差別事件に関する部落解放同盟全国連合会の申し入れ書など

目次
1 「学生の差別事件」のとりくみ状況について  広島BOB 金平
2 「差別事件の解決のために」  支部執行委員会
3 差別発言への批判―中島敦史の発言の要旨
4 申し入れ書 全国連広島支部
5 11・15事実確認会からの逃亡を断じて許さないぞ!!  全国連広島支部
6 道 標―みちしるべ      部落解放同盟全国連合会 狭山支部
7 申し入れ書  西日本支部代表者会議等 2007年12月2日

「学生の差別事件」のとりくみ状況について

中央BOB(八木様) 御中

「学生の差別事件」のとりくみ状況について

広島BOB 金平

1.別紙の通り、広島BOB(BL委員会)に提出したレポートにもとづいて事実確認作業に入ろうとしていました。
 9月27日広島BOB(参加者=原田、小津、船村)で、事実確認を金平の責任(BOB)でおこなうことを、何の異議も出されないまま確認しました。ただ10月1日は広大開校日で学生が物理的に無理ではないかという事で、いったん10月3日に変更され、後に当事者の金平玲の都合により最終的に10月4日で日程が決められました。
 しかしこのBOB決定が突然無視され、完全に差別を居直る形で(「差別はなかった」と当事者の学生が一方的に展開)10月2日県委員会がもたれた。
 しかも、金平が一ヵ月後に(差別発言があった学生合宿から)レポートが出されたことを問題にし、「県委員会を無視している」とか「非組織的」とか「同志的ではない」とかの主張がなされ、挙句の果ては、「7月テーゼの論議が本質的なテーマであって、その立場にたっていない金平問題が核心だ」とまで言う始末で、何と差別問題が完全にふきとんでしまうような議論にしようとしました。
 その議論を組織したのは、小津、原田である。
 金平はとにかく、9・27広島BOB決定にもとづき、事実確認をするよう迫りました。
 この状況は、さながら差別問題を提起した人間を、他の問題にすりかえて、全体の力で踏みつぶす異常な事態であったことは間違いありません。
 そして何とか事実確認をすることになり、時間の変更をして夜22:00から支部事務所にて行なうことに落ち着いたので、金平はその場で承認し終了しました。 〔10月4日当日〕
 事務所にて当事者たちが待機していたところ、22:00すぎに社から電話が入り(原田から金平のケータイに)、「なぜ社に来ないのか」と場所が支部事務所ではなく、社でやることになっていたではないかと完全に居直り、一方的にまくしたてるので、「とにかくこちらに来い」と言って電話のやり取りは終わりました。
 そのうえで、差別者の当事者である学生キャップの中条が金平玲のケータイに連絡して、聞くにたえない実におぞましい差別者としての数々の差別発言を、差別を受けた金平玲に浴びせたのでした。そのなかで最も許せないのは「…糾弾は相手の人格を否定する行為」「差別はないと思っている。それが事実でなかったら、大変なことになるんだよ」と逆に脅すという、改めて決定的差別発言をおこなった。
2.まさしく万死に値する差別襲撃である。
 こんな奴は共産主義者でもなんでもない。最悪の差別主義者である。
 事実確認をするまでもなく、この一点において断罪されなくてはならない。
 一体、これを組織した県委員会、学生指導部、これを指導している政治局員は、どのように責任をとるというのか!?
 差別問題が生起したら、全力で解決するというR党の任務を放棄し、あろうことか差別の事実確認すら妨害し、居直り、さらに新たな差別行為をくり返す差別主義者として転落する姿は、日共差別主義集団とどこがちがうというのだろうか!?
 私はどんなことをしてでも、この責任をとらせるつもりである。
 以上のレポートにもとづき、中央BOBの判断を仰ぎたいと思います。

「学生による差別事件について」

2007年9月27日

〔1〕具体的事象について

1) 8月下旬、全学連中四国合宿=学習会の場において、以下の差別発言がなされた。  特に「7・7テーゼ」論文をめぐっての討論のときに次々と差別発言がなされた。
金平玲「7・7論文は全国連を批判しているのでは?」
学生 「それはちがう」
金平玲「この論文は差別とどうたたかうのかの内容がない」「部落出身者は、こうあるべきと書いているが、この路線に従えというふうに受け止めた」
学生 「今のあなたが戦線主義そのものだ」「全国連のことしか考えていない」
金平玲「どこが」
学生 「今の全国連がそうだ。全国連は物取り主義だ」
金平玲「なんで?」
学生 「例えば、住宅家賃値上げ反対の闘争がそうだ」「労働者と連帯してたたかっていない」
金平玲「どういうこと」
学生 「地元の住民は、労働者集会にきていないじゃないか?」「教育現場の教育労働者は、教育現場でたたかっている。部落解放は、部落民が地域でたたかえばいいんだ。援助するようなものじゃない」

