学生戦線に敵対し、全党の11月一万人結集の闘いに敵対する石嶺同志の策動を徹底的に弾劾する

報告者/ドナウSF・中条
07/11/18

【1】問題の本質はなにか

 わが党は今夏、歴史的な23CCをかちとり、11月一万人結集に向けて蜂起戦を開始した。いまこそ全党・全同志が階級的労働運動路線のもとに固く団結し、動労干葉派=11月集会派労働運動の巨大な組織化を勝ちとり、日本階級闘争の大地の上に革命的権力党派として登場しようではないか。全ての活動を「11月一万人結集」への組織化に特化して闘おう!
 この点で、まさに23CC第三報告で鋭く抉り出されているように、革命的情勢の急接近とは客体的危機のみならず主体の危機をももたらすのである。わが党の党員と言えど、昨日と同じ場所に一時でも留まれば明日には吹き飛ばされ、革命家としての自己をこれまでどおりに維持することさえ叶わない時代に入っているのだ。
 こうした中で、わが学生戦線は歴史的な全学連第68回大会の成功をかちとり11月学生1000人結集にむけて帰るところなき前進を開始した。大会では、結集した学生たちが次々と火を噴くような怒りの発言、血を吐くような自己変革をかけた発言を行い、互いのすべてをぶつけあう自己変革=相互変革をかけた討論で夜を明かした。そして最終日には、11月全国学生1000人結集にかける決意と解放感で大会を締めくくった。  「学生は団結しよう。労働者とともに革命をやろう」「新井君・友部君のように闘おう」「闘いなくして弾圧なし、弾圧なくして団結なし」「キャンパスにおけるあらゆる体制内的『すみわけ』を粉砕し、革命的権力党派として登場しよう」―この歴史的な第68回大会の路線と精神は、大会議案および報告集に凝縮されている。それぞれの産別、戦線で闘う全党の同志諸氏に熟読をお勧めしたい。

 ところが今、すでに多くの同志諸君に知られているように、90県党指導部の一部からわれわれの前進と飛躍に敵対し、わが党の階級的労働運動路線―7月テーゼ―23CCの地平に敵対する策動が起こっている。9月27日付けて提出された石嶺同志による「学生による差別事件」なる文書と、この文書をめぐる石嶺同志の極めて非組織的で許しがたい一連の策動のことである。
 何が一番許せないかと言えば、件の文書(以下石嶺文書と略記)および石嶺同志のこの間の主張の中に、11月一万人結集に向けた言葉が一言も出てこないことである。これとまったく関係のないところで手前勝手に「党内差別事件」をふりかざし、「何日の何時にMSLメンバーを全員連れて来い」などと横柄にのたまって、事実上11月結集運動に敵対している。このような策動を絶対に許すことはできない。後述するように、問題の核心は「差別事件」でもなんでもなく、石嶺同志の「7月テーゼ」に対する不一致の問題、そしてそこでの一致を拒否しようとする石嶺同志の組織原則を著しく逸脱した策動にあるのだ。
 言い換えれば、7月テーゼによってわが党内に残っていた路線的不一致やあいまいさがえぐり出されて、今回の事態となっているのである。実に7月テーゼの提起は画期的であったということである。
 私は、7月テーゼおよび23CCの偉大な地平を勝ちとった全党の同志諸氏とともに、このような「与田政治」の残滓を一掃するまで闘い抜く決意である。
 従って本稿の主題は、いわゆる「合宿」で起きたとされている「差別発言」について弁明することにおかれているのではなく、このような論外もはなはだしい文書を携えて全党、全学生戦線の11月に向けた闘いに全面的に敵対した石嶺同志を徹底的に弾劾することにある。
 石嶺同志は、「学生だから少し脅してやれば自己批判する」とでも思ったのだろうか?だとすればとんだ見当違いだ!革共同をなめるなと言いたい。われわれはこの一連の策動を通じて暴露された石嶺同志の路線的不一致、面従腹背を徹底的にえぐりだし、彼が文書を撤回し全面的に自己批判するまで絶対に許さないであろう。

