【第一報告】
23全総以降1年間の核心的総括から
 11月1万人結集を水路とした
  プロレタリア革命への道へ!

T.はじめに

 全同志の皆さん!08年11集会の決戦に向けて残り2ヶ月になりました。皆さんは1万人結集の実現を通したプロレタリア革命への戦略的展望をつかんでいるでしょうか。1万人結集に向けた戦略・方針は明確でしょうか。全党員が、勝利の意欲に満ちて主体的で自己解放的な決起ができていますか。そして、自らが階級そのものとしてラジカルに労働者大衆と結びついていますか。08年11月の挑戦は、階級そのもののとして根源的団結と戦闘性を取り戻し、6・29をもって革命情勢の急速な到来に対し衝撃的に登場した党として、党派闘争に立ち上がり党派選択に挑戦する闘争です。1万人結集とは、時代と情勢に対応するプロレタリア革命に向けた階級の党としての意識的戦略であり、それが階級大衆の根源的要求と行動になることによって実現できるのです。  8月23日「5・27弾圧を許さない会呼びかけ人・発起人会議」には、塩川一派は元より、与田―平田一派など党の地平の解体を迫るすべての反動が総結集しました。一体これはどういうことでしょうか。やはり、動労千葉と国鉄闘争をめぐる階級攻防に今日の核心的攻防があり、11月集会の成否に一切がかかっていることを反動の側から逆証明しているということです。動労千葉を排除し1047名闘争の解体を宣言する国労と4者4団体による10・24集会は、11月集会の破壊としてあるのです。党と階級、動労千葉の歴史的地平を解体し、何よりも労働者階級の現在の闘いを破壊するために反動が密集しているのです。昨日までの友が敵になり、密集して襲いかかる。この革命的情勢特有の激しさに対し、党は曖昧さなく団結し鋭く闘争しなければならないのです。とりわけ党の指導的同志の責任は重大です。11月の勝利に責任を取りきることこそが、指導責任なのです。

U.22全総から今日に至る核心的総括

@ 塩川一派は、与田一派の打倒を総括した22全総における「党は階級そのものである」という到達地平に対し、形式民主主義と血債主義を盾にして小ブル自由主義を満展開させて脱落しました。彼らの本質は、革命党の名を使った革命的存在としての労働者階級の否定に外なりませんでした。この22全総の地平をめぐる激しい激突が、07年中央労働者組織委員会全国会議において決定的になりました。塩川一派は、関西の労働者党員だけでなく、全国の労働者党員指導部によって根本的に打倒されたのです。さらに23全総において「党は階級そのものである」という歴史的到達点を、日本階級闘争の階級的歴史的総括に踏まえた党と動労千葉の歴史的地平として明確にし、この地平の全階級化よってプロレタリア革命の展望が引き寄せられることを明確にしました。そして、このマルクス主義の思想と路線をめぐる激烈な党内闘争は、最末期帝国主義の危機の爆発がもたらしている革命情勢に対応する闘いとして勝利的に貫徹されたのです。彼らは、23全総報告に対するまともな反論が一切できない中でこれを「動労千葉特化論」などと浅はかな規定を以て「安田一派打倒」、すなわち労働者指導部の打倒を絶叫するに至っています。さらに彼らの「5月テーゼ」に対する得手勝手な解釈が当然にも破産する中で、これ自体を間違いとして否定し「清水−安田体制打倒」を呼号するに至っています。革命的階級としての労働者階級の否定と絶望を、まさに革命情勢が到来する中で党の名を使って組織しているのが彼らの本質に外なりません。彼らの7・27「再建」集会は、国家権力のスパイ分子を平然と呼びよせ、同日付発行になっている「展望」の内容は内戦期を含む党の内実の全面暴露であり、国家権力への全面投降であるということです。今や彼らは、国家権力にすがり党破壊をもくろむ反革命集団に転落しているということです。彼らとの闘いを曖昧にしてはなりません。単純な「すっきりズム」は、間違いだということです。