別の討論のときに以下のことが言われた。
(中田書記長弾圧に関して)
学生 「中田書記長は会社のことを考えて、これ以上黙秘できないと考え、(救対に)相談したところ、もう黙秘しなくても良いと言われた」「これは関西の指導部が悪い」「完黙を貫けなかった中田書記長は、リーダーとしてふさわしくない」「新しい体制にすべきだ」

 昨年の全学連大会で金平玲が発言した中身について。
金平玲「学生が差別についてあまり理解していない。怒りを感じられない」「自分が先頭になって一緒にたたかうために全学連に入った」
(このような発言の趣旨に対して)
○○(全学連を指導している人物)が「この金平玲の発言は問題発言だ」と言った。
これに対して広大の○〇が「本人に言えばいいじゃないですか」
(この後)
「親が全国連で糾弾主義なので、(金平玲)をカクトクしづらい」と広大の○〇に言った。

〔2〕以上の経過は金平玲から報告がなされ、本人は信頼していた学生仲問からこのような差別暴言を受けたことに相当ショックを受けている。全学連をやめるべきかどうか、ギリギリの立場にたたされている。

〔3〕 これらが事実だとすれば、まず許しがたい差別発言である。全国連の三大闘争がまるでわかっていない。全国連へのこの上ない冒涜である。
 同住連の住宅家賃値上げ反対のたたかいが「給料の差し押さえ」や「明け渡し」攻撃をめぐって生き死にのかかった実力闘争としてたたかわれていることから、どうしてこんな「物取り主義」なる認識がでてくるのか。
 同住連に結集してたたかう部落民、在日の仲間への最大の侮辱であり、部落差別である。
 全国連の部落民が、全国連のことしか考えていないはどういうことか。全国連は、とりわけても労働者階級との階級的共同闘争を重視してたたかってきたし、部落差別の本質を階級支配の一環としての身分的差別と規定し、身分的差別の撤廃は階級支配の廃絶にあること、労働者階級の解放とひとつのものであることを明確にし、たたかってきたことをどう思うのか。
 さらに労働者や学生が部落差別とたたかうという意義がまるでわかっていない。  「援助」という言葉そのものが、同情融和という立場であり、「自らの課題として部落差別とたたかう」主体として欠如としてでてきたものだ。
 (中田書記長弾圧について)言えば
 なぜ、「書記長がリーダーとしてふさわしくない」とか、「新しい体制にすべきだ」という言葉が学生のなかからでてくるのか!! 他団体の人事にまでつっこんで介入することなど断じて許されない。
 (金平玲の発言をとらえて)  なぜ、全学連の指導部が、全国連を糾弾主義として決め付け「カクトクできない」などと排除の論理を使うのか。このような差別的偏見が、全学連やそれを指導する者たちのなかに存在しているとすれば、由々しき事態である。その上で、以上の内容にふまえて言うならば、7・7テーゼの趣旨からしても、大変な逸脱行為であると言わねばならない。

(したがって)  単に金平玲個人が差別的仕打ちを受けたことにとどまらず、全国連・同住連そのものが否定されるような内容であるため、ことは重大な中身を有していると考え、以下のとりくみを行ないたい。

@ まず何よりも事実確認を行ないます。  金平の責任で、事実確認会を以下の日程で開催するので、関係者は出席するよう全力をあげてください。
   10月1日(月) 19:00〜  支部事務所にて。
A 現段階ではあくまで党内でのとりくみにします。従って学生は合宿に参加した者。
 最低でも中条同志、河村同志、堤同志を中心に。
 全国連関係者は当事者本人とP員に限定します。
B この問題の解決は、何よりも差別した本人の謝罪と自己批判=自己変革が必要です。この指導にあたっては、金平はもとより、指導部(原田同志をはじめとした)が全力をつくすべきです。
 このことを強く要望します。
※ この文書は関係者に直ちにまわしてください。

差別事件の解決のために

差別事件の解決のために

支部執行委員会

@ 差別とは何か
1、「全国連のやり方は間違っている」
2、「住宅闘争は物取り主義」

 第一点 この「物取り」という言葉のなかにある差別性。
 まずこういう言葉で、解放運動でかちとってきたもの(例えば奨学金や住宅や仕事保障、環境整備など多くの要求闘争が、差別行政糾弾というかたちで人間らしく生きるためにたたかわれてきた)に、差別者からあらんかぎりの差別言辞が浴びせられてきた。
「なぜ部落だけが良くなるのか」「なぜ特別扱いするのか」にはじまって、「利権だ」「物取りだ」「税金のムダ使いだ」というキャンペーンが、日本共産党差別者集団などを手先に使って攻撃が加えられてきた。
 まずこういう言葉(「物取り主義」)自体が部落差別とたたかう側のことばではなく、差別者の論理として使われてきた。

