党の変質をきわめた23全総批判

椿邦彦
07/11/18

〔I〕党の革命をさらに推し進める乾坤一擲の闘いのために

 世界革命・日本革命と革命的共産主義運動の帰趨をかけた闘いが始まっている。全同志が革命家人生をかけて決起しよう。いまや蜂起の原則にしたがって行動するときが来た。「党の革命」をさらに壮大に、大規模でやる決意を固めよう。革共同再生のぎりぎり最後のチャンスである。このままでは、革命の党、労働者の党が雪崩れ的に崩壊する。残るのは、少数のカルト集団化した革共同の残骸であり、安田同志による独裁体制である。こんなカルト的独裁体制によって革共同の歴史を消し去ることを許してはならない。真の革共同の旗を立てることが一刻も早く問われる。
 第23回全国委員会総会(以下、「23CC」と記す)では、「党中央」が、党の革命を否定し、清算するために、党の分裂と破壊を強行するという前代未聞の暴挙を行った。革共同の再生は、この暴挙に抗議し、われわれ自らの闘いで革共同を奪還することなしには不可能になった。世界危機・日帝危機が深化し、労働者人民が生きるためには改憲阻止、内乱・内戦−蜂起の大決戦に党と階級の命運をかけて決起することが必要となっている。党破壊と分裂の強行、解党主義と階級闘争からの召還を打ち破り、真の革共同を再建しなければならない。党破壊・分裂を強行した「党中央」の同志にはそれに参加する席はない。全員が自己批判し、真の革共同の隊列に復帰せよ。
 2007年11月に開催する関西党員総会は、革共同を奪還するための歴史的な闘いの出発点となった。結集した全党・全戦線の同志は、この日を期して、革共同の再生・奪還のために、決意も新たに猛烈な闘いに決起しよう。「党中央」は、焦りに焦って、勝算なしに党破壊に突っ込んできている。大義名分と勝算はわれわれにある。
 あらゆる怯儒逡巡を打ち破り、真剣な党内闘争を断固として開始しなければならない。本多同志がカクマルとの分裂を辞さずに3全総路線を貫き、日本階級闘争における首座の位置を獲得する闘いを開始したように、党が腐敗し、変質しようとするとき、断固たる党内闘争は必要であり、全同志の義務である(第6回大会の白井朗除名決議を参照、『革命的共産主義者同盟第6回全国大会報告・決定集下』p469〜470)。
 現在の「党中央」は、党の革命によって打倒された与田と長年にわたり私党的連合と結託体制を結んできた。だからこそ党の革命によって打倒されることを恐れて、自ら革共同を私党的に簒奪する党破壊・分裂強行の暴挙に出たのである。党員が自由闊達に路線・方針を討論することができない党は死滅する。スターリンが党内権力を獲得する1924年から1928年までのロシア共産党の変質過程を眼前に見るようなわが党の現実は、われわれが、党内外にわたるすべての共産主義者に決起を呼びかけることを必要とするのである。革命のためにはこの党しかない、しかしそのためにはまず革共同を奪還することが必要である。23CCの第3報告では、共産主義者の党を解体し、それに「労働者の党」や「階級指導部の形成」を対置している。ブレアのイギリス労働党やドイツ革命敗北の最大の責任者であるオブロイテが泣いて喜びそうなネーミングではないか。「党は階級そのものである」「党の階級移行」なる解党主義と召還主義を断固として粉砕し、のりこえて、武装し戦う革共同を奪還しよう。
 党の革命に反対した同志にたいしても、われわれは決起を呼びかける。今回、関西でわれわれを攻撃している同志も、与田・遠山に組みして、党の革命に反対し、敵対した同志がほとんどではないか。もちろん、「党の革命」に反対した同志も、自己批判と再生の闘いによって革共同の隊列に復帰することができるし、復帰すべきである。党内で徹底的に闘わないで、党の外から批判するようなあり方も間違っている。しかし現在、「党中央」が、われわれも、いわゆる「平田派」にたいしても、永瀬・川添などの諸君も一緒くたにして、「権力のスパイ」扱いしているような態度をわれわれは取らない。真の革共同を奪還する共同の闘いを始めようではないか。

