「党の革命」1周年にあたって  革共同書記長 天田 三紀夫

9条改憲・朝鮮侵略戦争と対決し闘う革共同の建設をかちとろう

T 党の根底的再生訴えた革命的蜂起受けとめて

 2006年3月、「全関西の革共同の同志への緊急アピール」が発せられた。それは、「労働者の怒りを爆発させ、与田・遠山ら私党集団を打倒、一掃しよう!」「私党化を打ち破り、労働者党員が生き生きと活動できる、徹底的に中央集権的で、徹底的に民主的なボリシェビキ党再生のために、与田・遠山を打倒しよう!」「日本革命・世界革命を切り開くため、新指導路線を担う党的実体・党的団結を形成するために、与田・遠山を打倒しよう!」「06年・07年改憲阻止決戦と4大産別決戦(民営化・労組破壊)を闘うことができる党への再生をかけて、与田・遠山を打倒しよう!」と訴え、次のように呼びかけていた。
 「全党・全関西の同志諸君、とりわけ労働者党員諸君! わが関西の党は危急存亡の秋にある。労働者の党、革命の党として生きのびることができるかどうかが問われている。しかも権力の弾圧が切迫している。腐敗の極に達した与田・遠山私党集団を打倒・一掃する『党の革命』をやりぬくことが唯一、党を再生し、権力の弾圧を打ち返す道だ。全労働者党員は命がけで起ち上がろう。この闘いは、全党の革命的変革の出発点となるものであり、革命的な価値創造性に満ちたものだ。中央を始め全国の党の変革が問われている。革命的進攻精神をもった蜂起戦として、私党集団打倒、党の革命的再生の闘いを最後までやりぬこう」

 私党化グループ打倒
 関西の労働者同志の革命的蜂起は、与田・遠山らによる不正・腐敗と党組織の私党的再編、「反中央」の扇動、労働者同志への不信と分断の持ち込み、新指導路線への背反の現実を打倒するために、党の根底的な再生を訴えたのである。
 「世界革命への壮大な闘いは、関西での『党の革命』をもって始まる。この闘いの烈火は、蜂起―プロレタリア独裁樹立の労働者革命を担う党への変革を切り開くであろう。その気概に燃えて、全党の同志は革命家魂を発揮して、総決起しよう」(「関西労働者3月蜂起宣言」)
 関西の労働者と常任の蜂起は与田・遠山らを完全に打倒した。それは、関西の指導部のみならず党中央の心臓部を完全に突き刺し射抜いた蜂起としてあった。政治局と全国の組織、全党員へ向けられた決死弾劾の決起であった。この蜂起を受け止めることは、反スターリン主義・革命的共産主義運動50年の歴史と実践を再度全面的な検証の対象にすることを求めた。全党が一度打倒され、根底から生まれ変わることを意味した。それほど階級的で強烈で根底的であった。われわれは断固としてこの労働者同志の蜂起を支持し、連帯し、ともに闘うことを誓った。
 しかし、この3月蜂起をまったく受け止めることができない一部の政治局員が存在した。与田・遠山らにつながるグループである。彼らは、労働者の蜂起に反革命クーデター規定を行い、敵対の言動を繰り返し、分裂行動を開始した。党内の同志的一致をかちとるための路線的激突と討論は、この分裂行動によって打倒闘争に変わった。わが革共同を腐敗させ国家権力と闘えない党に変質させるこの一部政治局員を全面的に打倒しぬく実践こそ、関西の労働者同志との同志的一体感の前提であり、政治局は自らの自己批判の貫徹としてこの闘いをやりぬいた。
 「党の革命」は切り裂かれた現実を止揚し、全国単一の党を建設する第2段階に突入した。しかし、現在も道半ばである。否、この闘いはプロレタリア革命に勝利するまで止むことのない永続した革命である。このことを断固として確認し、「党の革命」1周年に際して革共同の進むべき道、その綱領的路線的深化について、さらに肉薄し鮮明にしていきたい。
 第一は、革共同政治局の中に腐敗・変質した私党化グループの存在を許したことである。このことを全面的に自己批判します。
 私党化グループとは、プロレタリア革命のうえにブルジョア政治をおき、党を私物化し食い物にして国家権力への投降集団、転向集団に変質させようとした目的意識的なグループである。彼らは政治警察のスパイの接近を許し、囲い込み、相互浸透し、関西から始めて革共同全体を国家権力と二度と闘うことができない組織へ変質することを狙っていた。