【2】石嶺文書をめぐる経緯ならびに石嶺同志の非組織的敵対行為

 まず、この文書をめぐる経過から確認しておきたい。石嶺文書でいうところの「全学連合宿」とは、正確にはMSLの合宿のことであり、開催ざれたのは8月29〜31日。出席者はドナウ地区のMSL同盟員および同盟員候補。責任者はドナウSF・Capの中条。今回「差別発言を受けた」と主張しているのは、この合宿に初日だけ参加した宇佐美同志(全国連広島支部青年部・広島修道大学)である。石嶺文書に指摘されているやり取りがあったのは、29日の夜9時〜翌午前1時にかけて行われた「7月テーゼ」をめぐる討論の場である。
 この合宿の後の9月6日、7日に中条は宇佐美同志と会って直接話をしているが、その時点で「差別発言を受けた」などという話は一言も出なかった。
 合宿から一ケ月以上を経過した10月1日、私ははじめて件の文書を確認した。この文書は9月27日付けで提出されており、その他の県党指導部会議の主要なメンバーも翌2日の県委員会の会議で確認した。石嶺同志によれば、宇佐美同志から「差別発言を受けた」と聞いたのは、合宿が終わった直後だという。
 つまり、石嶺同志はこの「差別発言」のことをおよそ一ケ月前から知っていながら、実に90県党に報告するまでに一ケ月も経っているのである。
 10月2日の県委員会会議の場では、石嶺同志は中条にむかって「事実確認が第一だ。4日の19時から全国連会館にて事実確認会を行う。合宿に参加した主要なメンバーを連れて来い」と一方的な命令口調で通達した。これにたいして、当然ながらドナウ地方委員会議長・小津同志、同書記長・原田同志らから石嶺同志の非組織的・非同志的態度を厳しく糾弾する声が上がった。
 また中条は、自己の認識するかぎりで事実経過を述べた上で、大きく三点を指摘して石嶺同志に反論した。すなわち、「@文書で指摘されている内容は事実関係からしてまったく不正確であり、このような発言が文字どおりにあったとは現時点で認めがたいこと。A合宿での一連のやりとりはあくまで『7月テーゼ』をめぐる路線論議であり、結果として一致に至らなかった(本人の結論は「今の時点では受け入れがたいが、これからも学習していく」とのことであった)。従って、本人が『7月テーゼ』について不満や疑問をもったとしても、本人の主張だけをもって「差別」と認めることはできないということ。Bこれに関して、宇佐美同志から「差別発言をされた」と聞きながらすぐに党および中条に報せなかった石嶺同志の態度はまったく非組織的であり、党員として共産主義者としてまったく認めがたいということ」。そして結論として、「4日19時に全国連会館で、と一方的に設定された事実確認会に応じることはできない。事実確認は必要だが、それは党の責任のもとで、党の決定に応じて行われるべきであり、自分はそれに従う。最大の問題は石嶺同志の態度である。私はこのような非組織的態度を絶対に認めることはできない」と述べた。
 これに対し、石嶺同志は「差別を擁護するのか」「(小津同志に対して)あんたは信頼できない」などと、およそ同志的信頼関係さえ否定する発言をもって応じた。これに対して「事実確認が第一だといいながら、なぜ一ケ月以上も党に報せなかったのか。SF責任者の中条にさえ一言もなかったのはどういうことか」という指摘に対しても、石嶺同志は「選挙で時間がなかった」などと言うだけであった。また、「『差別発言を受けた』と主張している宇佐美同志にたいして、石嶺同志はどういう応じ方をしたのか。『7月テーゼ』での一致を求める討論をしたのか。そもそもあなた自身は『7月テーゼ』で一致しているのか」という指摘に対して、「『7月テーゼ』については今後も討論が必要だ」と応え、事実上不一致であることを認めた。
 会議での激しいやりとりを通じて、最終的には以下のように決定された。まず、問題が党内で起こっている以上、さしあたり討論は党内にとどめ、党内で解決をはかること。したがって事実確認会は党の責任のもとに行うこと。また場所は全国連会館ではなく前進社中国支社にすること。日時にっいては4日22時、出席者は中条、川村同志(ドナウSFサブCap、今回直接「差別発言」をしたとされている)、原田同志、石嶺同志、宇佐美同志。以上の決定が確かに会議の場でなされたことは、おそらく石嶺同志を除く全出席者が認めるであろう。
 こうして私と川村同志は約束どおり4日22時前に前進社に入り、そのまま待機した。だが、約束の時間を過ぎても石嶺同志らが姿を現さないので、原田同志が電話で直接石嶺同志に問い合わせたところ、彼は突然「確認会は全国連会館でやることになっていたはずだ」と言い出し、「差別を受けた人がなぜそちらに出向かなければならないのか」などと主張して一方的に電話を切ったのである。その直後に中条も宇佐美同志と電話で話したが、彼女も基本的に同趣旨のことを主張してきた。私は「党の決定をやぶることはできない。石嶺同志の態度はまったく許しがたい。彼との間で再度話し合い、改めて場を設定しなおすまで絶対にそちらには行かない。」と通告した。

