弁護団声明
5・27裁判の勝利をめざして

2008年7月14日(増補版)
国労5・27臨大闘争弾圧 弁護人更新意見

弁護団声明 目次
はしがき
国鉄分割民営化、国鉄闘争と国労5・27臨大闘争弾圧裁判を理解していただくために
 …… 弁護団長 佐藤昭夫
「国労5.27臨大闘争弾圧を許さない会」
呼びかけ発起人の方から
 団結よ蘇れ! …… 師岡 武男
 国労闘争に向けて …… 小野坂 弘
 今、敵は誰なのか …… 手嶋 浩一
 許さない会の原点の再確認を求める …… 石村 善治
 「生き抜く自由」を求めて 本来の闘いの成就を …… 岩崎 隆次郎
 敵を見誤ってはならない …… 大和田 幸治

T 弁護団声明の趣旨について
 1 国労5・27臨大弾圧裁判経過表
 2 米村氏解任以降の経過表

U 事実経過の骨子−私たちの主張について
 1 米村氏解任の問題点
 2 米村氏解任後の弁護団と7被告の話し合い
 3 2月4日の会議と合意の成立
 4 革共同の天田書記長らの誤った介入について
 5 7被告の2・22全弁護人解任について
 6 7被告による弁護団解任までの問題点について

V 事実経過(1)
  昨年11月の7被告による米村事務局員解任
 1 7被告の米村氏解任行為とその問題点
 2 米村氏解任に対する弁護団の統一見解
 3 一致していた裁判方針
 4 補助者案に弁護団の多数が賛成した
 5 米村氏解任理由は裁判方針の対立ではなかった

W 事実経過(2)
  本年2月4日の弁護団被告団合同会議とその前後の経過
 1 解決を模索した第1次案と第2次案の提案
 2 2月3日の佐藤・大口両弁護人と富田被告らとの話し合い
 3 2月4日の前半の会議
 4 2月4日の後半の会議
 5 2月4日の会議で何が合意されたか
 6 2・4合意を踏まえ3月7日公判での更新手続準備開始

X 事実経過(3)
  革共同の介入は5・27裁判の破壊
 1 革共同が2・4会議に関する方針を決定
 2 2月8日、革共同が弁護人解任を事前通告
 3 弁護団解任を前提とした動きについて
 4 2・22会議での7被告の態度の急変と全弁護人の解任

Y 事実経過(4)
  ―本年3月の弁論分離の請求と5月の職権分離決定
 1 分離請求却下を批判し裁判分離を要求し続ける7被告
 2 分離にむけて道を開こうとする植村裁判長
 3 5・27裁判の破壊を狙う職権分離

Z 7被告らの一連の行為の問題点
 1 5・27裁判に対する破壊行為
 2 国鉄労働者の階級的団結に対する破壊行為
 3 統一公判原則と反弾圧闘争に対する破壊行為
 4 党派的な利害のごり押し

[ 私たちの決意
 5・27裁判の勝利を目指して
 8被告の勝利を目指して闘う

◆資料 松ア博己被告の国労組合員としての闘争史

国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団
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はしがき
国鉄分割民営化、国鉄闘争と国労5・27臨大闘争弾圧裁判を理解していただくために

弁護団長  佐藤 昭夫

   1987年の国鉄分割民営化からすでに22年目、JRにはなじんでいるが、国鉄とは何か、国鉄闘争といわれるものがどういうものか、分かりづらい方も多いと思う。
 簡単に言えば、国鉄分割民営化は公共交通の基幹であった日本国有鉄道を民有化(私物化)し、儲けのない線路は生活にどれほど必要でも切捨て、安全よりも儲けを優先させる経営に変えさせること(その結果は、尼崎事故に象徴的)であり、またその機会に10万人もの人員削減を強行し、その首切りの脅しにより国労(国鉄労働組合)や総評、それを支持基盤とする社会党を壊滅させ、平和憲法破壊の道筋をつけようとするものであった。
 このことは、当時の首相中曽根康弘氏が10年後に公言しているところであり、それだから、JRへの採用差別は「国家的不当労働行為」と言われているのである。
 この差別され、最終的に首を切られた1047名の労働者(国労、全動労、動労千葉の組合員ら)は、その解雇撤回・原職復帰を求めて闘い続けた。
 だがやがて、この闘争を重荷と感じた国労本部は、政治解決という名目(いわゆる4党合意)で闘争を収束させようと図った。それに対し、国労内部にこれを批判する「闘う闘争団」(約300名)が解雇無効を訴える裁判(鉄建公団訴訟)を起こした。
 4党合意による解決を求めた国労本部は、この鉄建公団訴訟を統制処分で抑えようとし、そのための臨時大会開催を機動隊の制圧下で強行した。
 そしてこれに反対してビラまきなどした組合員らとの間の小競り合いの状況をあらかじめ用意したビデオに撮り、それを警察に提出して反対派組合員らの処罰を求めた。
 警察や検察はこれに中核派の暴力行為とのレッテルを張り、暴力行為等処罰法による弾圧を加えた。これが、5・27裁判である。
 だがこの弾圧は、中核派という一党派の問題でなく、団結権そのものに対する抑圧だとして、これに対する超党派的裁判闘争が、「許さない会」など広範な支援を得ながら5年あまりにわたって闘われてきた。
 それだからこの裁判闘争は、国鉄闘争そのものに対する弾圧への闘い、自主的労働運動への政治的抑圧への闘い、ひいては国労再生・今後の国鉄闘争の行方に関わる闘いでもあった。
 労働組合の生命である権力や資本に対する自主性と組合民主主義を踏みにじった国労本部。その妨害に崩れることなく、闘いを止めなかった鉄建公団訴訟では、05年9月15日の東京地裁判決(難波判決)で、当時の国鉄がJRへの採用につき国労組合員に対する差別があったことを断罪した。
 解雇無効こそ認められなかったが、裁判所で「国家的不当労働行為」の存在を明らかにした歴史的成果であった。
 それは運動にも反映し、闘う闘争団の第2次提訴、動労千葉、全動労(建交労)の提訴があり、翌年2月16日には、関係3組合(国労、全動労、動労千葉)横断的な「1047名連絡会」の結成へと結実した。
 さらに国労本部も裁判誹謗の態度を変え、自らも遅れて訴訟を起こしたが、それは時効中断のためだけで、4党合意の継続としての和解路線を追求するものだった(5・27弾圧への謝罪もない)。
 鉄建公団訴訟原告団は控訴中の裁判で解雇無効の主張を掲げて闘うとともに(地裁での第2次訴訟も同様)、裁判外では国労本部を巻き込んだ4者(鉄建公団訴訟原告団、第2次訴訟原告団、全動労原告団、国労本部派原告団)4団体(闘う闘争団支援の「国鉄闘争共闘会議」、全動労〔建交労〕、国労、「国鉄闘争支援中央共闘会議」〔国労支援の共闘組織〕)で解決するとし、国労本部の屈服路線を抑えようとした。
 だが従来の組合間の反目に根差し、あるいはそれを口実とした闘争の進め方に関する相違などの様々な経緯から、動労千葉を含んだ「1047名連絡会」は名目を残すだけとなり、敵は同じなのに、1047名の団結した共闘とはならなくなった。
 権力や資本の強大な力と闘うには、労働者や支援者の側の団結した力がなにより必要なはずである。1047名闘争がそうならなかったというのは、残念なことである。
 そしてさらに不幸なことには、昨年来の革共同(革命的共産主義者同盟全国委員会。いわゆる中核派)の分裂を契機に、国鉄闘争の重要な一翼を担う5・27裁判闘争に党派闘争が持ち込まれた。
 5・27裁判ではこれまでその闘いの重要な意味を自覚し、被告団、弁護団、事務局、そして支援組織が一体となって勝利を目指して闘ってきたのに、7人の被告による事務局や、超党派的闘いを担った弁護人の解任、事件後の被告間の対立を理由とする分離裁判請求などが行われ、それに乗じた裁判所の職権による分離決定(権力による被告の分断)がなされた。
 しかも、その事実を歪めた党派的宣伝によって、国鉄闘争そのものも一層分かりづらくされ、支援態勢にも亀裂がいれられている。
 この弁護団声明は、この間の5・27裁判に関する経過と問題点を事実によって明らかにし、裁判闘争・国鉄闘争の勝利の道筋を探ろうとしたものである。
 8被告全員の無罪を勝ち取るための闘いに、いっそうのご支援をお願いしたい。それとともに、かなり詳細に事実経過を記録しているので、将来5・27裁判の総括が行われるであろう時、その基本資料となることも願っている。

 本弁護団声明は、当初、今年5月23日に作成され、その後6月6日に大幅に増補して頒布された。こうして本声明文は、国労5・27臨大闘争弾圧を「許さない会」の呼びかけ発起人をはじめ、5・27裁判に関心を持つ人々に読まれてきた。
 とは言え本弁護団声明は、手作りで作成部数もそれほど多くない。それにもかかわらず、現在までに本声明文の読者から多くの建設的なご意見をいただいた。これら貴重なご意見をお寄せ戴いたことに国労5・27裁判弁護団を代表して、篤く御礼を申し上げたい。
 この間、読者から本声明文をもっと広く頒布して欲しいとの希望が寄せられていたが、今回、誤字訂正などを施して7月14日付けで再び作成することにいたした。
 そこで、この機会に、「許さない会」呼びかけ発起人の方で本声明に関してお寄せいただいた師岡武男、小野坂弘、手嶋浩一、石村善治、岩崎隆次郎、大和田幸治の6名の方々のコメントを御承諾をいただき紹介する次第である。
 今後、本声明については、国鉄闘争を闘っているもっと広範な人々に読んで戴くために、また、資本主義社会の矛盾やその中で生み出されている深刻な差別と日々闘っている広範な労働者人民にも読んで戴くために、機会をみつけて印刷に回す予定です。
 私たち国労5・27裁判弁護団は、多くの方々からご指導ご鞭撻を受けながら、8被告の統一公判を実現し、無罪獲得、国労再生、1047名国鉄闘争勝利のために闘い続ける決意です。
 ぜひ皆様の本声明に関するご意見をお寄せ下さい。

◆「国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会」 呼びかけ発起人の方から

団結よ蘇れ!

師岡 武男  (許さない会呼びかけ発起人)

 5・27裁判闘争の被告団の分裂、弁護団の解任と再編の動きには驚いている。私自身は、この闘争の支援のための組織である「許さない会」の呼びかけ発起人の一人として、この事態にどう対処すべきかという問題に直面した。
 元々この裁判闘争は、国労内の正当な組合活動に対して国家権力が介入、弾圧し、国労の執行部もこれに加担したという事態によって引き起こされたものだ。組合活動や大衆運動に対する弾圧は、濃淡の差はあれ戦前戦後一貫したもので、この事件に限ったことではないが、この種の弾圧と積極的に闘うことなしに民主主義社会を実現することはできないと思っている私は、佐藤弁護士らの誘いに応じて呼びかけ人に参加した。
 裁判闘争は「国策捜査」という不利な条件下で、被告団の団結と弁護団の献身的な努力を中心に力強く進められて来ていたのに、突如として混乱に見舞われた。その原因は、被告の所属する革共同(中核派)の内部闘争の結果として、中核派が「裁判事務局」の人事と、裁判闘争の方針についての変更を要求し、弁護団がこれに反対したのが発端だということである。
 これまでの裁判闘争を高く評価し支持している私にとっては、この要求は理解できないものであり、まして弁護団の解任に至っては道理のない許し難い背信行為だと思う。遺憾の極みである。
 裁判闘争は、中核派の要求に従い、それまでの弁護団と折り合ってできた合意(2・4合意)を反故にした七人の被告・弁護団と、2・4合意の線での共同の闘いを求めた一人の被告・弁護団に分断されたことによって、闘争力が弱体化されるだろう。民主主義と正義を守る闘いは、道理の力と団結の力の両論があってこそ成功に導くことができる。裁判が分断されても、弾圧反対の道理に大きな違いがあるとは思えないが、団結力の弱化は否定すべくもないだろう。
 いま荒廃を深めている市場万能主義型資本主義体制の日本を、自由・人権・連帯・平和の国に転換するために、道理には事欠かない。何よりも必要なものは、民衆の大同団結の力の強化だと私は思っている。しかし、左翼運動とされるものには、独善的で偏狭な対立、分裂志向の体質が根強いことを今度も改めて感じさせられた。いつまでそんな愚かな自己満足主義を続けるのだろうか。大義のために、小異を残して大同につくという作風転換はなぜできないのか。
 ところで、許さない会はどう対応すべきだろうか。「8被告を平等に支援する」ということができれば、団結力の弱化を防ぐために有効であることは確かだろう。しかしそれを、弁護団解任という団結破壊行動を起こした人々から求める資格はないだろう。私自身としては、7被告に対しても積極的に支援するという気にはなれない。  私はかつて、国労本部が4党合意に走ったとき、「国労よ甦れ」と訴えたことがある(『人として』第10号)が、いま7被告に対しては「弁護団解任の愚行を撤回せよ」「団結よ甦れ」と訴えたいと思う。

 

(08.6.15)

国労闘争に向けて

小野坂 弘  (許さない会呼びかけ発起人)

1 私は約20年前に国労新潟地本の招請で国労運動に係わるようになりました。国労新潟地本の運動は当時、新潟における数々の労働闘争の訴えの場として重要な役割を担っていたと思います。国労新潟地本の集会が諸般の事情で開かれない時には、我々で別の集会を開いて新潟における訴えの場の確保を図ったこともあります。

2 私は中国人強制連行・強制労働新潟裁判に係わっています。最初は『張文裁判を支援する会』という支援組織の共同代表として、その後は代理人の一人としても係わっています。その時の経験から言って、この種の構造的な裁判闘争においては、原告団と弁護士そして支援団体の三位一体の固い団結と共同行動なくしては闘えないと思います。本件訴訟にあっては被告あるいは被告団の立場の尊重は当然としても、弁護団と支援団体『許さない会』との固い団結と協同なくしては闘いは組み立てることすらできないと強く思います。その意味では佐藤弁護団長の冊子の立場は正しいと確信します。被告あるいは被告団だけでは何もできないと思います。東京地裁が103号という大きな法廷を用意したことは、「傍聴席を埋めてみろ」という挑発です。中国人裁判では101号法廷でした。傍聴席がガラガラでは話しになりません。

3 7人の被告人団の側との間に裁判闘争の方針を巡る対立があったとは聞いてません。『無罪を勝ち取ることだけにキュウキュウとしている』との批判は全く当たっていません。
 『正当な組合運動をしただけであるから無罪である』という主張は、極めて真っ当な主張であり、何ら恥じるところはありません。被告団が分裂したことは国家権力を利するものに他なりません。裁判はどうでもいいのでしょうか。超党派の裁判闘争であったはずですし、そのようなものとして私も承知しています。
 そうでなければ、国労運動が20年以上も国家権力・政党の圧倒的な力にもかかわらず続くはずがありません。この運動がこれだけ続いているのは、党派の力ではないのです。党派は自分の力量を過信してはいけません。
 労働者大衆の意識と活動によってしか運動は支えられないのです。難しいとは思いますが、原点に立ち返って再度団結して闘うことを切に望んでいます。

今、敵は誰なのか

手嶋 浩一 (許さない会呼びかけ発起人)

 私が5・27臨大弾圧裁判闘争を支援してきたのは、国労本部が真なる敵が誰なのかが分からなくなり、自らの組合員を警察権力に売り渡したからでありました。
 私は国労旧主流派(後に鉄産労を結成)の九州の幹部役員でした。当時、被告の小倉闘争団の松ア博己君からは、民同ダラ幹、「手嶋打倒!」と揶揄されたものです。  私は、国労全国大会(修善寺)で旧主流派と決別し、現、国労九州エリヤ本部の書記長を引き受けましたが、国労分裂後の国労本部は日を追うごとに分割民営化を認めると言う方向に傾き(後の四党合意)、国鉄当局の202億損害賠償請求と国労本部会館明け渡しの取引、全国に点在する国労の組合事務所の明け渡し、そして極めつけは「労使共同宣言」の姿を変えた、ストライキ権を自ら放棄する内容の労働協約を締結すると言う問題が浮上していました。
 私は当時、このすべてに反対致しました。結果として私は国労を追われることとなり、私自身もこれで「国労は終わった」との思いですべての労働運動から遠ざかり、身を引きました。
 しかし、被告、松ア君だけは身を引いた私の処に、新聞『前進』を持って定期的に訪ねてきて、社会情勢や国労の闘いの状況を報告し、私に再度国労闘争に奮起することを促しました。私は断り続けました。
 ところが国労の5・27臨時大会でビラまきをしていて松ア、羽廣両君(他に6名含む)が警察権力に逮捕されたとの報を聞き、「電光石火、これだけは許せない、これを許せば根底から日本の民主主義は崩壊となり、日本の労働運動は壊滅だ」との思いから、私の心は燃え上がり、九州の「許さない会」の呼びかけ発起人を引き受けたのです。
 私は現在、虹ヶ丘学園と言う知的障害者福祉施設の偽装廃園に伴う職員全員解雇事件の支援をしていますが、私が5・27臨大弾圧裁判闘争(中核)を支援していると言う理由だけで、近辺、周りの労働組合(連合)が非協力的となり、当該、虹ヶ丘学園労働組合のみなさんには申し訳なく胸を痛めておりました。しかし、虹ヶ丘学園労組の組合員の皆さんは、周りからの非協力があるにもかかわらず、5・27臨大弾圧裁判闘争に理解を示され支援して頂いており、私の胸の痛みも若干やわらいでいる状況です。
 さて、革共同上部役員(中核)のみなさん! 弁護団を始め、多くの超党派の活動家の皆さんや、そして私や虹ヶ丘学園の組合員のような妨害を受けながらも、微弱な支えであったかもわかりませんが、こうした皆さんの支援があっての「許さない会」であったし、今日の5・27臨大弾圧裁判闘争ではなかったでしょうか。
 分離裁判は、派閥内部の抗争から生じたもので、敵・権力を利することはあっても、被告をはじめ私たちに利するものは何もありません。
 私は当初7被告の皆さんが、弁護団との間で話し合いをされ選択、判断された「2・4合意」が最善の道だったと確信していますし、今、敵は誰なのかを見失うことなく、分離裁判を改めて団結して勝利の展望を共に切り開こうではありませんか。

2008年6月19日

「弁護団声明」(2008.6.6)を読んで
―許さない会の原点の再確認を求める―

石村 善治 (許さない会呼びかけ発起人)

1 「国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会呼びかけ発起人」の一人として、今回の「分離裁判」の状況に、強く心を痛めています。一刻も早く、「許さない会の三つの目的」の原点、並びに「2002.12.19 声明 国労組合員と国鉄闘争支援者への弾圧を許してはならない」を再確認した裁判運動、支援活動であることを望んでいます。

2 私は、「無罪獲得・国労再生へ 国労5・27臨大闘争弾圧を許すな!」(2004.8.5発行)の中で、「憲法改悪反対の力として無罪獲得へ」(P37〜38)という一文を書きました。その中で、本件弾圧が「言論の自由」「団結権」「法治主義」「人間の尊厳」「良心の自由」の侵害であるとして、「被告の皆さんに敬意を表します」と述べ、被告の松ア博己さんの「『国鉄闘争のみならず、労働運動全体への治安弾圧……日本がイラク侵略戦争に参戦する中で、国鉄闘争と労働運動をつぶそうとしたのです』との訴えにこころから共感しています」と述べました。私は、この視点で、この裁判をとらえています。したがって、いわゆる「党派的立場」からの裁判闘争を支持することはできません。