 しかし、これはあまりにも破廉恥で浅知恵である。世界と日本の階級情勢は圧倒的に前進している。新指導路線の実践は党派的激突となり、動労千葉の闘いを基軸に、3労組共闘を軸点とする日米韓の3カ国国際連帯闘争として一挙に前進した。追いつめられた私党化グループは、彼らを批判する同志の党からの排除を画策し、分派規定、党内権力闘争、暴力的制裁を持ち込んで「粛清・追放」を行おうとした。それは政治局が二分するほどの対立であった。しかし私党化グループは、労働者階級の組織化を絶対に行わず、労働者同志の獲得ができなかった。要するに労働者階級を革命の主体として認めない反マルクス主義グループに純化していたのだ。
 政治局内部の路線論争の発展が私党化グループを追いつめ、動労千葉労働運動(3労組共闘)を軸とする11月労働者集会の国際連帯闘争の発展が彼らの実践への敵対を暴く中で、労働者同志の蜂起がついに彼らを打倒したのである。
 重大な問題は、党中枢の壊滅を狙うまで政治警察の手が伸びてきていたことであった。政治局は全党の同志の力で建設され、維持され、非合法・非公然体制が守られている。この現実にのっかり、私党化グループをとおして党中枢への政治警察の接近を許していたことを、政治局は全党と全労働者階級に心から自己批判します。
 しかし、国家権力のどんな弾圧も党を壊滅させることはできない。それは革命党が労働者階級の献身的で英雄的な闘いを基礎にしているからである。労働者細胞を先頭とする全機関の不断の政治討論と路線討論、党活動の3原則の展開と路線的実践での一致、中央委員会と労働者細胞の日常的結合、これらをかちとることに勝利すれば、政治警察による党のガラス張り化攻撃、スパイ化攻撃は必ず粉砕できる。このことが遮断され私党化を許したことが最大の問題である。革命党が政治警察の攻撃と目的意識的に闘わなければ、中枢から全面的に解体する攻撃にさらされる。この点で、関西の労働者の蜂起は「党と階級を救った」のである。このことをあらためて確認したい。

 綱領的路線的な対立
 第二に、国家権力への投降集団と化していた私党化グループとの闘いは綱領的路線的な対立としてあった。直接的には階級的労働運動路線(新指導路線)の実践の中で、彼らの非実践性、その背後にある労働者階級自己解放闘争への蔑視、絶望が暴き出された。党指導部に絶対あってはならない腐敗した小ブル生活。被差別・被抑圧人民の存在と闘いを労働者階級の闘いと分断し、労働者階級のもとに全国単一党建設を行うことに対する妨害。労働運動から政治闘争を切り離して対置させ、労働運動(労働組合運動)を一段低い活動であるかのように言いなす非マルクス主義の主張。11月労働者集会を最高の政治的経済的決戦として闘うのではなく政治カンパニア動員にすりかえるあり方。労働運動の実践に背反して選挙闘争を異常に強調する体質。
 これらの私党化グループとの闘いは長い年月を要した。この対立は、戦闘的労働運動の発展に対する反革命として登場したファシスト・カクマルとの20年間の内戦を、故本多延嘉書記長の虐殺という75年3・14反革命を断固としてのりこえて闘いぬき、労働運動の荒々しい発展に対応する5月テーゼ路線に踏み出す中で起こったのである。私党化グループの主張と行動は本質的には、5月テーゼ路線のもとでの党と階級の全面的な飛躍に対する拒否と敵対であった。それは、国家権力との死闘からの、階級戦争の大地からの逃亡であり、党破壊行動であった。この路線的不一致と敵対こそが政治警察の介入を許したのだ。

 「党の革命」をさらに徹底的にやりぬき、最末期の帝国主義による侵略と戦争、労働組合破壊攻撃と闘い、日米韓労働者階級の国際連帯を発展させ、日本革命と朝鮮革命・アジア革命を一体的に実現する闘いへと断固として突入することを訴えたい。

