スターリン主義的反革命への転落の道か、革命的共産主義の再確立の道か

12月23日 203

1)はじめに

 革共同の24CCは、革共同がプロレタリア革命の綱領的路線的立場をかなぐりすて、反階級的な差別者集団へと転落する歴史的画期をなす「総会」となった。この24CCの全内容を徹底的に断罪し、その決定を木っ端みじんに粉砕して、革共同が創立いらいの血みどろの激闘を経て打ち立てた反帝国主義・反スターリン主義の革命的共産主義の綱領と総路線、そして、70年「7・7」いらいの幾多の試練を経てつくりあげてきたレーニン主義的な排外主義、差別主義とのたたかいの地平を守り抜き、こんにちの革命的激動をプロレタリア世界革命に転化しようとする労働者階級の階級的隊列の中に打ち立てなおすこと、ここにこそ、こんにちの革命的共産主義者のもっとも緊急の課題がある。
 本稿は、24CCの中心的議題のひとつをなす「当面する部落解放闘争の諸問題」と題する特別報告とそれにもとづく決定を徹底的に批判し、革共同の部落解放運動に関わる綱領的路線的内容をこんにち的に再確立するためのものである。全同志の徹底的な討議をお願いしたい。

2)党内において発生した部落差別事件(「広島問題」)を「でっちあげ」だと規定し、
  差別を開き直った24CC

 「当面する部落解放闘争の諸問題」(以下、「特別報告」とする)の第一の問題は、本年の8月、広島のマル学同合宿を前後する過程で発生した部落差別事件を、「差別ではない」「デッチあげだ」と規定して開き直り、全国連による糾弾闘争にたいして革共同の組織をあげて敵対することを方針としたということにある。これは、この一点をもっても、革共同は反革命的な差別集団に転落したと断罪すべきほどの、歴史的な反階級的犯罪に他ならない。

 

(1)「差別ではない」とするでたらめな主張

@事実と事実経過の無視・抹殺、ねつ造

 「広島問題」にたいして、「特別報告」は、つぎのように主張する。
 「現在問題になっているマル学同の議論は、どうみても差別ではない」(「特別報告」6P)「マル学同合宿での7月テーゼをめぐる討議を『差別事件』にしたてあげたもの」(同3P)だとして、あたかも、宇佐見同志やIM同志、203らが「差別事件をでっちあげた」と言わんばかりに規定している。そして、「マル学同の討議のなかで全国連への批判が出されたことをもって、全国連を批判することそれ自体を『差別』として『弾劾』しているようにみえてならない」(何という自信のない言い方か)「全国連を絶対的存在とする独善的な言い方」(同6P)などと非難する。
 だが、驚くべきことに、この「広島問題」そのものに関する具体的論述のすべてが、事実のねつ造とすり替えによって、あるいは決定的な事実を隠蔽して得手勝手に描かれ、論じられるものとなっているのである。要は、そのすべてが、嘘によってつくられているということだ。こんなものは、およそマルクス主義者の主張などではない。以下、具体的にみていきたい。

A「中田書記長解任要求」について

 第一に、中条君らによる中田書記長にたいする「解任要求」について、「特別報告」は、以下のように主張している。  「中田書記長の(権力の事情聴取に応じたことの)姿勢や対応について不問にふすことはできない」「(学生が)ともにたたかう同志の規律の問題にたいして疑問をもつことをなぜ非難するのか」(6P)
 だが、学生(中条君とSOB)は、「疑問を持った」訳ではない。中田書記長を解任して、全国連を203や木田同志、杉本同志の体制にするという方針をでっち上げ、それを実行しようとしたのである。「疑問をもつ」とか、「不問にふすことはできない」などというレベルの問題ではないのだ。全国連という一個の大衆組織への介入と私物化、団結の破壊である。そして、これに宇佐見同志を巻き込もうとしたのである。まさに、歴史的な部落差別犯罪そのものである。
 しかも、これは、学生が(だけが)やったものではない。他でもない、党中央こそが「方針化」し、「指導」していたのだ。この事実を隠蔽し、すべてを学生の責任にすりかえ、しかも、「疑問をもつ」などという一般的な「批判」にすりかえることなど断じて許されない。
 「特別報告」は、「党は、このような権力への屈服をこともあろうに全国連に『指導』として強制したことを深く恥じ、徹底的に厳しく自己批判しなければならない」(7P)などとおためごかしに言うが、では、なぜ、いまになっても(半年もたってなお)一言の謝罪も自己批判もないのか。もし、ただちに自己批判が行われていれば、中条君らによる「中田書記長打倒闘争」などありえなかった。もはや、真実は明らかである。党中央は、口先では、「自己批判しなければならない」などとペテンを弄しつつ、その裏では、略式命令問題のいっさいの責任を中田書記長におしつけて、全国連を私物化するための「中田書記長解任」の陰謀に熱中していたのである。
 全国連が権力による弾圧とのたたかいの最前線に立って東大阪市議選にいたる必死の攻防に立ち上がっているときに、全国連の団結を破壊するような反階級的行為が、他でもない党中央の手によって行われていたのである。まさに、徹底糾弾されなければならない。「差別事件のデッチあげ」なる決定が、24CCにおいて、事実に関するまともな党内の回覧、検討、討議を経ることもなく、いきなり、強引に行われた真の理由は、じつは、ここにある。つまり、全国連による糾弾が、自分たちに向けられていることに党中央じしんが震え上がっているということだ。そして、それから身をかわすために、「党決定」なるものをもって、全党の同志たちをそのついたて、バリケードにしようとするものだということである。

