実相はここにある!)

@ この様な革命的時代認識、情勢認識とその下での革命党の喫緊の課題という観点に立ったとき。07年の日本階級闘争の大地にMWL1000名、MSL1000名の日本革命の主力突撃部隊・革命家集団を登場させることがどれ程決定的なことかがはっきりするのである。正に日本革命の展望は、ここにあるのであり、それ故にここをめぐって激しい反動か襲いかかっているのである。

A 木崎論文では、MWL第三回大会と新年号座談会を受けて「何か結実しているのかと言えば、階級的労働運動路線のもとに、職場闘争や組合権力を巡る闘争で、どんな壁やどんな困難にぶつかっても、どんなに孤立しても党派闘争を貫いて絶対に退かない、こういう集団が登場したということです。」と総括している。この集団が「3・18実行委員会」として「3・3朝鮮総連(その制動をうち破る青年の決起)」の日比谷集会に登場・連帯し、「3・18」集会そのものに200名の隊列で登場し国家権力―右翼の弾圧・襲撃に一歩も退かず激突しぬいたのである。言わば、職場・学園で一歩も退かない青年・学生が政治闘争の主力として鮮烈に登場し、革命的指導部として急速に成長し始めているということが革命的画期を成しているのだ。そして、その最も重要な核心はこのような青年・学生の部隊は、階級の桎梏である体制内労働運動・勢力の思想と不退転の激突・決別として生み出されてきたということなのである。(『Solidarity』第3号の地平の高さ、平易でありながら圧倒的水準と意志の高さと真っ向から向き合わなければならない。ここにこそ「党の革命」の根源的力がある。)

B 同時に3・18が、01年「9・11」以降のアフガン侵略、03年のイラク侵略突入以降4年間にわたる反戦政治闘争における、取り分け青年・学生を巡る党派闘争の路線的決着をつけ、階級的労働運動路線の勝利性を完全に差し示した闘いであったと言うことである。4年前のイラク反戦闘争の高揚下で決起し始めた青年・学生が「労働学校」を通じ勤労千葉運動に共鳴し「階級的労働運動路線」に満身の確信を脹らせ「労働運動で革命をやろう!」というスローガンを真っ向から打ち出し、200名もの隊列として登場し権力、右翼を蹴散らして戦闘的集会とデモを貫徹したことに一切か示されているのである。この青年・学生の自己解放的力と求心力の凄さを真っ向から見据えなければならないのだ。

C 他方階級に絶望し、本質的には敵対するWPN、「平和フォーラム」の3・21集会の内容と数的凋落を見ればこれはさらに鮮明となるのである。党の革命で切り開かれた党の路線の「階級的労働運動路線」としての深化・一体化=「党の革命」が07年の日本階級闘争において決定的に切り開いた地平こそが3・18なのである。

D 3・18集会における「労働運動で革命をやろう!」というスローガンに対して「空叫び」と批難する意見書が出され、全学連委員長のアジテーションに青年労働者・大衆が激甚に反応し、奮い立っているにもかかわらず「最悪で他党派以下だ」という感性は一体どこから出てくるのか。「戦争か革命か」をめぐってロストジェネレーションの世代が、激しく道を求めている時代の到来に対して、我が党が3・18を実現して辛うじて間に合った、やって良かったとどうして思えないのか。革命家・革命党たるものが、「体制内労働運動」に身を隠し、そこから「中央批判」なるものを展開して一体どの様な革命を実現しようとしているのか。眼前の労働者階級を自己解放の主体として見ることができず、これに敵対する「第二、第三の11月」とは何なのか。批判者と批判の組織者は全国の同志の前で完全に明確にさせるべきだ。

E そしてこの3月闘争の土台に動労千葉労働運動が核心的基軸としてあるということを徹底してはっきりさせなければならない。青年労働者・学生は、動労千葉に獲得されプロレタリア革命に対する確信を深め、自己解放的に立ち上がっているのである。労働学校はその決定的水路となってきた。22CCで「一致」したように動労千葉―革共同のみが労働者階級人民に対し勝利の道筋を実証的に示しているということなのである。その根本にあるのはマルクス主義の力であり、その思想と路線を階級自身に取り戻すことに核心があるということなのである。

F22CC―07年新年号の階級的労働運動路線は、階級の党―マルクス主義の党であれば当たり前の思想に基づいた路線なのである。党の革命で打倒された「私党化グループ」は、マルクス主義に基づく党と階級の関係形成に対する、党内における最大の敵対者であり桎梏であったのだ。もちろん我々は資本主義社会を打倒対象とし、そこに生きる人々を変革対象としている以上、(弁証法的に言えば「対立物の相互浸透」を原理として)日和見主義と無縁ではない。だからこそ絶えずこれと意識的に闘っていかなければならないのであり、それ故にマルクス主義の学習と、実践を通じた生きた武装・研鑽が決定的に重要なのである。そして、これを基軸として内外に巻き起こる日和見主義と激突する党内闘争、党派闘争を貫徹することか、レーニンか主張したように党―階級の理論と実践活動の真の活性化をもたらすのである。階級との生きた弁証法的関係を拒絶するあらゆる固定化された教条(ドグマ)の支配は、党の運動的死をもたらすのである。それ故既に思想的路線的に破綻した「私党化グループ」の運動的破産は必至だったのである。階級的労働運動路線とは、教条ではなく革命に向けた党と階級の生きた、深い関係の形成なのである。

G 何より動労千葉自身が、「党の革命」を通じて、取り分け青年労働者の決起を通じて歴然と飛躍し新たな革命的地平を切り開いている。06年の「安全闘争」における「反合理化運転保安闘争」路線を反帝国主義を核心的に貫く路線として再確立し、07年3月の拠点職場廃止攻撃に対しては地方「ソビエト」の萌芽を展望させる様な闘う労働組合を軸とする大統一戦線を実現し、全組合員の要求を貫徹するのみならず、組合員の飛躍と団結強化を勝ち取ったのである。「新年号―階級的労働運動路線は、動労千葉の崇拝―教条化運動」であり「中央は変質している」などと平田―結柴などの「私党化グループ」は主張し「階級的労働運動路線」の敵対者として純化している。そして彼らは、ついに体制内労働運動と命がけで決別し、日本労働運動を戦闘的に切り開いてきた動労千葉の労働者そのものに敵対するにまで至った。生きた階級と切断されたまったく浅はかな思想と認識であり、自己自身の日和見主義的、体制内的教条主義的あり方を吐露するものでしかない。これが与田―私党化グループ=党の革命反対派の思想的本質なのである。あえてはっきり言えば、あくまでもこれに同調するということならば、曖昧にせず党に敵対する道を歩むのか否かをはっきりさせるべきなのだ。我々は、労働者党員と階級の桎梏=敵対でしかないこの様な思想、あり方を徹底的に打倒しなければならない。このことが、全党員に例外なく峻厳に突きつけられている。党(中央)は、動労千葉―MWL―MSLを水路に日本労働者階級と共に革命に突き進むと言うことである。

H 革命情勢の到来に対するプロレタリアートの主体的今日的回答は、戦闘的青年労働者・学生各1000名の隊列の登場を実現させることにある。3・18への200名の登場と路線的求心力・解放性はこれが完全に実現できることを示したのである。それ故に、大反動か襲いかかっている。(JPUでは、統制処分や郵メイト雇い止め。自治労でも、書記雇い止めや強制配転。教労でも担任外しなどが次々と襲いかかっている。ここに支配階級と体制内労働運動勢力の危機感がストレートに表れている。学生運動潰しも全面的である。)青年学生がこの大反動と真っ向から激突し、これをうち破ろうと必死の苦闘を展開している。この激突過程が不屈の階級的指導者を生み出していくのである。これと別なところに身を置いて・これまでのあり方に安住しようとするあり方こそが日和見主義なのであり、桎梏と化している自己があるのである。そのあり方の延長に11月は無いということである。11月に至る過程が自己の革命であり「党の革命」なのである。党の革命の実相はMWL、MSL各1000名の組織化にあるのであり、それと別のところで語られてはならないと確信する。

