第24回拡大全国委員会総会提起 投稿資料

〈投稿者コメント〉
 11月に行われた革共同第24回拡大全国委員会総会の報告(2本)をPDFにて投稿します。このような反革命差別文章で汚染される前に掲載してください。
 半生を革共同の党員として闘ってきたことを悔やまないで、自分の任務としてあらゆる形でこのような変質したやからを相手に闘う所存です。
 全国の真面目な同志に伝えるてだてがなく利用しました。
 書かれている実名は(ペンネームも)、すでに『前進』報道で扱われている名前以外は記号で表記しました。
 重大な部分には下線を引きました。
〈注1〉
 第V章での問題にかんしては、政治局は関西地方委を最初から最後まで他党派扱いしている。その言葉使いからも関西地方委の粛清、組織分裂に踏み切った組織決断があることは明らかである。それに対して、関西地方委が「『関西WOB』の凍結および『11・6政治局決定』弾劾決議」を上げている。それを見れば、革共同中央による関西WOB建設方針なるものとそれを強行したやり方がいかに暴挙であるかは明らかである。「スターリン主義による一枚岩の団結論」そのものである。
 また、略式起訴は国家権力への屈服だと断じているが、それに同意し賛成したのはほかならぬ天田書記長であった。その事実を抜きにして、関西地方委を攻撃するなどというのは本末転倒もいいところである。そもそも「略式起訴受け入れは国家権力への屈服」と言うが、略式起訴は国家権力による部落解放闘争とその担い手である部落解放同盟全国連に対する政治的弾圧ではないか。そのことへの一片の抗議もなく、弾圧および差別攻撃と闘う全国連と連帯する立場の表明もないとは、革共同は一体全体、階級的対決のどこに位置しているのかという問題があるのである。 〈注2〉
 第W章では、「7月テーゼ」が革共同と労働者階級人民との共同の綱領的路線である7・7路線を清算したという批判に追いつめられたあげくに開き直ることと、広島で引き起こされた部落差別問題を居直るための弁明に費やされている。
 広島での部落差別問題とは、広島の2学生が部落出身の学生に向かってくり返し部落差別発言を加えた事件である。
 問題の差別発言は、「全国連は物取り主義だ。住宅闘争がそうだ。」「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない。◆◆同志などによる新しい体制にすべきだ。」「差別糾弾は人格を否定する行為である。」というすさまじいものである。
 そして、この問題は、革共同中央がその差別発言をした学生たちを問答無用的に擁護し、ぎゃくにその差別を糾弾することを罵倒し攻撃するものとなっている。革共同政治局は、日常的に先の差別発言をふりまわし、その内容で組織指導をやっている。だから、広島の学生が確信犯的に政治局の言うところを発言したのである。しかも、部落解放戦線の自立した大衆運動団体である全国連を革共同の下に置き、党の勝手な都合で人事にまで露骨に介入したなどということは、日本共産党以上の政治主義的利用主義である。そこにも労働者性・階級性とは正反対のセクト主義的な差別主義がある。

第24回拡大全国委員会総会提起

【0】はじめに

(一)革共同は、07年階級決戦を「階級的労働運動の発展かちとり、9条改憲阻止・安倍政権打倒へ」をかかげたたかってきた。
 昨年の11月労働者集会の総括から党内の路線的一致を不断に闘いとることに全力をあげ、激しい路線論争を闘いとってきた。『党の革命』以来の1年有余の党内路線論争は何故かくも激しく闘われているのか。
 それは、戦後革命期以来の革命的情勢の急接近情勢に規定されている。主体的には91年5月テーゼ以来、労働運動と労働組合運動に全力を投入するなかで、そのプロレタリア革命が革命の現実性をもってリアルに展望されているからである。
 また、この情勢はスターリン主義と社会民主主義を打倒し、のりこえる闘いが本格的に開始されているからである。体制内労働運動と徹底的に対決し、訣別し、勝利する度合いで労働運動が前進する過程に突入したことに帰因しているのである。

(二)11・4労働者集会の総括で徹底的に一致して、08年決戦に躍りでていこう。
 階級的労働運動路線絶対反対を唱えていた関西一部指導部が現場労働者同志の階級的指導部への飛躍、関西WOB建設の闘いに突入するやこれに反対し、分派主義・解党主義に走っていることを厳しく弾劾する。
 関西一部指導部の主張は、プロレタリア革命への恐怖と敵対である。それは「『党の革命』の内部から発生した、新たな日和見主義と解党主義」である。分派主義・解党主義を革命の戦列から克服し、一掃しきることである。すでにその闘いは、関西の労働者同志の革命的決起によって開始された。
 23全総以来いまだ3ヵ月しか経過してないが、関西一部指導部の変質は眼を覆うばかりである。その反労働者性を徹底的にあばき、革共同の単一党建設へむかって全ての力をだしきって勝利していこう。

【T】革命的情勢の急接近と階級的労働運動路線

(一)革命的情勢が急速に煮つまってきている。
 07年階級闘争は、新年号路線にもとづき、階級的労働運動路線を全力で闘いとってきた。動労千葉型労働運動の戦闘的実践こそ現在の情勢に対応する闘いである。
 本提起は、まず、23全総で討議決定した動労千葉労働運動へ特化する闘いの実践的意義を中心に提起したい。
 帝国主義の支配体制は、音をたてて崩壊し、断末魔の死の苦悶にあえいでいる。ブルジョアジーは分裂し労働者支配は破綻している。ブルジョアジーは、今までの延長で労働者支配を維持できなくなった。労働者階級は明日の生活に苦しみ、怒り、行動を求めている。それも帝国主義の支配の破綻は、全世界に及んでいるのである。
 革命的共産主義運動は、ついに引き寄せたこの情勢をプロレタリア革命に転化するために、主体的に徹底的に闘うことが求められている。勝利の道は労働者階級の団結を圧倒的に強化することである。職場・生産点に闘う労働運動・労働組合の拠点を建設する闘いに勝利することである。すなわち階級的労働運動路線を全面的に物質化する闘いである。
 それは、三全総―三回大会以来の組織的総括の教訓である労働者細胞建設を圧倒的に強める闘いなのである。23全総で討議決定した動労千葉型労働運動を全国的に展開することなのである。
 革命的情勢の急接近ということは、時代がますます階級的労働運動路線以外に労働者階級の生きる道、自己解放の道がないことを示している。
 95年以来の非正現労働者の拡大は2000万のロストジェネレーション世代を生みだし、「生きさせろ」の叫びが全国で爆発し、これらの力が安倍政権を打倒した。
 自民党・小泉―安倍路線は、7月参議院選挙で完全に敗北を強制された。福田政権の登場は、このように労働者階級の根底的怒りのなかで成立している超危機政権である。
 要するにバブル経済の崩壊から、世界金融大恐慌の現実化、そのなかでプロレタリアート人民を統治できなくなった支配階級、これが07年から08年へ革命と反革命の激突がさらに拡大し、世界プロレタリア革命へ情勢へ急速に成熟している。
 こうした情勢のなかでこそ、11・4労働者集会へ結集した日米韓の労働者の国際的団結は革命的なのである。世界革命へ5700人の団結は偉大なのである。

