当事者(7被告、松崎被告、弁護団)それぞれの見解

2008年4月21日
国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会事務局御中

申し入れ書

国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会よびかけ発起人(有志)

 国労5/27臨大闘争は、当時の国労指導部が「四党合意」批判組合員を除名しようとする暴挙に、表現の自由を行使するという手段で「国労共闘」所属の国労組合員とその支援者が抗議しようとしたものです。それへの刑事弾圧に反対する私たちの闘争は、したがって国鉄民営化に伴う不当労働行為=採用差別に反対する闘争の重要構成部分であります。こうした闘争の性格から「許さない会」には「国労共闘」の政治思想とは異なる政治思想を持つ多数の人士が結集してきました。
 然るに「国労共闘」の人々が所属する政治党派=革共同中核派内で起きた二つの事件(2006年3月 2007年11月)が相乗して要因となり、松崎被告―ほか7名の被告、弁護団―7名の被告の間で深刻な対立が生れてしまいました。この事態を知った私たちは、団結を回復して権力に対抗することの必要を強く強く感じますが、そのためにやるべき有効な行為を発見することは容易ではありません。しかしとりあえず行うべきことの一つとして、以下の内容での申し入れを「許さない会」事務局に行うものです。よろしく願います。

                     記
 本年1月5日付けの「86回公判報告」、1月22日付けの「会報31号」で青柳裁判長の交代、公判の当面中止が「許さない会」会員に知らされて以降、会員に必要な情報伝達が全く行われていない。他方、一部会員には被告7名の文書が送付されたりして、重大深刻な事態が生起していることは、次第に知れ渡ってきている。
 そこで当面直ぐに行うべきこととして、事態の経過および裁判闘争の方向について、意見対立のある三当事者(7被告、松崎被告、弁護団)にそれぞれの見解を述べた内容の文書の提供を求め、「許さない会」会員に送付することを依頼したい。
(以上、4月21日に佐藤昭夫筆頭よびかけ発起人の提案で集まった「よびかけ発起人」会議(出席7名)で出席者全員が合意した事項です。)

