《当サイト管理者から》
 全国労働組合交流センターの代表をつとめてきていた入江史郎氏が、革共同の労働運動の路線にたいして慎重ないいまわしながら、厳しい批判をくわえている。とくに、革共同のいわゆる動労千葉特化路線および毎年の11月労働者集会の位置づけや具体的な取り組みをめぐって、強い疑問を投げかけている。なお、入江氏は、このインタビュー記事掲載から1年4か月後に代表を辞任した。
 【 】内は管理者による註。黄色マーカーは管理者がつけた。 

交流センター運動の課題とス労自主の立場

入江史郎

 入江史郎代表運営委員に、交流センター労働運動の課題とス労自主【スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合】の闘いについて語っていただきました。厳しい問題提起を含んでいますが、ぜひとも真剣に向き合い、闊達な議論をしていただきたいと考えます。(構成編集部)

11月1万人結集実現をどう考えるのか

 11・6集会も終わっていない現時点では、交流センター22年の歴史から見て、ようやく少し総括できることがあるかなという程度だ。そのうえで11月集会をやるようになってから、いつも気になっているのは、結集の数だけが一人歩きすること。1万という数が集まれば変わるという思考は私とは違う。何のためにそれだけ集める必要があるのかということを議論すべきだ。
 動労千葉は当該としては文句なしで、すごくよくやって大したものだと思う。だからこそもっと全国を自分らがわしづかみに組織すると考えて自分たちが行動するだけではなくて、交流センター全体に号令をかけてほしい。
 例えば国鉄闘争全国運動。今年の6月5日の1周年集会の前に行われた呼びかけ人会議のときにも言ったが、もっとやれることがあるはずだ。闘争団とか国労の中とかJR東全体を対象化して交流センターという組織をフルに動かせば結果はどうあれ何らかのものが教訓になることがあったはずだ。なんで闘争団回りをしないのか。なんで動労千葉は直に闘争団に要請状を出したりしないのか。あるいは自分で自ら行かなくたって、あちこち交流センターメンバーに愚直にオルグに回ってもらうということをしないのか。動労千葉はすごい組合だ、だけでは、国鉄闘争で労働者を組織できない。
 また、JR総連革マルの次に裏切ったのが全逓中央で、彼らが郵政という職場を一番ひどい職場にしてしまったのにわが全逓部会は怒りが足りないなあと思っていたが、郵政非正規ユニオンと遭遇させてくれた。これが最初で最後のチャンスではないか。今のところまだ少しは関われるし、副代表で全逓の岩本君も星野君もいるからやれるだけやってみようというのが今の私の心境だ。やるときには「おまえら、やれよ」と言って見てどうこうではなくて、一緒にやる。当該ではないからやれる範囲には限界があるんだけど。全逓の当該は、もう少ししっかりやってほしい。せっかく非正規ユニオンに結集する当該が出てきてくれて、自分たちの産別領域の中であるわけだから、もっともっとそこと一緒になってやってほしい。だいたい組織労働者の方が組織する基盤を持っているんだから。そこが周りを組織するべきだし、非正規ユニオンの方は自ら生きていくだけで、職場に一人いるだけで大変な思いをしている。私に言わせれば、当該としているだけで十分だ。ビラまきを連日やっているみんなはこの闘いで何をしようとしているのか。そう考えると私にももう少し路線付けをしていく義務や役割があるのかなと。