B「全国連は物取り主義だ」なる発言について

 第二に、「全国連は物とり主義だ」という発言について、「特別報告」は、「これは、全国連や住宅闘争を否定するものではなく、『路線論争』だ」とすりかえている。
 だが、マル学同の合宿では、「住宅闘争をどうたたかうのか」という主体的な路線論争が行われた訳では断じてないのだ。そこで行われたことは、「7月テーゼで部落民にあれこれしろと言っているが、では、党は部落解放運動をどうたたかうのか」という疑問が宇佐見同志から出されたことにたいして、「そういうことを言うことじたいが戦線主義だ」「全国連のことしか考えていない」などという罵倒が学生メンバーからあびせられ、このなかで部落解放運動などたたかう必要はないということを言うために、『しょせん全国連の運動は物取り主義だ』という趣旨で行われた「議論」だったのである。
 だが、残念ながら、このことについては「証拠」はない。宇佐見同志が、そのように受け止めたということだが、だからこそ、真実は糺されなければならないのである。
 この点について、中条君は、その文書で、「そのような発言はありえない」「いくらなんでも、全国連という大衆組織そのものを『物とり主義』と規定するような発言であれば、私をはじめ仲間たちが注意したはず」と主張する。そして、「だが、以下のような発言ならたしかにあった」として、川村さんという人の発言を紹介している。それによると、「いまは、たたかっても物がとれない時代。労働運動も部落解放運動も物取り主義ではたたかえない。しかし、物がとれなくても敗北ではない。たとえば住宅家賃値上げ反対闘争も、反動判決がでているが決して負けではない。村の団結、労働者階級としての団結が強まれば勝利だ」と言う議論が行われたとされている。そして、中条君は、この主張について、「正しいではないか」「どこが間違っているんだ」と主張している。
 この、中条君の文書は、川村さんの発言を引用している箇所に「被差別部落人民」(これじたいが部落差別だ!)などという珍妙な「用語」が使われているなど、現実の部落解放運動や、党の部落差別問題に関する認識や部落解放運動の路線について、まったく主体化されていないものを感じる。推敲された文章でさえそうなのだから、討議のなかで実際に宇佐見同志が感じた「差別的だ」という思いは相当なものがあったに違いない。
 だが、この中条君の言っていることが仮に正しいとしても、この議論は、「路線論議」などとはまったく無縁な、客観主義的評論である。住宅闘争において、いまや、「差し押さえ」や「明け渡し」と対決する、生きるか死ぬのかを問うような実力闘争が問題になっているときに、そして、部落大衆が、これに必死になって立ち向かい、格闘しているときに、およそ共産主義者としての実践的立場も、感性のかけらもない評論にすぎない。このような主張が、かりにマル学同の合宿ではなく、住宅闘争をたたかう大衆組織のなかで行われたとすれば、中条君や川村さんなどは、ただちにその場からたたき出されていたに違いないのである。
 しかも、重要なことは、では、なぜ、何のために、このような評論が行われる必要があるのかということだ。「反動判決がでても負けではない」などと、中条君や川村さんに偉そうに教えてもらう必要など、全国連にも、宇佐見同志にもどこにもない。このような評論が行われる必然性は、ただひとつ、中条君や川村さんが、いまの全国連の運動(住宅闘争)が「物取り主義だ」と本当に思っていたからである。「路線論争」と言うのなら、「部落大衆が部落に住む権利を労働者階級の実力によって守り抜く」という鮮明な階級的立場こそが、いっさいの議論の土台にすわらなくてはならないのだ。広島のマル学同合宿で行われた「議論」なるものは、まさに、「路線論争」などとは無縁な、無責任な評論であり、命がけでたたかう部落大衆にたいするかぎりない侮辱に他ならないのである。
 「特別報告」は、このでたらめな評論を、「党内論議の一環として、部落解放運動をめぐって路線論議が起きるのは当然だ」(同8P)などと主張する。だが、「党内論議」「路線論議」だったら何を言っても許されるのか。「路線論議」というものは、観念的な、空想的な遊びではないのだ。生きた階級闘争に根ざした、労働者階級の生き死にのかかった真剣な討議でなくてはならないのである。全国連の創立とたたかいは、党員の頭のなかの産物などでは断じてなく、部落大衆による帝国主義権力との血みどろのたたかい、本部派からの決別をかけた血みどろの「処分闘争」をとおしてかちとられてきたものに他ならない。「路線論議」とは、階級闘争の現場での血みどろのたたかいに直結しているのだ。だからこそ、部落解放運動に関する「路線論争」は、部落解放運動に党として責任をとるという立場からの真剣なたたかいであり、帝国主義による戦時部落差別攻撃ともいうべきこんにちの部落解放運動絶滅攻撃との実践的格闘なしに、「気軽に」行われることなど断じて許されない。冗談じゃないということだ。
 「特別報告」は、さらに、住宅闘争をめぐって問題になった路線討議が、「供託か分納かの議論」であったかのようにデッチあげ、宇佐見同志やIM同志の主張を、「(路線論争)これを『部落民にとって住宅とは何か』にすりかえている」(同8P)などと主張している。
 だが、住宅闘争をめぐる路線闘争は、「供託か分納か」などという戦術主義的な議論などでは断じてない。それは、応能応益制による家賃値上げが、部落大衆が「ムラ」という形で部落に住み、団結するという部落解放運動の土台をその根本から解体する大攻撃であり、したがって住宅闘争は、「家賃をいくらにするのか」というようなたたかいではなく、部落に住むこと、「ムラ」という形で部落大衆が団結して差別とたたかうことをかけた、絶対的な非和解的対立に根ざしたたたかいだという点にある。また、いま、A支部をはじめとして奈良、兵庫など各地で、「差し押さえ」「明け渡し」という大攻撃に直面し、「供託」を堅持しながらも、それを越えた団結とたたかいの道筋を真剣に模索、格闘しているのだ。だからこそ「部落民にとって住宅とは何か」という命題こそ、「すりかえ」などでは断じてなく、住宅闘争をめぐる路線闘争の核心問題に他ならないのである。
 本当に部落解放運動にたいして党としての指導責任をとるという立場に立ったものは、このようなA支部に乗っかったような安易な主張など絶対にできない。いまや、党中央じたいが、部落解放運動にたいする傍観者、無責任な一知半解的な評論家に成り下がっているのである。

B「民同支配のもとにある労働組合であっても、差別事件にたいする糾弾闘争は労働組合の団結を強化する」が「根本的に間違っている」について

 203文書にある、この点をそこだけ取り出して「民同に許容される糾弾闘争などナンセンス」とばかりに言い、203文書を「批判」したかのようにする。何とも見下げはてた姿である。
 だが、203文書の全体を見れば明らかである。差別糾弾闘争は、たとえ民同支配下にある労働組合であっても、民同支配を食い破って、階級的団結を打ち立てていく決定的契機となるのだという主張を203は行っているのである。こういう「わら人形」をでっち上げるような卑劣なやり方は厳につつしむべきである。

C決定的な事実の抹殺

 いじょう、逐条的に見てきたが、総じて、「広島問題」に関する24CC決定は、そのことごとくが事実のねつ造にもとづく主張に他ならないということである。はじめに「差別はなかった」という結論があって、その結論にあわせて事実をねつ造し、あるいは歪曲しているにすぎないのだ。こういう見解が、全国委員会総会において提案され、決定されたという事実じたいが決定的に重大である。いまや、「革共同」は、嘘によって組織され、嘘によって方針がねつ造されるような団体に転落してしまったと言うべきである。
 だが、「広島問題」として問題になっている事実は、24CCでねつ造的に、歪曲的に取り上げられているものだけではない。そこでは、もっとも決定的な事実が、意図的に隠蔽されているのだ。それは、党的に確認された事実確認会(党内における)への出席を拒否した事実と、「差別糾弾闘争は人格の否定だ」という中条君の主張、さらに、中条君の文書にある、「自分も被差別民。親が障害者で、筆舌に尽くしがたい差別をうけてきた」「だから、糾弾の重みが十分にわかっている」という主張である。これらの主張は、たしかに当初のマル学同の合宿でだされたものではない。宇佐見同志をはじめとした差別にたいする糾弾にたいして、それを否定するために主張されているものだ。だからこそ、この主張こそが重要なのである。無自覚に差別に手を染めることと、それを指摘、糾弾されて開き直ることとは、格段の差がある。後者は、きわめて自覚的な行為であり、差別にたいして糾弾するという行為そのものを否定しているからだ。
 「差別糾弾闘争は人格の否定だ」という主張は、中条君の文書によれば、「糾弾の全面否定のために言ったものではない」「相手にたいして全面的な自己批判と謝罪を要求する糾弾という行為は、それじたい相手の人格を否定する行為」「むしろ、時として、相手を(の人格を)全面的に否定してでも糺さなければならないことがある」「だから、そういう場合にのみ、われわれは糾弾するのだ」「安易な糾弾は、取り返しのつかない分断を生み出す」「糾弾にはそういう重みがあることをわかっているのか」というものとして言ったんだというものである。
 この主張は、「時として… 」という項目をのぞけば、法務省見解とうり二つである。あたかも、糾弾が時として必要なこともある」かのように言っているが、それは、きわめて例外的な、特殊なケースとされ、むしろ「かるがるしく糾弾などしてはならない」ということに主眼がおかれている。誰が読んでもそうとしか読めない。
 だが、この主張こそが、糾弾闘争の全面否定に他ならない。わかりやすく言えば、中条君のこの主張は、「糾弾は、極悪の差別主義者のような者にだけ許される行為だ」という主張である。だが、部落差別というものは、極悪の差別主義者による差別せん動や差別行為よりも、身近な親友や、恋人、つれあい、同級生や職場の仲間、そして同志など、もっとも信頼すべき人々による「無自覚な」言動によってこそ、もっとも傷つけられ、人格をずたずたに破壊されるほどの打撃を受けるのだ。部落民の誰一人として、天皇主義者のような極悪の差別主義者から差別を受けて「自殺」する者などいない。ぎゃくに、もっとも信頼する恋人やつれあい、同級生や同僚から差別を受けて「自殺」するほどの苦しみを受けるのである。こういう現実を、水平社創立の一人であった西光万吉は、「生きたまま心臓をえぐられる」と表現している。
 糾弾とは、こういう部落差別にたいして、部落民にとってはみずからの人間としての尊厳を取り戻す行為であり、自己解放の主人公としてみずからを打ち立てる行為なのだ。だからこそ、差別による労働者階級の分断を乗り越えて、階級的団結を取り戻していく決定的な契機となる。そして、だからこそ、糾弾とは部落解放運動そのものなのである。糾弾をこのように扱う中条君の主張は、部落民にとっては、「人間として主張するな」という主張をあびせるに等しいものなのである。部落出身の活動家(宇佐見同志)が、団結を求めて糾弾していることにたいして、相手が、どのような苦しみをかかえ、苦闘し、乗り越えてたたかっているのかについて真剣に対象化せず、「それでは団結できない」などと「団結」のから叫びをもって糾弾を否定するような行為は絶対に許されない。
 中条君は、その文書で、「9月6日、7日に宇佐見同志とあったがなにも聞かなかったのに、10月になって突然、『差別だ』とはなんだ」と主張している。だが、彼には、宇佐見同志が、「もうこんな人たちとは一緒にやれない。全学連もやめる」というところまで苦しみ、絶望し、追いつめられ、しかし、そこから「絶望しているだけではだめだ。もう一回失われた信頼を取り戻そう」と思い直して糾弾に立ち上がったことの決断の大きさ、その意味がまったく理解できない。党中央もまったく同じである。こんなことは、部落差別というものが、いったいどのようなものなのかということについて、一度として真剣に考えたことのない者にして、はじめて言えるような主張でしかない。
 いまひとつの、「自分も被差別民」という主張について。これは、じつに極悪の主張である。そもそも、いったい、何のために、このようなことを持ち出したのか。「だから自分は差別するはずがない」ということが言いたいのか。「『障害者』解放運動は、部落解放運動のような糾弾をしない」というために持ち出したのか。でたらめである。「障害者」解放運動をもちだして差別糾弾闘争を否定する、このような態度は絶対に許すことはできない。
 中条君は、その文書の最後にも、わざわざ、6・9の部落出身の青年労働者の発言を引用して、「団結を求めて差別をおそれず」などという得手勝手な解釈をほどこして、宇佐見同志の糾弾を否定しようとしている。この青年労働者は、宇佐見同志とともに全国連の青年部を背負う活動家である。こういう行為が、全国連の青年部に分裂をもたらす卑劣な行為だということについて、中条君という人物は、思いをめぐらせることさえできないのか。
 この中条君の文書を、「特別報告」は、「党として断固として支持する」とし、これが党の主張だとしている。だが、中条文書にあるようなでたらめな差別的主張が、一党員の主張として出されるということと、党の主張だとして採用されるということとは、根本的な違いがある。党そのものが、中条君と同じ考え方に立てと、全党員に強要するということを意味するからである。いまや、革共同の全党員は、ひとりの共産主義者として、この中条文書にたいしてどういう態度をとるのか、が問われているのである。