I 〇〇では、直接的には『前進』でも報道された「3・2」をめぐってMWL中執でもある県職書記に対して「雇い止め」攻撃か、襲いかかっている。「3・2」行動は、県に対する抗議行動であり、J労組の退路を断った闘いそのものが県当局を激しく追いつめている。これに対して「20労組」や「改憲闘争」で統一戦線的に左派ポーズを取りなから県当局と癒着し続けてきた委員長(体制内労働運動指導部)が「3・2は、県職の運動に反する。」としてここに青年労働者を軸に30名の県職組合員が決起の組織的中軸である書記を、これまでの慣例を無視して3年で雇い止めすると通告してきたのである。県職メンバーを軸に、これとどう対決するかを議論し「反動に怯めば、立ち上がり始めた青年労働者が死んでしまう。」「ここに改憲決戦―自治労解体の正念場がある。」ことをはっきりさせ、当該同志が「1年決戦」の腹を固め「解雇されても職業革命家になる」事まで決意したことによって全員の腹が固まった。特にMWLに3回大会で加盟した女性同志も、凄まじい執念を発揮し、この会議から2週間の間に2名の『前進』定購だけでなくMWL加盟についても実現し、さらに徹底して拡大しようとしている。もちろん「雇い止め」をそのまま認めるということではなく、数十名のMWL組織を建設しその組織力物質力をして基盤として決戦を挑むということである。本人もMWLメンバーも、どうすればよいかという悩みはあっても怯むことなど考えていなかった。これに対して党として「怯んだら負けだ、党は全力で共に闘う。」ということをはっきりさせたからこそ、彼らはさらに革命的な決起に立ち上がっているのである。この革共同とMWLの相互性の変革こそが1000名建設を急速にたぐり寄せていくのである。こうした決起を受けてJ労組でも細胞建設が本格的に進められている。この様にして反動・逆流は、革命的前進に転化していくのである。革共同が、桎梏と化すのかMWLと共に前進するのかは、この様に一瞬一瞬の局面で厳しく問われ、党と党員が錬磨されていくのである。これと別なところで、高見に立ったところには自己の革命も党の革命もないのである。これまでのあり方を守ろうとする物知り顔のお説教など、決起し始めた階級を前にしては本質的に通用しないのである。

J 4月統一地方選とりわけ杉並選挙闘争―相模原選挙闘争の勝利は、これまでの議会主義的偏向への根底的意識的批判の貫徹として、階級的労働運動路線に基づく路線的階級的選挙戦として革命的勝利を勝ち取った。それは、何よりもこれを闘い抜いた党員自身が圧倒的に確信している。ブルジョア議会と選挙に党を明け渡してきたあり方と意識的に闘い、党員と階級の自己解放的力を路線的に引き出しなから「労働者の力で革命を!」を真っ向から打ち出して勝利した真に革命的勝利である。この過程を通じて「党の革命反対派」=「5月テーゼ反対派」「私党化グループ」の破産と根底的に腐敗したあり方か完全に明らかになった。党は同志的団結を取り戻し、労働者階級大衆の怒りと結合し感動的な勝利を切り開いたのである。この土台に勤労千葉の闘いがあり、3・18を軸とする3月大行動の地平があるのである。杉並選挙闘争の軸に労働運動が位置づけられ、相模原選挙闘争においても自治労、教労を軸とする労働者階級そのものの基軸的支持を決定的に拡大して勝ち取られた勝利なのである。正に選挙戦そのものが革命主体の掘り起こしとして、オルグ対象そのものの決定的拡大として闘われ、勝利を切り開いたのである。動労千葉の闘いにおける階級の勝利性と展望、これと真っ向から結合した3・18における青年労働者・学生の決起を真っ向から受け止めたからこそ革命的議会主義に基づく選挙闘争の復権が実現し得たのである。「5月テーゼ」から16年間の党内闘争に決着を付けた、階級的労働運動路線の路線的勝利として明確に確認しよう。(関西のとりわけ八尾選挙もこの路線を貫き勝利したことを断固として確認する。)

K 『前進』2289号トップ織田アピールと再度真っ向から向き合おう!
「労働者が立ち上がったときに歴史は動く。労働者と共に学生は立ち上がるときだ。私たちが生まれたこの時代は絶望の時代などではない。自分のこの手で世界を変えることのできる、最高に胸躍る時代だ。隣の仲間かともに資本主義を打ち倒すかけがえのない仲間だと気づいた時、自分の本当の力が解き放たれる。仲間と団結して立ち上がれば、それが革命の開始だ!」これは我々が主張し続けてきたことではないのか。当たり前のことが彼の生き様を通して、確信に貫かれ生きた言葉として展開されている。しかし、我々が立ち後れているのはこれを真っ向から貫徹し、実現していると言うことなのである。我々が、共に歩むのはこの同志たちである。

3.改憲攻撃と職場攻防の激突下でMWL―MSLを基軸とした革命的指導者の組織化に全党が例外なく猛然と打って出よう!

@ したがって、結論は3月大行動―4月闘争の地平を徹底してはっきりさせ打ち固めるために、巻き起こる反動と逆流を共に腹を据えてうち破り、この地平を決定的に押し広げていくことである。正に反動が密集してきている。青年を軸とする労働者階級の自己解放的組織化を徹底して推し進め、MWL―MSLに組織化することこそ07年決戦の核心中の核心であり、11月の勝利を準備していくのである。

A 日帝安倍政権は、激しい怒りと弾劾が渦巻く中で、改憲投票法案を5月14日強行成立させた。公務員による反対運動に対する罰則を明示に復活させ、労働者階級に対する徹底した攻撃を基軸に改憲―侵略戦争を決定的に推し進めようとしている。また3月30日教育関連4法案を上程し、同日都教委は不起立闘争に立ち上がった教育労働者35名に対する処分を行っている。さらに自民党内に「北教組問題プロジェクトチーム」を立ち上げ「全国学力テスト」の強行実施をめぐって徹底解体に打って出ようとしている。正に改憲攻撃が、職場におけるたたかう団結の解体と一体として階級決戦的に進められている。公務員制度改革=自治労解体=200万人の不安定雇用化は、今ひとつの柱である。イスト152号徳井論文で鮮明に打ち出されたように労働契約法は、戦後階級関係の根本的全面的転換の攻撃であり、金融・独占資本か生き残るために極限的搾取を推し進める攻撃であり、ワーキングプアの極限的推進である。日本労働者階級が、命脈の尽きた日本帝国主義と融和する道など無いのである。今や日帝との融和・妥協の道は「戦争と搾取」に対する決定的武装解除しか意味しないのである。あらゆる怯懦・逡巡を振り払い、体制内労働運動―敗北主義的な思想との決別=プロレタリア革命に向けて驀進していく以外に日本労働者階級の解放・自由への道はないのである。

B この様な改憲決戦―安倍政権との激突に際し、職場攻防と国会闘争等の街頭闘争を分けて、あたかも後者が優先することが戦闘的であるかの様な傾向、あるいはこれと裏腹に自己の職場を階級的激突点として措定しない傾向と根本的に決別しなければならない。賃金奴隷制そのものとの自己解放的激突を抜きに、労働者階級の政治的自由か成り立ち自己解放かあるなどというのは、ブルジョア的幻想なのだ。改憲攻撃と8時間労働制の解体は、正に労働者階級の政治的自由の強制的物質的完全剥奪の攻撃としてひとつなのである。これはマルクス主義のイロハである。職場における資本との闘い―労働者の怒りを体制内的職場内的に押しとどめようとすることは、賃金奴隷制の廃止―プロレタリア革命を彼岸化する経済主義であり、敗北に追いやることにしかならない。その延長に階級の解放など無いのだ。したがって、職場攻防で資本とその擁護者である体制内労働運動の支配と激突することと政治的決起―街頭闘争は、プロレタリア自己解放闘争として一体不可分なのだということをはっきりさせなければならない。自己解放とは、ブルジョアの物質的イデオロギー的支配から自由になると言うことであり、だからこそ人間の根源的力を解き放っていくということなのである。繰り返すが、日帝安倍政権は、労働者階級から職場における階級的団結=階級的自由と街頭における政治的自由の一切を剥奪しようとしているのだ。党は、このブルジョア支配からの階級的自由を意識的に形成しなければならないのである。したがって、ストレートに言えばMWLのように闘うということであり、3・18で切り開かれたMWL―MSLを軸とする青年・学生の決起とこれに対する反動に勝利し抜くことか改憲決戦の核心なのだということである。この革共同的到達地平を土台に4大産別攻防を軸に労働者階級の組織化に切り込んで行くということである。

C 同時に、不起立闘争―教基法決戦の爆発に対する反動が都教組・都高教組、そして北教組に狙いを絞って襲いかかっている。この攻防を勝ち抜くためには、動労千葉が切り開いた歴史的階級的地平と路線以外にないのであり、革命的階級的指導部の屹立による組合権力の奪取無しには、体制内労働運動指導部によって後退と決定的敗北を余儀なくされていくのである。正にこの点において革共同の責任が重いのである。MWL―MSLに真っ向から学び、労働者階級の戦闘性に対する限りなき確信を胸に、動労千葉を基軸に到達した階級的労働運動路線で階級の中へ切り込んで行かなければならないのである。

4.党の革命の革命的号砲によって全党化した「党の革命」を帝国主義と妥協する日和見主義と対決し、マルクス主義の根本的原理的再確立のための党派闘争党内闘争として断固として推進しよう!

