第24回拡大全国委員会総会特別報告
@当面する部落解放闘争の諸問題 投稿資料2

〈注〉掲載にあたって
 特別報告@は、革共同による広島での部落差別問題をテーマにするものであり、もう一つの「提起」と並んで、すさまじい反革命差別に満ちている。とくに下線部分は、日共も顔負けの露骨きわまるものである。
 内容的な解明は、今回は読者にゆだねるが、次のことだけは指摘しておく。
 革共同政治局の「7月テーゼ」によって広島での部落差別問題が引き起こされたということである。「7月テーゼ」こそが革共同を差別集団にしている元凶である。しかも、その「7月テーゼ」すら、まだ生ぬるいと、政治局内では議論されている。政治局は、「差別・抑圧問題は重い課題とこれまで考えていたが、皆で明るく仲よく楽しくやればよい」とか「7月テーゼでもまだ問題がある。7月テーゼでも3回も『日本の労働者階級は侵略戦争に屈服し』という文言が出てくる。こんなことを書くから、『日本の労働者はダメだ』という意識が生まれてくる」などと傲慢にも言っている。
 さらに「彼らは、帝国主義本国の労働者はそのままでは階級的ではない、被抑圧人民に糾弾されてはじめて覚醒されるんだなんて言っている。被抑圧人民の方が『上』なんだよ。じゃあ労働者階級は革命の主体だなんて言うなってことなんですよ」と言い放っている。
 つまり、この特別報告@で言わんとしていることが、上記の諸発言なのである。
 革共同政治局は、“抑圧や差別はない”“労働者は排外主義・差別主義と闘えなどと言うな。資本と闘っていれば排外主義・差別主義から自由だ”“差別糾弾で労働者の人格を否定するな。部落民には人格はない。党内では被差別人民出身者はその出身を持ち出すな”“労働者の方が被抑圧人民よりも上だということを認めよ。それを認めるのがプロレタリア革命だ”と言うのである。
 それはもう自虐史観粉砕を絶叫する「つくる会」派と同じ思想、日共と同じ立場である。こうした組織とは世界革命運動・日本革命運動の中で徹底的に闘うのみである。

【特別報告@】
当面する部落解放闘争の諸問題

〔T〕11・4集会の切り開いた地平

(一) 11・4の5700の結集は、世界革命への巨大なうねりの始まりとなった。沖縄12万人決起に続いて、2000万青年労働者−6000万労働者階級の一塊となった怒りのマグマは、11・4では、首都のど真ん中に、世界革命の火柱となって噴出した。  そこには、階級的労働運動路線とその実践が、マルクス主義によるプロレタリア自己解放闘争の国際主義的団結の発展をとおして、帝国主義打倒のプロレタリア世界革命をきりひらいていく道であることが示された。  階級的労働運動路線は、賃労働と資本の非和解的対決を職場生産点においてつらぬくことを土台にして、「あらゆる経済闘争は、必然的に政治闘争に転化」(レーニン)することをふまえ、経済闘争と政治闘争を目的意識的に緊密に結合させ、両者を労働者階級の単一の階級闘争に発展させようとするものである。それは動労千葉を先端として、これに学びながら、4大産別決戦を職場生産点を土台にして闘いつつ、これと一体かつ緊密に結合した改憲阻止決戦を全面的階級的に発展させるものである。  11・4は、この路線を実践的につらぬくことをとおして、4大産別決戦を、職場からプロレタリア革命へと発展させる闘いとして前進させ、同時に改憲阻止決戦を、護憲的制動をうちやぶり、労働組合運動を推進軸に、プロレタリア革命をかちとる階級決戦として、両者を全一体化させて闘うとものとなったのだ。それは「労働運動の力で革命を」のスローガンのもとで、階級的労働運動の実践を、プロレタリア革命をかちとる強烈な目的意識性をもって貫いていくものとしてかちとられた。

(二) こうした階級的労働運動路線は、11・4による3ヵ国連帯のプロレタリア国際主義の圧倒的前進をとおして、7・7思想をプロレタリア世界革命論、共産主義論として、実践的に大発展させようとするものである。07年7月テーゼは、そのような内容としてうちだされた。11・4は、この7月テーゼの確立とその実践を決定的な推進力としてかちとられ、そしてまさに世界革命の現実性を生き生きと開示させるものとして闘われたのだ。
 このように、階級的労働運動路線をプロレタリア世界革命論としてとらえ、その立場から7・7思想を深化・発展し、実践していかなければならない。
 その場合、6回大会で確立された、帝国主義段階のプロレタリア革命論としてのレーニン主義革命論を、11月集会として体現された今日の階級的労働運勅路線のもとで真に再確立・発展させることが求められている。ここで決定的に重要なことは、プロレタリア革命は共産主義という原理からして世界革命を本質とし、その完遂を前提としているということであり、しかも帝国主義段階こそ、その世界革命の現実性が全面的に高まる時代なのだということである。さらにそうした帝国主義のもとでは、反動と戦争が必然となり、とりわけ帝国主義とその矛盾の爆発としての帝国主義戦争は、社会主義革命・プロレタリア世界革命を決定的にたぐり寄せるものとなるということである。
 この帝国主義段階での帝国主義世界戦争論、プロレタリア世界革命論(その現実性)の立場から、レーニンは、ひとつは農業・農民問題と、いまひとつには民族・植民地問題の戦略的位置づけを全力でおこなった。この理論的・実践的解明をとおして、ロシアにおけるプロレタリア革命が資本主義の根底的転覆と共産主義革命の原理の普遍的貫徹を求める闘いであり、プロレタリア自己解放闘争としてのプロレタリア革命=共産主義革命の思想と理論の実践的現実化であることを明確化させた。それはマルクス主義の思想・理論・原理のレーニンによる全面的な再建であり、創造的・発展的質徹としてあったのだ。
 今日の11・4集会をみたとき、三里塚反対同盟の歴史的登場とともに、3ヵ国連帯を軸として在日・滞日人民をも含む国際連帯の圧倒的強化・拡大とそこにおける民族解放闘争の主体的担い手の登場は、まさにこのレーニン主義のプロレダリア世界革命論の今日的な物質化への道が、そこに端緒的に切り開かれていることを確認できる。
 7月テーゼの確認と、そのもとでの部落解放闘争論の今日的な思想的・理論的・路線的確立(再確立)にとって、このレーニン主義プロレタリア世界革命論と、それが11月集会をとおしてすでに実践され物質化されている現実を、一切の土台と出発点にすえる必要がある、ということである。このことをまず冒頭に確認しておきたい。

