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1.長文のため3分割して掲載します。今回は【下】です。 2.※印は原筆者によるもの、【 】内は管理者によるものです。

全党回覧(改訂版)

3・14労働者蜂起の経緯
〜フェニックスとしての報告と総活【下】

06・07・15:文責・毛利

(12)2月終わりから全国連大会(※3・5〜6)をはさむ最後の2週間は、文字通り3・14への吶喊過程だった。

(i)最後の2週間の主要な行動と攻防は、以下のようであった。
★2・27(月)第14回フェニックス
★2・28(火)関西地方委指導部会議〜3・1(水)拡大地方委指導部会議合同会議
★3・3(金)大阪府委員会労働者LC会議
★3・5(日)〜6(月)全国連大会
★3・5(日)大阪府委員会労働者決起集会
★3・7(火)第15回フェニックス
★3・10(金)3・14行動隊意思統一会議
★3・11(土)第16回フェニックス
★3・12(日)〜13(月)夏木同志が連判状を集約した(※いずれも夜)。
★上記の期間に藤崎同志が与田・遠山邸のCM撮りを貫徹した。

(A)第14〜16回(最終)フェニックス
@与田・遠山を100%間違いなく仕留めることを最重要の課題として確認した。
 彼らに100%の確度で革命的鉄槌をうち下ろすためには、何としてもOZ【前進社関西支社】を戦場にしなければならない。事前の情報の漏洩は、与田らによる先制攻撃を許すか、少なくとも「センターでの関西地方委指導部会議開催」etc.の策動に走らせる可能性があった(※「先制攻撃」といっても敵の兵力は限られており、命がけで「与田・遠山のためにたたかう」者など与田の僅かな私兵でしかないことは明らかであった。したがって、奇襲や個人××【せん滅】を許さないことがポイントであった)。こうした余地を絶対に与えないために、3・14のその日まで、一方で労働者同志間で連判状を細心の注意を払いつつ大胆に押し広げるとともに、他方で3・14蜂起計画と蜂起の体制を絶対に秘匿し、防衛し抜くことを確認したのである。すでに述べたように、われわれは3月6日から事実上の蜂起戦体制に突入していた。敵の重大な動向が次々と明らかとなってきたからである。ここでフェニックスは一つの方針変更をおこなった。われわれは当初、広山、武藤、加藤の諸同志については、2人1組のチームをつくり、12日〜13日にかけて決戦的オルグを行う計画であった。与田・遠山の実力打倒を貫徹することと一体で、最後まで関西地方委指導部会議メンバーの獲得と関西地方委指導部会議内多数派の形成による政治的・組織的打倒を追及【追求】しようとしたからである。しかし、このオルグは、これら3同志の1〜2月のあらゆる言動から見て、たとえサザンクロスを突きつけてもなお与田への通報の危険をはらむと判断し、断念したのである。党と労働者同志の命運のかかった蜂起であった。敗北は無論、どんな失敗も絶対に許されない蜂起であった。こうして、3・7フェニックスにおいて、労働者蜂起として「3月14日、午前9時半、OZで与田・遠山実力打倒」をたたかいとることの一点にすべてを集中しきることを確認したのである。
A蜂起の軍事上の戦術、体制etc.の詰めと部隊の意思統一。
B大阪府委員会・奈良県委員会・A細胞の労働者同志への直接のオルグ、連判状による組織化に3・14直前まで総力をあげた。3月3日、5日の大阪府委員会労働者決起集会、12日のA細胞労働者フラクをかちとることを重視し、取り組んだ。
C全党への総決起を訴えるアピール文、3・14蜂起宣言文の検討と作成、etc

(B)2・15及び3・1の拡大地方委指導部会議は戦線と地区委員長・労対会議の合同会議について。
@これは直接には、1・31関西地方委指導部会議における「分派規定」問題の公表と与田自己批判の要求、さらに特にわれわれによるベルリンにおける与田の問題性の、批判をめぐる激烈なやりあい、「3対6(※事実上は7)」の採決結果のなかで、与田が「塩川には地区委員長・労対会議指導の責任を任せることはできない」と主張したために起こったことであった。つまり、与田は毛利を解任し、塩川同志を地区委員長・労対会議に起用したものの、その革命的闘いの展開を前に、僅か3ヶ月あまりで完全に破産し、もはや与田が信用できる手駒は西島ひとり(※遠山を主催者とした場合、ほとんど「登場即打倒」となる)となってしまった結果、拡大地方委指導部会議を西島主催の合同会議として開催せざるをえなくなったのである。
Aさらに2月20日には、2・13「与田同志および関西地方委指導部会議の諸同志に謝罪と自己批判を要求します」(革共同兵庫県委員会)につづいて、県委員会の意見を集約した椿同志署名の「与田同志及び関西地方委指導部会議の諸同志へ」と題する文書が出された。これは、「与田レター」に関する関西地方委指導部会議一人ひとりの見解を明らかにせよ、この問題に関する関西地方委指導部会議と県委員会との公開された合同会議を開け、2・13県委員会文書を関西地方委員会の諸組織・諸機関に公開し、討議に付せ、などとともに「2・16につづいて、3・1拡大地方委指導部会議も合同会議として開催せよ」という要求を与田に突きつけたものであった。
 こうした内外からの攻勢に激しく追いつめられて、与田は合同会議を受け入れざるをえなくなったのである。
Bこれは、重要な勝利であった。
 2回の合同会議は、蜂起派による与田・遠山らにたいする徹底批判をとうして、拡大地方委指導部会議全体を一気に獲得する集団オルグの場となったのである。2回の徹底討論の中で、圧倒的大多数の同志は何が起こっているかを直感的につかみ、個別のオルグを受けることとあわせて、急速に蜂起の陣営に結集していったのである。  こうしてわれわれは、すでに述べたように、3月はじめの段階では中央への与田の除名要求、遠山の除名決議に必要なそれぞれ2分の1、3分の2を満たす票を拡大地方委指導部会議において確保していた。
Cなお、2・28関西地方委指導部会議で与田は、毛利はホッケーをめぐる自己批判を拒否するために「分派問題」の総括と自己批判を要求していると非難し、「毛利自己批判問題は提出されるまで討議を凍結する」と一方的に通告、「分派規定〜撤回」をめぐる与田と関西地方委指導部会議の自己批判と総括の討議を行うことを全面的に拒否した。与田は全国連大会を目前に控え、われわれもすでに3・14蜂起の貫徹あるのみという意識であったから、この日の議論はほとんど双方突っ込むこともなく終わった。