@ まずレーニン「なにをなすべきか」冒頭の有名なマルクスの引用の再確認から出発したい。
 「…党派闘争(党内闘争)こそが、党に力と生気を与える。党が曖昧模糊としており、はっきりとした相違点がぼやけていることは、その党の弱さの最大の証拠である。党は、自身を純化することによって強くなる…」

A 党の革命とはプロレタリア革命を何がなんでも貫徹するという革命精神をたぎらせて、その妨害物に転じた党指導部を打倒した闘いではなかったか。少なくとも全党の取り分け労働者党員はそのように受け止めたからこそ支持したのだ。我々は党の革命の地平を徹底してはっきりさせ、党の進むべき道を見極めるために「なにをなすべきか」を読み返す必要がある。「なになす」こそマルクス主義に基づくレーニン主義党組織論を、何よりも労働組合の指導路線を巡り「経済主義」「労働組合主義」と対決し徹底的に明らかにした著作であるからである。党(特に「職革」)を労働組合(労働者階級)の上に置くスターリン主義的に歪曲された「外部注入論」でなく「革命的労働組合論」と一体の「革命的党建設論」として読み返す必要がある。なぜならばこの党の革命の評価を巡り、またその後の党の核心的路線と組織方針を巡って党内から(しかも党の革命を闘いとった常任の中から)明らかな「反対」が表明されているからである。そして、その相違の核心にはやはり「党と労働組合の関係」の問題があるのである。この相違を「意見の自由」「民主主義」の問題として曖昧にすることは、党を決定的にブルジョア思想に屈服させ、解体していくことになる。正に問われている核心が再び三度「レーニン主義の断固とした継承か、解体か。」という問題として、党の進路を決めていく決定的問題としてあると確信する。

B レーニンは、党の闘いを経済主義に引き降ろそうとする「ラボーチェエ・デーロ」派のイスクラ派に対する「批判の自由」や「反民主主義的傾向」という批判に対し「公開制」や「選挙制」を行うなどというのは革命的組織においてあり得ないことであり、空虚で有害な遊び事であると主張した。そして、指導者という「支配的地位は、彼らが望んだ結果得られたのではなく、彼らの知力、彼らの精力と献身に対して周囲の同志が寄せた信頼の結果だったのだ。」と細胞活動を土台とした同志的信頼の形成こそが決定的なのだと押さえた上で、「我々の…唯一の真剣な組織原則は…最も厳格な秘密活動、成員の最も厳格な選択、職業革命家の訓練である。これらの特質が備わっているならば『民主主義』以上のあるものが、すなわち革命家たちの間の完全な同志的信頼が、保証される。」と展開している。そしてさらに「経験によって、真の革命家の組織は不適当な成員を取り除くためには、どんな手段をも辞さないであろうということを知っている。…同志関係の義務に少しでも外れる者を容赦なく厳罰に処している。」と付け加えている。これは「なになす」を学習するにあたって幾たびも押さえられてきた重要なフレーズであると思う。しかし、問題はレーニンが何故こうした直接的には「非民主的」とも思えることを、唯一の真剣な組織原則としたのかということである。教条的に理解するのではなく、これを貫いている原理の把握こそが重要なのである。

C 一言で言えばブルジョア社会における、思想的物質的(イデオロギー、政治、暴力、賃労働等の)支配と闘い抜き、ここから自由なところにプロレタリア革命党は建設されなければならないというということである。そうでなければ党はブルジョア支配に屈服・解体されてしまうということなのである。要するに「権力と闘えない党」になるということである。ブルジョア社会は、労働者階級の人間的自己解放に向けた思想的政治的自由を抑圧・剥奪することによって成立している。したがってブルジョアジーの全的支配に対して、労働者階級の思想的政治的自由を意識的に奪還・拡大し、一斉蜂起にまとめ上げていくことに革命党の本質的任務があるのである。だから革命党は、ブルジョア支配と意識的に闘い、ここから自由なところに打ち立てられていかなければ、プロレタリアートの根源的戦闘性を引き出し、その解放を実現できないし、この原理に基づいて指導できないのだということである。それ故ここにこそ党建設上の最大の意識性が置かれ、「なになす」の全編がこの意識性に貫かれているのである。「左翼空論主義」における党の団結と規律の問題も、ブルショア社会に生きる人間の真の自由への第7歩として、すなわち自己解放の第一歩として押さえられていることも想起されなければならない。これは、ブルジョア社会が「人間的自由」をスローガンに掲げ労働者階級を含む他の階級を動員することによって封建社会を打ち倒しながら、労働者階級を凄惨な血の弾圧で制圧し労働者階級の思想的政治的自由を奪うことによって歴史的に形成され、全人民支配を貫徹してきたというブルジョア社会の歴史的本質と支配構造の解明から来ているのである。労働者階級の根底的戦闘性を解き放ち、革命を実現していくためには、まずもって党が思想的政治的にブルジョア支配からの自由を意識的に不断に勝ち取らなければならないのだということなのである。レーニンは、この核心を党派闘争を通じて全党的全階級的にはっきりさせるために非妥協的闘争を貫徹し続けてきたのである。したがって、冒頭の引用「党派闘争(・党内闘争)こそか党に力と活気を与える。」ということはブルジョア支配からの自由を切り開く闘いとして、この闘争こそが党に自己解放的力と活気を生み出していくということなのである。ブルジョア支配から解放される力こそが、党と階級を根底的に活性化させるということなのである。

D そして、さらにレーニンは党としての最大の課題―革命の原動力たる労働者階級をブルジョア支配から解き放っていくための最大の課題は、革命的指導者―職業革命家か決定的に不足していることにあるのだと強調している。この職業革命家という内容もこの基本思想―ブルジョア支配からの自由の形成という意識性を貫くことにあるのであり、この意識性と別なところにあらかじめの「職革」があるわけではないのである。(常任=職革ではない。階級―労働者党員に立脚し、彼らの信任を勝ち取る中で職革になっていくのである。あらかじめスーパーな常任が、間違いだらけで歪んだ労働者党員―階級を点検・指導するなどというあり方は全国的にはとっくに打倒されているのである。階級的労働運動路線に反対し、3・18集会に反対する常任諸君には正にこのあり方があることを自覚せよ!)レーニンは、「いくらかでも才能があって『前途有望な』労働者出身の扇動家を、工場で一日11時間も働かせてはならない。…われわれが、専門的訓練を受け、永年の修業をへた労働者革命家たち(その上、もちろん『あらゆる兵種』の革命家たち)の部隊を形成した時は、世界のどんな政治警察もこの部隊には歯が立たない。なぜなら、この部隊は労働者大衆に無条件な信頼を受けるからである。われわれは、労働者にもインテリゲンチャにも共通の、この職業革命家としての修養の道にかりたてることか少なすぎる。」と主張している。ここでも賃労働の支配から自由なところに、労働者出身の革命家を形成せよという意識性が貫かれているのである。したがって、労働組合運動指導の原理も、ブルジョア支配からの労働者階級の自由・解放を切り開くという決定的かつ意識的に位置づけられているのである。

E 党の革命は、マルクス―レーニン主義を断固として貫徹するための革命的蜂起であったのか、それとも解体を求めた決起だったのか、今こそはっきりさせなければならない。与田の超弩級の腐敗と反革命性の故に、その反動がレーニン主義の解体にまで行き着けば革共同の解党にまでいき着くのである。(批判者はレーニン主義の解体を求め、解党主義に陥っていることを自覚せよ!)党の革命は正に「真の革命家の組織は、不適当な成員を取り除くためにはどんな手段も辞さない。」というプロレタリア革命の暴力性と激しさを正に「経験」としてはっきりさせたことに最大の革命性があるのだ。ブルジョア支配に核心的に屈服し党をプロレタリア革命から切断していた党の革命反対派・私党化グループは、これに震捕し、反対を組織し、脱落したのである。正にプロレタリア民主主義の革命的適用こそが党の革命だったのである。したがって、この発展はマルクス主義―レーニン主義の断固たる適用にこそあるのであり、その背反に転じさせては断じてならないのである。