〔U〕広島をめぐって起きている事態と党の突破すべき課題

(一) 今日、階級的労働運動路線のもとで革命的部落解放闘争を再確立するということは、プロレタリア世界革命論であり、共産主義論としてある7月テーゼでの綱領的路線的な一致をとおして、それを部落解放闘争の独自的論理と実践にふまえて、路線的思想的に適用することである。同時に、その核心は22CC、全国WOB、23CCをとおした階級的労働運動路線のもとでの労働者党建設の前進と発展を、党の革命の徹底的推進としてかちとっていくことにある。
 この点で、現在、広島での学生戦線をめぐって起きている事態のなかに、党の部落解放闘争における歴史的限界とゆがみ、血債主義と糾弾主義を、今こそ断固としてのりこえていかなくてはならない決定的課題が提起されている。すなわちそこには、7月テーゼの確立を媒介として、階級的労働運動の発展と結合した革命的部落解放闘争の真に巨大な本格的な発展を闘いとるために、党がどこで飛躍しなければならないかがきわめて鮮明に突き出されていると言える。
 ここで確認したいことは、この間の関西一部指導部の分派主義―解党主義の党分裂策動を粉砕する闘いと、広島の事態を革命的に突破する闘いはともに、二つにしてひとつの闘いであるということだ。レーニン主義のプロレタリア世界革命論、マルクス主義のプロレタリア自己解放論のもとでの階級的労働運動路線の推進にとって、さらには解党主義・分裂主義をのりこえて真に生命力のある「全国単一の党」を建設するうえで、決してネガなことではなく、実に価値創造的意義のある闘いであることを確認したい。

(二) 今回の広島での「学生の部落差別事件」なるものは、マル学同合宿での7月テーゼをめぐる討議を「差別事件」にしたてあげるというものである。それは本来、党内論議の範疇にあるものを、安易に「党内差別事件」にしただけではなく、それを革共同による全国連への「部落差別事件」にしたてあげることで、まったく遺憾にも全国連の中執決定となり、「差別糾弾闘争」となっている。このような「広島事件」の経緯に対して、革共同は絶対に反対である。
 またこれに対する当該の中条同志の意見書と、広島地方委員会の決定を断固として支持する。
 同時に、このような事態をおしすすめている中心人物であり、党の広島県委員であり同志会指導部でもある■■同志に対し、このような非組織的で解党主義的なあり方を自己批判して直ちに中止し、広島県委員会との真摯な討議をとおして思想的路線的一致をかちとるために闘うことを要求する。そして全国連本部へのあらゆる報告、要請を全面撤回することを要求する。

(三) 今回、この事態について、もとより事態の推移・経過を追うことも重要である。しかし最も肝心なことは、広島県委員会の見解にあるように、この事態の一切の発端であり、全経過の本質と核心にあるものは、なによりも7月テーゼをめぐる討議である。同時にこの間の日帝権力による革共同と全国連への弾圧と、それらに対する完黙・非転向の闘いの貫徹をめぐる問題という、部落解放闘争をはじめあらゆる階級闘争を闘ううえで避けて通ることのできない、すぐれて実践的かつ原則的な思想問題があるのである。
 すなわち、すでに確認した7月テーゼによるプロレタリア世界革命論と共産主義論の確立にかかわる思想的路線的問題と、権力との死闘という階級の生命にかかわる問題を、あくまでも基準にし土台にして、討議と一致をすすすめるべきなのである。
 くりかえすが、事態は一見深刻だが、この討議を党として正しく徹底的にやりぬくならば、部落解放闘争の突破すべき課題を明確にし、それをとおして現代プロレタリア世界革命論と階級的労働運動路線のもとでの新たな部落解放闘争を創造的・路線的に再確立するものとなるのだ。この点できわめて積極的意義をもつものとして、一切の論議を組織すべきであると考える。またその討議と一致をもって、大衆団体である全国連に対しても、党としての責任ある提起をきちんと返していくものとすべきである。

(四) 第一に、7月テーゼをめぐる党内討議の中での議論を「差別発言」として糾弾闘争の対象にしていくことは、7月テーゼの6章で提起している内容に直接にかかわることだ。まさに7月テーゼが指摘したわれわれの克服すべき課題が、この点でこそ鋭く突きつけられているのである。
 すなわちここには、党内論議において、党という共産主義者の存在と、部落民という存在との関係の自己分裂と混乱がある。党内論議は、あくまでも共産主義者あるいは共産主義者たらんとする党員同士の議論である。もとより党員であっても、現実には存在として部落民出身であったり、被差別民出身であったりするということを否定するものではないことは当然である。またそういう存在を明確に自覚して討議しなければならない。しかし討議は、あくまでも共産主義者の同志間の議論なのだ。その場合、部落民や被差別民としての存在性や立場よりも、共産主義者、党員としての立場や存在性に徹底的に立ちきって議論するべきなのだ。
 そもそも部落民出身の党員同志は、プロレタリア解放の党に結集したはずなのである。人間史、人類史の飛躍をかちとるプロレタリア解放にかけて、単一のプロレタリア党を選択したのではないか。このプロレタリア解放の中にのみ、部落解放の道があることを確信して、自己を共産主義者としてうちたてんとしたのではないのか。この共産主義者としての本質的なプロレタリア解放的同一性と一体性をすてて、部落民や被差別民であることによる、党内での例外的あり方を認めることは絶対にできない。くりかえすがそれは部落民としての存在の否定や封殺では断じてない。だが党とは、プロレタリア自己解放のマルクス主義に徹底的に立脚した強烈な目的意識的な結集体だ。そこに結集する一人ひとりが、プロレタリア革命の目的意識性に徹底的に、立ちきり、しかもそれを能動的積極的に貫く立場(強制性と刻印性)がないかぎり、党の議論ではなくなってしまう。むしろ問題が部落差別からの解放という深く重いテーマであるからこそ、そういう党的・階級的な目的意識性が決定的に求められるのだ。
 ところが■■同志らは、当該の☆☆同志の「告発」と言っているが、彼女をひとりの共産主義者、あるいは共産主義者たらんとする同志としてまともに措定しているのか、ということである。
 党員の同志的討議を「部落民対一般民」の議論にすりかえることは間違いであり、それでは何ひとつ問題の解決にならない。また「討議の内容(部落解放や部落差別の問題)によっては、自分は部落民として対応する」というのでは、完全に転倒している。逆にこういう「討議内容」でこそ、まずもって共産主義者として対応しなければならないのだ。プロレタリア自己解放の党という普遍的立場に立ち切って、そこから部落民としての自己解放を措定し、あえていえば相対化する(決して否定ではない)立場に徹底的に立脚して問題を考える必要があるのだ。そうして初めて部落解放闘争は、プロレタリア革命に真に有機的に内在化し、一体化することができる。
 あらゆる被抑圧被差別人民は、プロレタリアートとその存在の中で、ひとつになることができる。それはプロレタリアートとしてのひとつの共同性の獲得、階級的団結の獲得である。それはプロレタリア解放の党に結集し闘うことをとおした、解放の主体としてのプロレタリアートへの階級移行なのである。
 そうではなくて「部落民として対応する」とした瞬間に、そういう党の本質は否定される。そうした議論の要求は、率直に言って階級移行そのものの否定であり、連合党の要求であり、解党主義となるのだ。結局はプロレタリア解放に部落解放を対置することになり、プロレタリア解放と部落解放は、あくまで並列的なものとなり、並列的であることによって、永遠に合流できないものとなるのである。