3 「弁護団声明―5・27裁判の勝利をめざして」(2008.6.6(増補版))の「はしがき(弁護団長 佐藤昭夫)」で述べられているように、「国鉄分割民営化」そのものが、国労・総評・社会党の壊滅、平和憲法破壊の道筋をつけるものであることを明確にしなければならないと考えます。その「道筋」が、決して多くの国民に、市民に、労働者にすら明確でない気がします。私自身、「国鉄闘争」がわかりにくく、さらに今回、「一層分かりづらくされ、支援態勢にも亀裂がいれられている」(P7)と思っています。このための努力がなんとしても先決の問題であるとも思っています。

4 最後に、「弁護団声明」から二文を引用して、次のことを再確認したいと思います。   「5・27裁判の核心は、国鉄闘争への弾圧として強行された団結権侵害に反対する闘いであり、換言すれば基本的人権としての労働者の団結権を擁護し、回復する闘いに他ならない。」(P20) 「5・27闘争を支援している『許さない会』の活動原則は超党派性にある。政治的な立場や路線の違いを超えて一致団結して5・27闘争の勝利をめざすべきである。」(P36)

2008.6.20

   

「生き抜く自由」を求めて 本来の闘いの成就を

岩崎 隆次郎(許さない会呼びかけ発起人)

 私がこの裁判支援に参加したのは、この裁判が中曽根内閣の臨調行革路線との闘いの延長上にあるからである。この時、国鉄民営分割が提起され、これは明らかに総評解体を契機に労働運動全体の抑圧を狙っていた。80年代を通じて労働者が獲得した「経営者概念拡大」が否定され、首切り合理化が公然とまかり通る道をひらいたものであった。
 マスコミは「秋葉原事件」で犯人の父親に謝罪させることに汲々としたが、事件の原因となった労働者の雇用を資本の論理だけに従属させた経営者の責任は問おうとはしなかった。毎年3万人をこえる自殺者が続き、「秋葉原事件」への同感が若年層を中心にネットに書きこまれているにもかかわらずである。
派遣労働者を扱う企業の責任はもちろんだが、乾いたタオルから血をしぼり出すような大企業の論理も問われない。
 この裁判にはこうした労働者の「生きぬく自由」を求める叫びがこめられていると考えたからである。こうした労働者すべての権利を守るたたかいがある以上、党派の利害でたたかいを放棄するのは許されないと思う。
 弁護団の小冊子が云うように、8人全員の勝利をかちとることを願う。松ア君を疎外することで党派の論理を合理化するのではなく、先ず裁判闘争勝利のために党としての指導性を発揮することが、前衛たるべきものの義務であろう。
 弁護団と事務局の労を多とすると共に、本来のたたかいの成就を願ってやまない。

福岡にて、08年6月24日(火)

敵を見誤ってはならない

大和田 幸治 (許さない会呼びかけ発起人)

 5.27裁判闘争は残念な事態に直面している。
 不団結の象徴ともいうべき分離公判という裁判形態は、もともと司法が被告に求める分断手法だと思う。
 国鉄の分割民営化という国家的不当労働行為の現れであるJRの採用差別は、改革法を悪用した司法の反動判決として差別の合理化を狙ったものだった。
 軌を一にするが如き4党合意は、かつて大資本・権力が好んで求めた労働組合に抗する、分裂・組織分断・権利剥奪攻撃の国家的手法でもあった。
 どの政党の主張が正当か、どの政党の論理は正当か、と判断に迷うとき、敵の攻撃は成功する。だが、「所詮は敵の攻撃だ」と断定し闘いに挑むとき、敵の狙いは頓挫する。
 4党合意の質を見破った大胆な地労委闘争の提起と4党合意の崩壊は、敵を見誤らなかった闘争の成果と言える。
 だが過程で敵に迎合し、仲間を裏切らんとした国労幹部は、権力を利用して、5.27大弾圧への道を歩んだ。
 5.27裁判闘争は、弾圧と不屈に闘う被告団と献身的・精神的取組みを法廷内外に展開された弁護団の闘いであった。
 鉄建公団訴訟は、反弾圧闘争が国鉄闘争団への具体的反映として影響を与えたものであった。
 この闘いの最中での弁護団の解任は考えられない事である。
 過日、私は、被告団と弁護団の話合いの結果報告を7被告側から直接知らされ、「双方の理解のもとにうまくまとまった」と聞いていた。それだけに、その後の変化には驚いている。
 しかも内容は裁判の闘争方針の対立でなく、所属する組織内の内部対立であり、反権力闘争に取組む弁護団の解任との手段は到底理解できるものではない。
 5.27裁判闘争の弁護団は、その取組みといい、法廷での対応、共に弁護活動として実績をあげ、すぐれた方々である。
 権力・裁判官を前にした弁護団の解任や、分離裁判自体敵を喜ばせ、次なる攻撃への野望につながるのではないかとの危惧を感じる。
 私も組織分裂にさらされた経験をもつが、分裂は稍もすれば真の敵よりも当面の対立相手に憎しみの比重を置く事となる。
 対立する相手にいたずらに打倒の全力を注いでも、敵を圧倒するのは至難である。団結を闘いの基礎に真の敵にむけての闘争こそ、勝利につながるだろう。
 嘘か真か、「負けても良い」との声を耳にするが、それは全くの誤りである。敗北を目的化した闘争手段は存在しない。
 目標を誤れば闘う者の団結を損ない手段に固執して大義を逸するであろう。  反弾圧の闘いは、国鉄闘争勝利、国労再生への大義にむけて、更に強力に闘うべきである。

T 弁護団声明の趣旨について

 私たちは、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の弁護人として5年間闘ってきた。警視庁公安部と国労本部が結託して強行した5・27臨大闘争への大弾圧を打ち破る裁判闘争として、「無罪獲得・国労再生」を目指して闘ってきた。

5・27裁判闘争破壊の危機

 ところが、昨年11月以来、5・27裁判では実に深刻な、裁判闘争を破壊するような出来事が立て続けに起こっている。ポイントとなる事実は次の4つである。なお7被告とは松ア被告(小倉地区闘争団)以外の富田被告らを指す。
@7被告による裁判事務局の米村氏への解任通告(11月15日)
A弁護団と7被告間の米村氏補助者使用に関する合意の成立(本年2月4日)
B革共同(中核派)の介入(2月8日)による2・4合意破棄と7被告の全弁護人解任(2月22日)
C7被告側の弁論分離請求(3月24日)・同請求却下(4月2日)と職権分離決定(5月12日)
 上記@の米村氏解任は実に重大な出来事であったが、約3ヶ月後いったんは上記Aの2・4合意で危機は回避された。ところが、その直後から上記Bの革共同の介入が開始され、これによって事態は急坂を転がり落ちるように最悪の状況に突入。5年間の被告団・弁護団・事務局支援の固い団結を基礎にした裁判闘争で勝ち取ってきた5・27裁判の勝利的地平は、一挙に破壊されようとしている。
 そして遂に、上記Cで5・27裁判は松ア被告と7被告の2つのグループの裁判に分離されてしまった。
 現在、私たちは、上記BとCの克服を目指しつつ、松ア被告の弁護人として5・27裁判の弁護活動を継続している。なお以下の文中でたんに弁護団とあるのは本年2月22日に解任されるまでの8被告の弁護団(佐藤昭夫、浅野史生、一瀬敬一郎、大口昭彦、萱野一樹、河村健夫、小島好己、西村正治、葉山岳夫)を指す。

階級的裏切り

 7被告は、上記Aの2・4合意で、弁護人が米村氏を補助者として使っても自分たちは関知しないし、もちろんそれで弁護人を解任したりしない、これは7被告全員の意思である旨弁護団に表明した。その約束からわずか2週間後の2月22日、7被告は2・4合意を平然と破り捨て、その必然的結末と称して全弁護人を解任した。
 7被告が、革共同の2・8介入という経過があったにせよ、2・4合意を平然と破った責任は単なる背信ではすまされない。
 また7被告が、2・4合意を破ったうえで、全弁護人を解任した行為は、直接的には5・27裁判に対する重大な破壊行為であるが、同時に国鉄闘争に敵対する反階級的行為に他ならない。
 さらに、その後7被告が行った弁論分離請求は、弁護人解任以上にもっと悪質で、もっと重大な裏切りである。7被告側は、弁論分離の請求が4月2日に却下された後も、分裂裁判にもちこむことを裁判所内外にアピールし続けた。「分離をかちとるぞ」という見出しのビラまで出して権力にすり寄った。これらの7被告側の行動は権力・裁判所を5・27裁判破壊に誘導し、職権による裁判分離という超弩級の弾圧を惹起させた。こんな露骨な弾圧の手引きがあるだろうか。7被告側の裁判分離要求は、明らかな階級的な裏切りであり、厳しく断罪されなければならない。

背景にある革共同の分裂

 一連の出来事の直接的な起点は米村氏解任にある。米村氏は関西合同労組の本部執行委員で5・27裁判支援のために5年前から組合大会決定で東京に派遣されている。実は7被告も、米村氏が裁判初期から5年余り裁判対策に全身全霊を傾注してきた事実を認めている。また裁判事務局の責任者だった米村氏の解任が5・27裁判に深刻なマイナス影響を及ぼすことも充分知っている。それなのになぜ解任したのか。
 その背景には、2007年11月以降顕在化した革共同の大きな組織分裂(関西を中心に発生)により、これまで7被告と米村氏は政治的立場を同じくしていたが昨年11月以降、異なる政治的立場になったという事情がある。
 また7被告が松ア被告(九州の小倉地区闘争団)に対して行った分離裁判要求の背景には、2006年の「3月14日事件」に端を発した革共同の組織分裂(革共同九州地方委員会の大半が革共同を離れる)に根ざした松ア被告と7被告間の政治的対立という事情がある。

事実を歪曲する7被告側の文書群

 この間、7被告側によって、上記の事務局解任と弁護人解任問題、さらに弁論分離問題について文書が作成され広く流布されている。7被告側の本年2月下旬以降の文書は、以下の通り複数におよんでいる。
 例えば、3月7日付けの「国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団全員の解任について」と題する文書(Webサイトおよび『月刊交流センター』2008年4月号に掲載。以下、たんに「3・7文書」という)、5月15日付けの許さない会会報(第32号)掲載の「旧弁護団の解任と弁論分離についての被告団の見解」(以下、たんに「5・15文書」という)、5月17日付けの「国労5・27臨大闘争弾圧被告団からの訴え」(Webサイトに掲載中。以下、たんに「5・17文書」という)などである。
 その他、富田被告名義の文書(2月26日付け)、裁判所への弁論分離請求の文書(3月24日付け)および複数のチラシ(Webサイト掲載中のチラシとして、4月の「弁論分離請求への却下決定を弾劾する!被告団は松ア被告との裁判の分離をかちとるぞ!」や5月の「弁論分離をかちとった!」がある)が出されている。
 しかし、これらの7被告側の文書は、前述した重要な4つの事実に関して、その事実経過を著しく歪めている。
 例えば、次のような事実は7被告側の主張の歪曲性を示している。
〈1〉裁判事務局米村氏の解任や弁護団解任がもっぱら党派的利害で強行された事実。  〈2〉2月4日の弁護団・被告団の合同会議で合意が成立した事実(米村氏を個々の弁護人の判断で弁護活動の補助者として用いても弁護人を解任しない旨の7被告側の弁護団への表明)。
〈3〉その後の2月8日から2月22日にかけての政党(革共同)の党派的利害による5・27裁判への介入と7被告背信の事実。
〈4〉弁論分離要求の主張の中で松ア被告の5・27裁判と国鉄闘争に関する立場を著しく歪めている事実。
 7被告側は、これら決定的事実を隠蔽し事実経過を歪曲している。

事実経過の真実を伝える重要性

 5・27裁判闘争の重大な岐路にある現在、事実経過の捏造は絶対に許されない。歪めた事実の流布は裁判闘争を闘う被告の団結を破壊するし、間違った事実を土台とした民衆の運動は勝利しえない。国鉄闘争の一環であり、重大な階級的意義をもつ5・27裁判の勝利をかちとるためには、米村氏解任・弁護人解任・弁論分離などの事実経過に関する深刻な歪曲を克服しなければならない。私たちは正確な事実を提供する責任を負ってる。
 また私たちは、この間、5・27裁判を支援してこられた多くの方々から弁護人解任や弁論分離などの経過について質問を受けているが、これらの質問にも正確に答える責任を負っている。
 もともと私たちは、裁判闘争の内部の事実経過や議論を公にすることには慎重に対処してきた。しかし、上記の通り、正確な事実経過を共通の土台にして5・27裁判に関する議論を進めることが裁判闘争の勝利のために不可欠であると判断するに至ったので、私たちが経験した客観的事実を正確に説明するため、ここに弁護団声明を作成することとした。
 なお、5・27裁判の経過と今回の米村氏解任以降の経過に関しては時系列の年譜があった方がわかりやすいと思うので、あらかじめ次頁に「5・27裁判の経過表」を掲載し、次々頁に「米村氏解任以降の経過表」を掲載する。適宜、参照されたい。
 1 国労5・27臨大弾圧裁判経過表
 2 米村氏解任以降の経過表

U 事実経過の骨子−私たちの主張について

 

 本文書の全体は事実経過を正確に述べるためやや長文になっているので、冒頭に私たちの基本的な認識や考え方を述べておく。
 ただし要約やエッセンスというわけでもないので全文を読み通して頂きたい。

1 米村氏解任の問題点

 昨年11月15日、7被告は米村氏に対し「11月18日の革共同の関西派総会に参加したら、裁判事務局を解任する」と通告した。
 この米村氏解任通告は、米村氏が「関西派」として具体的に何をしたかが理由になっているわけではなく、まして5・27裁判で何か裁判方針に反する言動を行ったからでもなく、もっぱら「関西派」の集会に参加すれば解任だということで行われた。
 弁護団は、5・27裁判の方針では米村氏と7被告・弁護団は見解が一致しているにもかかわらず、上記のような純粋に思想的、政治的な立場の違いを理由に、裁判事務局の責任者である米村氏を、しかも弁論作業を控えた裁判闘争の重要な局面で、裁判から排除することは5・27裁判に致命的悪影響を生じさせるものであり、到底認めがたいと考えて、米村氏解任に反対した。
 弁護団は、解任通告直後の11月19日の弁護団会議で、上記のような理由を述べて、7被告側に米村氏を裁判事務局に戻すよう要請した。
 ところが、7被告は、最近の3・7文書や5・15文書では、「5・27裁判の裁判方針を巡る対立」が生じたので米村氏を解任した旨主張している。しかし、これは明らかな事実の歪曲である。
 昨年11月以降、政党(革共同)の組織分裂を機に、米村氏と7被告が政治的立場で対立的関係に入ったことは認められても、両者が5・27裁判の裁判方針を巡って敵対関係に入った事実は全くない。これが真実である。
 なお7被告がもっぱら昨年11月18日の革共同の関西派総会への出席問題を理由に11月15日の時点で米村氏に解任通告をしたことは、実は、被告団自身が本年1月18日付けの被告団文書(「国労5・27裁判弁護団のみなさんへ」)や2月4日付けの被告団文書(「国労5・27裁判弁護団のみなさんへ(2)」)で認めていたことである。また弁護団解任後も、富田被告団長名の文書「国労5・27臨大闘争裁判、米村事務局員の解任について」(2・26付け)でも明確に述べられていることである。
 現在の7被告の主張は、事実をねじ曲げ、後から米村氏解任理由をでっち上げるものであり許されない。

団結権擁護の5・27裁判闘争と党派との関係

 では5・27裁判闘争で、〈裁判と政党〉や〈労働組合と政党〉の関係はどのように理解されるべきだろうか。この問題は、2002年5月27日の5・27臨大闘争とこの闘争への弾圧をどのように理解するかという根本的な問題と関連している。
 まず5・27臨大闘争は、与党3党声明に完全屈服した国労本部が鉄建公団訴訟を提起した闘う闘争団を除名などの統制処分にする策動に反対し、5・27臨大開催反対を訴えて行ったビラまき説得活動である。その闘いを中心で担った国労共闘は、国労綱領の実現を目指す国労組員によって構成された大衆団体である。
 従って5・27臨大闘争は、国鉄1047名解雇撤回闘争の一環として闘われた、国労組合員による組合活動であり、決して政党の闘いではない。
 ところで検察官は、5・27裁判の中で「国労共闘=中核派の国労内組織」なる、事実を捏造した主張を行っている。これは政党(革共同)に対する予断に満ちたレッテル貼りの効果を悪用して労働組合運動への違法な弾圧を合理化しようとする攻撃である。
 もともと労働者であるならば、労働組合の組合員となると共に政党員となることのあるのは、団結権の行使および結社の自由として当然のことである。そして労働者の利益を擁護しようとする政党の党員は、労働組合の組合員としても、熱心な組合活動の担い手となるだろう。政党員としての活動が、労働組合の組合員としての活動と重なり合うのは不思議ではない。
 様々な政党が様々な労働組合の中に党員や支持者を持ち、労働組合の活動にも一定の影響力を及ぼしている。革共同が国鉄闘争に関する考え方を形成し、それに組合員の同意、支持をひろげることにより、組合運動の発展を図るのは、労働組合と政党の関係として全く正常なものである。
 そもそも大衆団体である労働組合と、独自の政治的見解に基づいて組織される政党は、組織の目的や組織構成員の資格が根本的に違っている。従って、例えば国労共闘の国鉄闘争の闘いを革共同が支持し、また国労共闘の国労組合員の中に革共同の国鉄闘争方針を支持する人がいたとしても、大衆団体である国労共闘を革共同の中の一組織と見ることも、また国労共闘の労働組合活動を組合活動とは別の政党の闘いと見ることも、いずれも労働組合と政党との関係を歪曲、切断するもので間違っている。労働組合としての活動か、政党独自の政治活動かは、その活動の内容による。
 他方、5・27臨大闘争への権力の弾圧は、警視庁公安部が国労本部と結託して行ったものであるが、狙いは国鉄闘争として闘われたビラまき説得活動への弾圧であり、従って国鉄闘争を闘う国労組合員の組合活動を禁圧しようとする弾圧に他ならない。
 また同時に、5・27弾圧は、政党(革共同)員の活動を封じることを狙って強行されており、革共同への弾圧という性格を持っていることは事実である。
 しかし、上記の革共同への弾圧という側面も、厳密に言えば、政府権力の責任を追及している国鉄闘争の爆発を阻止するために、すなわち国労本部の制動を突き破って鉄建公団訴訟に決起した闘う闘争団を中核的構成要素とする、国鉄闘争の最大勢力たる国労の運動の爆発を阻止するために、国家権力中枢が本部反対派(闘う闘争団と国労共闘)の分裂を策して、5・27臨大闘争への事後弾圧を強行したことによるものである。つまり、決して“はじめに革共同への弾圧ありき”というものではない。
 従って、5・27臨大闘争弾圧の最大の核心は、国労組合員の最も基本的で典型的な団結権行使であるビラまき説得活動を禁圧しようとして行われたこと、換言すれば、国鉄闘争そのものを禁圧せんがために国労組合員の団結権を根本から侵害しようとして強行された点にある。
 以上のように5・27臨大闘争と5・27弾圧の本質を捉えたとき、5・27裁判の核心は、国鉄闘争への弾圧として強行された団結権侵害に反対する闘いであり、換言すれば基本的人権としての労働者の団結権を擁護し、回復する闘いに他ならない。  このような5・27裁判が、革共同など特定の政党の立場に立った裁判闘争でないことは言うまでもない。
 5・27裁判が上記のような性格を持っているが故に、5・27裁判弁護団には政治的な立場を超えて超党派で弁護士が参加し、9名からなる大型弁護団が結成された。また5・27裁判の支援組織である「許さない会」も超党派で組織された。
 従って、昨年11月の革共同の組織分裂によって、裁判事務局の米村氏と7被告が思想的、政治的な見解や立場が対立するようになったからと言って、このような裁判外の党派的な対立関係を無媒介に−裁判への影響などを全く度外視して−5・27裁判の運営の中に持ち込むことは全く間違っているのである。
 現在の7被告側の5・27裁判に対する対応の誤りは、根本的には上記のような誤りに起因している。