A 塩川一派による昨年11月の分裂の強行と、これを圧倒する労働者党員とMWL―MSLを基軸とした関西地方委員会の再建勝利を受けた08年冒頭の首都圏党員総会において、帝国主義資本との階級的非和解性に立った「絶対反対論」、これを貫く中で強力に発展する「階級的団結論」、この二つを土台に据えてこそ生み出される「革命的指導者」と「党組織論」、そして国鉄分割・民営化闘争の階級的死闘に踏まえた今日の党の地平について明確にしました。この地平の上に、動労千葉の第二次国鉄決戦としての春闘―ライフサイクル闘争を土台として3・16を頂点とする3月闘争の勝利が勝ち取られたのです。この先頭に立って弾圧を団結に転化し情勢を切り開いたのは、MWLの同志たちです。この階級としての闘いこそが4〜5月の入管闘争、沖縄闘争、部落解放闘争の歴史的再建と高揚の土台となったということです。しかし、他方でこの画期的勝利の地平は、党常任指導部の立ち後れと共に第二次国鉄決戦を基軸とした産別指導部の体制内的あり方としての立ち後れを突き出したのです。08年労働者組織委員会全国会議は、この立ち後れを明確にさせ、切り開いた地平の上に全党が立ち、「サミット決戦」への総決起を形成する場としてありました。そして、この会議を受けてMSLが、自らサミット決戦を先頭で切り開くことを決断し5・28〜29の鮮烈な法大決戦が闘われたのです。この闘いが、サミット決戦情勢を主体的に切り開き、全党に根底的決起を促し、6・29が闘い取られたのです。そして、この6・29が日本階級闘争と11月を根底において規定しています。この党的到達点を明確にさせることと課題を明確にさせることは一体です。

V.マルクス主義の原理に踏まえた戦略・戦術・実践が問われている

@ 帝国主義資本・ブルジョアジーは、労働者階級が資本主義を根底から打倒する革命の主体として自らの団結した力に目覚め、立ち上がることを心底恐れています。そして、ブルジョアジーの支配に屈し、これを動かないものとして前提化する体制内勢力の一切が労働者階級の利益を代表するふりをしながら革命的存在としての労働者階級を否定する役割を果たしてきました。塩州一派もまた同様です。塩川一派との闘争とは、こうしたブルジョア的労働者観から生まれた思想からの根底的決別をかけた闘争であり、私たちがいかにあり、いかに闘うのかという主体的実践と切り離せない闘いなのです。つまり11月集会を水路とする革命に向けて自分自身がいかに主体的に闘うのかということを抜きにした塩川一派との闘争とは、単なるセクト主義にしかならず何も生み出さないのです。

A マルクス主義とは、労働者階級の現実存在の中に資本主義社会の打倒が紛れもなくあるということです。それは、それ以外にないということです。あえて言えば、マルクスの膨大な著作は、それを証明するために書かれたとも言えるのです。ところが、マルクスをあれこれ語りながら、現実の目前の労働者に対してはその様に見据えることができず、彼らの存在と別のところでマルクス主義を展開することがマルクス主義とされてきたのです。例えば、「労働者階級は社会の主人公である」とよく言いますが、現実の労働者階級は直接的にはそうではない、だから主人公であることを教えてやることがマルクス主義であるという様な展開になります。あるいは「職場闘争委員会」が決定的だからと言って、それ自体が現実の労働者階級の存在と闘いの発展から生み出されてきているにも関わらず、それと別に党中央決定として外側から押しつけられていき、主体的闘いを失速させていくということも起きています。これは、マルクス主義ではないのです。労働者をその階級的本質から捉えることができないことと、ブルジョア社会が強制する直接性への屈服が一体であるということです。要するに土台においてブルジョア支配の結果に屈したところでマルクス主義を展開する背理に陥っているということです。

B MWL−MSLは、職場・街頭において、さらには法大決戦において階級的団結を武器にしてこの限界性を突破し、生きたマルクス主義を貫き階級情勢を主体的に切り開いてきたのです。問題は、古くからの党員や産別、常任指導部がまずもってこの生きたマルクス主義の核心に立ちきれるかどうかにあります。いかなる戦略や方針も、このマルクス主義の核心的思想を土台としなければ勝利に結びつかないということです。11月集会1万人結集とは、生きたマルクス主義の根底的貫徹の上に切り開かれることを明確にしましょう。

