《当サイト管理者から》
 投稿者からの手紙の一部を掲載する。
「『革共同の歴史は動労千葉の歴史である』とする、あきれ果てた論文。書いた人は、徹底的に中野洋神話をつくり出そうと懸命である。しかし、哀れにも三流のストーリーテラーでしかない。自己保身だけの卑屈な精神では、歴史の偽造もままならないのは当然である。いたるところに矛盾があり、破綻をきたしている。無理なことはやらない方がいい。革共同の旗のもとに世界史と切り結んで苦闘し苦悩してきた生き証人たちは一杯いるのだから…。リアリズムの一片もなく、共産主義の思想のかけらもない、このような清水丈夫論文をあえて挿入することが、既定の50年史企画を破棄し大変更しなければならなかった珍事の真相である。珍事の責任を誰がとるのか、革共同政治局内の亀裂は深まる一方である。」

現代革命への挑戦――革命的共産主義運動の50年
序章 党の革命で革共同は本物の党に飛躍し
21世紀革命への新たな挑戦を開始した

                                       革命的共産主義者同盟議長 清水丈夫

一 はじめに

 2006年に始まり、08年のリーマン・ショックによって本格化した世界金融大恐慌と2011年3月11日の3・11大震災による大災害、とりわけ原発爆発事故(3・11情勢)の発生は、資本主義の終わりのときが来たことを告げ知らせている。
 世界大恐慌は、アメリカ帝国主義の政府、FRB(米連邦準備制度理事会)を先頭に帝国主義者がいかにあがこうとも、ますます激化し、深化し、発展を続けている。このかんの超金融緩和政策などによっては、この大恐慌の重圧から逃れることなどできはしない。  新自由主義は最末期帝国主義の絶望的延命形態である。そして、その新自由主義の全面的破綻として、この世界大恐慌も「3・11情勢」も発生している。これによって死のふちに追いやられた新自由主義はさらなる絶望的凶暴化を強めている。大恐慌は大失業と戦争を生みだすと言われるが、今次大恐慌は新自由主義のもとでそれをすさまじい形態・内容において現実化しつつある。大失業はいつまでも続き、膨大な長期失業者は生殺しの人生を強要されている。新自由主義のもとでもたらされた労働者の雇用における非正規職化の攻撃は、労働者階級の人生を踏みにじり、超低賃金と、不安定雇用か失業かの恐怖のうちに暮らすことを強要している。青年労働者の過半は世界のほとんどの国ぐにで失業か非正規職化の状況に追い込まれ、その地獄から抜け出られない現実を強制されている。労働者階級を生かしていくことも、働かせることも、食わせることもできない――というのは、もはや資本主義の歴史的寿命が尽き果てたということにほかならない。
 原発と原発事故の問題も恐るべき様相を呈している。原発労働者の被曝についてこのかん、さまざまな暴露が始まっているが、人間の生命が放射能でじりじりとむしばまれていくことを前提に原発は成立しており、電力会社は、いわゆる「生涯被曝量」をこえた原発労働者を街頭へ放り出して平然としている。
 また、福島第一原発の事故は実際には、「地上に置かれた原爆」が爆発したということそのものである。福島の200万県民の頭上に放射娘が降り注ぎ、10万〜20万といった人びとが故郷を追われていて、根本的な対応などまったくとられてはいない。
 しかも破廉恥のきわみだが、新自由主義、日帝・安倍政権は、「原発のシステム輸出」を公然と大々的に推進している。さらに、原発再稼働か、電力の大幅値上げの甘受かなどと言いつつ、爆発した福島第一原発の汚染水を処理せず、大地と海と空気の汚染が進行するに任せたままで、再稼働が強行されようとしている。
 資本主義は新自由主義のもとでここまで凶暴化し、腐敗・堕落している。骨のずいまで反労働者的存在になり果てている。もはや絶対に新自由主義(資本主義)を延命させてはならない。今の世の中の一切合財は新自由主義の害毒にさらされている。