(C)2・27フェニックスで、椿同志が3・14蜂起直後の拡大地方委指導部会議で全関西党員総会を中央・各地方の代表をも呼んで開催する案を提起し、4月2日に兵庫県内の会場で開くことを決定した。

(D)3・14前夜における労働者党員同志の革命的総決起の様相
@3月3日午後9時、大阪府委員会の4名の指導的労働者同志が、フェニックスとともに3・5大阪府委員会労働者決起集会〜3・14蜂起にむけての意思一致のための会議を開催した。フェニックスからは、塩川、神山、毛利が出席した。
 冒頭、3・14労働者蜂起の意義、経過と戦局、3・14計画の全体像とイメージなどについて簡単に提起し、討論に入った。
 土橋同志は、準備してきた「大阪府委員会建設の課題についての意見 大阪府委員会・G、DB【土橋】 O6・3・3」を配布の上で、「与田・遠山を倒したあとどういう党をつくるのか。中央を含めて党をどうつくりかえるのか。与田・遠山は、6回大会路線と違うことをやってきた。その総括が必要だ。労働者自己解放とそれに根ざした労働者党建設の具体的展望を出さなければならない」と、3・14蜂起の核心的課題を与田・遠山打倒の決意とともに述べた。この意見をめぐって「なぜ関西の党指導部が私党になるのを許したのか。6回大会路線がつかみとられていなかったという問題だ。それは、プロレタリア自己解放の党の組織論がどうだったかという問題とかかわっているのではないか。6回大会は民主的にかちとられたと言えるのか。全国委員はどのようにして決まったのか」「党の路線はプロレタリア民主主義がないと絵に描いた餅だ。6回大会路線が打ち出されたのにプロレタリア民主主義がない。岡田意見書の魂は『革命の主体は労働者であることを認めろ。軍令主義を廃止してプロレタリア民主主義をつらぬく党になれ。この点で党はハッキリ転換してくれ』というところにある」「与田の私党の発生は党内民主主義の欠如がひとつの原因。私党を許したのは関西は与田でいくという議長の判断が大きな原因、中央の責任は重大だ」「3・14は党の生まれかわり。大阪府委員会はまず3役の解任と集団指導体制づくりから始めるべきだ」etc.etc.の重要な討議が行われた。  最後に、全員3・14蜂起の最先頭に立ち、絶対に勝利しようと誓いあって会議を終えた。
 3・3会議は、大阪府委員会労働者同志がその内に胚胎する自己解放と党の革命的変革を求めてやまない巨大なエネルギーと意志を、3・5決起集会を跳躍台に3・14、さらに大阪府委員会の労働者的再建にむかってともに解き放ってゆく決定的な場としてかちとられた。
A3・5大阪府委員会労働者決起集会(※全国連大会第1日目夜、大阪市内の公共会場)。
 各産別の中心的諸同志、民間拠点、労対の諸同志をはじめ、6地区12名の労働者同志が参加した。フェニックスからは、塩川、神山、毛利が出席した。3・14蜂起の意義、現在の攻防情勢、3・14計画についての若干の提起ののち、直ちに討論に入った。  与田・遠山の腐敗への怒りとともに、なによりも連中による長年の分断と抑圧の生々しい体験にたいする怒りが堰を切ったように口々にかたられた。遠山の財政的不正への怒りの声があがり、有田同志は「百万円を貸してくれ」と言いながら返済を拒否し続けてきた遠山を怒りを込めて弾劾した。
 われわれがこの1〜2月討論してきた大阪府委員会のほとんどの労働者同志は、常任の多くがいろいろな理由をあげてさまざまな形で躊躇したのとは画然と違い、事実を知るや即座に決起を決断した。誰も、例外なく遠山による分断と抑圧、デマと恫喝、労働者蔑視などをそれぞれの直接的経験の形と内容は相違しても受けてきたからであった。この日ここに来た同志達もまったく同じであった。「この日を待っていた」「遠山から受けてきた無茶苦茶な仕打ちが何だったのか、サザンクロスを聞いた瞬間『ああ、こういうことだったのか』とわかった」「何度もあきらめかけてきたけど、やってきてよかった。決意しています」etc.みな、胸の内のすべてのおもいを吐き出し、決意を語った。  金治同志(※D地区=北摂)は「遠山は革命軍からの逃亡分子だ。私は断じて許さない。こんな卑怯者を大阪府委員会の委員長にするなど許せない。世界革命運動史上類例のないことだ。与田・遠山打倒に断固として決起する」と烈々たる決意を述べた。また、大伴同志(※C地区=泉州地区党、反軍戦線)は、「このたたかいの核心は軍事問題だ。倒すか、倒されるかのたたかいだ。勝利するまであなた方(※フェニックス)は絶対にやられてはならない。軍事的決着をハッキリさせて与田・遠山を打倒しよう」と実力打倒への断固とした決意を述べた。
 最後に、当日の行動方針(休暇を取れる同志は朝〜昼から、無理な同志も勤務が終わり次第地区の同志たちにOZへの結集を最大限呼びかけて駆けつけよう)と、3・14に向かって全力で連判状での決起を組織し、12日、13日の集約場所に集中することを確認した。
 こうして、3・14への労働者蜂起がうなりをあげて最後の全力疾走に突入した。 B3・12A細胞決起集会。12名が結集した。フェニックスからは塩川同志、芹同志が出席した。
 全員が2時間かけ、早瀬同志のサザンクロス告発文書、3・14緊急アピール、毛利文書(※05年1・15報告書など)などを読み、討論した。