W.革命的情勢・時代の主人公は誰か

@ 米帝を基軸として成立してきた帝国主義戦後世界体制の崩壊が、米帝の没落と共に急速に進んでいます。1971年のドルショック(金ドル兌換停止)から74〜5年恐慌によって帝国主義の相対的安定期が終焉しました。サミットは、米帝ドル体制の終焉が帝国主義世界体制それ自体の根底的崩壊をもたらすことから、本質的に信用を失ったドルを基軸通貨として通用させるために国際帝国主義が「協調」するために始まっています。そして、米帝の危機の深まりと共に乱造されたドルを米帝に環流させ、米帝資本が増殖を続けるために新自由主義政策とバブル経済が生み出されてきました。この推進軸となってきたのもサミットです。08年洞爺湖サミットは、米住宅バブルの崩壊によってもたらされた07年のサブプライムローン危機の爆発に端を発した世界金融恐慌と悪性インフレの到来に対し協調はおろか一切の展望を示せないことが明らかになりました。これに続くWTOでの新多角的貿易交渉の決裂も歴史的なことです。帝国主義のブロック経済による保護貿易と市場争奪戦が世界戦争をもたらしたということから、世界大戦後IMF−GATT(関税と貿易に関する一般協定)体制が構築されWTOに改変されてきました。米帝と中国、インドの対立による決裂とされていますが貿易においても一切の協調が成立しなくなった。
 こうした中で発表された日帝の4―6月期決算は、米帝におけるサブプライムローン危機の爆発の深刻さを明確に示しました。北米におけるトヨタの収益がなんと98.6%減し、日本全体の貿易黒字が86%減しているということです。そして、日帝の最大の輸出先が米帝から中国になったのです。ところでその中国経済もまた米帝に対する輸出を生命線としているのです。実際オリンピック終了と共に中国経済は、危機に突入しています。しかも、中国も日帝もその資産の大半をドルとしてもっているのです。米政府系住宅金融公社(GSE)二社の破綻は、日帝がその証券自体を大量に保持していることのみならず、ドルの大暴落の危機として日帝や中国の資産それ自体の崩壊をも意味しています。さらに、基軸通貨の暴落とは、資本主義商品経済の崩壊であるということです。まさに国際帝国主義とりわけ目帝にとって破局的な危機が到来しているということです。  そして、この最中にグルジアに対するロシア軍の侵攻が始まったのです。その根本には、カスピ海油田をめぐる米帝とロシアの争闘戦があります。世界金融恐慌情勢下で戦争が火を噴いたということです。グルジアがあるカフカス地方は、民族、宗教が交錯し戦争が瞬く間に一気に広がる危険性は、第一次大戦の口火となったバルカン半島以上だとも言われています。帝国主義体制の危機が戦争に転化しているということです。

A こうした情勢の中で、日帝資本と福田政権は出口のない危機に突入しています。空前の景気後退と労働者階級人民の怒りの反乱にさらされて、国家・地方財政の出口なき危機にあるにも関わらず、プライマリーバランスそっちのけで財政投入が叫ばれはじめていますが、これは日帝資本の救済策でしかありません。「骨太方針8」にも明確なように、社会福祉の削減と公務員労働者攻撃を水路とした労働者階級総体の総不安定・低賃金化攻撃を徹底的に推し進めようとしています。すでに米帝市場の崩壊という中で、トヨタなど日帝中枢資本は、派遣労働者切りをはじめています。要するに、危機と矛盾の一切を労働者階級に激しくしわ寄せしていくということです。内なる階級間戦争が激化しているということです。

B このような時代と情勢の到来に対して、まず以て私たち自身が階級として腹を固めなければならないのです。資本などに一切の未来はない。労働者階級にこそ展望があるということを今こそはっきりさせ、貫かなければならないのです。それは、時代と情勢の主体は自分自身であり労働者階級を先頭とする人民自身であるということです。私たちは、戦後革命期の資本主義体制内的あり方に無意識的に浸かり続けてきたのです。情勢を語ること。革命を語ること。戦略や戦術、方針を語ることも、実は階級の存在の外側で語ってきたのです。時代・情勢の主体は階級そのものであり、階級としての自分自身なのです。これまでは、何か情勢や方針は党中央が上から与えるものであって、自らがその主体としてではなく客観主義的、解説的評論的に語ってきたということなのです。これ自体がブルジョア思想への屈服であり非マルクス主義だということです。