U 「党の革命」1周年迎え突破すべき課題は何か

(1)帝国主義の破滅的危機の激化と革命的情勢の接近

 階級的労働運動路線(体制内労働運動からの決別)をめぐる路線的一致をかちとる闘いは、きわめて重大な段階に入っている。路線的綱領的高さにおいてなんとしても一致をかちとり、07年階級決戦勝利へ、怒涛(どとう)の進撃をかちとろう!
 なぜ、これほど激しく路線的一致をめぐる討議がおこっているか。論議が闘わされているのか。それは、党の革命が全同志の一革命家としての生まれ変わりを求めたからであり、現在も求めているからである。その立場から、党の革命の新たな綱領的路線的内容が提示されなければならない。
 重要な問題は、日々刻々、革命的情勢が急接近していることである。米帝を基軸として帝国主義戦後体制が崩壊し、帝国主義間争闘戦が激化し、世界史が侵略戦争・世界戦争過程へ突入していることである。
 帝国主義体制の特異な戦後発展は、1970年代中期を大きな区切りとして基本矛盾の歴史的爆発過程へ突入した。74―75年恐慌は、戦後初の世界同時恐慌であり、主要帝国主義国の戦後発展の行きづまり、過剰資本・過剰生産力状態への突入を意味した。75年の米帝のベトナム侵略戦争敗北は、米帝の没落の決定的開始を意味した。
 80年代の帝国主義は、対スターリン主義対決=帝国主義間争闘戦貫徹政策によって、ベトナム敗北がもたらす体制的危機を軍事的緊張と一大軍拡によって政治的・経済的にのりきろうとした。アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権の登場である。これらの政権の特徴は、戦後の国家独占資本主義的政策から、資本のむきだしの弱肉強食原理による労働者支配政策への反革命的転換にある。それは、徹底した民営化攻撃をもって労働組合を破壊する全世界的攻撃として展開された。
 90年代には、帝国主義の戦後発展の中でも特異な発展を遂げてきた日本帝国主義が大破綻(はたん)に陥り、帝国主義的没落の道へ突入した。91年のバブル経済の崩壊は、97―98年金融恐慌として火を噴き、「日本発世界大恐慌」が現実化する危機に直面した。

 90年代の帝国主義はまた、米経済の超弩(ど)級のバブルが世界経済をかろうじて支える構造をつくりだした。他方において、EUの単一通貨導入に見られるようにブロック化へ本格的に突入した。EUのブロック化はドイツ帝国主義の主導のもとで行われ、米帝バブルの崩壊、ドル危機の爆発とからんで世界経済の決定的亀裂の拡大へと進むことは不可避であった。
 そして今日、2000年を大きな転換点として、米のバブル経済は大崩壊過程へ突入している。01年のITバブル崩壊に続く06年住宅バブルの崩壊は、歯止めがかからなくなっている。米帝バブルの崩壊は日帝を追いつめている。日帝の国家財政は破綻し、金融政策も破綻している。
 こうしてすべての流れは、帝国主義世界経済の29年型大恐慌への全面的突入と、国際争闘戦のとめどもない激化と世界経済のブロック化へと進んでいる。この帝国主義の危機と矛盾の激化に対し、労働者階級と被抑圧民族人民の積もりに積もった怒りの爆発が始まっている。それはすでに、01年9・11の米帝心臓部に対するムスリム人民の特殊的極限的決起の戦闘として開始された。これに対して米帝は、中東・イラクの石油の独占的支配をかけて、アフガニスタン侵略戦争から03年3月イラク侵略戦争へ全面的に突入した。
 だがイラク侵略戦争の現実は、イラク人民の不屈の武装闘争、アメリカ国内を始め全世界のイラク反戦闘争、南米における反米政権の続出、米軍内部の厭戦(えんせん)意識の拡大と軍隊そのものの危機を生み出し、米帝は今や体制的危機にのたうちまわっている。その政治的表現が06年中間選挙でのブッシュ共和党の大敗北だった。
 基軸帝国主義・米帝の没落が進む中で、中国・ロシアを巻き込みながら国際帝国主義の争闘戦が死闘的に激化し、アフリカ、インド、中央アジア等々での市場分割・再分割戦に突入している。最末期を迎えた帝国主義は、イラク侵略戦争のイランへの拡大を狙い、さらに朝鮮侵略戦争から中国侵略戦争へ突入するための米軍再編を全面的に行っている。  しかも、この現実を促進している歴史的契機は90年代のスターリン主義の崩壊なのである。スターリン主義の歴史的破産は、本質的に帝国主義対帝国主義の激突として帝国主義の危機と争闘戦を新たな段階に突入させた。それは帝国主義列強による世界の再分割をかけた侵略戦争・世界戦争への歴史的・反動的回帰を意味する。帝国主義は、この世界再分割戦に、崩壊した旧スターリン主義国・ロシアや残存スターリン主義・中国を引き込みながら、争闘戦の死闘化を強めている。帝国主義対帝国主義の死闘化は、基本的に第3次世界大戦へ突き進むしかない。いや、すでに世界史はその過程へ全面的に突入しているのである。

