都革新「支持者」の言動を中核派中央に通報していた工藤文書を暴露する

 投稿者:反戦平和

(解説)

 この「工藤文書」は、杉並区議会議員けしば・新城両名にたいする中核派による「議員辞職強要」が表面化した一昨年の11月ごろに、われわれ「支持者」の間で密かに回覧されていたものである。

 当時の常識では革命党の内部極秘文書がいとも簡単に外部に流出すること自体考えられないことなので、当初私個人は業界用語がちりばめられた本文書の真贋を疑っていた。

 なおここでいう「支持者」とは、当時の「都革新後援会」を構成する区内在住者を指し、90歳を越えた高齢者から自営業や勤め人、区立学校保護者、団塊世代ではかつて解放派、ブント、全共闘、べ平連に所属していた者からノンポリまで多種多様であり、杉並に住み根づき生活している区民のことである。本文書に実名で書かれている私もその一人である。中核派の路線を100%支持しているわけではなく、当初は「たまにはいいこと言うし、弾圧にもめげずによく頑張っている、応援してやろうじゃないか」という程度ののりで関ったのが現実であるが、実質的には選挙のときだけ区外から動員される中核派の活動家に代わって、住民運動を担い、資金面など、あらゆる領域で「都革新」を支えてきたといっても過言ではない。

 報告文の筆者工藤ことAは、1987年区議会選挙に関西から派遣され、関西には居場所のない本人の希望で杉並に党籍を移し、以後は「都革新」の区民対策を任務として、われわれ区民との接点の役割を果たしてきた。

 中核派中央は、一昨年3月14日の関西事件を利用し、天田書記長―中野体制に従わない指導部の一掃を図った。ここにある報告文書は杉並で、日ごろから私たちの意見をくみ上げ選挙や議会方針で天田書記長に進言していたけしば議員、沖縄問題で中央を批判していた新城議員の辞職を強要した際に、Aが自己保身のために書いたものと考えられる。

 その背景にあるのは、ある支持者にA本人が「生まれて初めて正職につくことができた」と吐露していた通り、区民の支えでできた区内の某クリニックに党から事務長として送り込まれたその地位を失いたくないため、天田の意を汲みその求めに応じて書き上げたゴマすり文書である。当時、後援会長をはじめ私たち支持者がけしば・新城を支えるために動き出した時期に、あたかも支持者の気持ちを理解したかのような顔をしながら私たちに接し、その情報をかかる報告書にして中央に報告していたというのがわれわれ共通の認識である。

 「けしば区議が議会で民営化に賛成した」なるシナリオを捏造したUとともに、この当時Aがたびたび区内で天田書記長と密会しているところを目撃されている。天田は、謀略文書と言えるAの「報告書」を、「結柴の片腕であった工藤が批判するほど結柴は堕落した」と党内世論を固めるために最大限利用したと思われる。Aのかかるカメレオン的動きによって、杉並で築き上げてきた住民運動・大衆運動が分裂の危機にさらされたことは断じて許せない。

 われわれはそれ以前から、けしば、新城の両名が、私たち住民の運動を政治的に利用する党中央と、われわれ支持者との狭間で苦悩していた事実を知っている。日ごろ議会を傍聴している私たちは、中核派が政治的狙いからでっち上げた「民営化に賛成云々」などが、100パーセントあり得ないことも知っている。われわれは即座に本質を見抜き、大衆運動の党派的利用と破壊を許さず、中核派と決別して大衆運動を守り抜いた。けしば、新城両名に再出馬を説得して初めて自分たちの知恵で選挙を闘い、われわれの議員を獲得することができたのである。中核派が全国動員して得た北島候補の票が2568票に対して、けしば候補が3,388票、新城候補が2,215票、両名で5603票を獲得することができたのは住民・大衆の勝利といえる。

 選挙から一年近く経過した今、何を血迷ったか、「都革新後援会」元会長のA氏に対して以前していたことのあるカンパを「賃金未払い」などと強弁して、労働運動を偽装した恐喝行為ともいえる嫌がらせ行為が勃発した。

 まさに末期的、目を覆うばかりである。より一層の中核派に対する監視が必要である。

 最後に改めて言う。

 私たちが生活する杉並区に、今の「中核派」はいらない。

  工藤文書
*業界用語解説
1)AD:アンデス革命。3.14クーデター。与田打倒闘争。
2)Y:カクマル。山本派
3)SY:解放派
4)WX:区議選
5)TX:都議選
6)TRX:2001年3人立候補した区議選
7)PT:対カクマル闘争の第一段階。防衛戦
8)PU:対カクマル闘争の第二段階。攻勢に入った段階
9)マーキュリー:東京西部地区委員会、杉並、世田谷、中野、新宿、渋谷5地区の指導部会議。
10)F:前進

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