2 米村氏解任後の弁護団と7被告の話し合い

 5・27裁判の弁護団は、2002年末に結成されてから、一貫して被告団との協議・合意を重視し、実際にも大切にしてきた。
 5・27裁判では、例えば、冒頭手続での被告人意見陳述、各検察側証人(暴行をでっち上げた警察官や「被害者」およびビデオ撮影者など)に対する反対尋問、また弁護側冒頭陳述の作成、さらに被告人質問など、ざっと想起するだけでも数多くの訴訟手続上の山場と節目があった。これらの各裁判闘争場面で、弁護団は、被告団との固い共闘関係を基礎にしながら各被告との意見交換を実現し、その結果を訴訟活動の随所に反映させることによって、充実した弁護活動を実現できた。
 しかし、上記のような弁護団と被告団の協議・合意が実現できたのも、裁判全般を支えてきた裁判事務局の活動があったからである。その裁判事務局活動の行方が焦点になったのが今回の米村氏解任問題だった。

粘り強く行われた意見交換

 米村氏解任問題が発生後、弁護団は、7被告側との間で機会をとらえて粘り強く7被告側の考えを聞き、また弁護団の考え方を伝えてきた。具体的には、米村氏への解任通告直後の昨年11月19日の弁護団会議を皮切りに、弁護団会議の機会、公判終了後の総括会議の機会、さらに尋問担当者会議の機会などで、弁護人は7被告側と意見交換を重ねてきた(例えば、昨年11月24日、12月5日、12月6日、12月20日、12月26日、本年1月7日、1月18日、2月3日、2月4日など)。
 また弁護団は、解任通告を行った7被告の行為の重みに向き合うため、7被告側とはすでに解任された状態になっていることを前提に討論したし、また米村氏に対しても、弁護団と7被告側との間で解任問題について一定の決着がつかない限り、弁護団会議には出席しないように要望した。同時に、突発的なトラブルで新たに深刻な問題が発生することを避けるために、7被告と米村氏が弁護人の立ち会い抜きで直接討論することは避けるよう双方に要請した。
 弁護団は、5・27裁判の裁判事務局で中心的役割を果たしてきた米村氏の解任は、現実の裁判闘争にとって致命的な損失をもたらすと理解した。このため弁護団は、解任通告を知った直後から、7被告側と粘り強く協議してきた。

補助者案への転換と弁護団内多数が賛同

 弁護団は、昨年11月から本年1月25日に至るまで、米村氏を裁判事務局へ復帰させることが必要だと考えていた。7被告にも解任を撤回して米村氏を裁判事務局に復帰させるよう要請してきた。しかし、その後、被告側の解任意思の強固なことを改めて認識したこと、および弁護団の中からも7被告との関係で米村氏の裁判への関わりに慎重であるべきとの意見も出てきたため、1月25日の弁護団だけでの会議から米村氏を個々の弁護人の活動の補助者として位置づける案を提案した。同日の討議の結果、弁護団の多数はこの補助者案に賛成した。
 他方、7被告側は、上記の1月25日の弁護団会議の議論の経過と結果を聞いて、7被告側が直接弁護団会議に参加して米村氏問題について討論することを希望し、その日時は2月4日午後1時からとなった。

3 2月4日の会議と合意の成立

 2月4日の弁護団会議は、その前の補助者案を巡って本格的な討議を開始した弁護団会議(1月25日)を受けて行われた。そこで
1・25会議との関連を簡単に見ておく。
 1・25会議では、たしかに弁護団内の多数が米村氏の補助者使用に賛同した。しかし、相対的に多数ではあったが弁護団全体が一致していたわけではない。葉山弁護人は補助者使用に明確に反対である意思を述べていたし、西村弁護人もほぼ葉山意見に準じる見解であった。
 上記のような1・25会議状況の延長戦的な性格を持ちながら、2月4日の会議は始まった。
 2・4会議の冒頭、まず西村、葉山両弁護人が米村氏の補助者使用案に反対する立場を表明した。反対する理由について、西村氏は弁護人が補助者として使えば米村氏に情報を提供することになるが、被告人が反対している以上弁護人は補助者として使用することは許されないと述べた。葉山氏は補助者使用は被告を刺激し信頼関係に支障をきたすと述べた。
 その後、佐藤弁護人が、葉山・西村両弁護人の意見に反論する観点から、弁護団長として以下の3項目を提案した。
 すなわち佐藤弁護人は、1項目と2項目については文書で提案し、最後の第3項目は口頭で提案した。
 最初の2項目とは、「1.被告団が米村氏を事務局から解任したことを承知する(弁護団との意思疎通なしにそれが行なわれたことは残念だが)。2.弁護団および各弁護人は、自主的労働運動への弾圧を許さないという点で一致した超党派的立場において、団結権擁護、裁判の勝利、それを通して国労再生、日本労働運動の再建を目指して全力を尽くす。」というものであった。

 最後の第3項目は前2項目を補足するものとして口頭で提案されたもので、その趣旨は「各弁護人はその責任において米村氏に補助者としての協力を求めることがあるが、そのさい被告に不利益になるようなことのないようにする」との内容であった。
 その後、活発な議論が交わされたが、ここで重要なことは2・4会議の途中から葉山・西村両弁護人が上記の2・4会議冒頭での意見(米村氏の補助者使用は全面的に禁止されるべきという見解)を変更したことである。
 2・4会議では、こうした内容を含む議論が交わされて最終的には葉山・西村両弁護人を含む出席した弁護人全員が、一定の条件の下で米村氏の補助者使用は認められるべきであるとの立場に立ったのである。何故そうなったのか。

富田・向山両被告が解任しないと約束(2・4合意の成立)

 上記の葉山・西村両弁護人の意見変更が2・4会議の最大の特徴であり、同会議の結論について事実認定を行う際の重要なポイントとなる。
 まず2・4会議の前半に、富田被告が大口弁護人から呼ばれて会議に一時的に30分ほど参加した。
 その事情を簡単に述べると、実は、大口弁護人は、前日の3日に富田被告らと面談し、富田被告から、「弁護人が米村氏を補助者として使用したとしても弁護人を解任しない。弁護団が米村氏が裁判事務局から解任されたことを認めるのであれば、被告は弁護人が米村氏を補助者として使うことに関知しない。これは補助者使用の事実があっても被告は黙認するという意味である」との趣旨の発言を受けていた。
 なお3日には、佐藤弁護団長も、大口弁護人とは別個に富田被告から上記と同じ趣旨の発言を受けていた。
 このような経過があったので、大口弁護人は、富田被告を弁護人の議論の場に呼ぶ必要があると判断し、前半の会議の途中で、富田被告は、大口弁護人から呼ばれて弁護団会議に参加した。
 富田被告は、概要、「米村氏と接触してほしくない。しかし弁護人が米村氏を補助者として使っても裁判方針からはずれない限り解任はしない。解任しないことは7被告共通の意見だ」と述べた。
 また、その後の2・4会議の後半に参加した向山被告も、富田被告と同様に米村氏を補助者として使用しても解任しない旨をはっきりと表明した。

 以上の経過を踏まえて、西村弁護人は、補助者使用に7被告側の明示の承諾があったことを確認した。また葉山弁護人は、向山被告が富田被告同様に解任しないと述べるのかに注目していたが、同弁護人も向山被告が明確に解任しない旨を述べたことを確認した。
 こうして葉山・西村両弁護人もいわゆる補助者案に反対しない態度をとったのである。その結果、2・4会議では、上記の佐藤弁護人が提案した3項目について、弁護団と被告団の間で合意が成立した。なお、弁護団が整理した第3項目(口頭了解事項)は下記の通りである。
(口頭了解事項)
 各弁護人は、各自がその自主的判断により、5・27臨大裁判の支援者(米村氏を含む)を同裁判の補助者として使用することができる。ただし、各弁護人は、当該補助者を使用したことによって被告に不利益を及ぼしたり、裁判に不利益になるような事態が生じないようにする責任を負う。そのために各弁護人は当該補助者に対して必要な遵守事項等を求めるものとする。

 現在、7被告側は、2・4合意はなかったと主張している。7被告側は「2・4合意は一たん成立したが、その後2月22日までに考えを変えた」とは主張していない。それは、もし7被告側が、一たんであれ米村氏を補助者として使用してもその弁護人を解任しないと約束したことが明らかとなると、現在の7被告側の立場全体が根本から瓦解するからだろう。
 しかし、真実は、「@2・4合意は成立した、Aその後に7被告側は態度を変更した、Bその態度変更の原因は7被告が革共同の主張する党派的利害の論理(それは5・27裁判闘争の破壊をもたらす)に追随したから」というものである。
 だが、事実経過的には、2月4日に富田・向山両被告が「解任しない」という発言をした事実は否定できない。なぜなら、富田被告らが弁護団に「解任しない」と約束した事実は、大阪の地域合同労組の港合同の大和田幸治氏が直接富田被告や橘被告らに確かめている事実であり、また7被告の現在の弁護人である葉山・西村両弁護人も認めている事実であり、到底否定しようがないからである。
 従って、残された7被告側の言い訳はもはや限られている。
 その一つの言い訳は、「たしかに『解任しない』と発言した。しかし、その発言をもって弁護団と合意したことにはならない。その発言を受けて弁護団の内部で勝手に態度(主張)を決めただけだ。だから2・4合意は成立していない」と言う説明だ。
 しかし、佐藤弁護団長が文書で2つの確認事項を提案した事実は否定できないし、その部分は弁護団と7被告の間の合意であることも否定できないはずだ。「解任しない」という発言はあったことを認める限り、その「解任しない」旨の富田・向山両被告の発言は佐藤弁護団長が口頭で提案した内容を、弁護団との口頭了解事項として認めたという以外にどんな意味があるというのだろうか。やはり「解任しない」との発言は弁護団に対する約束以外の何ものでもないはずである。従って、「解任しない」との発言によって、2・4合意が文書に書かれた2項目のほかに、口頭で確認された口頭了解事項を含む3項目で成立したことは明白である。
 また、もう一つの言い訳は、「たしかに『解任しない』旨発言したが、それは弁護士から理詰めで攻められて不本意ながらそう言っただけだ」という説明である。これも苦しい、通らない言い訳だ。前日の3日に富田被告らが佐藤弁護人や大口弁護人を別々に訪ねて、そこで最初に「解任しない」旨を約束する発言をしているのだ。不本意な発言であって真意ではない、など言う言い訳が通るような経過や状況では全くなかったのだ。
 一点付け加えると、もともと2月3日、佐藤弁護団長は、富田・羽広両被告や国労共闘の吉野、白石両氏や革共同の国労担当の松田氏らに、現在の口頭了解事項に相当する内容の第3項目を読んで聞かせた。ところが、富田被告らの方から、この部分は口頭で確認する形式にして欲しいと注文を付けたので、佐藤弁護団長は、この要望を容れて翌4日の会議では、弁護団の提案内容の一部として口頭で述べたのだ。このような経過を見ても、「解任しない」という発言は不本意どころか、まさに富田被告らの要求通りにした口頭確認の内容だったのだ。
 もう一点付加すれば、4日の会議の中で、同会議に出席していた山森氏(米村氏解任後の裁判事務局の責任者)は口頭確認の第3項目を、口頭ではなく文書にしておいたらどうかと提案した。これは上記口頭部分も弁護団と7被告側間の了解事項になったのだから、文書にしたらどうかと提案したものである。しかし、これに対して向山被告と富田被告が内容は分かっているから文書にする必要はない旨述べて、山森氏も了解したくだりのやりとりが残っている。このやりとりは、第3項目の内容が弁護団と7被告側の間で、前日の3日の事前の確認を基礎にしっかり確認されていた事実を示している。従って、「弁護士から理詰めで攻められて不本意ながらそう言っただけ」などという言い訳も全く通らない。

 結局、2・4合意は間違いなく存在した。その内容は、佐藤弁護団長が文書で提案した2項目と上に紹介した口頭了解事項の第3項の内容である。証拠を適正に評価すれば、これ以外の事実認定は成り立たない。

4 革共同の天田書記長らの誤った介入について

 ここは簡略に述べる。本年2月7日、一瀬弁護人に、革共同の天田書記長が面談を求めてきた。一瀬弁護人は、翌8日に都内ホテルで上記天田氏および同席した革共同のF氏の計2人と面談した。天田氏らが一瀬弁護人に伝えた内容は、「2月4日、弁護団と被告団は決裂した。両者の間に合意はない。今この席で貴方(一瀬弁護人)には米村氏を使わないと明言して欲しい。仮に弁護団の言うように2・4合意があったとしても、米村氏を使わないと明言してもらいたい。それができなければ弁護人を解任し、弁護団を再編する」という趣旨を告げ、返答を迫った。
 一瀬弁護人は即答を避け、結局、その後に7被告の意向を直接確かめた上で回答をするということとなった。
 一瀬弁護人から2月8日の面談内容を知らされた佐藤弁護団長は、被告団長の富田氏に電話し、2・4の合意から何か変わったのか確かめたが、何も変わりはないということであった。
 また、2・4合意の内容は、富田氏や橘被告が許さない会発起人の一人である大阪の港合同の大和田幸治氏にも報告していた。そのことがあったので、佐藤弁護団長は大和田氏を通じて確かめてもらったが、それにも同様の答えであった。
 この点は、佐藤弁護団長が許さない会事務局長として招請した2月21日の許さない会発起人会議に大和田氏が出席され、その席上でも確認されている。

5 7被告の2・22全弁護人解任について

 ここも簡略に述べる。2月22日に被告7人と弁護団の会議が持たれた。当日の会議は裁判事務局の山森氏が司会し、まず被告一人ひとりに意見を述べさせ、さらに補足の発言をさせた。
 その7被告の発言内容は、もっぱら米村氏は被告と敵対する政治的立場だから、弁護人は米村氏と接触をするな、米村氏を補助者としても使わないと明言しなければ解任するということであり、それが裁判闘争にどのような支障をもたらすか、2・4合意との関係を考えているのか等の点については、全く説明はなかった。
 だが、司会の山森氏は弁護人に発言の機会も与えず、弁護団が7被告の要求に応じるか否かの返答だけを求めた。
 弁護団が、2・4の合意の線でやってもらいたい、各弁護人も米村氏と接触するなという7被告の要求に応じることはできないという検討の結果を伝えると、富田被告団長は直ちに全弁護人を解任すると通告し、会議を終了した。

6 7被告による弁護団解任までの問題点について

 この経過の示す問題点を指摘すると次の通りである。 @ 7被告側と弁護団が論議を重ね、当面の裁判に対処する決着点とした2・4合意に対し、革共同天田書記長が7被告らと話をすることもなく、一瀬弁護人にこれを否定する解任の話まで持ち出した。
  それは、超党派的な弁護団で闘っている裁判闘争に対する政党の介入であり、しかも弁護人選任権という被告人の権利(憲法37条3項)を政党が左右しようとしたものである。
A 7被告は、2・22会議でなぜ2・4合意を反故にするかの理由の説明もなく、また5年間全力を尽くして闘ってきた弁護団の意見を聞くこともせず、一方的に2・4合意を反故にした。
  これは、7被告が人間としての信義に反して、政党の方針変更に伴い、それまで超党派的な支援を得て闘ってきた裁判闘争よりも、党派闘争を優先させたということである。
B もう一点、米村氏問題に関連して、7被告は、一瀬弁護人に、3月の公判期日の取り消し等の裁判所への申入れを要請したのに、弁護団は2月18日の弁護団会議でそうした申請はしない等の「方針を私たちへの連絡もなく決定し、強行しようとした」と述べている。
  この要請自体、2・4合意と矛盾しているもので極めて不自然な動きなのである。しかし、それでも弁護団は2月18日の会議できちんと討議し、権力に内部矛盾を露出することをできるだけ避けるべきであるし、やはり裁判所に対する動きは、近く予定されている2月22日の被告団との合同会議の結論をまつべきであることで全参加者が一致し、一瀬弁護人はその討議結果を18日夜に7被告側(山森氏)に知らせた。
 その際には「不明の点があれば、電話を下さるようお願いします」とも伝えていた。しかし7被告側からは、何の連絡もないまま2月22日の会議をむかえたのである。
 弁護団は以上の通り動いたのであるが、この経過のどこをとらえて、弁護団が「私たちへの連絡もなく決定し、強行しようとした」というのであろうか。結局、弁護人解任をなんとか合理化しようとしての典型的な後出しの虚偽の理屈である。
C 最後に、弁論分離問題に一言言及しておく。
  7被告は弁護人解任後、2002年の5・27臨大闘争後に生じた松崎被告との対立を理由に分離裁判を要求している。これは、8人の被告が共通の目的をもって共同して行った5・27臨大闘争の大義を傷つけ超党派的支援を得て闘っている統一裁判闘争を破壊するものである。それは、国鉄闘争における敵を見失い、権力を喜ばせるものといわなければならない。その後、分離請求を却下したが、7被告側がさらに強力に分離要求を続けている姿勢に依拠して、裁判所は、5・12職権分離決定を強行した。

V 事実経過(1)

昨年11月の7被告による米村事務局員解任

1 7被告の米村氏解任行為とその問題点

 昨年11月15日(第84回裁判の翌日)、都内で開かれた被告団会議の会場で、7被告は米村氏に「11月18日に大阪で開催予定の関西革共同の分裂総会に参加するな。もし参加すれば裁判事務局を解任する」旨通告した。その後米村氏は18日の総会に参加したと推測されるが、7被告側はその参加により裁判事務局解任は効力を生じた旨主張している。  まず、読者に私たちの問題意識を正確に伝え、かつそれを鮮明にするため、7被告による米村氏解任行為の中に含まれている問題点を簡潔に述べておく。

裁判方針を全く考慮していない解任

 第1点は、7被告が、米村氏が「関西派」という政治選択をしたことを理由に5・27裁判の裁判方針にいかなる影響を生じるかを全く検討せず、裁判事務局から解任するという判断過程を取ったことである。ここには7被告の解任行為の判断根拠にどれほどの合理性があったのか、という問題がある。
 私たちは、この論点に今回の7被告による米村氏解任行為の最大の問題性があると考えている。すなわち7被告が、米村氏の「関西派」総会への参加という政治選択の問題を無媒介的に裁判事務局解任に直結させたことは、本来の5・27裁判の立場と抵触していると考えている。