旧弁護団の解任と弁論分離についての被告団の見解

       国労5・27臨大闘争弾圧被告団
         富田益行(近畿地本兵庫保線分会)
         橘日出夫(近畿地本奈良電車区分会)
         東元(近畿地本大阪事業分会)
         原田隆司(近畿地本福知山分会)
         小泉伸(近畿地本大阪貨物分会)
         羽廣憲(九州工リア本部小倉地区闘争団)
         向山和光(国鉄闘争支援者)
【一】
(1) 私たち国労5・27臨大闘争弾圧被告団7人は2月22日、佐藤昭夫弁護団長、一瀬敬一郎主任弁護人ら弁護人9人全員を解任しました。
 その理由は、「被告団と裁判方針を巡り敵対関係に入り、信頼関係を失った米村裁判事務局員をこの裁判に関与させないでほしい」という私たちの要請を、旧弁護団が受け入れず、私たちを無視して、米村氏を関与させたまま旧弁護団だけで裁判を進行させようとしたことです。
 被告人の意思を尊重するのが弁護士であり、逆にこれを踏みにじる弁護人は解任されて当然です。私たちは、被告団の団結を守り国鉄闘争の勝利をめざして、この裁判闘争を階級的原則に基づいて闘いぬくために、自らの決断をもって旧弁護団を解任したのです。
(2) 私たちが米村氏を裁判事務局から解任したことを受け入れなかった旧弁護団。
 米村氏は昨年11月、私たちを誹謗・中傷し敵対関係に入ったグループに同調し加わり、私たちと彼との間で、思想、路線、方針の違いから、国鉄闘争や裁判闘争をめぐる対立関係が非和解的になり、信頼関係が失われました。私たちはこのことをもって、彼を裁判事務局から解任したのです。
 ところが一瀬弁護人はじめ旧弁護団は、私たちの「米村氏解任」の意思を3ヵ月に及ぶ話し合いでも受け入れませんでした。2月4日の会議でも旧弁護団は「米村氏を裁判事務局に残す」という意見は撤回したものの、「弁護人が米村氏を補助者として使うことを認めよ」という主張を変えませんでした。私たちは「米村氏を使わないでほしい」と重ねて要望し、この議論は継続討議となりました。ところが旧弁護団は、その後の弁護人だけの会議でこの問題に関して私たちと旧弁護団との間に合意がなされたかのように主張し、「2・4合意」なるものをでっち上げたのです。
(3)私たちを無視して、旧弁護団だけで裁判を進行させようとした。
 私たちは、米村氏の問題が解決するまでは裁判は進行させるべきではないと考え、2月12日、「@3月の公判期日の取り消し、A2月22日に予定されている裁判所との折衝の延期を裁判所に申し入れること、B裁判長交代に伴う更新手続きの準備をこの問題が解決するまで進めないこと」を、一瀬弁護人に申し入れ、彼は了承しました。
 ところが一瀬弁護人は、2月18日に行われた弁護人だけの会議で、@公判期日の取り消し申請はしない、A裁判所との折衝は予定通り22日に行う、B3月7日の公判から更新手続きに入る具体的計画という方針を私たちとの合意もなく勝手に決定し、強行しようとしたのです。
 旧弁護団に一貫していたのは、「被告人は黙って弁護人の言うことを聞いていればいい」という被告人無視の姿勢でした。こうした旧弁護団の独断専行に対して、私たち被告人がとりうる手段は解任通告以外に何かあったでしょうか。
(4)「革共同の介入」という主張について。
 そもそも、弁護人解任は被告人の主体的な決断です。私たちは、2月22日の会議での「米村事務局員絶対不使用という被告人の要求は受け入れられない」という弁護団の対応を見て、最終的に解任を決断したのです。「党の介入」などという言いがかりは、被告人の主体的な決断を無視する旧弁護団の姿勢を示すものでしかありません。
 革共同の天田書記長が一瀬弁護士に会ったことをきっかけに、被告団は「2・4合意」を反故にして弁護団を解任したと、旧弁護団は主張しています。しかし天田書記長は、長期にわたる信頼関係の下ともに闘ってきた者同士として、一瀬氏と米村氏の問題や本件裁判、国鉄闘争に関する議論をしたのです。ところが一瀬弁護士は、その場に他の弁護士を同席させることで、「革共同対弁護団」という構図をつくりあげようとしたのです。

【二】
 次に、私たちが松崎被告人との弁論分離を要求した理由を明らかにします。
 松崎被告人が、私たちと組織的対立関係が非和解になったグループに加わったことによって、私たちと彼とは2006年5月以降、対立関係に入りました。その後7月に、松崎被告人が羽廣被告人を国家権力に売り渡すビラを全国の労働組合等に配布したこと、同年12月に提起された、国労本部の鉄道運輸機構訴訟を肯定的に評価したことをめぐって、私たちと彼との対立が深まりました。
 そして、本年2月の私たちの弁護人全員解任に対して、松崎被告入は自分のホームページに「弾劾声明」を出し、「暴挙」とか「徹底的に弾劾する」とかと、私たちを非難しました。
 さらに4月18日には、「革共同7被告の『分離裁判要求』を弾劾する」という声明を出しました。この声明は、松崎被告人の転向声明であり、5・27裁判に対する敵対文書です。まず、「革共同7被告」と決めつけ、7被告を権力に売り渡す一方で、「自分は革共同を辞めた転向者です」と国家権力に命乞いをしています。また、本件5・27弾圧について「本部執行部が政治権力に利用され、労働者を権力に売ることを強制された」と国労本部を全面的に免罪しています。さらに、解雇撤回を投げ捨てた「4者4団体」とその路線について、全く批判せず「国労の活性化を切り開くための実践的水路」とか「下から国労の再生をかちとっていくために活用」とかと賛美しています。
 私たちは、このように裁判闘争そのものにおいて根本から対立する松崎被告人とは共同被告人として裁判を進めていくことはできないと考え、また、7被告を権力に売り渡す行為を続ける松崎被告人を弁護する旧弁護団が、松崎弁護団として法廷をともにすることは認められないという立場からも、弁論分離を裁判所に申し入れたのです。

