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毛利同志にかかわるHockey討議

05.12
西島

1)

 与田同志の要請で、Hockey【2005年の清水丈夫氏主宰の関西指導部との会議】での毛利同志にかかわる討議を清水同志の提起でまとめた。毛利同志自己批判の実現を関西地方委員会指導部会議の共同の闘いとして前進させるための討論の一助としてある。

2)

清水同志の提起は、@宝塚請願書問題、A岡田意見書問題、B直木同志イラク行き問題、C戦争問題、D四大産別決戦問題、E「偏向が出てきてよい」論、F党組織論、解党主義、関西地方委員会指導部会議の細胞的団結問題と多岐にわたるが、いずれも核心問題である。以下、討議順に書いてゆく。なお、各テーマごとに最初にポイント的なことを書いた上で、正確を期すために、議事録から清水同志の提起を再録することにする。

3)清水同志の提起

(1)宝塚請願書問題  批判の核心は、文科省の学習指導要領と中山文科相の肯定、近隣条項の無批判的援用にたいしてである。

「学習指導要領問題。これは、「つくる会」教科書を採択してください、ということ。『要望書』の第4項目までは「つくる会」教科書採択要請だ。われわれがこれを「日の丸・君が代」不起立闘争の労働者に見せたら袋叩きにあう。区議会決議の方がまだよい。中山を肯定している。(3)、(4)は、中山が言っていることに依拠している。戦術もくそもない。極悪のファシスト的人物を肯定している。これはちょっと。われわれは「つくる会」教科書阻止闘争を全力でやっている。もうすこしきわどいものかと思えば、まるで問題外の代物だ。それが現場でどのような効果があるというのか? 基本的部分が全部書かれてある。そのとおりやってくださいということだ。学習指導要領の肯定の仕方が限界を超えてしまっている。それはちょっと違うのではないか。「つくる会」教科書阻止闘争の内容での武装、これを見てアレルギーを感じることがないような武装しかしていなかった。とうてい最後まで読めない。それと闘うということがなかったら党にならない」
「近隣条項でやるならもっと生生(なまなま)でやれ。近隣条項を使うのであればレトリックとしてならやれる。それもわれわれの本質的暴露があって初めて可能なのだ。学習指導要領とか中山発言とかいう必要は全くない。何の批判もしないで学習指導要領が立派だと言っている。中山を肯定している。やる必要はない。やってはならない。これを出したからぎりぎり阻止できたというようなことはない。杉並なんだ。8.4だ。わぁーと集まったのも8.4で杉並が阻止したからだ」

(2)岡田意見書問題
 7点にわたって全面的に批判された。「奇貨」という用語にみられる党の敗北をよしとする態度に対する根底的批判がなされた。

「『岡田意見書』は、@都議選闘争総括で、都議選を「つくる会」教科書阻止闘争方針で闘うことに反対、A教労で「つくる会」教科書阻止闘争を闘うことに反対、B政治闘争を闘うことに反対、C国家権力を打倒するということと党の問題が致命的。彼の論理からは党は出てこない。『共産党宣言』の引用も一方的、彼の論評。では、なぜ労働者階級は自分たちの党をつくらなければならないのか? マルクス、レーニンとはまったく無縁の思考=思想、D四大産別決戦に反対、大反対。中小零細これだけが労働者、E新指導路線の理解、ほとんど経済主義と市民主義で大衆を獲得する、F分派は自由だということを、レーニンを引用して分派の自由のみを主張することは許されない。『なに・なす』【レーニン著『なにをなすべきか』】の「批判の自由」と同じ、純粋に経済主義」
「『奇貨として述べる』と言っているが、何が奇貨だ。『革命的』党=祖国敗北主義だ。党が敗北することがよいこと、一種の党の敗北主義、党の敗北を奇貨とする、そんな言葉を使うのか? 最初の奇貨で問題外だと思った。悪戦苦闘している、チャンスとして以下言う、問題にならない。本多さんを引用して、党は政治闘争でつくるとあるが、党は政治闘争でつくれない、ということが確認されたとする。「つくる会」教科書反革命をどうとらえるのか、という問題だ。感覚的に徹底的に粉砕する以外に問題にならない。「つくる会」教科書阻止闘争もやらない、政治闘争もやらない、階級闘争もやらないでは党はできない。経済闘争でも政治経済闘争でしか闘えない。こういう思想が大きい面をしている。こんな精神でいくらやっても党なんかできない。読んでみてあまりにもひどい。党の基本路線の問題と「つくる会」教科書阻止闘争の問題についてどうとらえるのかということで全然すっとぼけているということ。もう一回太平洋戦争をやって負けたらわかるとでも言うのか? 革命党であるかどうかということが本当に迫られた。「つくる会」教科書阻止闘争で都議選を闘ったということは、『侵略を内乱へ』で投票させたということだ。『侵略を内乱へ』で投票してくれた人が7977人、そのように捕らえ返さないとだめだ。そこまで徹底しないと「つくる会」教科書阻止闘争なんか闘えない。あまりにも認識が弱い。そのくせ党が出している課題をあまりに低めた態度をとっている。『前進』なんか問題にもならないということだ」
「岡田批判というよりこれを許している指導の問題として討論した方がよい」