(二)革命的情勢の急接近と階級的労働運動  07年11月労働者集会は、世界金融危機大恐慌が現実化し、米帝のイラク侵略戦争の敗北・敗勢のなかで、世界戦争危機がますます増大し、プロレタリア世界革命をめざし、労働者階級が総結集する闘いとして実現した。
 米帝バブル経済の崩壊は新段階に突入した。それは住宅バブルの崩壊、サブプライムローン問題の爆発、信用収縮、実体経済の悪化となって激しく進行している。
 サブプライムローン問題は、住宅バブルを崩壊させ、米経済、世界バブル的現実の崩壊へと突き進めている。07年8−9月情勢のうえで、この10月−11月さらに大規模に金融恐慌に突入している。このことはあらゆる形で革命的情勢が激成されていることを意味する。

 日本帝国主義は、現在97−98年危機がもっと大規模に迫ってきている恐怖におののいている。97年とは、北海道拓殖銀行、山一証券の経済破綻が現実化し、日帝経済は1927年の「昭和恐慌」以来の典型的とも言える金融恐慌へ突入を開始した年である。金融恐慌のメルクマールである信用収縮が発生し激化していった。98年になっても、金融恐慌は拡大する方向で激化し、そのなかで実体経済も98年前半においては史上例を見ない急速度でおちこんで言った。
 97年危機はアジア危機、韓国経済危機を爆発させ韓国経済は破綻し、韓国経済はIMF管理のもとで徹底的な収奪を強制され、この資本攻勢のなかで民主労総が激烈な闘いを通して合法化をかちとりつつ、非正規攻撃と闘ってきた。
 日帝ブルジョアジーは、97年危機に対して空前の恐慌対策を展開した。 銀行救済に合計100兆円枠を設定し、財政投入をガンガン行い、ゼロ金利政策にふみきり資本を支えた。起こったことは国家財政の破綻である。
 これに先立ち、バブル崩壊後の日本帝国主義は、95年の日経連プロジェクト報告「新時代における日本的経営」を画期として開始され、日帝ブルジョアジーは、98年労問研報告「危機からの脱出―――第三の道を求めて」、99年「ダイナミックで徳のある国をめざして」、2000年では「『人間の顔をした市場経済』をめざして」と次々と攻撃をかけてきた。
 これらに特徴的なことは、ブルジョアジーの危機感、資本が延命するために市場原理しかないとう国際帝国主義の争闘戦に勝利するために重大な危機を意識していることである。
 2001年4月小泉政権の登場は、この国家財政的破綻を建て直し、争闘戦的敗勢をまきかえし、改憲・戦争国家への転換をかけた政権の誕生を意味した。
 小泉政権は、最初の所信表明演説で「『構造改革なくして景気回復なし』との認識に基づき、各種の社会構造に対する国民や市場の信頼を得るため、この内閣を聖域なき構造改革を取り組む『改革断行内閣』とする決意」を断じた。
 6年間の小泉政権の「聖域なき構造改革」路線は、各年の骨太方針のもとで徹底した行財政改革、社会保障制度切り捨て、公務員制度改革、日米同盟強化に向かった。郵政民営化を頂点に、四大産別解体攻撃を開始し、教基法・改憲攻撃を激化、靖国参拝を強行し、「つくる会」教科書攻撃激化させた。とりわけ9・11ゲリラに対して対テロ特措法を対置し(01年10月)イラク侵略戦争へ日米同盟のもとで突入した。
 小泉のあとをつぎ誕生した安倍政権(06年9月)は、「戦後レジューム体制からの脱却」をかかげ、教基法・改憲、国民投票法・改憲攻撃、道州制導入・改憲としてあらゆる点で9条改憲に突き進んだ。
 しかしながら、決定的な情勢は、労働者階級人民が生活ができなくなった現実である。  要するに、バブル経済の崩壊から、世界金融大恐慌の現実化、そのなかでプロレタリアート人民を統治できなくなった支配階級、これが07年から08年へさらに拡大する情勢なのである。
 こうした情勢のなかで、11・4労働者集会でアメリカ―韓国―世界の労働者の団結は革命的なのだ。帝国主義・資本主義は大量に墓堀人を生みだした。
 この11月労働者集会の革命的意義をしっかり確認し、総力で決起することが求められている。  このような世界的革命的情勢が到来している。この情勢と全力で対決して革共同はたたかってきた。70年安保・沖縄闘争は、職場生産点からの闘いと街頭闘争で反戦派労働運動を生みだし画期をなした闘いを実現した。70年安保・沖縄決戦の巨大な爆発に恐怖したカクマルの白色テロルと家権力の破防法攻撃が一体となって職場労働者へ襲ってきた。その最大の攻撃が動労千葉に対する白色襲撃である。この攻撃をはねのけて70年代、80年代を闘ってきた。
 とりわけ74−75年恐慌を転換点とする帝国主義の新自由主義攻撃は、民営化のもとで労働運動を解体する攻撃として、レーガン、サッチャー、中曽根のもとで進められた。国鉄分割民営化攻撃は、世界的な新自由主義攻撃のなかで起こった。動労千葉は、この分・民に対してストライキ闘争で全面的にに闘い、労働組合を徹底的に団結強化の立場から闘い、勝利してきた。
 89年から戦後スターリン主義体制は崩壊し、帝国主義の基本矛盾がもっと巨大に爆発する過程へ突入した。
 われわれは、91年5月テーゼとして、レーニン主義的オソドッキシーの闘いとして、もてる全ての力を労働者階級と労働運動へ全党が突撃していくことを確認した。
 しかし、5月テーゼの実践は転換のレベルにとどまり、実践的レベルまで突き進むことができなかった。2001年6回大会―03年新指導路線でさらに階級的労働運動へ突撃していくことに総力をあげた。03年新指導路線は、中央WOBを建設することに成功した。そのWOB建設の前進、新指導路線の推進は、06年3月の『党の革命』を根本においてさらに路線的実践的に支えたのである

