マルクス主義とかくも異質なるもの

―3・14天田論文を怒りをこめて批判する―

〈目次〉
【T】3・14天田論文が革共同との断絶を表明
【U】本多精神を冒涜した革共同書記長
【V】体制内での永遠の労働組合主義
 ●「生産管理闘争はプロレタリア革命の絶対的課題」?
 ●「団結の拡大が革命だ」!?
 ●政治権力奪取の闘いと切断されたエセ生産管理闘争
 ●日共スターリン主義の裏切りと反革命を免罪
 ●プロレタリア革命をエセ生産管理闘争にすり替え
 ●3・14天田論文の思想は何か
【W】階級的労働運動路線の名でマルクス主義を解体
【X】革共同中央は問い糾されている

【T】3・14天田論文が革共同との断絶を表明

 本多延嘉書記長をファシスト・カクマルが虐殺した憎むべき3・14反革命から32年、かつ06年「3・14」から1年にあたって、革共同書記長・天田三紀夫氏の論文が『前進』に発表された(第2285号)。
 3・14天田論文は、「06年3月蜂起」を正当化し、「党の革命の第2段階」を論じるという形で、07年1・1政治局アピールで打ち出した「新路線」をさらに腐敗の極致に徹底するものである。批判すべき論点は多々あるが、ここでは、(1)対カクマル戦の清算、(2)「階級的労働運動路線」という名の動労千葉崇拝運動の純化について、明らかにする。
 結論を先取りして言うと、3・14天田論文は、〈歴史的存在としての革共同〉と断絶し、まったく縁もゆかりもない組織へと、まさに別次元にジャンプするものである。あまりの変貌ぶりであり、驚くべき事態と言わなければならない。とりわけ、サンディカリズム(労働組合主義)丸出しに、〈プロレタリア革命を平和主義的・合法主義的なエセ生産管理闘争にすり替える〉路線を押し出したことを、その特徴としている。そこでは、スターリン主義日共に対する批判や対決を完全放棄したこと、帝国主義的社民に果てしなく同質化したという点できわだったものである。それは、マルクス主義とあまりにも異質なものである。
 では、それを見ていこう。

 3・14天田論文は、本多延嘉書記長を虐殺したカクマル反革命に対する3・14復讐戦への言及がまったくない。そもそもカクマル=ファシスト反革命規定も、カクマル両派(中央派と松崎派)および嶋田派との対決も、何もないのである。
 本多書記長は、革共同の創始者であり、われわれすべての指導者である。本多書記長と彼を先頭とする革共同総体が切り開いたものを位置づけ返しつつ、本多精神を今も生きて継承・発展させようとするのが、革共同ではなかったのか。その中心にいた本多書記長がカクマルによって虐殺されたことが、天田氏はどうでもいいことだと言うのだろうか。32年経ったから、消し去っていいことだと言うのだろうか。
 21世紀革命の達成のためには、改憲粉砕・戦争国家化阻止=日帝打倒の過程に突入した今日の日本階級闘争の主体的危機を何としても突破しなければならない。それゆえに、改めて本多書記長を先頭とする創成期以来の革共同の闘いをとらえ返し、今日的に発展させる重大な課題がある。マルクス主義・レーニン主義の21世紀的復権として、反帝国主義・反スターリン主義綱領を〈開かれた大系〉として今こそ生き生きと発展させなければならないのだ。そうだというのに、天田氏には、その基礎を築いた本多書記長が虐殺された歴史的重みを、受け止める立場も感性もないのか。
 ある意味で非常にきわだっているのは、天田論文では、松崎らJR総連カクマルのファシスト労働運動を粉砕する態度表明がゼロであるということである。『前進』は毎号毎号「体制内労働運動と決別する」「体制内労働運動を粉砕する」とくり返している。ところが、体制内労働運動である連合本部や日共と比べてもはるかに極悪のファシスト労働運動が現実になおJR総連カクマルとして存在しているのに、それと闘うことも、批判することさえもしない。それは一体どういうことなのか。
・帝国主義の危機の時代における各種のファシスト反革命との闘いからの逃亡。
・プロレタリアートの武装と武装闘争の否定、いや敵視。
・革命的暴力の復権の闘いへの日和見主義。
・平和主義・合法主義の体制内勢力への転身。
・反帝国主義・反スターリン主義綱領の放棄。
・戦闘的・階級的労働運動の創造の闘いからの脱走。
 こうした問題が突き出されていると言わなければならない。天田氏らが唱える「階級的労働運動路線」の空疎な内実が、そこにさらけ出されているのではないのか。
 対カクマル戦をここまで徹底して清算するとは、恥知らずにもほどがある。
 3・14天田論文を読めば読むほど、これが現役の革共同書記長の言動なのか、いやこの人は本当に革共同書記長なのかと疑われる。