D差別問題に関する基本的態度はなにか

 「特別報告」は、「広島問題」についてあれこれ論じているが、しかし、ここには、当該の宇佐見同志が、いかに苦しんだか、いかに悩んだか、いかに悔しい思いをしたのか、どういう気持ちで全学連や党と決別しようと思ったのかというようなことに、共産主義者として肉薄しようとするような意志などミジンもない。18ページにわたる論述のなかに、一言だにない。これは、中条君の文書にも、中四国地方委員会の主張にも、まったくない。また、「広島問題」に関して24CCを支持するという党員の誰ひとりとして、このような態度をとる者はいない。まさに反階級的、人間的腐敗と言う他ない。しかし、これこそ、「広島問題」(だけではない!)にたいする党としての態度の原点でなくてはならないのだ。
 宇佐見同志にとって、もっとも信頼できると思ってきた同志たちから裏切られた悔しさ、苦しみ、怒りはいかばかりだったか。もっとも信頼できると思ってきた同志たちの部落解放運動にたいする無知、無自覚、差別主義的憎悪に直面したときの絶望感はいかばかりだったか。これに、共産主義の党はどう答えるか。どういう指導を行うべきか。これこそが、「広島問題」の原点である。IM同志がどうこうしたなどということは、その核心においてまったく関係がないのだ。
 だが、革共同の中央をはじめとした全党の同志たちは、もっとも核心であるこの宇佐見同志の苦しみと、怒り、糾弾から逃げ回っているのである。「全国連にちくったIMが悪い」とか、「路線論争」だとか、「党内論議だ」とか、なんだかんだと問題をすり替えて逃げまわっているだけなのだ。そして、そのあげくに、「差別などデッチあげだ」と主張して、宇佐見同志を最後的に切り捨てようとしているのである。これが「広島問題」に関する24CC決定の本質に他ならない。
 だが、革共同の本来の、基本的態度は、この24CCとは180度違うものである。党の部落解放運動に関する綱領的立場を打ち立てた島田論文は、本多書記長を先頭として、旧来の日本共産党による客観主義史観を乗り越えて、部落差別によって受ける部落大衆の苦しみと怒り、自己解放的決起にマルクス主義者として真剣に肉薄し、主体化していくたたかいを通して書かれたものであった。レーニンの民族問題に関する諸論文と立場は、被抑圧民族のプロレタリアートが歴史的、現在的に受ける抑圧、苦しみ、怒りに徹底的に肉薄し、主体化することなしにはなかった。両者に共通するのは、スターリン主義的な、マルクス主義の公式的、客観主義的適用などとは無縁な態度であり、ともにプロレタリア世界革命を実現していく主体としての措定と、その団結を打ち立てていくための真剣な態度である。だが、いまや、反スターリン主義・革命的共産主義の原点ともいえる、レーニンや本多書記長の態度が、党内から完全に消滅してしまったのだ。

(2)労働者階級に分断をもちこむ反階級的策動

 「特別報告」は、「広島問題」に関する糾弾闘争を否定するために、事実のねつ造による「差別事件のでっちあげだ」とする規定だけでなく、卑劣にも、差別糾弾闘争と11・4(11月労働者集会)とを対立的に描きあげ、差別糾弾闘争が、あたかも11・4の妨害者であるかのように仕立てている。しかし、この主張こそが、11・4にたいする許し難い敵対であり、冒涜に他ならない。
 11月労働者集会の中軸をなす3労組共闘、3カ国連帯は、プロレタリア世界革命へのかけがえのない階級的砦である。「特別報告」は、『広島問題』の誤った取り扱い(糾弾闘争のこと)は、それを破壊するものとなる」(9P)と、差別糾弾のたたかいを、卑劣にも、11・4の妨害物であるかのように主張している。
 だが、ここでも事実は逆である。宇佐見同志は、他の誰よりも11月労働者集会への動員の先頭に立ってたたかっていた同志であった。みずからの出身大学においても、広大の解放研の組織化においても、全国連広島支部の青年部長として全国連の青年の組織化においても。ところが、広島の差別事件とそれにたいする党指導は、このたたかいをずたずたに引き裂き、11・4動員を破壊してしまったのである。党の正しい指導を通した真剣な自己批判が行われていれば、本当の意味での共産主義的団結が打ち立てられ、宇佐見同志は生き生きとたたかい、爆発的な11・4動員が実現されていたに違いないのだ。
 そもそも、宇佐見同志をはじめとした同志たちの差別を許さないというたたかいが11・4の妨害だと言うのなら、港合同や関ナマ、民主労総やILWUなどの労働者に、真っ向から真実を明らかにしてその態度を問うべきである。だが、たたかう労働者は、けっして糾弾を否定したりはしない。ぎゃくに、階級性をとぎすまし、階級的団結を強く、豊かなものにしていくものとして、おおいに主体的、積極的に取り組むという態度を表明するに違いないのだ。そして、部落差別とのたたかいをみずからの課題としてたたかうという立場に立つに違いないのである。差別事件を隠蔽し、もみ消し、糾弾闘争を否定するために11・4を持ち出すなど、全世界のプロレタリアートにたいするかぎりない冒涜であり、11・4の私物化に他ならないのだ。

(3)全国連(部落解放運動)にたいする敵対

 24CCの決定は、「革共同」が日本共産党やカクマルと同じ反革命差別主義集団へと転落したことを決定的に示すものだということである。
 「広島問題」は、それじたいが驚くべき差別事件である。部落解放運動に人生をかけて取り組み、また、部落解放運動と真に連帯する学生運動や労働運動を打ち立てようとたたかってきた部落出身の共産主義者のたたかいを党指導部が罵倒し、踏みにじり、抑圧する、許すことのできない差別犯罪である。同時に、その言動は、全国連(部落解放運動)にたいする差別主義的憎悪と敵視にもとづく、全国連にたいする破壊行為に他ならない。
 だが、「広島問題」は、それにとどまらない。つまり、この差別事件にたいして、これを告発・糾弾する当該と同志にたいして、当事者はおろか党全体が「差別事件のデッチあげだ」「糾弾は人格を否定する行為だ」「糾弾は与田と同じだ」として開き直り、この告発・糾弾を踏みにじったのである。
 だが、それだけでもない。当該の告発を受けて、これが部落差別であり、全国連にたいする破壊行為であるとして、全国連が事実確認会を開催し、それへの当事者の出席を求めたことにたいして、なんと党全体が差別した当事者を擁護し、全国連の糾弾を無視し、否定しているのである。
 この「広島問題」とそれにたいする革共同の態度は、日本階級闘争における、いわゆる左翼による差別事件としては最大級の歴史的な差別事件である。また、部落解放運動の歴史上、事実確認会を否定しためは、帝国主義権力や右翼反革命をのぞいて、日本共産党とカクマルだけである。この事実に、革共同の全党員は震撼すべきである。いまや「革共同」は、24CCをもって、日本共産党やカクマルと同じ反革命差別主義集団へと転落したのだ。このような者が「革命党」を名乗って労働者階級の指導部づらをすることなど断じて許されない。