 「ロザリオ問題が解明された。サザンクロスが原因だったのだ」「与田の不正を利用して志賀が独裁権力を握って佐田さんを追放したんだ。本当に許せない」「05年2月の地方委員会の自己批判には私も納得していない」「これでやっと出発点に立てる」「細胞指導部会議に労働者が1人も入ってない。2月の地方委員会の自己批判では、労働者を入れることになっていたのにデタラメだ」「私は指導部の問題だと思っていたが、自分たちA細胞のメンバーが決起しないとダメだ」「闘わずして屈服したらすべて終わりだ」「退路を断てば何でもできる。断固決意してたたかう」「ロザリオに加担した自己批判をかけて決起する」「私たちの力で党とA細胞を変革する」など、労働者同志の怒りと決起を柱とした3・14蜂起の決意と新たなAの細胞的団結の歴史的出発点が闘いとられた。  内田同志(※医師)は、与田との長年の関係をめぐる葛藤の上、最後に断固決断した。それに先立つ数ヶ月の党内情勢に危機感を深めていた。2月下旬のA細胞主催のカニ旅行に芹同志を誘い、そこで「関西地方委指導部会議で何が起こっているのか。情報が断片的で偏りがあって、A細胞のメンバーは困惑している」と事態に対する正確な判断材料の提起を真剣に求めた。芹同志が「後日きちんと話したい。気を入れて聞いてくれ。決意しておいてくれ」と述べたことに、内田同志は「どんなことでも驚かない」と答えた。蜂起の直前の11日、芹同志がサザンクロス・ロザリオ問題の核心と3・14の蜂起計画を提起、翌12日のA細胞フラク会議への参加を要請した。内田同志は、「12日のフラクに来ることがあなたの決意だ」という芹同志の提起に1日考えぬき12日に結集、14日労働者同志とともに与田・遠山打倒のたたかいを断固としてたたかいぬいた。
Cさらに、地区党をはじめ各組織で緊急会議が開かれ、決議があげられた。
★3月7日、ZER(※戦線のコード。入管闘争、女性解放闘争、「障害者」解放闘争、沖縄闘争の諸戦線)は、与田・遠山の除名など「緊急アピール」の4項目要求断固支持、3・14蜂起への総決起を全員一致で決議した。
 なお、それに先だって、女性解放、入管、在本土沖縄、反軍の各戦線はそれぞれ独自に決議をあげていた。
★3月7日、大阪府委員会・F地区(※東部)の月谷(教労)、古賀(教労)の両同志は、蜂起の呼びかけにたいし、即座に決起を決断し、決起した。
 遠山のもとでの10数年の言葉に尽くせない苦闘の日々を不屈に闘ってきた両同志は、退路を絶って闘うことを決意し12日、地区の労働者全同志とともに緊急の会議を開いた。同志達は、サザンクロス、ロザリオ、分断と抑圧、暴力と労働者蔑視などの与田・遠山の階級的犯罪を怒りを込めて断罪し、ただちに地区委員会の全員一致で「緊急アピール4項目」支持の決議をあげた。そして、F地区の労働者同志は蜂起の日、全員「意見書 2006・3・14 吉田」の決起宣言を全関西・全国の労働者党員に発して総決起した。
★大阪府委員会・C地区(※泉州地区委員会)の労働者同志たちは、すでに1ヶ月前(※2月13日)決起を決意していた円同志とともに、蜂起直前、緊急会議を開催し、与田・遠山の除名など4項目要求を断固支持し、与田・遠山を打倒する決議をあげて、全党総決起のアピールを発して立ちあがった。国賀6選の絶対勝利をかけた選挙戦の投票日をわずか2ヶ月後に控えたすさまじい決戦のただ中での労働者同志たちの決断と総決起であった。そして、泉州地区委員会の労働者同志たちは選挙闘争に3・14革命をつらぬいて徹底的にたたかい、そうして3・14蜂起の歴史的地平をさらに発展させるものとして5月14日、堂々たる当選・勝利をかちとっていった。
★3月12日、大阪府委員会・D地区(※北摂)の杉下同志は「決意と感想」で、与田・遠山による「金権腐敗と秘密主義と私党化」「兵庫県委員会・京都府委員会=分派」規定、「関西地方委指導部会議=地方委員会」なる「非組織的行為」「芹同志=S【スパイ】」規定などを徹底的に弾劾し、与田・遠山打倒の闘いの先頭に立つことを表明、同時に全労働者同志に総決起を訴えた。
★3・14当日、土橋同志は「大阪府委員会の6J路線に立った労働者党再建に向けて労働者党員の渾身の決起と団結を訴える! 大阪府委員会・大阪府委員会建設と課題についての意見 DB 06・3・14」という労働者党員みずからの力による与田・遠山打倒と大阪府委員会の労働者党としての再建の闘いへの決起を訴える宣言文を発し蜂起の最先頭にたってたたかった。
★長崎同志のベルリン批判と蜂起への決起のアピール、有田同志の決起宣言は3・14以前に出され、当日配布された。
※手許に原文がないため、アピールが発出された事実の紹介にとどまりました。
申し訳ありません。
★以上のたたかいと並んで、高まる緊張と高揚の中、大阪府委員会・A細胞をはじめとした数多くの労働者同志の間の真剣な討議が3・14前夜遅くまで繰りひろげられ、一人ひとりが歴史的選択を主体的に決断し、細胞の決議をあげ、連判状に署名し、決起していった。
(※上記以外にも組織、細胞の決議があげられ意見書が出されたが、資料がなく収録できませんでした。大変申し訳ありません)