〔U〕党の革命を最後的に否定・清算する23CC

 23CCの最大の特徴は、安田同志による革共同の簒奪とその決定的変質の完成にある。23CCこそ、党破壊と私党集団化の完成であり、党の革命を否定する逆3・14、党の革命派追放のクーデターであった。
 会議のあり方自体が異常であった。安田同志が、実質的基調となる長広舌を2度にわたって振るっている。
 「国労共闘をつくったのが俺の最大の失敗」だった。だから、この場で即、解散しろという傲慢無礼
 「(わが党は)デパートじゃないから、諸戦線なんか、力をもってからやればいい」  という戦線抹殺論。
 「昨晩関西の労働者組織委員会を結成することを決めた」。いったい誰がどういう権限でつくったというのか?安田同志が一方的に指名する「関西の指導機関」。
 「4大産別すべてうまくいっていない。……クビを覚悟すべき、クビきりなんて資本・当局の恫喝だけだ」なる空論主義と無責任。
 第2の特徴は党の革命を否定するための「党内闘争」の宣言の場となったことである。関西から選出されていた全国委員の4人の出席停止と、党の革命を裏切った1人の同志を所属組織で否決されたにもかかわらず参加、発言させた。また、関西から参加した同志には、東大阪選挙への全党決起のアピールとその勝利で、「党内闘争に断を下す」と発言させている。選挙を革命的議会主義の勝利としてではなく、「党内闘争」のための手段とする意図が露骨に出ている。党の革命を推進した「関西の一部指導部」批判の大合唱が組織された。その中には、「関西の一部指導部」を指して「反革命」と規定したものもあれば、それとの闘いを「党派闘争」と表現したものさえある。
 第3の特徴は、革共同内部の「体制内労働運動派」たたきが徹底的に行われたことである。後に述べる「動労千葉労働運動への特化」論に賛成しない、できないすべての古参同志にたいする打倒主義的な批判が同じく大合唱として行われた。
 総体として23CCは、安田同志と党中央信奉者の「忠誠誓約大会」となったのである。
 内容的にも、党の変質・腐敗が頂点にまで高まっている。「革共同の死滅」と言わなければならない事態である。
 第1に改憲・ミリオン、沖縄・三里塚など階級闘争の決戦課題を完全に後景化させたことである。第1報告において、原報告では「百万署名運動」と書いてあったものを、『共産主義者』に掲載するにあたって、「大衆的署名運動」と書きかえている。ミリオンの抹殺である。政治闘争をやらない、できない党への転落である。
 第2に、デマと私党を組織し、党内の反対意見の持ち主を叩くために、非組織的「処分」「処置」を乱発していることである。何よりも、弾圧問題でのデマ(後述)を手段に、「関西一部指導部」追放を図っている。また、関西と戦線をたたくことから全国の4大産別そのものにまで、打倒と排除を波及させている。決定的には、対権力や差別問題で見境がなく、党の原則、革命の大義を平然と踏みにじり始めたことである。除名決議の本名での発表、しかも3人については本名と組織名とを照合できるようにしている。除名した者は権力に売り渡しても当然という態度ではないか。現に9月に行われたある産別部会で、その責任者が、弾圧を受けている当該細胞の責任者に、弾圧の原因をつくったのだから、今回の弾圧は「自業自得だ」という発言を行った。権力の弾圧にたいしてともに闘うという立場とは無縁のこの種の発言を生み出しているところに23CCの本質が現れている。さらに党内から部落解放運動にたいする差別的暴言を生み出したことを「路線論争」だと開き直り、党中央自ら糾弾闘争の圧殺にのりだしている(後述)。わが革共同が差別集団に転落しつつあることを許しているおぞましい現実につき、部落解放闘争をはじめ、すべての被抑圧・被差別人民の解放のために闘っている労働者人民・同志に謝罪し、プロレタリアート解放の不可欠の課題として差別・抑圧と闘う革共同をともに奪還することを呼びかける。何よりも党中央の同志にお願いする。党内権力闘争の観点や党内手続き論を理由にこの糾弾を圧殺してはならない。そうすることはプロレタリア革命の党としての革共同の死だ、
 第3に、党の革命を否定、清算しようとしていることである。共産主義の革命党の基本的構成実体である「自立した共産主義者」論を否定し、労働者細胞が中央委員会と同格・同質であるという党の革命が勝ち取った革命党組織論の核心を投げ捨て、党内民主主義を完全に圧殺しようとしている。これを受けた「全国労働運動研究」9月号にいたっては、「アンデスにもかかわらず革共同が階級的労働運動路線で前進している」と「党の革命」を文字通り否定の対象としている始末である。
 第4の番目の、実は最大の問題は「動労千葉労働運動への特化」論である。動労千葉の防衛(という名目での安田同志の自己防衛)に党と革命運動のすべてを従属させる。第2、第3の動労千葉を目指す組合権力奪取の闘いも、力がないといって放棄し、職場闘争は『俺鉄3』の学習会とDC物販だけ。一言で言って、労働運動・労働組合運動からの完全な召還である。ブルジョア経営の用語である「特化」を階級闘争に持ち込むこと自体、論外のことであるが、そもそもこの言葉は生物学では、特殊な環境に適応しすぎ、発展の可能性を失い、環境の変化とともに衰微し、滅亡するという進化論上の意味があることすら知らないのだろうか。これと一体のものとして、「内なる体制内労働運動打倒」論がある。体制内派とは連合幹部でもダラ幹でもない、わが党の内側にいるとする。社民主要打撃論、というより内々ゲバの紅衛兵運動の組織論である。

〔V〕弾圧問題を口実に党の革命の解体を図る安田派中央

 現在の最大の問題は10.8「関西労働者組織委員会(WOB)」開催の強行である。以下の点を究明することを通して、「関西WOB」なるものは、「党の革命」を粉砕し、その指導部を打倒するための機関であることが明らかになった。
 何よりも、規約違反である。同盟規約第3条は、細胞と全国委員会が基本組織であり、そのうえで党の地区的系列があり、さらに「各級機関の指導のもとに、小委員会として労働者組織委員会、……を組織する」と位置づけている。これは、カクマルとの分裂をかけて3全総以来守り抜いてきた地区党・地区系列を基軸とする組織原則である。これを真っ向から否定しているのである。さらに「政治局に準ずる中央指導機関としての中央WOB」「中央が主催する『関西WOB』」「これが各地区まで指導する」にいたっては、中央による党の分裂・破壊そのものである。指導系列の二重化、中央集権的民主集中制の破壊、関西地方委員会の破壊と解体、これらすべてを、関西地方委員会と現に存在する関西労働者組織委員会の多数の反対を押し切って強行したことは、決して許されるものではない。