(五) 第二に、このような本来、党内議論の範疇に属する問題を、差別糾弾闘争にしていくことは、本質的に与田的あり方そのものである、とあえて指摘したい。それは、後にふれる与田の部落解放闘争路線の歪みとして現れている。
 与田は、部落解放闘争を党から分断し、私物化し、私党化していった。同時に党内差別糾弾をつかって党内を支配していった。そして両者にまたがり、暴力的な官僚支配をひいた。同時に党から部落解放戦線を分断した私的な自由な空間と、差別糾弾による党内支配をむすびつけて、利権的金銭腐敗をおこなっていった。こうした党の及ばない例外的な領域と空間で、権力への投降に転落するにいたったのだ。
 他方で、こうした部落解放闘争は、党の革命的規律からはずれて私物化し、私党化した領域となり、そこから糾弾主義、血債主義が増幅していった。
 これに中央指導部もまた屈服していったことを改めて痛苦に自己批判する。
 このような党の革命で打倒された事態を二度とくりかえしてはならない。あらゆる意味で、党内議論の範疇の問題を部落差別事件化し、ましてや大衆的な差別糾弾闘争に発展させるようなことは、党の革命的規律からはずれて自己を例外的存在としておしだすことであり、絶対に許されない。あくまでも党内論議は、プロレタリア革命党の「プロレタリア民主集中制」の革命的規律に服するべきなのだ。そうした革命的規律は、革命的激動情勢との生きた階級闘争の躍動的対応のもとで、階級の大地との生きた交流によって培われ、かつ国家権力との死闘をかちぬくことによって貫かれるものである。
 与田は、こうした革命的規律とはみずからを切断し、それとはまったく無縁な小ブル個人主義の世界を、あえていえば差別糾弾をテコにして、党の中にひとつの聖域的例外をもうけるものとしてつくりだした。同志会が歴史的に、いわば党であって党ではない、という存在は、与田の小ブル自由主義と非組織性と切り離してはどうしても考えられないのだ。プロレタリア的規律ときりはなされた、党の中に例外的存在をつくるあり方を絶えず再生産するものとなったともいえるのである。
 同時に血債主義や糾弾主義は、プロレタリア的革命的規律と切断されるところで発生した。ここに、そのきわめて深刻な、決定的な歪みがあるのだ。

(六) 第三に、党及び個々の党員は、ブルジョアイデオロギーとあらかじめ無縁な存在ではない。したがって、党内議論の範疇においても差別発言がないとはいえない。それを不問に付すことはもちろん正しくない。だがそれは、党の革命的規律のもとでのプロレタリア的自己変革をとおしてこそ、必ず階級的に止揚されるのだ。そういうものとして闘いとられていくべきなのである。
 しかし、現在問題になっているマル学同の議論は、■■同志による一方的に歪曲された表現をそのままにしても、どうみても差別発言とはいえず、差別という領域にふみこむものでは断じてない。
 率直にいえば、同志会の指導的同志は、マル学同の討議の中で全国連への批判が出されたことをもって、部落解放闘争を闘う大衆団体である全国連を批判することそれ自体を「差別」として「弾劾」しているようにみえてならない。そこから「全国連が差別事件と認定すれば、差別である」「全国連決定への異議は、全国連への敵対だ、差別糾弾の否定だ」「党内議論の解決を主張するのは、全国連の排除だ」「党内問題でも、いったん全国連の問題になったら全国連の糾弾をうけろ」と轟然と言い放っている,  こういう発言は、全国連を絶対的存在とする独善的な言い方である。これは、はっきり言えば与田と変わらない、与田的影響からまったく決別していないあり方である。同志会の指導的同志は、共産主義者としての自己を完全に解体し、全国連を党の上に立つ絶対的存在にして、そこに自己の立脚点を横すべりして「差別事件」にしてしまっている。
 さらには、■■同志は「差別は部落民しかわからない」という議論をぶつけている。もとより、身分的差別は深刻である。差別された側しかわからない、という真理もある。しかしこれをもって党内議論を直線的に行うことはやはり間違いである。それはすでに指摘したように、共産主義者の目的意識的結集体としての党の中に「部落民性」を対立的にもちこみ、階級闘争における普遍性の獲得を否定するものだ。プロレタリア自己解放の思想をもって、プロレタリア革命の勝利とプロレタリア独裁の樹立のもとに階級社会の廃絶=全人間の普遍的解放の実現に向かって進んでいくという立場を放棄するものである。

(七) いまひとつ、とくにプロレタリア革命に勝利する普遍的立場には、権力との非和解的死闘に絶対にかちぬくという問題がある。ここで指摘すべきは、マル学同の討議は、全国連そのものを批判しているのではなく、はっきり言えば◎◎の、権力の弾圧に対する対応についての疑問と批判として出されている。「略式起訴」と、それにいたる経過の「完全黙秘」の問題に疑問を投げかけているのだ。
 もとより、権力の「略式命令」に応じたことは、関西一部指導部が党と階級の絶対的原則である完黙・非転向を公然と踏み破って出した権力への露骨な屈服・転向方針によるものであり、その責任はもっぱら党の側にある。これについて党は、このような権力への屈服をこともあろうに全国連に「指導」として強制したことを深く恥じ、徹底的に厳しく自己批判しなければならない。
 しかしながら、同時に、はっきりいえば、そこにいたる経過において、明らかに◎◎が権力の事情聴取に応じてきたこと、その姿勢や対応についてまったく不問に付すことはできないのだ。問題は、ここにケースバイケースの例外をもうけるのか、ということである。そこには、全国連の指導部が、戦後部落解放闘争の全面的解体攻撃と闘い、その一環としての全国連絶滅攻撃と闘い、みずからを既成解放同盟と徹底的に決別した300万部落大衆の真の革命的指導部として打ち立てていく上で、すさまじい試練と正念場を迎えているということがあるのだ。このことが、権力の弾圧への態度という、あいまいさを許されない問題として問われているのではないだろうか。はっきり言って、これについての論議を「全国連への差別発言」として封殺するならば、まさに階級闘争の解体である。
 略式起訴という党内を震撼させた事態に、H大をめぐるすさまじい弾圧と壮絶な死闘をかちぬいている学生戦線が、真剣な討議を行うことはあまりにも当然である。だからこそ、権力との攻防での「完黙・非転向」が崩れている事態、ともに闘う同志の規律の問題に対して疑問をもつことをなぜ非難をするのか。これを「全国連という大衆団体」への「介入」にすりかえ、それをさらに差別とするというにいたっては、絶対に誤りであり、許しがたいものがある。