 5・27国労臨大闘争弾圧との闘いに関わるときも、いきなり関わったのではなくて4党合意で国鉄闘争はつぶされると確信的に思ったから。それでも残って頑張っている闘争団はそれなりのものだろうということと、その過程で思った以上に闘争団の実態があると検証できた。だったらこれはやる価値があると思った。日本支配階級は国鉄闘争をつぶしきることをもって戦後政治の総決算を完成させようとしたということだけど、実は中曽根も口とは裏腹に10年経ってもつぶせていなくて焦っているというのが『AERA』の記事とかで直感した。だったらこれはやる価値がすごくあると考え、途中から大阪の4党合意の補佐人や、九州の押しかけ代理人になって、千葉にも傍聴に行ったり、そのきっかけで知った闘争団の人をオルグして証人になってもらったり。そんなことを夢中でやった。
 逆に言うともっと闘争団と近い人たちが何でできないのかなと。闘いをやるにはそういう勇気というか、こういうふうにしようという目的に対しての実行が必要でしょ。どうもみんなは決めるということに対して、私に比べたらいい加減だという印象がすごく強い。そういう実践を交流センターの半分の人間がその気でやってくれれば、もっと変わっている。交流センターが、というより日本の労働運動が。動労千葉だって2割ぐらいの活動家が血相を変えて全国に翔くといって押しかけで休暇とか指名ストでオルグに出てくれれば、それで日本の労働運動が変わる。実際にそこまでそいつに会うためだけに行くとか。とにかく国鉄闘争を続けるというか、闘い続けるためにはそれだけのことをするという行動は労働者にそれなりの影響を与える。反発であれ何であれ。そういう条件が今もあるのに動きが足りない。全国労組交流センターという名前が実態を体現していない。
 ス労自主では5万円の組合費にするのに1年半、それに決まるまでずっとつきあってきた。最初から5万円にしようと決めていたわけではない。組合を残したいなら残してその領域でそれをベースに活動しようと思ったら、これだけの金は必要だ。私はどっちの選択でもありだと提起して具体的に議論してきた。
 交流センターでも国鉄闘争全国運動でも選択肢はいつも具体的だと思うのに、具体的にすることをみんなやらない。私の手法が悪いのか、性急なのか。動労千葉を抱えている交流センターという、これ以上の条件は今とりあえずはないわけだから。そこのところを抜きに1万とか言ったって空論。どういう活動、行動をして1万なのか。何で議論されないのかは私から見ると不思議で、そういうことを言わない会議が重ねられることは無駄だ。
 1万というと、最低でも組織労働運動がベースに今の10倍ぐらいの組織を対象化しないと出てこない。街頭の闘いからだけでは出てこない。さらにそれで1万を出して当面次に何をやろうとしているのか。何ができないから1万が必要なのか。私は順序が逆だと思う。集まれば変わるというのは、交流センターの大勢の活動家のモノの考え方とはたぶん違う。たぶん私の方がリアルだろう。事実は集まったからではなくて、こういうことをしたいから集まるというようなことだと思う。