 『前進』のその次の号には「3・14反革命から32年 新たな決意」という無署名論文が掲載されている。そのことがかえって、天田書記長が、32年目の3・14にあたって、3・14反革命への怒りの言葉の一言も発しなかったという冷厳な事実、本多精神を冒涜する暴挙を公然と行ったというまぎれもない事実を浮き彫りにしている。  07年3・14天田論文は、革共同史上の最大の汚点とも言うべき、破廉恥きわまる、すさまじい裏切り論文でなくて何なのか。そんなものが、もし何の批判も受けないとしたら、もはや革共同は革共同ではなくなったということだ。  それは一人天田氏にかかわるエピソードではない。3・14天田論文の驚くべき破廉恥さ、裏切り性は、今日の革共同中央がとっている「新路線」の全問題性を凝縮して示しているのである。

【V】体制内での永遠の労働組合主義

天田論文は、「戦前、戦後の日本労働者階級の闘い、日本革命運動の歴史を概括してみたい」「最も生きた教訓に満ち満ちている闘いは四つある」と言い、「今回は、戦後革命期に焦点をしぼって、そこにおける労働者階級の闘いの核心問題に肉薄したい」とする。

 天田論文は、戦後日本革命について、読み続けるのも恥ずかしい一知半解の叙述を連ねた後、生産管理闘争について最大限の意義づけをしている。

●「生産管理闘争はプロレタリア革命の絶対的課題」!?

 天田氏は言う。

「生産管理闘争は2・1ストの挫折後も、48年まで全国的に拡大した。そして占領軍との激突となって闘われた。」 「生産管理の闘いは、資本家的労務管理がなくても生産主体である労働者の手によって生産が維持されることを全社会に明らかにする。」
「そのことによって、労働者階級こそが社会の主人公であるという階級意識の急速な変革をもたらすとともに、生産手段と労働過程の管理を階級的団結のもとに取り戻すことをとおして、プロレタリア革命の創造と達成に向かわなければならない。」
「この闘いは、不可避に国家権力との激突となる。……生産管理闘争を労働者階級解放闘争の絶対的課題として研究していくことが求められている。」

 そこでは、第一に、戦後日本革命の中で労働者階級の偉大な創意として闘い取られ、GHQ占領軍の暴力的弾圧の前に敗北した実際の生産管理闘争の総括の問題と、プロレタリア革命における生産管理闘争の位置づけの問題が、意図的にごちゃごちゃにされている。

 第二に、「生産管理闘争は労働者階級解放闘争の絶対的課題である」と断定されているのである。生産管理闘争がまさに戦略化されてしまっているのである。
 第三に、「労働者階級は社会の主人公である」というスローガンが押し出されているが、それは今、革共同の内部で呪文のようにしきりに唱えられているものである。
こうした問題のもつ犯罪性を明らかにする前に、3・14天田論文と表裏をなす3・18集会の問題をみておこう。

●「団結の拡大が革命だ」!?

