大内(高木徹)意見書にかんする手紙類   天田三紀夫他(2013年1月)
          革共同(中核派)中央派の見解

《管理者コメント》
高木意見書(13年1月)にたいする中央派の反応を示す手紙類である。熊沢、藤掛、坂本の各氏はいずれも政治局員。
文中の(注)は、投稿者がつけたもの。【 】内は管理者によるもの。

その1:各位へ

1/21 熊沢【天田】

 前略
 三里塚にいる大内【高木徹】同志から別紙レターが届いた。熊沢としては、理論以前の問題として、傲慢で怒りに耐えない内容と思っている。
 党が血を流して切り開いている地平を全く理解しようとしていない。
 死んだパンシロン(注 故白井朗氏のこと)からレターが届いたと感じました。
 同志各位においては、このレターを熟読して意見を集中して貰いたい。
 返事は、代表して熊沢が弾劾の手紙を書きます。

以上

その2:大内様

1月25日 熊沢

前略
1月20日、レターを受け取りました。
内容があまりにも政治的で破廉恥な内容で到底受け入れることが出来ません。

 極めつけは、2ページのくだりです。「党の内外に公表させていただきたい」。「党外」にもというのは、「『党の革命』以降、党から脱落し、反革共同策動を行っているの塩川派や結柴・水谷・岸・岩本、そしてツンドラ(注 昨年9〜10月に4同志が除名された問題)で脱落した連中に打撃を与えたい」。
「しかし最低党内に開示し、私自身が周囲の同志達と議論を開始することは、OKしていただきたい」。「また、可能ならば、できるだけ早く、若い世代の同志たちには、私と関係なく活発な議論をしていただきたい」

 これは、あまりにも政治的意図に満ち満ちている。ここで示されていることは、党内外に公表し、革共同破壊分子を擁護し、党の路線に敵対することを自分は開始することを表明したことだ。断じて許しがたい!粉砕あるのみである。

 「党の革命」を何だと思っているのか。2006―2008年過程で起こったことは、全面的で根本的な党の生まれ変わりであった。今なおドクドクと血を流して闘っている。
 「党の革命」は、91年5月テーゼ方針の本格的に実践していく労働者党員の希求としてあった。7月テーゼ【2007年8月に出された、7・7自己批判の立場と路線を清算した清水丈夫氏執筆論文】で表現されているように血債主義と訣別し、マルクス主義を復権させ、階級的労働運動を必死で切り開く出発点であった。議会主義と解党主義と合法主義との闘いであった。
 「党の革命」に、今なお陰に陽に敵対している分子は、打倒し、粉砕し一掃することが、いっさいの前提である。

 「党内外へに公表要求」が何を意味しているのか判っていない。
 直ちに、レターの筆者自身に対する打倒・追放の決議が全組織からあがり、その貫徹が要求される。「党の革命」が何一つ判っていないのだ。