(13)3・14〜3、15〜3・20。

(@) この過程は、打倒された与田・遠山、西島、およびこれと結びついた政治局をはじめとした中央指導部内部における永瀬【水谷】同志などの私党集団との死闘の始まりであり、そうしたかつてない重大な党内情勢に決定された産まれたばかりのプロレタリア権力によるみずからの生死をかけた中央の獲得と変革のための必死の闘いの過程であった。

(A)3・14(〜拡大地方委指導部会議を中心に)。
@闘いの全体像〜すでに述べたとおりなので割愛する。
A3・14拡大地方委指導部会議決議事項(2006年3月14日)の全文は以下のようであった。
 塩川三十二、毛利晋一、神山史朗、西良幸、椿邦彦、吉岡史朗、早瀬七郎の7名による「全関西の革共同の同志への緊急アピール」(別紙)を、以下の訂正をして共同の確認とする。
・冒頭で、関西地方委指導部会議、拡大地方委指導部会議は、与田・遠山による党の私党化に加担したことについて、深刻に自己批判し党再建のために闘うことを付け加える。
・P5、25行目の「1年間」を「半年間」に訂正する。
・P6、12行目の「部落解放運動以外の」を削除する。
1.拡大地方委指導部会議が、決議・軌行権を持つ関西地方委員会であることを再確認する。
2.関西地方委指導部会議を解体し、全員を罷免する。広山・武藤・久保田・加藤・西島については、地方委員と全役職を解任する。
3.臨時の拡大地方委指導部会議の主催を塩川がおこなうこと。
4.臨時の拡大地方委指導部会議構成メンバーを以下の通り確認し合同で開催する。
 塩川・神山・毛利・中西・椿・西・津山・夏木・牧瀬・小田・松井・堀尾・住田(欠席:水口・岩城)
5.毛利同志の処分の解除と復権
6.全国委員会と政治局に対して、与田の同盟からの除名を要求する。関西地方委員会としては、いかなる形での党への復帰も許さない。
7.遠山を同盟から除名する。
8.西島については、党の一切の役職を解く。全国委員解任を要求する。
9.この問題に対する政治局と全国委員会の指導責任を明らかにすることを要求する。
10.関西地方委員会の臨時執行体制を以下のように確立する。(岩城同志がここから参加)
1)議長:塩川、書記長:毛利
2)臨時拡大地方委指導部会議は、労働者同志を半数以上とする構成の指導体制を確立するためにたたかう。
11.労働者同志を実体的に主体として拡大地方委指導部会議および大阪府委員会(大阪府委員会)の再建に着手する。
12.4/2(日)に関西の党員総会を招集する。
 ※ここで、部落青年戦闘同志会の解体と地区党への再編すべしとの意見が出た。
13.各種委員会を拡大地方委指導部会議の権限で招集し、再建する。
14.3/15、17=00〜拡大地方委指導部会議を招集する。この会議については、傍聴者をふくむ参加者全員が発言権および議決権をもつものとする。
15.3/19東京集会に可能な限り結集する。
   3/21集会(大阪・扇町)に全力結集する。
16.大阪府委員会を毛利同志が招集し、当面の責任をとる。
※3番の項目のみ賛成12、保留1。残りはすべて出席者の全会一致で決議。
※岩城同志は第10項の討議から参加したが、議決は棄権した。

(B)3月15日。

@この日も朝から休暇をとって来た労働者同志をはじめとした数多くの同志たちが社に詰めかける。昨晩からそのまま泊まりがけの同志も多い。いくつかの組織は、夕方から予定されている天田書記長はじめ政治局メンバーが参加する拡大緊急地方委会議に向けて会議を開き、討論している。労働者同志たちがフェニックスメンバーに次々に質問し、あちこちで討論の輪ができる。
 他方、社の諸同志は3・14蜂起関係の膨大な文書のコピー作業をフル回転でおこなった。労働者の意見書や声明、連判状、地区委員会をはじめ各組織の決議文、「緊急アピール」、ベルリン討議や「分派規定」にたいする批判の諸文書、「分派規定」関連の旧関西地方委指導部会議メンバーの報告書類、ロザリオ関係の諸文書、etc.労働者同志たちは何時間もかけてそれを読んだ。

