〈部落差別のない糾弾〉の階級的本質はなにか
    ―「原表現」は「7月テーゼ」をめぐる路線提起だ!―

小山たかし(西村豊行)

■はじめに
 部落解放運動史上に類例のない〈部落差別のない糾弾〉が、部落解放同盟全国連合会中央本部(以下、全国連)のもとに当該の全国連広島支部によって進められつつある。この2月24日には、全国連中央本部の主催による「真相報告集会」が関西で開催されると聞く。しかも全国連中央本部は、呼びかけの対象を、労働組合や共闘団体にとどまらず、「自民党や解同本部派中央、社青同解放派」にまで広げるのだというのである。「自民党や解同本部派中央」と組むことの意味は、けっして小さいことではないであろう。なぜなら、創立以来、全国連を心から支持し、連帯してともに闘ってきた筆者にとって、それは部落民自己解放や労働者階級との団結、革共同との盟友関係などの〈全国連の魂〉ともいうべき階級的原則を自ら否定し、かなぐり捨て、〈転向の道〉へと歴史的な転換を大きく遂げるものではないか、と憂えるからである。
 具体的に述べるなら、自民党と組むことは、部落差別の元兇である日本帝国主義の軍門に屈することであり、また、解同本部派中央と組むことは、解同が全国各地で乱発した〈三里塚・狭山処分〉の不当な攻撃を反故にし、かつ闘う新たな全国的団結としての、1992年3月の全国連創立の思想や精神を放棄するばかりでなく、〈汗と涙と血の苦闘〉までをも自ら踏みにじってしまうことになるのではないだろうか。
 それは一方で、「部落解放同盟全国連合会規約」の「第二条 本会は、帝国主義の階級支配の廃絶による全人民の解放をとおして『身分』的差別から部落民を解放することを目的とする」に抵触し、全国連の運動的、組織的原則を踏みにじることにもなり、画歴史的で根本的な転換を内外に表明することになるのである。
 糾弾の対象は、マルクス主義学生同盟中・四国支部とその上部団体である革命的共産主義者同盟(以下、革共同中央)であり、全国連中央は、革共同中央を、差別主義集団と規定して打倒する、と息巻いているそうである。この糾弾闘争には、なんと、革共同中央の打倒を標榜する解党主義集団のあの塩川一派が別個の立場から〈差別事件〉として同じ見解を表明し、政治利用主義的に全国連を後押ししているのである。
 一昨年3月の「党の革命」によって労働者同志の決起で打倒された与田らとつながり、あるいは与田の打倒に反発する人々が全国連中央本部内に存在することは、明白な事実である。それらの人々が「党の革命」へのいわば「意趣返し」として、与田打倒反対とは表だって言えないから、「差別糾弾闘争」のねつ造に走るとしたら、それは革命運動に対する敵対であり、全国連自身と部落解放闘争をも踏みにじることになるのではないだろうか。差別糾弾闘争を、もてあそんではならないのだ。

1〈『広島』をめぐる問題〉の核心は何か
 部落解放運動にとって、差別糾弾闘争とはそもそも何かについて、全国連の主張をとおして確認し、考えることにしたい。
 「全国連は差別糾弾闘争こそが部落解放運動そのものであると、差別糾弾闘争を創立いらいしっかり位置づけてたたかってきました。狭山闘争の後景化を許さず、狭山闘争を頂点とした国家権力にたいする差別糾弾を軸としたたたかいを12年間貫いてきました。そのことは、今日的に解同本部派との関係において全国連の正しさを示しています。すでに解同本部派は、彼らの53回大会での綱領改正をもって差別糾弾闘争をたたかうことができない融和団体に完全に転換しました。…日本共産党全解連は本年(2004年)をもって『地域人権連合』と組織名を改称し…もはや、差別糾弾闘争をたたかうことをかかげる運動団体は全国連だけとなりました」(『第13回全国大会・議案書』114頁〜115頁)。
 全国連は、13回大会のおりに、「全国連の地域活動における基準(地域活動マニュアル)」を提起し、実践方針の第一に差別糾弾闘争の課題をかかげたのである。全国連創立の原点である、差別糾弾闘争をたたかうにあたり、「狭山闘争を頂点とした国家権力にたいする差別糾弾闘争」と、国家権力にたいする最大の差別糾弾としての狭山闘争をしっかり位置づけ、また、翼賛化や体制内化によって変質をとげていた解同本部派や旧全解連にたいし、組織的・運動的に決着をつけ、階級的な優位性を確保してもいたのである。
 以上をふまえ〈『広島』をめぐる問題〉について、具体的な内容に立ちいって検討してみたい。