X.党派選択としての11月

@ 私たちの最大の党派性とは、資本主義と闘うことにあります。そして、資本主義は人間の労働力を商品化し、資本はその剰余労働―不払い労働によって増殖します。資本主義は、労働者の搾取によって成立しています。資本相互間の競争は、労働者の際限のない不払い労働の拡大―搾取の強化をもたらします。労働者階級が、人間として生きるためには人間本来の共同性=団結を武器に資本による「競争と分断」を打ち破り、資本主義を打倒しなければなりません。労働者階級の人間としての誇りこそ、資本主義を根底から打倒する力です。しかも、労働者はいかなる労働に従事しようとも資本主義社会そのものの土台を担っているのです。資本や体制内勢力が、その直接性に基づいていかに労働者を惨めで哀れな存在に仕立て上げようとも本質は違うのです。したがって、資本主義と闘うことが最大の党派性であるということは、現実の労働者の中に隠されている革命的存在性に依拠して闘うということに外ならないのです。

A それは、労働者の「資本主義の墓堀人」としての労働者階級の存在と闘いを低める一切と闘い抜くということでもあります。これは、資本主義そのもの、これを前提とした体制内諸勢力との党派闘争の最大の核心なのです。さらにまた、党内闘争や労働者自身に対する向き合い方においても階級的自己を低めるあり方との闘争が最大の核心なのです。ここに踏まえない一切の論議や組織的実践は、階級闘争の巨大な前進を生み出さないということです。戦後革命期の敗北とその後の階級闘争の体制内化は、「労働者階級は革命的階級ではない」という思想によって成立してきたのです。諸党派による党派闘争が激しく闘われてきましたが、労働者階級の闘いを前提としながら労働者階級は革命的階級ではないということが横たわってきたのです。これは、あくまで日帝支配の相対的安定期を前提とした党派闘争であったと言えます。この相対的安定期の終焉を刻印する国鉄分割・民営化攻撃に対して、DCを先頭とする私たち以外の一切の政治党派がこれと闘えなかったということは、まさにこの階級観の違いにあります。そして今や帝国主義が、新自由主義攻撃の矛盾が世界革命情勢をもたらしている中で、もっとも重要な核心は労働者階級こそが革命的階級であるという点にあるのです。つまり、私たちが他の政党と根本的に異にする党派性はここにあるということです。「党は階級そのものである」ことに反対した、塩川一派が資本や国家権力と一切闘えなくなっているどころか反革命集団に転落していることを見てもこれは明らかなのです。

B MWL−MSLの青年を先頭にすべての世代と人民が団結して闘い抜いた6・29は、私たちだけが鮮烈にサミット決戦を闘い抜けたという点において、全国全世界に党派選択を問うたということです。青年たちが、労働者階級が、そして全人民が私たちに急速に接近しています。しかし、多くの同志たちがいまだ自ら切り開いた情勢に気がついていません。なぜ気がつかないのか。そして、共に立ち上がりはじめた青年や労働者たちを失望させてしまうのか。その核心的問題は、彼ら彼女らの存在の中にこそ革命があり、それを階級的に生き生きと発展させていくことに労力を投入しているのではなく、依然としてその外側から革命が語られ、情勢が語られ、路線や方針が押しつけられていることあります。11月集会は6・29で主体的に切り開いた情勢と階級的地平の上に立ちきって、労働者階級人民に根底的な党派選択を迫っていく過程です。11月集会一万人結集が、階級と人民自身の根底的要求になり、獲得が獲得を呼び、根底的決起が新たな決起を呼び起こしたとき、それは必ず実現できるのです。したがって、まず以て党派性の根本的鮮明化が決定的であるということです。

Y.「第二次国鉄決戦」を基軸とする全地区全産別の戦略・路線をはっきりさせよう!