A昼前、本社から熊沢【天田】名で「与田、遠山、西島、久保田、広山、武藤、加藤、牧瀬をすぐ釈放されたし」の電報が入る。いったいどういうことなのだ。打倒した3人は14日夕方、その他の旧関西地方委指導部会議の4人も久保田同志を最後に(※15日午前1時40分)全員釈放している。中央が、牧瀬同志を拘束しているという判断をした根拠は一体なんだ。そのような事実は一切ない。直ちに、「すでに全員釈放完了」の返電を打つが、きわめて奇怪な動きである。

B夕方、本社から伝令で鷹取同志が来社した。天田同志からの文書の内容は驚くべきものであった。以下はその全文(※結集方針の部分は略)である。

毛利同志、塩川同志、中西同志
3月15日 天田
前略
(1)受理した「全アピール」は政治局の全同志へ配布し検討しました。
 党中央に対して、問題は極めて厳しく提起されていることを全政治局は受けとめました。
(2)しかし、問題を徹底的に民主的に進めてもらいたいと提起することで一致しました。現状を13日の時点へ戻してもらいたい。すなわち、与田同志、遠山同志その他関西地方委指導部会議の同志の身柄を直ちに釈放して貰いたい。
 このままの事態の推移は、警察の介入と大弾圧を招きます。関西の全同志を絶対に不要な弾圧にさらしたくない。
 すでに、14(火)、法政でデモを行った学生29名全員を逮捕しています。戦時下階級闘争です。予断を許しません。
 絶対に警察の弾圧を招くことは中止し、現状をもとに戻し中央との討議を開始することを訴えます。
(3)具体的には、20(月)午前10:30から政治局と関西地方委指導部道具会議・拡大地方委指導部会議の討議を本社で開催します。
 そのためにも与田、遠山、その他関西地方委指導部会議同志の拘束を直らに解除してください。
 出席者は、政治局と関西地方委指導部会議全員。拡大地方委指導部会議は、署名している、神山同志、西同志、椿同志の参加としてください。
 結集方法は、……(略)
 従って、本日 天田が討議に参加する予定は中止させてもらいます。
 20(月)の本社の全指導部による、組織的討議に付します。
 以上の項目を真剣に検討して貰い、関西からの伝令を速やかにお願いします。
 追伸:
 学生戦線逮捕による、全国ガサ情勢です。完璧な対策をお願いします。
                              敬具

 午前中の電報、天田書記長の前日の確認を完全に覆す文書から党中央内外で重大な異変が起こっていることが窺える。直ちに、蜂起指導部の緊急会議が開かれどのように対応するかについての検討に入った。まず、誰もがみなこの文書にたいする激しい怒りを述べ、弾劾した。
「現状を13日以前の時点へ戻せ」というのは、文字どうり3・14労働者蜂起の全面的否定である。3、14に決起した150人の労働者同志の総意を足蹴にするものである。与田・遠山による前代未聞の不正・腐敗、そのための党の私党化、これに対する労働者の怒りの決起を前にして、これが党中央のとるべき立場か。与田・遠山の腐敗を実際には擁護している。この絶対に許すことのできない階級的犯罪を犯した与田・遠山らを“同志”と呼ぶ政治局とはいったい何なのか。党の歴史上かつてなかった重大事態が起こっているときに、現場に駆けつけ労働者の意見を聞き、当事者から聴取し、正確な事態の掌握と判断を行おうともしないというのはどういう感性なのか。こんな非常時に本社にふんぞりかえったまま、20日に出て来いなどふざけるんじゃない。どうしようもない官僚の集団でしかない。完全に中央指導部として失格ではないか。書記長が政治局メンバーと一緒に15日に来るという約束を反故にしたのは許せない。与田から呼ばれたらすぐ来たのに、約束も破って「今度は行きません」という。昨日の「支持する」というのは何だったんだ、本当に許せん。中央がなぜこんなとんでもない結論を出すことになったのかハッキリさせてもらう必要がある。この文書はちょっと見るとレターの格好だが、内容は単なる連絡ではなく政治局決定の伝達だ。絶対に許せない内容だが、政治局決定文書として受け止めて、全力で対応してゆくことが必要だ。全面的反対をすぐ表明すべきだ。それと、政治局会議には誰々が出たのか。誰がどういう主張をしたのか。この点も、絶対にハッキリさせる必要がある。etc.etc.

 討議の結果、以下の方針を決定した。
 この討議にふまえ100%拒否の態度を表明する。3月20日にサッカーを予定しているというのであるから、この日にあわせ緊急拡大地方委指導部会議をOZで開催し、ここへの政治局メンバー全員の参加を要請する。以上の趣旨を明らかにした文書を塩川同志の責任で作成し、再度討議・検討の上で、夕方からの緊急拡大地方委指導部会議に提出、全体討議で最終案を作り、鷹取同志に持ち帰ってもらう。

@3・15拡大地方委指導部会議について。
★天田同志の文書を読み上げ、内容を確認した。
 拡大地方委指導部会議は百数十人が結集し、OZ2Fは怒りの大爆発の場と化した。とりわけ、労働者同志の怒りは言葉に言い表すことのできないすさまじいものであった。何よりも「13日の時点に戻せ」には驚愕と怒り、憤りが全体をおおった。
 古河同志(※OZ車両部)、佐々木同志(※社細胞))が与田・遠山の腐敗を満身の怒りで断罪し、「3・14政治局決定」を弾劾、多くの労働者がそれに続いた。「与田や遠山とどこがちがうんや」「政治局というのはここまで腐っとるんか」「ふざけるな、絶対許さんぞ」「全員この場に引きずり出せ」etc.etc.
 長い間の支配と抑圧に苦しみながら不屈に闘い続け、ついに自ら力で与田・遠山を打倒した労働者同志たちは、その思いのかけらも受け止めず全面否定した政治局の「決定」にたいする満腔の怒りを大爆発させ、しかしそこにとどまることなく自らが党をつくり、指導部となってゆくのだという気概に燃え立ってこの日の討論を白熱的に繰り広げていった。