 3・14天田論文と同じ号の3・18集会への呼びかけ(1面)では次のような言葉が踊っている。

「直接の成果よりも、闘いの中で人間的な団結がいかに広がったかが重要です。この労働者の団結が資本主義社会を転覆して労働者が社会を運営していける基礎になるのです。」
「この社会は労働者にしか動かせません。……労働組合が闘うことによって、資本主義の生み出した巨大な生産力を労働者のために、人間社会の発展のために使うことができるのです。」

 また、青年労働者が発した3・18集会アピールは言う(同第2288号2面)。
「労働者階級こそ社会の主人公だ。」
「団結の広がりこそが勝利です。団結の究極の拡大が革命です。」
「資本との折り合いをつける体制内労働運動を、革命をする労働運動にただちに変えていかなければなりません。」「労働運動の力で革命をやろう。」
「革命やって戦争とめよう。」
「私たちにとって革命とは何か。それは自己変革です。自分の壁をぶち破ろう。」

 現在の中核派の学生の発言も引用しておこう(同第2289号1面織田陽介論文)。
「労働者が立ち上がった時に歴史は動く。労働者とともに学生は立ち上がる時だ。……仲間と団結して立ち上がれば、それが革命の開始だ」
「労働者と学生がゼネストを起こした時が、戦争を止め、革命を達成する時だ」

青年労働者や学生や天田氏のことばの揚げ足をとる必要はない。意味不明の文脈や勢い余って言う言葉尻をあげつらうこともない。だが、上記のいろいろな引用は、現在の革共同の内部で声高に唱えられ、それこそが階級的真理であるかのように持ち上げられ、この思想に従わない者は路線的反対派だ、反党行為だとされる絶対的基準としてまかり通っているのである。  だがしかし、それらは、マルクス主義・レーニン主義の思想とあまりにもかけ離れた異質の思想であり、反帝国主義・反スターリン主義の理論と実践に敵対するものであることを、ここに怒りを込めて告発しないわけにいかない。

●政治権力奪取の闘いと切断されたエセ生産管理闘争論

 生産管理闘争は、世界革命運動のあまたの経験の中で、労働者階級がなんども挑戦した闘いであり、くり返しその総括が論じられてきたテーマである。
 1917年のロシア2月革命は、帝国主義戦争で疲弊する帝国主義権力および資本に対して、ペトログラード・ソビエトに結集する労働者・兵士を中心にツアー権力打倒と工場占拠および生産統制をかちとるものとして進展した。そしてその闘いは、レーニン・ボルシェビキの主導性のもと、ソビエトへの全権力の集中=政治権力奪取、プロレタリアートの一斉武装蜂起へと飛躍的に転化し、10月革命の勝利へと発展した。
 第1次世界大戦後のドイツ革命は、ロシア革命の経験を踏まえ、レーテ結成による労働者権力のための闘いと結びつけて工場占拠の闘いを展開し、生産管理(「社会化」と言われた)をつくりだしていった。帝国主義政府軍と対決し、社民による裏切りの中で、無念にも敗北したが、革命的レーテの血の教訓はかけがえのないものである。
 コミンテルン第2回大会(1920年7月)は、そうしたロシア革命とドイツやイタリアを始めとするヨーロッパ革命の経験を生かし、プロレタリア革命の重要な闘争戦術として、権力奪取のための闘いと結びつけて生産管理闘争を位置づけた。
 戦後日本革命もまた生産管理闘争の偉大かつ痛恨の経験をもっている。