 構成の問題―現実に労働運動の新しい地平を切り開くために苦闘している府県委員会や産別を排除して、指名した当該の同志にすら事前に打診していない。位置づけの提起さえせず、人選・設置の確認を迫るクーデター的やり方でつくられたWOBなるものは、関西の労働運動・革命運動の指導機関とはなりえない、資本・権力に投降・屈服する解党主義・経済主義・合法主義の党へと変質させるものとなりかねないものである。  23CCでは、6月弾圧で関西の「一部指導部」が略式命令を受け入れたとして、完黙・非転向の思想を放棄した、権力への投降であると口を極めて批判している。この弾圧の最初から何の関心も示さなかった「党中央」が略式命令問題が出てきたとたんに、この問題を「関西一部指導部」打倒のために利用しているのである。しかし、党の団結を破壊し、反弾圧闘争を妨害したのは「党中央」であることを事実に即して明らかにしなければならない。
 第1に、略式命令を地方委員会指導部が全国連やM同志に「おしつけた」とか、「引き込んだ」という事実はない。「心ならずも応じる」「ぜひともそれでお願いします」という当該同志・主体の意向と、その後の完黙・非転向の闘いの貫徹によって弾圧の拡大を阻止できるという見通しから、やむをえずその現実を受け入れたのである。しかもこの問題を最初に問題にした7月10日の地方委員会の会議では、略式命令は権力の主張がそのまま証拠として確定するのだから問題がある、方針として取るべきものではないという地方委員会指導部の提起にたいして、臨席していた政治局のKM同志は何の問題も指摘せず、沈黙していたのである。略式命令を方針として追認したのは「党中央」であり、KM政治局員ではないか。このような党内外情勢の中で、困難を極めたとはいえ、略式命令を受け入れず、本裁判をあくまで構える可能性を最後まで追及する努力を、当該同志・主体と一体となって最後まで追及しなかった点は、関西地方委員会の弾対指導に責任があった。この点を、部落解放運動および病院関係、ならびに全党員同志にお詫びする。私自身と地方委員会の再生をかけて、完黙・非転向、戦時下の内乱的階級闘争の勝利をかけた反弾圧闘争を指導しぬくことを表明したい。
 第2に、この弾圧を部落解放運動つぶしとしてかけてきている権力にたいして、党と部落解放運動・全国連との関係を破壊し、弾圧を受けている全国連・中田書記長と党との正常なコミュニケーションさえ取ることができなくした責任は「党中央」・政治局にある。党の革命について、全国連からの質問があった。これについて、昨年の6月、関西地方委員会は、与田の問題は、部落解放運動・全国連の責任ではなく、党が生み出した腐敗であり、革命運動の破壊であるから、党を代表して政治局が全国連にたいして謝罪し、党への信認を再獲得すべきであると主張した。これを当時の政治局は拒否して、その後、全国連大会にすら出席しないという態度を取ってきたのである。さらに今年4月の杉並選挙にあたって、政治局のKM同志は、「中田書記長が結柴・新城を支持している」という文字どおりのデマを、党のあらゆる会議で言いまくった。さらには今回の弾圧以前の6月段階から、中田書記長を「キレ」とか、「ぶっ飛ばせ」と、これも党のあらゆる会議で主張しつづけてきた。このような形で全国連および中田書記長と党との関係を破壊しておいて、関西の党および救対が、全国連を略式命令も拒否する立場に獲得できないと主張しているのが「党中央」なのである。もちろん、関西地方委員会の指導部も、党と全国連との革命的な信頼関係の確立について、このような「党中央」を何としても説得して、関係確立の共同の努力を行う必要があったし、その点の不充分さは徹底的に自己批判する必要がある。現在までこの問題を党内問題として解決することに努めてきたが、「党中央」が、自ら破壊した全国連および中田書記長との関係を、反弾圧闘争での「関西一部指導部」打倒のために使うことは、これ以上許されない。しかがってこの点での事実経過を今後、党内外、とくに全国連の諸君にたいして明らかにしていくことを宣言する。
 第3には、病院拠点への弾圧では、病院の細胞委員会や労組が必死になって大衆的に反撃し、当該の労働者や家族を支えきって完黙・非転向の闘いの勝利を獲得した。これについて「党中央」は、病院の反弾圧闘争が「混迷している」とか、「総括を認めない」とか言ってきたのである。この弾圧過程で、病院の一部理事が、権力の任意呼び出しに応じて出頭して、「病院は業者の犯罪の被害者であることを申し立てる」という方針を取った。完黙・非転向をこれほど踏みにじる行為はないし、弾圧の拡大をもたらす重大な投降方針であった。さらに「業者の犯罪」という形で、部落解放運動の闘う主体を権力に売り渡しかねない行為である。KM政治局員は、病院細胞や関西地方委員会には最近まで隠してこの理事と連絡を取り、一致して関西地方委員会指導部・救対・病院細胞にたいする批判を行いながら、当該の理事にたいして何の批判も行わず、「丁寧に獲得すべき」だと主張してきたのである。なぜこのような反弾圧闘争の破壊活動を「党中央」が行ったのか。病院担当の常任として弾圧闘争に仁王立ちして闘ったMR同志を病院担当から解任せよと主張していること、「党中央」が病院を直轄指導する意向を示していることと合わせて考えると、与田と同じく病院を利権の対象とすると考えているのではないかとさえ考えられる。今まで、党にたいする信認を破壊するので明らかにしなかったが、歪んだ党内権力闘争のために弾圧問題を利用する態度を党中央がつづける限り、この問題の事実経過を党内外に暴露することを表明しておく。
 略式命令について、23CCやそれと関連する関西批判文書では、次ぎのような論理で「関西一部指導部」を批判・打倒しようとしている。@略式命令は司法取引であるAこれに応じることは完黙・非転向を破ることであるB権力との妥協・取引は一切行うべきではなく、それを行った者は、党員は除名、大衆運動のリーダーであっても追放すべきである。Cそれを行わない関西一部指導部は、合法主義・解党主義に転落した。@からCのすべてが間違っているので、以下に明らかにする。
@「略式命令」とはアメリカとイギリスにのみある「制度」であって、刑を減免することと引き換えに、本人の供述を法廷において証拠とすることができる制度である。日本の刑訴法では、改悪された後も、このようにして収集した証拠は任意性の点で証拠能力がないとされ、証拠とすることはできない(刑事訴訟法319、325条)。それにたいして略式命令とは、検察官提出の資料のみで口頭弁論を経ずに100万円以下の罰金等を課す簡易裁判手続きであって、司法取引とは関係がない。
 日本で米英の司法取引に相当するのは、略式命令ではなく、むしろ示談が該当する。
 これは金銭等で被害者に弁済することと引き換えに司法当局に示談書を提出して、刑の減免をしてもらうことである。「略式命令など中央指導部、および本社救対は行ったことがない」というが、この示談での「解決」は中央自身がしょっちゅう行っているではないか。司法取引をしょっちゅう行っているのは「中央指導部」、本社救対なのである。また例えば「破廉恥犯」(権力によるでっち上げで窃盗罪とか詐欺罪で逮捕・起訴されることが過去に何件かあった)などで同志や大衆が逮捕された場合、どうするのか。「党中央」と本社救対は、みずからは、いっさい係わらずに、いわゆるブル弁に事件を丸投げしているケースがいくつかある。その結果は、ゲロが出たかどうかも、そしてその内容もつかめなくなる。もちろん当該同志の再獲得など不可能である。弾圧の波及を阻止することもできない。略式を受け入れなくてはならない現実と格闘することがないから、「党は、略式を受け入れたことがない」などとキレイゴトがいえるのである。
A略式命令に応じることは完黙・非転向を破ることではない。現に、関西の今回の弾圧では略式命令への応諾書に署名する際救対の指導で一切の供述に応じないこと、およびその後の任意の取り調べや裁判での証言も行わないことを確認している。完黙・非転向を貫いているのである。応諾書に署名したことが完黙を破ったと言うなら、示談書を提出することはさらなる屈服ではないか。裁判で人定質問に応えることはなぜ許されるのか。
B権力との妥協・取引は一切行うべきでないなどと主張する者は本当の革命家ではない(妥協について、マルクス主義の立場を述べているレーニン『左翼空論主義』を熟読せよ)。このように主張する同志は、選挙や議会活動、裁判闘争などを一切行わないとでも言うのか。裁判でも、被告人質問を行うことや証人訊問を被告自身が行うこと、アリバイ証言を行うことは、権力との取引ではないのか。このようなことをすべて拒否するのは、国家権力の存在を観念的に否定して、現実の闘いから逃亡するエセ革命家に過ぎない。完黙・非転向の闘いは、思想的確認や行政処分の基準としてではなく、実践的・運動的に貫徹しなければならない。問題は、完黙が困難な、またはできないケースが出てきたときにどうするのか、である。われわれは、まずその現実を真っ向から認めて、必死に格闘して、その同志ないし大衆を再獲得し、組織(党と大衆組織)と当該のメンバーを権力から防衛することに全力を挙げる。ところが、「党中央」は、この「現実を認める」「受け入れる」ということを、「方針として」「思想として」受け入れた、または認めたとすり替えて、「一部関西の指導部」の権力への屈服とか、投降主義という非難を行っているのである。