2012年3・11反原発闘争と11・6

 だから9・19明治公園に6万人という数が集まったけど、ではその方向性や当面の獲得目標をどこに置くのか。誰かが言わないと始まらないし、われわれには言う資格も力もある。他の人たちの集団にはたぶんその方向性はないのではないか。
 これは確定方針ではないけど、あえて言ってしまうと、来年の3・11は福島で全国闘争だと考えている。つまり被災地で闘えない反核闘争、反戦・反核闘争は絶対に勝利の展望も勝つという見通しもない。結果としてできない条件があるかもしれない。でも当面の目標としてはたぶん正しい選択ではないのか。そこから逆算して11月はどういう闘いが可能なのか。あるいは来年ビキニ闘争がどうなるのか、あるいは青年労働者集会がどうあるべきなのか。今の階級決戦、国内的な階級決戦的に言うと来年の3・11はどういう日になっているのかと考えることが重要だ。
 原発を即時阻止と言ったって一個一個止めなければいけないわけだから。そういう力を持つ組織になるには、今の数と今の影響力だけではどうにもならない。ましてや福島で絶対反対で闘えるという闘いを実現できなかったらそんなこと福島の人にむちゃくちゃ負担をかけるだけでしょ。私たちで自分たちの福島闘争方針なり、あるいは反原発闘争方針をもっと明確に持つべきだと思う。持った上でいろいろな人たちと議論して一致する。不一致だったら不一致を確認する。この作業の繰り返しですよ。例えば被災地そのものだって疎開できる人は疎開している。これは放射能を正しく理解したものからすれば、疎開するのが正しい。だけどみんなが疎開できるわけではないし、それでは闘争に勝利できるのかといえば、そうならない。ましてや経済条件が成り立たない人たちは、そこにとどまるしかない。そうすると疎開できた人とのあいだに一定の分岐が起きる。そのときにそれを一致できるだけの闘いや路線をわれわれが闘いの中からつくれるかどうか。福島全体の人たちと一致できるかといったら簡単ではない。闘いの中で解決するしかない。一致できないことをどれだけ許容できるかだ。そうすると見える共通の敵がだいたい一致していないと難しい。そこのところは「革命」という言葉を前面に出す人たちは、非常にあいまいにして惑わせている。自分たちの「革命」を実現しようと思うんだったら、今年の11月、あるいは来年の3月に至る過程はどういうことを実現しようと思っているのかをもっとはっきりさせるべきだ。私自身は福島で反原発闘争を現地で闘える力が不可欠な要件だと思う。できないことはあるけどそこはめざさないと闘い続けられないでしょう。
 そこで闘いを構えに行かなかったら、11月をどう考えるのか。それは9・19反原発6万人集会をどう見るかということでもある。
 9・19はまだわれわれも少数でまだ決定的な力ではない。NAZENも心意気はいいが、全国にどう組織しようとしているのかはまったく出てきていない。私自身は被災地の労働組合をどう位置づけてやるのかが重要だと思う。今のところ労働組合として方針を提起をしているところはどこもない。唯一、動労水戸が単独で7・17いわき集会を構えた。そういう点では、水戸はそれをやる資格はある。それを交流センターという全国組織を使って全国の労働運動を措定して取り組みをやっていかないとNAZENの方向性も出てこない。即時廃止も観念的なものにしかならない。
 いずれにせよ、勝負所が11・6というのはたぶんにわれわれの中だけでの話だ。まだ日本の労働者階級の社会の中で11月集会がそういうものになっていない。9・19に参加した人は即11・6ではなくて、11・6が3・11をこういうふうにめざすというところで初めて11・6が9・19に集まった人の対象になるんだろうと思っている。逆ではない。
 交流センターにはいろいろな人間がいるのがいいんだという思いがあるから、我慢強く組織にいる。ある考えに対して、そうでないと思っている人たちがどう思っているのかちゃんと言ってくれというのが私が一番言いたいことです。だから異論反論大歓迎。ところが少数派である私がもっぱら一人で異論反論を言っている関係が長く続くというのはあまり組織にとっていいことではないなと思う。
 最初から予定調和的で決まっているなら会議やったり、議論する必要もない。たぶん自らの発言や行動を検証しない人は、ほとんど当てずっぽうで、街頭に出てなんかやった気になっている。街頭闘争を全然否定しないが、それだけで組織はできない。組織されている労働者をそのまま取りに行く、接触を求めていくという、この作業を一番怠っているのではないか。こうした中で、どこかで切り口が見える。今のままだと切り口が見えない。支配階級の方がその切り口を全部見て、そこにくさびを刺すわけだから。被災地でもそれぞれの心持ちはあるにしても、組織労働者、できれば労働組合、あるいはその下部組織をそれなりに運動の中心に獲得していくことは不可欠だ。
 権力と資本とも激しい攻防をやってここまで生き延びて、まだ集団で存在しているからこそ、この質だからこそ全国労組交流センターも動労千葉もス労自主も決断できる。この決断をして突破したときに初めて出なかった声を出せる労働者が出てくる。これは逆ではない。かなり確信的に思っている。  結論に対して、組織として責任を持っていくということ。結果をあいまいにしない。
 11月労働者集会に闘う労働者を1万人集めてとりあえず何を実現したいのか。そのことをもっとはっきりさせようということです。  自分はいつも自己検証を必ずしている。批判をされたり異論を唱えられることに対してはたぶん誰よりもタフだ。交流センター代表というのは、慣れたけど居心地が悪い。交流センターの欠陥も見えるわけよ。だけどそれを批判したりするのは天に唾することでもあるから居心地が悪い(笑)。