 第二点 住宅闘争とは何なのかが、まるでわかっていない!わかろうとしてない!!
 何より住宅家賃値上げが同和住宅に住んでいる部落民、在日の仲間の生活を直撃し、生活がやっていけない状況をつくりだすことに対して、生きんがために起ち上がって行ったたたかいです。
 同時にこの攻撃は、部落解放運動そのものを根絶やしにする、重大な差別攻撃にほかならない。そういう意味で絶対に負けられない差別糾弾闘争としての住宅闘争です。
 値上げ反対の根拠は、その歴史的経緯のなかに存在しています。
 差別をなくすために建てられた同和住宅であること。太田川の改修という治水工事に協力して、自分たちの土地、田畑、家を提供してきたこと。その代わりに、改良住宅=同和住宅を建てさせた、自分の家に等しい住宅です。したがって広島市行政が勝手に家賃を値上げできない、そうした性格の住宅なのです!!
 この住宅闘争が物取りだと言っているのであれば、
 国や行政の側に立った主張であり、
 日共差別者集団と同じ立場であり、
 差別者としての立場だということ!!
 しかも同住連に結集してたたかっている住民が「明け渡し」や「給料差し押さえ」攻撃を受けながら必死に団結を基礎に実力でたたかっている大変な状況に対して、共闘関係者がこれを非難するということは、敵に利するという点で共闘そのものを破壊するものだ!ということ。
 だから同じ人間解放をめざすものであるならば、心からその誤りを認め自己批判して、正しい共闘関係をめざすべきなのです。

第三点 共闘関係者でありながら……
 「全国連の方針が間違っている」という言葉がしきりに金平玲に対して何回も言われていることや、「中田書記長にはリーダーとしてふさわしくない」や「新しい体制にすべきだ」ということが言われていることは、明確に今の全国連を攻撃しているとみなくてはなりません。
 その真意を本人たちの口から聞かないとわからないわけですが、どうも差別糾弾闘争をたたかう全国連が気に入らない立場のようだ!第4の差別性とも深く内容が結びついているのでこの点を確認したい。
 それは学生が金平玲に直接吐いた言葉のなかに最も凝縮してあらわれています。
「…(差別)糾弾は相手の人格を否定するものだ…」
(これこそ)全国連と部落解放運動を真っ向から否定するなにものでもありません。差別糾弾闘争はわたしたちの生命そのものです。これなくして、全国連や三大闘争は成り立たないし、住宅闘争も成り立ちません。
 労働者の差別性を克服するには、こうした部落民の糾弾の援助が必要であり、糾弾されてはじめて自らの差別性を自覚し、自己変革の出発点を形成できてきたのです。このことを否定することは、差別とたたかうことを放棄するに等しいことなのです。

差別発言への批判―中島敦史の発言の要旨

差別発言への批判―中島敦史の発言の要旨

※〈糾弾という行為は〉それ自体相手の人格を否定するような行為ではないのか?
※〈安易な糾弾は〉(時として)労働者階級に対する不信、さらには人間そのものに対する不信さえ組織してしまう
※まして糾弾闘争はそれ自体を否定する発言などまったくなかった
Nは完全に自己矛盾をきたしている。
 ・糾弾は人格を否定する
 ・糾弾は労働者階級に対する不信、人間そのものに対する不信を組織する
 ・糾弾を否定する発言はなかった。
中島 「障害者」のことして生まれ、母親が「障害者」であることで耐えがたい差別を受けてきたと言っている。
 ・「お前たちは『障害者』の気持ちがわかるのか」などと糾弾するような「特権」があるとは断じて思わない。
 ・「障害者」差別的な言葉が出たとしても、私は相手を信頼して、その場で指摘し、正してもらうようにしている。
 ・私は糾弾ということがもっている重みについて十分に配慮しているつもりである。