(八) さらに、「物取り主義」と「言ったか、言わないか」の議論がある。まさにこの議論も、「言ったか、言わないか、言ったら問題だ」というレベルの話にすりかえることは絶対にできない。ここには、今日の帝国主義の最末期の危機爆発と革命的情勢の急接近の中で、党の部落解放闘争がどのような路線的飛躍を求められているのかという問題がある。
 これは今日の日本階級闘争が直面している最大課題にかかわることでもある。すなわち、危機を深める帝国主義による労働者支配の大転換と、戦争・改憲と民営化=労組破壊攻撃への突進の中で、これまでのあらゆる闘いと組織が歴史の容赦ないふるいにかけられている。例えば労働運動において「物取り主義」への転落・変質ということは、はっきりいえばどの労働組合に対しても、これまで戦闘的に闘ってきた組合も含めてつきつけられてきている問題なのだ。いやわれわれ自身もほとんどが「物取り主義」の体制内労働運動に多かれ少なかれ、とりこまれていた現状でもあるのだ。今、例外なく求められているのは、党そのものが、体制内勢力にとりこまれ、屈服していくあり方からの懸命な脱却なのだ。
 今回の「物取り主義」云々は、住宅闘争をめぐっての議論である。そもそも住宅闘争は、部落解放闘争にとって、その生存と団結そのものをかけた闘いである。だからこそ、大衆的実力闘争として闘い抜かれるものであり、現にその攻防ははじまっている。この住宅闘争の路線をめぐって、供託か分納かの議論のなかで、供託堅持がA支部の闘いの実践のなかでついに路線的に確立するにいたっている。しかしそこには激しい議論があったはずである。その攻防は、本質的には、体制内的あり方の脱却をかけた真剣な議論であり、それは学生戦線での党内論議においても展開されてしかるべきである。
 これを「部落民にとって住宅とは何か」にすりかえ、「差別だ」としていくことは、まったく不当なことである。そういう党内の同志たちは、それでは供託か分納か、の路線論議でみずからに路線的思想的葛藤はなかったのか、と言いたい。
 ここでいう「物取り主義」への批判とは、労働者の経済闘争を否定するものでは全くない。まして貧困を最も強制されている部落大衆の、住宅闘争を始めとした生きるための切実な経済要求の闘いを否定するようなものでは断じてない。そうではなくて、その経済闘争をどういう立場から、どんな闘いとして闘いぬくのかという問題だ。まさに革命が直接に問題となる情勢の中で、われわれ自身のこれまでの闘い全体をも一から検証し直すような飛躍が問われてきているということだ。11月集会にも問われたことは、実践的にはまさに「体制内労働運動」をはじめとして、あらゆる体制内的運動との根底的な決別なのだ。今、この重大な路線論議が全戦線でおこっているのである。
 そうした党内論議の一環として、当然、部落解放運動をめぐっても激しい路線論議が起きてくるのは当然であり、またそうした論議を起こさなければならない。この議論を即、「物取り主義と言ったら差別だ」としていくのは問題のすりかえであり、また今日の革命的情勢下で党の部落解放運動に求められている決定的な飛躍への闘いを拒否するものである。そもそも全国連結成の原点には、既成解放同盟の行政依存主義・改良主義・融和主義を「物取り物取り主義」として批判し、それとの決別を提起しことが含まれていたのではなかったのか。

(九)ここでいまひとつはっきりさせておきたいことは、「体制内の民同支配のもとにある組合であっても、差別事件に対する糾弾闘争は労働組合の団結を強化する」という議論が、同志会の指導的同志からなされていることである。これは根本的に間違っている。断じて否、である。資本によるリストラ・首切りや職場内での労働者の徹底した分断支配と何ひとつ闘わず、逆に資本の攻撃に率先協力しその先兵に転落している体制内労働運動と、真っ向から対決することなしに闘われる差別糾弾闘争などというものがあるのか。もしあるとすれば、それは民同指導部(その背後にいる資本)との取り引きを前提とした、民同指導部が許容する範囲内での「糾弾闘争」でしかない。こんなものは階級的団結の強化になど絶対にならない。逆に差別糾弾闘争そのものを根本的にねじ曲げるものだ。
 差別への糾弾と自己批判は、労働者階級の階級的団結の形成と切り離すことは絶対にできない。差別糾弾闘争は、それが労働者階級の職場生産点における資本との激突、すなわち階級的団結の解体を狙う資本の攻撃とそれに屈服した体制内指導部との激突と、完全に一体のものとして闘われるところに意義をもつのだ。そうした資本や体制内労働運動との対決の契機なしに、それとは別個のところで差別糾弾を自己目的化していく傾向に陥るならば、階級的団結の強化にはつながらず、逆に労働者への絶望を組織していくものにしかならない。それはやはり糾弾主義として、プロレタリアートの自己解放運動と対立していくものとなってしまう。

(十) ここで求められるのは、部落解放闘争を真に組織していくことは、自らを共産主義者としてうちたてていくことにある、ということである。
 それは部落民出身の共産主義者にとっては、自らがまずプロレタリア自己解放の共産主義者の党建設、労働者党建設の最先頭にたつ、ということではないか。このことは、プロレタリア革命勝利と真の部落解放のために、労働者階級自己解放闘争への部落大衆の「最大限の信頼」をかちとるその最先頭に、部落出身の共産主義者がたつことではないか、ということである。これこそ、部落民の利害を最も根底的に守ることである。なぜならそれは、プロレタリアートの階級的利害と本質的・根底的に一体なのだ。
 今日、与田のもとで最も典型的に生み出されてきた7・7思想の糾弾主義的、血債主義的歪曲に、依然として陥っている同志に訴えたい。今日の革命的情勢の急接近を前にして、与田がもっぱら依拠してきたような「党内差別糾弾」の政治によって、果たしてプロレタリア世界革命への道を切り開くことができるのか。革命の前進、したがって部落解放闘争の真の前進は、11・4集会としてかちとられた階級的労働運動路線の実践とその発展を、さらに全面的に闘いとっていく中にこそあるはずなのだ。■■同志による「広島事件」の誤った取り扱いは、それを破壊するものにしかならない。