★天田同志への返信の原案が塩川同志によって提起された。拡大地方委指導部会議の討議の結果、これに「20日10:30に、政治局全員がOZに来て、拡大地方委指導部会議および連判状に署名した希望する同志の傍聴のもとで会議を行うこと」を付け加えて返信レターとすることが全会一致で確認された。
 以下は、その全文である。

天田同志へ
2006年3月15日
関西地方委員会(拡大地方委指導部会議)
  文責・関西地方委員会臨時議長・塩川三十二
 天田同志のレター(3月15日付け)で提起されている方針は、3月14日にOZで開催した拡大地方委指導部会議に出席した14人全員とOZに結集した150人の労働者党員全員の総意を無視するものです。絶対に応じることはできません。
 第1に、与田、遠山、および西島はすでに、3月14日午後4時に、自らの意思で自由に動ける状態でOZを出ており、またその他の旧関西地方委指導部会議の同志全員は、「拘束」状態などにはなく、ほとんどの同志がすでに支社を出ています。したがって、警察の介入と大弾圧の可能性は直接には存在しません。むしろ3月14日に関西の党がとった行動はサザンクロス問題を口実とする大弾圧を未然に阻止するために必要なものでした。
 第2に、関西地方委指導部会議を招請すると言われていますが、3月14日に開催した拡大地方委指導部会議で採択した決議の第2項目で関西地方委指導部会議の解体と全員の罷免を決定しており、関西地方委指導部会議は存在しません。西島を除く、旧関西地方委指導部会議の同志も、全員が関西地方委指導部会議を辞任する意思を表明しています。
 第3に、拡大地方委指導部会議は神山、西、椿同志の3人のみを招請すると言われていますが、中西、津山、夏木、牧瀬、小尾、堀尾、住田、水口、岩鬼同志は呼びかけに応えて連判状に署名し、松井同志も3月14日の拡大地方委指導部会議で呼びかけの項目に賛成しています。拡大地方委指導部会議は地方委員会として全員が同格であり、全員を招請せず、中央の判断で特定の同志のみを招請することに応じることはできません。
 第4に、党の最高指導部は問題が発生している現場に赴いて責任を果たすべきです。与田・遠山が要請したときには天田同志は、直ちに現場に駆けつけた(しかも彼らと事前の意思統一を行い、彼らの車に乗車してOZに来た)。その天田同志が、3月15日に他の複数の政治局員を帯同してOZに来社して関西地方委員会と討論するという約束を反故にし、日時・場所を変更した招請を行われることは信義に反するものであり、受け入れることはできません。政治局全員が、3月20日(月)午前10時30分に、OZに来て、拡大地方委指導部会議および連判状に署名した全労働者党員の前で、討論に応じて、結論を下すことを要求します。
 第5に、与田・遠山は、関西地方委指導部会議の最中に意見の相違を理由に、塩川を殴りつけるといった所業を働き、さらに与田は、塩川・毛利を「反革命」と規定しています。党を除名され、または除名要請がなされているこのような人物(しかも2名とも3月14日にOZを退去する際、「党を辞める、除名決定に従う」と言明しています)と同席して会議に参加することを求めることは、党中央として無責任きわまる対応といわざるをえません。今回のレターで提起されている全内容の撤回を求めます。

★拡大地方委指導部会議は、以下のことを決議した。
 「与田・遠山が横領した金(今後調査して判明する額)の全額を返済させること」 ★さらに、以下のことを確認した。 ・3/20(月)朝 10:30〜 次回拡大地方委指導部会議とする。  可能な傍聴者は、参加し、評議に加わる。 ・4/2(日)党員総会への総結集をかちとろう。 ・連判状をあつめよう。新たな党の団結をつくっていくものとして。 ・4/2にむけて  拡大地方委指導部会議への立候補声明を口頭でもいいから準備する。  意見・議題案は事前に堤出を→当日、印刷・配布する。

D労働者同志の意見書は3月15以降も絶え間なく出されていた。
・「3・14蜂起を受けての意見表明と自己批判 大阪府委員会・マル青労同準備委員 高瀬 2006・3・15」
・「3・14蜂起に思うこと、及び決意  700C 金子  06・3・18」
・「700(※大阪府委員会のこと)A細胞  安達  960318」
・「呼びかけ文の内容に関する疑問・意見  OC(※大阪府委員会・A〔大阪市〕地区)TD(※多田同志)」       ※日付はついていません
・「7OOA 多田 060319」
・「新たな地方委員会の構成に関する意見  兵庫県委員会 20O6年3月20日) ・「全国の同志に訴える  社・佐々木」
・他にも、多々あり。
※上記の意見書は、3・20頃までに出され、かつ手元の資料で確認できたものです。漏れがあった場合は、お許しください。なお、3・20以降も多くの意見書が出されていますが、ここでは割愛させてください。