3)「党内においては差別はない」とする反階級的主張

 「特別報告」の第二の問題は、現実に発生した差別事件を開き直り、当該を先頭にした糾弾闘争を抑圧し、否定しただけでなく、「党内においては差別はない」とする日共スターリン主義と同じような反階級的立場に立ったということにある。
 「特別報告」は、「広島問題」の具体的な検討と、それにたいする党の見解を述べる前に、「『広島問題』は7月テーゼをめぐる不一致の問題」とか、「党内における路線論議を糾弾の対象にするな」とか、「差別だ、糾弾だというのは与田の残滓だ」などと、あらんかぎりの悪罵を投げつけて差別糾弾闘争そのものにたいする憎悪を吐露している。この点において、「特別報告」は、その本質において、「糾弾はこわい」とか「糾弾は差別したものの人権を否定する」などと言って糾弾闘争に敵対する帝国主義権力とそれに組織された差別主義者と何一つ変わらない。言葉として、「人権」が「プロレタリア解放」とか「党員の同志的信頼」というものに置き換えられているだけで、そのじつ、主張していることの本質は帝国主義的、ブルジョア的イデオロギーにもとづく主張と同じなのである。要するに「糾弾はいやだ」「やめてくれ」という、労働者階級の立場とは無縁な差別主義的悲鳴に他ならないということだ。
 だが、このなかで主張されていることは、「党内においては差別はない」とする、驚くべき反階級的主張である。これは、かつて、69年の矢田教育差別事件をめぐる糾弾から逃れるために、「労働者は差別しない」などと主張して部落解放運動からたたき出され、部落解放運動にたいする差別主義的敵対の道に転がり込んでいった日本共産党スターリン主義とまったく同じ主張なのである。

(1)「7月テーゼが絶対に正しい」とする観念論的主張

 そのひとつは、事実が問題なのではなく、「7月テーゼで一致することが重要だ」とする転倒した考え方である。
 「特別報告」は次のように主張する。「もとより事態の推移・経過を追うことも重要である。しかし最も肝心なことは、この事態の一切の発端であり、全経過の本質と核心にあるものは、なによりも7月テーゼをめぐる討議である」(3P)
 まさに、事実などどうでもいいという態度である。何が起こったのか、それがどう扱われたのか、これらが問題なのではなく、「7月テーゼで一致することが問題だ」と言う訳である。だが、「7月テーゼ」で一致すれば、部落差別がなくなるとでも言うのだろうか。驚くべき、観念論的主張である。
 たしかに「7月テーゼ」こそが事態の核心にある。「広島問題」は、まさに、「7月テーゼ」の強要が生み出した恐るべき部落差別事件であり、その実践が生み出した差別事件だからである。だからこそ、「7月テーゼ」が核心だという場合には、事実から出発すれば、問題はつぎのように建てられなくてはならない。つまり、ひとつは、「7月テーゼ」の討論を指導した中条君らの「7月テーゼ」の理解が誤っているのかどうか。いまひとつは、「7月テーゼ」そのものが誤っているのかどうか、である。マルクス主義者というものは、現実に起こった差別事件を真摯にみすえ、その解決のために全力をあげてたたかい、それを通して路線とその指導を検証し、ただしていくということでなくてはならない。ところが、「特別報告」は、このような立場とは逆に、あたかも「7月テーゼ」が「絶対の真理」ででもあるかのようにして、それと矛盾する現実は、そのすべてが「7月テーゼで一致していないことが問題だ」として切り捨てるという立場なのだ。これは、唯物論的現実から出発するのではなく、得手勝手にでっちあげられた観念世界(「7月テーゼ」)に無理矢理に現実を適用させようとする転倒した主張であり、党を、観念的宗教的集団に変質させる、とんでもない主張である。

(2)党と党内討議を階級闘争の現実とは切り離された「聖域」とする主張

 ふたつめは、「党内論議を糾弾闘争の対象にしてはならない」という手前勝手な、でたらめな主張である。
 「特別報告」はつぎのように言う。「(差別だ糾弾だと言うのは)党内論議において、共産主義者と部落民という関係での自己分裂と混乱がある」「階級移行していない」「『部落民対一般民』の議論へのすりかえ」「部落民であることによる党内での例外的あり方の要求だ」(4P)
 要するに、ここで主張されているのは、「党内論議においては、『部落民対一般民』という関係はないから、何を言っても差別にならず、何があっても糾弾してはいけない」と言うことである。そして、差別だと思うのは、「階級移行していないからだ」「共産主義者ではなく被差別民としての立場でしかないからだ」と言っているのである。これは、二重の意味で、根本的に誤りである。
 第一に、この主張は、党(党内討議)は、階級闘争の現実から遊離した「聖域」だとする、とんでもない主張だということだ。しかし、現実に、党(党内討議)は、「聖域」などではない。党(党内討議)は、階級の現実を反映するし、反映するからこそ労働者階級の党たりうるのである。だからこそ党内においても差別は起こる。こんなことは当たり前だ。共産主義者とは、「差別があってはいけない」などという「ブルジョア啓蒙思想」などとは無縁である。問題は、その解決のためのたたかいと指導にあるのだ。そして、このたたかいを通した共産主義的一体性にもとづいて、労働者階級を軸とした全人民的な階級的団結を打ち立てていくのである。だからこそ、党内においても、差別にたいしては糾弾するし、自己批判もしなければならない。党内闘争としてのたたかい方はあっても、その本質において、党内だからこそ、どこよりも真剣な糾弾と自己批判が要求されるのだ。そして、糾弾と自己批判を通した共産主義的一体性の確立をかちとることによって、はじめて階級の指導部、党たりうるのである。
 第二に、差別だと思うことや、糾弾することを、あたかも「共産主義者ではない」「部落民や被差別の立場に立った行為」だとして非難していることだ。しかし、共産主義者というものは、誰よりも差別の痛みを共有でき、誰よりも差別糾弾の正義を体現してたたかうものでなければならない。なぜなら、労働者階級こそ、部落大衆や被抑圧人民の苦しみをみずからの苦しみとして背負い、みずからの解放のたたかいを通してその撤廃を実現できる唯一の階級だからである。共産主義者は、この労働者階級の階級性と、団結をもっとも普遍的に体現する存在である。この「特別報告」の主張は、共産主義とその党が労働者階級の自己解放闘争の普遍的な利益を体現するというマルクス主義の根本原理を解体し、共産主義とその党を、労働者の即時的な利益のもとに従属させようとする反階級的な主張なのである。
 いまひとつ、この「特別報告」の主張は、「党内論議を全国連による糾弾の対象にしてはいけない」ということを言いたいということがある。実際に、「党内論議を糾弾の対象にするな」とか、「被差別民の立場にたった行為」だとかと非難するのは、直接的には「広島問題」が全国連による糾弾に発展していることへの非難であり、そこから逃れるための必死のいいわけに他ならない。
 たしかに、全国連による糾弾ということは、党内において発生した差別問題の解決という点では「最悪」の結果である。だが、これは、党指導によって解決することができなかった結果に他ならない。いや、むしろ、党中央が先頭に立って「差別ではない」「党内論議においては差別などありえない」などという反階級的主張を繰り広げ、宇佐見同志の告発を隠蔽し、差別にたいする怒りとたたかいを抑圧し、抹殺しようとしてきた結果なのである。
 だが、全国連による糾弾は、なにか「党を破壊する」とか、「党内闘争の政治に使われる」などというものでは断じてない。そんなことは、ありえないのだ。一体、党中央は、何をおそれて、これほど全国連による糾弾を憎悪するのか。この根底にあるのは、差別糾弾闘争にたいする差別者的憎悪であり、そこからの自己防衛に他ならない。日本共産党やカクマルによる差別糾弾闘争の否定は、それが純粋に彼らの理論や路線から導きだされた結果ではない。その根底にあるのは、差別糾弾闘争の持つ対権力の死闘性、階級性に根源的に立脚することを問う鋭さと激しさなどへの反革命としての恐怖であり、憎悪なのである。ところが、いまや、これと同じ考え方に、他でもない革共同の中央が陥っているのだ。だが、この糾弾闘争というものは、労働者階級の党、共産主義の党にとってはかぎりない援助であり、それによって階級性がとぎすまされ、団結が強化され、豊かな路線性が確立することはあっても、労働者階級の党が「破壊される」ことなどありえないのである。

