2007年7月テーゼ

階級的労働運動路線のもと 7・7思想の革命的再確立を

                 

革命的共産主義者同盟政治局

T

 帝国主義の末期的危機が刻一刻と深まり、革命的情勢が急接近している。
 アメリカ帝国主義のイラク侵略戦争における敗勢は、ドル暴落―世界大恐慌の切迫とともに、帝国主義間争闘戦の新たな世界戦争への転化の情勢をいよいよ促進している。
 日本帝国主義はこの中で、国際帝国主義の最弱の環として死の苦悶(くもん)にのたうちまわり、イラク派兵に続いて北朝鮮侵略戦争に突入しようと、米軍再編・日米同盟強化、集団的自衛権解禁、9条改憲へ突進している。
 労働者支配の全面崩壊の危機を戦後憲法体制のクーデター的転覆によってのりきろうと必死になっている。
 今や、労働者階級による現体制の根底的な変革、プロレタリア革命が問題となる歴史的情勢が到来した。
 1946〜47年の戦後革命敗北から60年、日本の労働者階級が資本の支配の転覆と国家権力の奪取を求めて真っ向から団結して立ち上がる時代が再びやってきた。  革共同が07年1・1アピールで確立した階級的労働運動路線は、この新たな革命の時代を迎えて、その担い手である労働者階級の中に革命の指導部と拠点を圧倒的につくりだし、一斉蜂起を本格的に準備していく路線である。
 それは〈闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ〉という、70年闘争時以来打ち立ててきた革共同の綱領的路線を今こそ6000万労働者階級の総決起として物質化していくものである。
 われわれは、労働者同志の蜂起を軸とする06年の「党の革命」によって、労働者階級の党としての革共同の根底的な再生・再確立への突破口を切り開き、プロレタリア革命への本格的な挑戦を開始した。
 それは、革共同を反帝国主義・反スターリン主義=革命的共産主義の党として打ち立てるための、半世紀にわたる苦闘がついに切り開いた歴史的到達点である。
 60年・70年闘争。それへの大反動としてあった反革命カクマルおよび日帝国家権力との二重の内戦。その勝利の地平の上に、91年5月テーゼをもって開始された本格的な労働者党建設への15年にわたる必死の格闘。
 そしてこの格闘は、われわれ自身の中にあった一切のあいまいなもの、歪んだものを容赦なくたたき出すことで、党を真に「階級の党」として打ち立てる地平を切り開いたのだ。
 この「党の革命」をさらに前進させ、日本革命―世界革命勝利を闘いとっていくために必須不可欠の課題となっているのが、いわゆる「7・7思想」の革命的再確立である。  革共同は70年闘争の中で、在日中国人青年(華僑青年闘争委員会)からの糾弾にこたえて革共同の革命党としての根底的飛躍をかけた自己批判を行った。
 そしてこの70年7・7自己批判を〈侵略を内乱へ〉の総路線の中に核心的思想、魂として貫き通して闘ってきた。
 日本の労働者階級が、帝国主義とその民族排外主義への屈服によって自らの階級的=国際主義的本質を奪われ、解体されてきた歴史を背負っていること。
 この負の歴史と現実に労働者階級とその党がしっかりと向き合い、根底から打ち破って、闘うアジア人民・在日アジア人民との間にプロレタリア世界革命勝利に向けた真の同志的連帯を築き上げるために闘うこと。
 特に日帝の植民地主義的民族抑圧の戦後における継続としてある入管体制粉砕の闘いを、日本の労働者階級自身の日常的闘争課題としていくこと――ここに7・7思想の核心があった。
 したがってそれは、帝国主義的民族排外主義との闘いにとどまらず、日帝によるあらゆる差別分断支配を打ち破って、労働者階級の階級としての団結を強化し拡大していく闘いを同時に提起するものであった。
 部落解放闘争、「障害者」解放闘争、女性解放闘争、さらに沖縄と本土の分断支配を打ち破る闘いなど、帝国主義の差別・抑圧と闘う諸戦線の大きな発展が、7・7思想とその実践の重要な一環として切り開かれてきた。
 06年の「党の革命」は、党の中央指導部の中に生み出された恐るべき歪みや腐敗との闘いをとおして、われわれ自身のこの間の実践全体を、マルクス主義の原点に戻って徹底的に検証することを突きつけた。
 すなわち、マルクス主義とは労働者階級自己解放の思想と運動であり、プロレタリア革命とは労働者階級自身の事業であることが、一切の党活動の基軸に本当にすわっていたのかということである。
 そのことは、諸戦線の闘いにおいても例外ではない。
 とりわけ5月テーゼ以降の15年間で問われ続けてきたことは、「党の革命」で打倒された与田らを始め、5月テーゼの実践を拒否した一部指導部による7・7思想の全面的な歪曲との対決であった。
 彼らは「日本の労働者は排外主義・差別主義にまみれており、そのままでは革命の主体にはなれない」として、7・7思想を血債主義・糾弾主義へと歪曲して路線化し、5月テーゼ路線と動労千葉労働運動への対抗物とした。
 革共同はこれに対し、労働者同志を先頭に、19全総(第5報告)から20全総―6回大会―03年新指導路線―06年の「党の革命」にいたる闘いをとおして、激しい党内闘争を貫いて今日の階級的労働運動路線を闘いとってきたのである。
 それはまた、諸戦線で闘う同志の、単一の党建設をかちとるための非常な苦闘と一体のものであった。
 こうした闘いを経てわれわれは、「党は階級そのものである」(22全総第3報告)と言い切れる地平に到達したのである。
 その地平の上に立って今、あらためて7・7思想の一面的な誤った理解を一掃し、現代革命勝利の根幹にかかわる問題として7・7思想の今日的な深化と再確立を闘いとることが求められている。
 革共同政治局はここに、その内容を〈2007年7月テーゼ〉として提起し、全党の同志が階級的労働運動路線の貫徹とそのもとでの緒戦線の闘いの大前進をかちとるために、ともに闘いぬくことを訴える。