▼新自由主義は打倒できる

 根本的突破は、新自由主義の打倒ということに煮つまっていく。そこをはっきりさせないと、あらゆる闘いは本当に徹底的に発展させることも、部分的勝利を収めていくこともできない。
 ここで革共同は、新自由主義の打倒はできるかという問いにたいして、できるときっぱり答えるものである。
 なぜなら、今日の大恐慌情勢と3・11情勢のなかで、新自由主義はたしかに大失業と戦争(このかんのシリア・中東情勢を見よ)を生みだしているが、同時に、大恐慌は革命を生みだすこともまた明らかであるからだ。今、世界のいたるところで、資本主義を打倒するまでとどまることのない革命的な労働者反乱が大々的に発生し発展している。  日本における「国鉄決戦と反原発決戦の爆発で日帝・新自由主義を打倒し、世界革命への道を切り開こう」という闘いが、動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)を先頭に、新自由主義の外注化・民営化・非正規職化攻撃の粉砕・阻止に向かって勝利的に進撃していることは、この世界的な革命的反乱の先頭を行くものとしてある。
 これまで、日本で新自由主義が一定、歴史的に存続してきたのはなぜか。それは、最末期の帝国主義が新自由主義として絶望的に凶暴化し、スターリン主義の破産をマルクス主義・共産主義の破産として反共主義的・強権的攻撃をもって労働組合運動つぶしの大攻撃に出てきたとき、社会民主主義やスターリン主義の既成指導部がこれに屈服し、降伏し、さらには協力者になりさがって労働者階級・組合員大衆の闘いを抑圧・圧殺してきたからである。
 だが、この構図はいまや日本を突破口に、世界的にうち破られようとしている。
 日本における反スターリン主義・革命的共産主義運動のこの50年の歴史は、いまや明確に一定の結実を見せはじめ、資本主義とりわけ新自由主義(最末期帝国主義の絶望的延命形態)を打倒しうる階級的労働組合運動を、革命的共産主義運動の戦略的前進として一体的にかちとる地平をついに戦取したということである。
 革命的共産主義運動が労働者階級の革命に向かっての階級形成において、階級的団結の基礎的形態である労働組合を革命論的に位置づけ、その戦略的主力を階級的労働組合の形成・創成のための闘いに注ぎ込むことを明確に自覚的に確認したことは、日本における、いな世界における革命的共産主義運動の歴史においても、画期的・創造的地平だと確信する。
かくてわが革共同は、次のスローガンを高だかと掲げて前進する。
 @世界大恐慌をプロレタリア世界革命へ
 A国鉄決戦(国鉄分割・民営化絶対反対、JR体制打倒)と反原発決戦の爆発的発展をかちとり、新自由主義を打倒して世界プロレタリア革命への道を切り開け
 B階級的労働運動と革命的共産主義運動の一体的形成をかちとれ(党と労働組合の一体的形成)
 C反帝国主義・反スターリン主義世界革命に向かって、万国の労働者は団結しよう この道をまっすぐに突き進むとき、必ず労働者階級は新自由主義を打倒し、世界革命への突破口を開くことができると確信する。

二 革共同の創成から91年5月テーゼヘ

(1)50年史をどう総括するか

革共同はこの50年の歴史をとおして、とりわけひとつの大きな結節点だった「党の革命」を戦取することをとおして、反スターリン主義・革命的共産主義運動の全面的開花の路線と地平をかちとり、新自由主義=帝国主義=資本主義を全面的に打倒し、1917年ロシア革命以来の世界史の新しいページを切り開くために、いま全党をあげた全力疾走体制へと突入した。
この50年の歴史は、革共同(動労千葉細胞も含む)全体の50年と、動労千葉を先頭とする労働組合の階級的労働組合としての建設のための長い闘いとの全一体としてとらえられる。また、あえて言えば、2006年の「党の革命」以前と以後とに大きく分けることもできる。ここに提起する革共同の50年史は、反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと、労働者階級の自己解放闘争の苦闘と前進の歴史である。
以下、次のような諸点を中心に若干の提起をしたい。
 @革共同の創成から91年5月テーゼへ
 A国鉄分割・民営化攻撃と闘い、勝利した動労千葉(動労総連合)の階級的労働運動の創成と、革命的共産主義運動における世界史的意義
 B90年代の苦闘的前進と党の革命
 C党の革命のかちとった地平
 D現段階(現在)における国鉄決戦を基軸とする革共同の戦略的総路線