 完黙できない党員は処分し、大衆(リーダー)は追放せよ、という「党中央」の「原則」は何をもたらしているか?われわれの政治的な刑事裁判では、裁判で敗北する多くの原因が、ゲロ・転向、でっち上げ調書と証言、などである。関西で、6.4裁判、垣端裁判、橋本裁判、寝屋川裁判など多くの重要刑事裁判で勝利したのは、完黙を単なる思想的確認や、行政処分の基準とするのではなく、実践的・運動的に貫徹する死活的課題として位置づけ闘ってきたからである。当然のこととして、完黙できなかった同志は、必死で再獲得して対権力の闘いの第一線から絶対に引かないでがんばらせ、勝利させてきた(それによって党の勝利に転化する)。例として、ゲロによって10名を超える指名手配が出たT弾圧については、関西の救対と弁護士が現地に張り付いて、大敗北を逆転し、勝利に導いた。自分は手を汚さないように、このような弾圧にたいする責任を取らず、完黙できない同志は処分・追放せよとわめく「党中央」の指導が、いかに悲惨な敗北をもたすか、今や、全党員が真剣に検討すべきである。このことは、党員や大衆を大事にして、弱点があり、権力に屈服したメンバーも全員を獲得して、決起させるのか、党員大衆を将棋の駒のように扱うブルジョア組織思想と官僚主義かの違いである。
C23CC第1報告は、「関西の一部指導部」が「国家権力との闘いよりも中央打倒闘争を上におく活動形態にのめりこんでいった」「国家権力による弾圧の開始にたいし、権力への屈服・投降を指導するという重大事態を引き起こすまでに変質をふかめた」と書いている。でっちあげ、フレームアップ、スターリン的で、党内の反対意見の持ち主は「権力のスパイ」「投降分子」というのと変わらない。また「関西の一部指導部は、06年12月から開始された日帝・大阪府警による『党の革命』粉砕を狙った弾圧を主体的に受けとめず、2〜3月弾圧を放置し、6月弾圧で屈服してしまった。関西の同志と党中央が7月弾圧に一体となって反撃することで、『党の革命』をぎりぎりのところで防衛することに成功した」とも書いている。すべてでたらめである。まず弾圧は、昨年12月から始まったのではない、それ以前から暗闘があった。党の革命の際に出した「緊急アピール」自身が、権力の弾圧の切迫性を訴えているし、関西地方委員会は、党の革命以降この立場を一瞬も放棄したことはない。2〜3月弾圧を放置したなどとはとんでもない。管検弾圧で全員を完黙で奪還した闘いに兵庫県委員会・救対・党の弾圧対策委員会は全力をあげていたし、権力のよびだし攻撃が始まったことへの対応が死活的に問われた。逆になんの指導も係わりもせず、反弾圧闘争の妨害をこととしていたのが「党中央」ではないか。縷々先述したように、6月弾圧に屈服したなどというのもでたらめである。とくに7月以降、弾圧との闘いを妨害し、困難をもたらし、関西の闘う団結の破壊に奔走していたのが「党中央」ではないか。
 「党中央」には、ともに権力と闘うという同志的立場がどこにもない。「関西一部指導部」打倒のため、権力の弾圧を奇貨おくべしととらえてきたではないか。背後から鉄砲を撃つとはこのことである。病院弾圧を「自業自得」と言った中央指導部の存在、さらに「出頭」を方針化してきた○〇同志との秘密交通(この事実はKM政治局員が認めた)などが、その証拠ではないか。総じて許しがたいダブルスタンダードと、権力との闘いを「党内反対派」狩りに利用する見境のなさである。