 こうした経過を経て、ついに石嶺同志はこうした非組織的態度を改めることなく、党および党の同志に対する完全な組織決定違反を行うに至るのである。
 10月12日、私は自宅にて、10日の消印で郵送された「部落解放同盟全国連合会広島支部」の名による「全学連副委員長 中島敦史」宛ての「申し入れ書」を受け取った。そこでは、「支部書記長の金平通雄より“8月末に行われた全学連中四国合宿における差別問題”について正式に報告がなされた。」とされており、結論として15日19時より支部事務所2階にて事実確認会を行うので合宿の参加者全員が出席すること、という旨が「強く要望」されていた。
 ことここに至って、ついに石嶺同志は「党内で解決する」という党の決定、それも自分自身が言い出したことを踏みにじり、全国連広島支部を動員した「糾弾闘争」を組織したのである!党としてプロレタリア自己解放の闘いを担いつつ部落解放運動に責任を負っていくという立場を完全に放棄し、全国連支部組織を「政争の具」として振りかざしたのである!これは二重三重に許しがたい犯罪的策動以外の何ものでもない。党の仲間を裏切り、労働者階級の自己解放の闘いに敵対し、また300万部落民の解放の武器としての全国連支部組織を私物化して党にけしかけ、党=階級と部落民との間に自らすすんで分断を組織するという、度し難い反階級的策動である!
 10月2日の会議の場で、われわれは石嶺同志にたいして、「あなたがやっているような『政治』は、党の革命をもってわが党から徹底的に打倒されたところの『与田政治』そのものだ。今のわが党内でそんなものは絶対に認めない。われわれは党の革命の地平を一歩たりとも後退させない」と通告した。石嶺同志は党内で「糾弾政治」が通用しないとわかるやいなや、全国連支部組織を動員した大衆団体を巻き込む「糾弾闘争」を組織したのである。
 だが、はっきり言って私が、私の仲間たちが、全学連第68回大会を勝ちとったわが学生戦線が、そして党の革命を経てついに歴史的な23CCを勝ちとったわが党が、このような敵対策動に対して少しでも譲歩すると思ったら大間違いだということだ。私自身の中にもわずかの動揺もないばかりか、今ほど自分の正しさを確信している時はないと言ってもよいくらいである。石嶺同志よ、プロレタリア的正義性の前に弾劾されるべきは一体どちらなのか、徹底的にはっきりさせようではないか!