(3)直木同志のイラク行き問題
 毛利同志の「国際連帯」のとらえ方の問題と規律についての指摘がなされた。

 「過去も今も毛利さんの態度は『行ってよい』ということだ。『行くべきではない』という意見がむんむんと湧いてくるというようにはならない。国際連帯とは日本でやること。はっきり言って、脱して行くということになる。3回目に行くといったらどうするの? どうして趣味的行動をとるのか? その人の個人的経歴があってのことだろう。普通の党員、普通のメンバーだったら、行くべきではないと言われたら行かない。日本の労働運動をやるべき。それが、イラクの人々が一番喜ぶのではないか。ぎりぎりで人をつかまえる特例的措置としてなら話はまた別だが、そうでなければ間違いだ。それがわからないということが、工作者なのかと言っている。果たして工作者なのか? それなら指導しなくてもよい、切り合わなくてもよい。俺は、イラクへ行くなんていう人は嫌いだ。本当に行くべきときに行くのかどうか、役にたつのかどうか。党員としての党の規律に従って動くということが、すごく甘く見られているのではないか? ボルシェヴィキは規律の固まり、『鉄の規律』と言っている。『鉄の規律』というのは、この運動に入ったら当然のこと、そのへんのズレがあると思う」

(4)内戦総括について
 毛利同志の「僕ら自身、戦時的発想が染み渡っていて、転換ができていない」という発言、また塩川同志の「兵庫県党の党員の中にPT【フェーズT、先制的内戦戦略の第1段階】、PU【フェーズU、同第2段階】のトラウマがある」との発言に対して、以下の指摘がなされた。

 「PT、PUのトラウマということについて。PT、PUをわれわれは全面肯定だ。それが全体に貫かれているのか? PT、PUを基本的・原則的に正しいとするのが5月テーゼ決定だ。長い討論で、PT、PUの全面的肯定論は圧倒的に少なかった。中野さんもPTはいい、しかし、PUはやめてもよかったのではないか、PUのときに5月テーゼを出すべきだった、という意見だった。これについては討論でわかってもらった。PUはPTがなくなったというのではない。PUの中にPTが入っている。戦争ということを否定的にとらえたらだめ。戦争的発想が間違いだというのは全然問題にならない。軍令がいけないと言っているのではない、軍令主義的あり方が間違いだと言っている。戦争のとき軍令は絶対だ。間違っていても規律を守っていたら半分は生き残る。その時代のもっていた価値として否定するというのは断固闘う。肯定的なものの中にある否定的なものを克服する。後知恵的に『ああやれば、やっていれば少しはやれたな』ということはある。だから、『切り捨て』的にはやらない。新指導路線といったときに、そういうことの中で勉強なんかできなかった。実践の中で勉強してきた。たとえばマルクス主義。指導する常任自身がやれない。本来は、マルクス主義で鍛えられた人間が指導部になってくる。しかし、軍令主義、官僚的になってしまう。絶対に阻止できなかったかと言えば、それはそうではなかったと言えるが、なかなか困難というのが戦争ということの中にある。問題になったもの、失われたもの、阻害されたものを大胆に突き出し回復しよう。原点でこちらの立場と主張をはっきりさせよ。価値的に否定するような言動が見られたら、決定的局面をとらえて、がちんと『それは違う』と言うべき。労働者同志を信頼すればするほどトラウマにかかっている人間とは価値的にはっきりさせなければ根本的な治療にはならない。こちら側の厳とした態度は、非大衆的なものではない」