ス労自主の闘いについて

 ス労自主の元は、中立労連傘下の全石油(全国石油産業労働組合協議会)で、交流センターの発起人に中立労連議長だった佐藤芳夫さんが座ったことも違和感を持たずにス労が交流センターに参加できた理由としてあった。1974年のオイルショックの渦中にあった第二組合デッチ上げ分裂攻撃前は組合員は2300人いた。分裂後は、分裂前に転勤攻撃を受けていた組合活動家が地方の支部とか分会連の中心になって第一組合の旗を守った。これがス労自主の根っこです。76年に刑事弾圧が本社であって解雇者を初めて4人出した。刑事弾圧前に800人いた組合員は、刑事弾圧後の76年秋には一気に半分の440ぐらいになった。1年かかってズルズル落ちて、私が中央執行委員になった77年には今でも忘れないけど組合員は274名。1カ月後に2名落ちて272名。そこから比較的歩留まりはよかったんじゃないかな。84年に2回目の刑事弾圧が今度は大阪支店を土俵にして起こった。81〜82年のほぼ1年半、二次分裂をめぐって激しい組織闘争を職場で日常的にやった。弾圧の判決をめぐって断固控訴して反弾圧闘争を貫くのか、片方は反弾圧闘争放棄とは言わないけれども、この判決はいい判決だったから解雇撤回闘争に生かそうというようなことを言って、実際には日々の闘争に疲弊し、あるいはもうこれ以上、刑事弾圧食らうのはかなわんという傾向。文字通り組合の方針をめぐってまじめにケンカした。三里塚闘争もその関係で、三里塚第1公園(反対同盟)に行くのか、条件派の集会に行くのかで政治的にも割れた。これでわれわれは相対的には少数組合になった。84年の刑事弾圧のときは2泊3日も含めれば組合員の半分がパクられた。ス労自主は組合員57人で出発した。波瀾万丈の組合ですよ。結果としては類は友を呼ぶように、原理原則的なところに行き着いているということだと思うけど。
 ただ、われわれがやっていることが弾圧を目的化しているかのように言われたり、揶揄されたりもした。たぶん党の人もそういうふうに見ていた時代があった。「闘争至上主義」と昔から言われた。中野さんから「極左冒険主義」と揶揄されたこともあるな。私は「闘争史上主義」で何が悪いのかと。弾圧されていて闘争しないような組織はつぶされるしかないんだからって平気だったけど。
 ただ個別資本を屈服させるかどうかで自己完結する闘争のために、これだけ犠牲を払ったり時間を使うというのは私の合理主義からはありえない。弾圧に本当に勝つということはそういうことではないだろう。われわれは交流センターに入って政治路線的なものも鮮明になっていったから、当たり前のように交流センターに重心を置く選択をしてきた。

反弾圧闘争のなかで培ったス労自主の思想

 私よりエクソンと闘って勝とうとか、エクソンにこだわっているやつはいないかもしれないけど、常に職場を対象化してきた。私は分裂の時、こう考えた。組合員が本当に困ったときに自分のところの社長に相談に行くか、組合の委員長に相談に行くかといったら組合の委員長に相談に行く。そういう組合にしたいと。そこは今も変わっていない。
 ス労自主の組合員の団結のベースは、要素としては二つある。みんな大なり小なり、やっぱりエッソ石油、モービル石油の従業員であったことに決して悪い気はしていない。先進資本主義の都市プロレタリアートではあるけれど、それぞれの価値観は非常に小ブル指向が強い。失うものがあるというか。エクソンモービルの従業員であるということに心地よさと誇りを持っている。もうひとつは、動労千葉も動労水戸も、うちの場合も、やっぱり労働運動をやっているやつはカッコいい、ス労自主はカッコいいと。一番の根源は、裏切ることは労働者として恥ずべきことだということだよね。ハートとしてはみんな脱落とか裏切りは恥ずべきことだという矜持を持っている。今、青年の諸君や学生が団結を総括の基軸にするとよく言っていて、そういう思いでやっているのは悪くはない。けれども、私はよく言うんだけれども、裏切られて裏切られて裏切られた結果、団結というのを実感するんだ。
本当は嫌なやつともつきあわなくちゃいけないし、嫌なやつとも一緒にやっていく。一緒にやっていく術を身につけなければいけない。そこのところはひとつの思想というか価値観形成を運動の中でつくってきた。エクソンと、エクソンと一緒になってつぶしにきた国家権力と闘うという心意気は共通している。