〔W〕7・7思想の破壊と党の差別主義への転落を阻止せよ

 7月テーゼは、7・7思想の切り捨てであり、連帯し内乱へ、などの党の綱領的総路線を否定するものである。労働者階級を革命から引き離し、賃労働・資本関係の内部だけで闘うことを主張する経済主義そのものであり、差別と闘わない労働運動を主張するものである。革共同の原点・綱領性の否定であり、純粋プロレタリア革命論というよりむしろ、プロレタリア革命・プロレタリア独裁の否定、内乱・内戦−蜂起の否定である。
 今やそれが、広島で起こった部落差別問題について、事実確認と糾弾を「実力で阻止する」という糾弾撲滅運動まで生み出している。このことについて、関西地方委員会は、この差別を、個別の党員・学生の同志が行ったものとしてではなく、党そのものが差別集団に変質しつつ現実として真っ向から受けとめ、革命党としての革共同の再生をこの一点にかけて決起する。中央指導部の同志に根底的な自己批判と党としての責任を果たすことを心の底から要請する。
 部落民が差別と闘うとき、糾弾は人間解放をかけたもっとも基本的闘いである。部落民・一般民を問わず何らかの組織に属して闘っている現実の中で、帝国主義の差別社会のもとで、組織内的解決や手続き論などをもって差別糾弾を圧殺することは許されることではない。革共同を、あらかじめ差別から解放された組織、糾弾を受ける必要がない特権的な組織と考えること自体許されないことである。これこそ党を階級の上におき、階級から疎外する悪質な差別主義であり、官僚主義である。
 事実確認会さえ拒否している現実の中で何が問題か、何が差別か、党内に公式に配布されている文書から確認しておく。
 第1に差別問題、差別糾弾闘争を「7月テーゼ」をめぐる路線論争にすりかえていることである。「7月テーゼ」を討論や反論の余地のないものとして、それに関連した糾弾闘争を認めないという立場に、一体どこに、プロレタリア解放=人間解放の立場があるのか。
 第2に、事実確認や糾弾を行うこと自体を、糾弾主義・血債主義で、与田と同じと批判していることである。これこそ部落民被差別・被抑圧人民の生きるための人間的な闘いを否定するものである。
 第3に、極悪の差別文書である当該戦線の指導者であるNJ同志自身の発言として、「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない」「新しい体制にすべきだ」と言ったとある。しかもそれに抗議すると、「戦線の利害代表者として活動している」と批判するのである。相手には批判を認めず、自分は相手組織の人事にまで介入する。一体このどこに共産主義者として、全人民獲得の立場があるのか。
 第4に、また、自分の母親が「視覚障害者」であることをもって、自分自身も「被差別民である」として、糾弾に向き合わなくてもよいとするのは、最大の差別行為である。
 最後に、同じくNJ同志自身が自分の発言と認めていることであるが、「相手にたいして全面的な自己批判と謝罪を要求する糾弾という行為は、それ自体相手の人格を否定する行為ではないのか」と言ったという。これこそ糾弾闘争を圧殺する最大の差別ではないか。部落民の人格はどこにあるのか。視野にさえないということか。
 以上の結論。7月テーゼがついにこのような恐るべき差別と、糾弾闘争の圧殺を生み出したのである。革共同の革命性をかけて、7月テーゼ撤回のための闘いを党内の全同志の力で勝ち取ろう。この問題を、党内権力闘争の観点でもってとらえるのは絶対に間違っている。党中央は、第2の7・7の気概をもって、差別犯罪を直ちに中止し、部落差別にたいする真摯な自己批判と7月テーゼ全面撤回の立場を一刻も早く明らかにせよ。
 7月テーゼが、革共同の7・7思想を決定的に歪めていることを示している『前進』F2315号五十嵐茂生論文を批判する。
 §1 「革命の主体として労働者が登場した」。「極限的に搾取を激化する以外にないほど資本主義は末期的なのだ」「労働者人民は積もりにつもった怒りを爆発させ安倍政権を打倒した」「連合、全労連などの体制内労働運動…と真正面から激突し、これをぶっ飛ばしていく」。革命運動としても、労働運動としても、空論主義と召還主義の典型である。職場細胞を堅忍不抜に建設し、具体的な職場・産別の状況に応じた組織戦術・闘争戦術を生み出していく。そこに労働者共産者の任務がある。この筆者にはそのように労働者党員の苦闘を共有する立場がまったくない。
 §2 「労働者自己解放に人間解放の普遍性」。プロレタリア自己解放、プロレタリアートの自己変革、それによって被差別・被抑圧人民との間で信頼と団結をつくりだしていく、さらに被差別・被抑圧人民の側からの結合・一体化は書いてある、しかし7・7思想の核心である被差別・被抑圧人民の自己解放性、党と階級にとっての差別との闘いの戦略性については何も書いてない。また「与田ら一部指導部」は血債主義、糾弾主義で、「5月テーゼ路線」と「単一党建設」に敵対したという。さらに諸戦線は「歪んでいた」というニュアンスで、「マルクス主義の弱さ」「マルクス主義の立場に立ち切れなかった」、「『党の革命』は諸戦線の革命的再生をもたらす最大の援助」と言う。諸戦線は「党の革命」の主体ではないと露骨に言っている。関西の戦線に属する労働者党員と常任は「党の革命」の先頭に立ったこと1つとっても、そんなことはデタラメだ。手前が「党の革命」の傍観者以下だったことを自認しているだけではないか。
 §3 「国際連帯を開いたDC労働運動」。「動労千葉が7・7思想を豊かに継承・発展させてきた」「7・7思想の最高の到達地平として11月労働者集会がある」。一言で言って、夜郎自大、牽強付会、自己満足である。また帝国主義の世界支配で抑圧民族と被抑圧民族に分断されているが、労働者は単一であるとして、プロレタリアート自身が分断されていることを無視している。これでは血債の立場、連帯し内乱への戦略的総路線、排外主義との闘いをプロレタリアート自身の課題とできない。しかも分断を打ち破るのは「国際プロレタリアート人民」というあいまいなものにし、「血債的立場」に立つべきは「帝国主義抑圧民族」とする。民族解放、民族的差別・抑圧からの解放の主体がプロレタリアートであることを徹底して無視している。スターリン主義も労働者自己解放の否定、労働者のうえに党を置いたことのみを断罪しているが、民族問題におけるスターリン(主義)、大祖国防衛戦争におけるスターリン(主義)への批判がない。
 §4 「単一の階級としての革命に向けての団結」。日米韓の労働者階級がイラク侵略戦争を媒介に階級として結合し、団結したことが画歴史的という。しかしそんな一般的国際連帯ではなく、自衛隊のイラク派兵を具体的に阻止する闘い、および朝鮮侵略戦争に日本労働者人民が闘えるかどうかが本当の試金石である。対北朝鮮排外主義や総連弾圧、独島問題について一言も書いていない、それどころか入管論文でありながら、全編を通じて、入管闘争的課題についてなんら触れていない。また7月テーゼを引用して、「労働者階級の特殊的解放が、同時に全人間の普遍的な解放である」と書いているが、特殊的解放が同時に(即)普遍的解放になるわけがない、条件・出発点となるだけだ。賃労働・資本関係にいっさいの闘いを閉じ込める暴論。また他の諸階級・諸階層人民の「階級移行」という表現について、被差別・被抑圧人民について言っているとすれば、一方的に、同化や融和を迫るもので、認められない。実体的にも被差別・被抑圧人民の圧倒的部分はプロレタリアートである。