さて、3・14天田論文の最大の犯罪性は、帝国主義戦争がもたらすあまりの破壊的な重荷の中で必然化する生産管理闘争を、政治権力奪取の嵐のような闘いの一環として位置づけるのではなく、権力のための闘い(=帝国主義戦争を内乱への闘い)と切断してしまっている点である。
 労働者が資本の支配を排除して労働組合を土台に生産を管理することは、「資本に対する専制的侵害」なのである。したがって、諸条件の組み合わせの中で一時的にそれが成立したとしても、支配権力・資本の側の暴力的反革命と最初から対決し、それに革命的暴力をもって打ち勝つ思想と路線と革命的組織がなければ、生産管理が自立的に成立するわけがない。ロシア革命、ドイツ革命、そして戦後日本革命は、そのことを教えている。
 ところが天田氏は、労働者階級の武装と武装闘争、労働組合を土台としてのソビエト結成、諸階級・諸階層の求心的統一、革命党建設の闘い、権力奪取の闘いとまったく無関係に生産管理がありうるかのように言っている。天田氏は、「占領軍との激突」「国家権力との全面的な激突」がまるで生産管理をやった後から問題になるかのようにしてしまっている。
 そのことは、天田氏が、帝国主義戦争を内乱に転化する闘いに完全に背を向けていること、生産管理闘争とはどれだけ革命的な闘いかをまったくわかっていないことを暴露している。それは、世界革命運動と戦後日本革命の歴史の偽造であり、労働者階級の敗北の血の教訓を押し隠すものである。実際、天田氏は、なぜ戦後日本革命が敗北したのかを不問にふしているではないか。
天田氏は、平和主義的・合法主義的なエセ生産管理闘争がありうるかのような欺瞞をふりまいているのである。それは階級闘争における明白な犯罪である。

●日共スターリン主義の裏切りと反革命を免罪

 徳田球一を筆頭とする日共スターリン主義が、多くの党員や戦闘的労働者の英雄的な決起を踏みにじって、生産管理闘争をもてあそんだことは、数々の証言によって明らかになっていることである。2・1ゼネストを圧殺する露骨な反革命として日共スターリン主義が登場したことは、誰もが知っている。その日共の裏切りと反革命に一言半句の言及もなく(みごとなほどに!)、日共スターリン主義をすっかり免罪していることこそ、3・14天田論文の第二の犯罪性である。
戦後革命を体験した戦闘的・良心的な労働運動家は、それぞれの政治的・党派的立場の違いはあれ、ほとんどの人が、そこにおける日本の労働者と強制連行されてきた朝鮮・中国の労働者の一つに連帯した嵐のような階級的決起とその価値創造性を語り、そしてそれゆえに戦後革命を敗北させた日共の裏切りを断罪する叫びをあげている。それなのに、天田氏には、戦後日本革命の敗北という痛切な総括、日共の裏切りを粉砕しのりこえるという総括はないのか。そうだとしたら、天田氏はもはや反スターリン主義者ではなく、革共同ではありえない。
 戦後革命は、日本帝国主義の敗戦の惨禍による生活破壊、飢餓の苦しみと帝国主義戦争および天皇制権力への反省と怒りを大きな底流として、一気に爆発し発展していった。そして、前述した世界革命運動の豊かな教訓とそのスターリン主義的歪曲のもとで、かつGHQ占領軍による弾圧体制との対峙の中で、共産主義の赤旗を復活させ、生産管理闘争、ゼネスト決起へと前進していった。
 そこにおける読売、京成電鉄、美唄炭鉱、日本鋼管鶴見、東芝などの生産管理闘争は、帝国主義戦争での敗戦下にある階級闘争の生きたダイナミズムが生み出した必然的な闘争戦術であった。過去の世界革命運動の歴史を知ろうと知るまいと、労働者階級の階級的本能が生み出した普遍的な闘争形態であった。
 生産管理闘争に決起することによって、労働者は資本家・経営者を排除しても圧倒的に生産を管理することができるし、職場・生産点を充分に運営することができることを実証した。それは、きのうまでは天皇制の皇国臣民とされていた労働者が、今や国際主義あふれるプロレタリアート独裁樹立と共産主義社会建設への萌芽的ではあれ深い確信をかちとるまでに自己変革するものとなった。
 だが、現実には、世界革命運動の血の教訓が生かされるのでなければ、その生産管理闘争はとうてい闘い通すことはできなかったのである。労働組合の怒濤のような結成から労働運動の戦闘的復活のそのすぐ先には、GHQ占領軍および政府権力との内乱的死闘の準備と企て、労働組合を土台としつつも個別企業の枠を越えた地域的・全国的なソビエト結成への前進、すなわちプロレタリアート独裁のための闘いが断固として決断されていなければならなかったのである。
 まさにここでは、闘うアジア人民・在日アジア人民と連帯してアジア侵略戦争を内乱に転化する闘いがきわめてリアルに求められていたのである。
 ところが、日共スターリン主義は、労働者階級が生産管理闘争という本質的には資本家階級に革命的暴力を突きつけることをやっていながら、その生産管理闘争を、GHQ占領軍=解放軍規定と民主的人民政府論という綱領的屈服のもとに、個別資本との争議手段としてしまった。資本家の譲歩に対して要求獲得の成果で終わらせるものとしたのである。それは、反革命暴力の前に無防備のままの労働者を押し出すに等しかった。
日共のその裏切りは、コミューン―ソビエト―レーテという階級的経験の中に位置づけるべき生産管理闘争を個別経済主義と合法主義へとスターリン主義的に歪曲したものである。
くり返す。天田氏は、なぜ、日共スターリン主義による生産管理闘争の歪曲と圧殺の問題を抜きにして生産管理闘争を論ずることができるのか。なぜ、左翼としてのあまりの無見識・無常識をさらけ出してまで日共スターリン主義を免罪するのか。