(2)革共同の創成と60年安保闘争

 50年史をふり返るとき、まず、党の創成から91年5月テーゼにいたる闘いの意義についておさえたい。
 ここでは、反スターリン主義・革命的共産主義運動がその党としての骨格を、現実の帝国主義との激闘をとおし、またスターリニスト党や既成指導部との闘いをとおして、それらを労働者・学生・人民の先頭に立って闘うなかでかちとっていったということである。
 まず重要なことは、革共同は反スターリン主義・革命的共産主義運動の革命的な労働者党として自己を形成していくのであるが、けっして真空の中から飛び出したものではないということである。1950年代後半の草創期においては、日本ではスターリニスト党=日本共産党がいわゆる先進国では世界でもまれなほどの力をもって存続し、当時の「共産主義運動」なるものを圧倒的に制圧していた。
 しかし、第一に、日本の(そして世界の)労働者階級は、スターリン主義の重圧や桎梏のなかにあっても資本家階級と激突し、戦闘的で革命的な闘いを展開し、「スターリン主義は本当に労働者の思想か」という壁とぶつかって苦闘していたということである。第二に他方では、スターリン主義がそれ自身の反プロレタリア性から歴史的に行きづまり、自己破綻を引き起こすということである(1956年ソ連共産党20回大会でのフルシチヨフ報告によるスターリンの暴露)。 さらにそれは進んで、スターリン主義諸国の国内から労働者階級がプロレタリア革命の内容をもって反乱に立つということが発生する(1956年ハンガリー革命など)。また第三に、スターリンと対決したトロッキーの闘いを復権させ、左翼反対派潮流と結合した勢力が生まれてくる。さらに第四に、スターリン主義の哲学における客観主義化と対決し、マルクスのマルクス主義を学び返すという模索も進行した。
 革共同はこうしたなかで、労働者階級の現実の苦闘にあくまで立脚し、スターリン主義が労働者自己解放としての共産主義というプロレタリア革命の根幹を破壊し圧殺するものとしてあることを明確にし、スターリン主義打倒を革命戦略の中にしっかりと位置づけて、現代革命の戦略を〈帝国主義打倒・スターリン主義打倒〉としてうち出したということである。そしてその立場から、スターリン主義の一国社会主義は、革命ロシアの現実のもとで世界プロレタリア革命への前進を官僚制的利害から圧殺するイデオロギーであることを、端緒的につかんでいった。
 そして、第1次・第2次の革共同分裂を勝ちぬいて革共同全国委員会が1959年に結成された。この時点ではすでに、革共同は本多延嘉書記長のヘゲモニーのもとにあり、反帝国主義・反スターリン主義の世界革命に向けて労働者階級が革命的階級へと自己形成していくうえで絶対不可欠の課題として、労働者階級の党の建設があること、これを社会党・共産党既成指導部の抑圧をはねのけ、職場生産点に根を張ったものとして建設していくことががっちりと措定されたのである。

▼60年安保闘争をくぐりぬけて

 しかし、革共同がより本格的な、日本における反帝国主義・反スターリン主義の労働者党としての礎石を確立するためには、60年安保闘争の歴史的爆発の鉄火の試練をくぐりぬけることが必須であった。60年安保闘争の時点では、全学連は基本的に圧倒的にブント(共産主義者同盟)のヘゲモニーのもとにあったのだ。革共同全国委員会はこの時点では少数派であったが、いわゆる全学連主流派の戦列で全闘争を闘いぬいた。
 ブントは、50年代後半の反スターリン主義の大きなインパクトを受けて一定の左傾化をなしとげて、社会主義革命の立場で日本帝国主義とその安保政策と闘った。これは、日本における反スターリン主義・革命的共産主義運動が一定のバイアス(偏り)をもちつつも、現実の階級闘争を揺るがす物質力として登場したところに歴史的意義があった。
 実際にこの過程で、多くの青年労働者が日本共産党の呪縛を断ち切って、全学連とともに決起するという事態が生みだされた。
 しかし、ブントは反スターリン主義として自己を形成しえず、スターリン主義との決別が不徹底であった。小ブル急進主義や小ブル革命主義、つまり左翼スターリン主義的なものを内包したまま、社・共にとって代わる反帝国主義・反スターリン主義の労働者党建設の立場に立ちきって闘うことができなかったので、闘争の敗北とともに崩壊し、三分解してしまった。
 革共同はこのブントの崩壊・分裂過程において積極的にイデオロギー的・組織的な闘いを繰り広げ、60年安保闘争の敗北を〈反帝国主義・反スターリン主義・革命的共産主義運動の旗のもと、社・共に代わる革命的労働者党の建設〉として総括し、革共同のもとでの革命的左翼の統一をダイナミックになしとげた。