〔V〕安田同志の暴走に断固として抗議する

 安田同志は党を私物化し、動労千葉防衛に一切を従属させ、革命運動を決定的に変質させている。そのことを、交流センター全国運営委での提起から明らかにする。
交流センターにたいする私有意識
 「89年の結成は」「私と佐藤芳夫さんが話し合ってトップダウンで決めた」
 「もう解散しようと考えたこともあった。…こんな組織は無用の長物だ」
 「(11集会に集まった交流センターの労働者を見て、米韓の労働者から)そういう組織を動労千葉が持っていることをうらやましがられた」
 「(交流センターは)動労千葉の国鉄分割・民営化反対ストライキを軸にして形成されてきた」
 交流センターは自分がつくったのだからいつでも自由にできる、いつ解散してもよいと、大衆組織としての自立性など無視する「私有意識」が露骨に出ている。
空語的決意主義
 「今年の11月集会は、教育労働運動のひとつの画期になる可能性がある。日本中の闘う教育労働者を全部結集させる可能性がある集会なのです。」
 「交流センターの中心的活動家の皆さんの方がその(11月集会の)大きさをまったく分かっていない」
 「問題はすべて、自分の問題、主体の問題なのです。」
 「皆さんは、まだ退路を断っていない。」
 本質は、労働運動と職場闘争からの召還主義、動労千葉労働運動への特化と11月集会以外は何もやらせないし、できないようにしている。
社会ファシズム論的な「体制内労働運動」論
 階級的労働運動を標榜する総評、民同、社会党左派こそ体制内労働運動
  75年スト権ストで「8日間も電車を止めることを政府や財界が認めたのは、体制内労働運動だから」論、だから総評労働運動はスト権ストで終わった、分・民化反対闘争をできなかった、という。
  国労、協会派、CP、カクマルはすべて当時は「階級的労働運動」
 スト権ストに決起した労働者の思いなど無視している、これではスト破りに奔走して労働者の怒りでぶっ飛ばされた当時の日共と同じではないか。いや、労働者が革命的闘争に立ち上がるのは権力にそそのかされたものというカクマル思想そのものではないか。動労千葉防衛のためには革命の原理さえ投げ捨てるものだ。日本の労働運動の金字塔というべきスト権ストを、「権力がガス抜きのためにやらした」ととらえること自体、日本の労働運動全体を獲得する立場にないことを示している。安田同志は、体制内労働運動どころか、バリケードの向こう側に行っているのではないか。
「自らの内なる体制内体制内労働運動の打倒」論
「〈体制内労働運動との決別〉に反対するという寝言を言っている諸君たち」
→明らかにKUN同志を罵倒している。非同志的もきわまっている。
「体制内労働運動とは何か。今あるがままの企業内組合でしょう。」
→3全総や陶山さんはこんな理解を断固否定していた。ほとんどの組合、とくに民間大企業では「企業内組合」である。それでも、戦後革命時の工場委員会的機能を持つものとして、革共同はこれをも戦闘的に再生させることに全力を挙げてきた。あらかじめダメとはしなかった。
 「〈体制内労働運動との決別〉というのは、既成の労働組合運動から決別するということではなくて、自ら脱皮するということです。」(p4)
  →組合からの「飛び出し」として理解されていることにたいする「訂正」として言っているつもり、同時に動労千葉だけが体制内組合ではないという「弁明」
「時代認識」なるものについて
 サブプライムローン危機の分析は、扇動的にはうまい。しかし敵は危機で、弱いことの一面的強調になっている。ここから次ぎのような「方針」が出る。
 「敵もわれわれも、戦後的あり方からの脱皮が問われている」「(安倍は)『戦後レジームからの脱却』と言っていますが、彼自身が脱却し切れていないんです」「我々が変わり、自分のあり方を変えなければいけない」
 根拠も方向性も提起せずに、とにかく変わればいい、という、クリントン元米大統領の”Change!”と変わらない。焦りと空論主義の典型、
11月1万人結集オンリー主義
 「我々は勝負できるのです。組織もあり、力もあり、仲間もいる、方針もある。方針は鮮明、それが11月1万人結集です。」
 「11.4に1万人集まったら、労働運動に地殻変動が起きます。」
 「11.4に1万人集まるかどうかが歴史を決める」「21世紀を決める」
 「4大産別と青年労働者の結集が勝負」
 「今年は、オルグしないで1人でくるのは禁止令を出します。」
 国労にとって、5.27闘争を旧来の枠組みを超えて発展させるには1万人結集が必要、「他の産別も同様」と我田引水もいいところ。
 「闘おうと思っても、どこで闘っていいか分からない状態に日本の労働者は置かれています。そのために、さしあたり小なりといえども、11月日比谷に1万人集まってその力を示そう。」
 11月に向けて、何をやるのか、それは職場の力や党と労働組合の戦闘的団結の前進である。11月で何を勝ち取るのか、それは地域・産別での具体的闘いの構築、労戦における大勢力の建設を軸とした統一戦線である。以上のような具体的方針が何もない。これでは3労組に訴えるものさえ何もない。米韓の労働者については言及さえしていない。結局、3国・3労組連帯というのは、動労千葉防衛のための「ダシ」に過ぎない。こんな態度では11月も今年で終わる。

 結論―安田同志の、党・交流センター・動労千葉そのものにたいする俗物的な「私有意識」が露骨に出ている。「高転び」目前の状況である。今までは、「取り巻きイデオローグ」が周辺にいたから、「マルクス主義」のレトリックで適当にごまかすことができた。しかしここでは露骨な形でそれが出ている。港合同の大和田委員長や関生の武委員長らはもっと謙虚で、しかも権威がある。さらに古参の労働者党員を、若者の応援団のように扱うことは党を決定的に腐らせる。また常任を召使のように見なしている。職業的革命家として鍛えなければならない彼らを、労働組合の書記以下の存在としか扱わない。党を腐らせている張本人が安田同志であることは鮮明である。レーニンの『なにをなすべきか?』から共産主義の原則を再確認しておこう。安田同志がそれにいかに反しているか、じっくりと見すえてほしい。以下引用のページ数はレーニン全集第5巻のものである。   職業革命家に自分をそだてあげる能力のあるものが、学生であろと労働者であろうと、それはどちらでもよい。」(p497)
 「『純労働運動』の味方たち、プロレタリア闘争とのもっとも緊密な、もっとも『有機的な』結びつきの礼賛者たち、あらゆる非労働者的インテリゲンツィアの敵対者たちが、自分の立場を擁護するのに、ブルジョア的な『純組合主義者』の論拠にたよることをよぎなくされている」(p404)
 「階級的・政治的意識は、外部からしか、つまり経済闘争の外部から、労働者と雇い主との関係の圏外からしか、労働者にもたらすことができない。この知識を汲みとってくることのできる唯一の分野は、すべての階級および層と国家および政府との関係の分野、すべての階級の相互関係の分野である。…労働者に政治的知識をもたらすためには、社会民主主義者は、住民のすべての階級のなかにはいっていかなければならない、自分の軍隊の諸部隊をあらゆる方面に派遣しなければならない。」(p451)
 「社会民主主義者の理想は、労働組合の書記ではなくして、どこで行われたものであろうと、またどういう層または階級のかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察の横暴と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ、一つ一つの些事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を万人のまえで叙述し、プロレタリアートの解放闘争の世界史的意義を万人に説明することができる人民の護民官でなければならない」(p452)
 安田同志の問題点は、差別問題、7・7領域の切り捨てにおいて、もっとも犯罪的な形で現れる。何よりも組織原則とか「階級的労働運動路線」の名で、糾弾闘争を圧殺することである。差別襲撃的言動、糾弾撲滅運動的な行動が安田同志の本質としていまや析出しつつある。「糾弾という行為は、相手の人格を否定する行為なるNJ同志の発言は、安田同志の思想、安田同志の指導そのものではないか。自分を、差別問題や、指導・被指導の緊張から無縁のところにおいて、無責任な言動を繰り返す安田同志をこれ以上許してはならない。党細胞の運営や地区党建設など一度も真剣に行ったことがなく、ブルジョア権力政治的手法を党内に持ち込んで、党を破壊しまくっている現状はもはや一刻も放置できない。