@ 本年11月集会に至る今週決戦から09春闘を巡る情勢は、米帝サブプライムローン危機の破局的進行が日帝資本危機へ転化し、国家地方財政の破産的危機を進行させると共に、何よりも6000万プロレタリアートとりわけ2000万青年労働者の4割を占める不安定・低賃金労働者を直ちに直撃するということです。日帝福田政権の政策の核心は、「5つの安心プラン」などあたかもソフトなイメージを打ち出しながら「社会福祉」費用をさらに徹底的に削減し、公務員労働者200万を不安定雇用に叩き込むと言うことにあります。つまり、青年労働者に対する矛盾の強制と公務員労働運動破壊をまさに一体の攻撃として激烈に推し進めるということなのです。日本全休をさらに大資本の搾取と収奪に都合のいいように大再編すると共に戦時体制を構築する「道州制」の最大の桎梏としても「地方自治」と「公務員労働運動」はあるということです。「賃金据え置き」と「労働時間」の緩和なる人事院勧告は、公務員労働者が今立ち上がることを抑止するための徹底的なペテンです。攻撃は、止むことなく始まっているのです。

A こうした中で、いまなぜ国鉄「1047名」解雇撤回闘争の解体が進められているのでしょうか。国鉄闘争とは「新自由主義」攻撃との闘いです。労働者派遣法が国鉄分割・民営化攻撃と一体で導入されたことに端的に示されているように、今日の階級情勢社会情勢そのものを根幹において規定してるのが国鉄分割・民営化なのです。「1047名」国鉄闘争の解体とは、「解雇撤回」を20年以上闘っても結局無駄なのだということを日本労働者階級とりわけ200万公務員労働者に突きつけるための攻撃としてあるということです。つまり、労働者階級の背骨を叩き折るための核心的攻撃なのです。そこに階級的本質があります。青年労働者をはじめとする日本労働者階級総体への攻撃と、200万公務員への攻撃、そして国鉄「1047名」闘争解体攻撃は、日帝の階級意志においてまさに一体なのだと言うことを明確に捉え切る必要があります。連合も全労連も国労指導部も、そして今や塩川一派をはじめとする脱落分子たちに至る一切の体制内勢力が、国鉄闘争の階級的核心的位置を曖昧化し、これを売り渡し、現在の階級闘争の総体を敗北に導こうとしているのです。

B 現在日本労働者階級総体が、資本主義国家や個別資本に依存して自己の展望を見いだすのか、それとも労働者階級としての団結によって主体的に情勢を切り開いていくのかが例外なく厳しく問われる段階に入っているのです。資本主義それ自体が断末魔にあるのですから、労働者個々の直接的状況もまた例外なく厳しい状況にあるのです。そしてそれは、加速度的に進行します。労働者階級が人間として生き残っていくためには、決然として階級として団結し闘いに立ち上がる以外にないのです。動労千葉は、ブルジョア国家が総力をあげた国鉄分割・民営化攻撃に対し、直接的には絶望的にしか思えなかった闘いを挑み今日まで闘い抜き、新たな展望を切り開いています。「蟹工船」を見るまでもなく帝国主義資本による支配とは、恐怖で震いあがらせ分断し団結させないことにあるのです。侵略戦争は、帝国主義資本の本質の究極的現れです。しかし、この人間存在の根底的冒涜は、絶えずより深い人間的怒りを生み出し、資本主義を根底から打倒する力となって自らに返ってくるのです。体制内指導部こそがこの資本と労働者階級の非和解性と階級的団結の発展への転化を押しとどめ、帝国主義資本への幻想を組織し、敗北を強制し続けてきたのです。第二次国鉄決戦とは、党と動労千葉の階級的地平を今秋来春決戦において全産別全職場に貫いていくということです。そして、一切の闘いを通じて青年との強烈な団結の形成による根底的獲得へと意識的に結びつけていくことです。

C 11月から来春に向けて「生きさせろゼネスト」が提起されています。世界も日本も根底的にゼネスト情勢に入っています。漁民、農民に続いてトラック労働者が立ち上がっています。さしあたり体制内派が、怒りに押されて体制内的に組織したものであっても、そこにはそれに止まることのない怒りを土台としたゼネスト情勢があるのです。しかし、だからこそ一点の火花としてのストライキを実現していくことを軽んじてはならないと言うことです。この階級本体における一点の火花をめぐって、資本・権力と体制内派は全重圧をかけてくるということです。この激しさを見据えきらなければならないと言うことです。要するに、ストライキを雰囲気的にもてあそぶのではなく階級自身の闘いとして、真剣に追求していくということです。日帝足下の今日段階におけるストライキとは、その脆弱性と危機の深さの故に激烈な闘争を通じてはじめて実現し得るし、反動に打倒されることなく発展させられるということなのです。ストライキには、革命のヒドラが宿っている。労働者階級が、階級として生き残るためにはストライキが必要だ。それは「生きるためのストライキ」としてはじまるが、それに止まることなく生産を止め、社会を止めることによって職場と社会の主人公が労働者自身に外ならないことが明らかになるからです。「生きさせろゼネスト」が提起されていると言うことは、決して軽い問題ではないのです。戦略的路線的に、自らの闘争の場においていかにストライキ闘争への発展を切り開いていくのか。その真剣な準備のためにマルクス主義的ストライキ論の武装が同時に必要とされているのです。