U

 7・7思想は、一切の差別・抑圧からの根底的な解放がプロレタリア革命によって初めて可能になることを前提としている。
 プロレタリア革命とは、労働者階級の自己解放闘争である。
 まずこの点をはっきりさせなければならない。
 資本主義社会とは、労働者階級に対する賃金奴隷制の上に成り立つ社会である。  そこでは労働者は、一切の生産手段と生活手段から切り離された労働力商品として、人間ではなく「モノ」として扱われている。
 労働者階級は自分の労働力を切り売りし、かつその労働が資本を増殖する限りにおいてしか生きることができない。
 労働者の生産物は、資本が労働者を搾取し支配する力をますます強めるものとなり、その力は一層耐えがたいものとなって労働者に襲いかかってくる。
 労働者階級は、人間として生きるためにはこの賃労働と資本の関係を革命によって根底から覆し、現在の社会を部分的にではなく全面的に転覆する以外に、どんな意味でも自らの解放をかちとることはできない。
 マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』において、資本主義社会が近代の労働者階級=プロレタリアートをその「墓掘り人」として生み出したことを明らかにすると同時に、この社会が「最後の階級社会」であり、その転覆はこれまでの一切の階級社会の歴史に終止符を打つものとなることを明らかにした。
 すなわちプロレタリアートは、資本主義社会を転覆する革命によって自らの解放を闘いとるだけでなく、そのことによって資本主義以前の階級社会が生み出し資本主義のもとで再生産されてきたあらゆる反人民的な差別的・抑圧的諸関係をも根底から一掃する、世界史的使命をもった階級として登場したことを明確にしたのである。
 労働者階級の特殊的な階級的解放が、同時に全人間の普遍的な解放であること。 ここにプロレタリア自己解放闘争の最も重要な核心がある。
 その意味において今日、ブルジョアジーの支配と闘っているすべての人民の中で労働者階級だけが真に革命的階級である。
 他の諸階級・諸階層の人民は、労働者階級の解放の中にこそ自らの究極的解放があることを直視し、労働者階級の立場に自らを立たせ、労働者階級と一体となって闘うこと(階級移行すること)によって、プロレタリア革命の一翼を形成するものとなっていくのである。

