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本文中の【 】内は管理者による註。見出しは原筆者がつけたもの。

自己批判から逃亡し、テロ・リンチで暴力的党破壊に走った
反中央・反党分子塩川、毛利らを徹底粉砕・打倒せよ

06・3・17
西島

【1】反中央・反党・党破壊分子塩川・毛利らによる3/14「クーデター」について報告し、徹底断罪・粉砕・打倒する決意を明らかにする。

事実経過

(1)

 テロ・リンチによる暴力的党破壊は3月13日(月)深夜からはじまった。西島【註 当時は関西地方委員会の財政責任者】は当日政治組織局会議Bであった。前進社本社から22:00過ぎに帰社した。
 23:00から在社関西地方委指導部会議を開催した。これは毛利がCAPとして主催してきたものを、05年10.18以降は西島が臨時代行として引き受けて毎週月曜日に開催している在社関西地方委指導部の会議である。構成メンバーは毛利、西島、塩川、中西の4人である。性格は関西地方委指導部事務局会議である。この在社指導部会議を15分くらいで終了した。
 2Fに下りて書類を見ていると、23:30頃に京都府委員会のメンバー(西坂、室井、河合)が入社してきた。「緊急呼び出しや」と言いながら3Fに上がっていった。塩川が意志一致のために呼んだものと判断した。この1週間毛利、塩川は社に帰ってこなかったので、明日の関西地方委指導部会議に向けて何かよからぬ策動をしているものと推測していたが、そのための与田不信任=解任動議を出すための京都府委員会の同意取り付けではないかと判断した。この判断は本質的にも実質的にも間違っていないのだが、その後に起こった事態を考えれば決定的に甘かった。そののちに吉岡、早瀬の2人が下りてきて「読んでほしい文書があるんやけど」と言ってきた。西島が「読むのならここで読むからもってきてくれ」と答えると、「いや上に来て読んでほしいんだ」と主張するので無視した。
 なぜ吉岡、早瀬までが来ているのかと思ったが、予め入社して潜んでいたものと考えられる。しばらくして、再度2人が下りてきて「部屋に来て読んでほしいんや」と言うので、改めて「いや、ここで読む」と断ると、いきなり両腕をつかまれて周りからも2〜3人がかけ寄ってきて無理やり屋上の401号室(いつも関西地方委指導部会議をやっている部屋)に連れ込まれた。
 塩川が正面に座り、周りに毛利、吉岡、早瀬、室井とヘルメットをかぶりバットを手にした桐野がいた。西坂が入ってきて「ええかげんに年貢を納めたらどうや」と捨てぜりふを残して出ていった。塩川が「がまんの限度がきた。明日、正式にやるがこれを読んでほしい」と言って三種類の文書を渡してよこした。一つは早瀬が作成した「与田の病院利権=腐敗を暴く」という内容のもの。二つは労対―神山の与田、遠山降格追放を要求するもの。三つは7名連記の弾劾状である。西島よりも先に小田がこの文書を読まされている最中だった。

