革共同通信 2008年1月22日 革命的共産主義者同盟関西地方委員会
創刊のアピール

革共同を奪還する!

 安田一派が牛耳る革共同中央は完全に変質した。反スターリン主義・革命的共産主義とはおよそ無縁な存在になりさがった。安田派中央が発行する『前進』はもはや労働者の革命的新聞ではまったくない。
 日本と世界の共産主義運動におけるスターリン主義的な歪みを必死にのりこえようとしてきた結党以来の革共同の苦闘と前進。黒田・カクマルとの第三次分裂と70年安保・沖縄決戦、二重対峙・対カクマル戦をとおしてつかみとってきた革共同の地平。その一切合切を、安田派中央(安田・清水体制)はなげすてようとしている。
 われわれは安田派中央による革共同の簒奪(さんだつ)を絶対に許さない。革共同を全面的に奪還し、反スターリン主義・革命的共産主義運動の継承と発展を断固としてかちとる。われわれは、その戦闘宣言として『革共同通信』を発刊する。
 安田派中央の下で苦吟する同志たちに心より訴える。「たしかに中央はおかしい」「やり方は異常だ」。多くの同志たちがこう認めている。にもかかわらず、真剣な批判を提起する同志が除名・処分、粛清・追放されるのを目の当たりにしてなお沈黙を守るのか。「7月テーゼ」が党内で深刻な差別事件を引きおこし、しかもそれを「差別事件のデッチ上げ」などと居直る中央をなお看過するのか。
 いまこそロシア共産党のスターリン主義的変質の過程を想起すべきだ。沈黙は加担であり、権威主義への追従は共産主義者、革命家としての死である。
 直面する痛苦な現実に真っ向からむきあい、革命的批判精神をよみがえらせ、みずからの頭で主体的に考える自立した共産主義者として立ちあがろうではないか。

革命的時代認識と共産主義者の任務

 全世界の労働者と被抑圧民族の力で、反帝国主義・反スターリン主義世界革命をたたかいとるときがきた。帝国主義の戦争への突入を、帝国主義打倒のプロレタリア暴力革命に転化するときがきた。被抑圧民族人民のたたかいに断固として連帯し、帝国主義足下において、プロレタリアートの革命的な内乱を組織するときがきているのだ!
 時代は、第二次大戦後の戦後革命情勢や70年代ベトナム革命の国際的波及情勢をはるかにこえる21世紀の世界戦争と世界革命の時代に突入している。このことを断固として確認しよう。
 帝国主義の世界体制はすでに戦後発展が終焉した70年代に基本的に破綻していた。それは資本主義の終わりの始まりであった。
 これにたいし、80年代以降のアメリカ帝国主義はスターリン主義の破産を餌食にしながら、@はてしない軍拡と絶え間ない戦争発動をくり返し、戦後的世界秩序の破壊的な再編をおし進めた。A多国籍企業の展開をとおして、新植民地主義体制諸国人民にたいして抑圧・圧殺と搾取・収奪を極限的に強制した。B規制緩和・民営化をもって戦後的階級協調政策を転覆し、労働者階級の団結を破壊して不安定雇用化し、一切の矛盾を労働者階級に転嫁して、資本の専制的支配と強搾取体制を再確立した。C投機的詐欺的略奪的な手法で、富の一極的な集中をおし進めてきた。
 新自由主義とグローバリズムとはこのような帝国主義末期の危機的で絶望的な延命策に他ならない。しかし、このような帝国主義の延命策は帝国主義の危機と矛盾を極限的に拡大している。
 その危機性は、軍拡と戦争、政治的反動と抑圧をはてしなくおし進めるいがいに体制を一日たりとも維持できないことにある。その異常性は、ひと握りの資本家階級のもとに世界の富が極限的に集中する一方で、大多数の労働者階級・被抑圧民族人民が労働地獄と絶対的貧困にたたきこまれていることである。そしてその破局性は、くりのべにくりのべてきた全矛盾が未曾有の世界大恐慌として爆発しようとしていることである。
 人間自身の力である社会的生産力が、帝国主義的生産力として徹底的に疎外されたかたちであらわれ、極限的に巨大化し、それがいまや破壊力となって人間自身に襲いかかってきている。それが、最後の階級社会である資本主義社会の行きついた末期的な姿である。

 しかし、この恐るべき現実の中でこそ、人間解放の条件が成熟し、人間解放の主体が登場している。われわれはここに革命の現実性をはっきりとつかみとることができる。必要なのはただ革命の現実性を現実の革命に転化するプロレタリアートの革命的行動である。