F したがって労働者党員が立ち上がった党の革命の革命的蜂起は、プロレタリア革命の思想と路線を徹底してはっきりさせ、全党が一丸となって突き進む「党の革命」の全党的推進に転じなければならないのである。「党の革命」は、マルクス・レーニン主義を継承し断固として貫徹していくということなのである。階級的労働運動路線はその答えである。新たな教条の振り回しではないかと浅薄に受け止められている傾向かあるが、これは「党の革命」の言葉を振り回す新たなドグマでも何でもないのだ。死んだドグマから、党と階級を解放し自由になっていく道なのである。与田の超弩級の腐敗や党内支配、そこから生み出された権力問題の深刻さの故に、党の革命は党内民主主義を求めた蜂起であって思想や路線の問題ではないとする意見が関西の常任「指導部」の一部から出されている。そして、新年号―階級的労働運動路線の撤回を主張し、「政治決戦がない」と言う主張と一体で「体制内労働運動との決別」にも反対している。これらの主張がいみじくも平田―結柴など「私党化グループ」の主張と基本的に同じであることを一体どの様に考えているのだろうか。民主化され「批判の自由」が確保されれば、平田等の主張は正しいとでも言うのか。彼らの主張と同じく「党中央」は変質しているというのか。曖昧さ無くはっきりさせるべきだ。いかに深刻で厳しい事態に直面したとしても、党はプロレタリア革命をめざす運動体である以上、その運動は思想的路線的に総括されなければならないし、総括できなければ破産するのである。与田や平田は、思想的路線的に破産したが故にこの様な結末に至ったのである。断じてその逆ではないのである。
 「5月テーゼ」「6回大会」「新指導路線」によって引き出されてきたプロレタリア自己解放の力を土台とした党内闘争の貫徹こそが、私党化グループを追いつめ反動性を引き出し、「党の革命」を号砲として決定的に引きずり出され打倒されたのである。その様に総括できずに「党内民主主義」や「意見の自由」が対置されるならば、党の革命の革命的地平はレーニン主義に反対する「沼地派」の道に転落してしまうのである。私党化グループは、プロレタリアートの思想的政治的自由を革命党として強靭な目的意識的において追求するのではなく、逆に階級の桎梏と化し、自己解放の抑圧者となりマルクス・レーニン主義の核心的解体者に転落していたからこそ破産し打倒されたのである。断じてここを曖昧にしてはならない。組織問題とは、思想的路線的問題なのである。「党の革命」は党と階級の本質的関係をも開示しているのである。桎梏に転じたものは打倒されることをはっきりさせたのである。同志をそして何よりも労働者階級をなめてはいけないということなのだ。

G 階級的労働運動路線に反対し、「党中央」を変質したと平田同様の主張をする同志に共通しているのは、22CCとりわけ「第三報告」で打ち出した動労千葉の歴史的階級的地平、11月集会の革命的地平とその路線的勝利性が理解されていない。未だに一般的重要性が確認されているだけで、それと別の所に党的日常的実践を置き続け、これまでの自己を守ろうとしている。それ故に3月集会の地平も理解されていない。正にこの点では平田など私党化グループの動労千葉認識と同じあり方であり、破産したあり方があるのである。動労千葉の否定しがたい地平は不承不承に承認しつつも、動労千葉の階級的地平を全く理解できず、あくまで例外的存在として地方の党組織をこれと別のところに展開させてきた平田グループは、いまや動労千葉を公然と否定し国労本部(5・27で組合員を権力に売り渡した体制内労働運動指導部)に秋波を送るまでに右転落している。BLを動労千葉と別なところで囲い込み続けてきた与田の惨状は語るまでもない。結柴は、国家権力から「自由」になったことを公然と吹聴し脱党分子たちの結集軸となって革共同を攻撃し、解体しようとしている。これらは、「民主的」手続き問題で発生したとでもいうのであろうか。平田や結柴は「手続き問題」に一貫として切り縮めようとしてきたが、本質は思想と路線の問題なのである。動労千葉の否定であり、階級と切断したところに党的自己を置き、路線的に破綻し党破壊分子に転落したのである。動労千葉の存在と闘いこそが、すなわち階級自身の戦闘的闘いこそが「沼地派」をギリギリと追いつめたのである。これが階級的真実なのである。

H この私党化グループの転落についても「なになす」は、決定的視座を与えている。そしてこれに対する徹底的根底的批判を通じて、党は全国統一の党としてプロレタリアの奔流を一つにまとめ上げる中央集権の党としての今日的組織的任務を明確にさせていくことかできるのである。こうして党と党員は「階級への絶望」でも「自然発生性への拝跪」でもなくブルジョア支配から自由になり「階級の最前線で闘う」党へと飛躍していくのである。

5.反帝・反スタ―マルクス・レーニン主義に基く階級指導の歴史的勝利としての動労千葉の位置

@ 「なになす」における経済主義者との闘いは、ロシア社会民主党における最初の党派闘争であり、何よりも労働組合に対する党の指導思想と路線をめぐる激突であり、この党派闘争を通じて革命党のあり方―党組織論建設論を原理的に明確にさせた決定的な著作である。ここでレーニンは、党を「自然発生性に拝跪させる傾向」、労働組合を改良主義的に「経済主義」に切り縮めこれに党の任務を従属させようとする傾向、さらにはプロレタリアートを一つに組織しようとするのではなく「手工業的」に地方分散させようとする傾向に対して、ブルジョアジーの支配からプロレタリアートを解放=自由にしていく(革命―一斉蜂起を準備していく)のではなく、逆に縛り付けていく事になるのだと徹底的に批判している。(自然発生性とは、ブルジョア支配によって生じる一切の矛盾的現れということである。)

A 22CC「第三報告」で戦後労働運動史的に明確にしたように、動労千葉の地平は「経済主義」「労働組合主義」諸党派(カクマルも含めいわゆる体制内労働運動)との激烈な党派闘争の中で「職場闘争」「反合闘争」路線を確立して組合員と共に勝ちぬき「ジェット闘争」「分・民二波スト」という巨大な政治的ストライキを打ち抜き、今日まで団結し抜いている労働組合なのである。詳しくは繰り返さないが、正にレーニンが批判した「経済主義」や「労働組合主義」「自然発生性への拝跪」と意識的に闘い抜き経済闘争を政治闘争に発展させ一大ストライキ闘争を実現し、正に普通の労働者がこの様な凄まじい闘いを闘い抜くまでの飛躍ができるのだということを実証したという点に、その金字塔的位置があるのである。言わばレーニン主義的労働組合指導の決定的勝利性の実証が動労千葉なのだということなのである。カクマルとの党派闘争・論争を通じてレーニン主義の継承を断固としてはっきりさせた革共同の労働組合指導だからこそ切り開けた階級的革命的地平なのだということである。この動労千葉の階級的地平の凄さが分かるからこそ、韓米はもとより世界の戦闘的労働者・労働組合が注目し真剣に学ぼうとしているのである。

B これはブルジョア支配に労働者階級を従属させようとする「経済主義的」あるいは「労働組合主義的改良主義」(いわゆる体制内労働運動)の支配に対して「賃金奴隷制」下の労働者階級の思想的政治的自由をいかに切り開いていくかという党指導の決定的勝利として、マルクス・レーニン主義に基づく労働組合を通じた階級指導の勝利として総括されなければならないのである。したがって「動労千葉崇拝運動」なる平田の主張、あくまでも勤労千葉は例外で、革共同の本流ではないという否定しがたい本音の吐露に対して、レーニン主義を継承した革共同の階級指導の勝利の実証として動労千葉は決定的に位置づけられなければならないのである。階級的労働運動路線に反対する諸君は、ここの押さえが欠落しているか、決定的に弱いため批判の内容が平田と同質のものになってしまうのだ。それ故「なになす」で展開されている、特に「党の労働組合指導」「党と労働組合の関係」におけるレーニン主義からの隠しがたい召還的傾向―日和見主義がにじみ出てしまっているのである。それ故与田打倒に決起しながら、与田を批判し尽くせず主張に置いて私党化グループと共通してしまうのである。レーニン主義か与田を生み出したのではなく、レーニン主義の解体が続くことによって与田―私党化グループは生み出されたのである。ここを明確にさせなければならない。