 階級情勢の基本的特徴と党の任務について簡単に確認しておきたい。
 参院選の結果は、労働者と農民の階級意志の巨大な地殻変動が始まっていることを示した。中曽根の国鉄分割・民営化以来、そして決定的には95年の日経連プロジェクト報告以来の格差拡大、労基法改悪、東アジア経済圏、「大農業経営」という農業破壊、さらに決定的には改憲・軍事大国化攻撃―これにたいして労働者・農民の怒りが沸沸とたぎっているのである。「2大政党論」「生活第一」の主張を掲げて参院選で「勝利した」小沢・民主党は、参院選で約束したものを反故にすれば、一挙に極小派に転落することは確実である。
 安倍辞任―福田継承で始まった改憲をめぐる内乱的激突の開始、解散・総選挙は不可避になった。地殻変動的な労働者・農民の怒りにたいし、危機的な福田「背水の陣」内閣で、当面「改憲、構造改革死守」体制を敷く。しかし次ぎの総選挙の結果如何で、麻生・日経連内閣で「自民党地域農民派閥排除」で突っ走るか、さらに小沢政権の成立、国連主義で強暴な対米対抗の改憲突撃路線(小沢は、アフガニスタン・ISAFへの自衛隊地上軍派遣に反対する民主党員は「除名だ」と言った)か、労働者人民の内乱的決起で一気に3年間の改憲決戦を切り開き、階級関係を塗り替えていくか、革命的激動期がいよいよ始まる。安田同志派「党中央」は、福田体制下の攻防を、「疑似的二重権力状態」という。衆参両院の多数派がねじれていることをこう表現しているらしいが、論外の認識である。「労働運動の力で革命を」というサンディカリズムそのもののスローガンから今や、「労働者が社会の主人公だ」「労働者に権力をよこせ」なる、議会主義以下のスローガンを唱和している。「労働者が社会の主人公」なら暴力革命、プロ独など必要ではない。権力はブルジョアジーに要求していただくものとなる。
 11月4日、小沢が民主党党首を辞任表明。小沢は、参院選直後の8月3日に、憲法改正、公務員改革を実現するためには大連立もありえると表明、このときからすでに「大連立」を追及していた。他方、福田は、小沢の要求であった自衛隊の海外派兵のための恒久法の制定の受諾と引き換えに、給油派兵新法への賛成を求めた。小沢民主党を大連立に引きずり込んで、民主党の解体を狙う死中に活の一手であった。すべてが破産し暴露されることによって、民主党のすさまじい裏切りと、日帝・政治委員会の危機が明らかになった。自民党が参院選挙で敗北したことをもって、改憲攻撃が遠のいたとか、時間稼ぎができるという理解は根本的に間違っている。すさまじい改憲攻防が始まっているのだ。
 日本革命の土台が労働運動であって、闘争的水路が反戦・反基地闘争である。とくに、沖縄闘争の爆発、「日本革命の火薬庫」、教科書問題―何よりも本土労働者階級の課題として。この点が安田同志にはまったく抜けている。9.29の爆発に消耗している体たらくではないか。しかるに11.4が近づくと、沖縄にたいする利用主義的のっかりをこととしている。9.29では党としてのビラまきすらせず、カクマルに任せた県党。本土からの動員は、首都圏2人(+1人)、関西14人、中四国3人のみ。直後の中央委員会メモでは、9.29を「本土の教労の闘争への援軍」としてのみ評価する始末、高教組・自治労など「動労千葉派が主導」とは夜郎自大きわまる。町村の「再修正する可能性」発言を一時は評価するザマ。
 イラクへの地上軍派遣の歴史転換性、拉致問題をめぐる対NK排外主義がその歴史転換を決定的に促進した(+独島問題)、軍事・戦争が政治や法律を部分的局面的にはリードしていく過程が始まった(同時に、軍の政治勢力化、労働者人民を軍が直接に組織していく過程)、日帝の核武装問題の重要性(PACV、AD推進の裏面)。
 教科書からの「軍命削除」にたいする沖縄12万県民の決起、韓国での解雇された非正規労働者の職場占拠闘争、フランスの労働者は10月17日からサルコジ政権の年金制度改悪にたいしゼネストに突入、アメリカでのストライキの激発、中国では村役場を次々に占拠世界的な階級的激動が現に始まり、労働者・農民は陸続と決起し始めている。労働者・農民の階級的力と体制変革の意志こそがこの大情勢を動かす。
 3労組共闘やミリオン、沖縄・三里塚など革命的大衆行動の拠点の確保。関西では、加古川・神戸保線・教労奈良、さらに合同労組など具体的闘争展開を通じて、労働運動における勢力を築き、それを基礎に大統一戦線を結成することができるかどうかである。それが指呼の間に届く情勢。民営化反対、労基法改悪反対、テロ特措法新法反対、三里塚北進・農地取り上げ阻止、沖縄戦史実書き換え反対、etc.を掲げて闘おう。
 ランク・アンド・ファイルの闘いによる労働組合の戦闘的強化と未組織・非正規の組織化を。階級的統一戦線を担い、われわれ自身の責任で改憲決戦のための大統一戦線を築こう。武装し戦う革共同を奪還し、職場闘争・政治闘争・党派闘争を断固推進し、連帯し内乱へと内乱・内戦一蜂起の闘いを。全国・全職場・全地域を根こそぎ決起させる改憲阻止ゼネストと強大な街頭闘争・国会闘争に直ちに着手しよう。
 基本・基軸は、労働者階級に徹底的に根ざした労働者細胞を基礎とする労働者党の建設である。党の総力を投入して、工場・生産点・職場での労働者細胞と労働組合づくり、拠点形成ができる地区党の建設に向かおう。内向きの「自己変革」の召還主義ではなく、職場闘争、政治闘争を発展させるための党の中央委員会と地方委員会・産別委員会の建設を。
 「動労千葉労働運動への特化」論、「体制内労働運動」のりこえの自己批判・自己変革運動、「俺たちに権力をよこせ」+「処分・首切りを恐れず」の空語的強調、総じて解党主義と階級闘争の現実的闘いからの召還主義をうち破ろう。5月テーゼ以降も労働者細胞をつくるということに軸が座ってこなかった。動員主義と組合大会への「おしかけ」ビラまき程度。党のための闘いと党としての闘いがない。極端な組織防衛をこととする動労千葉原理主義をさらに特化論的に純化している。職場・産別・組合ごとの闘争戦術・組織戦術の精密化という3全総的あり方の完全解体。これと一体で、安田同志による私党化と党解体・党簒奪の進行。動労千葉に学び、第2・第3の動労千葉を!は、特化論ではできない。地区党からはずしたロスゼネのMW結集路線は大破産する。「労働者指導部形成」論は解党主義の極み。
 「党=階級それ自身」論は、解党主義であると同時に、党の途上性をみすえ絶えず自己変革を遂げていく契機をなくし、現にある党を絶対として美化し、それへの帰依だけが革命運動とする裏返しの「党絶対主義」を生み出す。スターリン主義やカクマルが永遠に陥っている階級への裏切り組織論と同じではないか。党とは何よりも、共産主義者が、出身階級・階層の違いを乗り越えて団結する形態、労働者的実体を基礎にした階級の解放のための政治的団結の最高形態としてある。純粋プロレタリア革命論ということさえ美化しすぎ。差別や階級内部の分断とさえ闘わない党、農民や被抑圧民族人民の闘いを切り捨て、利用し、のっかるだけの党では、本当に解放のために立ち上がる1人の若者も獲得できない。さらに決定的には、常任・職革の形成・強化の方針がない。『なになす』に言う「労働組合の書記」的位置づけしかない。理論的無関心と「中央」への無批判追随と自己満足。1人の労働者も命がけでオルグできないものは職革とはいえない。