弁護団を全く無視した解任

 第2点は、今回の米村氏解任が弁護団との意思疎通を全く欠いたまま、全弁護人に、全く突然、一方的に強行されたということである。ここには7被告が裁判闘争への影響や共闘者としての弁護団の見解を全く考慮に入れずに解任を強行したことは裁判事務局解任という事柄に照らして合理性があったのか、という問題がある。
 そもそも裁判闘争は、被告団を軸に、弁護団および支援者を含めた三者の団結を実現し、この総力で闘って初めて勝利の扉をこじ開けることができる。さらに、5・27裁判のような運動の帰趨を左右するような重大な権力の弾圧(実際、5・27臨大闘争への本件弾圧は闘う闘争団が中軸となっている国鉄闘争の闘う陣形が爆発的に広がろうとしている事態への権力側の危機意識にかられた凶暴な弾圧だった)と闘う裁判の場合、被告には、検察官・裁判官と体を張って被告の防御権のために闘う弁護人が必要だ。被告団と弁護人は互いに固く結束し信頼関係を築きあげ、強化していくことが不可欠だ。今回の裁判事務局解任のような進行中の裁判への影響が大きい行為は、本来、まず被告団が弁護団に問題提起を行い、被告団と弁護団が討議し、そこで双方の考え方を述べあって、解決の道筋を探っていくべき問題である。7被告側が「折り合い」を付けられる問題ではないと考えている場合であっても、まず弁護団と率直な意見交換を重ね、裁判への影響を考慮した上で、双方が歩み寄る姿勢で話し合うべき事柄であった。

被告の意志と向き合う

 第3点は、弁護人は、刑事裁判の主体である被告人が米村氏に対して裁判事務局解任という意思を示した重みを正面から受けとめる必要があるということである。ここには弁護団として被告団の裁判事務局解任の重みを理解して対応したのか、という問題がある。  では私たちは、どのような観点から、被告が行った解任の重みを考慮しようとしたのか。たしかに弁護団は、米村氏が突然解任されたことを知って(米村氏解任の事実は被告団からではなく米村氏本人から知らされた)、強いショックを受けた。しかし、私たちはまず7被告の解任の意思に向き合うことからスタートすべきと考え、すでに解任されている現実を前提に7被告と討論することにした。予め「解任無効」のような態度は取らなかった。}
 そこで弁護団としては、米村氏にも解任された事実を踏まえて行動することを求めた。その最大の現れとして、米村氏に対しては弁護団会議への参加を見合わせるように要請した。これは最後まで(弁護団が全員解任された時まで)完全に遵守された。
 また、7被告が主張している革共同「関西派」というグループないしその組織分裂の性格などについては、できるだけ7被告の言い分を聞くこととした。組織分裂下で米村氏が裁判事務局として活動を続けた場合の具体的な弊害についても、7被告側の考えを聞き、その上で弁護団としてどう考えるべきかを弁護団内部で議論した。
 さらに考察すると、7被告の意思を尊重するという本論点は、究極的には、7被告が裁判事務局解任の理由をもっぱら米村氏が「関西派」の総会に参加した点においていることにどう向き合うべきか、という問題と重なってくる。従って、本論点の検討でも、最終的には上記の第1点目の論点、すなわち政治的な対立の問題と5・27裁判の運営の関係をどのように考えるべきかという点が極めて重要となってくる。

2 米村氏解任に対する弁護団の統一見解

 弁護団は米村氏解任の事実を知って文字通り驚愕した。解任直後の11月19日に弁護団会議が開かれた。

11月19日の解任後最初の弁護団会議

 弁護団は同会議に出席した向山被告や山森氏らに、弁護団の考えを次のように伝えた。
 「米村氏は5年間裁判事務局に携わり、現在その責任者を務めている。弁護団にとっても米村氏の事務局として蓄積してきた力は欠かせない。米村氏が抜けるのは5・27裁判にとって致命的な痛手となる。」
 「弁護人は5・27裁判の弁護を一党派の事件として弁護を引き受けたわけではない。弁護人の認識は、5・27裁判を、団結権に対する侵害と闘う裁判として引き受けた点で共通している。ところが7被告側の今日の説明を聞いてみると、今回の米村氏解任の理由はもっぱら米村氏が革共同の今次の分裂で『関西派』を選択したことに尽きているが、この解任理由に納得できない」
 「しかも裁判事務局は弁護人の弁護活動にとって最も日常的に接する存在である。その裁判事務局の解任を含む人事のあり方は丁寧にやってもらいたい。」
 「5・27裁判を支援している『許さない会』の活動原則は超党派性にある。政治的な立場や路線の違いを超えて一致団結して5・27裁判闘争の勝利をめざすべきである。」
 「弁護団としては、結論的には事務局解任を撤回して、米村氏を早く裁判事務局に戻してもらいたい。従前の活動を続けられるようにして欲しい」

 上記の弁護団の結論は、出席した6名の弁護人(佐藤、浅野、一瀬、大口、小島、葉山)の一致した意見であった。
 また弁護団は、米村氏については弁護団会議への出席は見合わせるように伝えてあることを7被告側に伝えた。

11月24日の尋問担当者会議

 11月24日、後に述べるように、この日は米村氏解任後初めての次回裁判(第85回公判、富田被告の被告人質問)に向けた尋問担当者会議であったが、弁護人の要請を7被告側も了承してこの打合わせの場に米村氏が参加した。参加者は4名の弁護人(佐藤、一瀬、大口、葉山)と富田被告、山森裁判事務局員および米村氏であった。そこで、佐藤弁護人から、弁護団長としての考えを7被告側と米村氏の双方に伝えたいということで、次の諸点が述べられた。
 「5・27裁判は団結権侵害に対する闘いだ。だから『許さない会』をつくった。それなのに党派の問題を裁判闘争に持ち込むことは裁判に亀裂を入れることになる。そんなことをやれば『許さない会』などで5・27裁判に協力してくれた人への裏切りになる」   「米村氏を弁護団にも全く諮らずに裁判事務局から解任した被告団のやり方には僕も傷つけられた。弾圧と闘う闘争なんだから敵の一番いやがることをやるべきでしょう。米村氏を外して敵が喜ぶようなことをやってはならない。」
 「敵と闘うためには力を集中する必要がある。米村氏は5年間自分の生活のほとんどを5・27裁判の活動に当ててきた。そういう仲間を外すのは労働者の仁義にも反する」
 これは、5・27裁判の弁護団長であり、同時に「許さない会」の事務局長を努めている佐藤弁護人が、裁判闘争陣形の創設にも関わった立場から、米村氏解任問題に関する自身の見解を国労組合員の富田被告に伝える意味を持っていた。

12月5日の公判後の総括会議−弁護団見解の提案

 12月5日、第85回公判が行われ、その公判終了後に弁護団と7被告は合同会議を持った。その際、弁護団は「裁判事務局体制に関する弁護団の考え方について」と題する文書を出し、「裁判事務局員の米村氏が今後も従来の通り裁判事務局としての活動を継続できるように強く要請」した。弁護団は、上記文書の中で、弁護団の「5・27臨大闘争弾圧と5・27裁判に関する基本的認識」および「弁護活動に関する基本的認識」、さらに「弁護団の政治的立場は超党派である」ことを述べた上で、米村氏解任に反対する理由として次の3点を指摘した。

政治的立場の違いを超える必要

〈1〉〈政治的立場の違いを超えて広範な反弾圧陣形を構築することが必要〉
 5・27臨大闘争弾圧との闘いは、全人民的な普遍性を持っている。従って、多くの労働者民衆によって広範な反弾圧陣形が政治的立場を超えて構築されることが必要である。  また5・27裁判は国家権力と正面から対峙している労働刑事裁判であり、裁判に勝利するためには敵(警視庁公安部と国労本部)の一番いやがることをやり、敵を喜ばせるようなことをやらないことが絶対必要である。敵と闘うために立場の違いを超えて力を集中し、味方の力を強化することが不可欠である。
 これらの意味から米村氏を政治的立場の違いを理由に裁判事務局から排除するのは間違っている。

裁判事務局の大事な役割

〈2〉〈5・27裁判は最終局面であり裁判事務局としての米村氏の役割は重要〉
 大型刑事裁判では、裁判事務局の存在が絶対不可欠である。5・27裁判でも検察側証人に対する徹底した反対尋問や弁護側立証で3人の元国労委員長(酒田・高嶋・高橋)など多数の証人採用を実現できたのも裁判事務局の不眠不休の活動があってのことである。米村氏は他の事務局の協力を得て裁判事務局の中軸の一人として、また現在では最も長く(ほぼ5年間)裁判に関わっている事務局である。5・27裁判では検察側の「被害者」証人に対して徹底した反対尋問を行って検察側を追いつめてきたが、その際には検察官申請の2本のビデオテープの映像・音声解析を始めとする裁判資料の徹底した分析結果を活用した弁護活動が行われた。この証拠分析の中心を担ったのが米村氏であった。その力量が余人を持って代え難いことは誰もが認めるところである。
 しかも現在、被告人質問の3人目の途中で裁判は最終局面を迎えている。従って被告人質問の準備と同時に弁論の準備の作業をやらなければならないが、この作業には米村氏の裁判事務局としての関与が不可欠である。もしこのまま米村氏が裁判事務局から排除されたままでは5・27裁判の防御活動は致命的な痛手を蒙ることになる。

裁判方針は一致している

〈3〉〈7被告も米村氏も弁護側冒頭陳述の裁判方針の立場で一致している〉
 被告人と米村氏の間に政治的な立場の相違が発生したとしても、本件国労5・27臨大闘争弾圧裁判に関する方針は一致している。5・27裁判の基本方針は弁護側冒頭陳述の内容であるが、7被告と米村氏の政治的立場の違いが裁判方針に影響を及ぼす可能性は限りなくゼロである。従って米村氏をもっぱら政治的立場の相違を根拠に裁判事務局から解任するのは間違っている。

 弁護団は、以上の認識の理由を述べて、米村氏については、「政治的立場の違いを理由に裁判事務局から排除」しないよう7被告側に強く要請した。
 これに対して、7被告側は弁護団の要請を、あくまで米村氏と政治的立場の違いを解任の理由としてあげて拒否したが、その拒否理由は政治的な立場が対立関係になったことに尽き、それ以上に理由として裁判方針上の対立などは全く述べられなかった。

12月6日の尋問担当者会議

 昨年12月初めの段階の弁護団の基本的な考え方を示すために、12月6日の7被告側との討論の内容を示す。
 この日、都内の法律事務所で尋問担当者会議が行われた。会議には弁護人4名(佐藤、大口、葉山、一瀬)と富田被告、山森裁判事務局員、革共同の松田運動事務局員および米村氏が参加した。
 松田氏は、米村氏が11月18日の関西総会に参加したから7被告との信頼関係は壊れたとの主張を述べたのに対し、弁護人は次のように反論した。

大口 事実経過はそうでしょうが、しかし、それで信頼関係が無くなったとは考えないで欲しい。やはり我々の立脚する信頼関係は、弁護側冒陳の内容で、弁護団と被告団が一致できるということにある。無罪という大切な当面の目標を実現するためには米村氏の協力も拒まない、という位のおおらかな立場に立ってもらいたい。
 11月15日の7被告の会議では、米村氏に対して、今後はあなたは関係ない別の人だと対応する、との言い方がされたと聞いているが、そういうふうな扱いはよくない。
 あいつはけしからん、ということだったら昨日の公判前の打ち合せもできてない。それぞれの立場性が違ってきていることを相互に理解したうえで、しかし、折り合いはつけていくことが必要だ。最大限の力を公判闘争に発揮していくことが必要だ。
佐藤 たしかに考え方で米村氏と被告団の間には大きな違いがある。しかし、その「大異」を置いて「共同」の立場にたつ必要がある。共同の目的、裁判の勝利を目指して一致してやってもらいたい。
 立場の違いや党派の違いという問題を、5・27の裁判闘争や許さない会運動に持ち込むべきではない。現に許さない会運動は、例えば中核派と対立するような党派の人も加わってやっている。被告には、5・27裁判が立場の違う広範な人々からの期待をもたれた闘争なんだということをぜひ理解してもらいたい。だから最大限の力を発揮して勝っていく、それができる体制にしてもらいたい。これは弁護団として一致した考え方だ。
 闘争や革命の勝利のためには感情は殺すべきでしょう。それくらいの執念を持たなければ革命なんかできない。蓄積をドブに捨てるのか、なんで敵を喜ばせるのか、ということだ。
一瀬 弁護団は党派的な対立の問題の重要性を無視しているわけではない。ただ、刑事裁判という国家権力の弾圧との闘いの場面に、党派の論理を直接に持ち込んで裁判の事務局員を解任することは間違っていると言っているだけ。被告には、米村氏の問題を、あくまで裁判のフィールドの論理で考えてほしい。

 なお、葉山弁護人も、「米村氏との対立を、無媒介に裁判の闘争の中に、ましてや事務局の中に持ち込むということは絶対やってはいけない。」「やはり裁判闘争の次元で考えてほしい。米村氏は、ここまで5年間、この裁判を懸命に支えてきて充分な蓄積がある。18日の会議に出たから事務局解任というのは、まずいんじゃないのか」と述べた。

 これらに対して、被告、山森氏、松田氏から、裁判方針上の問題性が語られたことは一切無かった。
 以上の議論からも、7被告側が米村氏解任の理由をもっぱら11月18日の「関西派」の総会に参加した事実においていたことは明らかである。

3 一致していた裁判方針

 裁判方針を巡って米村氏と7被告や弁護団の間で意見の対立がなかったことは、次の事実からも明らかである。
 弁護団は、米村氏に対して弁護団会議への出席は見合わせるように要請したが、一方、公判対策(尋問準備)の観点から、尋問担当者会議(次回公判に向けた尋問担当弁護人と富田被告との打合わせ会議)への米村氏の出席を認めるよう要請した。

尋問担当者会議の裁判方針

 この弁護団の要請を7被告側と裁判事務局(米村氏解任後は山森氏が責任者)が受け容れて、昨年11月下旬から12月末までの間、米村氏は尋問担当者会議に出席していた(実際に行われた回数は、11月24日、25日、12月6日、8日、19日、27日の6回である)。従って、上記尋問担当者会議は、被告人質問を受ける富田被告、質問担当弁護人(大口・葉山両弁護人)、佐藤弁護団長ないし一瀬主任弁護人、山森裁判事務局員のほかに、米村氏も参加して行われた。
 上記の米村氏解任後に米村氏も参加して行われた6回の尋問担当者会議の議論で、米村氏と7被告の間に裁判方針を巡って対立があった事実など全く存在しなかった。これは裁判方針が一致していたことを雄弁に物語っている。

裁判方針の基軸は弁護側冒頭陳述

 ところで、5・27裁判闘争の裁判方針の基軸的な内容は、2006年の8月と9月の2期日で陳述した弁護側冒頭陳述に凝縮されているが、富田氏の被告人質問の場合、被告団・弁護団・事務局は内容を更に深化・前進させ、例えば国鉄闘争論に関しては、全員で次のような内容を裁判方針として確認し、それを被告人の供述を通して明らかにしていった。
(a)国労共闘の闘争方針の根本には、採用差別に対する闘争とJR現場における反合理化・運転保安確立を求める闘争は国鉄分割・民営化政策に反対する闘いの二本柱であり、この2つの闘争は車の両輪の関係にある、という認識がある。
(b)JR発足後の国労共闘は、上記(a)の2つの闘いを全力で一体的に推進してきたし、同じ闘争方針で闘っている動労千葉と連帯して闘ってきた。それに反して国労本部は、1047名闘争で後退・屈服を積み重ねてきたが、それは国労本部の反合理化・運転保安闘争の放棄と通底・並行し、重なり合うものであった。
(c)こうした状況下で闘われた5・27臨大闘争は、国労共闘の上記(a)の闘争方針に基づいて闘われた闘争であり、国鉄闘争勝利と国労再生の道を切り開こうとした闘いであった。
   富田氏の国鉄闘争論に関する被告人質問は、以上の(a)ないし(c)の裁判方針に従って行われた。具体的には、JR西日本の尼崎事故や東日本のレール破断問題に関する国労共闘・動労千葉の闘いについて述べながら詳細な供述を行い、闘争を中心に立証し、これは成功し、大きな成功を収めた。
 この点について、米村氏は前記立証方針に従って被告人質問の準備に協力したし、7被告が裁判方針に関して米村氏を批判したことは皆無であった。

1月25日の弁護団会議

 弁護団は12月20日まで、葉山・西村両弁護人を含めて米村氏に対する解任通告は撤回されるべきだとする立場で一致していた。
 しかし、12月20日以後、葉山・西村両弁護人は米村氏の「関西派」からの離脱要求や、米村氏=スパイ論などを主張し米村氏解任の撤回(裁判事務局への復帰)について消極論に転換していった。
 両弁護人が消極論に転換していったことは残念なことであるが、その葉山・西村両弁護人が反対論を主張するに際して裁判方針に関する相違が理由であるなどとは一度として主張したことがなかったことは誰も否定できない事実である。
 この事実は、米村氏に対する解任理由が裁判方針の対立でなかったことを雄弁に物語るもので今日的には重要なことである。

当初は一致していた弁護団(9人)の立場

 弁護団は、米村氏解任の事実を知ってから少なくとも昨年12月20日の弁護団会議までは、米村氏解任は撤回されるべきであるとの立場で全員が一致していた。それを裏付けるエピソードとして、次のような出来事があった。
 もともと米村氏は「許さない会」から提供を受けた公判調書等の裁判資料やパソコンを使って事務局の仕事をしてきた。それら資料等は米村氏が上記富田被告人質問の準備を行う関係でも当然必要なので、弁護団は、12月以降、7被告側に裁判実務を継続できるように裁判資料やパソコンを米村氏に渡してほしい旨を何回も要請した。しかし、許さない会として何ら確認はされていないにもかかわらず、7被告側は裁判資料やパソコンの引き渡しを拒否し続けた。そこで米村氏が裁判事務に協力する必要上、12月20日の弁護団会議終了後、葉山・西村両弁護人を含む弁護団は米村氏のパソコン購入費を各自1万円ないし3万円余をカンパした。

葉山・西村両弁護人の見解について

 昨年12月26日の第86回公判終了後の弁護団会議から、葉山弁護人と西村弁護人が米村氏解任の撤回(裁判事務局への復帰)について消極的意見を述べるようになり、弁護団は意見が分かれるようになった。
 葉山弁護人は、12月26日の弁護団会議で、米村氏が裁判事務局に復帰する条件として、米村氏の「関西派」からの離脱等を主張しはじめた。しかし、これは基本的人権たる思想信条の自由等を侵害するものであり、葉山弁護人以外にはほとんど誰も賛成しなかった。

 次いで、1月7日の弁護団会議で葉山弁護人は、「関西派」からの離脱要求に加えて、米村氏=スパイ論という荒唐無稽な主張をして、裁判事務局への復帰に反対する意見も述べ始めた。
 これは、米村氏が裁判事務局ないし補助者として5・27裁判に関与すれば、その裁判実務に関与することで7被告側の情報が「関西派」に漏れるということに終始していた。端的に言えば、米村氏は7被告側に対する関係ではスパイ的に行動する事が不可避であるという考え方であった。しかし、この意見も弁護団の中では葉山・西村弁護人以外は誰も賛成しなかった。