(三)階級的労働運動の核心をなす動労千葉労働運動は、60年代の革命的共産主義運動が全力で傾注した国鉄労働運動の闘いを基礎に、動労本部から訣別し動労千葉を結成して闘った28年間の歴史的闘いをへて、帝国主義と対決する労働運動から、帝国主義を打倒する労働運動という賃労働と資本の非和解的現実をみすえ、そうであればこそ労働者の団結を圧倒的に固めるために職場・生産点の闘いをもっとも重視した労働組合運動を進めてきた。
 この労働者の団結を総括軸とする階級的立場は、もっとも原則的であり、もっとも全労働者的広がりをもつ闘いであった。動労千葉の階級的立場は、98年の労働者集会以降10年の歳月におよびたたかわれた。この挑戦は三労組共闘として基礎が固められ、三ヵ国連帯として発展した。
 動労千葉労働運動は、職場生産点の闘いの実践として『俺鉄U』『俺鉄V』として教訓化された。労働学校は多くの組合員と青年労働者の結集の場となり、日本の労働運動を戦闘的に牽引している。動労千葉の闘いを学び連帯し実践するなかで青年労働者はマル青労同を結成し、日本労働運動を牽引する若き部隊となった。学生運動は、大学を拠点とする学生運動の実践を通して動労千葉の存在と闘いに接近し、革命をめざしプロレタリア革命を実践する学生運動をたたかいぬいている。革命的情勢の急接近のなかで、それと主体的に格闘し、帝国主義が侵略戦争へ全面的に突入するなかで、体制内労働運動から訣別した闘いとして発展している。
 この階級的労働運動路線の基軸をなす動労千葉型労働運動は、日本の戦闘的労働者が、ついに闘いとった、ついに到達して歴史的地平である。

【U】11月労働者集会が切り開いた世界史的地平について

(一)5700名は、青年労働者学生が先頭をきりひらく
 「労働運動の力で革命をやろう」「団結の究極の拡大は革命だ」と強烈なスローガンが大衆運動のスローガンとなって登場した。それは、いままでの反戦闘争の限界をぶちやぶり、労働運動の危機的現実をのりこえ、動労千葉労働運動を学んだ青年労働者によって圧倒的確信をもって提起された。
 このスローガンのもとに07年の歴史的うねりが開始された。3・18、5月沖縄、6・9、8月広島、9・29を先頭に全国各地で青年労働者の闘いは組織された。
 帝国主義者、資本家階級は恐怖にかられて極限的な攻撃をかけてきた。それは非正規労働者の拡大、ぎりぎり衣食住さえ満たせない超低賃金と長時間労働が青年労働者・学生の現実である。さらに治安弾圧、戦争動員への改憲攻撃をかけてきた。この帝国主義の攻撃と危機は労働者階級の革命化と決起を引き起こしたのである。11月労働者集会は明白の青年労働者学生がついに圧倒的に牽引する集会となった。
 学生運動は、昨年3月以来、逮捕者48名、起訴者3名、少年鑑別所1名の大弾圧と果敢に闘いぬいている。「学生は労働者と団結して革命を」をスローガンにブルジョアジーがもつとも恐れている青年労働者と学生が連帯し共闘し革命運動の先陣をきる闘いが開始されたのである。

(二)戦闘的デモを実現  「世界革命への5700人の団結」「日米韓連帯で戦闘的デモ」「沖縄の怒りに続き本土で決起」を『前進』で報道したように、都心での今までの屈辱デモを打ち破り自己解放的戦闘的デモを実現した。この闘いの経験も何ものにもかえがたいものであった。この闘いは、何故実現できたのか。それは、11月労働者集会の組織化へ職場生産点の闘いを開始し、職場闘争を基礎に、真っ向から自己解放的決起を訴えた闘いを基礎にしているからである。  95年「新時代の『日本的経営』」(日経連プロジェクト報告)は終身雇用制と年功序列賃金制」を解体した。それは、総額人件費を大幅に削減し、労働組合を賃金決定や労働条件決定から排除し、全労働者を弱肉強食のなかに叩き込む路線であった。2000万の労働者を非正規労働者にすると公言した路線であった。事実、2003年以降の小泉―奥田体制の「聖域なき構造改革路線」をもって民営化・労組破壊攻撃を激化させた。ネットカフェ難民、ワーキングプアをつくりだし、食べることも住むこともままならない労働者階級を生まれた。「工場法」以前に戻った情勢であった。職場は、労働者の権利が剥奪され、団結が破壊された。労働者は生きるための闘いを求めていた。また、帝国主義の危機はなおいっそう破綻、絶望を生みだした。革命以外に生きる道がない2000万―6000万労働者の存在のなかで、一筋の狼煙が燈原の火となって燃え広がり決起が開始された。この現実が戦闘的デモを実現した力なのである。

(三)労働者階級が中軸にすわる
 四大産別の労働者同志は、今までの自己のあり方を打倒し、体制内労働運動に組み込まれることを拒否し、職場を組織化の戦場として闘いに決起した。資本と賃労働の非和解的関系、職場生産点での闘いを開始した。とたんに、それは既成労働運動指導部、体制内労働運動指導部と激突となった。それは、プロレタリア革命勝利への階級的立場から職場闘争を闘う立場への転換であり、その本質的革命性がブルジョアジーを震憾させているのである。
 青年労働者を先頭に職場で「個人ビラ」を出して訴える決起は、自己が文字通り本物の革命家としての登場を意味した。自己の決起は、体制内指導部との激突となった。それは、われわれの今までの闘い自身が体制内に組み込まれていたことを意味した。強烈な目的意識的な体制内労働運動からの訣別の闘いが全国的に開始された。
 このなかで宣伝煽動戦の圧倒的変革を実現した。今までの宣伝煽動戦が滔々と情勢と路線を論じることに終始していたことを突破し、職場の現実の攻防を主体的に、愚直に、団結を取り戻し拡大することを訴えたビラとなった。その内容に感動し労働者階級の階級的覚醒を促進し、決起が開始されたのである。