〈中島発言の問題点〉
@ 彼はまず、自分の生い立ちが「障害者」家族であるがゆえに受けてきた差別を部落差別とダブらせて、糾弾を論じていることの誤りをおかしている。
A 部落差別に対する糾弾とは何か。どのようにかちとられてきたのかをしっかりおさえることなしに、主観的な糾弾論を論じること自体、無責任で重さのない、したがって非常に差別的なものになってしまう。
B 彼は身分的差別撤廃の部落民自主解放闘争の自己決定権を認めていない。
 何が差別であるのかについて、あたかも一般民あるいは階級闘争をたたかっている自分たち(=党)が判断していくのだという立場にたってしまっている。
なんという傲慢な態度であることか!
C 水平社のたたかい以来、部落解放運動における階級的意義がまるでわかっていない。
 部落民の自己解放闘争にとって、差別糾弾闘争が部落民の奪われた人間的尊厳を奪還(「自分たちは人間なのだ」という強烈な自覚を取り戻す)していくたたかいとしてかちとられてきた。
 そればかりではない。本来、権力による部落差別―人民分断攻撃は他ならぬ労働者階級人民に向けられた攻撃なのです。労働者を搾取、収奪、支配するための攻撃として加えられ、ある意味でそれに屈服、加担させられ、それによって労働者の団結が崩され支配させられてきた歴史。その結果15年戦争をはじめ、日本帝国主義による侵略戦争に加担してきた歴史を、どのように痛苦をもってとらえかえしていくのかに関わる決定的な問題でもあるのです。
 だから労働者が自らの差別的あり方を糾し、差別性を克服し、すべての人々の解放を自らのものとしていく上で、この差別糾弾=自己変革はなくてはならないものなのです。  戦前、戦後数々の差別事件を通じて、労働者自身が差別者としてのあり方を糾され、変革されてきました。労働者の団結をかちとる上で差別糾弾闘争は、部落解放運動からする労働者への最大の援助に他ならないのです。
 このことが中島にはわかっていないのです。ほとんど彼のなかで欠落しています。
D 中島の根底に流れている思想は、融和主義そのものです。
 わかりやすく言えば、「糾弾は人を変革できない」「自ら襟を正し、差別者と仲良くし、融和していく」という反部落解放運動の思想です。このような立場では絶対に差別とたたかう労働者としてカクトクできません。
 差別しても差別した相手を許すという思想です。差別した側の人権の問題にすり替え、差別された部落民が傷つき、人間としての尊厳を否定されたことはどうでもよいのです。
 極論すれば、そういうことを言っているのです。差別者の思想そのものです。
※1970年、三次高校の弓場美恵さんが部落差別のなかで抗議して自殺した。
 彼女はつきあっていた広大の学生Iから、親を連れてきて「部落民の血は黒い」「だからあなたのような者とは今後一切付き合わない」と言われ、そのショックで一度服毒自殺をはかった。いったんは未遂に終わった。しかし解放運動にめざめ、差別映画「橋のない川」を糾弾したとき、担任の日本共産党の教師から、「橋のない川」を見てないとわからないとせせら笑い、弓場さんを絶望に追いやった。その直後、服毒自殺をはかり、帰らぬ人となった。
 なぜこの例をだしたかというと、
 弓場さんを死に追いやった日共教師のとった立場と中島のとった立場が同じだということが言いたいわけです。
 弓場さんが必死で抗議し、糾弾の声を発したとき、映画を見ていないとわからないとせせら笑った日共教師と、金平玲が差別発言を糾し、抗議したことに対し「差別はなかった。差別だというが、もし事実でなかったら大変なことだよ」「糾弾は相手の人格を否定する行為だ」と逆に脅すという中島のとった態度は、本質的に同じであり、断じて許せない差別者の姿だ、ということです。