【3】石嶺文書に反論する

 次に、件の石嶺文書の中身について、MSL合宿を開催した責任者として、ここでの討論の全経過を知るものとして、私の認識する限りでの事実を述べて反論したい。ただし、宇佐美同志との間での事実確認は、石嶺同志の非組織的策動のためにまだに成立していないので、次に述べるのはあくまで私の見解である。だが、この点に関してはすでに合宿に参加したおおかたのメンバー、とりわけ指導部のメンバーは、この私の見解に一致していることを併記しておく。
 ただし、はじめにきっぱりと断っておきたいことがある。それは、百歩譲ってもし本当に「差別発言」があったとしても、その責任は言うまでもなく県党の同志全員が等しく負うべきであり、石嶺同志だけが他の同志を「糾弾」して勝手な結論を押つけるような権利はどこにもない。まして「差別発言」を知っていながら自分の勝手な判断で一ヶ月以上も隠し続けた上、党の決定の破って全国連支部組織を動員した「糾弾闘争」を組織するなど、もっての他だということだ。私は県党の会議の場で、石嶺同志にたいして何度も「差別」を前提としない同志的討論を求めたが、彼はまるでまじめに取り合おうとせず、頭ごなしに「差別者はいつもそういってごまかすんだ」などと同志的信頼の欠片もない言い方で討論を踏みにじったのである。石嶺同志は、「部落差別を受けた」という告発さえあれば無条件で、党の決定さえ無視して自分が「糾弾者」として立ち回ることができるとでも思っているのかのようである。だが、こんな態度は、単一の党としてのわが革共同の組織原則に著しく反するものである。
 私は、事実確認の結果如何に関わらず、石嶺同志がかような非組織的・非同志的態度に終始する限り、絶対に許さないということをここに述べておく。
 では、以下石嶺文書の内容を検討してみよう。
 まず、この文書は表題からして「学生による差別事件」とされている。そもそも「事実確認はまだされていない」と石嶺同志自身が繰り返し主張しているのにも関わらず、この文書ではすでに「差別発言がなされた」などと断定され、およそ同志的とはいえない一方的な弾劾口調で述べられている。その時点で、すでに文書としておかしい。筋が通っていない。このように、石嶺同志はひとたび自己を党に対して「糾弾者」として立たせたなら、あとは党の会議決定さえ踏みにじって居直るのである。くり返すが、今のわが党において、このような非組織的態度は絶対に許されないものである。
 続いて石嶺文書では、学生の発言の下線が引かれた部分をさして「差別発言」と言っているようなので、この部分を順番に抜き出して検討していきたい。

●「全国連のことしか考えていない」
 この発言は川村同志が行ったとされている。だが、結論から言うと彼女はこんな言葉を使っていない。討論の焦点になったのは次のようなやり取りである。まず「7月テーゼ」に対して宇佐美同志が、「差別とどうたたかうかの内容がない。部落民にばかりあーせい、こーせいと言っているようで、読んでいるとむかついてくる」と返してきた。彼女は確かにこう言ったはずであり、おそらく本人も否定しないであろう。これに対して、川村同志が返したのは、「『7月テーゼ』は部落民一般に対して言っているのではなく、共産主義者はどうあるべきかという趣旨で全体を論じている。だから、『部落民出身の共産主義者は…』と書いてあるじゃないか。むしろ、宇佐美さんの今の態度は、ここで指摘されているような『戦線の利害代表としてふるまう』態度ではないか。あなたが共産主義者たらんとするなら、そういう態度は改めるべきではないか」という、鋭角的ではあるがまったく正しい指摘であった。ただ、宇佐美同志自身は納得できていないようであった。
 石嶺文書はこの点に関して、「全国連の部落民が、全国連のことしか考えていないとはどういうことか」と言って「糾弾」しているが、これはまったく的外れな言い方である。なぜなら、たとえ文字どおりこういう発言があったとしても、川村同志は「全国連」を指して言っているのではなく、宇佐美同志個人を指して言っているからだ。先にも述べたように宇佐美同志の「7月テーゼ」の受け止め方は、共産主義的普遍性に立った受け止め方ではなく、「部落民の立場から」の受け止め方であったので、川村同志は、それは違うと指摘しているだけである。これは差別でもなんでもない。真正面からの路線論議であって何の間題もない。

●「全国連は物取り主義だ」「住宅家賃値上げ反対の闘争がそうだ」
 これも川村同志の発言とされているが、彼女はこんな発言は断じてしていないと私は証言する。いくらなんでも、全国連という大衆組織そのものを「物取り主義」と規定するような発言であれば、私をはじめ仲間たちが注意したはずである。住宅家賃値上げ反対闘争についても、日帝による被差別部落人民に対する生存権剥奪の攻撃と対決する決定的な闘いである。これを「物取り主義」と規定したことは、われわれは一度もないはずである。
 だが、以下のような趣旨での発言なら確かにあった。すなわち、
 「今は闘っても物は取れない時代。労働運動も部落解放運動も物取り主義では闘えない。しかし、物が取れなくても敗北ではない。たとえば住宅家賃値上げ反対闘争も、反動判決が出ているが決して負けではない。村の団結、労働者階級としての団結が強まれば勝利だ」
 ということである。この川村同志の主張に差別はないばかりか、まったく正しい。これを受けて宇佐美同志が「全国連を物取り主義と言っている」と受け取ったとすれば、明らかに論理の飛躍である。