C 革命情勢の接近に対する党の最大の課題と任務は何か。ブルジョアジーの支配と意識的に闘い、自由を切り開いた革命的階級的指導者―職業革命家の育成にこそある。労働者階級を組合主義的・経済主義的既成指導部の制動をうち破り、帝国主義打倒の決定的主体として登場させるために、日常的激突を通じ、意識的に組織しながらそれを革命的統一的政治的行動―蜂起へと結びつけていく百戦錬磨の指導者を一職業的革命家の隊列を全国津々浦々に意識的に作り上げていくことなのである。日本帝国主義の根底的危機は、独占の集中と労働者階級の分散・分断化を急速に進め、同時に国家体制の中央集権的強化を推し進め労働者階級を圧殺し、戦争へと突き進もうとしているのである。これに対し党は、階級が「分散・分断」されたままの状況に拝跪するのではなく、「結合と集中」を組織しなければならないのである。レーニンが主張したように、全国的政治機関紙の役割もここにあるのである。正に「労働者の全国的な労働組合の指導を引き受けることのできる単一の全国的な革命家の組織か必要である。」のである。では、この革命的指導者を具体的に、どの様に、全国的に形成するのか。

D 故本多書記長は、70年決戦に当たって総評民間など「戦闘的」体制内労働運動がまだ強力な影響を有していた時代に、この支配から自由な革命的指導者を形成するという意識性を貫いて労働者部隊の街頭闘争への突入を決断したのである。帝国主義の危機の下で体制内労働運動指導部の階級支配が崩壊し、独占ブルジョアジーか密集して階級闘争に打って出てきている現在に置いて、中央集権的な党と革命的指導者の形成は一層死活のかかった喫緊の課題なのである。その場合どの様な指導思想と実践で階級を統一的に組織し、革命的指導者を形成していくのか。この課題を達成するための革共同の歴史的武器こそ動労千葉にあるということである。したがって『俺鉄II』は階級指導論―階級の革命的指導者形成論として実践的主体的に活かされなければならないのである。マルクス・レーニン主義に基づく革命的階級的指導者は、いかに形成されるのかという回答がここにあるということなのである。階級的労働運動路線は、階級的革命的指導者の全国的形成によってプロレタリア革命の道を切り開いていくという路線である。すでに職場実践に突入したマル青労同の同志たちはその様に主体的に向き合い、自己を革命的指導者として打ち立てようとしているのである。安田同志を崇拝しているのではなく、安田同志のようになろうとしているのである。この接近の仕方・読み方が正しいのだ。この革命的指導者の育成という焦眉の課題を達成していく意識性に基づき、動労千葉を(「例外」でなく…正にこれまでも、現在も体制内諸党派が一致してこのスタンスを取り続けている。)実証的基軸にしてMWL―MSLという若き革命的指導者の圧倒的形成を成し遂げていくということなのである。この勝利性と展望を06年11月集会―3月大行動を通じて完全にたぐり寄せたということなのである。正に革命の主体である青年・学生が階級的労働運動路線に自己解放と展望を見いだし、急速に革命家―階級的指導者としての成長を遂げているということなのである。(見よ!きら星のように決定的に、次々と登場している彼らを!)彼らは退路を断ち真剣に闘っているが故に党派闘争党内闘争の前面にも立ち、その激烈な推進軸となっているのだ。革共同党員が、これを理解できず、この決起にたじろいでどうするのかということである。圧倒的な革命主体を形成できるのか、その若き革命的指導者部隊を登場させ得るのか否かをかけた正念場が来ているのだ。

Eしたがって、3・18を、MWL―MSLを冷ややかに、客観主義的にしか見られないこと自体の中に、既にブルジョア支配の自然発生性に拝跪し、階級の桎梏に転じている自己があるのである。階級的労働運動路線に反対する同志達の特徴は、動労千葉―11月集会―3月大行動の受け止めが実に冷ややかで外在的である点で共通しているのだ。それ故MWLが積極的決定的に位置づけられていない。むしろ批難的である。平田―松崎が九州MWLの最大の桎梏であり、敵対者であったことといみじくも共通していることを、深刻に見据えて欲しい。問題になっているのはやはり、思想であり路線なのであり、自分自身をどこに立たせるのかということなのである。

6.91年「5月テーゼ」の路線転換の階級的意義と党内路線闘争の歴史

@ 1990年から91年にかけては、国際階級闘争と国内階級闘争の一大転換点であった。国際情勢においては一方でソ連スターリン主義の崩壊を軸としたスターリン主義の歴史的崩壊があり、他方帝国主義の危機が深まり、これに対するムスリム人民をはじめとする民族解放闘争の歴史的爆発、労働者階級に対する攻撃の激化があった。スターリン主義の崩壊と共に帝国主義戦後世界体制の全面的崩壊過程がはじまったのである。こうした危機を背景に、国内階級闘争においては1987年の国鉄分割・民営化を水路に、89年に総評が解散90年連合結成によって「階級的」体制内労働運動の「帝国主義的」労働運動への転換・統一が進められた。(分割・民営化決戦を国労か闘えなかったことを以て「階級的労働運動の終焉」と見るのか「真の階級的労働運動のはじまり」と見るのかでは180度違う。分割・民営化との闘いの総括が全く違い、それ故に動労千葉―11月集会の決定的階級的位置が理解されていないのである。分割・民営化を階級的労働運動の敗北・終焉としてカクマルを先頭に体制内労働運動指導部が労働者階級を連合に導いた事実を忘れてはならない。この様にして体制内労働運動指導部は、一貫として労働者階級を闘わざる敗北に導いてきたのである。また、レーガン、サッチャー、中曽根の新自由主義政策の下で壮絶な労働組合潰しか行われたが、これで労働者階級か平定されたなどという非マルクス主義的見方が全く皮相な認識であることを11月集会を始め世界の労働者階級が実証し続けているのである。我々はこうした見方を主観主義で非科学的だなどと、闘う労働者階級と別なところで客観主義的に論じる立場ではない。正にそれこそが体制内労働運動に支配された認識なのである。マルクスの「フランスにおける階級闘争」を想起せよ!)こうした情勢に党がプロレタリア革命党として真っ向から対応するための一大路線転換こそ「5月テーゼ」であったのだ。

A 「5月テーゼ」は、内戦で満身創痍の党が一端労働運動に傾斜して党勢を回復し、「第二、第三の11月」や「PU的内戦」に再突入するための緊急避難であったはずだとして、階級的労働運動路線を党の基軸路線とするのは誤りだ、戦略的総路線からの後退であり、政治決戦がないという主張かなされている。あるいは「党は階級そのものである。」というのは誤りで、党は階級から自立的外部注入的に労働組合の内部から労働者を組織するのだから、「体制内労働運動との決別」などと言うのはおかしい、セクト主義だ。そして第二第三の動労千葉などできないのに、これを「学べ」などというのは誤りであり、できもしない動労千葉の地平からこれまで苦闘的に闘いとってきた地平を批判することは許せない。等々の反対意見が出されている。批判者それぞれの展開に違いがあり、論理的にも混乱があるが、現在の「党中央」と「階級的労働運動路線」の展開に反対しているという点で共通している。そして、実践的には「労働組合・労働者指導」をめぐって対極的な結論に達しているということである。では、一応共通の起点とされている「5月テーゼ」とは何であり、それ以降16年間の党内路線闘争の展開と到達点がなんであるのかがはっきりせずに、その爆発的帰結としての党の革命も明確にならないことであろう。

B 幾たびも確認されていることであるが、革共同の基本組織は中央委員会と細胞である。「5月テーゼ」は党の主体的歴史的状況と国際国内階級闘争情勢の激変に踏まえて、あくまでもプロレタリア革命―一斉蜂起を準備する革命的執念を貫き、中央委員会と細胞の一致によって出されたテーゼである。この「5月テーゼ」の核心は、20年間の内戦―先制的内戦戦略の勝利的総括に踏まえ、本格的革命的激動情勢に対応するために、党の未達成課題と限界を見据え、「レーニン的オーソドキシー」に立ち返って党の歴史的闘いを発展させるということなのである。限界とは「党指導部の指導能力の歴史的限界…工場・職場の労働者同志の苦闘に十分対応した指導を成し得なかった指導部と指導の限界。」であり、「労働組合運動の広範な展開と結合しなければ党は本格的に形成できない。」として「なになす」をはじめとする党組織論、細胞論のメモを討議資料として付け加えて出されているのである。「満身創痍」というのは直接的事実の問題であっても、傾斜生産で党勢を回復し「再び党か武装闘争をやる」などという単純で小さな転換ではないのである。先内戦の勝利的発展=反革命とブルジョア国家権力から党を死守し抜いた地平から、国際国内(階級)情勢に対応して労働者党の本格的建設に入り、党と階級自身の闘いとして一斉武装蜂起―革命の準備に入るという宣言こそ「5月テーゼ」なのである。党は内戦の断固とした勝利の確認の上に、断固として三CC路線としての階級自身の戦場へ、革命的ラセン的に回帰するということだったのである。戦略的総路線「沖縄奪還・安保粉砕・日帝打倒!闘うアジア人民と連帯し侵略を内乱へ!」が11月決戦の規模では成し得ないからこその「5月テーゼ」なのである。「命がけの反戦政治闘争」をそれこそ「空叫び」し、労働者党員―階級の自己解放的決起の桎梏と化し、止めどなく右旋回する平田等の惨状を見よ!これが「5月テーゼ」の核心を拒否し続けた反対派の行き着いた先なのである。階級的労働運動路線に反対する同志たちは、自らの主張やあり方が平田等「私党化グループ」と全く同じであることをどう考えるのか。