 そもそも差別糾弾にあたっては、「原発言」、あるいは「原表現」が部落差別として認定・確認されることが決定的であり、きわめて重要であることは言うまでもない。それぬきには、糾弾は成立しないからである。小説などの文学表現や様々な場での口頭発言にせよ、「原文章」や「原発言」をとらえ、「部落差別である」と確認されることが大前提なのである。そのさい、「意識的な発言」であるか、「意識しない発言」であるかの問題や発言(表現)の対人関係(誰と誰との間で起こったか)なども確認されるべきであろう。
 〈『広島』をめぐる問題〉で驚くべきことは、早い段階で、電話による会話がすべて録音されていたことである。電話機には、用意周到にも、あらかじめ録音機がセットされていたことを軽くみてはならない。なぜなら、電話の会話の公表された内容の一問一答を些細に読めば、相手を罠に陥れようとしていたことが浮かびあがってくるからである。中条同志ははめられたのである。だが、追って明らかにするように、「はめられた」ことそれ自体は、たいした問題ではないであろう。いずれにしても電話の会話は公表されただけではない、中条同志の話し合いを求める真摯な会話は、「悪意」のもとに裁断され、都合のよい発言だけが焼き直され、「事後発言の差別」としてねつ造されていく。「原表現」は部落差別として認定できなかったから、「事後発言」をねつ造して補強し、上のせしたか、置き換えたのである、しかも「原表現」は、「事後発言」によって、その後もくるくると変遷し、原表現(原発言)」と「事後発言」が巧妙に入れ替わったりしただけでない。「差別発言」がいつの時点の「発言」かさえも、現実には雲散霧消してしまっている有り様なのだ。
 ここで取り急ぎ、「事後発言の差別」の問題について触れておきたい。

 糾弾は、あくまでも、「原表現(原発言)」が部落差別として確認されて取り組まれるのである。その際、「原表現(原発言)」は、部落差別として確認された「原表現(原発言)」であり、重く確定されなければならない。つづく問題は、事実確認会である。重要なことは、「原表現(原発言)」が部落差別でなければ、「事実確認会」は成立しないということである。
 筆者は、在日朝鮮人にたいする民族差別や「障害者」差別、さらに部落差別と、その差別糾弾に関する諸文献・資料を些細に熟読し、精査して多くの事柄を学んだのであるが、そのなかから、〈『広島』をめぐる問題〉にも関係する事実確認会について判明した重要なことを紹介しておきたい。
 事実確認会は、差別発言した当該の出席を得て開催されるが、差別発言を受けた当該を包んで糾弾するにあたっては、あらかじめ、差別発言した相手にたいし、次のことを確認するというのである。しかも、これは差別発言した当該の人格を重んじる立場から大事にしているルールだということである。
 「事実確認会では、差別発言の事実の確認をはじめとして、差別発言の背景や部落差別についての認識を明らかにし、部落差別や部落解放運動への理解をうながすため、あなたの率直な意見を求めるうえから、忌憚のないところを話していただき、仮に差別的な発言があったとしても、それを部落差別として糾弾の対象にすることはないので、このことはお互いにきちんと確認しておきましょう」
 〈『広島』をめぐる問題〉では、「原表現(原発言)には、部落差別はなかった」ということが、ゆるぎのない真実であり、偽らざる事実である。問題になるのは、電話の会話の中の「事後発言」であるが、これは形をかえた事実確認(会)に相当する内容であることをこえて、それ自体をとらえて深く検討しても、「部落差別である」とは言えず、当然のことながら、糾弾の対象にはならないのである。「糾弾のルール」では、「事後発言」を問うことはなく、「原表現(原発言)には部落差別がない」ことからも、「事後発言」は問題にすらならないのである。それからまた、部落差別のない「原表現(原発言)」の文脈のなかに「事後発言」をおいてみると、「事後発言の部落差別」もきれいに消えていくことが明白である。火のないところに煙はたたないのだ。

2「部落差別」のない「糾弾要綱」の問題点