(3)「差別糾弾闘争は与田の残滓だ」とする主張

 みっつめは、「党内論議の範疇にある問題を差別糾弾闘争にしていくことは、本質的に与田的あり方そのものだ」とする主張である。
 「(与田は)差別糾弾闘争をテコにして、(革命的規律とみずからを切断し、小ブル個人主義の世界を)党のなかにひとつの聖域的例外をもうけるものとしてつくりだした」「同志会が歴史的に、いわば党であって党でないという存在は、与田の小ブル自由主義と非組織性と切り離してはどうしても考えられない」「与田がもっぱら依拠してきたような『党内差別糾弾』の政治」(「特別報告」5P)
 とにかく「与田が悪い」「与田の残滓だ」と言いたいらしい。
 だが、与田が、「党内論議を差別糾弾闘争にした」事実など、どこにもない。全国連が、与田に使われて差別糾弾闘争をもって党内の政治に介入した事実も、どこにもない。また、同志会が、与田に使われて党内において糾弾闘争をやった事実も、どこにもない。そんなことは、ある訳がないのだ。同志会は、その最高責任者として与田のもとにあったとしても、党の団結を破壊するような行為に手を染めることなどありえないのだ。全国連もまた、与田個人の思惑によって動かされることなどありえない。こういう風に問題をたてることじたいが、全国連や同志会にたいする限りない侮辱であり、許されない行為である。一体、部落大衆の自己解放闘争の組織的結集体としての全国連をなんだと思っているのか。与田がどうこうではない。与田がどう思おうが、差別糾弾闘争や、全国連を個人の思惑や政治的野望によって動かせるようなものだと思っているのか、ということである。
 しかし、これこそ、与田がそうしてきたということではなく、他でもない党中央こそが、じつは、全国連や差別糾弾闘争を党や個人の思惑でどうにでもなるものと見ていることを物語っているのである。だからこそ、「中田書記長解任」なる陰謀を平然と推し進め、全国連をまるで党の手駒ででもあるかのように私物化しようとするようなことができるのだ。
 だが、この問題は、それだけにとどまらない。じつは、「与田的なもの」とか、「与田がもっぱら依拠してきた」とか、「与田のもとでもっとも典型的に生み出された」などといいつつ、その実、「差別糾弾闘争=与田の残滓」としてデッチあげ、「差別糾弾」そのものを憎悪し、否定したいということに他ならないのである。
 いまひとつ、同志会のあり方に関するでたらめな言及について、こういう主張は断じて許すことはできない。「党であって党でない」とは、一体、どういう現実をさして主張しているのだ。同志会は、そもそも、本来、解放同盟内の革共同同盟員や支持者などによって構成された「大衆的組織」、いわば、解放同盟内の左派フラク(国労でいえば「学校」)である。これと、党の組織としての同志会」は、便宜的に同じ名称を使っているとはいうものの、党の組織、機関そのものであり、その性格においても、組織的形態においてもまったく違うものである。しかも、「左派フラク」としての同志会は、全国連の創立をもって、構成員の党への結集を実現していく過渡的な期間ともいうべき、若干の余地は残しながらも、基本的には解散している。
 また、党の組織としての同志会が、地区党に再編されず、いわば「産別組織的」な形態を持ったまま、県委員会や地区委員会に準ずる形で、党の組織を構成してきたのは、与田の小ブル自由主義ゆえの結果でも,同志会メンバーの「部落民主義」の結果などでも断じてない。それは、県委員会や地区委員会などの党の基本組織が、その過渡性によって実際の階級闘争における部落解放運動の持つ大きさにキャッチアップできない現実によってである。実際に、同志会の解体と地区委員会への再編という試みは、同志会じしんの賛成もあって、沢山打倒の直後に行われたが、地区党じたいの現状によってうまくいかず、また、80年いこうの処分闘争をへて全国連創立にいたる激動過程の党としての指導の確立の必要性からも、再び、「産別組織的」形態へと再編されたのであった。これらのプロセスは、与田の個人的裁量のものとで行われたものでも、同志会が勝手に行ったものでもない。そのすべてが党の決定にもとづいて行われてきたものである。
 しかも、昨年の党の革命いこう、同志会は、多くの労働者党員による全国連の指導をみずからの責任として取り組んでいくたたかいと一体となって、同志会の革命的解体・地区党への合流への自覚的なたたかいに立ち上がってきたのである。この労働者党員の必死の格闘は、部落解放運動をはじめとした戦線の指導にたいする真剣な主体的格闘なしに、「戦線の暴力的解体と地区党への再編」を公式主義的に強行し、それが「党の革命だ」などとする党中央のでたらめな姿勢とは180度違うものであった。
 いま一度問う。「党であって党ではない」とは、一体、何をさしているのか。与田がいるときには、党としての部落解放運動指導を与田に丸投げして何の責任もとらず、与田が打倒されたら、手のひらを返したように、「同志会は党ではない」「地区党に再編すべきだ」などと主張する党中央こそが、「党中央であって党中央ではない」あり方に他ならない。この両者に共通するのは、部落解放運動には党として何の責任もとらないということであり、あるときには与田(同志会)に、そしてあるときには地区委員会に丸投げするというでたらめな姿勢なのである。そして、また、あるときには同志会を持ち上げてその努力に乗っかり、あるときには平然と切り捨てる、こういうあり方に終始してきたのが中央なのである。「血債主義」なる規定は、まさに党中央にこそふさわしい規定である。

4)部落解放運動の原理的否定

 「特別報告」の第三の問題は、革共同の部落解放運動に関する綱領的路線的立場を解体し、「部落解消論」とも言うべき反革命的な「部落問題論」「部落解放闘争論」を密輸入しようとしていることにある。
 差別事件にたいする開き直りと糾弾闘争の否定、党と党内討議を階級の現実から切り離して「聖域」化させる反階級的主張は、「広島問題」という「部分的な」「例外的な」「一時的な」ものなどでは断じてなく、じつは、党の綱領的次元における反革命的変質と一体であり、まさに、その実践的あらわれに他ならないということである。

(1)「部落差別解消論」の密輸入

@「仁村論文」批判に名を借りて「部落差別解消論」を主張

 党の部落解放運動の綱領的、路線的解体の第一の問題は、この「特別報告」において、『仁村論文』批判、『6回大会特別報告(部落解放闘争の綱領的諸問題)』批判に名をかりて、そのじつ、反革命的な「部落差別解消論」を主張しはじめたということにある。これは、革共同そのものを根底から変質させる、歴史的な、反革命的な出来事である。
 「特別報告」はつぎのように主張する。(15P〜16P)少し長くなるがきわめて重要なので全文を引用する。
 i)「ここでは(部落解放闘争の綱領的諸問題では)、帝国主義は『多くの非資本主義的要素』を『前提』とすることを強調し、結局は資本主義体制の『賃労働と資本』という階級支配の基軸中の基軸がまったく相対化され完全に放逐されてしまっている。はっきり言えば、帝国主義が何よりも『資本主義』であることが完全に蒸発しているのだ」「だが、帝国主義とは死滅しつつある資本主義であり、だからこそ賃労働と資本の資本主義的階級支配を徹底的に無慈悲に貫こうとするものである。にもかかわらず、非資本主義的要素をこのように強調することは、もはやカクマルばりの帝国主義の変質論である。」
 A)「しかも、決定的なのは、いまや帝国主義の国家独占資本主義政策が破綻し、80年代からの『新自由主義政策』というむきだしの資本主義的論理を徹底的に貫徹しているときに、帝国主義の非資本的要素が強調されている」
 B)「これでは、決して部落差別の正しい歴史的階級的規定はできない。いやむしろ『階級支配の一環』といいながら、『身分的差別』を実際には帝国主義・資本主義の階級支配と切り離してとらえ、逆に『部落解消論』批判の形をとって、労働者階級と分断するような『政治的・経済的・社会的・精神的=全人格的な抑圧』をいうことは、決して正しくない。まさに部落解放闘争を階級闘争の特殊性ではなく『例外性』におくものである」  いじょうが、「特別報告」のいうところの「部落問題論」のすべてである。一言でいえば、まともな理論的検証もないでたらめな政治的作文にすぎないものだが、その内容はまさに驚くべきものだ。
 それは、きわめてシンプルで、しかも完全な「部落差別解消論」だということである。つまり、i)帝国主義とは資本主義であり、賃労働と資本の資本主義的階級支配がすべてだ。非資本主義的要素を問題にするのは誤りだ。A)しかも、現代においては非資本主義的要素は問題にならない。部落問題など、せいぜい、国家独占資本主義政策のときに問題になったにすぎない。B)だから、部落差別を「政治的・経済的・社会的・精神的=全人格的な抑圧」だととらえてはいけない。身分的な差別などたいしたことではないのだ。と言っているのである。
 われわれは、この主張を徹底的に重視しなくてはならない。それは、まさに、革共同が日本共産党やカクマルと同じ陣営に、つまり反革命の陣営に移行したことを示す決定的な指標だからである。