(2)戦争・改憲・労組破壊の攻撃強める日本帝国主義

 日本帝国主義の改憲攻撃は、憲法を丸ごとつくりかえる攻撃である。9条を解体して「自衛軍」を明記し武力行使を宣言し、「国防の責務」で戦争協力を義務づけ、国家総動員態勢と徴兵制復活、戒厳令の導入、戦前型天皇制の復活をも狙い、基本的人権を全面的に解体する攻撃である。日米帝国主義のイラク侵略戦争突入はこの攻撃を一挙に加速した。安倍政権は昨年の教育基本法改悪に続いて、労働法制を解体し、さらに改憲投票法の制定をもって改憲へと一挙に突き進む反革命クーデターに踏み出そうとしている。
 06年の階級決戦は、これに対して11月労働者集会に結集した動労千葉を始め3労組共闘の闘いを先頭に、教育労働者の不屈の「日の丸・君が代」不起立闘争を土台として、教基法改悪絶対反対の国会闘争の大爆発を実現した。日帝の日教組解体・教育労働運動解体の攻撃に対して、職場から日教組本部の打倒と組合の再生の闘いが開始され、日帝の4大産別解体攻撃との真っ向からの激突が開始されたのである。
 その決着はまだついていないのだ。闘いの拠点、橋頭保を建設し、日教組本部打倒、闘う執行部確立の闘いは日を追って激しく闘われている。改悪教基法の実働化を許すな! 教員免許更新制など教育3法改悪案の成立阻止!「日の丸・君が代」の強制を許すな! 勤務成績による給与・処遇の差別分断反対の闘いが断固として開始されている。
 日本帝国主義の労働者支配の攻撃の激化とその破綻の画期こそ、95年日経連のプロジェクト報告『新時代の日本的経営』であった。年功序列賃金制と終身雇用制の解体政策は、日本労働者階級の中に巨大な革命勢力を生みだした。終身雇用制を解体し、雇用形態を「長期能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の3つのグループに分ける攻撃は10年後、20代後半から30代後半の世代にまたがる極端な「格差社会」をつくりだした。それは3人に1人の非正規労働者、絶対的貧困層をつくりだし、「ロストジェネレーション」の膨大な労働者層をつくりだした。
 まさに日本帝国主義は自らの墓掘り人を大量につくりだしたのだ。労働条件は工場法以前的状態に叩き込まれ、働く者の権利は帝国主義の分断支配で奪われ、団結を破壊されている膨大な2000万人の青年労働者(労働者階級)をつくりだしたのだ。
 われわれは、ここに日本帝国主義の労働者支配の破綻を見る。そしてこの階級の怒りと結合することである。そのためには、現在の帝国主義の攻撃に対して勝利の方針、団結のあり方を示すことである。この点で戦前、戦後の日本労働者階級の闘い、日本革命運動の歴史を概括してみたい。