4 補助者案に弁護団の多数が賛成した

 本年1月以降、弁護団は、裁判官の交代に伴う更新手続を行うことを念頭に、早急に米村氏の問題を解決すべく討議を重ねてきた。その討議の中から、弁護活動を少しでも充実させる趣旨から、個々の弁護人の判断で米村氏を事務局員としてではなく、5・27裁判の弁護活動の補助者として協力を得ることの了解を7被告から得て問題を解決する案が出てきた。
 この補助者案は、後述のとおり1月25日の弁護団会議に一瀬弁護人が文書で正式に提案したが、実際にはそれ以前から大口弁護人をはじめ複数の弁護人から提起され、討論の中ではその可能性について論議されていた。
 1月25日、弁護団は米村氏を呼んで事情聴取と意見交換を行った。その後、弁護団だけで米村氏問題について討議した。
 その弁護団会議の席上、一瀬弁護人は「5・27裁判事務局問題について」と題する書面を提出し、幾つかの問題について次の通り意見を述べた。その内容は、「第1 現在の5・27臨大闘争弾圧裁判闘争の重要問題について」、「第2 革共同の分裂問題と本件裁判闘争−原則とこの間の米村氏の関与状況」、「第3 現在の私の意見(いわゆる最終ライン)」、「第4 今後の討論のために(私見)」、「第5 私の決意」に分かれているが、上記「第3」の中で補助者案を提案した。
 その概要は、「自分の私見は現在も米村氏の解任を撤回し裁判事務局に復帰させるべきだというものである。しかし、この間、弁護団の中からも違う意見も出されている(葉山・西村両弁護人)し、1月18日付けで被告団文書も出されているから、それにも一定の考慮を払う必要がある。従って、米村氏については、当面は、裁判事務局ではなく、弁護人の補助者として5・27裁判に協力してもらう案(いわゆる補助者案)を提案したい。その際には米村氏に7被告の不利益につながるような一切の行為を行わないことを弁護団に文書で誓約してもらう。現在、裁判の進行は3月から更新意見が始まる状況であるから、米村氏の補助者としての裁判への協力を開始する必要がある。」旨述べ、議論された。  しかし、葉山弁護人らは、「関西派」と強い緊張関係にある橘被告のことを例にあげて、米村氏を補助者として使う場合でもスパイ行為を許すことになる点で弊害があるとして補助者利用論についても反対した。
 しかし、討議の結果、弁護団では葉山弁護人らの意見よりも補助者利用論が賛成多数になった。なお、葉山弁護人らのスパイ論に対しては、討議の中で以下のような反対意見が出されたので紹介する。

(ア)スパイ論についての議論
一瀬 補助者であっても米村氏がスパイをするという考えなのか。
佐藤 スパイというのはあり得ない。所在を教えて襲撃しろというのか。
小島 裁判に補助者として間接的に関わることで本当に情報が漏れるのか疑問だ。
浅野 スパイ論については、弁護人が米村氏を補助者として使うことで、どうして7被告の居場所を米村氏に伝えることになるのか。理解できない。
萱野 弁護人が米村氏と個別にあった際に7被告の情報を教えることなんか、あり得ない。弁護人がそんな行為をしても何のメリットもないし、あり得ないことだ。

 補助者利用論でも弊害があるから反対だという葉山弁護人らの主張に対して以下のような意見が出された。

(イ)米村氏を補助者とすることの弊害について
佐藤 5・27裁判で、弁護人が米村氏を補助者とすることで、具体的にどういうマイナスがあるのか。米村氏が裁判闘争の勝利のために補助者として仕事をすることが被告の利益を害することになるはずがない。たとえ被告が米村氏の補助者使用に反対していても、米村氏が補助者として弁護人の弁護活動に協力してくれれば裁判闘争では弾圧に勝って被告の利益となることができる。もともと7被告と米村氏の対立は、差別問題が中心で、国鉄闘争や5・27裁判闘争で意見が対立しているわけではない。
   被告団が弁護団との討議もしないでいきなり事務局を解任するなんておかしい。決定だから変わらないというのは討論するまえに結論を決めているもの。これでは信頼関係は成り立たない。被告の方から弁護団との信頼関係を破壊することをしている。    弁護団には自主性がある。私はそれが前提で裁判を引き受けた。米村氏を認めれば第二事務局になるというのは弁護士の自主性を認めないものだ。
   米村氏は動労千葉の闘いは評価している。基本的な意見の対立は差別問題だ。裁判闘争では両者の間に対立はない。
小島 被告が米村氏が見えるところにいるのがいやだというのであれば米村氏が裁判事務局として活動するのは無理でしょうが、弁護人が裁判資料の整理を米村氏に頼むことまでだめだと言うのはわからない。弁護人の弁護活動に対する信頼がそこまでないのかと言わざるをえないが、そこまで禁止される筋合いはない。
   米村氏にはぜひ残ってもらいたい。私が米村氏に手伝ってもらいたいと思うことすらだめだというのであれば、それは私の弁護活動に対する不信としかいいようがない。最小限の手足すら奪われるのなら弁護活動を続けられない。
河村 今日午前中、向山氏と会って話を聞いた。弁護団は裁判を闘って無罪を勝ち取りましょうということでやってきたが、彼の認識には我々の感じている裁判のリアルさが欠けている。
浅野 私が米村氏と個別に会っただけで被告団と私の信頼関係まで破壊されるとは思わない。もし7被告側がそう考えているのであれば、私としては全く心外だ。僕個人の責任で米村氏と接触すると、そのことで被告団と僕との信頼関係が破壊されるというのは心外だ。

 1月25日の議論の詳細は紙数の関係で省くが、このような討議を経て、結論的には、上記補助者案に弁護団の多数が賛成した。

5 米村氏解任理由は裁判方針の対立ではなかった

 1月25日の討議内容から明らかになることは、葉山・西村両弁護人は、米村氏の「関西派」からの離脱を要求し、米村氏=スパイ論をもって、反対の論拠にしていたのであり、裁判方針が対立しているという議論は一切行っていないということである。
 「関西派」からの離脱とは米村氏の政治的立場・思想信条を問題にしたということであり、裁判方針の相違など問題にもなっていなかったということである。
 米村氏=スパイ論は、米村氏がスパイ行為をするから弊害が起こるという主張であり、これも、裁判方針の問題でないことは明らかである。
 これらの事実が示していることは、米村氏と7被告、さらに葉山・西村弁護人を含めても、裁判方針については、不一致は一切なかったということである。だから、裁判方針以外のことを持ち出して反対の論拠にしていたということである。
 これを後になって、米村氏を解任したのは裁判方針で対立したからだというのは、事実を歪曲するものである。

 米村氏の解任理由は政治的立場の違いのみであったことは7被告自身の文書が認めている

 7被告自身が解任通告をした当時の初期の文書では、どこを探しても、裁判方針の対立は述べられていない。
 たとえば、2月4日に出された「国労5・27裁判弁護団のみなさんへ(2)」と題する7被告の文書では米村氏が裁判事務局を解任した理由として、米村氏と7被告らとの政治的立場の違いのみが書かれているのみで、どこにも裁判方針が違うということは書かれてはいない。同文書によれば、解任理由は米村氏が「5・27裁判の破壊を目的にしているからです」(同5ページ)ということであるが、その内容を以下のように述べている。

・ 「米村氏は、塩川一派の一員であり、中野顧問を軽蔑し打倒しようとしている人間」(同5ページ)である。
・ 「米村氏は、被告の打撃になるように、団結の破壊のために、裁判破壊のために事務局をやろうとしているのです。事実、弁護団と被告団の信頼関係に亀裂を入れているのが米村氏なのです。米村氏の目的は、5・27裁判破壊にあると断じざるをえ」(同5ページ)ない。
・ 「塩川一派は、米村氏を事務局員として残留させることで5・27裁判を攪乱し、国労共闘と革共同に打撃を与え、塩川一派の弁護士政策を開始している」(同5〜6ページ)。

 これらをまとめると、米村氏が〈1〉「塩川一派の一員」であること、〈2〉「中野顧問を軽蔑し打倒しようといている人間である」こと、〈3〉「弁護団と被告団の信頼関係に亀裂を入れている」こと、〈4〉「塩川一派の弁護士政策を開始している」こと、これらが「5・27裁判の破壊を目的にしている」根拠ということになる。
 しかし、これらは、いずれも米村氏の裁判外の政治的立場の違いを理由に論証抜きに一方的に決めつけて述べ立てているのみで、どこにも裁判方針の違いについて主張していない。
 結局、7被告は、被告の利益のために5年間、寝食を忘れて闘ってきた米村氏解任を正当化するために、後出しで、解任理由をねじまげるという行為にまで手を染めてきているということである。

W 事実経過(2)
−本年2月4日の弁護

1 解決を模索した第1次案と第2次案の提案

 佐藤弁護人は、以前から、弁護団長の立場で米村氏問題を具体的に解決する道筋を模索していた。その後、前述した1月25日の弁護団会議で、これ以前も話にはぽつぽつと出ていた補助者使用案を一瀬弁護人が正式に弁護団に提案した。
 個々の弁護人の判断と責任で米村氏に補助者としての協力を求めることは弁護活動の自主的な選択肢の範囲内として認められるべきである、という意見が多数であったことを踏まえて、佐藤弁護人は7被告側との折り合える接点を模索する作業を進めた。
 まず最初、1月29日に第1次案として次の案を作成した。

Y氏問題について

1.被告団がY氏を事務局から解任し、それに基づいて推移している事実を認める(弁護団との意思疎通なしに行ったことは残念だが)。
2.被告団が、Y氏を弁護人が助力者とすることについても反対している事実も認める。
3.しかしその上で、弁護人が弁護に当たり、最も必要とする方法を採る自主性を有していると考える。
4.Y氏は、差別問題について見解を異にするが、この裁判闘争の重要性、方針については一致している。したがって、彼を助力者にすることによって、
@これまでの蓄積を有効に生かすことができる。
Aマイナスは生じない(今後、被告に不利な事実に接する機会もない)
Bこのことは、本件裁判以外のことについて、Y氏の立場を容認するものではない(弁護人は超党派の立場をとる)。
Cこのことが、被告団の団結にとり、悪影響を及ぼすとは考えられない。もしそうでないなら、その理由を示してもらいたい。
5.その全体的政治的立場によって裁判闘争の支援者を排除することは、団結権擁護の闘いの大義に反すると考える。

 以上
     佐藤 昭夫(08.1.29)

  9日に第1次案として次の案を作成した。

 次に、2月1日に、佐藤弁護団長は、2月4日に向けた提案として、第2次案を作成した。

9日に第1次案として次の案を作成した。

Y氏問題に関する意見

国労5・27臨大闘争弾圧裁判 弁護団長 佐藤昭夫(08.2.4)

1.被告団がY氏を事務局から解任したことを承知する(弁護団との意思疎通なしにそれが行われたことは残念だが)。
2.弁護団および各弁護人は、超党派的立場において、裁判の勝利、それを通して国労再生、日本労働運動の再建を目指して全力を尽くす。
3.この立場は、別紙Y氏の誓約書以外の点で、Y氏の政治的立場を容認するものではないことを理解していただきたい。以上

2 2月3日の佐藤・大口両弁護人と富田被告らとの話し合い

 以上の経過を経て、2月3日、佐藤弁護団長は富田被告らの訪問を受け、その際の話し合いで米村氏裁判事務局問題に関する弁護団と7被告側が折り合える具体的接点を互いに模索することとなった。
 すなわち2月3日の午後、富田被告団長や羽廣被告、国労共闘の主立った人たち(吉野・白石両氏)および革共同の5・27裁判運動事務局(松田氏)は、佐藤弁護団長と大口弁護人を別々に訪ねて米村氏の問題の解決方法について話し会った。
 上記の佐藤弁護団長と富田被告らの話し合いおよび大口弁護士と富田被告らの話し合いで、以下に述べるような重要な折り合い(事実上の「合意」)が形成されるに至った。  すなわち、佐藤弁護団長が、富田被告らに前述の第2次案(3項目案)を富田被告らに提示したところ、富田被告らは、次のような趣旨の見解を示した。
 〈1〉佐藤弁護団長の提案した3項目の案を基本的に了解したい、〈2〉ただし米村氏を補助者として用いることを前提とした3番目の項目については明文にしないで項目から落として欲しい、〈3〉個々の弁護人の判断と責任において米村氏を補助者として使うことがあったとしても裁判闘争上、具体的には何の障害もないと考えている、〈4〉7被告側としては弁護人が米村氏に補助者として協力してもらっているか否かについては関知しない、〈5〉もし補助者として使っている事実を知ったとしてももともと被告が関知するところではないので解任とかは全く考えていない、〈6〉わかりやすく言えば、7被告としては弁護人と米村氏との接触は黙認する。
 以上の趣旨を、富田被告は、佐藤弁護団長に告げたのである。
 つまり弁護団が米村氏の裁判事務局解任を既成として認め、裁判事務局への復帰を求めないことを前提に、他方、各弁護人個人が自己の判断と責任において米村氏を補助者として用いてもそれには7被告側は関知しない態度をとることが表明された。こうして佐藤弁護団長が2月3日に富田被告らに示した3項目案のうち、3番目の項目はその実質的内容である補助者案の内容で口頭了解事項として扱うことが事実上了解されたのである。
 同様の内容の確認が大口弁護士と富田被告らとの間でも確認された。

3 2月4日の前半の会議

 2月4日の弁護団・被告団合同会議は、午後1時から開かれた。
 前半の会議(1時から3時)には弁護団8名(佐藤、一瀬、大口、萱野、河村、小島、西村、葉山)が参加した。
 前半の会議の主要部分は、概略、4つの段階に分けられる。
 第1段階では、西村・葉山両弁護人が補助者使用消極論を述べた。
 これに対しては、佐藤弁護団長が補助者使用積極論の立場から反論した。
 第2段階では、佐藤弁護団長が文書で2項目の提案と補足説明を行い、全体で討論した。

 佐藤弁護団長から、7被告と弁護団の合意を図る決着点として、文書で2項目が提案された。その内容は次の通りであるが、これは佐藤弁護団長が作成した実質上の第3次案となる。
1、被告団が米村氏を事務局から解任したことを承知する(弁護団との意思疎通なしにそれが行なわれたことは残念だが)。
2、弁護団および各弁護人は、自主的労働運動への弾圧を許さないという点で一致した超党派的立場において、団結権擁護、裁判の勝利、それを通して国労再生、日本労働運動の再建を目指して全力を尽くす。

 佐藤弁護団長は、上記2項目を踏まえ、口頭で補充説明を行った。その後、弁護団で議論された。
 第3段階では、富田被告が一時的に参加して見解を述べた。
 富田被告は、弁護人に対して「弁護人には米村氏と接触してほしくないが、弁護人が米村氏に補助者としての協力を求めて接触することがあっても被告側としては関知しない。弁護人が米村氏と接触している事実を知ったとしても弁護側冒陳から逸れるとか、5・27裁判の裁判方針からはずれることがない限りその弁護人を解任はしない。これは被告全員の共通の意見である。」旨を表明した。
 また富田被告は、大口弁護人の質問に答えて「弁護人が米村氏と接触したために、弁護側冒頭陳述や被告人質問の内容から逸脱するようなことが起こるとは心配していない」と答えた。
 第4段階では、弁護人だけで総括的な討論を行った。すなわち弁護団は、上のような富田被告の見解を踏まえて、個々の弁護人の判断で米村氏を裁判の補助者として使うことは、弁護側冒頭陳述やすでに確定した裁判方針から逸脱しない限り5・27裁判の弁護人の弁護活動として認められる、ということを出席した全弁護人の一致した意見として確認した。

以下、前半(午後1時から3時まで)の具体的な討論を再現する。
 会議の冒頭、一瀬弁護人から新裁判長などの着任に関して報告があった。すなわち一瀬弁護人は、「今朝9時に右陪席の鈴木裁判官から電話があった。植村稔裁判官(前最高裁秘書課長兼広報課長)が着任したとのこと。また新しい左陪席は1月末に着任しており東尾和幸裁判官とのことだった。」旨を弁護団に伝えた。

◇第1段階の概略
 西村弁護人は、弁護人が米村氏を補助者として使えば、その弁護人は米村氏に情報を提供することになるが、被告が反対している限り、このような弁護人の行為は許されない旨述べた。
 葉山弁護人は、米村氏は党派の人間なので、弁護人が補助者として使うのは被告を刺激し、信頼関係に支障をきたす旨述べた。
 上記西村・葉山両弁護人の意見に対して佐藤弁護人が次のとおり反論した。
佐藤
@「党派の問題を裁判に持ち込むことに大反対です。僕は、党派の問題で弁護団に対して注文をつけることは認められない。これは、そもそも裁判を引き受けるときからの立場である。」
A「許さない会は、党派の問題を持ち込まない、超党派的なものとして立ち上げてきた。」
B「この裁判は団結権擁護の裁判ですよ。その裁判の中で、米村氏は向こうの党派だから排除する、こういうことは認められない。団結権擁護の裁判は、現在の労働運動の再建にとって特別に重要なんですから、その裁判に党派の論理を持ち込むのは間違いだと僕は確信しますね。」
C「いま裁判が総力を結集しなければならないようなときに、党派の問題を持ち込んで敵を喜ばせるようなことを僕は認められない。そんなことをするなら僕はやめるほかない。」
D「情報を漏らすというが、どういうことを漏らすと言うのか。漏らすような情報は全くないと思う。どういうことを漏らすと言うのか具体的に言ってください。」

◇第2段階の概略
 佐藤弁護団長から、「被告団がY氏を事務局から解任したことを承知する(弁護団との意思疎通なしにそれがなされたことは残念だが)。」「弁護団および各弁護人は、自主的労働運動への弾圧を許さないという点で一致した超党派的立場において、団結権擁護、裁判の勝利、それを通して国労再生、日本の労働運動の再建を目指して全力を尽くす。」との2項目について文書で提案があった。

口頭による補足説明
 続いて佐藤弁護団長が、上記の第2項について、以下の通り補足の説明をした。
@ 党派的立場が違うことを理由に排除することは弁護団及び各弁護人はしない。
A 弁護団、弁護人には自主性がある。何が必要かということは弁護人が自主的に判断する。弁護人は事務局の使い走りではない。
B 弁護団としては1項で米村氏の解任を認めるが、それは米村氏との接触を断つというのではない。米村氏との接触は弁護人の自主的判断である。
C 昨日(3日)、富田被告と会ったとき、弁護団が米村氏から助力を得ることで被告団の団結に何か影響があるかと聞いたら、それはないと答えた。
D また同じく、弁護人が米村氏を使うことで、この裁判闘争に悪影響があるかと聞いたら、これもないという答えだった。
E 弁護団が米村氏を使うことには具体的には何の障害もない。
 何の障害もないのにその立場だけで対応するのは許されない。
   以上の佐藤弁護団長の2項目の文書提案と口頭による補足説明があった後、弁護団全体での討議が行われた。

河村 佐藤意見に賛成する。
大口 昨夜、富田被告たちと会った。富田さんの話しを聞いて、明日の弁護団会議で、「黙認する」という発言があったということまで言ってもいいかと言うと、富田さんは「結構だ」ということだった。私はこれで解決するめどがついたと思って非常に喜んだ。もともと私は弁護団の確認は第1項目だけでよいのではないかと思っていたが、昨日、富田さんからの考えを聞いて、今日、佐藤先生から第2項目までの提案があった。この間の被告人質問の内容からも、ぜひ弁護人を信頼してほしい。
佐藤・弁護人を信頼しているから弁護人が何をするかについては口出ししないと富田氏ははっきり言った。
・弁護士には自主性がある。事務局の使い走りではない。原稿を書いてもらって読み上げるという無様な代議士みたいなことは弁護士としてできない。
・それなら弁護士を解任してもらう。僕を信頼できないんなら解任してほしい。
・被告はいやだと言っているのではなく目をつぶると言っている。関心を持たないと。
・被告が反対だと言ってもこっちはやるということ。解任には反対だと言ったのに相談なしに解任したのは事実。それと同じ。弁護人が必要ならやる。それが我慢ならないなら解任してくれということ。富田氏は昨日、弁護人を信頼しているから目をつぶると言った。
・米村氏に援助を求める人もいれば求めない人もいる。求めたのが気に入らないというので解任ならしかたがない。それは党派の問題を持ち込むことになる。それだったら僕はやめる。
・第2項の前提は弁護人が自主的な判断で行うのが前提である。被告や事務局に無条件に従うのではなく、意見が対立したままでも議論をしていけばいい。更新手続きが始まるから弁護人の自主性において準備を始めるべき。
河村 今日、午前中富田氏が来て、弁護団として米村氏の解任決議をあげてくれといわれた。そんなことはできるわけがない、私は少なくともそのことには反対だと言った。 一瀬 弁護人が勝手にやるのではなくレベルの高い低いはあっても議論で一致点を見いだしたい。一致したことができればそれに基づいて行動できる。
大口 富田氏から聞いている感じでは、接触すると解任ということはない。