 「党の革命」とは何であったのか。
 第1に、23CC第1報告の「党の革命」論を爆砕する。
@「自立したイスト」論を、党にたいする「自立」とするデタラメさ。逆に、「党(中央)」に無批判的に追随する党員だけを求めるもの。
A 「党の革命」をあいかわらず革命運動の路線上の争いとしかとらえない。与田も単なる路線的偏向となる(自らが私党である証拠)。革命をとっくに捨て去っていた与田が、革命運動の路線をめぐってわれわれと対立していたと考えることすらオカシイことに気づかないのか。
B「党指導部の選出が『選挙制』などというのはスターリン主義にたいする屈服である」論は、「階級の党」「武装し戦う革共同」の基盤の否定である。自らを党員の批判にさらすことすら恐れる党指導部に階級を指導する資格はない。

 第2に固有の諸問題の教訓化である。23CCはこれら一切の問題に応えていない。
@与田の財政的腐敗の問題、党の事業を、自らの私服を肥やすために利用するといったことがなぜ可能になったのか。革命を捨て去ったことが決定的要因だが、党(「中央」)がなぜそれを見抜けなかったのか。3日4日生活の問題を含め全面的に解明する必要がある。
A党の拠点細胞で、最古参の労働者同志が、与田の腐敗の端緒をつかみ問題にしたことにたいして、党の事業の債権の詐欺や差別的行為を擁護したというデマまででっち上げて拠点から追放したこと。全容を明らかにして全党が自己批判的に教訓化することがいまだ十分に行われていない。無視抹殺する「党中央」を弾劾し、徹底的に教訓化を。
B兵庫県委員会やMR同志を「分派」と決め付け、「分派は処刑だ」としたこと。議長の自己批判がなされたが、政治局員が半年間にわたってこのことを熟知しながら、他には誰一人自己批判していない。「分派=反党行為」とすること自体、革共同の思想ではない。開かれた綱領のもとに政治的に一致団結する党のあり方の根本的否定である。
C権力のスパイが与田の周辺にいたこと、10年間にわたって党の最高機密をつかまれながら、政治局は、このことを党内で隠蔽し、与田を免罪した。安田同志は、スパイは発生した関西の責任というだけでなく、関西には後2人スパイがいると権力情報を使って関西地方委員会を批判した。党内の意見を批判するに際して、あろうことか権力情報に依拠することひとつを取っても、革命家の資格がない。
D関西地方委員会解体、SONATAでっち上げ問題、地方委員会のうえにSONATAなる私党的権力機関を与田の個人任命ででっちあげた。SONATAの内部で、また政治局に繰り返し問題を指摘したにもかかわらず、3.14「党の革命」まではついに粉砕することができなかった。党が私党連合化していたからこそ「党中央」の側からこれについて何も問題にすることができなかったのである。

 第3に、以上のような党内抑圧体制、エセ中央集権主義と腐敗がなぜ生み出されたのか?それが1人ひとりの党員にとって何を意味するのか?そのことの徹底的解明を通じて、「党の革命」が必要・不可欠の闘いだったこと、革命闘争を闘うことができる党への変革はこの闘いから始まったし、この闘いぬきにはありえなかったことを明確にしなければならない。

 安田同志への批判をまとめておこう。
 それは何よりも、動労千葉労働運動への特化を名目にしたカルト私党集団による革共同の簒奪である。党の簒奪と私党化・私物化、親分・子分の属人的組織関係、党の上に、階級の上に自分を置くあり方である。具体的には、労働運動と階級決戦からの召還と囲い込み的カルト集団化が特徴をなしている。さらに倫理性・組織性からおよそ革命家ではない事実が多々ある。
 安田同志の全運動はすでに破産している。動労千葉防衛(という名目の自己防衛)のために党を利用し、結果として党を破壊して、ことここに至ったのである。安田同志は今こそそのことを自覚し、晩節を汚さないように、私党を解散し、党の一切の役割から離れることである。それこそ、安田同志が、もっとも革命運動と党に貢献する方法であろう。

行動綱領となるべきスローガン
 ◆安田同志による革共同の簒奪を許すな!安田独裁体制打倒!
 ◆安田同志による党・動労千葉・交流センター・3労組共闘の私物化粉砕!
 ◆右翼的空論主義による労働運動と職場闘争からの召還反対!
 ◆反帝国主義・反スターリン主義世界革命綱領、連帯し侵略を内乱への戦略的総路線の放棄に反対!
 ◆改憲阻止決戦、安保・沖縄闘争からの逃亡と利用主義を粉砕せよ!
 ◆差別糾弾の圧殺を許さない!7・7思想の放棄に断固反対する!7月テーゼを撤回せよ!

INDEX
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