●「部落解放は、部落民が地域で闘えばいいんだ。援助するようなものじゃない」
 これは別のある若い学生同志の発言を指して言われているようである。だが、一体この言葉のどこに差別があるというのか。石嶺文書では「援助という言葉そのものが、同情融和の立場」だと言って「糾弾」しているが、この学生同志は確かに「援助ではない」と言っているではないか。石嶺同志は一体何に対して憤慨しているのか?
 そして、この学生同志が主張したのは、正確には以下のようなことである。「闘いとは自己解放であり、その当事者こそが闘いの主体だ。だから教育現場で教育労働者が闘う。部落解放運動も部落民自身が闘いの主体だ」。まったく正しい。
 これに対して、宇佐美同志が「それでは君は解放運動をいっさいやらないのか」と追及したため、私や堤同志がその場で次のように応じたのである。すなわち、「『7月テーゼ』で確認されているように、労働者階級の特殊的解放の中に全人間の普遍的解放が含まれる。だから、労働者階級自身の自己解放の闘いを組織し、プロレタリア革命を実現していく中で、差別をなくす闘いに責任を取っていく。彼はそういう立場で今、革命に人生をかけきって先頭に立っている。決して部落解放に責任をとらないと言っているわけではない」「ただし、被差別・被抑圧人民の存在と闘いに『学ぶ』ということ、共闘していくことを忘れてはいけない」。
 以上のやり取りの中に、一体どこに差別があるのか。確かに宇佐美同志自身がこの討論に本心で納得したかどうかはわからない。だが、彼女の感じた懸案にわれわれはその場で回答したはずである。それでも気に入らないというなら、何が問題なのか指摘してもらなわなくてはならない。だが、少なくとも石嶺文書で指摘された限りにおいて、ここには何らの差別発言も認められないということである。

●「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない」「新しい体制にすべきだ」
 これはまぎれもなく中条の発言であろう。言うまでもなく、私は共産主義者として、日帝国家権力に対して完黙・非転向で闘える体制をあらゆる戦線に構築すベきであると考えているし、党はそういう体制の構築のために努めるべきであると考えている。その点で、先の弾圧における中田氏のとった態度は大変なショックであった。そしてその最大の責任は、(文書でも書かれているように)関西の党指導部にあるということを私は述べたのである。私は中田氏のことを人格として「ふさわしくない」と言ったわけではないが、完黙・非転向で闘えない人がこれから先の日帝国家権力との激突を300万部落民の最先頭で闘いぬき、石川一雄さんとともに闘いぬき、プロレタリア革命と部落完全解放の日まで全責任をとることができるのか、はっきり言って甚だ疑問である。こうした見解を述べることさえ「差別」だとするなら、いったい党はいかにして部落解放運動に責任をとることができるのか。
 石嶺文書は「他団体の人事にまでつっこんで介入することなど断じて許されない」と憤慨しているが、この「他団体」という言い方はいったい何か。まるで党員の中でも石嶺同志のような直接全国連の活動を担っているものだけが、部落解放運動について論じる権利を持っているかのような言い方である。党と階級に対して、全国連を私物化する考えである(実際そのように石嶺同志はふるまって10月10日の「申し入れ書」などを組織した)。だが、これこそ「7月テーゼ」で鋭く指摘されたところの「戦線の利益代表としてふるまう」という共産主義者としてまったく誤った態度である。われわれ共産主義者は、労働者階級とともに闘う部落解放運動の戦闘的結集軸としての全国連を支え、守り、発展させる責務を等しく負っているのである。そして私もまた党員として、「全国連に完黙・非転向で闘える体制が必要だ」という見解を述べたまでである。「人事に介入した」などいわれるが、一体いつ「介入した」というのか?見解を述べるだけで「介入」とみなし、差別だと言い出すこの態度は、実際上、「党は解放運動にいっさい口出しをするな」と言っているに等しい。そんな言葉がなぜ党員である石嶺同志の口から出てくるのか。党は解放運動に責任をとれなくてもいいと言うのか。