V

 資本主義の帝国主義段階への突入は、この労働者階級自己解放闘争のもつ世界史的意義をますます明確にするものとなった。
 帝国主義は、独占の形成と金融資本による全社会の支配のもとで、労働者階級への搾取を極限的に強めると同時に、農民を始めとする諸階級・諸階層からの徹底した収奪をもその資本蓄積の源泉としていく構造をつくりだした。
 金融資本とその国家は、自らの支配の貫徹のために、資本主義以前の社会から引き継いできた反動的諸要素をも解体するのではなく逆に積極的に取り込んで、労働者階級への徹底的な分断支配を貫くテコに転化した。
 民族抑圧や部落差別、「障害者」や女性などに対する差別・抑圧は、帝国主義のもとで再編され一層強化されていった。
 とりわけ帝国主義がその世界支配を貫くにあたって、世界を帝国主義的抑圧民族と被抑圧民族とに国家的・民族的に分断したことはきわめて重大な意味をもっていた。  帝国主義による植民地・従属国の支配と、その分割・再分割をめぐる帝国主義間争闘戦の展開は、被抑圧民族への民族的抑圧と圧殺の攻撃を史上かつてなかったほどに極限的に強め、これに対する民族解放闘争の一大爆発を生み出したのである。
 帝国主義によって全社会的・全世界的に繰り広げられる搾取・収奪・差別・抑圧・破壊・略奪・虐殺などの果てしない激化は、帝国主義が死滅しつつある資本主義であり、プロレタリア革命によって一刻も早く打ち倒すべき時を迎えていることを示すものだ。
 さらに帝国主義は、その全矛盾を最後は帝国主義戦争(侵略戦争・世界戦争)として爆発させる。
 これらは、労働者階級に自らの世界史的使命を自覚させると同時に、帝国主義の圧迫と闘うすべての人民に、労働者階級の闘いへの大合流を促すものである。とりわけ民族解放闘争との結合は、世界革命の勝利にとって決定的な位置をもつ。
 闘うプロレタリアートはここにおいて、職場生産点における資本との非和解的激突を軸として、地域や産別や国境を越えて労働者階級としてひとつに団結し、その団結の力をもってあらゆる分断支配を実力で打ち破っていく。
 と同時に、帝国主義への怒りに燃えて続々と立ち上がってくる被抑圧民族人民や被差別人民の闘い、農民など勤労諸階級・諸階層人民の闘いを、プロレタリア世界革命の普遍性・根底性のもとに統一し、これらの闘いとの連帯・結合・一体化を積極的に闘いとりつつ、革命勝利への道を切り開いていくのである。
 この連帯・結合を求める闘いは、労働者階級が農民や被差別・被抑圧人民を、ともにプロレタリア革命を担う解放主体であると同時に巨大な援軍として獲得していく闘いである。
 だがそれだけではない。労働者階級がプロレタリア独裁権力の樹立をとおして階級社会のあらゆる汚物を一掃し、資本主義社会の転覆の上にまったく新たな新社会(共産主義社会)を建設していく能力を身につけていくために、不可欠な闘いとしての意義をそれは同時にもっている。