(5)四大産別決戦について  Berlin【2004年の清水氏主宰の関西指導部との会議】以来の関西における四大産別決戦との毛利同志のかかわりへの指摘と四大産別決戦についての積極的提起がなされた。

「去年のBerlin、四大産別決戦という問題が関西で貫徹されていない。言われたかぎり、毛利さんはどういう意見なのか? 四大産別決戦をやるという意見があれば、四大産別決戦を軽視していないと感じてしまう。四大産別決戦は相対的に重視する。相対論の世界でだ。なぜ、われわれは四大産別決戦をとっているのか? 確かに飲み込みのいい薬ではない。どうしてもっと全労働者向けの表現にならないのか、敢えて四大産別決戦だと言っているのか。毛利さんは、どういう意味で理解しているのか、と聞きたい」
「価値観として、どんな産別でも価値としては同じでないか? 産別間の価値観ではない。党をつくってゆくとき、戦略的組織的戦線として環をつくってゆく。それが、四大産別ということを設定した。いろんな形でいろんなところでやっている、頑張っている、それでいいんだというのとは違う。超一般的には、何で、ありとあらゆる労働者、労働運動と結びついて地区をつくっていかないんだ、ということになる。チョンチョロゲのわれわれが、どんな形で布石を打ってゆくのか? ある意味では本工を相手にする。それは労働運動全体の帰趨を左右していく。労働運動全体を獲得しようとする党が布石を打ってゆく。本当に限られた人材を的確に配置した場合、われわれはここに入ってくれという選択肢がある。今、われわれは四大産別決戦と言った場合、ものすごい決断をしている。一つは、今的に言うと支配階級の側が官公労の労働組合を吹っ飛ばすことに戦略的重心をかけている。87年の国鉄分割・民営化。闘う側の動きと敵側の動き。二つは、味方の側。ながめわたしたときに、手がかりとして守り抜いたのが動労千葉。全党の力で守り抜いた。このことはかけがえのない拠点で、闘う戦線全体に広げていく。産別的・地区的に地区党建設。5月テーゼ、新指導路線で、主体的勢力がけっこういて、動労千葉があって、動労千葉を軸にして立ち上がってゆくうえで、党が労働戦線で前進してゆける。そうすれば、民間からも動いてくる。三者共闘ということが、動労千葉を軸にして四大産別決戦でやってきたことが芽を出してきた。それが、敵階級の集中攻撃と激突するということになってきた。集中的攻撃が民間から見てみてもよくわかる。もっとも集中的に党としての姿をつくりだして、一日も早く全労働者階級の前に党としての姿を登場させたい。四大産別決戦で勝負しながら、それを取り巻く形で全体が動いてゆく。党建設の観点からの労働運動政策をもって、戦術性、政策性をもって提起されている。それを理解してもらわないとだめ。四大産別決戦の意義を猛然と語らないとだめ。他産別の労働者が四大産別のビラを真っ先に撒く。四大産別決戦が何であるかについては、ずっとわれわれが言ってきたこと。去年のBerlinで基本的討論をして、これでゆきましょうということになった。関西には二労組がある。四大産別決戦に獲得するために刺し違える精神で討論した。その後、やり始めたらすごい。この1年間、一番最後にスタートして一番前に出ている。少し甘いが」