7・7思想とレーニン主義世界革命論について。

(一) 帝国主義を打倒し、プロレタリア世界革命を完遂し、全世界の共産主義的解放へと前進していくたたかいにおいて、7月テーゼで打ち出した7・7思想の革命的再確立とその実践を闘いとっていくことは、必須不可欠の課題である。7月テーゼは、党の革命で打倒された与田らを始め、91年5月テーゼの実践を拒否した一部指導部による7・7思想の血債主義・糾弾主義への歪曲を打破し、その一面的な誤った理解を克服して、階級的労働運動路線のもとでの今日的な深化と再確立の土台を築いたものである。それは(1)労働者階級の特殊的な解放が同時に全人間の普遍的な解放であるというマルクス主義の労働者自己解放の思想を一切の基礎、土台として据え直し、(2)動労千葉労働運動と11月集会が切り開いてきたプロレタリアートの国際連帯こそ7・7思想の実践的貫徹とその発展形態としてあることをはっきりさせて、(3)そのうえに立って70年7・7自己批判の問題を、レーニン主義のプロレタリア世界革命論の根幹にかかわる問題として再整理し、再確立したものであった。
 この7月テーゼの理解をすすめるために、ここではとくに二つの点を補足・強調しておきたい。

(二) ひとつは、いわゆる「償い」に関する問題である。
 レーニンは、世界革命を闘いとる上で、抑圧民族のプロレタリアートが被抑圧民族に対して「償う」という思想と立場に立つことが重要であるとして次のように言っている。「抑圧民族にとっての国際主義とは、諸民族の形式的平等をまもるだけではなく、生活のうちに現実に生じている不平等にたいする抑圧民族、大民族のつぐないとなるような、不平等をしのぶことでなければならない」と指摘したうえで、「プロレタリアにとってなにが重要か? プロレタリアにとって重要であるばかりか、ぜひとも必要なことは、プロレタリア階級闘争にたいする異民族の最大限の信頼を確保することである。このためにはなにが必要か? このためには、歴史上の過去に異民族が『強大』民族の政府からこうむった不信、疑惑、侮辱を、異民族にたいするその態度により、その譲歩によってなんとかしてつぐなうことが必要である」としている。
 このことは、なにか一般的倫理のようなものでは断じてない。もとより階級的倫理性の要素は、決定的に重要である。しかし最も重要なことは「プロレタリア階級闘争にたいする異民族の最大限の信頼の確保」、すなわち自国帝国主義と徹底的に対決し、その打倒の闘いに決起すること、ここにこそ階級的な「償い」の核心問題があるのだ。自国帝国主義と資本への階級的怒り、血みどろの非和解性、その不屈性、戦闘性、そうしたプロレタリア革命にいたる闘いとその団結の強さと深さこそ、「政府からこうむった不信、疑惑、侮辱」を取り払い、信頼を獲得する土台となる。逆にこの闘いを欠いたところでの口先だけの謝罪や観念的な「連帯」では、「不信」を取り除くことはできない。さらに.そうしたプロレタリアートが、被抑圧民族人民(プロレタリアートも含む)の怒りに肉薄し、現実の存在と闘いに学び、そしてなによりも、ともに必死に不屈に闘うことである。そのことがみずからの階級意識を真にプロレタリア的階級性に根ざしたものとして鮮明化させることになるのだ。

(三) いまひとつは、7・7思想の貫徹にとって、スターリン主義や社会民主主義との闘いがきわめて決定的だということである。  7・7思想とは、レーニン主義的なプロレタリア世界革命論であり、共産主義論なのである。このようにみたとき、スターリン主義の登場によってプロレタリア世界革命論が一国社会主義として否定、歪曲、疎外され、さらにプロレタリア自己解放闘争としての共産主義運動が変質し、マルクス主義が原理的に歪曲、破壊されたことは、おそるべきことであった。
 スターリンは、一国社会主義論のもとで、プロレタリア国家ロシアの建設を大義のようにふりまわし、諸民族の民族自決権や民族的要求をふみにじって、大ロシア民族主義=民族排外主義的政策にくみしいていった。これと一体で、労働者階級の階級的自己解放を圧殺し、社会主義建設へむけての労働組合的団結を解体していった。こうしたスターリン主義の裏切りが、帝国主義の延命を許し、20世紀のプロレタリア世界革命の道をとざしたのだ。
 またスターリン主義と一体となって、社会民主主義は、やはり労働者階級の革命的決起を抑圧し、革命を圧殺していった。
 今日、帝国主義がその世界支配を貫徹し、世界革命の現実性をかろうじて封殺しているのが、抑圧民族と被抑圧民族の分断であり、そのことによる国際プロレタリアートの分断である。だが帝国主義・資本主義の排外主義・差別主義の攻撃によってのみ、それが可能であるのではない。重要なことは、労働者階級の内部、あるいは背後から襲いかかるスターリン主義や社会民主主義、体制内労働運動の存在によってこの分断が促進され、労働者階級の決起が抑圧され、団結が解体される中で、労働者階級への排外主義・差別主義の汚染と侵略戦争への動員も進行していくのだ。
 日本労働者階級は、この現実をみずからの思想問題として深くとらえかえし、だからこそこのような体制内労働運動を打倒することによって、排外主義・差別主義によるあらゆる分断攻撃をうちやぶって階級的団結を回復し、さらに被抑圧民族の労働者階級人民との国際主義的合流と団結を奪い返すために必死に闘わなければならない。そこにはみなぎるような階級的戦闘性と革命的実践の迫力が、決定約に求められる。そうした血みどろの死闘をとおして、レーニン主義のプロレタリア世界革命論とマルクス主義のプロレタリア自己解放の共産主義論を、階級の大地に目的意識的に復権することこそが必要なのである。
 このようなものとして、階級的労働運動路線のもとで、7・7思想を歴史的に再確立して闘うことである。この立場と実践は、部落解放闘争においても普遍的につらぬかなければならない。