 西島が読み終えると、塩川が「どう思うか?これは2年かけて与田の病院利権=腐敗を暴くために税務署の裏付けをとって調べ上げた事実そのものだ」と具体的数字をあげながら聞いてきた。早瀬が「これを調べるために命がけでやってきたんだ。これは全部事実だ。これについて西島はどう思うか?」とたたみかけてきた。塩川がさらに「この2ヶ月間、完全にマル非【非公然】で組織してきた。明日は労働者同志が休暇を取って朝7時から続々と社に駆けつけてくる。書記長【天田三紀夫書記長】にも来てもらうことになっている」と言うので、西島が「書記長が来るのか?」と問いただすと塩川は「そうだ」と答えた。この時点で西島は塩川が事前に書記長に話を付けてきてもらうようにしたものと理解した。
 塩川と吉岡が矛先を小田に転じ責め立てた。主要に吉岡が「利権=腐敗についてどう思うのか?」「与田に会いに行っているのは何のためか?」「高杉問題【浅尾松則(組織名・高杉)が公安調査庁スパイであった問題】の時、川添【岸】とおまえで俺を査問したのはどういうことか?」と詰問した。小田は、「与田のことについてはびっくりした。事実だとすれば許せない。監視なんかしていない。与田に会いに行っているのは対スパイ対策委員会の報告をするためだ。予め自分のことを与田派だなどと決めつけないでほしい」と弁明した。吉岡は「わかった。それについては謝る。しかし、それなら今から君が車両部を組織して弾劾の先頭に立つようにさせたら信用する」と迫った。さらに塩川が「君は対スパイ対策委員会の任務と言うことから関西地方委指導部会議の文書を全部読んでいるのだが、これまでにきちんとした政治判断が出来ないことが問題だ」とたたみかけた。これは小田には相当効いたようであった。この後塩川が車両部の全員を集めてアジテーションと意志一致の会議をやったようであるが、ここで小田はひっくり返ることになったと判断する。
 再度、矛先が西島に向いてきた。塩川、吉岡、早瀬らが「これを認めるのかどうか。どうなんだ」と詰問してきた。新たに呼ばれた中西も加わって詰問する。西島が「そんなことは知らない」と答えると塩川は「財政責任者がそんなことも知らなかったのか」と詰問する。西島が「明日になればわかることだ」と言うと中西は「これだけはっきりしているのに明日になればわかるやて」とせせら笑った。毛利が「ふざけるな」と言うので「ふざけているのはそちらの方じゃないか」と反論すると毛利は「何を」と叫んでなぐりかかってきた。同時に早瀬や吉岡、室井が殴りかかり、新たに入ってきた小沢も「お前の書いている文書は全部読んでいるんだあそこで何を書いたんだ」とわめきながら殴りかかってきた。桐野は一番憎しみのこもった目付きでずっとにらんでいたが、いきなりバットで西島の頭を殴ったため額が切れて血が噴き出した。応急手当のため少し中断したが、さらに「開き直るのか」としばらく詰問はつづいた。塩川が「この2ヶ月間労働者同志を含めて完全に秘密は守られてきたんだ」と誇らしげに言うので「そんなことは一週間前にはわかっていた。お前ら2人は外で策謀をめぐらせていたんだろう」と反論すると「それを与田にしらせたのか」と聞いてきた。「誰が知らせるものか。俺は自分の信念でやっているのだ」と答えると沈黙した。詰問の過程で西島がにらみつけると塩川は目をそらせようとした。
 結局のところ、西島が説得に応じないため既定方針であったと考えられる監禁が実行された。ガムテープで手をぐるぐる巻きにして、口にもガムテープをかませて西島の部屋に監禁した。部屋の前には見張りが付き時々のぞき込む。トイレに行くときにも当然ついてくる。最初は、前を巻いていたのを途中ではがし、後手錠方式で後にガムテープでぐるぐる巻きにして、西島の部屋でイスに座らせて監禁し続けた。脱出を考えたが見張りのため不可能だった。  従って監禁されて以降は部屋の外での話し声、本部として使用した306号室から聞こえてくる塩川、毛利、書記長との討議【註 これは翌14日の討議のこと】の断片しかわからない。

(2)3・14深夜から明け方まで

@与田、遠山テロ・リンチ作戦の最後的詰めが行われたと判断される。「センター【東大阪事務所】からの車はいつも9時30分頃到着することになっている」と言う会話が聞こえてきたからである。
A車両部のことは前記の通りだが、他の社部局に対しても最後の意志一致がはかられたものと推測される。