(3)3全総・3回大会と70年安保・沖縄決戦

 この革共同がさらに革命的労働者党建設の画次元的飛躍を実現したのが、1962年の革共同の3全総(第3回全国委員会総会)であった。3全総路線は「戦闘的労働運動の防衛」と「地区党建設」と「統一戦線」を大きくうち出した。これは、革共同が職場生産点に基礎を置く本格的な革命的労働者党として自己形成し発展していくうえで、決定的に重要な路線の提起と確立であった。これは明確にレーニンが『共産主義における左翼空論主義』でおこなった提起を完全に主体化したものとして、現実の労働組合運動に「戦闘的労働運動の防衛」という形をとって積極的にかかわり、そのなかで労働運動の推進と革命的労働者党の建設を一体的にかちとっていこうとするものであった。
 これはまさに、今日の革共同の〈党と労働組合の一体的建設〉という路線の原型モデルとも言うべきものであった。
 「地区党の建設」というのはこれと一体であって、この二つはじつは切り離せない。
戦闘的労働運動の防衛とは、具体的には戦闘的労働組合運動の防衛ということであり、当然にも直接的には産別的形態で展開される。党の産別委員会はこれを党的にとらえ返し、党的普遍性へと止揚していくものとして、きわめて重要な存在である。これは革共同が創造した画期的な組織的形態である。しかし他方では、やはり産別的特殊性とそのリズムによる偏倚(偏り)をもってくる問題、つまり平たく言えば産別主義の弊害も生まれてくる。地区党は産別の枠をこえて労働者階級という階級の立場に直接的形態において立っている。それは階級対階級の激しい階級闘争としてある政治闘争・経済闘争に、党の立場から真っ向から向き合うものとしてある。この地区党的立場に立つとき、党員はまさに十全の党員としての広さ・大きさをみずから獲得し、党的に飛躍的に成長する。この立場から地区党は、職場生産点に具体的に立脚しつつ、階級全体の立場から、一定の拠点設定などをとおして、党的拠点を形成していく決定的武器となるのである。
 そしてさらに言えば、この地区党をとおして、党中央と拠点職場細胞の一体的形成ということが強力に働いていくということである。
 3全総はこうして見ると、革共同の結成に次ぐような、巨大な党的自己形成の土台をつくったものであると言える。
 党の中央機関紙の革命党建設における意義を明確化したことも、3全総の最重要決定であり、今日の機関紙活動方針と連結するものである。