(3)日本労働者階級の戦闘的革命的な闘いの継承へ

 日本労働者階級の戦闘性と革命性を論じる場合に、最も生きた教訓に満ち満ちている闘いは四つあると言える。
 一つは、1917年ロシア10月革命の勝利が突破口となって世界革命の歴史的高揚を迎えた時代の日本階級闘争である。1919年米騒動の爆発から関東大震災にいたる第1次世界大戦後の時期である。
 二つは、第2次帝国主義戦争の終結とともに爆発した戦後革命期における日本、すなわち45年から50年に至る時期の闘いである。この時期は、沖縄の階級闘争史と一体で論じていくことが求められている。
 三つは、戦後世界体制の根底的動揺を基底として、若き革命的共産主義運動が反帝・反スターリン主義の世界革命戦略を綱領的立場として、「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の旗をかかげて内乱的死闘の70年代を身をもって切り開いた闘いである。
 四つは、80年を前後した日本労働運動の戦闘的再編をかけて、現在も激しくしのぎを削って闘われている動労千葉を軸とする4大産別、民間(関西生コン、港合同、本山)を先頭とする日本資本主義との激突の歴史である。
 今回は、戦後革命期に焦点をしぼって、そこにおける労働者階級の闘いの核心問題に肉薄したい。
 戦後革命運動の爆発は、北海道夕張炭鉱と常磐炭鉱での朝鮮人労働者のストライキの烽火として開始された。北海道における労働者階級の蜂起は、文字どおり労働者階級の決起の合図であった。炭鉱労働者の決起に始まる日本労働運動は、金属労働者にうけつがれ、京浜工業地帯は新しい夜明けを迎えつつあった。米占領軍は、戦後革命の爆発を上からの改革で鎮静し、かわそうと必死になった。
 しかし当時は――工場の入り口でビラをまき、組合の結成を呼びかけて、内部から一人でも呼応するものがあればたちまちにして組合が組織され、要求が提出され闘争へ突入していった。闘争形態は初期の場合、デモ、サボ、座り込みなどを主としていたが、動揺しつづける資本家階級は、次々と労働者に譲歩し、組合結成と闘争の爆発は、連鎖反応を生み、青年労働者は当時の共産党の周囲に集まっていった――という状況だった。この激闘の嵐の中で重要なのは、工場代表者会議(工場委員会)と生産管理闘争である。
 工場代表者会議は45年12月、神奈川県下の21工場の代表者を集めて開催された。御用組合絶対排撃、共同闘争展開、政党支持の自由を決議して闘われた。この闘いは、神奈川県労働組合協議会結成、東京の城東、城西、さらに関東工場代表者会議へ発展していった。さらに東北、北海道、関西に波及していった。
 生産管理闘争は、45年10月の読売新聞の業務管理=生産管理闘争を契機に、当時の労働組合の主要な闘争戦術になった。読売の労働者は編集局を占拠し、最高闘争委員会を設置し、業務管理を宣言し、自主的に新聞発行を続けた。経営陣は動揺し、組合の経営参加を認めた。京成電鉄の労働者は、無賃運転の断行、「平常運転による収入管理」という業務管理闘争に移行していった。京成の闘いも労働者の全面勝利に終わった。
 詳しく論じることは別の機会にしたいが、生産管理闘争は2・1ストの挫折後も、48年まで全国的に拡大した。そして占領軍との激突となって闘われたのである。
 生産管理は、賃金も支払うことができない資本家に代わって、労働者が生産と経営を奪取することをとおして自らの生存とともに階級的団結をかちとる闘いである。この闘いは、資本家的労務管理がなくても生産主体である労働者の手によって生産が維持されることを全社会に明らかにする。そのことによって、労働者階級こそが社会の主人公であるという階級意識の急速な変革をもたらすとともに、生産手段と労働過程の管理を階級的団結のもとに取り戻すことをとおして、プロレタリア革命の達成と創造に向かわなければならない。
 しかもこの闘いは、不可避に国家権力との全面的な激突となる。全国的単一党のもとに建設される労働者細胞を軸に、生産管理闘争を労働者階級解放闘争の絶対的課題として研究していくことが求められている。
 農民闘争もまた、都市における労働者階級の爆発的闘いと結合しながら同時期に全国的爆発へ向かった。帝国主義戦争の敗北は、国家が流通過程を直接的に掌握した供出・配給制度の食糧管理制度を崩壊させた。46年2月の食料臨時措置令なる緊急勅令は、農民の怒りの火に油を注いだ。46年12月に公布された自作農創設特別措置法と農地調整法改正(第2次農地改革)は、日本帝国主義再建のための物質的基盤を自作農創設による農村支配の安定化の中に見いだし、労働者と農民の分断をつくりだし、労働運動の高揚を徹底的に弾圧する支配階級の意図に貫かれていた。
 戦後革命と在日朝鮮人運動、戦後革命と部落解放運動の総括も、全国単一の革命党建設の立場から全面的な研究と総括を行っていかなければならない。〈党・労働組合・ソビエト〉の立場、労働組合の革命論的意義を明確にする立場から必死で肉薄していこう。