 「差別糾弾闘争は、一定の指導原理が必要であり、…一定の指導原理とは、いかにして勝利させるのか、いかにして差別の元兇に迫るたたかいに発展させるのかです。その基本は、思いきって解き放つこと、……そのひとつは国家権力にたいしては徹底非妥協の実力糾弾闘争をたたきつけること、部落解放運動に敵対する差別主義者、ファッシストどもにたいしても徹底的な糾弾闘争をたたきつけることです、ふたつめに、労働者にたいしては、ともにたたかう陣営に獲得し、労働者じしんが部落民とともに糾弾闘争の担い手となっていくためにたたかうということです」(『第9回全国大会・議案書』101頁)。
 全国連は、かつて、差別糾弾闘争に関する「指導原理」を、このように提起していたが、〈『広島』をめぐる問題〉を考えるかぎり、全国連が自らかかげた「指導原理」から逸脱するか、「指導原理」を自ら否定する重大な誤り―歴史的な転換の道に踏みだそうとしているのではないだろうか。
 「『広島での学生による差別事件』の糾弾要綱」は、「1)事件の概要、2)事件の性格、3)糾弾闘争の獲得目標、4)マル学同と革共同にたいする要求項目」の課題を取り上げて展開されているのであるが、「糾弾要綱」が本来解明すべききわめて重要なテーマが―意識的であるか、無意識であるかは別として―完全に欠落しているのだ。それは何か。差別糾弾闘争の取り組みにあたっては、「原表現(原発言)」のいったい、@「どこが差別なのか」、つづいてA「なぜ差別なのか」の問題が厳格に解明されなければならないということである。たとえば「なんとなく感じとして…」とか、「なんとなく雰囲気として…」のような観念的で、抽象的な内容では、部落差別として認定することはできず、糾弾の対象にはなりえないのである。
 そこで、いったい何が「原表現(原発言)」であり、「原表現(原発言)」をめぐってどのような討論がなされたか、真に問題とすべき核心は何かについて、詳細に検討して整理し、解明することにしたい。
 時は、2007年8月29日〜31日、マル学同中・四国理論合宿が開催された場でのことである。学習テーマは「7月テーゼ」である。Aは広島の部落出身女子学生であり、マルクス主義学生同盟の一員である。合宿への参加は一日目だけである。関係文書を、熟読した上で判明した事実は、Aと一般民女子学生のBとの間の「7月テーゼ」をめぐる会話がクローズアップされ、問題だと指摘されるのである。
 「部落差別だ」という主張の根底にあるのは、「7月テーゼ」であるにもかかわらず、問題の鉾先をずらしてしまっているのである。本来、「部落差別」として論議すべき内容は、「7月テーゼ」の次の箇所である。
 「例えば、部落民出身の共産主義者は、自己をまず労働者階級解放闘争を闘う主体として徹底的に確立することによって、全部落民の解放を求めて闘う主体としての自己をも真の意味で確立することができるのである。この関係を逆転させて『部落民としての自覚』を一切の出発点に置くことは、部落解放闘争をプロレタリア革命の上に置くものとなり、実際にはプロレタリア革命をも、部落の真の解放をもともに否定するものとなってしまうのだ」
 この箇所は、全党員への提起であることの上で、「部落民出身の共産主義者」への提起として強調され、革共同中央が、革共同に加盟する部落民共産主義者へ真剣に要請する内容であり、「部落解放にむけた路線的、思想的」な提起の意味をもち、部落差別を本質的、現実的に解決する展望を示しており、部落差別発言とは無縁の表現なのである。
 合宿では、「7月テーゼ」の上記の箇所に対し、Aが批判的意見を率直に述べ、 BがAの意見をとらえて反論が交わされたのである。討論での意見は、反対と賛成の対立をとおして一致を求めて真剣にぶっつかりあったが、部落解放に責任をとる学生の生き方の変革をかけた内容である。討論もまた、厳格かつ民主的に運営され、問題などまったくなかったのである。ちなみに討論は次の内容である。
 A「(『7月テーゼ』は)差別とどうたたかうかの内容がない。部落民にばかりあーせい、こーせいと言っているようで、読んでいるとむかついてくる」

 B「『7月テーゼ』は部落民一般に対して言っているのではなく、共産主義者はどうあるべきかという趣旨で全体を論じている。だから、『部落出身の共産主義者は…』と書いてあるじゃないですか。むしろAさんの今の態度は、ここで指摘されているような『戦線の利害代表としてふるまう』態度ではないか。あなたが共産主義者たらんとするなら、そういう態度は改めるべきではないか」
 AとBとの間の会話は以上のとおりであるが、合宿の主催責任者で、報告の執筆者でもある中条同志は、このやりとりの箇所を、「(Bの意見は)鋭角的ではあるがまったく正しい指摘であった。ただ、A同志自身は納得できないようであった」と結んでいる。