▼70年安保・沖縄決戦への前進

 したがって、この3全総が黒田・松崎らの激烈な反革命的敵対と逃亡を引き起こしたことは決定的に意味のある問題であった。彼らは革共同が真の革命的労働者党となり、プロレタリア革命をやりぬく党へと飛躍することを拒否し、民同の尻尾にくっついて、あくまで体制内に押しとどめようとする立場を固持したのである。彼らは革共同からたたき出された。いわゆる第3次分裂の本質はまさにここにある。
 しかし、この3全総的飛躍=党的飛躍の意義は巨大であった。この路線のもとで、労働者階級とともに荒あらしく闘いぬく階級闘争の党として革共同が自己形成したからこそ、3全総からの数年をとおして、労働者階級の中での党づくり・拠点づくりは圧倒的に前進したのだ。
 だからこそ、革共同は1966年の3回大会において、まさに反帝国主義・反スターリン主義の世界革命戦略を、全党の必死の討論をへて、スターリン主義を現実の階級戦争において打倒しきるものへと形成することができたのである。まさに党派としての社・共をのりこえる闘いの武器が求められ、かちとられていったということである。3回大会の戦取した画期的地平には巨大なものがある。ぜひ本書下巻第7章を検討して確認してほしい。
 この地平の上にはじめて、近づいてきた70年決戦を安保・沖縄決戦として、3全総の党が闘いぬくということが可能となったのである。
 したがって革共同の70年安保・沖縄決戦は、まさに3全総と3回大会で武装した労働者同志たちの、職場生産点に立脚した闘いであった。そうであることで、街頭的形態をとった政治決戦を労働者の階級的底力・戦闘性を発揮して闘うことができた。
 この労働者の革命的決起が、全学連に結集した学生の力を圧倒的に引き出し、70年決戦を爆発させる根拠となったのである。このもとで全学連は歴史的大闘争を勝ちぬいた。
 70年決戦は、こうして日本の労働者階級が日帝権力と真っ向から激突して、政治的決起を一個の蜂起戦としてかちとることに成功し、戦後最大の政治決戦を革共同自身の手で、60年安保闘争をこえるものとしてかちとるものとなったのだ。

(4)日帝権力と力クマルによる反革命をうち破った二重対時・対カクマル戦

 かくして70年安保・沖縄決戦は、革共同が主導する形で、日帝の基本政策としての安保・沖縄政策を根底から粉砕する闘いとして、安保粉砕・日帝打倒(のちに沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒)のスローガンのもとに日帝打倒をめざす政治決戦として闘われた。これは60年安保闘争を総括しきったうえで、それを質的にも量的にものりこえるものとして勝利的に貫徹された。
 70年決戦は日本帝国主義に決定的打撃を与えた。日帝の基本政策としての安保・沖縄政策は大きな打撃を受け、それは今日の日帝の政治支配を揺さぶる力の根源ともなっている。70年決戦を勝ちぬくことで、革共同は反帝国主義・反スターリン主義のプロレタリア革命をめざす労働者党として、いよいよ労働者階級の職場生産点に根を張った巨大な勢力へと発展する過程に突入した。
 これは日帝権力と反革命カクマルを恐怖のどん底に追い込んだ。そして激しい反革命襲撃が開始された。日帝権力による破防法(破壊活動防止法)の発動、K=K連合(警察=カクマル連合)の組織化とそのもとでのカクマルの白色テロル(反革命暴力)集団への転化が、その具体的姿であった。
 権力に支えられ、それと連携したカクマルの白色テロルは凶悪きわまるものであった。このなかでカクマルはついに、革共同の創始者であり、一貫して最高指導者であった本多延嘉書記長を、卑劣な手段で虐殺(暗殺)するところまでいった。権力・カクマルの狙いが、革共同そのものの圧殺によって、70年決戦の革命的地平を反動的に葬り去ろうとするものであることは明白であった。
 しかし、労働者党として70年決戦を一つの政治決戦・蜂起戦として闘いぬいてきた革共同の同志たちの怒りは、ここにおいて恐るべきものとして爆発した。権力および反革命カクマルとの二重対峙・対カクマル戦をわれわれは、先制的内戦戦略を確立して闘いぬいた。革命党を白色テロルで圧殺し、そのことで階級的な闘いと組織を全面的に一掃していくことを目標としたファシスト的勢力との戦争は、プロレタリアートが革命に向かって前進する過程で必ず勝ちぬかなければならない絶対的課題である。中途半端は革命の死を意味する。ここで革共同が、このK=K連合下の白色テロルとの闘いをきっぱりと一個の戦争と位置づけ、党の総力をこの革命戦争の勝利に集約したことは、画期的な地平への飛躍の戦取だった。
 いったん決断した革共同の労働者同志たちの階級意志は堅固そのものであった。ものすごい戦闘性・革命性が燃え上がり、反革命を圧倒する戦争が組織され、戦争上の力関係は変革され、次第にカクマルを圧倒していった。そして、この二重対峙戦は、二重対峙・対カクマル戦における党の任務を、戦争を第一の任務としていた段階(フェーズT=PT)から、帝国主義の攻撃の急激なエスカレートに対応して、国鉄分割・民営化と対決する国鉄決戦と三里塚二期工事阻止の決戦を第一の任務にすえて闘う段階(フェーズU=PU) への移行をかちとっていった。80年代における「三里塚」「国鉄」を軸とする対権力の革命的武装闘争の爆発は、歴史創造的なものとして展開され、圧倒的かつ勝利的に貫徹された。
 もちろん、この戦争のなかで、動労千葉の同志は戦いの主体として存在し、ある意味で労働組合の陣地に踏みとどまり、権力、カクマル松崎、カクマルそのものによる動労千葉圧殺攻撃と闘いぬくという、ある意味で最高に困難な任務を闘いぬき、勝ちぬいていった。
 二重対峙・対カクマル戦はじつにPI・PU合計で20年間におよぶというすさまじい長期戦となったが、91年にはついに5月テ−ゼを戦取し、再び全党が労働者階級の真っただ中に入っていくことを宣言するにいたった。これは革共同が歴史的な巨大な反動攻撃についにうち勝ったことを意味していた。いよいよ革共同は創成以来、3全総以来の全成果を踏みしめて、戦争勝利の基盤の上に、新たな歴史的・革命的飛躍に向かって前進する地点に立った。