 生産管理闘争は、敗戦下のプロレタリアート独裁のための闘いと切り離されていたため、弾圧の嵐と資本家階級の逆襲の中で、資本家階級を救済する戦後の生産復興運動へと変質させられていった。日共はまったく無力な姿をさらすだけだった。だが、労働者階級はストライキに連続的に決起し、47年2・1ゼネストに向かって進撃していった。
 3・14天田論文は、だが不思議なことに、「戦後革命期の労働者階級の闘いの核心問題に肉薄したい」としながら、生産復興運動への取り込みの問題も、2・1ゼネストとそれをめぐる重大な諸問題もまったく語らないのである。戦後革命の総括が生産管理闘争の美化だけで集約されているのである。それは一体なぜなのか。
 3・14天田論文からの引用をもう一度見てみよう。
 そうすると、天田氏は、すでに見たように「闘うアジア人民と連帯し日帝のアジア侵略戦争を内乱へ」の闘い、政治権力奪取の闘い、プロレタリアート独裁の闘い、日共スターリン主義の裏切りの問題をすべて消し去っているのであるから、“生産管理闘争の延長上にプロレタリア革命が創造され達成される”、いや“生産管理闘争そのものがプロレタリア革命である”という文意を、そこに込めていると読むことができる。そうでなければ、「生産管理闘争はプロレタリア革命の絶対的課題である」とは言わないであろう。
 同じ号の1面の3・18呼びかけには「労働組合が闘うことで生産力を労働者・人間社会の発展のために使うことができる」とあるが、それは生産管理闘争のことなのである。
すなわち、3・14天田論文は、プロレタリア革命を生産管理闘争(それも平和主義的・合法主義的なエセ生産管理闘争)にすり替えてしまったのである。それが第三の犯罪性である。
労働者階級にとって、プロレタリア革命の絶対的課題はプロレタリアート独裁の樹立の闘いであり、世界革命の達成と共産主義社会の建設の闘いなのである。この嵐のような階級的ダイナミズムと大衆的武装の中で初めて、生き生きとした生産管理闘争の戦術が生み出され、労働組合を基軸にソビエトが結成されていくのである。革命党は、この闘いの先頭に立って目的意識的にプロレタリアート独裁のために闘わなければならない。何か自立的な生産管理闘争があって、それがプロレタリア革命の絶対的課題であるなどと言うのは、プロレタリアート独裁の否定、そこからの逃亡以外の何ものでもない。
天田氏のエセ生産管理闘争では、帝国主義権力と資本家階級による働こう運動にからめとられ、大いに歓迎されるだけである。3・14天田論文は、その意味で、戦後革命の敗北を通してその後、労働運動の労資協調路線への道が敷かれていったことを数十年遅れでくり返すものである。
結局のところ、天田氏ら革共同中央は、政治権力奪取の闘いの一環としての革命的本質をもつ生産管理闘争を真に実現しようという路線ではないということである。彼らは、エセ生産管理闘争を標榜しつつ、実は、帝国主義打倒なき体制内の労働組合主義を永遠に続けるという表明をしたということである。それは、帝国主義的社民への同質化でなくてなんなのか。