【三】
 いま、国鉄闘争は重大な岐路に立っています。
 1047名闘争は、「4者4団体」によって、解雇撤回を投げ捨てた「政治解決」「裁判所和解」にのめり込んでいます。他方、国鉄分割・民営化の破産が明らかとなり、職場における反合理化・運転保安闘争を闘い、ストライキで春闘に立った動労千葉の闘いが、JR体制を根底から揺るがしています。JR総連の分裂と解体が進む中、青年労働者の怒りの反乱も始まっています。
 私たちは動労千葉とともに4月26日、尼崎事故現場までの怒りのデモを全国の闘う労働組合・労働者560人で貫徹し、JR西日本の事故責任を弾劾・追及しました。あの事故現場の「造られた魔の急カーブを安全な線路に敷き直せ」と要求し、JR内からのJR資本への闘いとして、同時に1047闘争の勝利をかけて闘いました。
 国鉄闘争は日本における新自由主義の攻撃と対決する基軸的な闘いであり、「戦後政治の総決算」=改憲攻撃を打ち砕く最前線の闘いです。私たちは、新たな弁護団を編成してこの弾圧を打ち砕き、国労本部を打倒して、国労の階級的再生をかちとります。平成採の青年労働者と固く団結し、第2次国鉄決戦の先頭に立ち、職場から闘います。階級的団結を打ち固め、裁判勝利・国労の階級的再生・1047名解雇撤回へ闘いぬく決意です。
 全国の許さない会の会員のみなさん。私たち7被告と新弁護団とともに「許さない会」運動を発展させましょう。

7人の被告による弁護人解任の経過と生じた問題

         弁護団長(解任時) 佐藤昭夫

一 事実に基づいた会員の判断と意見を
 08年2月22日、8人の被告のうち、松崎被告を除く富田被告団長ら7被告が弁護人全員を解任した。許さない会事務局もその余波で機能を凍結し、会報の発行も中断したまま、7被告側からだけ大量の情報が発信されている。その一つ「月刊労組交流センター」4月号には、7被告連名で3月7日付け「国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団全員の解任について」という文書が掲載されている(以下、「3・7文書」と略記)。こうした情報には重大な事実の隠蔽と歪曲があったが、今日ようやく会報でその誤りを正す機会を得た。

二 7被告による弁護団および米村氏解任理由の歪曲
 3・7文書は、「『被告団と裁判方針を巡り敵対関係に入った米村事務局員をこの裁判に関与させないでほしい』という私たちの要請を、弁護団が受け入れず、私たちを無視して、米村を関与させたまま弁護団だけで裁判を進行させようとしたため」全弁護人を解任したと主張する。しかしここには次のような重大な事実の隠蔽、歪曲が含まれている。

(1)米村氏の解任理由の歪曲
 米村氏は、裁判外での政治的立場において7人の被告と対立していても、「裁判方針を巡り敵対関係に入った」事実はない。7被告による米村氏の解任は、彼が昨年の「11・18の(関西派革共同)分裂総会に出席した」からである。この解任理由は、富田被告団長名の文書「国労5・27臨大闘争裁判、米村事務局員の解任について」(2・26付け)にも明確に述べられている。

(2)7被告と弁護団の、裁判闘争に対処する決着点としての2・4合意  超党派の立場で、団結権弾圧に対する裁判闘争を行い、被告全員の無罪を勝ち取ろうとしている弁護団にとって、裁判外の理由での米村氏の解任は、納得のいかないことであった。また米村氏がこの裁判の初期から事務局員として大きな役割を果たしてきた点からも、弁護団は米村氏を事務局に復帰させることを7被告に要請した。だが、それが容れられないため、弁護団は裁判の更新手続き(裁判官の交代により必要となった)を控えた2・4の7被告側との合同会議(富田被告団長と向山被告、山森事務局責任者出席)で、「1、被告団が米村氏を事務局から解任したことを承知する(弁護団との意思疎通なしにそれが行なわれたことは残念だが)。2、弁護団および各弁護人は、自主的労働運動への弾圧を許さないという点で一致した超党派的立場において、団結権擁護、裁判の勝利、それを通して国労再生、日本労働運動の再建を目指して全力を尽くす。」という2項目。
 および、「各弁護人はその責任において米村氏に補助者としての協力を求めることがあるが、そのさい被告に不利益になるようなことのないようにする」
との趣旨の口頭了解事項を提案した。これに対して論議の末、7被告側は、弁護人が米村氏と接触すること自体にも依然として反対だが、しかし各弁護人がその判断で米村氏を補助者とするからといって、弁護人を解任することはない(黙認する)、としてこの提案に合意した。富田被告団長は、それが被告団共通の認識だということも明言している。