A部落民の自己解放闘争としての部落解放運動の否定

 第二の問題は、部落民の自己解放闘争の否定と、労働者階級による部落差別との自覚的たたかいの否定である。「部落差別解消論」の立場に立つということは、同時に、日本共産党やカクマルがそうであるように、部落解放運動などあってはならないものだとする実践的立場に行き着くことを意味する。実際に「特別報告」は、まさに、部落解放運動の否定にまで行き着いているのである。
 以下、「特別報告」(13P〜14P)はつぎのように主張する。  i)(『仁村論文』は)「『部落解放闘争とは、帝国主義の身分的差別のもとにおかれた部落民じしんの自己解放闘争でなくてはならない』と言っている」
「それは、マルクス主義が完全に欠落し、プロレタリア自己解放がまったく軸にすわっていない誤りだ」
 A)(『仁村論文』は)「『権力、資本およびそれに屈した一般民労働者人民の差別、迫害』と労働者を権力や資本と同列においている。本質的に労働者階級への不信と絶望がある」「もちろん、労働者は、自動的に差別主義の汚染・蓄積から自由になるのではない」「このことは、帝国主義・資本主義のすさまじい階級支配と、とくにスターリン主義と社会民主主義によって敗北を強いられてきたプロレタリアートが、真に自己の革命性を回復するうえで必要な自己認識である」「このことは、まさにスターリン主義や社会民主主義などの体制内勢力を打ち倒すことで階級性を回復するたたかいを不可避とするのだ」  この「仁村論文」批判の箇所も、理論的検討などと呼べるような代物ではなく、じつに乱暴な政治的作文である。だが、ここでも、「部落差別解消論」と同じように、部落解放運動そのもの解体、否定という驚くべき主張がきわめて露骨に展開されているのだ。つまり、i)帝国主義の身分的差別にたいする部落民の自己解放闘争という考え方は、マルクス主義がわかっていない誤りだ。A)労働者階級にとって、差別主義に汚染されているというのは単なる自己認識でいい、スターリン主義や社会民主主義を打ち倒すたたかいをやれば階級性が回復されるのだ。と言うことである。
 要は、部落民の身分的な差別にたいする自己解放は誤りであり、同時に、労働者階級も、部落差別との自覚的、あるいは「独自的」たたかいなどまったくやる必要などないということである。これだと、全国連という身分的差別とたたかう部落大衆の団結など必要がない、あってはならないものだということになる。結局、そう書いてはいないが、ここからでてくる結論は、「全国連など解散して、部落民も労働組合に入って労働運動をやるべきだ」ということになるのは不可避である。これこそ、30年代に日本共産党スターリン主義が指導した「水平社解消闘争」(別項でふれる)とまったく同じ反革命路線に他ならない。事実、「特別報告」の最後のページの「革命的部落解放闘争の実践的課題」のなかには、「全国連のたたかい」「全国連の組織建設」という項目、言葉じたいが完全になくなってしまっているのである。

(2)帝国主義による戦時部落差別攻撃への屈服と転向

@激化する部落差別攻撃との対決からの逃亡

 いじょうのような、「部落差別解消論」の主張の本質は、こんにちの日帝による戦時部落差別攻撃ともいうべき部落解放運動の絶滅攻撃とそれをテコとした恐るべき部落差別せん動との対決からの逃亡に他ならない。
 何よりも、「部落差別解消論」の根本的誤りは、他でもないこんにちの部落差別の現実によって明らかである。つまり、いまや、「非資本主義的要素が問題にならない」どころか、帝国主義の末期的危機と侵略戦争への突入情勢下で、部落差別という「非資本主義的要素」が、帝国主義の階級支配を支える決定的要素として、権力、行政、マスコミなどを動員して最大限に使われ、部落大衆にたいして極限的な差別・迫害として襲いかかっているのである。
 しかも、この攻撃の、そのもっとも鋭い反革命的矛先は、大阪や奈良における差別せん動に示されるように、労働者階級に徹底的に分断を持ち込み、労働者階級を差別的迫害の先兵に仕立て上げようとするものだということにある。大阪市における、ホームレスを公園からたたき出す強制執行に、権力機動隊でなく、自治労現業を動員したやり方を見よ。現業のリストラ・民営化攻撃の一環として、民営化によって生まれた「余剰人員」を部落を最大のターゲットにした生活保護の打ち切りの先兵にしたてあげようとするやり方を見よ。何よりも、同和住宅の家賃値上げ攻撃は、自治労の労働者を、部落民を部落から追い出す先兵に動員しようとするものだ。こうして、自治労、教労をはじめとした労働者を、この差別攻撃のなかに引きずり込み、労働者階級を部落差別の先兵に仕立てることを通して、その階級的団結をずたずたに引き裂こうとしているのである。
 「部落差別解消論」は、この現実から目をそらせ、この攻防から逃亡しようとするものに他ならない。だが、階級支配というものは冷酷である。いくら逃亡しても、この攻撃と無縁な空間などこの世に存在しない。だからこそ、逃亡とは、この攻撃への屈服であり、帝国主義の先兵化の道に必ず行き着くいがいにないのである。
 日共スターリン主義や、カクマルの反革命・差別主義への転落は、単純に、彼らの理論や路線から導きだされたものではない。ぎゃくに、彼らの反革命への転落は、そうした「きれい事」によってではなく、帝国主義との血みどろのやりあい、内乱という生々しい階級闘争の現実からの恐怖ゆえの逃亡によって生み出されたものである。実際に、30年代における日本共産党の反革命的変質の完成と、水平社を解体した反革命路線は、日帝による天皇制白色テロルとのやりあいからの逃亡にこそ、真の出発点をもつものであり、同時に、差別糾弾闘争が、「騒擾罪」をはじめとした大弾圧とのたたかいに直結することへの恐怖ゆえの逃亡にこそあったのだ。

A全国連16回大会をめぐる「路線論争」

 じつは、本年3月、全国連の第16回大会をめぐって、党内において、部落解放運動の指導路線をめぐる「路線論争」があった。16回大会の成功にむけて『前進』紙上に掲載された「同志会論文」をめぐる、政治局による「批判」という形でだされたものである。だが、この「批判」は、そもそも事実に立脚していないなどのあまりの低水準さによって、当時はまともに検討する気にもなれず、また、それを取り上げることが党の分裂につながりかねない政治的組織的状態にあったことなどから、いわば意識的に「見過ごす」という風にしてきた。政治局の側も、あまりのでたらめさを恥じて、引っ込める形となった。要は、厳密な検討がなされないまま、なし崩し的にうやむやにされたのである。
 だが、このとき政治局内で主張されていたことは、まさに、帝国主義による部落解放運動絶滅攻撃を水路とする戦時型の部落差別攻撃とは、「たたかいたくない」という主張であり、帝国主義との実力対決からの逃亡しようとする主張だったのである。このときの論点(政治局から出された「批判」)は、以下の諸点であった。
 i)「同志会」署名がそもそもおかしい A)住宅闘争を「三里塚闘争のようにたたかう」というのは戦術主義だ B)(大阪などで起こっている部落差別攻撃に関連して)「労働者を部落民にたいする差別的迫害に動員しようとする攻撃」というのは、労働者階級にたいする不信をあおる主張だ C)狭山闘争がない、の4点である。
 このうち、i)とC)は、ほとんどためにする「けち付け」的なものにすぎないのだが、A)とB)は、いまからとらえ返せば、きわめて重大である。
 住宅闘争を「三里塚闘争のようにたたかう」ことが「戦術主義だ」というでたらめな主張は、一方では、「いっさいの話し合い拒否、農地死守」という三里塚闘争の基本路線が、あたかも一個の戦術ででもあるかのようにするでたらめな主張である。同時に、住宅闘争が、「明け渡し」をはじめとして部落に住むことそのものをかけた巨大な、全国的な実力闘争として発展していくことにたいして、顔をひきつらせて恐怖し、悲鳴をあげているということに他ならない。
 また、「労働者階級にたいする不信をあおる主張だ」という主張は、それじたいが論理的にも無理のあるデッチあげに等しい非難だが、本音は、「それを問題にしてほしくない」「それとはたたかいたくない」という戦時型の部落差別攻撃への屈服に他ならない。
 つまり、「特別報告」の主張は、いま、このときに「突然に」、あるいは「偶発的に」出てきたものではなく、すでに、昨年から強まりはじめた部落差別攻撃の激化のなかで徐々に党内に台頭してきた反革命的転向の思想であり、そして、それが、いまや党中央の全体をおおっている現実を示しているのである。