三 新自由主義の国鉄分割・民営化攻撃をうち破った動労千葉の闘いの世界史的意義

 しかし、この20年間(70年代・80年代)における日本の反スターリン主義・革命的共産主義運動の闘いは、以上の展開に尽きるものではなかった。先に若干言及したが、動労千葉において同志たちは中野洋同志を先頭にして、この70年決戦と対カクマル戦の渦中において、カクマル松崎、動労本部・JR総連、K=K連合による動労千葉破壊・抹殺攻撃にたいして、動労千葉の労働組合としての階級的団結の力で原則的に粘り強い反撃を組織して、階級的労働運動形成への基盤をつくり上げていった。
 そして、日本における新自由主義攻撃の中心軸となった国鉄分割・民営化攻撃と真っ向から対決して、ついにその根幹を粉砕し、労働組合の階級的団結の堅持に勝利するという画期的地平を切り開いたのである。世界的に見ても、新自由主義の大合理化攻撃にたいして真っ向から絶対反対の立場を貫き、強固な階級的団結の力で2波の大ストライキをたたきつけ、これに勝利したという事例は動労千葉をおいてほかにはない。
 これまで日本の戦後労働運動でも偉大な大ストライキは数多くあるが、資本の存亡をかけた、国家権力を動員しての大合理化攻撃によっていずれも最後的には分裂・解体へと追い込まれていった。ではなぜ、動労千葉はこれに勝利することができたのか。これは中野洋委員長(当時)のストライキ突入前夜における次の言葉に集中的に表現されている。
 「三人に一人の首切りに対して闘わなかったら、組合の団結は絶対に破壊される。残りたい組合員が仲間を裏切って当局に擦り寄り始めたら、組合員同士が疑心暗鬼になる。職場の仲間の連帯感は破壊されてしまう。そんなことを放置できない。闘うことによってしか、団結を守れないんだ」(『俺たちは鉄路に生きる2』146ページ)
 ここにはまさに生きたマルクス主義がある。国鉄分割・民営化という大合理化攻撃の核心には、労働者の組合的団結の破壊という狙いがある。このことをリアルに全組合員の一人ひとりの認識としてかちとり、労働者としての誇り・連帯感・生き方の一切をかけて、強固な組合的団結を強力に敵階級・資本にたたきつけ、階級的力関係を揺さぶり、労働者階級の階級的利益をなんとしても守り、切り開く。労働者階級にはまさにこのように階級闘争を闘い、ついには自己を資本のくびきから解放していく力が内在している。中野同志のアピールにはこうした労働者・組合員・労働者階級への信頼感がみなぎっている。
 言うまでもなく、これは1985年の国鉄分割・民営化阻止のストライキの時に、にわかにできる提起ではない。この背後には70年代、とりわけ72年の船橋事故以来の反合理化・運転保安闘争の組合的・大衆的・路線的確立の闘いがある。すなわち、当事者の労働者に事故責任があるのではなく、強引な合理化を続けて運転保安を踏みにじってきた資本に一切の責任があることを徹底的に明らかにし、一人の労働者の不当な首切りを阻止するために全組合員が処分も覚悟の大ストライキで闘う。まさにこうした必死の闘いが血の通った強固な組合的団結をつくりだし、それが、国鉄分割・民営化阻止の大決戦を階級としての団結と誇りにかけて闘いぬくことに、一人ひとりの労働者が人生をかけて立つという力を引き出したのである。
 この動労千葉の切り開いた地平は巨大である。これは断じて過小評価されてはならない。この動労千葉の国鉄分割・民営化阻止のストライキとこの闘いでの勝利は、世界史的意義をもっていると言って過言ではない。いわば、戦後労働運動史におけるひとつの「パリ・コミューン」の戦取なのだ。