(3)革共同天田書記長の介入
@ところがその後、革共同の天田書記長が一瀬弁護人に面談を求め、2月8日に革共同のF氏とともに一瀬弁護人と会い、2・4に合意はない(決裂だった)。仮にあったとしても、米村氏を使わないと明言してもらいたい。それができなければ解任して弁護団を再編する、という趣旨を告げ、返答を迫った。一瀬弁護人は即答を避け、結局、その後に7被告の意向を直接確かめた上で回答をするということとなった。
A一瀬弁護人から2月8日の面談内容を知らされた弁護団長の佐藤は、被告団長の富田氏に電話し、2・4の合意から何か変わったのか確かめたが、何も変わりはないということであった。また、2・4合意の内容は、富田氏や橘被告が、許さない会発起人の一人である大阪の港合同の大和田幸治氏にも報告していた。そのことがあったので、佐藤は大和田氏を通じて確かめてもらったが、それにも同様の答えであった。このことは、佐藤事務局長が招請した4・21の許さない会発起人会議に大和田氏が出席され、確認されている。

(4)2・22会議での被告の態度の急変
@2月22日に被告7人と弁護団の会議が持たれた。当日の会議は事務局の山森氏が司会し、まず被告一人ひとりに意見を述べさせ、さらに補足の発言をさせた。その7被告の発言内容は、専ら米村氏は被告と敵対する政治的立場だから、弁護人は米村氏と接触をするな、米村氏を補助者としても使わないと明言しなければ解任するということであり、それが裁判闘争にどのような支障をもたらすか、2・4合意との関係を考えているのか等の点については、全く説明はなかった。だが、司会の山森氏は弁護人に発言の機会も与えず、弁護団が7被告の要求に応じるか否かの返答だけを求めた。
A弁護団が、2・4の合意の線でやってもらいたい、各弁護人も米村氏と接触するなという7被告の要求に応じることはできないという検討の結果を伝えると、富田被告団長は直ちに全弁護人を解任すると通告し、会議を終了した。

三 事実経過の示す問題点
 この経過の示す問題点を指摘すると、
@7被告側と弁護団が論議を重ね、当面の裁判に対処する決着点とした2・4合意に対し、革共同天田書記長が被告らと話をすることもなく、一瀬弁護人にこれを否定する解任の話まで持ち出した。それは、超党派的な弁護団で闘っている裁判闘争に対する政党の介入であり、しかも弁護人選任権という被告人の権利(憲法37条3項)を政党が左右しようとしたものである。
A7被告は、2・22会議でなぜ反故にするかの理由の説明もなく、また5年間全力を尽くして闘ってきた弁護団の意見を聞くこともせず、一方的に2・4合意を反故にした。
 これは、7被告が人間としての信義に反して、政党の方針変更に伴い、それまで超党派的な支援を得て闘ってきた裁判闘争よりも、党派闘争を優先させたということである。
Bもう一点、米村氏問題に関連して、被告は一瀬主任に、3月の公判期日の取り消し等の裁判所への申入れを要請したのに、弁護団は2月18日の弁護団会議でそうした申請はしない等の「方針を私たちへの連絡もなく決定し、強行しようとした」と述べている。
 この要請自体、2・4合意と矛盾していたが、それでも弁護団の2月18日の会議では、権力に内部矛盾を露出することをできるだけ避け、申し入れ問題は予定されていた22日の被告団との合同会議の結論をまつことで一致し、一瀬弁護人はその討議結果を18日夜に7被告側(事務局の山森氏)に知らせ、「不明の点があれば、電話を下さるようお願いします」と伝えていた。しかし7被告側からは、何の連絡もなかった。それを、弁護団が「私たちへの連絡もなく決定し、強行しようとした」というのは、解任を合理付けようとしての後出しの虚偽の理屈である。
Cさらに7被告は弁護人解任後、5・27後に生じた松崎被告との対立を理由に、分離裁判を要求している。これは、8人の被告が共通の目的をもって共同して行った5・27闘争の大義を傷つけ、超党派的支援を得て闘っている統一裁判闘争を破壊することである。それは、国鉄闘争における敵を見失い、権力を喜ばせるものといわなければならない。