C 安田同志は、89年に故佐藤氏と共に交流センターを立ち上げ総評解散―連合結成に対応する全国運動の構築に入る。そもそも交流センターは国鉄・分割民営化を敗北と総括し右翼労戦統一に階級総体を導こうとする体制内労働運動指導部に、動労千葉の勝利的地平から挑み、全階級を組織するために結成されたのである。(佐藤氏の『生涯一労働者』は、彼の体制内労働運動指導部からの決別の生涯の集大成として、動労千葉―交流センターに賭け切ったたことを示している。)交流センターは、安田同志の決断の上で、PKO派兵との闘い、95年の阪神大震災との闘い、有事法制との闘い、そして国労を巡る攻防等の階級攻防の焦点的闘いに対し、交流センター方針を打ち立てこれを全国方針として貫徹してきたのである。その一つ一つが「5月テーゼ」反対派―「私党化グループ」との闘いとしてもあったのである。したがって「被災支援連」や「関西・労働戦線」が、現地で奮闘し抜いた同志たちの苦闘的実践によって切り開かれたことに踏まえつつも、そもそも安田同志の決断と路線化の下で党―交流センター方針化による全国支援の組織化がなければ切り開けなかったのだと言うことについては事実として銘記されなければならない。95年19CCは、日経連プロジェクト報告―大失業攻撃に対し国鉄決戦を軸に階級的反撃を組織する意思統一が行われ、97年20CCでは国労大会決戦を巡って、これを組合員自身―階級自身の自己解放的力で切り開くのでなく、党(常任)によって演壇占拠(=大会破壊)を党の政治決戦的方針としようとした与田等への厳しい批判の場となった。彼らに批判を突きつけたのは安田同志を先頭とする「私党化グループ」外の政治局である。6回大会を切り開く過程は、実は「5月テーゼ」を労働者党員と交流センターを土台に、現実の階級攻防を闘いつつ切り開こうとしてきた安田同志が政治局とも激しく闘争し、獲得しつつ切り開いてきた過程なのである。この過程を通じて旧政治局(全国委員)の中で安田同志(労働者党員)と共に階級攻防の最前線に立とうとしてきた政治局と、「5月テーゼ」の核心的転換とその物質化のための指導を拒絶する政治局の分岐が生まれたのである。とりわけ20CC以降「天田書記長」体制の成立と共に、路線対立は表面上天田書記長批判として意識的に展開されたのである。しかし、核心問題は「5月テーゼ」の路線転換に反対し(或いはあくまでも一時的転換と解釈する)これを労働者党員―労働者階級と共に推し進める安田同志に対する攻撃だったのである。しかし、動労千葉の指導者であり何よりも議長との強力な信頼関係があるか故に、安田同志への直接攻撃ができなかっただけなのだ。安田同志は、全政治局(全国委員)と闘争しつつ獲得しようと闘ってきたのである。しかし、「私党化グループ」は労働者細胞―階級からの獲得を拒絶し、自らをあくまでも階級の上に立たせ、党支配を貫徹しようとしたのである。ここに「5月テーゼ」以降6回大会以降に至るまで、その全党的貫徹が遅らされてきた最大の原因があったのである。

D 6回大会は、20CCの党内闘争的地平の上に、安田同志の主導で労働者党員指導部のかつてない参加を実現し、歴史的に勝ち取られた。「5月テーゼ」を労働者党員指導部の実体的基礎を形成しつつ、全党的に物質化させていく決定的大会となったのである。しかし、労働者階級の革命的指導者の形成=党指導部の形成という点では未だ大きな課題があったのだ。したがって、安田同志は一方で中央労働者組織委員会の強化と産別委員会の形成を図ると共に、MWLの本格的再建に着手しその陣頭指揮を取り、責任を取りきってきたのである。そして6回大会方針の下で私党化グループに支配された地方以外においては「党の革命」が進行し始めていた。しかし、他方で追いつめられた「私党化グループ」は、一層路線的な破産を深め、本質に置いては革命から逃亡し腐敗した小ブル的生活を送りながら、成果主義的対抗性をもって強権的に党員を引き回しながら、新指導路線の核心的実践のネグレクトを決め込んでいたのである。11月集会への面従腹背的動員方針やMWL建設へのネグレクトと敵対にそれは端的に表れていたのだ。「5月テーゼ」―6回大会を通した党全体の前進と彼らのあり方と破産の矛盾は、ついに党の革命という形で労働者党員―全党員の鉄槌によって断を下されることになったのである。(この「私党化グループ」の思想的路線的拠り所となり、戦線、学生、議会等の全面的路線的指導的破綻と国家権力問題の曖昧化、反党の革命派の脱落と敵対を生み出したOO責任者としてのOO同志の責任は重い。)

E 6回大会以降「9・11戦闘」の爆発と米帝ブッシュ政権によるアフガン―イラク戦争への突入。小泉政権による派兵強行と構造改革―規制緩和・民営化による4大嵐別を基軸とした全面的階級撃破攻撃と右翼的体制内労働運動の凋落と階級支配の歴史的破綻という情勢に対応する路線的強化として打ち出されたものが03年の「新指導路線」である。この下で04年「労働組合論の革命論的再確立」か進められ「なになす」をはじめとするレーニンの諸著作の捉え返しが進められてきたのである。しかし、私党化グループはこの党的前進と別なところで、これにたいする敵対を私党的に組織していたのである。新年号の学習会も組織されず、安田同志と共に新指導路線を貫徹するために必死に闘い続けてきた書記長をはじめとする政治局との細胞的一致は拒絶され、関西革共同集会では安田同志と共に先頭で闘う政治局に対してはヤジが組織された。与田は、自らは小ブル的生活に浸りながら、星野同志をはじめとする獄中同志の奪還闘争についても実に冷淡に扱い続けてきたのである。何よりも関西の労働者同志を蹂躙し党の名の下に暴力的密告的恐怖支配を続けてきたのである。平田―松崎もこの与田と結合し、全く同様の支配を行って来たのだ。これが一体革共同なのか。労働者の党なのか。革命党においては思想的後退と路線的破綻は、ブルジョア国家権力と反革命による全重圧によってとことんの転落をもたらすのである。だからこそ、思想的路線的一致を細胞的に徹底して勝ち取り、ブルジョア支配と激突しながら絶えず強化しなければならないのである。そしてその検証は、誰よりも労働者党員―階級自身の信任によって行われるのである。4大産別を基軸に労働組合の革命的組織化に乗り出すと言うことは、階級の大地の上で党と党員のその思想と路線を検証し、革共同を階級の党として打ち鍛えていくということなのである。階級的労働運動路線に基づく07年緒戦の闘いは、私党化グループの淡い願望をぶった切り、党と階級の関係を劇的に変える「党の革命」を生み出したのである。

7.全労働者階級人民の生存権をかけた死活の攻防の中軸として4大産別決戦路線を打ち立てよう!(諸戦線の路線的再構築について)

@ 与田および「私党化グループ」によるマルクス・レーニン主義の核心的歪曲の影響は、BOB―諸戦線に置いても根深い影響を残している。地区党の強力な建設を水路としたプロ独党の強靭な建設に向けて、この議論を通じてマルクス主義の原点に返った路線的再構築が求められている。これは4大変別決戦路線の強力な確立に関わる議論でもある。

A この間戦線の地区党への再編方針をめぐり、22CC「第三報告」における諸戦線の記述、さらには「7・7路線の深化」に対する議論が主に諸戦線で進められている。  我々はイストとして、障害者や部落民などが、差別に対し自然発生的に怒りを抱くことは当然のことであり、これを人間的自己解放的決起の決定的契機であると捉え、意識的に発展させていかなければならない。しかし、問題はこの人間的怒りを自然発生性に固定化することによって、根底的解放への道を閉ざしてはならないということなのである。いかなる戦線や水路から立ち上がろうとも、その自然発生的怒りをブルジョア社会への意識的根底的批判者としてのプロレタリア革命の革命家へと飛躍を勝ち取っていくことこそが党の指導的役割なのである。被差別人民に対して自己解放の路線を提示し、プロレタリア革命に獲得していくことこそが革共同党員としての任務なのだ。問題の核心は、ここでもマルクス・レーニン主義を貫くか否かの思想と路線の問題としてあることをはっきりさせなければならない。諸戦線の苦闘の突破の核心は、紛れもなくここにあるのである。戦線指導部は、このことを共にはっきりとつかもうではないか。与田は、この差別に対する自然発生的怒りを固定化し、組織し、「差別者」である労働者(党員)が戦線に口を出すことは許さないという形で、労働者(党員)の自己解放を抑圧し、私党化(単一党の解体)の拠点としてきたのである。このことによって、諸戦線の自己解放―帝国主義を打倒する主体形成の道を閉ざし続けてきたのである。

