意見書「宇野理論の根本的批判」 大内(高木徹)(2013年1月)
      革共同(中核派)元政治局員(議長代行)の意見書

≪管理者コメント≫
 革共同(中央派)は、少し前まで革共同の政治局議長代行を務めてきた高木徹氏を、2013年9月に除名し追放した。天田三紀夫氏と中野洋氏(故人)らは、2006年3・14クーデター以後、党内抗争の若干の時期を経て、高木氏を政治局から解任するとともに、三里塚の地に移行させ、自己批判を課してきた。そして高木氏を除名にしようと機会をうかがってきていた。高木氏が13年1月に出した長文の意見書がきっかけとなり、天田氏、清水氏ら政治局は、ついに高木氏を除名するにいたった。高木意見書は、餌食にされたわけである。
 文中の(注)は、投稿者がつけたもの。【 】内は管理者によるもの。
意見書本体は、11万3000字超の長文のため、掲載はみあわせ、目次のみとすることをご了解願います。
なお、意見書の署名である「梶村憲一郎」とは、原筆者がマルクス主義学生同盟委員長であった時期を含む1960年代に用いていたペンネーム。

熊沢【天田】様→PB【政治局】&理論委員会へ

 13年1月
大内【高木徹】

 文書「宇野理論の根本的批判――『資本論』の全面的対象化のために――」を提出します。

 全政治局同志および理論委員会(最低、三石・藤掛・仲山の三同志)に回覧し、是非ご検討・ご指導ください。

1)かなりまえに宇野理論批判を一定まとめて、この間、その観点から『資本論』を逐一読み解く作業を行ってきていたのですが、「貨幣の資本への転化」まできて、あらためて宇野理論批判それ自体を再整理する必要が発生し、12年の5月から9月までに旧文書を抜本的に書き換えつつ作成したものです。
 ただ、9月の段階では、行われている党史研究において、どうも(当然のことだが)宇野理論への肯定的な評価だけにとどめるようであり、それ自体歴史的過去において事実であり、この文書の抜本的宇野理論批判が、党史論議に混乱を招くことを怖れ、自己確認にとどめて、さしあたって提出は見合わせることにしていました。
 だが、その後目の手術で入院したとき、党史的には第六回大会は絶対に正しく位置づけられるべきだと考え、改めて提出を決断、その後も迷いつつ、提出を前提に最後の仕上げを少しずつ進めて完成させたものです。この文書は、第六回大会が画期的地平を切り開いたものである一端を突き出したもので、その内容とともにぜひ党史的にも議論していただきたいと考えたということです。その後12月末に、私のところにも初めて党史に関する諸草稿が送られてきたので、この議論に加わることを勧めるものだと受け止め、最終的に提出を決断しました。(届いた党史関連の諸文書は、この間、他に読むべきものが多く、申し訳ないがまだ全く目を通せていません。)

2)むろん、これは、もともと党史にかかわる文書として書いたものでは全くありません。
 宇野理論の根本的批判に関する理論的提起であり、『資本論』の全面的対象化を提起した文書です。ぜひ、そういうものとして取り扱ってください。
 とともに、「党の革命」を受けた私自身の思想的自己切開としても書いたものですが、それは私自身のそれにとどまらず、第六回大会の地平から革共同自身の思想的曖昧さのとらえ返しの提起となっています。(その点では党史研究にも参考にしていただきたいと思いますが、むろんあくまでその目的で書いたものではありません。)よろしく、ご検討・ご指導をお願いします。

3)また、できればこれを、党の内外に公表させていただきたいと思っています。
 「党外にも」というのは、「党の革命」以降、党から脱落し、反革共同策動を行っている塩川派や結柴・水谷・岸・岩本、そしてツンドラ(注 昨年9〜10月に4同志が除名された問題)で脱落した連中に対して打撃を与えたいという強い思いがあるからです。
 しかし最低党内に開示しつつ、私自身が周囲の同志たちと論議を開始することは、OKしていただきたいと思います。また可能ならば、できるだけ早く、若い世代の同志たちには、私とは関係なく活発な議論をしていただきたいと思っています。