統一裁判で、5・27臨大闘争弾圧裁判に勝利を

       被告・鉄建公団訴訟原告  松崎博己

1、会員のみなさんに残念な報告をしなければならないことをお詫びします。本年2月22日、富田氏ら7被告は、5年間心血を注いで5・27裁判を闘ってきた佐藤弁護団長ら弁護人9名全員を解任し、3月24日には弁論分離を請求し、今も要求し続けています。これらは5・27裁判闘争に重大な影響を及ぼす事態です。以下では、この間の基本的な事情を説明すると同時に、私の5・27裁判闘争を闘い抜く決意を述べたいと思います。

2、全弁護人解任の誤りについて。
 昨年11月、7被告は裁判事務局の米村氏を彼が政治的立場を異にするに至ったことだけを理由に解任しました。7被告は本年3月になって「裁判方針を巡る対立」が7被告と米村氏の間にあったかのように言っていますが全く事実に反しています。
 もとより裁判闘争の主人公は被告です。被告が自分に密接に関係する党派的な事情から裁判事務局員の辞職を求めるケースもあり得ます。しかし、権力と闘う刑事裁判に勝利するためには、被告と弁護人との共闘が、さらには事務局を含む支援者との共闘が不可欠です。これは幾多の苦い経験を含む歴史の中から得られた裁判闘争の鉄則です。
 従って弁護人が米村氏が裁判事務局として「必要不可欠」であると主張した場合に、その弁護人の要請を無視して一方的に解任を強行したのは誤っています。実際には2月4日の会議で7被告側(富田・向山両被告出席)も弁護人が米村氏を補助者として使っても解任しない旨明言し、2・4合意が成立したのです。
 ところが、その後、革共同と7被告は、2・4合意を一方的に反古にし、米村氏を完全に排除することを要求し、これを受け入れなかった弁護団全員を解任したのです。私は22日の会議に被告の一人として出席すべく九州から上京し、会場で出席を求めました。しかし7被告や事務局は私の出席を妨害しました。政治的立場が違えば被告ですら弁護団との会議から排除するという7被告の非民主的なやり方は絶対許されません。
 7被告は5・27裁判の勝利よりも党派的利害を優先させて米村事務局解任と弁護人解任を強行し、弾圧粉砕・裁判勝利のために不可欠な被告・弁護人・支援の共闘原則を破壊しました。この7被告の暴挙は絶対に許せません。

3、分離裁判要求の誤りについて。
 7被告は弁論分離請求が裁判所によって却下された(4月2日)後も、「却下を弾劾する!分離をかちとるぞ!」などとビラ等で声高に叫び、何がなんでも裁判所に裁判分離を強行させようとしています。まるで正しい分離要求もあるかのように。しかし「分離裁判絶対反対」は刑事弾圧と闘う裁判闘争の普遍的な方針であり、世界中の労働者の共通認識です。弾圧粉砕・無罪獲得を目指す被告が分離裁判を要求するケースなどあり得ません。被告が分離裁判を望めばそれは転向への道です。
 5・27裁判は裁判冒頭から8名の被告の統一公判で5年間審理され、被告人質問の段階に入っています。万一、この最終段階で裁判が分離されれば、5・27裁判闘争の全体的な構想が破綻することは必至です。最高裁から5・27裁判破壊のために送り込まれた植村裁判長は、当然、裁判を分離して5・27裁判をズタズタにすることを考えています。すでに裁判所は「7被告側は併合のまま法廷を開けば分離要求の発言をすると言っている。そうなると法廷の平穏と傍聴者を含む関係者の安全が確保できるか自信がない」「7被告側は分離されなければ更新手続きに入らないと言っている。このままでは審理の見通しが立たない」などと放言し、虎視眈々と職権判断による弁論分離決定を狙っています。
 今、5・27裁判でなすべきことは、7被告側が分離要求を直ちに撤回すること、そして8被告が団結して現下の裁判所の分離策動と闘うことです。