日本階級闘争が直面する課題

 帝国主義による労働者支配の要は、本工と臨時工、大企業と下請企業、民間と官公、組織と未組織、正規と非正規―この労働者の間の分断にある。さらにここに女性差別、部落差別、民族差別、「障害者」差別がつらぬかれている。ここに団結の破壊と階級性解体の攻撃がある。
 74〜75年恐慌以降、帝国主義諸国は、労働者の非正規雇用化を軸に賃下げを推進し、その危機ののりきりをはかってきた。それは労働者の大半を非正規職にたたき込むと同時に、労働者を雇用形態によってバラバラに分断するすさまじい団結破壊をおしすすめるものであった。今日では正規雇用労働者についても労働時間にかんする規制を撤廃するという大攻撃をかけている。
 そしていまや、労働者の非正規雇用化によって日本国内でも2千万人のワーキングプアが生み出されている。ここに革命の巨大な戦略課題が存在している。
 アメリカの労働運動は、80〜90年代の苦闘を通して、労働者にたいする分断支配をのりこえ、労働組合が非正規・未組織の労働者、被差別・被抑圧人民の課題をみずからの課題としてたたかうという画期的な地平をきりひらいた。そうして規制緩和・民営化の大攻撃をうち破る、新潮流と呼ばれる階級的労働運動を登場させてきた。
 ところが日本の労働運動においては、連合が90年代をとおして、「組合員の雇用確保」と称して非正規雇用化を積極的に受けいれ、帝国主義による分断と団結破壊に労働組合が加担するという反動的役割をはたしてきた。
 この連合指導部を打倒する労働運動の戦闘的階級的再生をかちとることが、日本の労働者階級・人民の焦眉の課題である。

「5月テーゼ」以降の総括

 では革共同はどうだったのか。われわれは、91年の「5月テーゼ」において、90年代から21世紀への大情勢をにらんで、階級的労働運動を基礎に、労働者細胞の建設と労働運動と革命的大衆行動の組織化に全力をあげることを決定した。しかしそれ以来の17年間にわたる実践にもかかわらず、06年3・14決起を不可避とした党中央の腐敗と変質がなぜ進行してきたのかについての真剣な総括をおこなわなければならない。  第一に、われわれが、労働者階級の内部に充満する深い怒りをつかみとり、それと結合するためにいかにたたかってきたのかということである。われわれは長い間、非正規・未組織・下請の労働者のたたかいを戦略的な課題とすることを欠落させてきた。このことを率直に認めなければならない。
 ここに戦略的に手をかけたとき、労働者階級の階級性がよびさまされ、階級的団結がとりもどされ、労働者階級内部に充満する深い怒りがものすごい勢いで爆発してくる。そして、そのたたかいと結びつくとき、国鉄・郵政・教労・自治体・医療などの産別はもちろん民間基幹産業においてもついに労働者階級の総反乱が切り開かれるのだ。  われわれはいまこそ非正規雇用化にたいするたたかいを展開してきた内外の先進的な労働組合から学ぶことからはじめなければならない。そのことを抜きにした安田派中央による「体制内労働運動との決別」の一面的な強調は、実践的には階級的労働運動からの召還いがいのなにものでもない。
 第二に、われわれは搾取とたたかう労働者階級の総反乱を帝国主義権力とのたたかいへと結びつけ、政治決戦の爆発へ、革命情勢そのものへと発展させていくためにいかにたたかってきたのかということである。
 当然のことながら、経済闘争で労働運動を戦闘化させて、しかるのちに政治闘争も、という路線では労働者階級を裏切るものにしかならない。「労働運動で革命を」というだけで労働組合から政治闘争を放逐してしまっては、労働組合運動そのものをつくりだすこともできない。
 レーニン主義は、職場・生産点でのたたかいを基礎にして政治闘争としての政治闘争をきりひらいていくものだ。帝国主義の危機に際して革命を訴えていくのは当然だ。しかし政治闘争をぬきにした政治権力奪取など虚言でしかない。11月労働者集会の国際連帯のたたかいをG8サミット決戦へと発展させてこそ、世界革命の展望を語ることができるのだ。改憲決戦としての改憲決戦に結びつけていってこそ、日本革命を語ることができる。沖縄人民の決起と連帯して、安保粉砕・基地撤去をたたかってこそ、日本帝国主義打倒を語ることができる。
「農地死守・実力闘争」の原点に引きもどされた三里塚決戦を労農連帯でたたかってこそ、プロレタリア暴力革命の復権を語ることができる。
 ところが安田派中央はこうしたレーニン主義の実践とはまったくの逆コースを進んできた。安田派中央は03年3月20日に米帝がイラク侵略戦争に突入したまさにそのときに、「新指導路線」と称して政治闘争からの全面的な召還を開始した。これが今日の安田派中央の変質の直接の出発点である。
 08年こそ、安田派中央による変質を粉砕し、階級的労働運動の再生とそれを基礎とした政治闘争・実力闘争の復権を大胆にかちとろう。

安田派中央による変質粉砕し革共同の再生を!