(C)3月20日。
@18日午後、3月17日付け政治局決定が本社伝令の同志によって届けられた。
 その要旨あるいは趣旨は、以下のようであった。
・拡大地方委指導部会議が、関西地方委員会の決定・執行機関であることをあらためて厳粛に再確認する。
・与田の腐敗を全面的に弾劾する。そしてその究明を深めると同時に、それは政治局全員の自らの責任であり、全面的に自己批判する。
・与田に対する徹底的弾劾は、全国連とその闘いに対するいかなる対立でもなく、またいかなる対立となることもあってはならないことを確認する。
・以上の最終決定は、非公然政治局との革共同としての一致の闘いが必要であり、一定の時間がかかる(超短時間でおこなう)。
・処分問題は政治局へ一括預かりにして討議を経ることを通して結論を出す。

A緊急拡大地方委指導部会議は、早くから労働者同志が詰めかけ、午前10時半から午後6時まで社2Fは立錐の余地がない状況のもと、のべ200人をこえる参加者全員のすさまじい集中力と熱気のなかでかちとられた。
★会議全体の流れ、進行としては、
・「3・17サッカー決定」について、書記長からの経過と内容の報告、これにたいする諸同志の疑問、質問と応答、討議、
・与田・遠山の不正・腐敗、さらに2人と西島による党の私党化、党破壊に関する具体的罪状の報告、これを受けた労働者同志たちによるさらなる罪状の具体的告発・暴露と怒りの表明を軸とした討議、
・会議全体を貫くものとして、書記長にたいする党中央としての指導責任にたいする労働者同志の激しい批判・弾劾、それに対する書記長の応答をめぐる討議
・塩川同志の「T.3・14労働者蜂起の意義 U.今後の闘いについて」の提起と討論、
 として進められた。
★多くの労働者同志が、なぜ党中央はこのような与田・遠山の不正・腐敗、私党化について長期にわたって見過ごし、容認してきたのかという、まったく当然な疑問と批判・弾劾をたたきつけた。
 書記長は、労働者同志の弾劾と批判に対し「率直に言って、これまで与田の問題性と対決するのにたじろぎがあった。かれが部落民出身の共産主義者であり、同志会・全国連の最高指導者であることでたじろぎがあった。今回の事態の大きな原因がそこにあった。労働者同志をはじめすべての同志のみなさんに心からお詫びし、自己批判します」「与田・遠山の不正・腐敗を徹底的に断罪する。与田・遠山打倒の闘いを断固支持する。しかし、打倒されたのは与田・遠山だけではない。わたし自身が打倒されたのだ。今回の事態をまさにそうしたものとして受け止める」「現在、中央政治局内外でとんでもない謀略が渦巻いている。政治局の一部のものが『3・14は塩川らのクーデター』とか『書記長がこのクーデターの首謀者だ』というデマを流している。わたしは、こうした陰謀を粉砕し、ここに結集した労働者の同志のみなさん、すべての同志のみなさんの闘いの正義を断固支持し、みなさんとともに闘うことを誓います」と決意を表明した。書記長が労働者同志の必死の弾劾と批判にたいし真剣な向き合いと格闘をとおして表明した決意に、参加した同志たちは「異議なし」と拍手で同志的信頼を表した。
★書記長の発言、早瀬同志による「サザンクロス問題」、神山同志による「ロザリオ問題」、毛利による「分派規定」問題および「西島の罪状」問題に関する提起が行われたが、それを前後して多くの労働者同志はじめ諸同志が発言した。
 以下はその極く一部である(※諸同志からの聞き取りでできるだけ正確を期しましたが発言の厳密な再現ではなく、あくまでその趣旨です。また、順不同です)。
・安達同志(※マル青労同。大阪府委員会・A[大阪市]地区党)
〜与田はあるときからマル青労同に関わりだしたが、まったく無責任だった。マル青労同の私党化が狙いだった。
・森村同志(※A細胞・下田部)
〜「ロザリオ問題」について、与田はペテン的自己批判以降も、そのペテン的「決着」にたいして批判するA細胞の同志にたいして「兵庫県委員会,京都府委員会は分派」と同様に、「分派規定」をもって屈服を追ってきていた。党中央はこの「ロザリオ問題」について事実を知っていたのか、知っていて与田を支持してきたのか。この問題について党中央の見解を明らかにしてほしい。
・大久保同志(※兵庫県委員会・A地区党)
〜「ホッケー討議」では、宝塚教科書闘争について「請願書」の文言だけを取り出して、この闘いの勝利性やその意義を全面否定している。それどころか、兵庫県委員会は偏向しているとか、分派であるなどという許し難い論議が行われている。われわれは、必死で新指導路線を実践してきたんだ。現場に身を置いて闘ってきたものとして絶対に許せない。宝塚教科書闘争の経過と報告をパンフとしてすでに出している。これを書記長に是非読んでいただきたい。さらに、議長に必ず届けていただきたい。
・松下同志(※兵庫県委員会・B〔神戸〕地区党)
〜与田は、「兵庫県委員会,京都府委員会は分派]という許し難いレッテルを貼って屈服を迫ってきた。「ホッケー会議」をもってこれを正当化してきた。議事録を読んだが、事実の歪曲、でっち上げられた事実にもとづいて討議されている。このどこが新指導路線なのか。議事録は、中央の自己批判をもって全文削除されるべきだ。