Z.プロ独党としての革命的課題−プロレタリアートと共に闘う全人民決起としての11月

@ 労働者階級の存在とは、資本主義社会そのものであるということです。したがって、労働者階級の存在そのものに革命が隠されています。資本主義社会は、私有財産制による資本の増殖を原理とする商品経済社会であるが故に、その資本主義的生産原理に集約されない人間社会としての基本的問題を解決できないばかりか、この点においても矛盾を拡大していくことになります。いわゆる農業・農民問題や中小商工主問題だけでなく、教育、医療、高齢者問題など資本主義社会においても社会的には不可欠の課題でありながら資本主義的生産に集約されず対立する課題との矛盾を激化させていくということです。今日の「新自由主義」的市場原理主義の全面的適用は、こうした人間社会としての基本的課題の全面的放棄―切り捨てとして結果し、矛盾を極限的に激化させているのです。こうした面においても資本主義社会に対する怒りが全面的に吹き出しています。

A こうした怒りは、労働者階級が「資本主義の墓堀人」として団結して闘うことを基軸としてこそ資本主義の打倒へと正しく結びつけていくことができるのです。つまり、プロレタリアートの闘いと別なところにこれら諸矛盾の根本的解決はないということです。逆に言えば労働者階級には、自らの存在と闘いの中にこれら資本主義においては解決できない一切の課題の解決の展望をつかみ取り、全人民的に提起していく責任があるということでもあります。これは、プロレタリア独裁権力樹立の根本間題なのです。全人民的問題の解決の道は、資本主義の中にはなくプロレタリア革命の中だけにあることを明確にして共に革命に立ち上がることを呼びかけ、組織していくということです。与田一派も、塩川一派も労働者階級の上に立ち、しかも労働者階級に絶望しながら「諸戦線」の闘いを描き出そうとして破産を重ねてきたのです。要するにプロレタリア独裁を否定するなかで「諸戦線」の豊かな発展自体の展望も奪い続けてきたのです。私たちの「諸戦線」の原理とは、プロレタリア革命の中に全人民の解放の展望があることを明確にし、プロレタリアートと共に闘う人々(援軍)を組織していくことにあります。プロレタリアートの存在と闘いを否定したところには何の展望もなく、それ故生き生きとした運動展開などないということです。

B こうしたことをしっかりと土台において、11月集会それ自体を、そして来春の闘いを「プロ独」の今日的貫徹としての意識性を貫いて勝ち取っていくことが重要です。6・29は、その決定的土台としてもありました。10代から80代まで、部落民から障害者に至るまで一切の分断を超え団結し戦闘的デモを貫徹し、解放感に満ちあふれました。私たちは、これを徹底的に拡大しなければならないのです。韓国の100万ロウソクデモは、子供たちの決起が水路になっています。子供たちは競争に駆り立てられ、老人や、病人や障害者は「役に立たない」から早く死ねというのが最末期資本主義の本音なのです。私たちは、全ての人に怒りの決起の水路と結集軸を用意し、全ての人にプロレタリアートと共に活躍する場を与えなければならないのです。帝国主義資本による一切の分断を許さないということが、労働者階級の階級的団結なのです。11月集会を労働者階級の決起を基軸とした全入民的団結の場としよう!