石油労働者の決起と資本主義の臨界点

 石油労働者の組織化、エクソンモービル労働者の組織化について絵に描いた展望は描きにくい。ひとりひとりの労働者の日常には簡単にはなかなか手がかりになるものはない。しかし、資本主義体制の臨界点はもうそこにある。彼らでさえ切り捨てられる。東電やJALとかも同じだけど、そういう体制そのものが今、維持できなくなってきている。そこまでなる前に何かが起きてくる可能性がある。だからあくまで第一の対象は、石油労働者だ。われわれの領域にこだわっていく。敵が強く、デカいことは闘う上でひとつの有利な条件であると同時に、決定的な条件になりうる。エクソンモービルの行く末を見極めるというためにも、やれるだけやっていく。それだけの価値はある。その過程でひょっとしたら派遣とか工事労働者とか、ほとんど下請けとか、原発のように2次・3次の下請けとかもあるから、どこで合流するかわからない。今も再雇用ストを全国6カ所の職場で毎週やって、ビラ入れを必ず職場で、中に油槽所とか下請けで入っている労働者にも必ずやる。それは愚直にやっている。
 もちろんそれが組合員にならないとみんななかなか達成感がないけど、私自身はやれるだけやって運があれば、間に合えば、一気に変わるときは変わるものだから。たぶんにこちらが想定してないところで起きることが往々だから、あまりそのことに対しては心配していない。ただこちらがひたすらやりぬけるのかどうかだ。今この再雇用ストライキも丸3年になるけど、職場に入れるところは入ってやる。みんなが退職したときも資本との対決点、資本との接点が見えるようにしておきたかった。向こうが再雇用を受け入れて雇用延長したら争議議題ではなくなるけど、大半は拒否しているから争議として存在している。続けていく中で何かを組合員たちが見い出すか。向こうから何かあるか。あるいは別の要因で何かあるかというのは漠然としているけど、ありうることだ。特にエクソンモービルの労働者には守るものが大きい分だけ、変化の顕然化は一番後だ。しかし、エクソンモービルに変化がないような情勢はまだ情勢としては煮詰まっていないということでもある。動労千葉より組合員の平均年令で10いくつ上なんだけど、うちは先行指標だと。あるいはこういう闘い方、こういう団結形態維持の形もあるというのを反面教師的でもいいから見てもらう価値はあるだろうと思っている。その点でもまだス労自主が交流センターの中で組織として存在する意義はあるだろうと思って、ここ何年かはやってきた。

中野さん―動労千葉と一緒にやると腹を固めた

 22年前の全国労組交流センター結成当初は、交流センターは1千人ぐらい。組織加盟したのは動労千葉―動労総連合とス労自主だけ。そこに各地の4大産別を中心にした労働者が集められた。とにかく集まってどういうやつがこの運動に関わってるのか、少しずつ知り合いになっていった。今も私の運動―活動スタイルは、知り合いをそこでつくるというか、私の方から積極的に、来た人と関係を結んでいく方法だ。
 中野さんには知らない間に惹きつけられた。彼は「労働者がもっと大事にされなくてはいけない」と言い続け、同時に労働者というものを人間としてとことん信ずると言った。労働者というのは所詮人類だから私はそこまで信頼できない。その信頼するというハート、姿勢、気持ちは中野さんにはかなわない。それは労働運動で考えると私より優れている考えだ。私はそれに対抗できるものを今のところ持っていないし、間違っているとも思わないから、とりあえずそれがどこまで真実なのか、中野流でつきあってみようと。動労千葉を軸に据えた交流センター労働運動をチャレンジしてみようと思った。それには中野さんと一緒にやると腹を固める必要があった。そうしたのがPKO闘争が終わって、十数年ぐらい前かな。
 何で国鉄闘争をやったのか。今ス労自主の闘いで何か突破を切り開ける展望が具体的に見えたらそこに力を注げばいいし、そうでなければ闘争態勢・対決態勢を維持していればいい。ただこれを個別に維持するのは大変で、国鉄闘争で敵との階級的対決を維持・強化することをとおしてうちの闘争もそこの一翼に置かれるわけ。有機的に存在している。だからここで闘う価値がある。それと可能性だ。うちが今もっと労力を使ってやる。あるいは労力をどれだけ使えるのか。組合員の数とか、石油における同志がそんなにいないとか。だから動労千葉と闘うことが合理的であると割り切って。動労千葉をどう置けばいいのか。あるいは動労千葉にどうなってもらえればいいのかがすごくわかりやすくなってきた。動労千葉をまず交流センターのど真ん中に置こうと。そのためには全国を国鉄闘争を自分らで仕切って勝っていく。途中からそういう動労千葉は半分は私たちがつくりあげたんだという自負も生まれた。そこをお互いが共有できる接触があればもっといいと思う。