 与田の党破壊の罪状に付け加えたい。95年阪神大震災時、兵庫県委員会・神戸の労働者党員全員が被災した。その日すぐ皆で連絡をとりあい、長期間、避難所で生活しながら、被災したすべての労働者と労働相談・生活相談などをとうして支え合い、合同労組、要求者組合を組織して闘ってきた。今も、被災した労働者同志やその家族が様々な困難のなかで闘っているのだ。与田は、こうした労働者の苦しみなど気にもかけず自分の家族が被災したとして、大分に自宅を新築したのだ。そのために、とてつもない犯罪に走ったのだ。絶対に許せない。
・月谷同志(※大阪府委員会・F〔大阪東部〕地区党)
〜三里塚闘争のなかで決起し、革共同に結集した。闘いの中で、すばらしい生き生きとした共同性を実感したからだ。遠山指導のなかでこの共同性が奪われ、形骸化され、地区の団結が分断・解体されてきた。〇〇同志は「発病」においやられた。一方で、自分の中にミニ遠山的なものが生み出されていることを感じていた。ともすれば、展望を見失い、絶望的な気分に陥ることもあった。3・14直前に決起の呼びかけを受け、地区の労働者全員で緊急の細胞会議を開いて、決起を決議した。今この場で、自分が革共同に結集したときのあの生き生きとした共同性を肌で再び実感していいます。
・五井同志(※A細胞・A3支部)
〜遠山の腐敗を許せない。自分の親が亡くなり、その遺産から遠山が「金が必要だから党に貸してほしい」と言ってきた。1200万円を渡した。その後、この件について遠山にどうなっているのか確かめたところ、「いくらか」と問うてきた。当時、口座を確かめていなかったので「1100万」と答えたが、その後口座を確かめ1200万であることが判明したのでその旨伝えたところ、「そんな額も曖昧なもの、信用できるか」と逆に非難され、現在まで放置されている。
・さらに、大阪府委員会の全地区と4大産別の指導的諸同志、京都府委員会・兵庫県委員会・A細胞の労働者同志、学生戦線、マル青労同、同志会、諸戦線、労対、社の数多くの同志が「サザンクロス問題」「ロザリオ問題」「分派規定問題」「高杉スパイ問題」、与田・遠山の暴力支配と非同志的言動、財政的腐敗etc.etc.について告発、徹底的に断罪し、とりわけ労働者同志たちはみずからの力で中央を変革・獲得し、新指導路線の党をつくる気概にあふれた発言で討論の全体を牽引した。
 そのなかで、柴田同志(※大阪府委員会・B〔東大阪〕地区党。国鉄労働者、5・27被告)の発言は労働者同志全体の思いを代表するものだった。書記長の眼を真正面から見据え、与田・遠山の不正・腐敗とこれを許してきた党中央への怒りに身を震わせて「土下座して謝罪しろ」と叫んだ柴田同志の渾身の糾弾は、3・14蜂起に決起した労働者同志の側に「命をかけて」自らの身を置き、「労働者とともに中央は蜂起に決起せよ」と訴え、呼びかけるものであった。それはまた、われわれ地方委員会指導部一人ひとりに突きつけられた弾劾であり、呼びかけであった。
 社の諸機関の常任・専従同志の発言は、3・14蜂起の階級的性格を鮮明に示すものであった。佐々木同志は、与田・遠山の腐敗を怒りをこめて弾劾し、西島の社における党生活の反労働者性、小ブル性を糾弾したうえで「前進社は革命党本部としてよみがえった」と発言した。それは、現場労働者細胞との分断の中で社を懸命に防衛・維持してきた社の常任・専従同志によって革命党本部と地区党、現場労働者細胞との生き生きとした関係の新たな再生にたいする社の諸同志の喜びと確信を代表するものであった。
 最後に、あらためて全体で「3・17政治局決定」を断固支持し、4・2全関西党員総会への総結集を確認するとともに、5・3集会を当面の焦点とした改憲決戦と4大産別をめぐる決戦、泉佐野選挙闘争に全力決起することを確認して終わった。
★3・20は、3・14蜂起の継続・発展としてかちとられるとともに、3・14が呼び起こした与田らと結びついた、政治局の半ばをはじめとした党内における大反動にたいする労働者党員同志によるいわば第二の蜂起、再蜂起であった。
 3・15〜3・20の過程は、与田・遠山・西島と直結した永瀬【水谷】同志らの主導のもとでの超反動的な3・14「政治局決定」、その直後から開始された「書記長首謀」論と与田らによる「3・14クーデター」論、「テロ、リンチ」論の反動的キャンペイン、与田指導のもとでの3・17同志会関西総会における「テロ・リンチ糾弾」「新庄・芹らを処断せよ」「一切を3・14以前の状態に戻せ」などを主張する動向、etc.etc.との「3・14労働者蜂起」が倒すか倒されるかの党内闘争、党の反動的分裂を許すのかどうかをかけた死闘の本格的はじまりにおける党の生死をかけた攻防の過程であった。
 こうしたすさまじい情勢の中で、3・20は、労働者同志をはじめとした全同志による10時間近くの白熱的討議を通して、3・14蜂起の階級的大義への確信と勝利の展望を打ち固め、なによりも蜂起した労働者同志による天田書記長の断固たる獲得を達成した闘いであった。それゆえ3・20は、こうした地平を媒介として3・14蜂起を全党的=全国的な〈党の革命〉の開始としてゆく決定的な戦略的道筋を切り開くものとなったのである。

 労働者同志による、党中央から九州をはじめ全国の〈党の革命〉は、いまだ3合目にすぎない。不退転の決意で全党・全国で徹底的に完遂しよう。  開始した〈党の革命〉を徹底的に推し進め、11月労働者集会1万人結集、06〜07年改憲阻止決戦の階級的大爆発をかちとり、反帝・反スターリン主義世界革命、日本プロレタリア革命の勝利へ前進しよう。

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