 そのためには、革共同自身の50年間の歴史的総括を徹底的に全面的に行うことが必要である。あまりにもすさまじく、また豊かな経験を、全同志と階級全体の歴史的営為の所産としてとらえ返すということである。
 @前史。戦後革命と日本労働者階級の嵐のような決起。
 A第1期。革共同結成から3全総―3回大会、70年安保・沖縄決戦、反戦派労働運動。沖縄の全軍労反戦派の闘い。
 B第2期。PT・PUの闘い。反戦派労働運動を軸に切り開いた階級闘争の内乱的発展に対して襲いかかったファシスト反革命との闘い。動労千葉の闘いと動労からの分離独立、80年代の国鉄分割・民営化決戦。その勝利のために闘われた労農連帯の三里塚決戦。日本プロレタリア革命へ向けた本格的武装闘争への挑戦と活動。
 C第3期。91年5月テーゼからの15年間の歴史的総括。19全総−20全総−6回大会−新指導路線の路線的一致と実践的一致をかちとる闘いの前進。
 D第4期。階級的労働運動路線の全面的実践をもって、国際連帯闘争を発展させ、世界プロレタリア革命へ突き進む革共同の突破すべき課題。
 党の革命1周年に際して、これらの課題をはっきりさせて、さらに全面的に深める闘いをやりぬいていきたい。

V 階級的労働運動路線の不屈の前進かちとろう

労働組合めぐる攻防
 今まさに、帝国主義そのものが行きづまり、矛盾が爆発し、労働者階級の労働組合的団結さえ一掃し、労働者階級の生命と生活がおびやかされている。帝国主義・資本主義の打倒、プロレタリア革命によってしか一切の展望が切り開かれなくなっている。今日、労働者階級とその党のなすべきことは、プロレタリア革命(今日的には反帝・反スターリン主義の世界革命と日本革命)に向かって労働者階級の戦闘体制を全力でつくっていくことである。その核心は、さし迫る帝国主義体制の危機をプロレタリア革命に転化していく労働者階級の闘いの先頭に立つこと、労働者細胞(党)を労働者階級の内部に強固にうちたてていくことである。
 しかしその闘いについて考えるとき、危機に立つ帝国主義の攻撃の核心が「戦争・改憲・労組破壊」としてあり、階級闘争論に凝縮していえば、労働者階級の階級的団結の基礎的形態としてプロレタリア革命への前進にとって決定的な戦略的意義をもつ労働組合(運動)をめぐって展開されてくることを、しっかりとおさえることが大切である。いわば階級決戦の核心中の核心が、この労働者階級の基礎的団結形態、革命への出撃の普遍的土台となる存在をめぐるブルジョアジーとプロレタリアートとの死闘として、現実的には存在するということ。このことをしっかりとおさえよう。
 したがって労働者階級がさし迫る革命的情勢の中で、プロレタリア革命に向かって体制をつくりあげていくためには、労働者階級の党としての(生産点に築かれた)労働者基本細胞を先頭に、この労働組合をめぐる攻防において絶対に勝利しなければならない。労働組合を防衛しぬく闘いをとおして、労働者階級とその党は、革命への準備を本格的になしとげていくのだ。
 つまり今日の革共同にとって、革命の切迫情勢に向かってなすべき決定的な任務は、革命に向かって武装されていく動労千葉型労働運動を階級的労働運動としてつくりだし、防衛し、発展させ、全階級化していくことである。新指導路線=階級的労働運動路線とは、まさにこういう現在の階級情勢のなかで、労働者階級とその党がプロレタリア革命に向かって前進していくうえで、この労働組合(運動)をめぐる攻防の階級的意義をおさえた党的=階級的な闘いの戦略的路線だということである。