◇第3段階の概略
 ここでは富田被告が会議に参加し、7被告側の見解を弁護団に述べた。
富田 米村氏は解任した。弁護団はこれを認めて欲しい。
大口 弁護人が米村氏と裁判についてやっている現実があった場合に被告団としてはどうするのか。
富田 冒陳が崩れるとか、裁判方針からはずれるということでないかぎり、解任とか絶対接触してはならないとはいわない。
大口 弁護人が米村氏と接触したために冒陳や被告人質問の内容から逸脱する心配はあるか。
富田 それはない。
佐藤 弁護団だって、弁護団にとって必要だった事務局を一方的に解任したことは気にくわないけども、それはいい。平行線だが、しかし、それが決定的に信頼関係の破壊にならない。
一瀬 冒陳の線から逸脱せず、裁判に不利益を与えるような行動がない限り、米村氏が必要だと判断して助力を仰いだとしても、それだけで、信頼関係が破壊されたといわないでほしい。文書にできなくても、2月4日の時点でこういう確認がなされたということは私にとって非常に決定的である。
萱野 全体としてその線で。米村氏の助力を仰ぐのはまかりならんと、したがって、解任ということがないように希望する。2項にはその趣旨が込められいる。
小島 富田さんがいったことは、被告団の全員共通の認識ですか。
富田 共通です。
小島 今聞いた限りでは接触することはまかりならんということとは違うように受け止められるが。
富田 接触してほしくない気持ちはあるが、弁護団と平行線というのは裁判勝利のためには仕方がない。

◇第4段階の概略
 富田氏が退出した後、弁護人だけでの議論が次の通り再開された。
  一瀬 被告を代表した富田さんの発言は、冒頭陳述の範囲内で、また、具体的に被告団に被害損失が及ばないような行動をとるという範囲で推移するのであれば、裁判の助力で弁護人が米村氏と接触して面談したからといって、それだけで被告団との信頼関係が当該弁護人との間で崩壊したというふうにはいわないと理解したが、これでいいか。
大口 だいたい、一瀬さんが言ったとおり。ただし、富田氏と向山氏とが全く一緒なのかというと違いはある。
佐藤 弁護団は米村氏の事務局解任を確認するが、しかし接触を断つというのではない。米村氏との接触は弁護人の自主的判断である。
一瀬 弁護団としては、先ほどの富田氏の説明を受けて、西村先生と葉山先生の方から、富田氏が言った限りで、弁護士がたとえば私一瀬が動くのは弁護団としても許容できる範囲だというふうにおっしゃっていただけないと私としても動けない。
大口 弁護団全員が、われわれが一生懸命やるんだから信頼してくれという以外ない。
一瀬 富田氏の発言の範囲、すなわち、積極的に認めるわけではないが、黙認するという限りで落ち着くのであれば、私としては最後までやりきって、これまで以上に力を発揮するように、また、みなさんの団結を強化する方向で、行動するように私としても努めたい。
大口 異議なし。

 なお、西村弁護人は富田被告の発言があったから実質的承認があることになるからいいと述べ、葉山弁護人も向山被告が富田被告と同じ意見ならいいと述べ、上記一瀬弁護人の質問に回答した。

4 2月4日の後半の会議

 その後午後3時から、弁護団と7被告側(富田被告と向山被告が出席)との合同会議が行われた。ここでは上記弁護団会議で富田被告が表明した見解を前提に、再び佐藤弁護団長の提案が被告を交えて討議された。
 後半の会議(3時から5時)には弁護団8名(佐藤、浅野、一瀬、大口、萱野、河村、西村、葉山)が参加した。
 被告として、富田氏と向山氏の2人が参加した。他に裁判事務局の山森・下岡両氏、革共同の運動事務局の松田氏が参加した。

後半の会議のポイント
 会議では富田被告は、上述した弁護人の述べた内容を再確認した。
 また向山被告は、米村氏を補助者として使うことに反対していたため、富田被告と違う立場なのかと弁護団から質問された。これに対し、向山被告は、弁護人が米村氏を補助者として使っても「解任なんかしませんよ」という見解を表明し、結局、向山被告も富田被告と同じ見解であることを表明した。

 後半の弁護団・被告団合同会議は内容上5つの段階に分けられる。
 第1段階では、富田被告が被告団の代表という前提で意見を述べた。
 第2段階では、一瀬弁護人が前半の弁護団会議の報告をし、葉山、佐藤両弁護人が一瀬弁護人の報告を補足した。
 第3段階では、主としてメール問題に関する議論が交わされた。
 第4段階では、主として補助者案についての賛否と解任するのかについて討議された。  第5段階では、弁護人のみで討議した。

◇第1段階の概略
 富田氏が「国労5・27裁判弁護団のみなさんへ(2)」を読み上げて口頭でさらに補充した。

◇第2段階の概略
 ここでは前段の弁護団会議の報告がなされた。まず一瀬弁護人から説明し、佐藤、葉山両弁護人から補足説明あり。
一瀬 前半の会議では途中富田さんに参加して頂いたが、そこでは富田被告の方から被告としてはやってほしくないという発言はあった。しかし、弁護人が必要と判断して米村氏を補助者として使った場合に、即、弁護人との信頼関係が依頼関係を継続できないような形態になるのかと質問すると、被告団としてはそこまでは考えていないという趣旨の発言があった。
   その後、富田さんが退席されて、弁護団だけで議論をし、まず佐藤先生が提案された文書の2点を確認した。さらに、その2つ目の中には、弁護人が自主的な判断で、裁判と被告に利益になる、逆に言えば被告に不利益を及ぼさない、そういう範囲で米村氏を補助者として使うことは、被告団を代表して行われた富田さんの発言や認識をふまえるならば、その限度で認められる、という点を全体で確認した。これが前半の会議のまとめだと思う。
佐藤 とにかく更新意見手続きが始まる、準備が差し迫ってきている。
   弁護団としては、いま一瀬さん、葉山さんが言われたような確認の下に進んでいく。弱体の弁護人ではない。米村氏に引き回されるようなことはない。
 葉山弁護人は、佐藤弁護人が提起したことを全弁護人が了承した、被告団は気持ちの上では反対だが、弁護人が米村氏を補助者として使っているからと言って、それを追及して解任することまではしないということが確認された旨述べた。

◇第3段階では、メールの問題についての議論が交わされた。

◇第4段階の概要
 7被告側から補助者使用を否定する発言と解任はしない旨が発言された。
山森 口頭でいわれた三項目めの弁護士の自主的判断云々というのを明文にしてほしい。
富田 明文にはしない。
向山 被告自身は趣旨はわかっている。弁護人の自主的主体的判断に基づいて米村氏を資料集め等々に使うことについて言っている。それについて私は被告団としては反対です。 佐藤 それはわかった。
一瀬 向山さん、さきほどの議論は、見解の違う中で、被告団と弁護人の信頼関係がどこまでがギリギリの限界なのかということだった。つまり、どこまでが認められるのか認められないのか、ということだった。被告人の方が法的な解任の手続きをとることも言葉の中では議論されているので、事務局でなく補助者として使えば、それでもう一切信頼関係は崩壊して解任に行き着くという認識なのかと聞いたら富田さんはそう思っていないと言った。
向山 解任というカードで何かやろうとしているのではないですよ。解任なんかしませんよ。
向山 弁護人の自主的な判断に基づいて、米村を使うことについて反対だということを言っている。
佐藤 だから、それはわかったと言ってるじゃないか。何度も何度も。わかったけれども、強要はされたくないということだ。
向山 強要はしないですよ。
佐藤 それでいい。

◇第5段階の概要(弁護団のみの議論)
佐藤 メールの件は米村氏に誰かから注意したほうがいいと思う。
浅野 僕も帰ったら米村さんに話がまとまるまでこういうメールを送ってくれるなと連絡します。

(全体のまとめ)
一瀬 山森氏を責任者とする裁判事務局におおいに更新意見についてがんばってもらいたい。それについて我々はなんら異論を挟んでいるわけではない。
佐藤 理解するためには、継続してこの問題は、裁判準備とは別に話合うことは必要だ。今必要なのは裁判の準備にかかることである。そうしないと間に合わなくなる。
   要するに、被告の反対の立場は変わらない。これは弁護団も認める。だけど、弁護団が被告の反対の意思に従わなければ信頼関係ができないから解任だというようなことまでは言わないと富田氏も向山氏も言った。

5 2月4日の会議で何が合意されたか

 こうして2月4日の弁護団と被告団の合同会議で、佐藤弁護団長が提案した以下の2つの確認事項および1つの口頭了解事項の内容で、弁護団と7被告側で合意が形成された。
(確認事項)
  1、被告団が米村氏を事務局から解任したことを承知する(弁護団との意思疎通なしにそれが行なわれたことは残念だが)。
2、弁護団および各弁護人は、自主的労働運動への弾圧を許さないという点で一致した超党派的立場において、団結権擁護、裁判の勝利、それを通して国労再生、日本労働運動の再建を目指して全力を尽くす。

(口頭了解事項)
 各弁護人は、各自がその自主的判断により、5・27臨大裁判の支援者(米村氏を含む)を同裁判の補助者として使用することができる。ただし、各弁護人は、当該補助者を使用したことによって被告に不利益を及ぼしたり、裁判に不利益になるような事態が生じないようにする責任を負う。そのために各弁護人は当該補助者に対して必要な遵守事項等を求めるものとする。

 この2・4合意は出席した富田被告、向山被告および山森氏ら事務局が確認している。
 なお、2・4合意の趣旨に関する私たちの理解するところを以下に述べておく。
 第1は、5・27裁判の弁護活動を行うにあたって、各弁護人の政治的な立場を問われない(弁護団は超党派である)し、また裁判準備活動は超党派的に行われるべきものである。

 第2は、弁護人は、弁護活動を行うにあたって自主性が認められるべきであり、従って、弁護活動を行うにあたって何が必要かということも被告との信頼関係を尊重しつつ弁護人が自主的に判断するものである。
 なお、裁判の取り組みの主体の一つである事務局についてはもちろん山森氏を事務局長とする体制のもとに進めていく。
 第3は、弁護団が確認事項の1項で米村氏の解任を認めたが、それは米村氏との接触を断つというのではなく、米村氏との接触はあくまでも弁護人の自主的判断に委ねられる。  第4は、各弁護人が米村氏を補助者として使ったことによって被告に不利益を及ぼしたり、裁判に不利益になるような事態が生じないようにする責任を負うが、そのために各弁護人は米村氏に必要な遵守事項等を求めることにする。
 第5は、党派問題の厳しい状況に鑑みれば被告の心情には理解できる面もあるけれども、裁判闘争ということの性質を考えれば、決して問題を党派的次元のみで終始させるべきではないとの観点から、弁護団は、5・27裁判闘争の全体の戦線・諸闘争に於ける位置ということにも是非配慮し、慎重な対処を望んだのである。
 そして、残されたそのほかの米村氏に関する見解の相違(裁判闘争と党派闘争の関連など)については、今後とも被告団と弁護団とで意見交換を続けることとし、当面に迫った弁論更新を最大限有意義に達成すべく三者全力で取り組むことが確認された。
 その後、富田氏・橘氏らは、2月4日の合同会議で合意が成立したこと並びにその合意内容を「許さない会」の発起人の一人である大阪の港合同の大和田幸治氏にも報告した。

6 2・4合意を踏まえ3月7日公判での更新手続準備開始

 2月4日、青柳勤裁判長の後任として植村稔・最高裁秘書課長兼広報課長が本件の裁判長として着任した。
 これに対して弁護団は、2月4日の7被告との討議の中で「とにかく更新意見手続が始まる、準備が差し迫ってきている。」「今必要なのは裁判の準備にかかることである。そうしないと間に合わなくなる。」(佐藤弁護団長)として、新裁判官体制との闘いも訴えていた。同日、ようやく7被告との間で裁判事務局問題に関する合意が成立したため、弁護団は3月7日に予定されている更新意見を具体化するために同合同会議終了後、その場で以下のように決めた。
 第1は、ただちに更新意見の具体的方針を詰めていくこと、そのために、2月18日に予定されている弁護団会議で向山被告、裁判事務局の山森氏も参加の上で更新意見の方針を決定する。
 第2は、その上で、2月22日に裁判所に弁護団の方針を示して折衝をしていくことが決められた。
 第3は、2月18日の弁護団会議の前に集まれる弁護人が集まり、更新意見の内容について具体的討議をすることになった。調整の結果、それは2月8日となった。弁護団はこの討議内容を山森氏に直ちに伝え、山森氏は了解した。
 2月8日の会合は午後3時から第182回弁護団会議として行われた。同会議は山森氏が司会をし、席上、2・4合意を以てようやくに裁判事務局問題が解決を見たことに全員安堵し、3・7公判以後の更新手続準備に全員全力を以て取組むことが確認された。
 冒頭、裁判所との折衝の報告が行われ、議論は更新意見の内容に終始した。
 更新意見の内容としては、証拠採用されている6本のビデオテープを活用することが提案・討議され了承された。その中で、山森氏も「≪更新手続きにむけて≫『更新手続きの全体構想について』(08.2.8 事務局)」という文書を配布し、被告に対して「新裁判長着任の状況の下で、3月7日の公判で被告の意見陳述をおこなう可能性があるので、それにむけて準備を進めることを確認した」こと、「松ア被告には、被告団会議で配布した文書を送付し、基本的な考え方を電話で提起し、3月7日の公判で被告の意見陳述をおこなう可能性があるので、それに間に合うように準備を進めることを要請した」ことを弁護団に報告した。このように山森氏は、2・4合意の上で、2月8日までは3月7日の公判を行うことを前提にした立場に立っていたのである。

X 事実経過(3)
−革共同の介入は5・27裁判の破壊

 前章で詳しく述べた通り、2月4日会議で弁護団と被告団は、「弁護団は米村氏の事務局解任を認める。被告団は弁護団が米村氏を補助者として使用しても解任しない」旨合意した。富田被告は「解任しない」は被告団全体の意思であることを明言し、今後は次回3月7日の公判準備に被告団と弁護団が一致して入ることになっていた。

2・8(天田書記長発言)から2・22(弁護人解任)までの経過
   ところが、後述する通り2月7日(上記合意の3日後)には一瀬弁護人が革共同の天田書記長から面談の申入れを受け、その面談は翌8日に行われた。
 上記8日の面談内容は、後に詳述する通り、《米村氏を使えば弁護人を解任する》というものだった。天田氏が一瀬弁護人に伝えた解任予告は革共同にとっても重大な意味を持つから、当然、革共同は上記面談前に、「2・4合意は認めない。弁護人が米村氏を使えば解任し、弁護団を再編成する」という革共同としての弁護団対処方針を決定していたはずである。
 そこで、以下に、2月4日(合意)から22日(弁護人解任)までの弁護団が体験した事実および推測される出来事(次の*の箇所)を年譜風に記す。
  2月4日(月)弁護団被告団会議で2・4合意が成立。
5日(火)裁判事務局の山森氏が2・4合意の成立を前提とした打合せを一瀬弁護人と行う。
 (*5日から6日頃、革共同の会議で2・4合意否決=弁護人全員解任の方針が決定されたと推測される)
7日(木)山森氏が一瀬弁護人に革共同書記長天田氏の面談要請を伝える。
8日(金)刑事10部の新裁判長と初顔会わせが行われたのち、弁護団会議。夜、一瀬弁護人が都内ホテルの喫茶コーナーで天田氏他1名と面談(11日の再面談を約す)。
11日(月)一瀬・河村両弁護人が天田氏他1名と再面談。
12日(火)山森氏が被告団弁護団会議が2月22日になる旨を一瀬弁護人に伝え、この日程を前提に22日に予定されていた裁判所折衝の中止を申し入れてくる。
14日(木)山森氏が公判期日取消しを裁判所に提出するようファックスで一瀬弁護人に申し入れてくる。(一瀬弁護人は上記ファックス受信後、山森氏と電話で意見交換)
18日(月)弁護団会議(2・4合意の内容の再確認と3・7公判期日問題等について討議)。
夜、一瀬弁護人が2・8弁護団会議の結論を山森氏に伝え、返事を待つ。
22日(金)被告団弁護団合同会議で7被告が全弁護人の解任を通告し解任手続きをとる。

   上記の7被告側の出来事は、時系列的に次の4段階に分類される。
(@)2月5日、6日頃に革共同の会議で弁護人解任方針を決定。
(A)2月7日から11日、天田氏らが一瀬弁護人に面談を申し入れ、および2度の面談での弁護人解任の事前通告。
(B)2月12日から18日までの解任を前提とした事務局の動き。
(C)2月22日の会議と7被告の全弁護人解任。
 以下では、上記の分類にそって革共同の介入を検討する。

1 革共同が2・4会議に関する方針を決定

 弁護人が直接に体験した事実は、5日の山森氏との公判準備に関する打合せを別とすれば、2月4日の会議の後の出来事に関してまず7日の面談申入れ、次が8日の面談であるが、上述した通り、革共同は2月7日(一瀬弁護人に面談申入れ)以前の5日か6日頃、5・27裁判問題に関する会議を開き、2・4合意を否決し、弁護団を解任する方針を決定したと推測される。
 従って、7日の天田氏の面談申入れは、上記「2・4合意否決=弁護人解任」の方針を決定し、それを不動の結論として実行に移し始めた最初の行動と見るべきであろう。
 では、革共同はいかなる認識に立って「2・4合意否決=弁護人解任」方針を決めたのか。
@革共同は、弁護団が現在主張している2・4合意が存在したことを認めていた。
A革共同は、富田被告らが2月3日から動いて佐藤・大口弁護人らとの間で2月4日の会議に向けて弁護団との了解点を探ろうとしていたことを認識していたが、それら労働者被告の意思を無視して解任の方向に動いた。
B革共同は、米村氏が裁判事務局を解任された以降も昨年11月から12月にかけて、計6回尋問担当者会議に参加し、富田被告と一緒に被告人質問の打ち合わせを行ってきた実績(そこで何ら裁判方針に抵触するような事態も起こらず、裁判や富田被告に不利益をもたらす出来事も起こっていないこと)を無視した。
C革共同の方針(真意)は、今後はもはや弁護団との討論継続を求めず、弁護団が2・4合意を撤回しない限り被告団に速やかに全弁護人解任を強行させ、次いで新たな弁護団の編成作業に入る、ということにあった。
D革共同は、2・4合意の破棄と全弁護人解任が5・27裁判を破壊し、闘う闘争団との連帯を損ない、さらに国鉄闘争の闘いの歯車を逆転させることになることを充分認識していた。

2 2月8日、革共同が弁護人解任を事前通告

 上記年譜の通り、2月7日に革共同書記長の天田氏が一瀬弁護人に面談を求め、翌8日、天田氏外1名が都内ホテルの喫茶コーナーで一瀬弁護人と面談した。
 上記の天田氏の行動(面談)を裁判闘争との関係でいかに評価するかの決め手は、もちろん面談での天田氏の言動である。2月8日の面談の席上、天田氏らは、次のように発言した。