B 与田の思想と論理は、労働者を差別者であると規定してブルジョア社会における自然発生的現象を変わらないものとして固定化し、差別者である労働者階級に革命はできないということに貫かれている。そして、階級(あるいは党内)に対する差別糾弾「闘争」を第一に置き、それ故にブルジョア国家権力に対する闘いにおいては改良主義的にしか闘いを組織してこなかったのである。階級を革命主体として対象化できないところから、改良主義的方針が生み出されているのである。そして、差別者としての労働者階級は変わらないから、BL(戦線)と労働者は別個に進み、最終的に党がこれを統一して革命をやるという論理なのである。これは、プロレタリア革命(解放)こそが全人民の解放であるというマルクス・レーニン主義の原理的解体であり、プロレタリア独裁を党組織論として今日的意識的に貫徹していく単一の党としての地区党建設の核心的否定としてあったのである。これを路線化したのが「仁村論文」なのである。ここからブルジョア国家権力とその支配に対する根底的怒りの組織化よりも、「党内の差別」への糾弾闘争の組織化のみに異様に執着する傾向がうまれてきたのである。プロレタリア革命を世界革命として貫徹する「7・7路線」は「血債主義」「糾弾主義」にねじ曲げられ、マルクス主義の解放の原理か実は核心的に否定され続けてきたのである。党は、労働者階級自己解放を組織する党ではなく、何よりも(これと切断された)差別と闘う党でなければならないからである。与田は、これを自らの私党的支配のために極めて意識的に使うようになった。これはマルクス主義でもレーニン主義でもない。レーニンが徹底して闘った正に「自然発生性への拝跪」そのものでありブルジョア支配に対する根底屈服なのだ。(「党の革命」で明らかになった与田のあり方そのものが、ブルジョア支配への根底的屈服を何よりも実証している。)これを中央指導部として党の路線にまで高め、党を蹂躙したのである。ここに最大の問題がある。階級が自己解放的に立ち上がり、ブルジョア支配を打ち倒さずに、全ての人民が差別から解放されることなどあり得ない。これは、階級は元より部落民(被差別人民)自身の自己解放を閉ざすことでしかない。被差別人民は、プロレタリア革命に内在化することによって差別からの解放―自己解放を勝ち取ることができるのだ。自然発生性に屈したところでの「差別糾弾」の中に自己解放はないのである。労働者の自然発生的差別的あり方に屈することなく、プロレタリア自己解放への深い確信に基づき、自らイストとして階級の組織者になっていくことが戦線の同志たちには求められているのである。「糾弾」は、階級の自己解放を勝ち取るという徹底した意識性において貫徹されなければならないし、その様に位置づけられてはじめて諸戦線の自己解放と帝国主義打倒に向けた路線的方針を構築することができるのであり、この点で死活がかかっているのである。与田自身は、階級不信の故にこの様な立場に立ったイストとして意識的に自己を確立することなく、内戦下での非常時分離指導体制を反動的に固定化し、これを路線化し、イストとして飛躍できない自己を正当化したのである。この与田を軸に「私党化グループ」が形成され、イストとしての核心的飛躍を拒絶し反動的に固定化しようとしたこの様な「指導部」によって戦線指導が行われていたのである。それ故、諸戦線はプロレタリア革命による自己解放の路線を明確に確認して提示することに成功してきたとはいえないものがある。ここに歪みと危機があるのである。党は、マルクス・レーニン主義に徹底的に基づきプロレタリア革命路線を全人民解放の路線として統一的に形成しなければならないのである。諸戦線は、プロレクリア革命との切断ではなく、意識的な統一の形成によってはじめて自己解放への路線的展望が生み出されるのであび、革命党の諸戦線として維持され発展していくのである。

C 一言で言えば革命的階級として「労働者は、変わるのだ。」というマルクス主義の原理がまったく理解されていないと言うことである。それ故勤労千葉はあくまで特殊な例外として根本で否定され、22CCを経た新指導路線の階級的労働運動路線としての明確化が否定されているのである。資本に蹂躙されたままの労働者は、紛れもなく「自然発生的」に差別的に自己を維持している。しかし、この労働者が団結し資本に立ち向かい、その闘いを資本主義社会全体へと高め、政治的決起にまで意識的に発展させた時、自己と被差別人民との関係は根本から変わっていくのである。茨城の3・2行動は、民間労組労働者の激的飛躍という形でこれを典型的に示し、それ故4大変別の労働者にも革命的影響力を与えているのである。これこそが動労千葉型労働運動の意識的指導の結果なのである。動労千葉が示し続けてきたのは、労働者が自分たちの狭い自然発生的な経済的利害を超えて、全労働者のため、他の階級(農民―全人民)のためにクビをかけて闘う存在に変わるということなのである。核心的問題が指導者の思想と路線にこそあり、革命的指導者の存在によって階級は激変するということを示しているのである。階級的労働運動路線とは、この様な指導思想と路線の下で労働組合運動の全面的実践に突入し、何よりも決定的革命的指導者を陸続と意識的に形成することによって、プロレタリア革命を準備し全人民解放を実現するという路線なのである。「体制内労働運動との決別」とは、何よりもこの革命的指導部形成に向けた革命的方針なのである。

D 「体制内労働運動との決別」の反対者は、ドイツ革命において、正に体制内労働運動指導部―ドイツ社会民主党右派が、カール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクの虐殺者となったことを忘れたとでも言うのか。また、左派民同と日共革同―国労指導部が我が同志たちを「5・27弾圧」で警察に売り渡した事実をもうすっかり忘れたとでも言うのか。そして、階級的労働運動路線の敵対者となった平田―松崎までが、我が同志たちを警察権力に売り渡そうとしていることをどう捉えるのか。あえて言えば、ローザは類い希な革命的アジテーターでありながらこの体制内労働運動に対する武装が決定的に弱く、それ故に階級に対して武装を呼びかけることが決定的に弱かったために死の破産を突きつけられたのである。また、トロツキーの「統一戦線戦術」は、スターリン主義に対する甘い認識に貫かれている。それ故彼にも死の破産が突きつけられているのである。労働者階級自己解放の敵対者として、ブルジョア支配の最後の防波堤にまで転落し、ついには反革命的虐殺者にまで変質する体制内労働運動の思想と運動こそが、階級を差別者・虐殺者として反動的に組織していくのである。問題はブルジョア支配と、これに屈し支える体制内労働運動指導部にあるだ。これと意識的に対決し、階級を武装させることなくして、全人民解放の主体としての労働者階級は形成できないのである。批判者は、党および階級に対しこの様な「体制内労働運動」に対する武装解除を呼びかけ、党と階級をここに引きずり落とそうとしていることを明確に認識しなければならない。党中央と全国の革命的戦闘的同志は、この様な武装解除要求を断じて容認しない。ブルジョアジーとの現下の最大決戦攻防である4大産別攻防の核心は、この体制内労働運動指導部に対する激突を通じて、真に革命的指導部を形成し階級を武装させることにあるのである。労働者が、差別者に転落するのか否かは、激しい階級撃破攻撃の具体的攻防を通じて、正にこの体制内労働運動指導部との意識的闘いを指導しきれるかどうかか決定的である。だからこそ戦線のイストは、4大産別攻防を軸とする階級攻防の死活を賭けた組織者に飛躍しなければ、自らの解放と背反する道をたどることになるのである。これが戦線の死活をかけた地区党再編方針の土台なのである。

E そして、直接的にも日帝の攻撃がプロレタリア的団結と政治的自由の強制的剥奪―撃破を水路に全人民から生存権を奪うという全面的攻撃である以上、階級的労働運動路線に基づいて階級を組織化して行くことと一体で諸戦線の運動的展開を切り開いていかない限り、原理的にも現実的にも展望はないのである。正に各個撃破的にこれまで勝ち取ってきた地平・権利の一切を叩きつぶされていくことになるのである。階級が桎梏をうち破っていくことと、諸戦線―全人民の命運は一体なのである。それ故階級的労働運動路線とは、諸戦線に置ける核心的展望を切り開く核心的路線なのである。したがって、革共同はこれを基軸に各諸戦線における路線的展望が開示しなければならないのである。戦線指導部は断固として、この立場に立たなければならない。

F レーニンが言うように、労働組合をめぐる党派闘争を基軸としながら、党の組織化はプロ独路線の下で全面的に組織化が進められなければならないのである。諸戦線の指導的同志は、プロレタリア革命の勝利が全ての人民に解放を準備する道であることを明確にさせて、断固としてその組織者とならなければならないのである。これまでの展開で明確なように、差別への人間的怒りという自然発生性を革命に向けた意磁性に転化していくという、イストとしての革命的主体性が発揮されなければならないのである。自然発生性に拝跪し、そこから党(中央)を非難するだけならば、やはり経済主義・改良主義の域を出ず「沼地派」の役割を果たしてしまうことになるのである。それは党をブルジョア支配に従属させ、労働者階級のみならず全ての人民を解放の道を遠ざけることになるのである。

8.MWL―MSL各1000名建設の全党的推進を基軸に11月1万人結集を実現しよう!