[.全党総決起の実現に指導部としての責任がある

@ 6・29から8月闘争を打ち抜き11月集会決戦に向けて2ヶ月となった今日、後ろ向きの議論は一切通用しません。時代や情勢が、その主体としての自分に対し、11月集会の勝利のために何を求めているのか、何をなすべきなのかを完全にはっきりさせるということです。6・29の今ひとつの総括とは、マルクス主義党としての核心的破壊としての分裂攻撃を打ち破り、かつてない団結と戦闘性を生み出し、国家権力との闘いにおいて自己解放性と階級的喜びに満ちた闘争を実現しながら真の意味での総決起を実現し得なかったという点にあります。あれほどすばらしい集会とデモに、多くの人をその主体として参加させる機会を奪ってしまったという点における指導責任の問題です。全員が弾圧・逮捕を恐れず闘い抜いたという点においては確かに素晴らしい。しかし、多くの同志が自分は決起するというところに止まってはいなかっただろうか。弾圧・逮捕が問題なのではなく、いかに階級的団結を組織するかが問題であったはずです。そこに、分断への屈服はなかったのか。6・29が真に素晴らしかったが故に、こうした点で悔いを残したことも明確にしなければなりません。11月集会にこの様な禍根を一切残してはならないということです。全党員、全階級と団結し、その総決起を実現することに指導部の責任があるということです。

A そしてさらにはっきりさせなければならないことは、6・29を頂点とする08年前半の革命的前進がラジカルであったが故に、日帝国家権力、体制内勢力、そして塩川一派等が11月集会破壊のために密集して襲いかかって来ているということです。08年における日本階級闘争の最大の激突点が11月集会であるということです。これらの諸反動を見据えきりそれをはるかに上回る戦闘意志と組織的実践行動がなければ、1万人結集はおろか、死重をかけた反動に押しつぶされてしまうということです。簡単に言えば、現在の延長では勝利できないということです。とりわけ指導的同志には、楽観を排し勝利に向けた厳しい「読み」が必要であり、「階級的団結論」を徹底的に貫いた路線と方針形成が必要であるということです。自分が主体になるということは、自分が一切に責任を取っていくということなのです。この2ヶ月決戦の過程とは、本質的に革命に向けた飛躍であり、支配階級への核心的飛躍を賭けた過程であるということです。ブルジョア支配を打倒するプロレタリア革命とは、所有として認識される自己自身と決別し共同性=団結の中に生きることによって成し遂げられるのです。所有としての生死をも超えて、プロレタリアートが決然と立ち上がったとき革命は必然化します。労働者に責任を取ろうとすればするほど、日々資本主義体制支配の一切との格闘になります。だからこそ「折り合い」をつけることが楽に思えるのです。指導部の責任とは、資本主義支配の一切の現れと対決し、それを見抜き労働者階級を勝利に導いていくということです。11月集会の勝利に責任を取るということは、資本主義支配とこれに屈服した勢力との鋭い党派闘争によって切り開かれるのです。この勝利に責任を取っていくと言うことです。人間的に暖かいことと、資本主義支配との闘いにおいて厳しくあることは一体なのです。今や、一切の体制内派が、青年と我が党に敵対を深めていることを見れば、それは歴然としています。

B 我が党には、時代と情勢を主体的に切り開く真に革命的MWL−MSL指導部が形成されています。彼らは現在各1000名の指導的部隊を形成するための必死の格闘を行っています。他方日共は、この1年間に約1万の党員を拡大したといわれています。それも30歳以下と60歳以上だといいます。青年と高齢者です。最末期帝国主義の危機のしわよせが直撃している世代です。青年や高齢者の怒りを資本主義の枠内に抑えようとする日共は、これを突き破る階級闘争の革命的発展によって必ず破産を突きつけられます。それ故に、とりわけ革命的青年たちを叩きつぶそうと襲いかかってきています。しかし問題は、私たちが青年や高齢者の怒りとまだまだ正しく結びつき組織できていないという現在的現実が突きつけられているということです。それは、産別委員会・地区党が真に団結し活性化しておらず党員の志気が低いこと、と同時に時代に対応する戦略的組織体制の布陣ができていないこと。またそこでの宣伝・扇動戦が、時代の変化と労働者階級人民の意識の激変に対応し切れていないこと等の組織的課題を突き出しています。それはまた、党的結集軸を求めて労働者階級人民が急速に接近しているのに、それを真っ向から獲得しようとしない鈍重さの問題。そして拡大してもそれを指導部や細胞形成に向けて育てることができない基盤的力量の問題を一体的に突き出しているということです。