申し入れ書

全学連副委員長 中島敦史 殿

申し入れ書

全国連広島支部
広島市西区福島町一丁目24-1
TEL. 082-291-1843

1.支部書記長の金平通雄より“8月末に行なわれた全学連中四国合宿における差別問題”について正式に報告がなされた。当事者の金平玲からも事情聴取をおこない、われわれはかなり深刻な差別事件であるというふうに受け止めています。
2.それは次の点で実に深刻であります。
 ひとつは言うまでもなく、合宿における差別発言、とりわけ、住宅家賃値上げ反対闘争を物取り主義だと罵倒している点。これを中心にしながら、全国連の三大闘争そのものを否定している内容は、共闘関係者として全く正しい立場にたっておらず、それでは共闘そのものが成り立たないと思うからであります。
 ふたつめは、差別を指摘された直後、あなたたちがとった対応はそれ以上に深刻であると考えます。事実確認を少人数で個別でおこない、正しい解決をはかろうとした金平書記長の配慮を無にするような行動をとったということであります。はなから「差別はなかった」と一方的に開き直り、事実確認の話し合いそのものがあたかも不当であるかのように他者を組織して襲いかかってくるやり方は、典型的な差別者の居直りそのものであります。
 みっつめは、差別された当事者の金平玲にたいしておこなった重大な差別行為であります。差別糾弾闘争は部落民にとって生死のかかった生命線そのものであります。しかし、あなたはその糾弾を全面否定しました。
 「糾弾は相手の人格を否定するものだ…」
 これは国家権力法務省見解と全く同じ主張であり、同時にわれわれ部落民にたいして常に浴びせかけてきた日共差別者集団の常套文句ではありませんか?階級闘争をたたかう者が決して口のできる文句ではありません。部落民にとって、人間的尊厳を否定されたようなものです。まだまだありますが、大きくは以上の内容をあなたに指摘しておきます。
3.改めて全国連広島支部としてあなた方にたいし、事実確認の申し入れをおこないます。つきましては、以下の日程で話し合いの場を持ちますので、出席されるよう強く要望します。
○ 10月15日(月)19:00〜 支部事務所2階にて
○ 参加者は、全学連合宿の全参加者
※ なお大変忙しい時期とは思いますが、ことは共闘関係が成立するかどうかの瀬戸際にありますので、最優先的に参加をお願いいたします。

11・15事実確認会からの逃亡を断じて許さないぞ!!

11・15事実確認会からの逃亡を断じて許さないぞ!!

全国連広島支部

1.前回の10・15事実確認会において、いくつかの点を確認し、次回の期日が双方のスケジュールに照らし合わせた上で、参加者総意において11月15日に設定された。
 この確認は簡単に変更できるものではない。支部の大衆的確認のもとで決定されたものなのだ。中島らの得手勝手な逃げ口上によって、約束した期日を変えられるような軽いものではない。
 ところが、「事実確認会を認めない」「11・15には参加しない」と通告してきた! この連中は本当に階級闘争に責任をとる組織なのか!?
 差別問題における約束事を平気で破る行為は、差別者としての居直りであり、階級的裏切り行為そのものに他ならない。
 わたしたちは部落解放の名において、彼らの差別的居直り、逃亡を徹底的に断罪する!! 必ずや彼らにそれ相応のつぐないをさせるであろう!!

2.「差別などなかった」と居直る差別者の犯罪性。
 古今東西、差別事件を引き起こしたものは必ずと言っていいほど「差別してない」「何が差別だ」と居直ってきた。だから、事実確認会そのものが差別糾弾闘争としてたたかわれることによってはじめて、「差別をした」ことを認めさせてきたのである。だからこそこれを恐れ、糾弾闘争を否定しようとうするのだ!「糾弾は恐い」と言って。

(1)8月の学生の合宿でなされた差別発言の差別性。
@ 特に「住宅家賃値上げ反対闘争」を「物取り主義」と言ったこと。
 何よりも金平玲の証言にあるように、
 「何が物取りなのかと聞いたら、(学生の門田が)それは、住宅家賃値上げ反対闘争のことだと述べた瞬間、(中島が)門田を制止した。」
 この事実は間違いないところである。中島はちょっとマズイと思って制止している。
 なぜ「住宅」が物取りなのか、どうしてこんな発言がでてきたのか、その思想的根拠―背景は何なのかを明らかにしなくてはならない。
 更に学習の会の場であるならば、なおのことそこで中島はどうしてこの差別発言を塗り隠したのか!? むしろこのことの方が罪は大きいと言わなくてはならない。
A 「中田書記長はリーダーとしてふさわしくない」「全国連は新しい体制にすべきだ」について。
 これに先だって、7月21−22日広島全婦が開催されているその最中において、革共同中四国委員会の組織的会議が行なわれ、そこで「中央で中田書記長打倒を決定した」ことが確認された。これにもとづき、全国連内の革共同のメンバーに「○○をこの打倒方針でオルグを」するように指示がおりてきた。そして8・6の前日、8月5日、革共同の政治局員が金平共闘部長に「革共同中央の方針は、中田書記長に代わる新体制を、○○、○○体制にする」と言ってきた。
 これらから、中島の個人的発言などではなく、革共同中四国地方委、革共同中央の組織方針に基づいて、全国連組織に分断と分裂を持ち込み、組織破壊にのりだしてきたというのが、ことの真相であった!! 許しがたい組織犯罪である!!
 中島発言は全国連とともに差別とたたかうという立場ではなく、悪意に満ちた全国連組織破壊のねらいをもって、金平玲をオルグしようとしたのであり、そのことは同時に金平玲本人と全国連のきょうだい全体に向けられた差別発言であることがより鮮明になったということだ。
 だからこそ「事の真相がバレたら大変なことになる」ことを恐れ、「差別はなかったことにして、事実確認会を否定し、そこから逃亡する」道を選んだのである。
 何が「組織内で解決をはかる」だ!! それこそ差別を隠蔽するためのへ理屈じゃないか!! なんという卑劣な集団であることか!? 労働者解放―全人間的解放を唱えてきたはずの彼らは、革命を汚し、労働者階級を裏切る道に舵を切ろうというのか!?万死に値する行為であることをこの際はっきりさせておく!!