 「2月4日の会議は、被告は、米村氏を使うことを認めなかった。だから米村氏の件で弁護団と被告団の意見は対立したままで終わった。米村問題は討論継続であって合意は成立していない。決裂した。」(【a】)
 「貴方(一瀬弁護人のこと。以下同じ)には、この場で米村氏を5・27裁判で使わないと明言して欲しい。」(【b】)
 「貴方が米村氏を補助者として使えば、被告団は弁護人を解任する。そうなれば弁護団から辞任する弁護人も出てくるだろう。その時は弁護団を再編する考えだ。」(【c】)
 「仮に貴方の言うように2・4合意があったとしても、我々の考えは、貴方が米村氏を補助者として使えば弁護人を解任するというものである。また仮に2・4合意があったとしても、我々は、改めて貴方に今この場で米村氏を使わないと明言することを要求したい。」(【d】)
 「米村氏問題が解決するまで、被告団と裁判事務局は弁護団会議には出席しない。本日の会議を向山被告が欠席したのはこのためである。」(【e】)
 「弁護団が2月4日の会議でまとまった。そのため弁護団は2月4日の会議で事態を一つ前に進めてしまった。弁護団がまとまったことが非常にまずかった。」(【f】)

 一瀬弁護人はその場で返答することを避けたが、天田氏らの要請で2月11日に再度面談することを約束して別れた。
 2月11日、再び天田氏らとの面談が同じ場所で行われた。弁護団からは一瀬・河村両弁護人が面談に臨んだが、弁護団は事前の討論に基づいて、天田氏らに「2月4日以後の現在の被告団の意思を直接に会って聞きたい。その上で弁護団会議を開いて弁護団の考えを決める」旨伝えた。
 以下、上記の天田氏らの発言に若干のコメントを付す。
 まず発言【a】(2・4会議は決裂。合意は存在しない)であるが、前章で詳述した通り2・4合意の存在は正真正銘の真実である。この天田発言は嘘、恥ずべき虚偽に他ならない。それでも、2・8面談を一瀬弁護人に要請した天田氏は、その面談の本質(2・4合意を否決し弁護団解任を予告)を隠蔽するため意図的に「決裂説」を述べている。要するに2・8面談が革共同の不当介入であることを隠蔽する姑息な手口なのである。
 重要なことは、5・27裁判弁護団に対する革共同の立場が真実を塗り隠し、虚偽を基に成り立っていることを示している点である。
 発言【b】【c】(米村氏を使えば解任する)は、天田氏の2・8面談の核心部分である。一瀬弁護人に解任を予告して警告を発したと言うことである。米村氏問題で初めて弁護人解任が当該弁護人に伝えられたのは、この時である。それだけに重大発言である。
 発言【d】(2・4合意が成立していたとしても)は、2・8面談が革共同の不当な介入であることを正面から認めた発言である。
 革共同の介入とは、天田書記長らが、一瀬主任弁護人に、米村氏を使うな、使えば解任する、さらには弁護団も再編するとして、弁護団を破壊してまでも、自派の利害を貫こうとしたという厳然たる事実にこそある。
(イ)佐藤弁護団長は2月8日の面談内容を一瀬弁護人から知らされて富田氏に電話し、2・4の合意から何か変わったのか確かめたが、「何も変わりはない」ということであった。また、さらに大阪の大和田氏を通じて確かめてもらったが、それにも同様の答えであった。このことは、佐藤弁護団長(許さない会の事務局長でもある)の招請による4月21日の許さない会の発起人会において、出席された大和田氏が確認されている。

2月8日の面談で最も肝心な事実

 ところで、7被告は、5・15文書で「天田書記長は、長期にわたる信頼関係のもとともに闘ってきた者同士として、一瀬氏と米村氏の問題や本件裁判、国鉄闘争に関する議論をしたのです。ところが一瀬弁護士は、その場に他の弁護士を同席させることで、『革共同対弁護団』という構図を作り上げようとしたのです。」と述べている。
 しかし、7被告は上記一文を「革共同の介入」を否定する趣旨で主張しているが、7被告は2月8日の面談で最も肝心な事実を隠蔽している。
 すなわち、上記の「米村氏の問題や本件裁判、国鉄闘争に関する議論をした」という7被告の表現では、天田書記長らが一瀬弁護人に対し「米村氏を使うな。使えば解任する。弁護団も再編する」と迫った重大な事実を読者に伝えていない。これは事実の隠蔽ではないか。
 もう一度述べる。2月8日の一瀬弁護人との面談で、天田書記長らが「米村氏を一切使うな」と一瀬弁護人に告げた事実、また「この場で米村氏を使わないと明言しろ」と問答無用式のやり方で迫った事実、この要求に一瀬弁護人が従わなければ「弁護人を解任する」と言った事実、さらには「解任後には弁護団を再編する」とまで言った事実、7被告がこれらの重大な事実に全く触れないで、天田氏は単に「議論をした」だけだというのは、「革共同の介入」を裏付ける一番肝心な事実を意図的に隠蔽するものである。このように7被告の上記の主張は極めて不誠実であり、悪質である。
 言うまでもなく面談した一瀬弁護人は5・27裁判の主任弁護人である。その一瀬弁護人に弁護人解任を予告し、その後は弁護団を再編すると断言した天田氏の言動は、明らかに革共同による5・27裁判弁護団への破壊攻撃である。これは、超党派で5年間ともに闘ってきた弁護団への政党(革共同)の不当な介入行為に他ならない。

2回目の面談には一瀬・河村両弁護人が出席

 一瀬弁護人から2・8面談の報告を受けた弁護団は直ちに協議を行って弁護活動継続が危機に瀕していることを認識した。その討議を踏まえて、2月11日の2回目の面談には、最低限の措置として、2・4会議に出席した他の弁護人(具体的には河村弁護人)が同席して天田氏らの発言内容等を確認することにした。
 この措置は、革共同書記長の天田氏が2・8面談で2・4合意の存在自体を否定してきたのだから、弁護団としてとるべき当然の対応であった(現在では、7被告側は私たちの「2・4合意」の主張を「でっち上げ」と誹謗している)。
 上記5・15文書では、7被告らは天田氏との面談が2回あった事実にも触れず、経過をごちゃ混ぜにした上で、一瀬弁護人が「『革共同対弁護団』という構図を作り上げようとした」などと主張しているが、これは河村弁護人が2回目の面談に出席することになった上記のような経過と趣旨を歪曲し、事実を捏造するもので許されない。
 なお、2月11日、佐藤弁護団長は、革共同の天田書記長らによる面談を通じた不当な介入行為に対して、「弁護団会議の経過、結論に党が異を持ち出すのは筋違い」であり、革共同の行為は「権力に対する闘いではなく、党派闘争を優先するものである」という意見を弁護人らに表明し、弁護人の多くが賛成した。
 また、佐藤弁護団長は、11日の夜、革共同の5・27裁判運動事務局の松田氏を介し、天田氏に対する面談を申し入れたが、結局、この申入れは日程調整を理由に放置された。

3 弁護団解任を前提とした動きについて

 7被告側は2月8日に天田書記長が一瀬主任弁護人に面談して以降、2・4合意を反故にする方向で動き始めた。
 2月12日、山森氏は、一瀬主任弁護人に2月22日に予定されていた裁判所との折衝を中止すること、更新意見に関する討論を予定していた2月14日と2月18日の弁護団会議を中止することを一方的に伝えてきた。
 これは2・4合意を反故にするだけでなく第182回弁護団会議が決定した方針を勝手に変更し、党派問題を蒸し返すもので信義に反するものであった。
 一瀬主任弁護人は、裁判所との折衝問題については即答を避け、弁護団会議については弁護団だけで事務局問題等を議論する場として活用することを告げ、山森氏も了解した。さらに、山森氏は7被告と弁護団との再度の合同会議の日程が2月22日になったことを伝えてきた。

公判期日に関する2・14ファックス

 2月14日(金)22時半過ぎ頃、山森氏はさらに3月7日と21日の公判期日の取消をファックスで一瀬主任弁護人に申入れてきた。これに対して一瀬弁護人は2月18日(月)に予定されていた弁護団会議に諮る旨を電話で事務局に回答した。その直後、一瀬主任弁護人は山森氏からの期日取消を要請するファックス文を「本日(2/14)夜10時半過ぎころ、下記のようなFAXを受け取りました。早めにご意見をお寄せくださるようお願いします。」というコメントをつけて弁護団にファックス送信した。

2月18日の弁護団会議

 弁護団は、2月18日午後3時から開かれた弁護団会議で上記申入について討議したが、全弁護人(葉山、西村両弁護人を含めて)の意見として、2月22日に予定されている7被告との会議以前に公判期日・裁判所折衝の取消等を申入れることは適当ではないという結論で一致した。
 その判断根拠であるが、裁判所・検察庁に弁護団・被告団の内部問題を露見させることはギリギリまで回避すべきであること、2月22日の7被告との討議で2・4合意が再確認される可能性は残されていること、また、当時の状況として弁護団は異動になった青柳裁判長の後任の決定が遅れていることを被告に不利益を強いるものとして強く批判し、その速やかな決定と公判再開を申入れていた(1月10日、東京地裁刑事10部宛、1月18日、最高裁と東京地裁所長宛)経過があるのに、2月4日に植村新裁判長が着任すると一転して弁護団から公判期日の延期を申入れることは、著しく不自然ないし不合理な対応と見られることは明らかであったこと等を考慮して出したものだった。

2・18弁護団会議の報告

 弁護団は、上記の弁護団会議の見解を佐藤・一瀬の両弁護人名義で文書にして直ちに(2月18日夜)7被告側(山森事務局)に伝えた。以下に、その文書を引用する。

2・18弁護団会議の報告 2008/2/18 弁護人佐藤・一瀬
1 参加者:佐藤、葉山、大口(後半退席)、西村、萱野、浅野、一瀬
2 討議内容
(1)2月4日の会議内容について、その事実経過や合意事項を確認する討論をした。
(2)2月7日の一瀬への会談申し入れ・2・8及び2・11会談の経過を説明し、討論。
(3)上記経過を経て、2月22日午後1時から浜松町の海員会館での被告団との会議が行われることを確認した。
(4)2月22日の午後4時15分からと午後5時からの更新手続きに関する打ち合わせについては、弁護団としては、現段階で裁判所に対して延期申し入れは行わない。
(5)3月7日の公判(行う場合には更新手続きの予定)についても、弁護団としては、現段階で期日取消し手続きを行うことはしない。
(6)上記(4)と(5)の弁護団の判断は、対裁判所・検察庁では、弁護団・被告団の内部問題を露見させることはぎりぎりまで回避したいとの考え方に立脚するものである。 3 補足説明(上記2の弁護人討論の前提認識)
(1)2月22日の被告団との討論の中には、同日午後4時15分ないし同5時からの対裁判所との打ち合わせをどうするか、3月7日の公判期日をどうするか、等の議論も含まれている、ということを前提として議論された。
(2)もちろん2月22日の被告団との討論で、事務局問題から弁選関係にも影響を及ぼしてくる可能性が充分ある。しかし、2月22日の裁判所との打ち合わせや3月7日の公判への影響問題は、弁選問題が具体的に発生した時点で(それは2月22日以降の時点である)、その時点の関係者(解任・辞任した弁護人は当然除かれる)によって討議される問題である。
   従って、現段階で(現段階では弁護人は9人)、「こうなる可能性があるから、延期する、ないし取消す」という判断に立つ行為は行わない、との前提で議論した。
(3)また、上記2の弁護人討論は、3月7日の更新手続きは、検察官の手続きの後、弁護人が@「求釈明問題」の整理の陳述を行う、A次に若干名の弁護人が意見の陳述を行う、Bその後にビデオ(7・1、8月、10月まで)の取り調べを行う、との予定で議論された。    換言すれば、上記2の討論は、3月7日に行う更新手続きの範囲が上記(2)のようなものであれば、その手続きは被告団の利害や立場に不利益を発生させることはない、との認識に立って議論された。

以上

   上記『2・18弁護団会議の報告』に記載されているように弁護団は、最終的には2月22日の7被告との会議の結果によって必要となれば公判期日も裁判所折衝も取消すことがあることを前提にしていたものである。この討議結果を一瀬主任弁護人は事務局宛に「山森様へ 一瀬です。本日の会議報告のメモを送ります。不明の点あれば、電話を下さるようお願いします。」とメールで伝えていたにもかかわらず、7被告側からは何の連絡もなかった。
 また、2月22日の被告団弁護団合同会議で、7被告は、真摯な議論に応じることなく、米村氏を使わないという要求にこの場で応じなければ弁護人を解任すると宣言した。
 この経過を見て明らかになるとおり、「訴えを何ひとつ聞き入れず、被告との合意もなく裁判を進めよう」としたというのは解任を合理化するための後出しの虚偽の理屈である。
 したがって、上記3・7文書の主張は事実に反するだけでなく、被告の利益のために5年間闘ってきた弁護団に対する甚だしい中傷であり、弁護人全員解任が7被告側の政治的利害を貫くためであったことを塗り隠すために問題をすり替えようとするものに他ならない。

4 2・22会議での7被告の態度の急変と全弁護人の解任

 2月22日に被告7人と弁護団の会議が持たれた。なお2・22会議の会場には九州から松ア被告も上京して会議への参加を希望した。弁護団は、米村事務局解任問題に端を発した7被告と弁護団の間のこの間の経過は5・27裁判の被告である松ア被告にも説明する必要があると判断し、会議冒頭、この会議への出席を提案した。しかし7被告が松ア被告の参加を一切拒否したので、最終的には松ア被告は会場待合室で待機した状態で会議は開始された。
 2・22会議の冒頭、佐藤・大口・浅野の3人の弁護人は、各自の意見を記した文書を7被告に配布した。

佐藤弁護人の意見書

 佐藤弁護人は、その意見書で、2月8日の革共同書記長・天田氏の介入を、2月4日の会議で「富田被告団長、向山氏を含め一瀬解任などしないという一致した了解に達したのに、富田氏への連絡もなしに政党がこれを覆そうとした」事実を批判し、天田氏の弁護人の米村氏への接触(補助者としての協力要請)を理由とする弁護人解任発言は、「権力に対する闘争よりも、党派闘争を優先することであり、超党派的な団結権擁護の闘争を破壊することになる。」「それは支援者も離れさせ、政党の介入による闘争破壊という歴史の教訓を繰り返すだけである。」と厳しく批判した。

大口弁護人の意見書

 大口弁護人は、その意見書で、まず5・27裁判闘争の意義について「本件闘争の重要性は改めて申すまでもありません。大阪の現場での闘争は、動労千葉の闘争と並んで素晴らしいものであり、私は国労共闘の皆様・被告団の方々を深く尊敬しております。それゆえ、私は本件の勝利を目指して、最後まで弁護活動に参加したいと願っています」と述べ、次に、2・4合意の意義に関連して「これまで固い団結で本件闘争が進んできたと思います。しかるに現在、被告団と弁護団との間でやや軋轢が生じ、また弁護団内部でさえ意見の違いが出てきていることはまことに残念で、悲しい事態です。とりわけ、本件公判闘争を牽引してきた一瀬弁護人の解任までが取り沙汰され、その際は弁護団の空中分解の事態も必至であり、辞任云々の言葉も出されるなど、本公判闘争本来のありかたからは懸隔した実に憂慮すべき事態です。」「その意味で、2・4確認は、あらゆる状況を前提として、現在とりうる最善最良の方策であると信じています。私の言う意味は、この間の富田氏本人質問等の公判闘争の実績で、充分に御理解頂けるものと確信しています。弁護団を是非信頼してください。是非、この確認のもとに、山森事務局体制中心に闘い抜いていくことが再確認されるべきであると願っています。」と述べた。
 さらに大口弁護人は、同文書で、2・4合意を反古にする新たな動きに言及して、「その意味では、18日に向山被告から私に伝えられましたことは、御自分も明言確認した2・4に於ける事実を、平然と反故にされるような内容であって私は驚倒しました。些か理解に苦しみ、これでは何を話合い、決めても意味がないのではないか……と、信頼感というものを考えざるを得ません。」と述べ、「最終段階を勝利的に闘い抜くために、一日も早く、被告団・弁護団・事務局一体の団結が回復され強化されることを祈念しています。」と結んでいる。

浅野弁護人の意見書

 浅野弁護人は、その意見書で、次のように述べた。
 「これまで様々な話し合いが続けられてきましたが、私としては2月4日に行われた会議で、事務局問題についての合意がなされたと考えています。2月4日の合意内容は、すでに弁護団に配布されている以下の内容の通りです。(中略。引用者、2・4合意の内容は略)そして、2月4日の議論の経過としては、米村氏の問題についての弁護団(さらには各弁護人)と被告団の考え方の相違があることは事実ですが、そのような考え方の相違を前提として、上記1のような議論(引用者注:2・4会議での議論のこと)がなされたものであると思います。」
 「私は、『被告の権利と利益を護るために闘うことを貫く、その意味の信頼関係』ということ、すなわち、弁護側冒頭陳述の内容で意思一致し、その内容で裁判闘争を闘うという考え方を持っています。さらに、弁護人は弁護活動を行うに当たって、自主性が認められるべきであり、弁護活動を行うためには、弁護人の自主的判断が必要不可欠ではないでしょうか。私は、これらのことは弁護人が弁護活動を行っていく上で当然のことであると理解しています。私は、上記1に記載した合意事項(引用者注:2・4合意のこと)は、そのことを明らかにしたに過ぎず、なんらおかしいものではないと考えています。以上、私としては、上記のような弁護団の考え方に立って、上記第2の1に記載した合意事項(引用者注:2・4合意のこと)で今後も本件5・27臨大裁判を闘っていきたいと考えています。」と述べて、2・4合意の遵守を被告団に訴えた。
 なお一瀬弁護人は、上記佐藤・大口・浅野の各弁護人が言及している2月4日の弁護団会議(富田・向山両被告出席)に関し、その会議議事録と2・4合意を記載した文書を7被告に配布した。

討論なき会議

 しかし、22日の会議は次のように進行した。すなわち事務局の山森氏が自ら司会をする旨宣言し、まず被告一人ひとりに意見を述べさせ、さらに補足の発言をさせた。それら7被告の発言は、もっぱら「米村氏は被告と対立する政治的立場をとっている、だから弁護人は米村氏を補助者として使うな、もし米村氏を弁護人の補助者として使えば弁護人を解任する」という内容だった。すなわち、7被告からの米村氏批判は、党派問題の観点から述べられたものが一切で裁判闘争・国鉄闘争に関する内容は皆無であったが、この点は2月4日の会議で富田氏や向山氏が述べていたことの繰り返しであった。
 しかし、この22日の7被告の発言で新たな、そして重大な内容は、「もし米村氏を弁護人の補助者として使えば弁護人を解任する」というものであった。これは2・4合意を7被告が反故にする旨を宣言したものであった。しかし、2・4会議以降弁護団と7被告との間では革共同の介入の事実以外には何ら新たな事態は生じていなかったにも関わらず、7被告が何故2・4合意を覆す立場に転じたのかについて一切説明はなかった。
 なお、現在、7被告は3・7文書で、米村氏解任の理由を「裁判方針を巡って敵対関係に入った」からだと主張しているが、2月22日まで米村氏が裁判方針の違いで批判された事実はまったくなかったことは上記のような同日の7被告の発言からも明らかである。
 その後、司会の山森氏は、直ちに7被告を退出させて、弁護団に7被告の要求に応じるかどうかをここで検討し、当日の会議で7被告に回答するよう求めた。