C マルクス主義の学習と実践とは、党的階級的指導部建設における死活の掛かった戦略的課題なのです。現実に起きていることへの対応や対策に終始しているだけで新たな創造的前進は生まれないのです。口を開けてエサを待つひな鳥の様であってはなりません。マルクス主義の学習とは、学習したら直ちに自分が学習会を組織するということです。その核心は、一点労働者階級こそこのどうしようもない資本主義社会の墓堀人であり、革命的階級であるということを深く鮮烈に伝えていくと言うことです。そしてまた、職場や地域における資本や体制内派との党派闘争を通じて革命的階級としての自己を自覚し強烈に打ち立てていくということです。学習と実践が分離されたとたんに、マルクス主義ではなくなるのです。動労千葉労働学校を軸に各地で労働学校が開設され、それ自身が青年労働者の組織化の武器となっています。しかし、問題は参加者が直ちに学習会を主催できるような活動家にするという意識性に貫かれているかどうかです。あえて言えば全党員が学習会の組織者となり、労働者人民と共に闘う実践者にならなければまったく情勢に対応できないという状況にあるということです。他者依存ではだめだ。自分がオルグし、自分が学習会を組織し、階級的団結を総括軸に実践する。この様な無数の運動の連鎖を土台にしてこそ地殻変動が生み出されるのです。

D 階級そのものとしての自己を鮮明化させてきた我が党の根本的課題は、戦略的路線的思考の弱さと共に、基盤的組織的弱さの問題です。地区党は、レーニン主義に基づくプロレタリア独裁を革命に向けて今日的に貫徹していく組織形態としてあります。したがって労働者の職場細胞建設が基軸となります。これが基軸的に打ち立ってこそ、戦線的全領域が位置付き生き生きと発展することができます。その逆ではありません。しかし、厳密な意味での職場細胞を形成しこれを軸として運動展開している地区党は数えるほどしかないのです。プロレタリア革命の戦略的必要性から地区党建設方針が生み出されたにも関わらず、内戦期を通してこの点においてもそのオーソドックスな原理的原点が歪められてしまっているということです。これが地区党を基盤とした党全体の組織的脆弱性を規定しているのです。これをはっきりと見据えなければなりません。職場細胞無しに、厳しい職場闘争の攻防に勝ち抜くことはできません。またこれを基盤とすることなく地区党が強靱に発展していくこともありません。階級として党として勝利し抜く根拠地が細胞なのです。闘争し細胞をつくる。これが党建設なのです。ですから、青年の獲得はこの細胞性の強化によって前進していくと共に、青年自身を党細胞の組織者へと意識的に育て上げていかなければならないと言うことです。これも主体の外側から抑圧的にもたらされるのではなく、勝利するためには何が必要かをはっきりさせていく中で彼ら自身の主体的行動に転化していくのです。

E 08年前半の闘いは、宣伝扇動戦の重要性とその一定の勝利性を開示しました。重要なことは、宣伝扇動戦自体が党の階級的組織的団結の現れとしてあるということです。団結を形成するための宣伝扇動戦であるということです。したがって、ここでも説明や解釈を展開するのではなく、自らが時代と情勢の主体として徹底的に怒り、行動提起していくことこそが労働者大衆の決起を呼び覚ましていくことが明確になったと言うことです。このことをしっかりと土台に据えた上で宣伝扇動戦における技術的領域についてもどん欲な深化を勝ち取らなければいけないということです。ブルジョアジーはその圧倒的物量や技術を駆使して宣伝扇動の領域をも独占しています。しかし、ブルジョアジーの限界性とはその宣伝扇動や技術自体も商品化され、根本的に虚偽であるということです。しかも、その技術自体の発展も、実はプロレタリアート自身の労働によって生み出されているものなのです。労働者階級の深く広い獲得と共に、ブルジョアジーが独占している武器は階級自身の武器に転化していくのです。労働者の階級的獲得とは、社会自体の奪還の過程としてあるのです。こうした構造に踏まえた上で、我々自身の宣伝扇動の内容も階級自身の訴えとして一層の深化を勝ち取って行かなければなりません。ここにおいても資本や体制内勢力との真剣な党派闘争を貫徹していかなければならないのです。街頭宣伝やビラの内容もキーワードやスローガンが重要になっています。階級大衆が振り向き、食らいついてくる言葉を探すことが重要になっています。11月集会に向かう過程の中で、宣伝扇動戦を徹底的に重視しよう!

〈以上〉

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