4、裁判方針問題について。
 結論から言えば、7被告が弁護側冒頭陳述を否定するのでない限り、私と7被告の間に、当時も今も、裁判闘争の方針に関して何の違いもありません。ところが7被告側は、「国労本部に対する姿勢と評価を明らかに異にしている。従って、防御が互いに相反する」と主張し、私が06年12月に出した「国鉄闘争団の新たな局面に際し訴える」という日豊オルグ班声明をもって国労本部を賛美したと述べています。しかし、私がその声明で述べたのは「たたかう国労の再生のためにこれを活用し、全力で闘う」ということです。
 私は、その声明で「(訴訟では)国労組合員、闘争団員が確固として存在し、位置づけられる。国労本部はそのことを察知し、……闘争団の存在と闘いを小さくしようとしている」「しかし、国労本部がどんなに押さえ込もうとしても押さえ込めるものではない」「問題は、国労の再生をどうしたら勝ちとることができるのか、である。……現場の怒り、対決性を生み出し、戦闘性、階級性を取り戻すことなのだ。それを国労本部が屈服している現実、それを組合員に強制している現実の中でどのように勝ちとっていくか、である。国労本部の方針を逆手にとって、現場が現場の力を取り戻すチャンスがあるなら、これを逃すことなく積極的に生かしきる戦闘的姿勢が必要なのではないか」「言うまでもなく『政治解決』路線とは全面屈伏路線であり、今現在も国労はこの路線を突っ走っている。提訴に先立って、東日本では全面和解を行い地労委への提訴をすべて取り下げた。また、出向協定も締結し、和解、労使協調路線にのめり込んでいる」「わたしたちは国労本部の思惑、さらには裁判を低めようとする策動など百も承知だ。闘争団の怒りと固く結びつき、国労本部の思惑を吹き飛ばし、裁判闘争を牽引し、国労の再生を勝ち取るために奮闘しよう」と述べたのである。
 もとより、本部の起こした訴訟についても評価は分かれるであろうが、上の私の主張のどこに国労本部賛美があるというのか。訴訟に対する評価の違いは、論議を継続して深めあっていけば良いことです。それを、私の主張を捻じ曲げた上で非難する7被告のやり方は、政治的立場を異にするに至った私をそれだけの理由で敵とする、卑劣な議論です。

5、最後に、5・27裁判闘争に関する私の考えと闘う決意を述べます。  今日、新自由主義政策によって、格差社会、ワーキングプアー、過労死など恐るべき現実が生み出されています。国鉄闘争は、国鉄分割・民営化と一体ではじまった労働者派遣法によって、「使い捨て」労働力として「部品」のように扱われ、「生きさせろ」と叫び声をあげざるをえない労働者の苦闘に肉薄できるほとんど唯一の闘いです。
 従って国鉄闘争は、格差社会の中で起こりつつある巨大な全社会的反撃の闘いの核となる闘いなのです。また苦闘する労働者人民の巨大な全社会的反乱と結合することにより国鉄闘争の勝利は可能なのです。
 5・27裁判には7被告の党派的利害を最優先させた行為によって様々な困難な事態が生じています。しかし私は、労働運動への不当弾圧をはね返して1047名解雇撤回闘争・国鉄闘争の勝利をめざし、裁判における団結の回復と8被告全員の無罪を勝ち取っていくことを強く願って最後まで闘いぬく決意です。

(以上)

INDEX
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