(3)3・14当日

@与田を乗せた車がセンターを出発したという報告があってから社が緊張し始めた。8:00過ぎであったと思う。報告をしたのは当日センターの張り番をしていた前原であったという。乗車したのは与田、遠山、久保田、広山、そして書記長の5人だということが部屋の外での会話からわかった。
A9:20頃、車がOZ【前進社関西支社】に到着して与田以下5人が2Fに入ってきた段階で、ワメキ声が起こった。後で聞いたところでは、与田、遠山がいきなり倒されて両手両足をガムテープで縛り上げられ、目隠し猿ぐつわをかまされ、そこから5時間にわたる殴る蹴るの凄惨きわまるテロ・リンチが加えられた。
B毛利が書記長を伴って3Fに上がってきたことがわかった。書記長が「手荒なことをするなよ」と言うと、毛利は「わかっています。しっかりやります」と答えていた。毛利の言う「しっかりやります」とは5時間半にわたって2人の同志をテロ・リンチで生命の危機にまで追い込むことだったのである。306号室に毛利と塩川が書記長に訴える声が断片的に聞こえてきた。毛利が病院利権=腐敗問題と分派規定問題を訴え、塩川が「書記長のそのような態度が与田のやり方を容認してきたのだ」と追求【追及】していた。
C久保田と広山の2人が401号室へ連れて行かれるのがわかった。「速く歩け」「殺すぞ」と言う声が聞こえてきた。この後2人の同志は翌15日まで暴力的詰問を受けている。武藤、加藤の両同志も同様であったという【註 この点は事実誤認があり、同日中に関西支社から出された人もいる】。
D到着、入社した労働者同志、常任同志にはテロ・リンチでぐったりしている与田、遠山両同志の姿をまず見せつけてから文書を読ませてアジテーション(塩川による)をやったという。
E13:00過ぎ?だったと思うが、2Fにおろされた。猿ぐつわ、後手ガムテープ、裂傷して頭部もガムテープを巻かれて、額から顔面にかけて血がこびりついて居るままの姿を50人ほどいたと思う労働者同志と常任同志に見せつけるためである。彼らの面前で猿ぐつわがはずされ両手を後で縛っていたガムテープがはさみで切られた。与田、遠山の両同志は座らされていた。
F労働者と常任同志による「人民裁判的」詰問がなされた。毛利は前から3列くらいのところに立って見守っていた。主要に発言していたのは、兵庫県委員会の木村、大久保、大阪府委員会の円などの諸同志で、主要には与田の財政問題についてであった。
 13:00頃、種田同志が入社して引き出されたとたんに、なぐるけるの暴行によって鼻血が吹き出した。
 塩川、毛利グループに取り込まれた病院の内田(Doctor)も与田の利権=腐敗なるものの証言に動員されて発言していた。
G2Fに引き出される前に306号室から聞こえてきた毛利の声では「書記長も『君たちの大義がこれだけの部分を組織したということは理解する』と言ってくれた」という意味のことを発言していた。彼らは書記長によって認められたと思っていると判断した。
 また、塩川は「今日の第1の獲得目標は毛利の処分撤回=復権だ」「それと関西地方委指導部会議の粉砕、解体だ」とわめいていた。
H毛利が306号室で報告していた書記長の発言は後で与田、遠山の両同志から聞いたこととも一致する。
 すなわち、書記長は3・14集会出席を口実にして【註 この日の夕方から前進社本社で本多延嘉書記長追悼、カクマルによる3・14反革命への復讐戦貫徹の集会が設定されていた】帰ったのであるが、関西支社を出るとき、2人の同志がテロ・リンチで床に頃がされて【転がされて】いるのを横目にして、塩川、毛利一派と50人ほどのメンバーにたいして、「君たちの大義はわかった」と言ってから出ていったことと完全に一致している。全く何たることか。これが革共同の書記長のやることか。
I14:00前?であったと思う、突然、吉岡が「権力問題があるから与田、遠山、西島を出せ」と言い出した。何人かが「それはおかしい」と異論を唱えたが、吉岡は「今日、法政で26名パクられている。ここにも権力が突っ込んでくることが考えられる。そうなれば、全員逮捕になる。それでもやることはやるのだが、今は全員逮捕はさけなければならない。だから3人を出せ」と言って3人を1Fまでつれていって、沢田同志の運転する車に乗車させた。松井が車が出る直前に下りてきて、与田、遠山にたいして(西島にたいしても)、「もし、敵対行為をやった場合は、軍を発動するから。わかっているな」と言った。
 以上が、西島が知るかぎりでの3・13深夜から3・14の14:00?までの事実経過である。
 

【3】塩川、毛利らの党破壊の反革命を徹底断罪し、絶対に粉砕、打倒することを誓う。

(1)起こったことは、本質的には共産主義者でも革命家でもない小ブル民主主義者塩川と、小ブル倫理主義者毛利による、党と階級とプロレタリア自己解放=プロレタリア革命に敵対する党破壊の3・14反革命一揆である。

(2)綱領や路線論議、組織問題の解決をテロ・リンチで暴力的に決着つけるやり方は革共同としては絶対に認められない党破壊行為である。
 こんなものを認めたら革共同は死んでしまう。
 与田、遠山同志にたいして行われたことは問答無用のテロ・リンチで5時間半にわたって続いたのである。まず初めにテロ・リンチありきは、絶対にボルシェヴィキ党の革共同のやり方ではない。与田同志にかかわる病院利権=腐敗なるものは完全なデッチあげであり、このことを知り抜いている病院のDoctor同志は内田を除いて誰1人として塩川、毛利党破壊分子に賛同・支持していないのであるが、動員された労働者同志、常任同志の中からも「あのやり方はおかしい」という声が上がり始めている。現に、この事態を知ったある同志は、「こんなのはSY【革労協・社青同解放派】のやり方だ」と怒りの声を上げている。
 「利権」問題は完全なデッチあげなのであるが、百万歩ゆずって仮にそれが事実であったとしても、このような初めにテロ・リンチありきというようなやり方が、絶対に許されていいはずがない。