〔W〕部落解放闘争論の党的再確立のために

(一) 党の革命以降、部落解放闘争の歴史的総括、全国連運動の飛躍をかけた党的総括をかちとる作業が開始されなければならない。
 1992年の全国連の結成は、80年代の日帝の部落解放闘争絶滅攻撃に対する死活的反撃としてなされたといえる。この80年代の部落解放闘争絶滅攻撃がいかなる歴史的な階級的本質をもっていたかを、今日の時点からあらためてとらえ返すことが重要である。
 74〜75年恐慌以来、世界帝国主義は、国独資政策が完全に破綻し、いわゆる80年代のレーガン、サッチャー、中曽根による「新自由主義政策」への転換のもと、むきだしの帝国主義間争闘戦と国内における暴力的な規制緩和―民営化・労組破壊攻撃に突進していった。日本における国鉄分割・民営化は、そうした意味で戦後最大の反革命攻撃であり、日本帝国主義の階級支配の全面的転換をかけた全階級・全人民への攻撃であった。まさにこれに対応したのが、日帝の「地対協」路線であり、差別糾弾闘争の絶滅、同和対策事業の全面的解体、戦後部落解放闘争の絶滅と体制内的とりこみの激化であった。
 こうしてみると85年〜87年の動労千葉の分剤・民営化反対のストライキという歴史的反撃は、戦後部落解放闘争の絶滅攻撃に対する反撃をも含む全階級的・全人民的反撃として、その一切を背負って闘われたのだ。まさに動労千葉の闘いを最先端とする民営化・労組破壊との攻防は、部落解放闘争をめぐる攻防と全一体をなす階級的対決構造をもっていたといえる。
 このような労働者階級の現実の階級攻防を基軸にして、90年代や2000年以降の部落解放闘争をもとらえかえすことが求められている。主体的・党的には、5月テーゼの意義、またそれ以降の苦闘、そこでの92年全国連結成の意義をとらえさなければならない。
 19全総は、こうした5月テーゼ以降の苦闘の中からうちだされたものである。仁村論文は、直接的には、この19全総の第5報告の論議をとおしてうちだされたと言われる。しかし、ここには実は重大な歪みがあった。
 19全総の苦闘はついに6回大会をへて、新指導路線とその発展として、階級的労働運動路線としてうけつがれている。今日の革命的情勢の急接近のもとで、いまやこれに完全に対応した部落解放闘争の革命的再構築は決定的である。

(二) 仁村論文を内在的に批判する
 19全総は、5月テーゼを本格的軌道にのせる意義をもったが、まだ全党が労働運動の実践の端著にもついていないという主体的現状の中で、まず国鉄決戦からの実践的突入をはかろうとするものであった。この19全総全体を規定する実践上の歴史的限界のなかで、第5報告もとらえる必要があると思う。そのうえでなおかつ、とくに第5報告は、7・7思想を労働者階級の自己解放闘争としての共産主義革命からとらえかえした決定的意義を有している。
 仁村論文は確かに、上記の論議のなかから出された。だがそれは、当時の党全体の実践的限界にも規定されており、問題はすぐには明らかにならなかった。しかし今日の地平からみるならば、根底的問題をはらんでいた。
 以下、あくまでも今日的視点にたち、今日的な路線的深化・発展として批判したい。

1) とくに第2章第4節の全体に問題がある。部落解放とプロレタリア解放(革命)を二元的にバラバラに論じている。たしかに「プロレタリア解放としての共産主義革命の実現だけが部落の解放を達成できることをとことん確認しぬくことである」と言っている。しかしどうみても「付け足し的」「投げやり的」言い方なのだ。結局は「超客観主義」的、「機能主義」的にそう言っているのだ。
 むしろここで言っている主要な論理は、「部落民労働者を含む労働者階級は、プロレタリア革命党に媒介されて、プロレタリア革命にたちあがる。他方では、部落解放闘争に媒介されて、部落大衆は、部落民労働者を実体的主力にして、帝国主義との闘いに決起する。この部落解放闘争と労働者階級との闘いがプロレタリア革命党を媒介にしながら連帯していくのである。つまり党に媒介されたプロレタリア革命の実現ということなのである」というところにある。さらに「部落解放闘争とは、帝国主義の身分的差別のもとに置かれた部落民自身の自己解放闘争でなくてはならない」と言っている。

2) 要するに、ここで言いたいことは、部落解放とプロレタリア解放は別々の闘いであり、党によって機能的に結合され、プロレタリア革命のときに初めて「合流」するということである。しかも労働者階級も革命党のみを絶対的な媒介にして、プロレタリア革命に決起するといっている。
 革命党は、あくまで階級と機能的に分離して絶対的に上位にあるものだ、と言っている。もとより革命における労働組合の役割は何も措定していない。そうした革命党とは、どこまでもそれぞれの利害代表の「連合党」でしかない。したがって、ここでの「部落解放と労働者階級の連帯」(このような皮相な言い方自身に問題がある)とは、機能的機械的な結合・合流なのだ.
 もっとも致命的なのは、ここにはマルクス主義が完全に欠落し、プロレタリア自己解放がまったく軸にすわっていない。部落解放は部落民自身の闘いとしてかちとることができるが、労働者階級は党を媒介にしていないと解放できず、「プロレタリア解放はプロレタリアート自身の事業ではない」という論理となる。実はマルクス主義の根底的歪曲がなされ、そこから暗に「プロレタリアートはそのままでは革命の主体ではなく、糾弾されないと革命の主体にはならない」という結論となるのだ。

3) そして「権力、資本およびそれに屈服した一般労働者人民の差別、迫害」と、労働者を権力や資本と「同列」においている。そこには、本質的に労働者階級への不信と絶望、その自己変革的主体の否定がある。
 たしかにプロレタリアートは、帝国主義のすさまじい排外主義や差別主義に直接・間接に汚染されている。戦争切迫情勢下においては、まさに洪水のような攻撃にさらされ、のみこまれていった歴史がある。しかしプロレタリアートは同時に、日常の現実において資本と権力の階級支配と搾取・収奪をうけ、どんなに差別主義に汚染されていても不断に階級的原点にたたされ、そこから自己解放闘争に立つ以外に生きることのできない階級であり、自己解放の主体としてありつづける以外にない。われわれは、このプロレタリアートの革命的本質への絶対的信頼のうえに、一切をうちたてる。
 このプロレタリアートを権力、資本と同列においた差別糾弾闘争とは何か、が問題なのだ。もちろん労働者は自動的に差別主義の汚染・蓄積から自由になるのではない。このことは帝国主義・資本主義のすさまじい階級支配と、とくにスターリン主義と社会民主主義によって敗北を強いられてきたプロレタリアートが、真に自己の革命性を回復するうえで必要な自己認識である。このことは、まさにスターリン主義や社会民主主義などの体制内勢力を打ち倒すことで階級性を回復する闘いを不可欠とするのだ。党にとっては、まさに反帝国主義・反スターリン主義=革命的共産主義の立場と内容の鮮明化でもある。

4) ここにはかくいう仁村=与田自身の、階級の党、反スターリン主義の党、プロレタリア自己解放のマルクス主義党という主体的立場、イストとしての立場がまったくない。その立場がなく、またとくにその実践がないところで、党を階級と分離した絶対的存在においたときに、一体どうなるのか。この歪みと主体的立場からの逃亡のなかに仁村=与田のスターリン主義的組織論と官僚主義的暴力的独裁をうみだした要因があるのではないか。