 以上の経過をとおして明らかになった事実は「7月テーゼ」の「原表現」は、「部落差別」にはあたらず、「原表現の正しさ」は「確定」し、「公認」もされるのである。
 最後に残る問題は何か、である。この点は、あらゆる角度から考えて、「7月テーゼ」に対して意見をのべ、批判した主体が、「部落民出身の共産主義者」だから「部落差別」に相当するのか、という問題におきかえられるであろう。よくよく考えて、「部落民出身の共産主義者」が批判的に指摘したからといって、指摘をうけた内容が、直ちに、「部落差別となる」などと言うことはありえないし、もしも、「『あった』と主張するメンバーがいた」とすれば、「階級は党である」とするテーゼへの反対論者であり、マルクス主義に敵対する思想にほかならず、このような、「階級と党の上に君臨する部落民絶対主義」の誤りは全面的・根底的に批判されなければならない。
 「原表現には部落差別がなかった」が、「部落民出身の共産主義者」のAが、「『7月テーゼ』は差別とどう闘うかの内容がない。部落民にばかりあーせい、こーいと言っているようで、読んでいるとむかついてくる」と批判的意見を述べたこと、つまり「むかついてくる」ということ、「部落民を怒らせた」としてクローズアップされてくるのである。しかし、彼女の発言の根底に横たわる思想は批判されなければならない。なぜなら、それはズバリ、部落第一主義であり、「7月テーゼ」が「糾弾主義」として批判する、労働者階級の、部落民労働者をふくむ単一の階級的団結を破壊する誤った思想だからである。「原表現には部落差別はなかった」ことは、あまりにも明白な事実なのである。

 より正しくは、次のように考えるべきである、Aは部落出身のマル学同の一員であること。合宿のテーマになった「7月テーゼ」を掲載した『前進』は、革共同の「機関紙」であり、組織の構成員に新たな思想内容として武装することに加えて、実践を要請していたことは明白である。マル学同は、革共同を構成する学生組織である。また、革共同は、共産主義者と共産主義思想を基盤とした労働者階級の前衛党であるから、民族・階層・「身分」・性・などなどを超えて形成された共産主義者の政治的結集体にほかならない。したがって、その成員が「部落民であるか、ないかは一切問わない」のである。
 繰り返し確認すると、「7月テーゼ」の原文は、「例えば、部落民出身の共産主義者は、自己をまず労働者階級解放闘争を闘う主体として徹底的に確立することによって、全部落民の解放を求めて闘う主体としての自己をも真の意味で確立することができるのである。この関係を逆転させて『部落民としての自覚』を一切の出発点に置くことは、部落解放闘争をプロレタリア革命の上に置くものとなり、実際にはプロレタリア革命をも、部落の真の解放をもともに否定するものとなってしまうのだ」と鋭く提起している。革共同中央が、革共同の全構成員をはじめ部落民出身の共産主義者に対し、階級的実践を要請することはきわめて正しく、「原表現は部落差別ではない」のである。
 しかし、核心問題というべき以上の「7月テーゼ」をめぐる内容が、「糾弾要綱」で取りあげられないのは、一体どういうわけであろうか? 「『広島』をめぐる問題」が、「部落差別であるか」「部落差別でないか」を問う出発となる、等閑視できない重大テーマであったにもかかわらず、である。もともと、「7月テーゼ」は、「部落差別ではない」こと、「部落差別をふくまない」から、この「原表現」をとらえて、どこが差別か、なぜ差別か―を明らかにできないことは当然であり、この点から、あらかじめ決着―勝負はついていたと考えられるのである。
 さらに「糾弾要綱」は、「1)事件の概要」の冒頭部分において、「『全国連は物取り主義だ』『住宅闘争がそうだ』という発言」が、「『マル学同と革共同は、部落解放運動にたいしていかに関わるのか、いかにたたかうのか』という質問にたいしてあびせられ」て、「差別発言だ」と口をきわめて主張しているが、合宿に参加した全メンバーが、「事実としてこんな発言は断じてなかった」と厳に否定していることを伝えておきたい。