●3・14天田論文の思想は何か

 3・14天田論文と3・18集会アピールを重ねると、重大な思想問題、綱領問題が浮かび上がってくる。それは、マルクス主義・レーニン主義とはまったく異質の思想だということである。章を改めてそれをみていこう。

【W】階級的労働運動路線の名でマルクス主義を解体

 「労働者階級こそ社会の主人公」「労働運動の力で革命をやろう」「団結の究極的拡大が革命だ」――それらのスローガンをマル青労同が先頭に立って唱え、3・14天田論文でそれらを革共同の党的な公認の路線とした。毎号の『前進』にはそれらの言葉が氾濫している。
 なお、「労働者階級こそ社会の主人公」と言う時の「社会」とは何か。およそ抽象的な社会一般はない。資本主義社会なのか、共産主義社会なのか。使われている文脈から明らかに前者である。つまり「労働者階級こそ資本主義社会の主人公」と言っているのである。
 それらのスローガンが、とっくの昔に、『共産党宣言』と「第1インターナショナル創立宣言」で壊滅的に批判された過去の亡霊であることを知っている人は多いであろう。だが、長くなるが、あえてここに再確認する。

「労働者は、ときどき勝利することがある。しかし、その勝利は一時的なものにすぎない。労働者の闘争の本当の成果は、直接の成功にあるのではなく、労働者の団結がますます広がっていくことにあるのだ。……数多くの地方的な闘いはどこでも一様な性格をもってきているので、お互いに連絡がつきさえすれば、容易に一つの全国的闘争、一つの階級闘争に統一される。ところで、あらゆる階級闘争は政治闘争である。……幾世紀もかかったこの団結が、鉄道をもっている近代のプロレタリアにとってはわずか数年間で実現するのである。……
 われわれは、プロレタリアートの発展のもっとも一般的な諸段階を描きだすことによって、現存の社会の中に潜むおおかれすくなかれ隠然とした内乱が、ついに公然とした革命となって爆発し、ブルジョアジーの暴力的打倒をとおして、プロレタリアートが自分自身の支配をうち立てる地点にまで到達した。」(『共産党宣言』第1章)

「協同組合運動は、議論ではなく行為によって次のことを示した。すなわち、大規模生産は、近代科学の要請に応じつつ、『働き手』の階級を雇用する主人の階級がいなくてもやっていけるだろうということ、労働手段は、それが果実を生みだすためには、働く人自身に対する支配の手段、搾取の手段として独占されるにおよばないということ、賃労働は、奴隷労働と同じように、また農奴の労働とも同じように、一時的で低次の形態にすぎず、やがては、自発的な姿勢で喜び勇んで仕事に向かう人びとによって担われ、共同して行われる労働に席を譲って消滅すべき運命にあるということ、これである。……
 それと同時に、次のことを疑う余地のないまでに証明した。すなわち、協同組合的におこなわれる労働は、原則においてどんなにすぐれていようと、また実践においてどんなに有益であろうと、もしそれが個々の労働者のその時かぎりの努力という狭い範囲にとどまるならば、独占の幾何級数的な成長をおさえることも、大衆を解放することもけっしてできないし、大衆の貧困の苦しみを著しく軽減することさえもできないということである。……
 勤労大衆を救うためには、協同組合的労働を全国的規模で発展させる必要があり、したがって国民の資金でそれを助成しなければならない。しかし、土地の貴族と資本の貴族はつねに、彼らの経済的独占を守り永久化するために彼らの政治的特権を利用する。今後も彼らは、労働の解放をうながすどころか、労働の解放に対してありとあらゆる妨害をおこなうであろう。……
 したがって、政治権力を奪取することが労働者階級の偉大な義務となった。労働者階級はこのことを理解したようにみえる。というのも、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスで、同時に運動の復活が起こり、労働者党の政治的再組織のための努力が同時になされているからである。」(「国際労働者協会創立宣言」)