▼階級的労働運動路線の確立

 動労千葉が70年代から80年代においてうち立てた地平、国鉄分割・民営化をうち破る階級的労働運動路線の意義は、まとめれば次のように言えよう。
 第一に、動労千葉のこの路線は、新自由主義の攻撃、すなわち民営化・外注化(アウトソーシング)などをもって労働組合的団結を破壊する――ここに新自由主義の一切の延命策の核心がある――攻撃のすべてを根底からひっくり返す力を秘めている。このことは90年代、2000年代から今日にいたる闘いにおいても、JRの第二の分割・民営化との闘いや4大産別(国鉄・全逓・教労・自治体)での公務員攻撃との闘い、その他あらゆる合理化・リストラ攻撃をひっくり返す力を秘めている。
 第二には、動労千葉が切り開いた闘いの意義は、労働者階級解放闘争における労働組合の役割をあらためて、というか、初めて決定的に明らかにしたということである。そしてそれは、労働者自己解放闘争としての共産主義運動にとって、労働者階級の基礎的団結形態としての労働組合は、労働者が闘いのなかから階級的意識を明確にかちとり、プロレタリア革命をめざす革命党の闘いと一体化し、自己を革命的階級へと形成していくうえで決定的に重要な武器であるということだ。
 それは、党と労働組合を分離し、党は政治闘争を闘うものとして組合より一級上に立つといった、第2インターのカウツキー以来の労働組合の位置づけ、そしてスターリン主義によって決定的・ドグマ(教条)的に確立した位置づけを根底から揺さぶるものである。マルクスとエンゲルスが追求し、レーニンが1917年の革命を前にプラハ協議会を画期として戦取した地平をより鮮明に確立するもので、マルクス主義の発展にとっても画期的意義をもつものである。
 革共同全体は20年間の二重対峙・対カクマル戦に勝ちぬき、その勝利の地平の上に新たに労働戦線に全面的に入り、反スターリン主義・革命的共産主義運動の労働者党を断固つくり出そうと91年5月テーゼをかちとったが、そのときすでに動労千葉(動労水戸)という形で、圧倒的に5月テーゼのもとで闘う方向が、じつは本質的に準備、いや提示されていたということである。
 5月テーゼは、二重対峙・対カクマル戦をこえて革共同がさらに前進すべきときに、この動労千葉の勝利を土台にして、中野同志のヘゲモニーのもとに戦取されたということである。
 もちろん、それは20年間の対カクマル戦を反ファシスト戦争として死力を尽くして闘いぬき、権力と反革命カクマルの野望を徹底的にうち砕いた革共同の闘い、またその主力を担った労働者同志たち、そして学生の同志たちの闘いの革命的意義の確認と一体で確認することも、またきわめて重要である。