(6)「偏向が出てきてよい」論について  毛利同志の発言の中にある「偏向が出てきてよい」論について、批判がなされた。

「われわれはR運動【革命運動】で相当のことをやってきた。辛酸をなめてきた。仁義は守らなければならない。一番引っかかったのが、『偏向が出てきてよい』ということがのっぺら棒に出てきてよいとすること。新指導路線は、ある種普遍的な方針だけど、狭い意味で労働運動に全力を投入してやる場合、他を顧みていられない、偏向が出る可能性があった。それを『偏向が出ても当然だ』と言っていては話にならない。労働戦線でやることは、革命にとって『これがなかったらだめだ』ということでやっているのであって、傾斜生産方式は矛盾を含んでいる。新指導路線は、PT、PUの否定だと思った人もいた。ついに正道に戻った、と。今までは邪道にまみれていた、と。偏向が出てくる可能性はある。多少は偏向が出てきても、本当に戦闘的に労働運動をやろうとすることであればよい。しかし、あまりにも偏向というのはだめだ。関西生コン弾圧第一回公判への動員のことがあったが、隣の組合が弾圧されているというのは一番のオルグだ」

(7)党組織論、解党主義、関西地方委指導部会議の細胞的確立について  毛利同志の『なに・なす』のとらえ方のズレ、解党主義的あり方が批判され、関西地方委指導部会議での討議と決定の中に生死することの明確化と最後にこの討議を受けて入党申し込み書を出すような形で文書をまとめることが提起された。

「『なに・なす』のとらえ方にずれがあるのではないか? あの経済主義批判、党がなかったらRができないというのは、百万言ついやしても正しい。党が確立したこと、『なに・なす』がなかったらボルはないし、17年はない。スターリン主義が党という縛りをかけて、党が労働組合を引っかき回した。労働者階級がつくりだす党を党としてつくりだす。インテリも一緒に。労働者の党は党の否定ではない。階級が自らを組織する能力を党として実証した。プロレタリア自身の事業としての党建設。労働者階級がつくりだしたものとしてボルがあるんだと言っている(『12年間への序文』)。『なに・なす』がぴったりだ。兵庫県委員会は『なに・なす』で組織する。『なに・なす』を完全にマスターしない人の党建設はありえない。プロ+インテリの党(イデオロギー生産構造でもある)を媒介にする以外に階級は自己を解放できない。党が最高に意識的にふるまって、正しい政策を出すべきだ。党がもっている意識的行為、前衛的あり方が鋭く問われている。ものすごい言い方をすれば、典型的な経済主義と自然発生性が毛利さんの中で起こっている。ラボーチェエ・ジェーロだ。一番接点をもたなかったかもしれないが、それはなめられてしまう。その点で、はっきりさせたほうがよい」
「関西地方委員会指導部会議での討議と決定の中に生死するということの明確化。自分の意見をがんがん言って、決定されたことに対応していく。関西地方委指導部会議との関係で、自分をリジッドに規制する。関西地方委指導部会議の決定したことを全力で貫徹する。そうでなければ、それは完全な解党主義だ。解党主義の立場で何をやっても解党主義、解党主義から生まれるものは解党主義」
「関西地方委指導部会議の中でがんがん言うべき。これでどうなんだ、と。毛利さんは、意見を言わない。しゃべらないというのではない。もっとも激しく自分の意見を言う人。ある意味で自分の意義を押し出す人。ほとんど全員が自分の意見に反対しているのに、自分の意見を言い切っている。それは、組織人として重要な資質。関西地方委指導部会議という基本組織で言いたいことをガンガン言い合う、そういう形で自分のあり方を切り替えることが勝負。これで細胞ができるし党ができる。一人のけっぱり、それが毛利さんにかかっている。ここで一致しても現場が反対するということがある。それはまたぶつけあって認めるところは認める。それと批判が当たっていると思ったら、基本的に当たっていると思ったら、率直に認める。フランクにやる。自分の中でなめらかにいこうとしない。日和見主義とRとの間になめらかな関係、経済闘争と政治闘争との間になめらかな関係をつくろうと必死にやっている。経済闘争も政治闘争を同時に、政治闘争として同時に闘うということでなければいかない。経済闘争の中から政治闘争が出てくるというのは、ラボーチェエ・ジェーロ。先頭にたっている奴が革命思想をがんがん植えつけているからやれるのだ」 「入党申込書を出すような形でしっかりやったほうがよい」

[以上]

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