(四)日帝の戦争・改憲攻撃へ一大反撃
 9・29沖縄12万決起は、11・4への激しいバネとなった。そもそも沖縄12万決起の中心は沖縄高教組が座り、高教組30OO人が先頭になり、地域丸ごと決起の中心になり、大会の組織化に全力をあげて勝利した。12万の決起は沖縄で革命が起こったことを意味した。
 この高教組の闘いは、11・4組織化の強烈なバネになった。これらの闘いは、海上自衛隊をインド洋から撤退に追い込んだ。
 三里塚反対同盟がついに労働者集会の演壇から激烈な檄を発した。
三里塚闘争は42年間の闘争を軍事空港反対闘争として闘ってきた。その闘いは「朝鮮有事」の一大米軍基地に対する大反撃の闘いとしてある。また、日本帝国主義の農業破壊・農民殺しの暴挙、新農政攻撃と闘っている。これは支配配体制に対する革命的反乱の拠点を意味する。三里塚は、全国の労働者・農民、人民の怒りの結集軸、労働者の農民の帝国主義による分断を粉砕し、労働者階級と共にこの支配体制を倒して三里塚の勝利をかちとることを強く強く訴えた。
 労働者階級・農民の階級的怒りに追いつめられた、日本帝国主義はますます、腐敗・腐朽した帝国主義の姿をあらわにしている。防衛省に死の商人が群がり、利権、贈賄が日常化している。自衛隊内部の矛盾は局限化している。自衛隊内部の労働者・農民の闘いに連帯する新しい流れをつくりだすことに全力をあげよう。この闘いは、9条改憲阻止・日本帝国主義打倒そのものの闘いである。

 追いつめられた福田・小沢の党首会談、民主党小沢の「大連立」の動きと辞任(すぐに撤回)騒動と対決するものになった。参議院で野党が多数派をしめたことは、日帝の帝国主義としてのすさまじい危機である。日帝ブルジョアジーの唯一の政策は、民主党をとりこむことである。しかし、民主党を参議院で多数派におしあげたのは、労働者階級の自民党(自公)への怒り、小泉・安倍「改革」への怒りの爆発である。
 この情勢、革命と反革命が階級決戦の構図で前面化したという情勢では、まますます決定的になるのは、労働運動のヘゲモニーが依然として圧倒的に体制内派にある現状を、労働者階級の職場・生産点からに階級的決起によって本格的にひっくり返していくことである。4大産別を先頭に階級闘争の大地に根を張っていくことが、改憲決戦そのものの闘いになっているのである。11・4労働者集会は、一個の改憲阻止決戦の爆発としてかちとられた。

(五)国際連帯闘争の発展
 07年11月国際連帯闘争は、革命的時代認識と一体化させて、その決定的意義を確認することができる。
 アメリカ1億、韓国1900万、日本6000万の労働者階級の代表が、動労千葉型労働運動のもとに国境をこえて団結して、共通の敵=帝国主義の打倒に立ち上がっている。まさしく世界革命運動史上画期をなす地平であり、国際帝国主義とブルジョアジーどもを震撼させているのである。
 民主労総ソウル地域本部の、人選と訪日の全日程。
 アメリカは、AMFAローカル33委員長、ILWUローカル34、ローカル10のジャック・ヘイマン氏はメッセージ、UTLA−CAMS代表アーリーン・イノウエ氏の発言。
 ブッシュ政権の「対テロ戦争」とイラクからイランへの戦争のエスカレートの真只中で、「国家警察」と資本との闘いが、二重に激突的に進む中で、国際労働者階級の連帯と反撃を熱烈に呼びかけている。とくに動労千葉労働運動と「日の丸・君が代」不起立闘争を通して、アーリーン・イノウエ氏と結合したことは11月国際連帯闘争をグレードアップするものになった。彼女は、アクティブな活動家をこえて、革命家である。「予算の51%が軍事関係に支出され、他方では、世界で最も豊かな国なのに、数百万人の子供には食べ物もなく、家も健康保険もありません。アフリカン・アメリカンとラティノの若者は、大学に行く若者より刑務所に行く若者の方が多いのです。公立学校に支出させる予算の3倍もの予算が有色人の青年の募兵活動のために使われています」とアメリカ社会のすさまじい「格差」の現実を弾劾し、「世界を変えたい」と、とくにイラク戦争開始とともにCAMSの活動を精力的に行い、ロサンゼルスの50以上の学校でCAMSを組織している。「ブッシュ就任以来、系統的に自由と人権を破壊され、労組破腹、金持ち減税、民営化と規制緩和と経験してきました……」とまさしく同じ攻撃と、既成の指導部の裏切りをこえて闘っている。「われわれはみなさんと連帯し合流します。闘いは一つです。勝利も一つになるでしょう。首をかけ、自分の将来を危険にさらして、日本の『日の丸・君が代』に抵抗しているみなさんの勇気とリーダーシップに感謝します。……みなさんと共に主張します。『教え子を再び戦場に送るな!』」という発言は、日教組本部を打倒して、不起立闘争を軸に職場生産点から戦争協力拒否の闘いを貫く教育労働者運動にとって最大の援軍であった。とくに「闘いは一つです。勝利も一つ」という労働者階級の国境をこえた団結と国際帝国主義の打倒=世界革命の激を発している。11・3の日米韓教育労働者交流集会は、アーリーン・イノウエさん、全教組のチョ・ヒジュさん、根津さんを軸にして、日教組の階級的潮流の位置を全ゆる党派的・潮流的動向と闘い、主流派的に押し上げるものになった。11・3〜11・4の国際連帯闘争は、08年の不起立闘争の圧倒的ぶちぬきの合図となった。

(六)08年革命と反革命の激突に勝利する階級的労働運動路線
 求められているのは、07年11月労働者集会を07年新年号で提起した階級的労働運動路線の本格的出発点にすることである。階級的労働運動路線は、動労千葉型労働運動として切り開いてきた力、あり方を発展させることに全力をあげることが、今日の内外情勢、階級情勢、革命的情勢への急接近情勢において、何よりも決定的に正しい、必須不可欠な闘い方なのである。
 08年階級決戦は、さらにこのことを激しく発展させていくことなのである。

 

【V】関西一部指導部の分派主義・解党主義を粉砕する

 

(一)11・4労働者集会の直前、10月末日の地方委員会の会議で「関西党員総会」開催が、賛成9、反対6、保留2、欠席1で「採決」された。政治局は関西の労働者同志と一体で階級的労働運動路線を推進してきたが、この暴挙を断じて認めることができない。