 この件に関する中条同志の文書では、「以下のような趣旨での発言なら確かにあった」として報告されている内容は次のとおりである。  「今は闘っても物は取れない時代。労働運動も部落解放運動も物取り主義では闘えない。しかし、物が取れなくても敗北ではない。たとえば住宅家賃値上げ反対闘争も、反動判決が出ているが決して負けではない。村の団結、労働者階級として団結が強まれば勝利だ」
 「糾弾要綱」が力をいれて強調する今一つの問題は、「『中田書記長はリーダーにふさわしくない』『新しい体制にすべきだ』」という発言は、中条同志自身が事実だと述べていることを明らかにしておきたい。しかし、発言の真意は、「完黙できなかったことは、リーダーとしてふさわしくないのではないか」という内容だったのである。同志的な想いの表現のニュアンスは、意図的にねじ曲げられて流布されたばかりでなく、恰も、全国連の大衆組織の内部に立ちいって干渉しているかのように宣伝されたのである。表現したかったことは、一つは略式起訴をめぐる塩川一派の指導責任を問題にしたこと、二つには部落解放運動にたいし責任をとる立場から、マル学同という組織内部の討論の自由な発言だった、ということである。
 「糾弾要綱」は、「2事件の性格について」のなかで、「差別糾弾闘争を否定し、糾弾闘争に敵対する差別的主張」とし、「この事件は(以下はゴチック体)第3に、差別糾弾闘争にたいする許すことのできない敵対、部落解放運動そのものを否定するに等しい行為だということである」と結論している。  「糾弾は相手の人格を否定する行為」という発言は、「【資料1】2007年10月4日、AさんとN君の電話のやりとり」によることが明らかである。「電話」によって収集された「事後発言」であることは、実に重大な問題である。すでに触れておいたように、「事後発言」は、事実確認(会)に相当する内容であり、仮に部落差別があったにしても本来なら問うべきではないのである。加えて繰り返しになるが、電話機には、用意周到にも、あらかじめ録音機がセットされていたのである。罠をしかける懐然とした策略であるが、やってはならない卑劣な手段の行使だと断じなければならない、これが一つの問題である。
 二つめの問題は、内容が、意図的にねじ曲げられたことである。【資料1】から前後の発言を正確に復元すると、「あなたもし、これが誤りだったら大変なことになると思っている? 糾弾というのは相手の人格を否定する行為なんだからさあ。もし誤りなら大変なことなんですよ…」とあるが、「大変なこと」の正確な意味が把握されていないようである、「大変なこと」の真の意味は、「部落差別」をさしており、「部落差別ではない発言をとらえて糾弾した場合には、大変な誤りになる」ことを強調したかったのである。
 三つめの問題は、「糾弾は相手の人格を否定する行為」という発言の、どこが差別なのか、なぜ差別なのか―が実際のところまったく解明されていないことである。そもそも、「原表現(原発言)には部落差別はなかった」ことを前提にしての発言であり、それ自体は、差別発言にあたらない表現だから、どこが差別か、なぜ差別か―が解明されなかったとしても当然すぎて、責めることではないのである。また、中条同志が差別糾弾について、「労働者人民の仲間のなかから差別が起こってしまった場合、その人の謝罪と自己批判をかちとるために、時として相手の人格をひとたび否定する激しささえもって糾さなくてはならない」と、正確に理解していたことを紹介しておきたい。
 本章の最後に、どうしても触れておかねばならないことがある。伝え聞くところによると、全国連に所属し、「広島差別事件」を扇動して糾弾の先頭に立つ関東の活動家のKさんは、合宿を主催した責任者のマル学同中・四国組織の代表の中条同志の母親にまで会った事実があり、中条同志によると、「母がKさんと会った」と証言しているそうである。そのあと、中条同志の母親は、全国連中央本部あてに「謝罪の手紙」を書いて送ったと言われている。この「謝罪の手紙を、密かに見せびらかせている者がいるそうである。それは、〈『広島』をめぐる問題〉とはまったく関係がなく、また、本人とは別人格の母親までもまきこむ卑劣なやりかたといえるのではないだろうか。

3部落解放運動のすすむべき道を考える
 全国連中央と全国連広島支部は、いま、〈『広島』をめぐる部落差別のない糾弾〉へ、組織をあげて、一種なだれこむような事態を呈しているのではないだろうか。