4)なお、この間、革共同に入って以降初めて、思う存分学習と研究に従属(注 従事のまちがいか)させていただいたこと、心から感謝しております。本当に充足した勉学が可能な時間と空間を与えてもらい、これまで一貫してただただ組織的実践に立ち続けてきたがゆえに、自分でも納得した学習を思いっきりできたことを本当にありがたく思っています。
 そのうえで、私としては、ここ三里塚に着地したときから、ここで骨を埋める決意でしたから、このまま、この地で学習と研究に従事させていただきたいと、あらためて要請するものです。『資本論』についてもいまだ始まったばかりの貧弱な状態であり、とりわけ私はここに来た以上、農業・農民問題の根本的とらえ返しをする決意で、『資本論』と同時並行的に取り組んできており、その問題意識の一端はこの文書にも反映されていますが、この面でもこれからですので、よろしく御配慮下さい。

 この点は、以下の理由で、これまで以上に理解が必要なのであえて書いておきたいと思います。

@)この間、実践的には三里塚闘争に従事し、現闘の諸同志の実践を手助けすることに限定してやってきました。「党の革命」の一つの趣旨は大胆な世代交代でもあり、あくまでその推進として(つまり自分が責任者としてとってかわることは絶対に行わない決意で)やってきました。現闘のつくられ方について、いろいろと自己批判的に感ずるところも多く、責任感からも直接に手を出す衝動に駆られたりもしましたが、中途半端なそれは混乱を呼ぶだけであり、陰で支えることに徹してきたつもりです。この基本的位相は変わらず続けたいと思っています。
 だが、今年のSNG【『前進』新年号】および党員総会でも鮮明に出されましたが、13年は決定的な決戦の年となりました。その一環である三里塚も白熱的決戦ですから、これと無縁にはいきません。私自身もこれまで以上に必要な発言をしていくつもりです。また攻防の展開次第では、自ら逮捕されることもありうるし、好んでそういう戦闘の先端に着くわけでなくとも、攻撃は容赦なく襲い掛かりますから、その覚悟の上であることは、申すまでもありません。

A)しかもそのうえで、実践上は、三大決戦の柱の一つとなった星野奪還闘争について、千葉県のそれに一定責任をとるようにという指示があり、これまでの活動の延長ではいかぬ覚悟は固めています。星野闘争は、この間極めて鮮明な方針が出され、私自身大賛成であり、また星野および暁子さんそれぞれとのこれまでの特殊な関係からも、彼らにもその決意を伝えており、全力をあげなければならないと思っています。
 千葉県の労組及び諸関係に星野を持ち込むつもりで、DC【動労千葉】との間でも、DC自身がそれを持ち込むことには必ずしもならない状態にあること、またDCと一定距離を置いたものとして星野独自で、物販を購入している労組および労組員などから手始めに諸労組周りをすることがDCにとってもいいということになっています。だが千葉県党的には星野の党的体制があまり整ってはおらず、まず自ら切り開くことが先決だと考えたのです……【以下、中略】。
 しかし、13年の三大決戦として位置付けられた以上、単独ではなく、地区党自身の組織的実践をこそ着手すべきだと考え、地区党キャップと初めて話しをし、今年の党員総会に出席して討議することにしたところです。

B)以上書いたのは、この大決戦の真っただ中で、これまでのような勉学に勤しむのは、結構厳しい状態だとは思っていますが、したがってなおさら、この地でこつこつと勉学し続けることについて、特段の配慮をお願いしたいということを強く訴えたいからです。特に農業・農民問題については、この間いくつかのノートをとっては来ていますが、マルクス主義的に根本的にはどう考えるべきなのかということに絞っており、現状認識的領域についてはただただ資料をためておくだけという状態であり、やはりいま一歩進めたい思いが強いのです。

8【ママ】)この文書は、この6年間の私の理論的研鑽のひとつの結晶です。読んでもらうとわかると思いますが、それなりの重大な問題の提起だと思っています。
 正直言って、全党が懸命に喰らいついて闘っている実践との開きが大きいこの理論的格闘について、たえず、これでいいのか、これでいいのかと、迷いつつやってきたのですが、大きくは噛み合っていると信じています。数年前、この領域を理論委員会に提起をしたのですが、「問題意識の違い」を理由に断られ、理論委員会の資料も送られてこなくなったので、単独でやる決意を固め、なおさらのこと「私特有の強い思い込み」ではないのかと自問自答しつつ取り組んできました。あの段階では、問題意識を共有してはもらえませんでしたが、しかし、私は、第六回大会の地平を深くとらえ直すことが、宇野理論の根本的批判において決定的な武器になることは立証できたと思っております。また第六回大会が突き出した実践的唯物論のとらえ返しは、まして実践的領域にはもっと力を発揮するはずだと思っています。また『資本論』の全面的対象化に関する提起も、これからの本格的な恐慌への突入と戦争の危機の激化・階級闘争の総爆発が、世界革命情勢を完全に熟成させることは確実であり、この情勢に応えるものとして絶対不可欠の課題だと確信しています。よろしくご検討・ご指導ください。