 労働者階級は資本主義社会では生産手段を資本家階級に奪われ、賃金奴隷とされているのであり、それゆえに資本主義社会の墓堀人なのだ。それが、「労働者階級が資本主義社会の主人公だ」とすると、どこに資本主義社会を転覆する必要性と必然性があるというのだろうか。
 労働者階級の世界史的創出とその悲惨と苦闘の中から生み出された『資本論』は、労働者階級とは何かをあますところなく明らかにした。それに反して「労働者階級=主人公」論をふりまわす、ごまかしと欺瞞はやめよ!
 天田氏やマル青労同は、「政治闘争」「ブルジョアジーの暴力的打倒」「政治権力の奪取」をどうして言わないのだろうか。労働運動・労働組合運動は、政治闘争とは無縁だと言うのだろうか。資本主義社会を暴力的に転覆しないでおいて、何をどう革命したというのだろうか。政治権力奪取の闘い=プロレタリアートが自分自身の支配を打ち立てる闘いと切り離された労働運動は、単なる合法主義・平和主義の永遠の組合主義でしかない。
 それは、労働者階級はブルジョアジーの暴力的打倒には決起しないという、労働者階級を冒涜する思想である。逆に言うと、労働者階級の革命的暴力への恐怖がそこにあることが透けて見えるようである。
 「団結の拡大が革命だ」とか「団結することが革命だ」とか「労働運動の力で革命をやろう」とは、ただ革命を放棄した者だけがよく言える言葉である。「労働組合」「革命」「プロレタリア革命」とは何なのかという問いかけが、そこにはまったくないのである。

 実際、労働組合の世界史的使命は何なのか、21世紀革命の戦略の実現のために労働組合はどう闘うのかを、天田氏ら革共同中央はどこでも語っていない。彼らは、現実の階級闘争とかけ離れた真空の中で、労働組合の形式的な位置づけ論議をやるだけなのである。  天田氏ら革共同中央は、このように『共産党宣言』と「第1インターナショナル創立宣言」の思想と実践をすべて解体しようというのである。
それが「階級的労働運動路線」の真の中身であり、動労千葉崇拝運動のありのままの姿だということである。

【X】革共同中央は問い糾されている

 以上のような3・14天田論文――このかくもマルクス主義とは異質なるもの――から、二つの大きな根本的問題が浮かび上がっている。
 一つには、それは天田書記長(と現革共同中央)の急激な堕落なのか、それとも彼らの非革共同的体質がついに現れ出たものなのかという問題である。
 二つには、それは06年「3・14」のめざしたものやその本質に逆行し裏切る路線であるのか、それとも06年「3・14」の貫徹形態あるいは必然的な産物なのかという問題である。別の言い方をすれば、06年「3・14」は今自らをまっとうし貫いているのか、それとも挫折させられたのかという問題である。
天田氏ら革共同中央は、この二つの問題に真正面から回答しなければならない。すべての戦闘的・階級的な労働者人民がそれを厳しく問い糾しているのである。
 われわれは、この1年間にわたる葛藤と苦悩の中で、この二つの問への理論的・実践的な回答を今や準備していること、21世紀革命と07年階級決戦の鉄火の中でその回答を出すことを、この一文の最後に確認しておく。

以上

INDEX
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