W

 プロレタリア自己解放闘争のこうした本質は、労働者階級が鉄鎖以外に失うもののない階級であるだけでなく、国際的に単一の階級として存在するということの中に、最も鮮明に現れる。
 プロレタリア革命は本質的に世界革命である。
 世界史的存在であるプロレタリアートは、自国の資本・権力との闘いを基盤にしながら、自らが労働者階級の国際部隊の一員であることを自覚した時、最も根源的な力を発揮する。
 それは「労働者階級には世界を変える力がある」という誇りと自覚を一挙に大量に形成し、その力を数十倍にも高めるものとなっていく。
 今日、11月労働者集会での日韓米3国の闘う労働者の国際連帯とその発展が切り開いているものは、この意味で決定的に大きい。
 新たな帝国主義世界戦争へのプロセスがイラク侵略戦争としてすでに開始され、米日帝国主義による朝鮮侵略戦争の危機が強まっている中で、これと真っ向から対決して侵略戦争を内乱に転化する闘いがこのような形で現実に始まったのである。
 帝国主義的民族排外主義の嵐が吹き荒れ、体制内労働運動が雪崩をうって祖国防衛主義に転落している中にあって、各国の労働運動の最も階級的で戦闘的な潮流が文字どおり国境を越えてひとつに団結し、共通の敵に対してともに立ち向かっていく関係が形成されたのだ。
 動労千葉に代表される階級的労働運動の大前進がこうした地平を切り開いた。それは7・7思想が、マルクス主義を実践してきた動労千葉労働運動の中にこそ、最も生きた形で内在化されつつ発展してきた結果であることを確認したい。

X

 今日、2001年9・11の対米ゲリラ戦争に始まる中東・イスラム諸国人民の民族解放闘争への極限的な決起や、外国人労働者・移民労働者の増大とその闘いの発展は、日本を含む全帝国主義国のプロレタリアートに7・7で問われた問題を一層鋭くつきつけている。
 われわれは〈侵略を内乱へ〉の実践的貫徹=プロレタリア革命の実現をめざして闘う今日の階級的労働運動路線のもとでこそ、7・7思想をあらゆる闘いの中に貫き、その一層豊かな発展をかちとっていかなければならない。
 70年7・7自己批判とは何か。
 それは、日本の労働者階級が戦後革命の敗北後、スターリン主義と社会民主主義の指導下にあって帝国主義的民族排外主義との闘いにうち勝つことができずに屈服を重ねてきたことを、労働者階級の階級的=国際主義的本質が歪曲され疎外され続けてきた姿としてとらえ、根底から突破することを求めるものであった。
 その核心は、日本の労働者階級が日帝と闘う時、その日帝とまさに全力で対峙し闘っているアジア人民(在日アジア人民)に対してどのように関わり連帯していくのか、という点にあった。
 とりわけ在日朝鮮・中国人民が戦後も日帝とその入管体制のもとで、戦前の植民地支配を形を変えて引き継ぐきわめて厳しい差別・抑圧と分断支配下に置かれながら、その中でいかに苦しみかつそれをのりこえて不屈の闘いに立ち上がっているのか。
 その現実の生活と闘いを、日本の労働者階級が本当につかんで、観念的にではなく実際にその闘いに具体的に連帯してともに闘ってきているのか、ということであった。
 そこではまずもって、自らの階級性自体を厳しく検証しなおすことが求められた。
すなわち日本の労働者階級は、スターリン主義と社会民主主義のもとで日帝のアジア侵略・戦争に屈服し敗北してきた結果として、帝国主義的民族排外主義に直接・間接に汚染されてきてしまっており、その現実を自己の思想問題として深くとらえ返すことが求められたのである。
 そしてこの思想問題を自らの力で切開し突破することは、反帝国主義・反スターリン主義の党としての革共同が、スターリン主義との決別をより徹底的にやりぬいて、その革命的共産主義の立場と内容を一層鮮明化させていく闘いとしてあった。
 それは言い換えるならば、帝国主義のもとで抑圧民族と被抑圧民族に分裂させられている国際プロレタリアート人民が、帝国主義打倒のプロレタリア世界革命に向かって一体となって決起していくためには何が必要かという問題を突き出すものであった。
 すなわちそこでは、帝国主義国のプロレタリアートが、被抑圧諸国人民の民族解放闘争、とりわけ自国帝国主義によって抑圧されている諸国人民の解放闘争に、言葉だけではなく実践的にも連帯し、支援し、防衛していくことが決定的意義をもつのである。
 さらにここにおいて、抑圧民族のプロレタリアートが被抑圧民族に対して「償う」(レーニン)という思想と立場に立つことが重要である。
 日帝の侵略と戦争によって言語に絶する苦しみを強いられてきた朝鮮・中国・アジア人民の激しい階級的人間的怒りに、心から肉薄すること。
 彼らの現実の存在と生活と闘いを知り、その不屈の闘いに学び、ともに闘うこと。
 抑圧民族=日帝の政府が朝鮮・中国人民に対して加え続けた(今日もなお続けている)侮辱と迫害によって彼らが抱いてきた不信と疑惑を、日本のプロレタリアートがその態度によって、「償い」によって取り除くために闘うこと。
 これなしにプロレタリア世界革命に向けてのアジア人民との真の連帯を築き上げることはできないということである。
 このことは、日本の労働者階級が国際的階級としての自己の本質を奪い返し、確立し、世界革命の勝利に向かってその力を全面的に解き放っていくことと同じ問題である。  帝国主義戦争を内乱に転化する際に決定的なかぎを握るのは祖国防衛主義との闘争であり、その思想的核心は階級性の全面的貫徹であるが、そのために不可欠なものが7・7自己批判の立場とその貫徹なのである。