党派闘争にかちぬけ
 いまひとつ決定的なエレメントをはっきりさせたい。それはレーニンが『第2インターナショナルの崩壊』等でくり返し論じ、念を押していることである。
 すなわちこの労働組合をめぐる攻防は同時に、帝国主義の時代、ましてやその危機の時代においては、帝国主義体制の存続に自己の党的・組合的・官僚的利害を重ね合わせ、プロレタリア革命に対抗して労働組合(運動)ひいては社会主義の運動そのものを帝国主義的に変質させ、帝国主義の延命の協力者・加担者へとひきずり込む者との闘いになる。一言でいえば、労働者階級とその党は、体制内労働運動ともいうべき者と労働組合(運動)その他をめぐって、激しく徹底的な党派闘争を帝国主義打倒の闘いとの一体的有機的関係の中で闘いぬかなければならない。
 この党派闘争はやはりきわめて厳しいもので、直接的には労働組合の「権力」をめぐって激しく闘われるのである。

4大産別決戦を軸に
 4大産別決戦は、今や決定的段階に突入している。4大産別への一連の産別的階級的攻撃、あるいは端的に言って経済闘争・権利闘争として闘うべき攻撃に対して、それが労働組合という労働者階級の基礎的団結形態の歴史的一掃の攻撃としてあることをはっきりさせて、まさにプロレタリア革命の命運をかけた闘いとしてこれに反撃していくことは必須の課題である。
 このストレートな生産点での組合の基礎の基礎にかかわる死闘において、動労千葉型、あるいは動労千葉的闘いをめざして階級的死闘をくりひろげることが一切の決定的土台である。このことをはっきりさせることはきわめて重要だ。動労千葉はここで勝つことで強化され、政治的・経済的・イデオロギー的な全面的闘争への力を獲得していっている。  そしてこの生産点での死闘自体、その土台なしに改憲阻止闘争・反戦闘争も実は発展しえないことをみるとき、それ自体が改憲阻止闘争としての決定的意義をもつことを断固確認することが重要である。と同時に、労働組合自身が階級的激動期の中で、労働者階級にかかわる一切の利害を代表して闘うのは当然である。
 いやそれ以上に、労働者階級は、直接自己を支配する資本への怒りとともに、労働者階級に対する敵階級の階級的反動的な結集体としてのブルジョア国家権力に対して根底から怒り、自己の解放をかけて闘いに決起する力を本来的にもっている(もつことのできる)階級である。したがって敵の戦争・改憲・労働組合破壊の全面的な政治経済攻勢に対して、労働者階級とその党は、プロレタリア革命を目指して、労働組合的団結の強化・発展と労働者細胞建設の闘いを不抜の総括軸としつつ闘っていくことが不可欠であり、必須の義務でさえある。
 この意味では、生産点―労働組合的団結の戦取―労働者党細胞の建設というプロレタリア革命への基本的総括軸をがっちりとすえたうえで、革共同は当面する3・18全世界一斉デモなどの大政治闘争の課題をその先頭で闘うということである。

W 階級的労働運動を実践し闘う地区党の建設へ

労働組合が革命の柱
 労働組合は、労働者階級の階級的団結形態であり、労働者階級の組織的中核の砦(とりで)である。このことは、労働運動がマルクス主義で武装されることを必要とし、そのために党が現実の資本との攻防を労働運動の現場で、先頭で、また労働組合と一体で闘うことを要求する。
 階級的労働運動の実践は、プロレタリア革命の基礎なのである。プロレタリアートが本来もっている革命的気迫、革命的階級としての力が存分に発揮され検証され、発展させることができる戦場なのである。
 戦時下の、朝鮮侵略戦争突入前夜情勢のもとでの階級的労働運動をめぐる攻防は、プロレタリア革命を実現する党活動の中心であり、支柱であり、合法的労働組合の陣地を防衛し、〈帝国主義戦争を内乱へ〉の闘いを実現するプロレタリアートの闘いの砦なのである。プロレタリアートがブルジョアジーの専制支配と闘って自らの指導権を確立する闘いは、労働組合に依拠しないでどうして実現できるのか。労働者細胞建設をかちとることで、労働組合はプロレタリア革命の支柱となるのである。
 さらにいえば、階級的労働運動は武装蜂起への基礎である。階級的労働運動が中核となることで、労働者のストライキやデモンストレーションへの決起は、革命党の目的意識性と結合しつつ、プロレタリア革命に向けての絶え間ない発展となる。
 労働組合の権力と、革命党が労働者細胞建設をとおして結びつくことは、新しい型の革命組織、労働者代表ソビエトを結成していく道である。労働者代表ソビエトは、工場労働者の代表から選出され構成される、地域的武装蜂起を闘いとる指導機関である。階級的労働運動の発展は、労働者細胞建設を基礎に徹底的にソビエト建設の展望をもって闘いとられなければならない。
 このように、戦時下階級闘争、侵略戦争突入前夜の階級的労働運動路線は、プロレタリア革命に直結する唯一無二の路線として提起されているのである。