(3)組織性と規律、党の団結と規律という点でも塩川、毛利らのやり方は、ボルシェヴィキでもなんでもなく無茶苦茶である。唯一の地方委員会である関西地方委指導部会議を解散させようなどという権限が中央政治局以外のどこにあるのか。関西には、地方委員会を自己選任・自己解散させる権限などない。
また、与田、遠山の除名処分が「決定」されたというが、これも革共同規約の細胞の三分の二以上の賛同で決定することができる、ということからすれば完全な規約違反である。与田、遠山同志の所属は関西地方委指導部会議なのだ。この関西地方委指導部会議で2人の同志の除名など、動議として出されたことさえない。西島にたいする「処分」も二転三転している。3・13の深夜の時点では、与田、遠山の両同志については除名、西島以下の5名(西島、久保田、広山、武藤、加藤)については自己批判要求であった。ところが、3・14の段階では、地方委員と全国委員の解任要求となった。今では、与田、遠山両同志とともに除名処分となっているようである。

(4)政治的にはベルリン・ホッケー反対派である【註 ベルリンは04年に清水議長主宰で行われた関西地方委指導部との会議、ホッケーは05年に行われた同じ会議】。口先では新指導路線を唱えながら、その実体として四大産別決戦もなければ、国鉄・教労決戦もない。何よりも戦闘的階級的労働運動の至宝、革共同の精華であるDC【動労千葉】の存在を承認しない。そして、レーニン主義党組織論の否定である。
 今回起こった3・14反革命一揆は、このベルリン・ホッケーにのっとって関西でそれを物質化しようとした与田、西島、遠山、そして岩城同志の抹殺を目的としたものである。
 関西支社で××【せん滅】できないから、いったん社の外に出してからやろうとしたことは、この数日間の奴らの動向から完全に判明している。
 塩川にも、毛利にも小ブル民主主義者、小ブル倫理主義者の本質から当然のこととして路線らしきものはまったくない。これは動員された労働者同志、常任同志の中から、やり方への批判とともに、「路線がまったくないじゃないか」という声が上がり始めている。

(5)彼らがめざすものは、経済主義と民主主義の「党」であり運動である。中央との関係では、反中央、関西独立王国論である。自治主義の要求である。塩川の観念世界では、これで党改革、党中央改革なるものをやろうというものである。本質は完全な右翼日和見主義である。革命的情勢の本格的到来にたいする恐怖である。
 そういう意味では、68年の竹中グループと似ていると言えないことはない。10・8羽田に恐怖した彼らは、「佐世保を第3の羽田にせよ」の『前進』を配布することを拒否して、メンシェヴィキの本質をあらわにしながら脱落・逃亡していった【註 1968年初頭、関西地方委政治局書記長の竹中明夫氏らが離党した問題をさす】。塩川・毛利一派は、急速に竹中グループへの道をたどっている。
 本多書記長の指導によって関西のボルシェヴィキ的再建をかちとってから40年弱、関西を絶対に右翼的反対派にはさせないという一念だけは堅持して頑張ってきたが、今回、塩川、毛利のような党破壊分子を生み出してしまったことを、痛苦の念をこめて党と階級に自己批判する。
 兵庫県委員会、京都府委員会、そして奈良県委員会と大阪府委員会の労働者同志の一定の部分を組織されたことは事実であり、その意味では一敗地にまみれたことも事実である。しかし、プロレタリアートの階級性は絶対にこのようなプロレタリア党破壊の反革命所業を許すことはない。必ずや真実に目覚める。その力を労働者同志の最良の部分が堅持していてくれることを確信できる。再入党申し込み書を書いてくれる労働者同志こそ本物の革命的プロレタリアである。
 こういう過程は、即戦即勝というわけにはいかない。一定の時間が必要なことはその通りである。しかし、絶対に勝利できる。
 1人でも多くの労働者同志を党破壊分子の手から取り戻し、彼らと共に地獄への道連れにされることを阻止しなければならない。

(6)その上で、最後にどうしても書かなければならないのは天田同志のやったことである。塩川や毛利の党破壊分子に対して、「君たちの大義がこれだけの部分を組織したことは理解する」とは一体何事か。
 何よりも、2人の同志がテロ・リンチで生命の危機にさらされているのを目の前にして、「君たちの大義はわかった」といって出ていったことである。これでは、同志を見殺しにして逃げたと言われても言い訳はできない。これが、公然面で全党を背負って立つ書記長のやることか、ということである。それ以上に言うべき言葉がない。

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