@ 以上の展開から明らかなように、革命情勢の接近に対する党の最大の課題はブルジョア支配と根底的に闘う革命家を、党の下に全国統一的に広く深く育成していくことにある。そのために、党自身がブルジョア支配とその自然発生的現れと意識的徹底的に闘い一層自由にならなければならないのである。ここに党の最大の意識性が置かれなければならない。

A 動労千葉を軸とした11月1万人結集運動とは、実はこのような党の喫緊の課題を達成する最も有効で唯一の道なのである。レーニンの言う「労働者の全国的な労働組合の指導を引き受けることのできる単一の全国的な革命家の組織」は革共同の歴史的到達点としての動労千葉と11月集会を軸に組織されていくのである。今日のMWL―MSLがこれを基軸に圧倒的に力強く形成されてきていることか何よりの証左なのである。

B 07年11月1万人結集方針は、日帝ブルジョアジーによるクーデター的改憲攻撃への突入=4天産別を軸とするプロレタリアートの階級的撃破攻撃という07年決戦の階級的課題に対する「党=階級」の意識的対応であり、同時にこれまでの11月結集運動の発展と限界の総括から切り開かれる闘いである。それは「5月テーゼ」以来16年間の路線闘争の今日的決着点としての階級的労働運動路線=マルクス・レーニン主義の原理的貫徹への階級の獲得を賭けた党的決戦としてもある。

C 3・18を頂点とする3月大行動、そして4月統一地方選挙闘争の核心的勝利は、ブルジョア国家権力とその反動的支配の重圧の激化に対し、これに根本的なところで屈服し、「折り合った」ところに延命の道を求め、党を引きずり込もうとした「私党化グループ」への思想的路線的批判を通じて、党のブルジョア支配への核心的屈服を打破し、自由を勝ち取ったことにある。ただ「選挙闘争に勝つために」あるいはただ「労働者階級人民の大結集を勝ち取るために」という理由で、ブルジョア支配体制との共存の上に革共同の運動を成立させようとしてきたあり方からの根本的決別の上に3〜4月の革命的勝利の核心があるのである。11月結集運動も、実は5000名結集や1万人結集の目標のためにという形で大きくは、体制内労働運動指導部(ブルジョア支配の一環)となれ合ったところで実現しようとしていたのではないか。こうした「体制内労働運動左派」的あり方は、体制内労働運動の存在さえ容認できなくなった今日の日帝の危機と攻撃の前には、何ら意味をなさないだけでなく、ブルジョア支配への最後の幻想の組織者(しかもさしたる影響力のない)となり、階級の核心的決起の抑圧者とはなっても組織者とはならないのである。「体制内労働運動との決別」とは、ブルジョア支配に無自覚的に屈しながらイストであり党であるという様なあり方からの自己自身との決別なのである。1万人結集方針とは、党と党員がこれまでの支配体制を前提としたあり方から、階級の自己解放としての戦闘的革命的決起の組織者となり、これに根底的確信を抱き、ここに賭けきるということによってしか実現し得ないのであり、それがこれまでの実践的苦闘を通じてはっきりしたということなのである。自らを体制内に無自覚的においたままで、体制内支配に自然発生的に屈している労働者を獲得できるはずがないし、ましてや意識的に敵対している体制内指導部に勝てるはずか無いのである。今日の歴史的階級闘争情勢の下で、ごまかしやちょろまかしで1万人結集が実現し得るはずがないし、またそういう1万人を集めようとしている訳ではないのだ。労働者階級自己解放を土台に正に革命の先制的実現形態、プロ独―ソビエトの意識的形成として11月集会を勝ち取るということなのである。したがって、11月集会が階級攻防と別のところでの党的カンパニアや「囲い込み」であるなどと言う解釈は、全く誤っている。職場内外の階級決戦攻防を、激烈に組織しながら一切を革命的陣形―ソビエトの形成としての11月集会への意識的結集へとつなげていくということなのである。労働者階級と全人民の自己解放性とプロレタリア革命の路線的勝利性の上に1万人結集の実現を図っていくということなのであり、1万人結集のためにこの党の意識性が低められてはならないのである。党としてのプロレタリア革命の対置こそが11月集会なのである。

D したがって、3〜4月闘争の核心的革命的勝利に踏まえ、職場・街頭におけるプロレタリア的自由・解放をめぐる激突を自ら切り開き、激励指導し11月集会の決起へと意識的に結びつけていくことが党員としての核心的任務であり、そのために07年中盤の闘いへと一丸となって打って出て行くということである。断固としてこの道を進もう!

9.機関紙闘争の革命的前進を軸に党組織!

@ 先に引用した「なになす」「5月テーゼ」でも強調されているように、機関紙活動についても「レーニン主義的オーソドキシー」において根底的な捉え返しが必要である。プロレタリア革命から召還していた「私党化グループ」は、機関紙活動においてもこれを徹底的に低めていた。機関紙は、(自己を高見に立てた)批評の対象ではあっても生きた組織化の軸ではなかった。革命の組織者としての機関紙の地位が低められ続けてきたのである。

A 機関紙闘争について全面的に展開する余裕はない。しかし、プロレタリア革命の宣伝とその組織者としての機関紙という位置が十分に理解され、組織化の中軸に位置づけられているだろうか。確かに単なる情報あるいは宣伝を不特定多数に与えるためだけならば、インターネットの威力は大きいし、活用されなければならない。しかし、ネットは機関紙には変える事はできない。それ自身が、革命―革命党の組織者とはならないからである。機関紙活動―配布・学習会(読み合わせ)・紙代回収の組織化は、意識的組織的行為として貫徹されていくが、ネットは基本的に一方的に配信するだけである。一定の反応は測れても、決定的な組織者とはならない。「学習会をやらなければ理解できない新聞ではだめだ。」という意見は重要だが、だからと言って学習会や読み合わせが軽視されてはならないのだ。新聞そのものや読者に対する意識性の形成か、自然発生性に対する従属をうち破り解放性を生み出して行くからである。新聞も読まない、政治から疎外された青年労働者が機関紙の学習会から、積極的読者になり、決定的組織者―指導者に転じていくという実例がいくつもあるのである。機関紙が組織者であるというのは、党員がその様に意識的に位置づけていくことによって決定的組織者になるのである。

B 全国的党組織建設―MWL―MSL各1000名建設の決定的運動的要、組織者は機関紙にあることを徹底的に意識化し、基軸化しよう!労働者階級への全面的低賃金化・労働強化は、党の組織活動・財政闘争についても待ったなしの「革命」を求めているのである。日帝ブルジョアジーの階級攻撃に対する「自然発生性への拝跪」との闘いはここにおいても決定的に問われている。財政の圧迫は、党からブルジョア支配に対する自由を奪っていくのである。これとの意識的闘いの基軸的展望は、広く深い機関紙活動の全党的展開にあるのである。杉並選挙闘争、相模原選挙闘争における階級的労働運動路線に基づく革命的展開と勝利はかつてない労働者オルグ名簿の現出として現れている。では、このオルグ対象の決定的組織者は誰か?機関紙なのである。機関紙活動(配布―学習会―次第回収)こそが階級指導者としての革命家を育成していくのである。「党の革命」は、「機関紙活動の革命的展開」によってこそ、11月集会1万人結集の動力源となり、日本革命の展望をこじ開けていくのである。全党は、この意識的展開に大胆に、強力に入らなければならない。

10.07年決戦の当面する闘いおよび政治方針について(別提起)

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