 そもそも当時関西地方委員会議長であった○○同志は、7・29革共同集会基調報告を自らが行うことができず政治局に要請した。他方で自らに課せられた自己批判を拒否し、辞任こそ最大の自己批判とうそぶいた。関西党組織に政治局指導が不在の状況が生みだされたのである。
 7月討議では、○○同志自身が会議の席上で、※※意見書、戦線決議に対する自らの指導責任を確認し、このような5月テーゼ路線を否定した指導の破産を早期に自己批判書として書きあげることを確認していた。このような形で関西では、実質上政治局員不在の状況が現出するなかで、その空白を埋めるために政治局(書記長)自らが地方委員会に参加し中央指導を行うことになったのである。  それに先立ち、産別委員会の結集する同志が自己を中央WOBとして確立し5月全国WOB総会をたたかいとっていた。また、青年労働者と学生を軸に運動が前進し、マル青労同・マル学同の同志の闘いは発展し軌道にのっていた。
 23全総は、これらを基礎に11月一万労働者決起を実現するために四大産別委員会の指導内容の厳しい討議を行い、四大産別決戦をさらに発展させるために関西WOB建設方針を決定した。
 全国委員会総会で決定され、さらに9月冒頭の地方委員会で詳細に報告されて確認された。しかし、関西一部指導部は、これを許せば自らが決定的危機に追いつめられる恐怖から、反労働者的巻き返しにでたのである。

(二)他方で、関西では党の革命を破壊する国家権力の全国連と拠点●●への大弾圧が開始されていた。この攻撃に対して「略式起訴」受け入れという国家権力へ屈服に対する原則的指導のあり方をめぐる論議を全力で遂行していた。すなわち「略式起訴」を受け入れることは「完黙非転向」の闘いの原則を破壊することであり、その指導責任をめぐって全面的に討議が開始されていた。  □□同志の再三の書き直しの自己批判書が提出され、相当遅れて▽▽同志の自己批判書が提出された。両同志に共通することは、自らの弾圧対策に対する知識の欠如をあげるだけであった。そして「完黙非転向」を革命党に原則として確認するのではなく、「ケースバイケース」として破壊する開き直り文書を提出してきた。それは自己を中央と一体化して闘うのではなく、地方主義を満展開し中央の弾圧指導を拒否することに終始した。この点で、○○同志の責任はあまりにも重いのである。7月会議で、○○同志の自己批判の開始を想起せよ。
 まさに弾圧に対する「完黙非転向」の再確立の闘いは、中央指導においてなされたのは紛れもない、事実である。
 ▽▽自己批判書は、「党による完黙非転向の指導をめぐる格闘と大衆の現実の獄中闘争との区別と統一のもとで総括しつつ進むことが大切」とケースバイケース論より積極的に完黙非転向に解体を押しだしている。
 また、後半を●●の反弾圧闘争にあてているが、22全総で選出された全国委員として●●の組織建設、細胞活動の現状、弾圧との闘いの労働者の決起報告が、一年間に一度として報告できなかったことのなかに、弾圧の闘いを武装していたとは到底理解できない。中央と●●細胞を分断していたのである。
 この全国委員として▽▽同志の欠陥は組織的細胞性をもって党活動を行うという組織論の欠如である。この指導の欠陥をのりこえて、2つの●●弾圧に対する反撃へ労働者同志が立ち上がり、逮捕攻撃に対して完黙の闘いを貫き、権力の意図を粉砕したのである。それはすさまじい英雄的な当該の労働者の決起であった。▽▽自己批判書からその意図がスカスカに見えてくるのは、この労働者の決起を自己の存在証明にして、「略式起訴」への屈服を全面的に自己批判することを拒否しているのである。

(三)この二つの自己批判書と連動して、関西WOB建設をめぐる論争となった。関西WOB建設の闘いが始動し、土俵際に追いつめられた関西一部指導部は、乾坤一擲のまきかえしの勝負に出てきた。革共同を中央委員会と労働者細胞として建設するのではなく、労働者同志を分断し情報管理のもとで反中央を組織してきたことをさらに徹底する道を選んだのである。
 労働者同志が彼らのもとに組みすることはありえない。しかし、消耗させ活動不能の追い込むことも関西一部指導部のやり方は狙っているのである。○○らのやり方で活動不能に追い込まれる人が出てくることを許してならない。
 労働者の闘いの戦場は職場生産点である。毎日出勤する職場である。関西一部指導部は、一日の大半を、労働者同志を苦しめ活動不能に追い込むために日夜フラクっている。あらゆる手練手管を考えている。こんな腐敗した反労働者的跳梁を許してはならない。徹底的に粉砕しなければならない。
 ○○同志の主張は、5月全国WOBでは、路線的不一致の正当性を論じ、自らを分派ならざる「分派」として居直っていた。その居直りが自己批判を拒否させ、非常に脆弱な、分派といえないような「分派」を形成した。まず○○同志の「分派」の政綱を執筆する能力がない。ねじまがった知識があるがマルクス主義の労働者階級自己解放闘争論がない。あるのは労働者階級に対する絶望と侮蔑である。そしてPT、PU時代の形成して武徳のかけらもない。武徳とは労働者階級解放闘争のためつくすことである。労働者同志の階級指導部として決起することに断固支持しともに闘うことである。○○同志の独善的な組織論が22全総の討議と決定に賛成しながら、06年11・5労働者集会以降、教基法闘争方針含めてあれがないこれがないとけちつけの類を野放しにし、己もその批判の先頭で行うことになったのである。
 一貫した政治綱領がない分派とはなにか。われわれはスターリン主義による一枚岩の団結論は組みしない。レーニン主義は、党内論争を拒否しない。路線論争は革命党前進にとって不可欠なものとしてみる。事実、数々のけちつけはそれを揚棄する理論活動の前進として結実した。その結果として7月会議では、○○同志自らが書かせた「※※意見書」と「戦線決議」を撤回させその克服のために闘うと公式の場で述べたのである。しかし、この自己批判書執筆から完全に逃亡した。この無責任さはそれにとどまらなかった。  国家権力による関西党組織への大弾圧以来、関西一部指導部は完全に変質し豹変した。完黙非転向の解体の先兵になり、何よりも東大阪選挙の惜敗について主体的に総括をすることを拒否した。これほどの階級的労働運動路線の前進と7月テーゼの前進をかけた選挙闘争が当該東大阪地区委員会にすべてを託し、選挙戦の蜂起戦としての闘いから逃亡した。これらは誰でも知っていることである。

(四)○○・▽▽・□□ら関西一部指導部は、労働者を革命の主体として見るよりは、常任による指導の対象としてしか見ていない。『党の革命』の詳細な報告は、自らのフラクの指導の勝利として描かれているだけである。労働者同志の決起とその内実、労働運動の実践への飽くなき欲求をみない。実際、『党の革命』の根源的力は労働者同志の決起であったのである。このことを外すことは自己が労働者同志と対立する存在になるのである.  実際、5月テーゼの転換は動労千葉細胞の強烈な要求して実現した。PI、PUに勝利するために、非合法・非公然活動を支え、巨大な財政を支え勝利をもたらしたのは、職場を戦場として闘ってきた労働者同志の力である。  党の革命勝利の根源的力が労働者党員の決起にあるとう点での無理解、誤解が○○一派の致命的問題である。  現在の状態は、分派といえない「分派」である。それは分派主義に走っている。しかし、解党主義を開花させ、早晩党を破壊する運動となる。絶対に克服し、粉砕しなければならない。