Y

 その場合、これまでわれわれ自身の中にもあった7・7思想の一面的な、誤った理解をきっぱりとのりこえ、克服して進むことがきわめて重要である。
 第一に、被差別・被抑圧人民も労働者階級と同様に「革命の主体」であるとして、被差別・被抑圧人民の闘いと労働者階級の自己解放闘争を並列的に扱う傾向の問題である。  差別・抑圧からの解放闘争を考えていく時に最も重要なことは、プロレタリア革命によってこそ初めて、その根本的解決の諸条件が与えられるということである。
 帝国主義のもとで差別・抑圧されている人民も、そこからの解放を求めて闘うという意味においては解放闘争の主体である。
 しかしそれは、プロレタリア革命の主体が労働者階級であるということと、同じ次元でとらえることはできない。
 プロレタリア革命とは、労働者階級の特殊的解放をとおして全人間の普遍的解放を実現する革命である。
 被差別・被抑圧人民の闘いが発展すればおのずからプロレタリア革命になるということではけっしてない。
 それがプロレタリアートによる階級支配の転覆と思想的路線的に固く結びつくものとして闘われた時に、その闘いが実際に革命の一翼を担うものとなっていくのだ。
 したがって、被差別・被抑圧人民の存在と闘いを労働者階級の闘いと並列して、両者の「合流」として革命を考えることは間違いである。
 逆に労働者階級の闘いは、むしろすべてのものにプロレタリア性を刻印し、強制していくことを求める。
 それは、プロレタリアートの解放は全人間の解放であり、労働者階級だけが唯一、階級社会を止揚した新たな社会を生み出すことができるという、プロレタリア自己解放闘争の本質にもとづいている。
 第二に、現実の労働者は差別と排外主義にまみれており、これを徹底的に糾弾して正さないと革命の主体として目覚めることはできないという考え方がある。
この糾弾主義の誤りをはっきりさせることである。
 資本主義社会のもとでは、労働者階級の階級的な闘いが存在しないところでは、「労働者が最も差別する」という現実も生まれてくる。
 労働者が侵略戦争に動員されてその手先となることも起こる。
 しかし労働者階級は、まさに労働者階級であることによって本質的に階級意識に目覚め、自己を変革し、革命に向かって進むことができる力を自己の内側にもっているのだ。 そして労働者階級は、賃金奴隷制の転覆を求めて資本との闘いに階級として立ち上がっていった瞬間に、自分自身の中にある汚物をも自ら払いのけつつ闘っていくことが必ずできる階級なのである。
 革共同が70年7・7自己批判をやりぬくことができたのは、労働者階級のこの革命的階級としての本質を確信し、そこに絶対の信頼を置くというマルクス主義の立場に立ち切っていたからである。
 われわれは、スターリン主義者やカクマルとは違い、「労働者は差別しない」とか「革命をやれば差別は自動的に解消される」などという論には断じて立たない。
 だからこそ被差別・被抑圧人民の存在と闘いに「学ぶ」という契機を決定的に重視する。
 だがしかし、7・7思想から「学ぶ」という契機のみを独立させて取り出し、それなしにプロレタリアートは階級性を獲得できないとしていくならば、それはマルクス主義とはまったく別のものに転化する。
 〈差別への糾弾と自己批判〉を労働者階級の階級的団結形成と切り離して自己目的化していく運動は、労働者階級の本質的な革命性を否定し、労働者階級への絶望を組織していく運動となるしかない。
それは7・7思想を根本から歪めるものである。
 そうした糾弾主義の実践的帰結は、結局はプロレタリアートの革命運動を解体して、資本制社会の転覆と切り離されたところでの「差別なき社会の建設」という、空想を追い求めるものでしかなくなるのだ。
 第三に、したがって、差別・抑圧と闘う諸戦線における共産主義者の任務は、党と革命運動の内部において各戦線の利益代表者のようにふるまうことでは断じてない。
 そうではなくて、各戦線の現場で闘っている人びとの中にプロレタリアートの陣営から入っていって、プロレタリア革命の中にこそ真の解放の道があることを真剣に訴え、労働者階級とともに闘おうと呼びかけることだ。
 そしてプロレタリア革命との結合・一体化をかちとり革命を勝利させていくという立場から、被差別・被抑圧人民の自己解放闘争それ自身の真に豊かな革命的戦闘的な発展を、ともに全力をあげて闘いとっていくことにある。
 例えば、部落民出身の共産主義者は、自己をまず労働者階級解放闘争を闘う主体として徹底的に確立することによって、全部落民の解放を求めて闘う主体としての自己をも真の意味で確立することができるのである。
 この関係を逆転させて「部落民としての自覚」を一切の出発点に置くことは、部落解放闘争をプロレタリア革命の上に置くものとなり、実際にはプロレタリア革命をも、部落の真の解放をもともに否定するものとなってしまうのだ。