弁護団の結論は「2・4合意」の線

 このように2月22日の会議では、弁護人が7被告の発言と2・4合意との関連を質すことや、被告と弁護団が事務局問題に関して意見交換し討議して合意点を見出すための機会は一切与えられなかった。
 その後の弁護団のみの会議では、弁護団全体としては2・4の合意を変更する理由はないという考えで葉山、西村の両弁護人を含めて一致した。再び7被告が会議の場に着席したところで、佐藤弁護団長から「2・4の合意の線でやってもらいたい、米村氏を使わないと明言せよとの被告団の要望には応じられない。」、という結論を7被告に伝えた。

一方的な全弁護人解任通告

 これに対し、富田被告団長は、「それでは全弁護人をいったん解任します。」と即座に通告し、それで会議は終了した。7被告は直ちに裁判所に全弁護人を解任する手続を行った。
 3月17日、7被告は新たに鈴木達夫(主任)、藤田正人、松田生朗、山本志都の4人の弁護人を選任した。同日、葉山・西村両弁護人を再任し、両弁護人はその日までに松ア被告の弁護人を辞任した。
 こうして7被告らは、弁護団の意見についての討議を一切拒否したまま、天田氏の示した意向に沿って弁護団を解任した。せっかく弁護団との間で英知をしぼり、膨大な討論の結果到達した2・4の合意を、7被告は理由も示さず反故にしたのである。

 以上、やや詳細に革共同の介入から2・22全弁護人(9名)解任までの事実経過を述べたが、念のために次の事実をつけ加えておく。すなわち、佐藤弁護団長をはじめ9名の弁護人が5・27事件の弁護を受任したのは、《検察官は被告に「中核派活動家」というレッテルを貼り暴力行為等処罰に関する法律違反で起訴している。しかしこの問題は決して一政治党派の問題ではない。団結権そのものに対する弾圧であり超党派的に闘わなければならない》という趣旨からである。また「許さない会」も同様の趣旨で結成されたものである。
 従って、もし7被告が弁護人への依頼の趣旨を変更して党派問題の優先を承認させようとするというのであれば、そのことを弁護人と十分に話し合うことが前提となる。
 そして7被告が弁護人の受任の意に反し、あくまで権力に対する裁判闘争より党派闘争を優先するのであれば、弁護団の多くは解任されるまでもなく自ら辞任したであろう。
 ところが今回の解任は、その弁護団の意見を聞くこともせず、全く一方的に行われたのである。

Y 事実経過(4)
−本年3月の弁論分離の請求と5月の職権分離決定−

1 分離請求却下を批判し裁判分離を要求し続ける7被告

 7人の被告およびその弁護団は、3月24日、裁判所に松ア被告との弁論の分離(別々の法廷で裁判を行うこと)を請求したが、この請求は4月2日付けの決定で却下された。
  異様なスローガン、「裁判の分離をかちとるぞ!」(チラシ)
   だが、その後も7被告は、4月25日に再開予定だった公判に向けたチラシの中で、「弁論分離請求への却下決定を弾劾する!被告団は松ア被告との裁判の分離をかちとるぞ!」とか、「私たち被告団は(中略)再開公判となる第87回公判であくまでも松ア被告との裁判の分離を要求します」とか述べ、なお弁論分離を要求する姿勢を取り続けた。このチラシは国労共闘のWebサイトにも載せられた。さらにこのチラシは遅くとも4月9日には全国の許さない会の会員らに一方的に郵送された。
 3月31日、7被告らの弁護人らは、裁判所との打合せの席でも弁護団との同席を拒否した。
 弁論分離請求が却下された後、4月14日、7被告とその弁護人らは裁判所との打合せの場で、「4月25日の次回期日においては向山被告人外6名の被告人及び弁護団から、公開の法廷で直接裁判所に対し弁論の分離を求める意見陳述を行いたい」「公判手続更新の手続は弁論の分離が前提である」と主張してあくまでも裁判分離を要求し続けた。  4月15日、植村裁判長は、一瀬主任弁護人に対し、@7被告弁護団は開廷すれば富田被告人らが弁論分離を要求する意見を述べる、A弁論分離が行われるまで意見表明を続ける、B裁判所が弁論を分離するといわない以上更新手続きに入らない、C公判が何回空転しても意見表明を続けると主張している、D今のまま併合審理を続けていくならば法廷は何回つぶれるかわからない、と述べて、7被告弁護団の姿勢を主な理由に早期の弁論分離を示唆する発言を行った。

2 分離にむけて道を開こうとする植村裁判長

 4月17日、弁護団は裁判所と折衝の場を持った。席上、裁判所はWebサイトから入手した7被告らの「分離をかちとるぞ!」というビラを示し、「7被告側が法廷で分離要求の発言をすると言っているので法廷の平穏と傍聴者を含む関係者の安全が確保できるか自信がない」「7被告側は分離されなければ更新手続に入らないと言っているから併合のままでは審理の見通しが立たない」などと言って、裁判の分離の方向に道を開こうとした。

 これに対し、弁護団は「裁判分離が強行されると、これまでの5年間営々と統一公判を前提に組み立ててきた主張や立証の枠組みに大きな亀裂が入り、5・27裁判闘争はその根幹部分が崩壊の危機にさらされる」、「既に裁判所は、刑訴法313条2項に当たらないことはもとより、合一確定の要請及び訴訟経済の観点からみて、同条1項に言う『適当と認めるとき』とはいえないと判断して分離請求を却下したはずであり、訴訟外の事情を理由に却下決定の変更を行おうというのは間違っている。そもそも併合審理時の法廷の混乱というのは訴訟法上の問題ではない」「被告の防御権を全うするには併合審理・統一公判以外にはない」などと弁論分離に理由がないことを理を尽くして主張した。

裁判所の分離策動続く

 しかし、植村裁判長は、7被告側のビラや文書、言動を最大限動員して「法廷の平穏と傍聴人を含めた関係者の安全を確保しつつ公判手続きの更新を進められる確たる見通しが持てない」と何の根拠もないのに勝手な状況認識を周囲に吹聴し、一気に職権で分離決定する策動を開始した。
 植村裁判長は「104号法廷における4月25日の期日について、法廷の平穏と傍聴人を含めた関係者の安全を確保しつつ公判手続きの更新を進められる確たる見通しが持てない場合は、職権で期日を取り消す場合がある」ことを弁護団に通告してきた。

3 5・27裁判の破壊を狙う職権分離

 4月18日、裁判所は7被告とその弁護人らの分離要求を奇貨として5・27裁判を破壊するため、7被告とその弁護人らに対し、事実上の弁論分離の再申立書にあたる意見書を提出するよう示唆した。
 このような裁判所の示唆は許し難いものである。これは正規の分離請求書が再度出されれば、状況に変化がないのだから、再び却下するしかないことを認識して行われた脱法行為そのものである。ここまでして分離を強行しようとするのは、植村裁判長がこの機会に何が何でも5・27裁判を分離裁判にもちこみ、無罪を求めて闘ってきた5・27裁判闘争の勝利的地平をズタズタに破壊しようとしているからである。
 4月23日、7被告とその弁護人は、裁判所の示唆に応じ、事実上の分離請求書というべき意見書を出した。
 分離されれば労働刑事事件である本件では、団結権が否定され、さらに、被告人の防御権が致命的に破壊されていく。事態は一挙に緊迫化していった。もともと植村裁判官は、最高裁人事局・経理局勤務が長く裁判実務の経験はほとんどなく、さらに2001年から数年間は司法制度改革推進本部事務局で参事官として悪辣な役割を果たしてきたゴリゴリの反動裁判官であるが、その本性をあらわにしてきたのである。

松ア被告がビラをまいて裁判所を批判

 5月9日、分離強行の動きに危機感を持った松ア被告は分離に反対するため上京し、東京地裁前で、裁判所は分離決定を行うな、今なすべきは7被告の分離要求撤回、被告団・弁護団・支援者の総団結であることを訴えてビラまきを行った。多くの人たちが松ア被告のビラを受け取っていった。弁護団は分離反対の意見書を出した。
 5月12日、裁判所は不当にも弁論分離を決定した。
 5月16日、弁護団は、上記決定を不服とし、被告の防御権破壊というとりかえしのつかない重大な憲法違反にあたるとして最高裁判所に特別抗告を行った。5月20日、最高裁判所は申立を棄却した。しかし、私たち弁護団は、今後強力な支援陣形を構築し、統一公判実現にむけてさらに闘っていくことを決意している。

Z 7被告らの一連の行為の問題点

1 5・27裁判に対する破壊行為
 第1に、革共同の方針にそって7被告が行った事務局解任以降の一連の行為は、5・27裁判に致命的な不利益をもたらしたし、裁判闘争に対する重大な妨害行為となっている。

事務局解任について

 (1)解任された米村氏は、本件裁判の5年間の全過程を通じて事務局の中軸を担ってきた人物であり、解任された当時の事務局の責任者であった。5・27裁判の事務局員は複数いるが、他の事務局員が途中で交替したり、途中から入ってきたメンバーであるのに対し、米村氏のみが当初から裁判の全過程で事務局活動を行ってきた人物であった。もともと5・27裁判の事務局活動の特質は、弁護人の活動と違って本件裁判に24時間専念して活動しているところにある。従って米村氏の事務局活動の主要な中身は、膨大な証拠群を丹念に整理して徹底的に分析し、その分析の成果を駆使して検察側証人に対する弾劾ポイントを究明するなど、法廷で闘う弁護人・被告人の活動の中身を準備し、弁護人・被告人の活動と有機的に結合した活動を行っていた。前述の米村氏が行った事件現場のビデオテープの映像や音声の解析はその適例である。
 このように米村氏は本件裁判闘争の勝利に必須不可欠な戦力であった。その米村氏を被告人質問の段階まで至っている時期に解任することは、被告団・事務局と弁護団が一体となって勝ち取ってきた5・27裁判闘争の勝利的な地平を破壊する行為である。

弁護人解任について

 (2)その解任された5・27裁判の弁護人は、無罪を主張している8名の被告人全員を5年間全力で防御してきた。5・27裁判は典型的な労働刑事裁判である。当然にも弁護人は、国家権力の中枢を握っている自民党などの手による悪辣な支配介入行為(4党合意と3与党声明)を絶対に許さず、悪法暴処法による団結権侵害と徹底的に闘うことを弁護活動の基本に据えて5年間弁護活動を行ってきた。また弁護人は、5・27裁判の無罪勝利が、国労本部派の闘争団への統制処分と併行してなした被告らを権力に売渡した腐敗の極みである屈服路線を破棄させ、さらには闘う国労を再生させて国鉄闘争の勝利に決定的な役割を果たすと確信して闘ってきた。このような5・27裁判の弁護人を全員解任する行為が、5・27裁判に致命的な不利益をもたらし、裁判闘争に対する重大な妨害行為となったことは火を見るよりも明らかである。

弁論分離について

 (3)7被告とその弁護人は弁論分離を請求するに至ったが、この行為は事務局解任や弁護人解任以上に、5・27裁判にほとんど回復不可能ともいうべき、致命的な不利益をもたらしている。もともと弁護人は、8被告が2回に分けて起訴された2002年11月の時点で、8被告の事件は同じ2002年5月27日の国労臨時大会開催に反対して同一場所、同一時間帯で行われたビラまき説得活動に対する国鉄闘争圧殺解体を策する構造的弾圧であるから、防御権行使を全うするためには一体の労働刑事事件として全被告が併合されて審理されるべきであることを主張してきた。ところが弁論分離の請求は、5・27以降に生じた被告団の対立を理由に国家権力を行使させて、5・27臨大闘争を8被告全員が共通の目的をもって共同で闘い、統一被告団として審理を受けてきた8名の被告団を分裂させ、本件のような労働刑事裁判の審理では正当かつ不可欠な統一公判運営を破壊させるものである。言い換えれば、今回の弁論分離請求は、国家権力の手を借りて裁判を被告7名と被告1名に分裂させて、被告らの5月27日のビラまき説得活動の正当性とその刑事不処罰・全員無罪を訴えて闘ってきた勝利的地平を全面的に破壊する。これによって5・27臨大闘争の正当性立証を決定的に妨害する結果をもたらしている。この結果、7被告の弁論分離請求が5・27裁判の無罪獲得を著しく困難なものにしたことは疑いない。
 以上のとおり、7被告が行った事務局解任と弁護人解任、その後の弁論分離請求が、5・27裁判の無罪獲得に対する重大な妨害行為であることは明白である。

2 国鉄労働者の階級的団結に対する破壊行為

 第2に、7被告が行った事務局解任以降の一連の行為は、5・27臨大闘争を闘った国労組合員を分裂させて労働者の団結を破壊し、引いては国鉄闘争にも分裂をもち込み国鉄闘争の勝利を妨害している。
 このような国鉄労働者の階級的団結を破壊するという重大な結果が、事務局解任や弁護人解任の結果としても発生していることは上記の第1で述べたところから明らかである。しかし、この階級的団結の破壊が7被告らによる弁論分離請求によって最も明瞭にあらわれていることは疑いがない。
 もともと5・27裁判は、国家権力と国労本部を真っ正面から弾劾して無罪獲得・国労再生・1047名解雇撤回闘争勝利を実現する、という大きな階級的意義を持った裁判である。裁判事務局と弁護人解任に引き継いで行われた弁論分離請求は、国家権力によって公に裁判の分裂を承認させるものである。それは、無罪獲得を目指した被告らの団結が自壊したことを裁判所に露呈させ、さらには鉄建公団訴訟などを闘っている闘う闘争団と7被告の連帯関係を7被告側からその党派的利害によって断ち切ろうとしていることも露呈させた。
 以上のとおり、7被告が行った事務局解任と弁護人解任および弁論分離請求が、国労組合員の中に分裂を持込み、さらに1047名解雇撤回闘争を闘う国鉄労働者の階級的団結を破壊するものであることは明らかである。

3 統一公判原則と反弾圧闘争に対する破壊行為

 第3に、7被告が行った事務局解任以降の一連の行為は、国鉄労働者をはじめとする労働者階級が国家権力の弾圧と闘うときの大原則の一つである統一公判の原則を自ら破壊し、反弾圧闘争としての5・27裁判の階級的使命を放棄する結果をもたらしている。  被告らに加えられた2002年10月の二次にわたる逮捕は、被告らが行ったビラまき説得活動という正当な労働組合活動にかけてきた警視庁公安部による凶暴な襲撃であった。しかも4党合意以降の闘う闘争団と国労共闘の闘いへの報復である本件弾圧の逮捕・起訴が暴力行為等処罰に関する法律違反の罪名でもって行われたことは権力の弾圧の重大なエスカレートを意味した。従って5・27裁判は、国家権力の弾圧を許さない反弾圧裁判であり、かつ国鉄1047名解雇撤回を求める国鉄闘争の勝利を目指す労働刑事裁判である。従って、5・27裁判を分離裁判にすることは5・27臨大闘争の正当性を損ない、裁判闘争に分裂を持ち込むものである。
 また弁論分離の請求は、被告ら自身が不当逮捕直後に弁護士選任の連絡を取った救援連絡センターの「分離裁判反対・統一公判要求、共同弁護人選任追求」の大原則に反するものである。それは、現在の刑事司法改悪(検察・裁判所による共犯事件の弁論分離、共同弁選の否認)の攻撃に屈して敵権力に塩を送る行為にも等しく、救援センター型公判闘争への重大な裏切りである。

4 党派的な利害のごり押し

 第4に、上記第1ないし第3のような誤った行為を、7被告がもっぱら自分らの政治的、党派的な利害をしゃにむに貫き通すために行ったということである。本件は一党派の問題ではない。国鉄1047名闘争に対する弾圧であり、戦前の治安維持法を継承する違法・違憲の暴力行為等処罰に関する法律による団結権に対する重大な侵害である。だからこそ、立場の違いを超えた広範な支援陣形が「許さない会」という形で作られてきたのである。  また闘う闘争団の人士も貴重な資料の提供をはじめ、証言に立って真率な協力をして下さった(なお、この協力要請には、弁護団の多数が鉄建公団訴訟の実働代理人でもあったことから、弁護人からも熱心に協力要請したことを併せて述べておきたい。)。  7被告のように党派の利害を優先することは、多くの人々の努力で作り上げてきた支援陣形に亀裂を入れることである。5・27裁判闘争に勝利していくためには、階級的裁判であるからこそ政治的立場の違いを超えた広範な反撃陣形を構築して闘うという刑事弾圧と闘う裁判闘争の大原則に立って闘っていかなければならない。  以上のとおり、7被告が自派の利害の貫徹のために、〈1〉5・27裁判の無罪獲得という大目標を放棄し、〈2〉国鉄労働者の階級的団結を破壊し、さらに〈3〉統一公判堅持という反弾圧闘争の階級的使命を投げ捨てたのは、到底許されるものではない。

運動の利益を破壊した革共同の介入
 最後に指摘しておきたいのは、7被告らの2・4合意の隠蔽や、弁護団解任理由の歪曲といった人間としての信義に反する行為が、革共同の方針の変化とそれに基づく天田書記長のした被告の弁護人選任権(憲法37条3項)に対する露骨な介入から生じている事実である。それは、裁判闘争や大衆運動に対する政党の介入が、運動を破壊するだけでなく、政党自身に対する人々の信頼を決定的に傷つけるマイナスの効果しか持たないという歴史の教訓を、またもや本件でも繰り返し実証した悲しむべき事実である。

[ 私たちの決意

 富田氏ら7被告の米村氏の事務局解任と弁護人解任および弁論分離請求は、5・27裁判闘争を妨害し、国鉄労働者の階級的団結を破壊して国鉄闘争に破壊と分裂を持込み、さらに反弾圧闘争の階級的使命を放棄するもので絶対に許されない行為である。

5・27裁判の勝利を目指して
   現在の7被告らは敵が誰なのかを見失っていると言わざるをえない。5・27裁判の敵は言うまでもなく国家権力と国労組合員を警察に売渡した国労本部である。この敵に対してこそ5・27裁判被告団は全力で闘うべきなのである。
 7被告のうちのとりわけJR現職の5氏によるJR現場での現実的闘争に立脚する国鉄闘争は、動労千葉の闘争と共に今後の国鉄闘争の地平を切開いてゆくものであり、限りなく大きな意義を有しているものである。
 その意味で、今回の解任により、全国的支援陣形に大きな混乱が生じている事態については、これを心より惜しむものである。
 国鉄闘争勝利、国労再生の大目標のもとに、このような混乱が一日も早く収拾され解決することを弁護団は強く望んでいる。
 国家権力と国労本部が結託して行った5・27裁判被告への弾圧を許してはならないという声は5・27裁判を通して確実に広がっている。その声は被告と思想信条を異にする労働者や市民の中からも澎湃と起こっている。昨年11月の米村氏の事務局解任問題が生じた当初から弁護団が述べてきた「広範な反弾圧陣形を政治的立場の違いを超えて構築することが必要である」という主張の正しさは、5・27裁判の経験が私たちに教えていることなのである。

8被告の勝利を目指して闘う
   私たちはいま松ア被告一人の弁護人であるが、あくまで本件裁判闘争全体の勝利をめざして8被告全員の勝利のために裁判闘争を闘っていく。この立場に立つが故に、私たちは弁論分離には絶対に反対であるし、また、今は失われた状態にある富田被告ら7被告との信頼関係も絶対に回復すべきだし、それは可能だと考えている。  私たちは、昨年末まで8被告が一致して闘ってきた5年間の地平にふまえ、これを引き継ぎ、さらに発展させ、「無罪獲得・国労再生・1047名解雇撤回闘争勝利」の基本路線の下、国鉄闘争勝利の大方針と全ての労働者の階級的団結に立脚しながら5・27裁判を最後まで闘い続ける決意である。

以上 
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