(2)中島はそればかりか、10月4日の確認会の場から逃亡した際、金平玲に対し、電話で実に耐えがたい脅迫まがいの発言を繰り返したのである。
 「糾弾は、相手の人格を否定する行為なんだ」
 「もし(差別が)事実じゃなかったら、大変なことになるんだよ」と。
 そして中島文書(差別を居直るために書いたもの)で、
 「…『糾弾は人格を否定するものだ』と語ったことを指して、『糾弾を全面否定』『国家権力法務局見解と同じ』『日共差別者集団の常套文句』などと糾弾している。」と広島支部が申し入れで批判したことにふれ、
 「…だが、果たして相手にたいして全面的な自己批判と謝罪を要求する糾弾という行為はそれ自体相手の人格を否定する行為ではないのか?」少なくとも私はそれを考えているし…」
と改めてわざわざ居直っている。
 このように中島は、差別者の感性でもって部落差別と糾弾闘争を論じていることについて、まるっきり自覚できないでいるのだ。これ自体深刻な事態なのである。
 中島は、なぜかくも糾弾を否定するのか!? 出身学生が差別を訴え、それを広島支部が事実確認しようと申し入れを行なったことが、けしからんと言っている。
 そもそも、この態度こそが差別なのだ!
 中島は差別について十分な理解と認識がない上に、差別の現実から必死で学ぼうという姿勢が希薄である。この致命的ともいえる思想問題が根拠に横たわっている。
 彼の非マルクス主義的で、人間観―大衆観のゆがみ、没階級的な労働者解放論にもとづく必然的な差別主義への純化。むろん、これを指導している革共同中央の指導内容こそが差別主義を組織しているのである。
 中島が「…相手にたいして全面的な自己批判と謝罪を要求する糾弾という行為は、それ自体相手の人格を否定する行為ではないのか―」と悲鳴をあげている。
 まさにわれわれは、差別した人間の差別的あり方を全面的に否定するし、そのあり方を変革することを要求する!もって、差別された部落民が奪われた人間的尊厳を取り戻していくのだ!「差別者に人権があるとは何なのか」もう一度言ってみろ!
 中島や、革共同の指導的メンバーに言っておく!この発言の意味するところは、あるがままの差別者を擁護し、差別者の人権を全面に立てて、部落民の糾弾権を否定し、「差別されても我慢しろ」ということを部落民に強制していることを意味するのだ!これほどの差別があるのか!?こいつらはこれほどの屈辱をわれわれに浴びせておいて恥じてないのだ!
 この主張は、法務省見解が「行き過ぎた民間運動団体による糾弾…」「相手の人格を侵害することに対して取り締まっていく」として糾弾を否定し、国家権力自らが差別を扇動して言ったことと瓜二つではないか!? 少なくとも、この法務省見解と差別者集団=日共の側に立った主張としてこれを徹底糾弾するものである!

 吉永文書などで革共同中央の主張を引用した箇所で許せない内容を指摘しておく。
「…帝国主義本国の労働者はそのままでは階級的ではない、被抑圧人民に糾弾されて初めて覚醒されるなんて言っている。被抑圧人民の方が『上』なんだよ。じゃあ労働者階級は革命の主体だなんて言うなってことなんですよ」(安田同志)
 これは吉永が糾弾を否定するために引用したデタラメな文章である。なぜデタラメかと言うと、以下述べるとおりである。