5) 「身分的差別の撤廃にかかわる民主主義的要求、基本的人権の要求のエレメントを軽視したり、無視することはできない」「部落解放闘争の中にブルジョア革命の論理、民主主義・基本的人権の論理を大胆にに包摂することができれば、プロレタリア革命とブルジョア革命をかけ算にしたような壮大なエネルギーをを引き出すことができよう」
 ここにも大きな誤りがある。たしかに身分的差別の撤廃は、それ自身はブルジョア民主主義的課題に属する。だからこそ、身分的差別撤廃の闘いを帝国主義・資本主義への糾弾闘争として組織し、身分的差別をもって階級を分断し階級支配を貫徹する資本制社会・帝国主義社会を打倒し、プロレタリア革命を達成することに、身分的差別の根底的廃絶と部落解放の道があるのだ。しかしこの仁村の主張は、結局は身分的差別撤廃と部落差別糾弾闘争を、はてしなくプロレタリア解放―階級的労働運動と切断することになる。体制内の既成部落解放闘争と変わらない立場なのである。そればかりか、本質的に切断したこういう論理において、ブルジョア革命とプロレタリア革命を「掛け算する」(合流させる)ことは、まさにプロレタリア革命をはてしなくブルジョア的に変質させるものでしかないではないか。
 このことは、仁村=与田にあっては、その本質的な小ブル的な改良主義、経済主義、もっとといえば権力への投降主義への転落にいたるのだ。

(三)6回大会特別報告(部落解放闘争の綱領的諸問題)について
 6回大会特別報告は、いくつかの諸要素において、仁村論文の誤りを継承し、再生産している。とくに誤りであるのは、2章1節の「部落問題の理論的把握のための基礎的視角」にある次のくだりである。長いが引用したい。
 「今目の部落差別は、帝国主義的な階級的基礎と階級支配の一環としての階級的本質に貫かれながら、また他方では、その内在性においてとらえるならば、部落民にたいする政治的・経済的・社会的・精神的=全人格的な抑圧といった、すぐれて〈身分差別〉的性格を堅持したものに他ならない」
 「現代の部落差別は、封建的身分制度を所与の前提とし、かつそのもとで差別されてきた『エタ・非人』の被差別身分が実体として日本帝国主義の体制のもとに継承・温存されたことに現実的な存立基礎を有するものである。このことは現実の資本制社会が純粋の資本主義的要素の結合体としてのみ存在するのではなく、実際に多くの非資本主義的要素を前提とし利用し、それらを資本主義体制のもとに適合させつつ再編するものであること、またそれゆえにこそ現実の資本主義的階級支配が純粋の経済的・非人格的な諸関係にのみ立脚するものでないことを意味するのである」

1) ここでは、帝国主義は「多くの非資本主義的要素」を「前提」とすることを強調し、結局は資本主義体制の「賃労働と資本」という階級支配の基軸中の基軸がまったく相対化され完全に放逐されてしまっている。はっきりいえば帝国主義が何よりも「資本主義」であることが完全に蒸発しているのだ。
 確かに帝国主義は、国家独占資本主義政策をもって、非資本主義的要素をとりこみ、現実の階級支配の危機から延命をしてきた。だが帝国主義とは死滅しつつある資本主義であり、だからこそ賃労働と資本の資本主義的階級支配を徹底的に無慈悲に貫こうとするものである。にもかかわらず、非資本主義的要素をこのように強調することは、もはやカクマルばりの帝国主義の変質論である。完全な体制内運動の論理である。
 これでは絶対に既成解放運動をのりこえることなどできない。そしてそこには、プロレタリア自己解放の契機がほとんどふきとんでいるのであり、まさに糾弾主義、血債主義が純化するものでしかない。

2) しかも決定的なのは、いまや帝国主義の国家独占資本主義政策が破綻し、80年代からの「新自由主義政策」というむきだしの資本主義的論理を徹底的に貫徹しているときに、帝国主義体制の非資本主義的要素が強調されていることである。これは部落大衆を労働者階級から分断するものであり、帝国主義・資本主義への屈服と転向をはらむものだ。
 この点で、与田は二重の意味で、破綻している。ひとつは、時代認識・情勢認識において、帝国主義が労働者階級への階級支配を一切の政策の展開軸におくことがまったくわかっていない。同時に5月テーゼ以来、日本階級闘争―日本労働運動が現実に、動労千葉を軸とする分割・民営化攻撃という資本の論理をむきだしにした攻撃との闘いによって闘われたことを否定し、敵対していたということである。

 3)これでは決して部落差別の正しい階級的歴史的規定はできない。いやむしろ「階級支配の一環」といいながら、「身分的差別」を実際には帝国主義・資本主義の階級支配と切り離してとらえ、逆に「部落解消論」批判の形をとって、労働者階級と分断するような「政治的・経済的・社会的・精神的=全人格的抑圧」をいうことは、決して正しくない。まさに部落解放闘争を階級闘争の特殊性ではなく「例外性」におくものである。

(四)この点をさらに明確にするために、以下の研究と解明が必要である。

1) 明治国家の形成、日本資本主義・日本帝国主義の形成との関連で、部落解放闘争の諸問題を解明することがきわめて重要である。党において、明治維新論に、言及したのは「柏木論文」がある。原理的には本多書記長の「天皇制ボナパルティズム」論がある。

2) 日本のマルクス主義にとって、日本資本主義の分析、とくに明治維新をめぐる論争は決定的である。
 明治維新での旧社会(封建制―徳川幕藩体制)での分解の不徹底性と、当時の国際的な帝国主義段階への突入という世界史的条件のもとで、「帝国主義段階への世界史的推転の過渡期において、はじめて本格的な意味で資本主義的生成の途につき、しかも巨大な外的圧力にさらされながらごく短期的=速成的にその発展基軸の形成と体制的自立をせまられた日本資本主義」「ほんらい資本主義成立の根本条件をなすところの資本の原始的蓄積が、いまだ前提与件とはなっておらず、封建勢力の政治的打倒のあとでようやく本格的に追求すべき課題として残された」「本来的に資本主義の前史(先行過程)に属する資本の本源的蓄積の歴史過程が、資本主義の自由主義段階から帝国主義段階への世界史的・国際的な移行の時期に重複するという特異な歴史的条件)(柏木論文)
 いわば「日本資本主義の確立過程が資本主義的確立過程と帝国主義的成立過程が分離できずに密接に進行」(清水選集)したといえる。
 こうした明治国家―天皇制ボナパルティズム国家の独自の暴力性、凶暴性、侵略性、差別性と、それをつらぬく階級支配と階級分断が行われてきた。
3) こうした明治国家の階級的矛盾構造のもと、天皇制ボナパルティズムのもとで、内務省直轄による中央から地方にいたる極端な集権体制、天皇制権力による土地と人民の画一支配、天皇制を頂点とする極端な特権的官僚制と新たな「身分制」による専制支配、天皇制軍隊の強化、地租改正による封建制から資本制への本源的蓄積などが強行され、土地を奪われた農民などから労働者が大量にうみだされていった。
 これに対する人民の反乱は、巨大な規模で行われた。これらに対する徹底的な弾圧、内乱への鎮圧をテコとする人民支配と人民分断がすさまじく進行した。このなかで「部落解放令」がだされる。その本質は特にすさまじい人民分断としてあった。