反原発闘争と社会主義

 これからの社会がどういう形になるかは、この資本主義体制と闘う、ひっくり返す闘いの中ではっきりしていくだろう。たぶん資本主義社会の先に「社会主義」があるとすれば、もう少し人間の経済作用が自己完結する規模が小さいサイズではないか。資本主義のような非合理的な体制がいつまでも続くわけがない。しかし過剰資本・過剰生産をどうコントロールするのかという術を人類はまだ持ち得ていない。マルクス・レーニン主義者は持ちうるんだと考えていると思うんだけど、私自身はそれはわからないと思っている。私から言うと社会主義・共産主義というのは資本主義と同様に人類社会の発展史観だ。人類は必ずしも常に発展し続けるとは限らない。そういうことを福島の原発事故が突きつけていると思う。だからこの原発をどうするかを闘う過程で次に人類の行くべき道が、絶望の道なのか、あるいはもう少し展望のある道なのかが見い出せるだろう。
 戦後日本の反戦闘争は、核武装との対決抜きにありえなかった。「原子力の平和利用」とは核支配体制を全戦後資本主義体制にきちんとビルトアップしたものだ。それが原発という恰好で、戦争のないときは前面に出てきたけど、それが技術的にも経済的にも破綻している。帝国主義の中でも分岐が起きている。
 こうした状況の中でフクシマという情勢を、日本―世界の労働者階級が制圧するのか、あるいは資本主義支配体制がこのまま制圧し続けるのかが決定的だ。これに対して闘いも方針も具体的でないと勝利の道は絶対にない。まだまだ全原発即時廃止というのが情緒的で、スローガンレベルで終わっている。もっと具体的であるべきだ。
 資本主義においては今はもうエネルギーも過剰供給だ。ここを押さえるのが重要ではないか。そこからもう一回あらゆることを見直す。みんなエネルギーが足りないと思うから個別には批判しても代替エネルギーとかいう案で、絶対的には対決できない。電力も過剰生産であることをはっきりさせるべきなんだ。
 私が観念的に描いている「社会主義」は、エネルギーの消費量が石油換算で4分の1とか10分の1ぐらいで、そこそこ利便性のある生活ができる人間社会だ。資本主義はその物質条件を実現できないということはかなり確信的に思った。資本主義を止められるのは人間しかいないし、止められるのは資本主義を否定するやつしかいない。ではその先にどういう恰好があるのかというのは実現していく過程で、後になってわかるものだ。私が考える「社会主義」、あるいは合理的な人間社会は、とりあえず当面、反原発闘争などやる中で生み出されてくる価値観だと思う。われわれはまだ予定調和的にそういう価値観を見出してもないし、見出せるはずもない。
 だから「主義」で言われると、どうしてもそれを持っていたいという人はいてもいいけど、だけど私に強制しないでと(笑)。

軋轢を避けず向き合っていくこと

 中野さんはかなり早い段階から「交流センターでマルクス主義の学習を」とずっと言っていた。私らは、それはそういうグループがあってもいいし、それが主流派でもいいけど、もうちょっと違うものも受け入れておいてほしいと思っていた。反連合・反全労連に思いを馳せてきた人たちにもう少し好きにやらせたらいいのにとずっと思っていた。しかし、私なんて結果として自由にやってきた人間は、中野さんのような考え方とかそういう力ある人とも格闘しないと、そういうことをやる資格がないなと自分なりに総括した。
 逆にみんなから私とかス労自主はどう見えているのかなというのはある。もっとみんな批判してくれればいいんだよ。批判の切り口がわからないんだろうな。みんな、マルクス主義をちゃんとモノにしきれていないからじゃないの(笑)。マルクス主義だったらこの局面でこの集会はこうやるんだとか11月集会はこうだとかというものが自分の考え方だとあってしかるべきだろ。 革命とか思って一生懸命やる人ととりあえず今は不都合なく一緒にやれている。どこかでは分岐が起こるだろうし、軋轢が起こる。その軋轢を避けないということが大事かな。避けないできちんと向き合いつつ、共に頑張っていきたい。
 まだ交流センターに入ってない人がいたら、労働運動は、人間が作業をする生業だから、人間が相手で面白いものだ。だから入って一緒にやりませんかと訴えたい。

(10月4日に行ったインタビューを元に構成)

月刊『労働運動』2011年11月号(通巻No260)所収

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