@「帝国主義本国の労働者はそのままでは階級的ではない、被抑圧人民に糾弾されて初めて覚醒される。」
A「被抑圧人民の方が『上』なんだよ。」
B「じゃあ労働者階級は革命の主体だなんて言うな。」
 @はまさにその通りではないか。吉永らは、あるがままの労働者は差別にまみれていても階級的なんだといいたいのである。
 ふざけるな!と言いたい。労働者は資本とたたかい、差別の現実とたたかうなかでこそ、階級形成がはかれるのである。差別分断攻撃とたたかえない労働者や労働運動が、果たしてまともなたたかいができるのか?
 部落解放運動とりわけ全国連の差別糾弾闘争は、解放主体である部落民自身が糾弾主体であることは言うまでもないが、同時に他ならぬ労働者階級自身がもう一方の糾弾主体であることを強調している。労働者自らが部落解放運動と連帯し、差別に屈服した労働者に対し糾弾し、変革してカクトクしていく階級的使命を有している。そうでなければ差別分断支配を打ち破り全ての人々との団結を実現することもできないし、労働者の階級的覚醒をかちとることなどできないからである。
 原理や本質を振り回して、現実の差別分断との意識的たたかいを軽視したりすることは、結局階級支配を打ち破ることは到底できないし、そんなものはおよそ現実とかけ離れた観念論でしかない。
 更にAについて言えば、彼らは被抑圧人民より労働者の方が「上」だと言いたいのだ!
 この上下を強調すること自体、およそ反マルクス主義的である。労働者階級にとって被抑圧人民は同盟軍であるという認識はまるでない。部落解放運動で言えば、おそらく彼らは原理を振り回すあまり、部落民は労働者の下にあるものだと本当に思い込んでいるのではないか!こうしたおぞましい思想的腐敗に行きつつあると言わねばならない!
 ※吉永はそうした差別的感覚で、「前進社のビルよりも全国連支部事務所ビルの方が立派だ」とねたんでいる。そこらへんの差別者になり下がっている。
 Bについて言えば、子どもが駄々をこねているということでしかない。労働者が革命の主体として自らの解放を実現していくことと、全ての人々の解放を実現するこうした普遍的存在として労働者の存在があるということ。この原理的確認にふまえることと、それを現実の階級闘争としてどのようにかちとっていくのかがまさに問われている。
 中島や吉永ら革共同指導部はその苦闘を踏みにじり、労働者階級の解放と部落解放を分断、断絶させる反階級的な道を突き進もうというのか?! 直ちに差別者は自己批判し、確認会の場に出席せよ!!
 われわれは今回の11・15事実確認会からの逃亡を絶対に許さない!!
 全国連の組織と運動を真っ向から否定する彼らを許さない!!
 本日の参加者の総意において決議する!!

道 標―みちしるべ

2007年11月14日
道 標―みちしるべ

部落解放同盟全国連合会 狭山支部

◆広島差別暴言糾弾闘争をやりぬこう! ………
 10月15日に広島支部事務所で一回目の確認会がおこなわれました。しかしこのとき、あらためて全学連とその指導団体である革共同の、よりいっそうの差別性があきらかになりました。私たちは、革共同が今回の事件を真正面からみすえ、この糾弾にこたえ、真摯な自己批判をやりぬかないかぎり、これまで長年ともにたたかう中で築いてきた共闘関係を、凍結せざるを得ないと考えています。といっても反戦共同行動委をはじめとする各共闘団体、労働組合の仲間たちとの共闘は、また全国連と解放運動をささえ、ともにたたかう仲間との共闘と連帯は、これまで以上につよく心から求めます。

◆広島差別事件とは ……
 今年の夏に行われた全学連の合宿において、全国連広島支部に所属する学生に対して、「戦線主義だ」「全国連のことしか考えていない」「全国連は物取り主義だ」「家賃値上げ反対闘争がそう(物取り主義)だ」「労働者と連帯してたたかっていない」「部落解放は部落民が地域でたたかえばいいんだ」「援助するようなものではない」などと聞くに耐えない差別暴言が、全学連の仲間から投げつけられました。また、別の会議では「(全国連の)中田書記長は、リーダーとしてふさわしくない」とも言われました。
 本人は、信頼していた学生仲間からこのような差別暴言をうけたことにすさまじいショックを受け、思い余って、ぎりぎりのところで全国連中央本部に話し、同時に広島支部からは差別事件として中央本部に報告がなされたという事件です。
 全国連中央本部はしかるべきレベルの会議で慎重に検討し、差別糾弾闘争として、まず支部レベルで事実確認会をおこない、糾弾を丁寧にすすめていくこととしました。

◆そもそも私たちは帝国主義の階級支配のもとにあるかぎり、その支配の重要な一環として部落差別は存在するし、また人は、労働者階級はそういうなかで同時に間違い=部落差別もすると考えています。そういう意味で部落の完全解放は帝国主義の打倒をめざすものと考えています。階級の廃絶のなかに「よき日」はあるということです。
 差別糾弾とは、その過ちを正しく見据え、正していくことだと思っています。差別糾弾はそういうものとして、帝国主義の階級支配=差別分断支配を打ち破り、新たな共闘関係、より強固な階級的団結をつくっていくものだとおもっています。しかし残念ながら、15日は革共同の新たな差別の日となったといわざるをえません。
 革共同の地域の代表は、ある問題は学生一人のせいにし、またある問題はひらきなおりました。そして「糾弾は人格を否定するものだ」と、糾弾を拒否し、討論を打ち切り、いまだに論議を拒否しています。