 〈部落差別のない糾弾〉であることは、すでに明らかにしたとおりであるが、それでは、「自民党や解同本部派中央」に支援を求めるなど、創立の精神や「規約」の思想の階級的原則を投げ捨ててまで取り組む糾弾の目的は、いったい何か。その糾弾はまた、本来の部落解放運動を発展させる課題なのであろうか、また五万人組織建設の推進にとって意味をもつ取り組みであろうか、それからまた、そもそも本来の差別糾弾闘争のありかたの立場に合致しているのであろうか。真相報告集会は、これらの是非を問う試金石であり、はたして全国連の支部大衆やこれまで共同闘争を担ってきた労働者がそのような真相報告集会に納得するであろうか。
 見落としてはならない今一つの真実は、〈『広島』をめぐる部落差別のない糾弾〉になだれこむ背後には、全国連が、4月の第17回大会を前に、かつてない危機に直面していることを盟友として指摘しておかなければならない。それはどういう危機であり、その危機はどういう階級的性格をもっているのであろうか。
 帝国主義の末期的な危機は(革命情勢の急速な接近でもある)、革命党を中心として階級政党や労働組合、反戦・住民諸団体への組織壊滅攻撃として、激烈に襲いかかっている。
 部落解放運動への解体・一掃の攻撃は、日本帝国主義の部落差別による分断攻撃の激化を軸に、解同本部派中央の翼賛化やスターリン主義の体制内運動へのいっそうののめりこみなど、すさまじいものがある。一昨年から大阪や奈良、京都で発覚した解同本部派中央一部幹部の利権をめぐる不正や腐敗を問題として、「部落解放運動に対する提言委員会」が組織され、「部落解放運動への提言」が提出された。日本共産党系の組織は、「同和事業終結運動」の満展開である。また、「部落」の呼称の禁圧や「差別」の用語を不使用とする、などの動きまで出てきた。いずれも、大きくは、日本帝国主義の部落解放運動解体・一掃の一環をなす攻撃とみてよいであろう。
 〈戦争か革命か〉の情勢は、闘う組織や運動を根本から揺さぶり、全国連も例外ではないといえるであろう。全国連の解体をねらった攻撃として政治弾圧がかけられ、指導者が逮捕されたのだ。完黙・非転向で闘うことは、絶対的条件である。このことを担保にしてこそ、全国連は日本帝国主義の部落解放運動解体・一掃の攻撃と闘い、真っ正面から打ち返すことができるのである。
 全国連は、このような組織として創立され、一昨年の3・14党の革命をへて、第16回大会まで、住宅闘争や狭山闘争を、多くの労働者が共同の闘いとして、その一翼を担ってきたのではないだろうか。
 筆者は、革共同の一員として、全国連を、誰よりもこれまでこよなく愛してきた盟友として、申しあげたい。今ならまだ、引き返すことはできるであろう。4月12日〜13日の第17回大会は、「……私は意気軒昂であり、様々な感情を整理し、心の準備を整えて今年こそ勝利の道標をつけるべく、強靱な闘魂を前面に出して狭山勝利・部落の完全解放のため火の玉となって邁進していきます」と本年の新年メッセージで述べた、69歳を迎えて事件発生から45年目となる、狭山第三次再審闘争を不屈に闘う無実の石川一雄さんに心の底からこたえ、〈狭山闘争の全国連〉と自ら称し、また讃えられてもきた創立の原点に立ち返り、狭山闘争の勝利をめざし、お互いにスクラムを組みなおして共に責任をとろうではありませんか。
 革共同は、構成メンバーが部落差別発言をしたなら、当該を中心として一人の例外もなく糾弾を受けなければならないし、真っ正面から受けるであろう。そして糾弾をとおして部落差別と部落解放運動から学ぶだけでなく、労働者自己解放を実現するために、帝国主義の階級支配とその部落差別攻撃による分断支配を打ち破り、それに屈服したスターリン主義や社会民主主義、体制内労働運動の支配のもとで培われた自己の差別的な思想を克服し、プロレタリア国際主義の立場にたった階級的団結を強化し、必ずや発展させるであろう。
 革共同は、階級的労働運動路線を階級の大地に深々と根をはりめぐらせ、本格的な実践をとおして豊かに発展させながら、7・7思想をさらに前進させるであろう。そして、「労働者階級の特殊的な解放が、同時に全人間の普遍的な解放である」とする「7月テーゼ」や「当面する部落解放闘争の基本的諸問題」(『共産主義者』155号)の部落解放闘争の新たな理論的提起の武装によって、本格的な実践へ真剣に着手するであろうし、筆者もその一員として闘うことを申しあげておくものである。

(以上)

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