(五)○○一派に腐敗はどこから生まれたのか

 第一は、革命的情勢の急接近に対する恐怖である。帝国主義の体制的危機を徹底的に論じることを拒否する。帝国主義の危機を徹底的に断罪し、打倒対象として論じる政治討論、路線討論を行わない。その政治能力に挑戦するパトスもない。

 第二は、プロレタリア革命に対する恐怖である。5月全国WOBへの敵対(これは一瞬にして労働者出身の階級的指導部の力で粉砕された)。関西WOB建設の始動に反対することの中にあらわれていることは何か。プロレタリア自己解放論がないのである。5月テーゼに反対してきたことをとくとくと述べるだけで、どこで転換し、どう闘ってきたのは何もない、与田に追随してきた自己をさらけだしているだけである。

 第三は、関西の一部指導部が異常に動労千葉労働運動への憎悪を示すことはなにか。それは、動労千葉が革命的共帝主義運動が切り開いた歴史的到達地平であるということにとどまらない。関西一部指導部が頭から足のつま先まで体制内労働運動をひたりきっているからである。歴史的に決着がついている社民との統一戦線に価値基準を見出していること。さらに、その職場闘争は、民同を「左」から批判するものでしかないことに起因するのである。

 第四は、この総体が国家権力の弾圧に対して、完黙非転向の階級的真理を対置して闘うのではなく、「略式起訴」を受け入れの屈服となったのである。関西一部指導部、特に○○同志は、このことを知らないとは言わせない。ここにまた、党を国家権力に屈服させる動きがあるのである。与田のやり方と寸分も違わない。
 「弾圧の本質は転向強要だ。転向強要とは最大の団結破壊攻撃だ。これをはねかえすのは完黙・非転向の不屈の闘いであり、それは団結維持・強化の階級的闘いそのものである。弾圧との闘いにおいて、勝利の基準は完黙・非転向の貫徹なのである。不当に起訴されたとしても完黙・非転向で闘いぬけば(=団結が維持・強化されれば)勝利であり、それを基礎として初めて弾圧を実際にうち破ることができるのである。
 われわれ労働者階級は帝国主義を倒すのではないのか。現に今、帝国主義は、回復不能の危機にのたうち回っているではないか。そして青年労働者・学生を先頭に、『帝国主義の支配のもとでは生きられない。革命だ。』という巨大な反乱が開始されているではないか。革命情勢の切迫の時代において、権力の弾圧は権力の強さではなく、危機のあらわれだ。不屈に立ち向かったなら、より巨大な労働者階級の反乱―団結の拡大へと闘いを発展させていくことができるではないか。  弾圧への敗北は、階級的労働運動路線への不一致・敵対と一体である。権力の弾圧にたいする敗北主義と、階級的労働運動路線拒否の思想的根拠は同じである。そこにあるのは、プロレタリア自己解放やプロレタリア革命の思想とはまったく異質なものだ。21世紀プロレタリア世界革命に勝利するために、革共同は完黙・非転向の党として生まれ変わることが絶対に求められている。」 (『23全総第一報告』23n)

 第五は、実践的に革命党の規律を否定し、解党主義に転落し、党破壊活動を開始している。これら関西一部指導部の行動は断じて認められない。労働者細胞の力で徹底的に粉砕していく。
 「要するに革命党の組織問題は、プロレタリアート独裁への、独立した意識的・精神的闘いである。革命党は、ブルジョアイデオロギーから独立した最高の意識的政治結集体なのである。それはプロレタリア階級がプロレタリア階級として自覚し、独自の存在としてあることをはっきりさせるために必要なのである。革命党の規律は、プロレタリア階級の自由な意識的行為であり、それは革命党への精神的・意識的集中と結集をもってはじめて実現されるのである。
 相互批判と自己批判を拒否することは、小ブル自由主義への屈服であり、単一の革命党建設の破壊になる。この高度な精神的行為をはっきりと自覚して闘うことが、党全体、とりわけ現在の関西の一部指導部に求められている。」
(『23全総・第一報告』25ページ)

【W】「07年7月テーゼ」をプロレタリア世界革命の実践的武器に

(一)07年国際連帯闘争の前進
 07年国際連帯闘争は、全世界的な民営化・規制緩和に対する非正規労働者の闘いが爆発した。
 アメリカ階級闘争は、戦後最大の闘いとして爆発し、EU労働者の闘い、イラク・中東の労働者階級が米帝の侵略戦争に対して極限的ゲリラ戦戦争をもって闘いぬいている。
 特に9・29沖縄12万決起は、労働者階級の新たな革命的決起であった。
 このなかで階級的労働運動路線を日本階級闘争を発展させる環として、戦争・改憲、民営化・労組破壊攻撃と闘いぬいた労働者の決起として前進した。まず「日の丸・君が代」不起立を闘った教育労働者訪米し根津さんの不起立闘争を徹底的に訴えた。「海を渡った不起立闘争」は、アメリカの教育労働者と一挙に日米連帯が深まった。
 11・3には、日米韓の教育労働者国際連帯集会が勝ちとられた。決定的なのは、民主労総大会へ向かった動労千葉訪韓闘争である。動労千葉訪韓団、田中委員長を先頭に3万のソウルへ結集した民主労総ソウル本部の労働者と合流してたたかいぬいた。『俺鉄U』の韓国語版をもって「敵よりも一日ながく闘う」を合い言葉に不屈で強靭でおおらかに闘いを発展させている。  韓国階級闘争は、現在の非正規法の攻撃のなかで民主労総ソウル地城本部に結集する労働者の闘いは、労働者党建設の絶対的必要性を討論する段階になっている。
 アメリカでも労働者党建設の問題意識をもって労働運動が開始されている。
 世界大恐慌前夜で、世界経済が破綻し金融大恐慌情勢へ突入しているなかで国際プロレタリアートが資本主義打倒を考え、党の問題を考え、世界革命の実戦部隊として登場しつつある情勢なのである.
 これは、動労千葉労働運動が「世界にはばたく闘い」を開始して、ついに切り開いた決定的情勢である。