4) このような日本資本主義の急速な形成と帝国主義への極端な反動的飛躍の過程こそ、明治国家の極反動性を形成している。
 急速な資本主義形成は、「原始的蓄積」と労働者階級の形成を暴力的に膨大に一挙的につくりだす。農民分解の激しい進行、労働者階級への賃労働と資本の階級関係の徹底的な暴力的形成とその貫徹、徹底的な搾取と収奪は、部落民との徹底的な分断と一体で進行する。ここでのすさまじい階級矛盾を外への植民地支配として突破していく。さらに内においてきわめて差別・抑圧的に(あたかも国内植民地的に)琉球処分、アイヌ支配によって、沖縄・アイヌを民族統一過程にひきこむ。
 このようにして、ブルジョア資本制国家における「単一民族」の自己形成と、初期の日本労働者階級への分断としての部落差別などという差別・抑圧構造を体制化していったのである。

5) かくして、この歴史的過程において、国内階級支配と対外侵略の決定的テコとして、帝国主義段階における身分的差別としての部落差別が封建的身分制度の維持・再編としておこなわれ、貫徹されるにいたっている。
 とくに強調すべきは、この分断攻撃における恐るべき暴力性である。幕藩体制の打倒以降、日本資本主義の形成が日本帝国主義の形成と分離できずに進行していったことは、そもそも資本主義の本源的蓄積そのものが大変な断絶約飛躍が必要であるなかで、ほとんど同時に帝国主義を形成することの独特なすさまじい暴力的飛躍をとげることとなった。このことが、身分制の維持・再編をきわめて暴力的強権的に進行させ、さらに部落差別を、労働者階級との極端な徹底的な分断として進行させていったのだ。
 したがって同じことだが、資本主義・帝国主義としての形成は、労働者階級への極限的搾取・収奪、賃労働と資本の階級支配のすさましい暴力性、強権性をもって進行していった。そこからの反乱を予防的にも徹底的に鎮圧する治安的労働者支配を貫徹するものとなった。この労働者階級の徹底した搾取・収奪と賃労働と資本の極限的支配のもとに、部落民を徹底的に再編し、だからこそ徹底的な分断も行われていった。この点で、非資本主義的要索がたんに「適合や再編」されたのではなく、賃労働と資本の階級支配と労働者階級への搾取・収奪を徹底的に強める形で、これを暴力的に糾合し、そしてそのもとで分断していくものとして行われたということである。この階級支配に対し、労働者階級を先頭に、まさに不屈の反撃が歴史的にも継続的に闘われたのである。それは労働者階級との分断をうちやぶる、労働者階級の側と部落民の側の双与の闘いの歴史である。この契機を徹底的に措定しない部落解放闘争の構築はありえない。
 この分断とその革命的階級的突破こそ、プロレタリア階級闘争と部落解放闘争にとってのきわめて意識的な闘いとしていかなければならない。だからこそ、階級内部から闘いを裏切り、分断攻撃の最先兵に転落しているスターリン主義や社会民主主義の体制内勢力を打倒して、階級的労働運動をつくりあげていく闘いが労働者階級に決定的に求められているのだ。部落解放闘争においては、既成解放運動との意識的な決別と打倒の闘いが圧倒的にもとめられている。
 これらに今日の帝国主義の危機のもとで、新たな部落解放闘争を形成していくカギがあると考える。

 ※島田論文のアプローチについて若干。その帝国主義論(70年代のそれである)的分析の歴史的限界と、対カクマル戦争のど真ん中おける綱領的路線的限定性をふまえ、その原理的把握において、今日的にあくまでも発展させるものとしてある。

 

〔X〕階級的労働運動路線のもと、革命的部落解放闘争の大前進を切り開こう

(一)狭山闘争の決定的強化。とりわけ改憲闘争との一体的強化。
 6・13弾圧にみられる全国連つぶしと「戦後レジュームの脱却」をかけた解放運動と組織の絶滅攻撃。改憲攻撃そのものである。狭山闘争解体攻撃もそうしたレベルの攻防に突入している。革命的情勢の急接近に対応した狭山闘争の日帝国家権力に対する革命的糾弾闘争の発展と、階級的団結をかためる共同闘争への飛躍をかちとる。

(二)住宅闘争の階級的戦闘的大発展  さらに住宅闘争は、1930年代のアメリカ階級闘争にみられるように、戦争と恐慌への突入と革命的情勢への接近における階級的実力闘争として、階級的労働運動の発展の有機的一環として、巨大に爆発していく可能性をもっている。また、これこそプロレタリアートとの共同闘争そのものとなっている。ここにおいて、階級的団結をかちとり闘い抜く展望を、圧倒的におしひらく必要がある。  住宅闘争は、部落民が差別と生活苦と闘いつつ、自分たちの土地を提供して建てさせた解放住宅という、闘いと同時に団結の証であるものを、奪い解体する攻撃との死闘となっている。それは、部落民の生存と団結を守る闘いゆえに「供託堅持」の階級的実力闘争としてたたかいぬかれなければならない。  それは同時に、労働者階級との共同闘争として闘い抜かれる。そこにはもっとも激しい体制内労働運動との死闘がある。なぜなら、体制内労働運動の支配のもとで、労働者が住宅立ち退きの先兵にしたてあげられることに対して、この分断をうちやぶることが決定的となるからである。

(三)階級的団結の強化、地区党の単一指導の強化、プロ独の党への飛躍へ。
 戦線の地区移行論議を同志的に進行させる。戦線同志の党そのものを体現する自己変革性。地区党のプロ独を今日的実践的に貫徹する根底的飛躍性。プロレタリア的全国単一党建設の飛躍をかちとろう。  部落青年を組織化し、獲得しよう。MWL、MSLに結集していく闘いが決定的である。全国連の建設も、そこにいっさいのカギがあり、土台がある。

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