●「親が全国連で糾弾主義なので、(金平玲)をカクトクしづらい」
 この発言は木崎同志が中条に対して語ったとされている。一体いつ、どこで、どういう文脈でこんなことが言われたというのか。まったく事実無根だ!この部分にこそ、石嶺同志の悪質極まりない「党内糾弾政治」が現れているのだ!はっきり言って私はこんなやり取りを木崎同志との間で行ったことはないし、無論それ以外の場面でもこんなことを言ったことはない。むしろ、木崎同志が昨年の全学連大会での宇佐美同志の発言に関して、私に指導したのは、「中条は責任をもって、彼女を共産主義に獲得しよう」ということであった。
 それにしても、一年以上前の全学連大会での発言に関することで、出所もはっきりしないことを持ち出して「差別発言だ」と言い始めること自体がまったくおかしい。こんなやり方で石嶺同志は一体何をしたいのか?こんなものは、他ならぬ石嶺同志の非組織性を自己暴露するもの以外の何ものでもないと指摘しておこう。

 さて、以上のように石嶺同志はそれ自体、まったく事実確認もされていない事事柄を「差別発言」として列挙した上で、勝手に自分の都合で事実確認会を設定し、あろうことか「この間題の解決は、何よりも差別した本人の謝罪と自己批判=自己変革が必要です」などとしている。
 つまり、前進を開始したわが学生戦線の中で不可避的に生じた(しかし決してマイナスではない)路線的不一致につけこんで、石嶺同志は「差別だ」と一方的に断定し、分断を組織し、不一致を拡大し、事実上の団結破壊を行っているのでろる。断じで許すわけにはいかない。

※宇佐美同志について
 昨年7月にMSLに結集した、私と川村同志が指導責任を負ってきた重要な対象者です。私なりの彼女に対する認識で言えば、高い感受性と差別に対する人間的怒りに満ち溢れた人物です。ただ、マルクス主義に対する理解、階級的労働運動路線に対する受け止めなどについては、まだ本人自身「まだよくわからない」といっている段階。一方で、こちらとの不一致が起こるとすぐに「部落民の気持ちがわかっていない」とみなしてしまう傾向が強く、「糾弾者」の立場に立つことで自己に問われている飛躍を拒否する頃向があります。また部落解放のためには共産主義革命が必要であることは、本人も認めており、共産主義者になりたいという意志を少なくとも主観的には持っています。それに答えて私と川村同志は、とりわけこの夏の過程を通じて幾度と無く彼女と「激突」し、落としどころをつけない議論を続けてきました。合宿でも討論もその継続としてあったということです。

 最後に10月10付けで私に送付された「全国連広島支部」名義の「申し入れ書」で指摘されている点について、一言述べておきたい。この文書では、私が宇佐美同志に対して「糾弾は人格を否定するものだ」と語ったことを指して、「糾弾を全面否定」「国家権力法務省見解と同じ」「日共差別者集団の常套文句」などと「糾弾」している。
 だが、果たして相手にたいして全面的な自己批判と謝罪を要求する糾弾という行為は、それ自体相手の人格を否定する行為ではないのか?少なくとも私はそう考えているし、それが「糾弾の全面否定」になるとはまったく思わない。むしろ逆である。時として、相手を全面的に否定してでも糾さなければならないことがあるから、そういう場合にのみわれわれは糾弾をするのであって、自分の見解と一致しないからといって安易に、それも党の同志に向かって、まだ事実さえ確認されていない時点で振りかざしていいものではない。もしも、事実させ確認さえていない段階で誤った糾弾が組織されてしまった場合、取り返しのつかない分断が生まれてしまうことにもなりかねない。糾弾にはそういう重みがあるということを、まさか石嶺同志は知らないとでも言うのか?
 やや話がそれるが、私自身も被差別民である。私は「障害者」の子として、小学校の授業参観に母が「視覚障害者」のための特殊な眼鏡をつけてくるだけで、担任の教員からさえ差別発言を受け、それこそ筆舌に尽くしがたい思いをしてきた。その差別にたいする怒りが、私の闘いの原点のひとつであることはいうまでもない。だが、例えば「障害者」解放運動をめぐって、私が党の仲間にむかって「お前たちは「障害者」の気持ちがわかるのか」などと糾弾するような「特権」があるとは断じて思わない。また、例えば日常的な何気ない会話の中に「障害者」差別的な言葉が出たとしても、私は相手を信頼して、その場で指摘し、正してもらうようにしている。むしろ、私は糾弾ということがもっている重みについて十分に配慮をしているつもりである。安易な糾弾は、時として労働者階級に対する不信、さらには人間そのものにたいする不信さえ組織してしまうことになりかねないからである。
 私は、路線や見解をめぐって不一致があると、すぐに「差別だ」と言い出し、相手に対して極めて一方的かつ攻撃的な態度で「謝罪しろ」とやりだすような態度(宇佐美同志はこの間、中条・川村に対してこうしたことをくり返した)は、非同志的で改めなくてはならないと宇佐美同志に指摘したのである。この電話の際にも、宇佐美同志は「糾弾しているのは私の方だ。私が差別を受けたと感じているのだから、そちらが従うのが当然だ。それを拒否するのは人間としておかしい」などとくり返していたので、私は「そんな態度でどうやって団結なんてできるのか、君は糾弾ということのもっている重みが分かっているのか」と返したのである。
 私は、宇佐美同志に対する自分の指摘は正しかったと確信している。まして糾弾闘争それ自体を否定する発言などまったくなかったと断言できる。