以上

宇野理論の根本的批判
 ――『資本論』の全面的対象化のために――
                                   梶村憲一郎

(序)革共同第六回大会の意義と宇野理論からの脱却………………………………………3
T)宇野理論が革命的共産主義運動で果たした歴史的役割………………………………10
 1)宇野理論批判の着手の大前提…………………………………………………………10
 2)宇野三段階論の限界……………………………………………………………………11
U)宇野理論の根本的問題性(1)――唯物史観と経済学――…………………………14
 1)宇野理論とは何か………………………………………………………………………14
  @)『資本論』の『経済学原論』への書き換えの理論的根拠………………………15
  A)唯物論こそが「現実的で実証的な科学」…………………………………………17
 2)実践的唯物論の決定的意義……………………………………………………………20
  @)新訳『ドイデ』の訳者あとがきより………………………………………………20
  A)「唯物論的見方と観念論的見方の対立」の意味…………………………………22
 3)過去の古い唯物論概念との格闘の歴史………………………………………………22
  @]初期マルクスの「唯物論」把握……………………………………………………22
  A]続く『ユダヤ人問題』でのマルクス「唯物論」概念。…………………………23
  B]『経済学・哲学草稿』での唯物論概念……………………………………………25
  C]「フォイエルバッハ・テーゼ」的断絶的飛躍の重要性…………………………28
 4)結論―実践的唯物論ではじめて唯物論は科学となった……………………………32
 5)経済学だけが科学であるという見解の誤り…………………………………………36
  @)宇野さんの経済学規定………………………………………………………………37
  A)経済学に関するマルクス主義的規定………………………………………………40
  B)宇野理論は、『資本論』を労働者階級から遠ざけている………………………43
V)宇野理論の根本的問題性(2)――宇野原理論批判…………………………………48
 1)はじめに…………………………………………………………………………………48
 2)宇野原理論のどこを対象化するか……………………………………………………50
 3)商品論の抹殺とそのもつ意味の深刻性………………………………………………52
  @]『資本論』と『原論』における「商品」の章の比較……………………………52
  A]『原論』の「商品」論は、商品を論じていない…………………………………52
  B]『資本論』の第一篇「商品と貨幣」は何を論じているのか……………………55
 4)『資本論』を「流通論」から説く書き換えの問題性………………………………62
  @]改竄の合理化の理論が『資本論』構成の変更……………………………………62
  A]「流通による生産過程の包摂」論のまやかし……………………………………64
  B]商品と貨幣は資本を説くイントロダクションか…………………………………66
 5)そもそも『資本論』は何を書くことを目指したのか………………………………69
  @]「経済法則を明らかにするのが目的」だったのか………………………………69
  A]世界革命論の唯物論的確立が『資本論』の究極の目的…………………………72
  B]1873年世界恐慌と第二巻・第三巻の書き換えの予告………………………74
 6)生産手段の奪取と商品経済社会の最終的止揚について……………………………77
  @]レーニンの苦闘とロシア革命の苦渋の教訓………………………………………77
  A]マルクス剰余価値論の確立の核心…………………………………………………81
  B]『資本論』成立史的とらえ返し……………………………………………………85
  C]商品経済社会としての資本主義社会の転覆の重要性……………………………86
W)結語…………………………………………………………………………………………88
 1)『資本論』は徹頭徹尾唯物論的に書かれている……………………………………88
 2)『資本論』は労働者階級自己解放思想の理論化の書………………………………90
 3)『資本論』は、世界革命の書として完結されるべき書物…………………………93
 4)「党の革命」について…………………………………………………………………96
 5)いまこそ『資本論』の全面的対象化を!…………………………………………100

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