◆それでは「人格を否定」という場合、差別された部落民の人格はどうなのでしょうか。革共同は「部落民には人格はない」とでもいうのでしょうか。
 部落差別は部落民の人格を否定し、部落民の命まで奪うものです。そのいわば殺されようとした部落民が、自らの命をかけて訴えるものが糾弾なのです。「糾弾するな」ということは部落民に「死ね」ということです。この言葉で何人もの部落青年が殺されてきました。1970年、糾弾を否定され、絶望に追いやられ、服毒自殺でかえらぬ人となった弓場美恵さんのことを、わたしたちは決して忘れることができません。これが部落差別なのです。「糾弾」は部落民にとってまさに「命」そのものなのです。
 わたしたちは、差別発言(事件)そのものも重要ではありますが、あえて言えば、その後の差別した側の人間性=階級性を重視します。差別を真正面から見据え、糾弾を自己の存在をかけて受け止め、また部落差別についての正しい歴史と認識を共有し、ともに解放運動をたたかうこと、もってプロレタリア革命の主体として自己を形成していくたたかいに決起すること、これをわたしたちは求めているのです。
 革共同は、これを拒否し、「差別かどうかは自分たち(革共同)が決めること」といいきり、命がけで糾弾した部落民を踏みにじり、「糾弾主義ナンセンス。絶対ゆるさん。」といいのけたのです。これこそが部落差別であり、差別襲撃といわざるをえません。絶対に許すことはできません。

◆「差別かどうかは自分たちが決める」「糾弾は人格を否定する」「解放運動は物取り主義」この暴言を、私たちはじつは10数年前にすでに聞いています。それは、日帝=法務省のいわゆる「法務省見解」のなかにあることばです。それ以来、解放運動つぶしの決定的文言として使われ、それ以降、解放運動と解放運動団体への攻撃のために、一貫してその差別襲撃の武器として使われてきたものです。
 そう考えると、いま革共同は、革共同であることを打ち捨て、日帝=法務省の立場にたどりついた、といっても過言ではありません。私たちは本当に悔しくて、残念でなりません。

◆しかし、狭山の完全勝利、部落の完全解放のためには、帝国主義の階級支配を打ち破る強固な革命勢力が必要であることは間違いありません。革共同の新たな部落差別と居直りを許さず、徹底した糾弾闘争をやりぬきましょう。「よき日」のために。 (I)

申し入れ書

2007年12月2日
中島敦史 全学連副委員長 殿
門田直子 殿
革命的共産主義者同盟中四国地方委員会 御中

申し入れ書

部落解放同盟全国連合会広島支部
広島市西区福島町一丁目24−1
部落解放同盟全国連合会中央本部
大阪府東大阪市荒本862−2
西日本支部代表者会議

1.去る11月15日に予定されていた第二回事実確認会の出席を拒否し、話し合いの場を破壊したあなた方にたいして、これを厳しく抗議、弾劾するとともに、再度の事実確認会の開催をここに呼びかけるものです。

2.あなた方に次の点を指摘しておきたい。  そもそも全国連の同盟員である金平玲が「差別を受けた」とショックを受け、怒りを発しているこの現実こそが部落差別問題の核心部分なのであり、出発点なのです。差別した側の主観的意図がどうなのかがさしあたって問題にはなりません。  したがって、事実確認会を通じて「何が差別なのか」を明確にしていく努力が必要なのです。あなた方はこの立場に立つべきです。

3.確認すべき事実について。
 金平玲の告発によると、8月末の学生主催の学習会において、次のような発言が学生によりなされたことが報告された。
 @「全国連は、もしくは住宅家賃値上げ反対闘争は物取り主義」
 A「中田書記長はリーダーにふさわしくない」「全国連を新体制にすべきだ」
 B「糾弾は相手の人格を否定する」
 これらを中心にいくつかの事実が報告されています。
 以上、これらの正確な事実について前回に引きつづいて論議し、真実を明らかにしていきたいと思います。

4.以上をふまえて、再度以下の内容を要請します。
〈1〉11・15第二回事実確認会への欠席を心から謝罪すること。
〈2〉再度の事実確認会について要請します。
  ・と き : 12月15日 (土) 19じ〜
  ・ところ : 全国連広島支部事務所
〈3〉この申し入れにたいする回答は、12月10日までに広島支部宛に返答されたい。

INDEX
inserted by FC2 system