 安田派中央の変質を粉砕し革共同を奪還できるのかどうか。ここに反帝国主義・反スターリン主義世界革命の成否、全世界の労働者と被抑圧民族人民の未来がかかっている。  われわれは、安田派中央による革共同の経済主義と合法主義、排外主義と差別主義の党への変質を許したことについて、全党の同志、すべての労働者階級人民にたいして根底から謝罪し、自己批判する。
 そのためにも、安田派中央とは何であるかを鮮明にさせなければならない。

帝国主義への屈服

 安田派中央の本質は、革命と内乱にたいする恐怖と反動である。帝国主義と権力にたいする綱領的屈服である。「国家と革命」が問題になる情勢だからこそ発生した投降と転向である。
 その転回点は、01年9・11反米ゲリラ戦争から03年イラク開戦と反戦闘争の爆発の過程であった。そして小泉・奥田の日本版新自由主義化の攻撃の全面化、改憲攻撃の本格化の過程であった。
 安田派中央の「階級的労働運動路線」の核心は、「動労千葉労働運動への特化路線」である。それは帝国主義とその権力との決戦を回避して、頭を低くして組織と運動の防衛をはかることがいっさいという路線である。
 安田派中央の08年新年号論文がG8サミット決戦について一言も言及していないのは、その綱領的思想的な変質を示す象徴的な事実である。
 すなわち反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略の放棄、日帝・国家権力との闘争からの逃亡、被差別・被抑圧人民との連帯の思想の放逐、階級闘争からの召還、これが安田派中央「階級的労働運動路線」の階級的本質である。

清水式革命論の破産

 安田派中央とは清水式革命論の破産の所産である。
 清水議長そのひとは、権威主義的な自己保身と他者不信から、労働者階級との生きた交通を拒否し、そのために生きた階級関係に立って敵の攻撃と味方のたたかいをつかむことができない、いわば机上の人だ。
 清水式革命論とは、客観主義的な情勢分析、政治力学的な階級関係分析、古色蒼然たる経験主義とそれらに規定された戦術主義である。そして中央にたいする「一致」を上意下達的に組織していく組織論である。
 しかし結局のところ清水式革命論には世界恐慌をひたすら待望する以外の「実践」はないのだ。
 この清水式革命論の実践的な破産が明らかになるにつれ、清水議長は安田一派への屈服を深め、革共同中央の変質が進行していった。そして、いまや安田派の「階級的労働運動路線」に「革命路線」の体裁を与えることが、清水議長の最後の務めとなったのだ。

「5月テーゼ」からの脱落・背反

 安田派中央は「5月テーゼ」が突きつける飛躍の拒否、権力・資本への屈服と敗北主義から発生した。
 「5月テーゼ」は、革共同の反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略と戦略的総路線の本格的全面的な実践を要求した。その実践過程は、われわれ一人ひとりに共産主義者であるかどうかをあらためて試すものであった。ところが安田同志はここで飛躍を拒否していったのである。
 ・被差別・被抑圧人民のたたかいをみずからの課題とすることの拒否
 ・国鉄決戦の政治決戦化への日和見主義、国労の労働者への不信
 ・労働者が政治闘争に決起することへの不信と反発
 ・革命的議会主義への日和見主義的反発
 ・党のボルシェビキ的規律への解党主義的反発
 安田派中央による運動は、このように共産主義者としての飛躍を拒否した地点で組織されているのだ。

3・14決起への恐怖と反動

 安田派中央の変質の根底には、06年3・14決起にたいする恐怖と反動がある。  06年3月14日、関西の労働者党員は、財政不正・腐敗と私党的党内支配を深め、権力のスパイ潜入を許してきた与田らを打倒した。与田の不正・腐敗と私党化、権力への投降の問題は、革共同中央が生み出したものだ。
 中央が細胞にたいして上意下達的な「一致」を強制する清水式革命論の組織観。安田一派による帝国主義権力への綱領的屈服。その現実を中央全体が共有し、体質化していた。そうした現実の中でこそ与田の不正・腐敗と私党化、権力への投降もありえたのである。

 3・14決起は、このような革共同中央の変質と腐敗を激しく弾劾し、革命的に突き破ろうとしたものだった。細胞と中央の同格性・同質性を回復し、反スターリン主義・革命的共産主義の原点に立ち返り、革共同の再生をめざす決起であった。
 だから安田派中央は3・14決起にたいして恐怖しか感ずることができない。そしてそれをなきものにするために処分を乱発する以外にないのだ。
 われわれは、3・14決起を継続し、安田派中央から革共同を全面的に奪還する。

 「革共同通信』の発刊は、日本階級闘争と反スターリン主義・革命的共産主義運動の危機を、大胆にぶち破っていくであろう。すべてのみなさん、「革共同通信』とともに08年サミット・改憲決戦、三里塚・沖縄闘争、春闘の階級的爆発をきりひらき、武装し戦う革共同を奪還しよう!

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