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 われわれは、階級的労働運動路線のもとで労働者階級の自己解放闘争を圧倒的に基軸にすえ、その一環として諸戦線の闘いをプロレタリア革命勝利の戦略的一翼に内在的に位置づけて闘う。
 7・7思想の貫徹を労働者階級の階級的団結形成の重要な柱にすえて、その飛躍的な強化と発展をかちとるとともに、この路線のもとでこそ、諸戦線の闘いの決定的な飛躍と大前進をつくりだす。
 革共同を、労働者細胞の建設を基軸に、地区党建設を基礎とした単一の党として建設していくことこそ、そうした闘いの全面的で本格的な発展をかちとる道である。
革共同の真の革命党への飛躍をかけて、今こそ本格的な地区党建設へ踏み出そう。
 日帝が戦争・改憲と民営化による労組絶滅攻撃に全体重をかけて踏み込む中で、排外主義・差別主義の嵐を打ち破って労働者階級の階級的団結を打ち固めていく闘いは、今や死活的位置をもっている。
その実践的貫徹は何よりも、今や帝国主義的民族排外主義・祖国防衛主義に完全屈服し、自らその手先に転じつつある体制内労働運動を4大産別決戦を軸に打倒し、階級的労働運動の大発展をかちとることにある。
 今秋11月を新たな突破口にして、この道をとことん貫き、プロレタリア革命の勝利に向かって進撃しよう。
 闘うアジア人民、中東・イスラム諸国人民を始め全世界で闘う被抑圧民族人民と連帯し、日帝の侵略戦争を内乱に転化する闘いを今こそ決定的に推進しよう。
 その闘いを突破口に、全世界の労働者階級と被抑圧民族の団結で、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命への道を切り開こう。

INDEX
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