 他の箇所でも、意見を述べたいことは当然多々あります。しかし、それは政治局会議、理論委員会の討議を経てから、レターします。
 厳しい内容になると思います。

以上

その3:13/1付け大内文書(「○○様→PB&理論委員会へ」)について

8442【藤掛 守】

1、一読して8442にとって、「理論以前の問題として、傲慢で怒りに耐えない」もの以外のなにものでもなかった。大内同志は、いま、自分の置かれている立場をどう考えているのか?
 冒頭、「文書「宇野理論の根本的批判――『資本論』の全面的対象化のために――」を提出します」とあるが、これは一体どういうことなのだ? ただ単に誰でも「理論学習」をする権利はある、ということなのか? しかし、この文書は単にそんなものではない。それは上記文書に続いて、「全政治局同志および理論委員会(最低、三石・藤掛・仲山の三同志)に回覧し、是非ご検討・ご指導ください」とあるのを見れば明らかだ。大内同志は党の綱領的次元の理論問題についての論議に、指導的一員として加わりたいと言っているのだ。  「12月末に、私(大内)のところにも始めて党史に関する諸草稿が送られてきたので、この論議に加わることを勧めるものだと受け止め」た、とあるが、これもあまりにも手前勝手なひとり合点も甚だしい、と思う。それでも大内同志はそう思ったというならば、最低本当にそうなのか、ということを確かめるべきなのではないか。
 党史作成の出発点は、党の今日的な到達地平についての一致だ。この点を抜きにして、党史の作成とか、そのための論議とかはあり得ないのだ。この点を抜きにして、ないしはいささかでも曖昧にして、党史ないしは党史にかかわる理論的諸問題などについて、それぞれが勝手に趣味的に論議などし始めたら、党の破壊しかもたらさないのだ。
 一番肝心のこの点について、大内同志はいまの党と本当にどこまで一致があるのか、と言うことが厳しく問われているのだ。一番肝心なこの点について、大内同志は全党の前に明らかにできる態度表明をできていない、と8442は認識している。
 大内同志はぬけぬけと「また、できればこれを、党の内外に公表させていただきたいと思っています。「党外にも」というのは、「党の革命」以降、党から脱落し、反革共同策動をおこなっている塩川派や結柴・水谷・岸・岩本、そしてツンドラで脱落した連中に」も読ませたいから、などと書いている。  さらに「最低党内に開示しつつ、私自身が周囲の同志たちと論議を開始することは、OKしていただきたい」と書いている。
 上記した理由で、いまの大内同志がこのようなことをおこなうことは、党の破壊には役だっても、プラスになることは皆無であると確信するので8442は絶対に反対です。

その4:熊沢様(大内レターについて)

 一読して直感的に感じたことだけ、述べます。
1)彼の「理論的提起」なるものがどういうものかは、このレターだけでは分かりませんが、このレターは「俺様をまず無条件に理論家として認めろ」というもの。この基本姿勢からいって、ろくでもない感じがする。
2)「届いた党史関連の諸文書にはまだ全く目を通していない」と言っている。つまり、党指導部全体が必死に取り組んでいる作業には目もくれず、それとは別個に自分の研究レポートを出して、「これをまず読め」「党内外に回せ」という。あまりにも傲慢で非常識きわまりない。最低でも届いた諸文書を読んだ上で、「これももし参考になるならして下さい」と申し出るのが党員としてごく普通の態度ではないか。
3)「理論委員会へ」という言い方にもひっかかる。「理論活動」についての概念が今のわれわれと全く違うと感じる。3・14労働者蜂起のはるか以前の感覚で、理論とは少数の特別にすぐれた人間がやるものであり、その理論家が打ち立てたものを上から現場の活動家に押しつけるのが理論活動だと思っているふしがある。これはスターリン主義と全く同じ。われわれは3・14労働者蜂起でそこを根本的に転換し、スタ的あり方と最終的に訣別してきたからこそ、綱領草案の地平に到達し、今日、党と労働組合の一体的建設の地平に到達しているのだ。
 労働者細胞がその階級的実践を通してつかみとってきたものの中にこそ、マルクス主義発展の宝がつまっている。この間の理論的前進は、まさしく全党の力を結集して達成してきたもの。実践と切り離された「理論」は理論たりえない。大内同志は、そこが根本的に分かっていない。全く変革されていない。
4)「党外にも公表せよ」は論外。昔、EB【前進編集局】のある同志が資本論について独自の解釈をほどこした論文を自費出版しようとして阻止したことがある。こういうやり方は党を破壊する結果になると説得し、本人も理解し、EB全員の論議を通して内容的にも粉砕した。指導部内での議論も抜きに「党内外への公表」にこだわるのは、実は中央指導への不信と批判を大内同志が腹の中に抱えているからではないのか。
5)星野闘争に対する姿勢も根本的におかしい。泉同志(注 泉同志とは秋山勝行氏。政治局員として最重要の任にあたっていたが、長きにわたって、厖大な公金の個人流用と男女関係での差別問題という、とてつもなく犯罪的な組織問題を起こし、1994年に政治局を解任され、厳しい処分に付されていた。最近、天田氏が復権させた)の革命的決起と比べ、あまりにも違う。戦闘性がまるで感じられません。むしろそこから逃げるための口実として、「理論活動」が持ち出されているように感じます。
 とりあえず以上。

加古【坂本千秋】

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