(二)「7月テーゼ」はこの国際連帯闘争の前進の地平から深化した。
労働者階級の91年5月テーゼ以来の実践的苦闘をもって、「7・7思想」を階級的労働運動のなかに正しく位置づけるなかで再確立した。資本と賃労働の非和解的関係のなかで、労働者階級は、労働力が商品になり、その労働力を売ることを通して衣食住に充てている関係を根底的に打破することが求められている。要するに賃金奴隷制を決定的に粉砕することである。それは、資本主義体制を打倒するために自己が階級的指導部として脱皮し、職場・生産点を砦として、労働組合権力を確立し、地域の労働者と共闘・結合し、ソビエト体制を闘いとり、国家暴力を粉砕する闘いである。〈党・労働組合・ソビエト〉の革命論的意義をしっかり確立して闘うのである。
 7月テーゼは、プロレタリア自己解放闘争、プロレタリア世界革命のテーゼである。「70年7・7思想」は、30有余年の階級的歴史的試練を経て、革共同と労働者階級になかに根づき、国際労働者階級の団結の思想として物質化が行われている。
 資本は私有財産の完成形態であり、資本制は最後の階級社会であり、したがってプロレタリアートは資本制的な特殊的搾取形態の社会の転覆に突き進むことにより、搾取と階級支配にもとづくいっさいの階級支配の歴史に終止符を打つ階級としてある。まさにプロレタリアートの解放は、特殊階級的解放(プロレタリア自己解放の原理にもとづく階級的解放)として実現されるが、それは、同時に、資本制およびこれまでのいっさいの階級社会の歴史の蓄積のなかで差別・抑圧されてきた諸人民・諸階層−全人民の普遍的解放として実現されていくものとしてある。別の言い方をすれば、プロレタリアートの自己解放は、特殊的解放の貫徹が普遍的解放としての意義をもつのである。
 われわれはたしかに、7・7論において、被抑圧・被差別人民を自己解放の主体として措定した。「学ぶ」という契機の意義も鮮明にした。また「支援・防衛・連帯」の闘いをつくりだすことがプロレタリアートの「階級意識の鮮明化」にとって決定的であるということについても確認した。だが問題は、被抑圧・被差別人民の自己解放とは、本質的に資本制・階級社会からの解放と不可分であり、労働者階級の自己解放闘争としての共産主義と一体不可分である。だからこそわれわれは、党をプロレタリアートの党、単一の党として組織することを原則として遵守してきたのだ。
 差別・抑圧のさまざまな歴史的経緯の苦闘も、いっさいの階級支配・抑圧・差別を究極的に打破し、全人民の普遍的解放を実現するものとしてのプロレタリア革命のなかでこそ、真に実りあるものとなることを断固確認して突き進むことである。07年7月テーゼを、階級闘争の鉄火で検証された「7・7思想」としてしっかり確認したい。

(三)しかし、「70年7・7思想」は、血債主義・糾弾主義の誤った理解と実践、偏向を生みだした。この血債主義・糾弾主義と断固対決していかなければならない。

 第一は、ここには「労働者階級は差別に屈服している」「労働者は差別者」という根深い労働者への不信と蔑視がある。ここから出てくることは、労働者階級が団結を固めて自己を労働運動・労働組合運動として発展していくことを認めない路線になっていく。労働者階級に対する絶望を組織し労働者階級と被差別人民を分断することになる。
 労働者階級の階級的解放の基軸性をもって全人民の解放に闘いとるという路線が後景化し否定することになる。この意図するところは、階級的労働運動路線反対派が、絶叫していることである。このなかに、7月テーゼ反対派が、プロレタリア革命とは無縁な存在であることを示している。

 第二は、「7・7思想」の血債主義・糾弾主義へ転落は、帝国主義と闘うことに対する敗北主義がある。帝国主義が最末期帝国主義として断末魔の危機にのたちまわっている。
 戦後帝国主義の新自由主義攻撃は転換は、戦後階級闘争で労働者階級が権利としてかちとってきたものを全部剥奪する攻撃である。部落解放闘争では同和対対策事業うちきりとして攻撃がかけられた。
 これに対してどう闘うのか。部落解放闘争が5月テーゼ路線を軸に、労働者階級解放闘争のなかで全人民の解放があること。社会差別・排外主義攻撃は、労働者階級の勝利のなかにあることはっきりさせることである。そしてその総括軸を階級の団結におくこと、部落民と労働者階級の団結におくことである、糾弾とは、自己の社会的経済的生存的差別に対して国家機構に向かって行使される権利なのである。一般民と部落民の対立を党のなかにもちこみ、部落民と一般民の関係で党内論議を行えなどということは、帝国主義に屈服したなかでの血債主義・糾弾主義へ転落である。
 このことは、部落解放闘争自身が体制内部落解放闘争へ転落することを意味するのである。

 第三は、「7月テーゼ」反対は、本質的に階級的労働路線に反対なのである。プロレタリア革命反対論なのである。プロレタリア革命とは、労働者階級がプロレタリア性を行使し、貫徹するなかで前進する。そのために階級の指導部建設を当面する環にすえるのである。それは、この資本主義体制をその社会的生産様式においておいて国家権力を打倒し止揚し、プロレタリアート独裁を樹立する闘いである。これはマルクス主義である。このマルクス主義を否定するまでいきつく恐るべき内実をもっているのである。

 第四は、単一の労働者党建設へ驀進する闘いに、単一党建設を否定し、ブレーキをかけ連合戦線党建設論から、解党主義に道を開くものである。  「7月テーゼ」反対の主張は、単一の労働者党建設へ驀進するのでなく、解党主義へと転落していると見なければならない。
 91年5月テーゼ以来の路線的対決は、労働運動と部落解放闘争を並立化させた。またその現実を激しく突破できなかった。これは限りなく戦前戦後の階級闘争の総括の深化も曇らせるものなる。プロレタリア解放闘争の普遍的基軸性をはっきりさせ階級移行しない場合、部落解放闘争は歪んだものになってしまうのである。それは部落解放絶対主義を突破できず、部落解放闘争を私党化し食い物にする腐敗分子を革命的共産主義運動のなかに生みだした。『党の革命』はこれを打倒し一掃した。であればこそ、この教訓をもって単一の労働者党建設へ驀進する必要があったのである。
なぜ、出来なかったのか。それは、『党の革命』を現場労働者の決起として総括することを拒否し、階級移行を拒否し、挙げ句の果ては国家権力の弾圧に屈服するまでになった。
 なぜそうなってしまったのか。それは、労働者階級の現実の生活と怒りに身を置くことを拒否し、プロレタリア革命にこの身を焦がす階級移行を拒否したことである。そして分派・解党主義に走っている。これに断を下すことである。