(3)30年代の日共スターリン主義の道に転落

@「部落差別解消」論と「水平社解消」闘争

 「広島問題」と「特別報告」に示された党の態度は、歴史的、階級的にとらえ返せば、30年代階級闘争における、日本共産党スターリン主義の指導による、いわゆる「31テーゼ」にもとづく「水平社解消」論(「解消闘争」)そのものである。34年いこう、水平社による差別糾弾闘争が共産党指導によって解体され、ついには、水平社の解体、部落解放運動の体制翼賛運動への分解、変質、糾合へといたった歴史の再来である。このような代物が、およそ1世紀近くもたって再び、同じ形をとって、しかも革共同のなかから登場してきたことに驚きを禁じ得ない。だが、このことは、こんにちの情勢がまさに30年代の戦時下においてプロレタリア革命が問題になったと同じ情勢であること、それゆえにこそ、党は、「板子一枚下は地獄」ともいうべき革命と反革命的転落の瀬戸際に立っていること、さらに、日本階級闘争における部落解放運動の戦略的な大きさを物語っているのである。
 「水平社解消」論(解消闘争)は、わかりやすく言えば、「いまや階級分化が進み、部落差別はなくなりつつある」「だから差別糾弾といって、ことさら差別を問題にするのはかえって労働者に対立をあおる反動的な考え方だ」「だから水平社を解散して、部落民は、労働組合や農民組合に合流すべきだ」という主張であった。だが、この主張は、24CCの「特別報告」とまさにうり二つである。

A日共スターリン主義の指導を乗り越えたたたかい

 だが、30年代の階級闘争は、現実には、日帝の体制破綻と侵略戦争のもとで激発する部落差別の現実と、それにたいする部落大衆と労働者階級の反撃によって日本共産党の反革命的指導を乗り越え、ぶっ飛ばして高揚していく。
 とくに、33年にたたかいとられた「高松闘争」は、「水平社解消闘争」によって、労働組合や農民組合などにばらばらにされた水平社の活動家や部落大衆が、労働組合や農民組合をも巻き込んで、部落大衆がのべ百万の規模で立ち上がったとされる空前の差別糾弾闘争をたたかいとった。15年戦争のまっただ中という極反動情勢を実力ではねのけて、各地で真相報告集会を開催しながら全国行進が組織され、日帝国家権力中枢ともいえる司法省、最高検にたいする包囲・糾弾闘争がたたかいとられたのである。真相報告集会は、そのほとんどが、即座に水平社の結成大会になり、一挙に、水平社の組織は全国千百にまで拡大していく。そして、司法大臣による謝罪、差別裁判を行った判事と、検事を追放、左遷、「誘拐罪」にデッチあげられた部落青年の「仮釈放」という空前の勝利がかちとられたのである。
 こうして、実際には、共産党による反革命的指導は乗り越えられ、差別糾弾闘争が再び嵐のようによみがえっていくのである。ここには、部落大衆の差別にたいする自己解放闘争の、その不屈さ、その力の壮大さが示されている。

B「部落委員会」と「人民融和」論による水平社の解体

 ところが、共産党スターリン主義は、この空前の差別糾弾闘争の爆発と階級闘争の高揚にたいして、「水平社解消論」をより反革命的に純化させた「人民融和」なるものをもって、水平社と差別糾弾闘争の抑圧、解体、絶滅をはかったのである。それは、まさに日帝権力による水平社撲滅の大弾圧と一体の大反革命路線であった。実際に、高松闘争の空前の階級的高揚は、特高警察によるすさまじい事後弾圧と、それを放置し、屈服し、糾弾闘争に悪罵をなげかける共産党の指導によってずたずたに引き裂かれていく。そして、これが、水平社の最後的解体の引き金となったのである。
 この「人民融和」論は、「31テーゼ」に代わる、いわゆる「32テーゼ」にもとづく「部落委員会活動」方針と一体で出されたものであった。「31テーゼ」と「水平社解消闘争」が、「プロレタリア革命」に部落問題と部落解放運動を解消しようとしたのにたいして、「32テーゼ」と「部落委員会活動」は、「ブルジョア民主主義革命」に部落問題と部落解放運動を解消しようとするものである。「部落委員会」方針は、水平社を解体し、地域における環境改善運動などの改良主義的運動に変質させる方針である。実際に、部落委員会運動は、融和主義者と融和事業推進の受け皿を競う運動に転落していく。そして、その結果は、水平社の解散と体制翼賛運動への雪崩を打った屈服であった。
 「32テーゼ」は、それじたいがスターリン主義指導による帝国主義への屈服、荷担の路線であり、30年代のプロレタリア革命を血の海に沈める最後的な引き金を引く反革命的路線だが、「水平社解消闘争」にせよ、「部落委員会活動」にせよ、両者に共通するのは、水平社の解体の主張であり、差別糾弾闘争否定の主張、身分的差別にたいする部落大衆の自己解放のたたかいと団結を否定する主張である。そして、また、両者に共通するのは、差別糾弾闘争にたいする日帝権力の弾圧との攻防にたいする恐怖と逃亡に他ならないのである。
 いじょうの歴史的教訓が物語っているのは、日帝の15年戦争突入下の30年代階級闘争で問われたものと同じことが、いま、まさに、われわれに問われているということである。革共同は、当時、共産党が立っていたと同じ階級情勢のもとで、ここで共産党スターリン主義がとった反革命路線と同じ路線をとろうとしているのだ。
 実践的にいえば、このときに、共産党スターリン主義を打倒して、新たな革命党(反スターリン主義・革命的共産主義の党)を打ち立てることが水平社にとっても、労働者階級にとっても問われていたということである。そして、それと同じことが、まさに、いま、われわれにも問われているということなのである。

5)レーニン主義の反革命的解体

 第四の問題は、いじょうのような綱領的次元の反革命的な変質は、当然のことだが、部落解放闘争の領域にとどまらず、レーニン主義の全面的な解体と一体のものだということにある。
 いじょう見てきた、「特別報告」の土台をなすものは、言うまでもなく「7月テーゼ」に他ならない。「特別報告」は、「広島問題」という形で露呈した「7月テーゼ」の破綻を押し隠し、「7月テーゼ」をよりゴリ押ししていくための主張である。部落解放運動の原理的否定とも言うべき「部落差別解消論」の密輸入も、それじたいが「7月テーゼ」の物質化である。それゆえ、「特別報告」の根底的批判は、やはり、「7月テーゼ」そのものの反階級的本質を徹底的に批判しつくし、爆砕するものでなくてはならない。(ただし、時間と主体的力量との関係で、ここでは、いくつかの論点を整理するだけにとどめたい)

(1)「7月テーゼ」について

@

「7月テーゼ」の根本的問題は、つぎのふたつに集約されると思う。
 ひとつは、被差別、被抑圧とたたかう者に、「プロレタリア自己解放の立場」「階級移行」を強制しようとすること。ふたつめは、被差別、被抑圧人民の差別糾弾闘争をはじめとした自己解放のたたかいのプロレタリア世界革命における価値創造性を否定し、「糾弾主義、血債主義ナンセンス」のもとに切り捨てようとしていることである。このふたつは表裏一体の問題である。
 たしかに、被差別、被抑圧人民が差別や抑圧からの真の解放を実現していくためには、プロレタリア革命の立場に断固として立たなくてはならない。だからこそ、労働者階級の立場、プロレタリア自己解放の立場への「階級移行」は必要である。だが、それは、労働者階級がその指導性の確立を通してみずからの隊列(階級的団結)のなかに獲得していくことによってはじめて可能となるのだ。「階級移行していない」「被差別の立場、被抑圧の立場でしかない」だから反動的だとか、ナンセンスだ、間違っているなどと罵倒したり、「強制性、刻印性」によってなしとげられていくようなものでは断じてない。
 レーニンが主張した前者の立場を解体し、後者の立場にたって民族解放闘争を抑圧し、切り捨て、ロシアにおけるプロレタリア独裁を世界革命とは切り離された官僚的独裁に変質させたのがスターリン(スターリン主義)であった。「7月テーゼ」は、レーニン主義的なプロレタリア世界革命論としての「7・7自己批判」とその貫徹の立場を解体し、革共同をスターリン主義的反革命の道に変質させるものだということ。