中央委と細胞の結合
 この階級的労働運動路線を実現することは、闘う地区党建設と一体である。地区党は、拠点労働者細胞を基軸に、当該地域の労働者階級を、労働組合の団結形態に組織化するために闘う。その前進は、激しい党派闘争をとおしてかちとられる。要するに、既成の体制内労働運動と決別したところから、労働者階級を共産主義、マルクス主義の立場で組織することである。

 この点では、反スターリン主義・革命的共産主義運動の半世紀にわたる闘いの到達点をふまえ、戦後階級闘争と戦後労働運動のすべてを総括した実践的立場が重要である。すなわち「党は階級そのものである」という立場から、60年代、PT・PU、90年代の闘いを主体的に総括することが重要なのである。
 この政治過程で最大の歴史的結節環をなすものは、動労千葉労働運動をめぐるファシスト・カクマルとの闘いであり、総評解散・連合結成であり、ソ連スターリン主義の崩壊である。さらには基軸帝国主義・米帝の没落と帝国主義間争闘戦の死闘的激化である。これら一切の帰結は、プロレタリア革命の実現をもはや待ったなしに求めており、その核心として党の革命があるのである。
 朝鮮侵略戦争前夜情勢の中で勝利の情勢を主体的意識的に切り開き、闘いの帰趨(きすう)を決するのは、まず何よりも帝国主義国プロレタリアートの組織された決定的行動以外にありえない。今日の革命情勢の急接近の中であらためてこのことをはっきりさせなければならない。そして、その核心において、党は階級の自己解放の武器としてマルクス主義の思想を貫徹しなければならない。
 組織論的には連合戦線の党ではなく、全国単一の労働者党建設を闘いとらなければならない。
 ここにおいて、地区党の歴史的任務を全党がはっきりさせ、21世紀革命に勝利する地区党建設論として組織論的、革命論的に復権させることが求められている。すなわち、地区党の任務は、労働者階級解放闘争のすべての課題を正面任務とするものに転換しなければならない。また、そうしなければ、労働者階級の自己解放の実現をとおして全人民の解放を実現する共産主義革命を達成することはできない。
 プロレタリア世界革命の勝利をめざし、中央委員会と労働者細胞の結合を基軸に、分断・差別・抑圧のもとにある全労働者階級とプロレタリア家族の解放を主体的に闘いとる地区党、蜂起に勝利する地区党を建設しよう。あらゆる階級的課題を引き受けて立ち、3全総−3回大会路線の地平、PT・PUの前人未踏の経験、5月テーゼから15年間の実践の地平の上で豊富化し、闘いとっていこうではないか。
 地区党の圧倒的建設・強化の方針は、地区党が諸戦線の課題を真っ向から受けとめ学ぶと同時に、諸戦線が階級と結合し、生き生きと発展することによって、プロレタリア革命を実現していくための組織方針である。諸戦線の全指導部は地区党に結集して労働者階級解放闘争の前進のために闘い、そのことが諸戦線の生き生きとした発展と完全に一体であり、国際階級闘争を牽引(けんいん)しつつ全面的に発展させる道であることに、確信をもって闘おう。
 党の革命1周年にあたって、以上のことを訴えたい。 (了)

INDEX
inserted by FC2 system