全党は23CCの総路線のもと、11月一万人結集へ総決起しよう

 「昨日、職場で部落民宣言をしました。俺は部落民です。部落民労働者です。文句がある奴はかかってこい。たとえ職場で一人でも相手にしてやります。俺は堂々と部落民労働者として生きていきます。自分が外に出て部落差別とは何なのかがよく分かります。部落差別によって一般民労働者は差別者となり、また俺ら部落民労働者は一般民労働者が敵対する時、信用できなくなり、そして労働者としての誇りをともに失っていくのです。団結が破壊されるのです。これが部落差別だと思います。だったら部落差別糾弾闘争とは何なのか。一般労働者と部落の労働者の団結をつくりあげることが部落差別との闘いであり、糾弾闘争です。(中略)俺はもう堂々と生きていきます。分断をぶっ飛ばします。全国に存在する青年よ、団結せよ!」(6・9Workers Action in渋谷、部落出身の派遣青年労働者の発言)。
 団結を求めて差別を恐れず!―とでも言おうか、この限りなく力強い発言を聞いた時、私は、変な言い方だが「プロレタリア自己解放を見た!」という気がした。この発言の根底にあるのは、労働者階級に対する限りない信頼であり、それがあるからこそ、差別を恐れず「かかってこい」と言い切れるのだと思う。求めるものは、労働者階級としての団結!これが差別糾弾闘争だと言い切っているのだ。階級の信頼に根ざすこの強さこそ、全国の部落青年がわがものとすべきものだと思う。日帝の攻撃にたいして苦闘する全国300万の部落民に限りない勇気と展望をもたらす部落解放の総路線だと思う。
 今、日帝の攻撃は、それこそ全人民から生存権を奪い尽くす全面的な攻撃である。生きることそのものをも否定する帝国主義に対しては、これをプロレタリア革命によって真に打倒する以外に、出口のない時代に入ったということなのだ。だからこそ、苦闘せる被差別・被抑圧人民がわが革命党に対して求めるものは、もっともらしい「自己批判」のふりを口先だけでくり返すようなことではなく(今の時代にそんなことで自己を共産主義者として維持していけると思ったら大間違いだ!ZERMATや早瀬意見書のごときがまったくくだらないのは、こういう革命家としての不真面目さにあるのだ!)、この日本帝国主義を明日にでも打倒することができると本心から感じられるような、文字通りの革命の現実性を11月一万人という形で組織すること以外にないのである。
 石嶺同志の策動の許しがたさは、この11月一万人結集とはまったく別のところで、党の同志との約束を踏みにじって、あろうことかMSL細胞内に分断と不信と不団結を進んで組織しようとしているところにある。それを「差別糾弾」と称して行っていることである。これはプロレタリア革命に向かって進撃を開始した労働者階級に敵対する行為であるばかりか、団結と革命を求めてやまない被差別・被抑圧人民にさえ敵対するものであることを、最後に指摘しておきたい。

2007年10月13日

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