A

「7月テーゼ」をめぐる討議のなかで、党中央は、「これは、あくまで党内の問題だ」と強調する。  だが、党内も、階級闘争の現実と切り離された「特別の」聖域や空間ではないのだ。たしかに党は、共産主義者の結集体、被産別、被抑圧の立場を越えた労働者階級の階級的団結をもっとも厳格に、もっとも豊かに体現。部落出身であっても、被抑圧民族出身であっても、共産主義者としてひとつであり、同一の立場である。  だが、そんなものがあらかじめあるのか。そんなものをアプリオリに確認することは、実際にそれを実現していくことの困難さを見ない、問題にしない観念論でしかない。党もまた、歴史的現実の上に立っているのだ。この困難さのなかに、それを乗り越えていく苦闘のなかに、階級闘争の現場における巨大な、全人民的規模での階級的な単一の団結を実現していく鍵があるのだ。

B

 単一の党の建設という課題について、われわれは、そこには、つぎの二つの側面があることを確認してきた。ひとつは、被差別、被抑圧出身であっても、その出身を越えて、労働者階級自己解放の立場に立って共産主義者としてひとつに団結すること。「7月テーゼ」が言うところの「階級移行」ということである。いまひとつは、党が、民族解放闘争、部落解放闘争などの課題をプロレタリア世界革命の戦略的課題として措定し、その指導(路線)を打ち立て、党として全力をあげてたたかうということである。より実践的に言えば、部落解放運動の指導においては、党(地区党)が全国連のたたかいの指導に全責任をとるということを意味している。この両者は、別々のものではない。ふたつにしてひとつ、表裏一体の問題なのである。これこそが、「7・7自己批判」の党的総括ではないか。
 ところが、「7月テーゼ」には、後者がない。すっぽりと抜け落ちているのである。これは、「忘れた」とか、「紙面の都合」などというような問題ではない。このふたつは、絶対に切り離して論じられてはならないものである。これは、「70年7・7」いらいの綱領的立場と、その実現のための苦闘を意図的に解体しようとする反革命的策動に他ならない。広島でのマル学同合宿における宇佐見同志の質問は、この反革命的策動を衝いた、きわめて鋭い、本質的な批判だったのである。

C

だが、じつは、後者がないのではない。これが、全面的に否定されているのである。
 「糾弾主義」「血債主義」などという概念がまともな概念規定もないまま情緒的にもてあそばれているが、それは、じつは、差別糾弾闘争や民族解放闘争そのものを指して使われているものに他ならない。「糾弾主義」「血債主義」などというインチキな規定をもちだして、その実、差別糾弾闘争や民族解放闘争そのものを否定しているのである。(「糾弾主義」「血債主義」を、「差別糾弾闘争」「民族解放闘争」あるいは「7・7自己批判」と置き換えて「7月テーゼ」を読んでみればじつにすっきりと、なにが書いてあるのかがわかる)
 「7月テーゼ」をめぐる討議のなかで、政治局のなかから、「これまで『労働者は差別者なんだといわれて発言することもできないでいた。しかし、この間読んだら、当たり前のことが書いてある。これは、もともと自分が目指してきたことじゃあないかと。」とか、「7月テーゼでも、まだ問題がある。7月テーゼでも3回も『日本の労働者階級は侵略戦争に屈服し』という文言が出てくる。こんなことを書くから『日本の労働者はだめだ』という意識が生まれてくる」などという意見がだされている。一体全体、こんなものが労働者階級の「階級性」なのか。冗談じゃない。これらの主張は、「これまで、部落解放闘争や民族解放闘争にかかわるのはいやでいやでしょうがなかった。しかし、革共同とプロレタリア革命の名において『そんなものにかかわらなくてもいい』という方針が出された。これでのびのびやれる」という、じつに反階級的本音の吐露に他ならない。
 だが、労働者階級の階級性とは、このようなものでは断じてない。労働者階級とは、みずからの解放のたたかいのなかに、被差別、被抑圧からの全人民の解放を体現できる、誇り高い存在なのだ。労働者階級の階級的団結とは、民族解放闘争や部落解放闘争の課題を「おしつけられたら」つぶれるようなケチな代物などではない。このような主張は、労働者階級をかぎりなく侮辱し、冒涜する反マルクス主義的なものに他ならないこと。

D

 この主張は、じつは、プロレタリア革命における、排外主義的な「祖国防衛主義」や差別主義との内乱的やりあいの激しさから身をそらし、逃亡するものに他ならない。
 そして、「プロレタリア革命」を限りなく「職場的団結づくり」のようなものにきりちじめるものだ。(これが、「階級的労働運動路線」の正体ではないか………)
 本質的に、権力問題にたいする日和見主義的逃亡である。
11月労働者集会の真の発展の道は何か。
(未完…  )

6)部落解放闘争の革命的路線を再確立しよう

@

 

 党の部落問題論、部落解放運動論の基礎としての島田論文
 島田論文の再構成、つぎの3つの点に集約される。
 @)〈5つの契機の統一〉
 A)〈プロレタリア革命の戦略的課題〉
 B)〈身分的差別にたいする自己解放闘争としての部落解放運動の独自の団結とたたかいの重要性〉

A

 帝国主義の体制的危機のもとでの部落差別の極限的激化という認識、戦時下における帝国主義の部落差別政策との対決、これと命がけでたたかう部落大衆(全国連)との連帯という実践的立場こそ革共同の基本的立場である。
これを全面的に復権せよ!

B

 「仁村論文」(19CC)をいかに乗り越えるか
「仁村論文」の問題点と革命的部落解放運動の路線
 @)「19CC」における「仁村論文」の意味
  ●「戦線主義」の克服と単一の党建設
  ●「労働運動路線」の止揚
 A)井上清(スターリン主義)の密輸入と「民主主義的課題」論
 B)「党を媒介とした結合」論
 ●部落解放運動とプロレタリア革命を切断。本質において「二段階革命」。その無理を「党を媒介とした結合」という形でごまかすもの
 ●プロレタリア革命の労働者階級の自己解放闘争としての核心の否定
 C)単一の党建設の課題
 「仁村論文」は、過渡的産物。党中央は、こうした「19CC」の討論とその産物としての「仁村論文」について、等しく責任を負っている。DSの同志たちは、直接的な「仁村論文」の表現を越えて、19CCの目的を断固として支持し、戦線主義を乗り越えて、一個の共産主義者として単一の労働者党のために真剣に格闘し、新たなたたかいに立ち上がっていった。これを、責任を等しく共有する政治局が、まるで他人事のように、したり顔で批判することなど断じて許されない。仁村論文の筆者である与田は、この過程で自己分裂におちいり、党としての主体を解体して、小ブル的腐敗と転向の道に転がり落ちていったのだ。与田を擁護するつもりなど毛頭ない。小ブル的腐敗と転向はあくまで与田本人の責任である。だが、党中央は、党の革命を論じ、党の革命の完遂を云々するのであれば、まずもって、このでたらめな指導を全面的に自己批判せよ。
(未完……

6)結語

●革共同の綱領レベルの変質。 ・「関西派」の分裂は、党じしんの綱領的路線的な変質によって党的団結が破壊された結果である。

●カウツキーの祖国擁護派、社会排外主義への転向と「第二インターの崩壊」
 これと同じことがわれわれの眼前で起こっている。このときのレーニンの立場に立つことこそわれわれの道だ。
・党を新たに作り直す気概をもって、徹底的な党内闘争に打ってでよう!
 労働者同志を党中央と引き離し、獲得しよう!
 スターリン主義的反革命に変質した革共同中央を打倒せよ!
・マルクス主義、レーニン主義に立脚した党の綱領的、路線的内容を再確立するためのたたかいに突入しよう!(理論委員会の開催)
・独自の労働者組織(細胞)の建設のたたかいにうってでよう!
・全国代表者会議の開催

●全国連の防衛、発展こそ実践的な死活的課題。
・「広島問題」での差別糾弾闘争の貫徹。このたたかいは、この糾弾に応える革命党の建設という課題の明確化なしに決して勝利しない。
・李さんの糾弾に真に応える道は何か、反スターリン主義の革命党を真に打ち建てること。
・17回大会を成功させることこそ当面する最大の結節環。
 帝国主義による部落差別攻撃と対決し、身分的差別とたたかう部落民の唯一の全国的団結組織としての全国連の位置とたたかいを高らかにさし示そう!

INDEX
inserted by FC2 system