(四)広島のマル学同合宿の7月テーゼの学習の発言は部落差別発言では断じてない。
 経緯は革共同に指導部として永年活動してきた同志が自己を単一党建設指導部として形成することを行わず、党の革命で突き付けられたことに対して政治的に自己批判ですませてきた腐敗のなかでおこったことである。党のなかで解決すべきことを、党と部落解放闘争を分断する政治を行ったことである。このことは部落解放闘争の前進をもおしとどめるものとなり徹底的に断罪する。  さらに、国権力の弾圧との闘いを提起しているのである。そのなかで大衆組織のリーダーが、それも革共同ともっと近い関係にある全国連のリーダーが関西一部指導部の誤った指導も重なり「完黙非転向」を貫徹出来なかったことに対して落胆し怒り弾劾するのは当然である。これを「組織介入」のレベルで問題にすること自身、党指導部として労働運動と部落解放闘争を分断するやり方そのものである。与田のやり方そのものである。
 「全国連はものとり主義だ」、その他の発言を歪曲して差別発言だと断定している。しかし、事実は「今は闘っても物はとれない時代。労働運動も部落解放闘争も物取り主義では闘えない。しかし、物がとれなくても敗北ではない。たとえば住宅家賃値上げ反対闘争も、反動判決が出ているが決して負けではない。村の団結、労働者階級として団結が強まれば勝利だ」と提起したのだ。  われわれは、このような言葉を全学連差別事件としてでっち上げるやり方は断じて認めることはできない。階級的労働運動の前進、青年労働者運動・学生運動、プロレタリア解放運動、何よりも部落解放闘争そのものの前進をもって断固として応えていく。

(五)革命的部落解放闘争の前進のために
 党の革命で打倒された与田らの主張はどうだったのか。それは、労働者階級に対する絶望を根底にもった部落解放闘争である。そして労働運動と部落解放闘争の並列を要求し、部落解放闘争を労働運動と切断し、さらに国家権力スパイの介入を許し、革共同を闘えない組織にする攻撃であった。
 この現実を『党の革命』で打倒した。このことをトコトン自己批判し決起を開始した。われわれは労働者階級の正面課題の一つに部落解放闘争をしっかりすえて闘っていく。
 それは、東大阪地区党の闘いである。東大阪地区党は、階級的労働運動路線と7月テーゼで選挙戦を猛然と闘った。民営化攻撃・団結破壊と真っ向から闘い、日共スターリン主義との激しい党派闘争を闘い、新たな拠点を固めることに勝利した地区党の偉大な闘いであった。
 また、「真の解放運動の旗かけげて進もう」を合い言葉に、同和住宅追い出しに対して白紙撤回をもとめて激しく闘っている。この闘いも地区党が共に全力で闘って切り開いているのである。
 狭山闘争への必死の取り組みも待ったなしに求められている。断固、革命的部落解放闘争前進へ全力でたたかいぬこう。

【V】労働者党建設への諸問題

(一)22全総党建設論と23全総党建設論を積極的に確認する。
 22全総報告、23全総報告を通して党建設論の前進は何か。それは党内民主主義の確立は、労働者細胞建設を軸にした労働者性の貫徹にあることを明らかにした。労働者同志の決起に無限の信頼をおき、階級的指導部建設をトコトン進めるなかにプロレタリア民主主義は胚胎し確立されるのである。
 さらに中央委員会と労働者細胞が真に結合し一体化して建設されるときに真の党建設がかちとられる。地方委員会の任務は、自己を中央委員会と一体化し、その地方の労働運動と労働組合運動に全面的に責任をとる体制を構築するなかで建設される。地方委員会は、中央の立場を確立し、その地方の政治経済闘争に責任をとるのである。革共同の単一党建設へ全力をあげよう。

(二)党・労働組合・ソビエト
 「ロシア革命とレーニンの労働組合論」(イスト150号06/11、城戸通隆)を突破口にして大いに論じていこう。
 階級的指導部建設論は、階級的労働運動路線を基軸的柱である。そのためには、〈党・労働組合・ソビエト論〉をもって階級闘争の現実と発展の方向性をしっかり解析して進むことが求められている。

(三)党活動の三原則と革命的規律
 革命的情勢の急接近情勢は、革命と反革命の激突であり、国家権力との死闘に勝利することである。その核心は労働者党の革命的規律である。
 「プロレタリアートのもっている組織者としての役割(これがプロレタリアートの主要な役割である)をただしく、首尾よく果たして勝利するためには、プロレタリアートの政党の内部に、もっとも厳格な中央集権と規律が必要である。プロレタリアートの独裁は、旧社会の諸勢力と伝統にたいする頑強な闘争であり、流血のものもそうでないものも、暴力的なものも平和的なものも、軍事的なものも経済的なものも、教育的なものも行政的なものもある。幾百万人、幾千万人の習慣の力は,もっとも恐るべき力である。闘争のなかで鍛えられた鉄のような党がなく、その階級のすべての誠実な人から信頼されている党がなく、大衆の気分を注視し、大衆に影響をおよぼすことのできる党がなければ、このような闘争をして成功することはできない」(『左翼空論主義』)
 『党の革命』の全画的推進のために、常任の職業革命家への全面的な階級移行をかちとり、この党内闘争に勝利して労働者党建設をかちとろう。

(四)マルクス主義の全面的な吸収と蓄積の不断の活動かちとろう
 マルクス主義を労働者階級解放の武器として全面的な摂取が求められている。氾濫するスターリン主義イデオロギーとファシストイデオロギーと対決しマルクス主義哲学、経済学、唯物史観、国家論、組織論、共産主義論を系統的に学び蓄積することである。特にレーニン「帝国主義論」をプロレタリア世界革命への実践の書として学びきろう。
 MEL研を軸に、党学校で白熱的論議を蓄積しつつ、全国で労働学校の開催を闘いとろう。

(五)世界革命を実践する労働者党建設へ財政闘争へ総決起しよう。
 労働者細胞を軸に新しい党を建設しよう。真の労働者党建設は、強靭な財政思想をもってたたかいぬくことである。革命党の財政は、基本財政、機関紙誌財政、特別財政である。党の財政は、全部が労働者同志の力で維持されている。関西一部指導部を打倒し、党の革命の勝利をかちとるために財政闘争は死活的である。党の革命を勝利的に完遂するために新たな決意で財政闘争へ決起しよう。

〈以上〉

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