四 5月テーゼの戦取とその貫徹のための闘い

(1)5月テーゼとは何だったか

 これまで述べてきたように、70年決戦と対カクマル戦における勝利をかちとるとともに、動労千葉(動労千葉・動労水戸―動労総連合)が新自由主義による国鉄分割・民営化攻撃を突破し、カクマル松崎の裏切り的・反階級的正体を暴露して根底的に打倒しさるにいたったという地平で、ついに戦取されたものが91年5月テーゼである。
 5月テーゼは、反ファシスト戦争を担いぬいた全戦線の労働者の闘い、とりわけ最も厳しい形で権力・JR・カクマル松崎との内戦下の動労千葉解体攻撃に勝ちぬき、国鉄分割・民営化攻撃を核心的に粉砕し、階級的労働運動の原型を創造して闘いぬいた動労千葉の労働者がみずからの手でかちとったものである。戦争的勝利だけでなく、動労千葉の勝利なしに、5月テーゼが「労働者の中へ」を戦略的重心として提起することはできなかったのである。
 こうして革共同はまさに労働者の党として、反帝国主義・反スターリン主義世界革命の思想、マルクス主義で全身を武装して、この20年間の一切の成果をひっさげて母なる労働者階級の大地へと向かい、労働組合運動の中にどこまでも入り、職場生産点に階級的・戦闘的労働組合を創成し、それと一体で前衛的に闘いぬく労働者党建設への道を突き進むことを断固として宣言したのである。
 そして、まさに「3全総路線へのラセン的回帰」の闘いを土台に、新たな圧倒的地平をめざして90年代の決戦に突入していった。具体的には、国鉄決戦と三里塚決戦を基軸に、階級的労働運動と労農同盟の創成・強化・発展のために断固として闘いぬいていった。
 19全総・20全総はその中間総括であり、闘う路線の提起であった。

▼党の再確立が問われる

 しかしながら、5月テーゼは、「3全総路線へのラセン的回帰」の道を驀進し、そのめざしたものを全面的に開花させていくためには、党をマルクス主義と労働者自己解放闘争の党として再確立することが不可欠であることをただちに突き出すものとなった。言うまでもなく、5月テーゼまでの20年におよぶ超長期の内戦的情勢のなかで、反ファシスト戦争を闘いぬくことに党のあり方を局限することになったため、軍事的機能性に引きずられて、党建設上はゆがはさまざまな歪みを余儀なくされるという側面はあった。
 マルクス主義の基本文献の学習を党的・組織的・個人的におこないつつ、職場生産点内での活動の経験を積み上げ、党的・地区的・産別的に指導していくという、3全総以来のあり方をなんとしても再生産することが要請されたのである。
 もちろん、この困難自体は予想されたことだし、動労千葉が切り開いた階級的労働運動の原則的展開の実例は生きた形で存在し、モデルとしての意義をもっていたことも事実である。そして実際、多くの古参労働者同志も内戦期を勝ちぬいてがんばっていた。またこうした困難を予想して、5月テーゼの際には、じつは「マルクス主義基本文献学習シリーズ」の刊行を確認していた。これは多くの同志たちの努力で大きな成果をあげていった。
 だが、問題はそうした一般的困難の問題だけではなかった。
5月テーゼを本当に全面的に発展させるためには党の全面的変革・根底的変革、あえて言えば党の革命が必要だということが、厳然として存在していたのである。

(2)5月テーゼ反対派との闘い

 問題は、5月テーゼ下の闘いが国鉄決戦を基軸として19全総・20全総を結節点に前進していくなかで、先に言及したような困難一般ではなく、プロレタリア革命路線としての5月テーゼ路線に反対する反対派が形成され、執拗な分派闘争が展開されたということである。
 この5月テーゼ反対派は、小ブル革命主義・小ブル平和主義などさまざまな日和見主義者の集団であったが、総じて言えば「血債主義派」「糾弾主義派」であった。これとの党内闘争は、革共同が動労千葉を先頭に労働戦線に圧倒的に基軸をすえて闘い、5月テーゼ路線が進めば進むほど激しくなった。この反対派は、マルクス主義とプロレタリア革命路線がますます明確になり、労働者階級こそ唯一の革命的階殺であるというマルクス主義にもとづく武装が進むことにたいして激烈に反発し、"これは7・7路線を後退させるものだ"などとして強力に反対するものとしてあった。
 さらに言えば、この血債主義派・糾弾主義派は、革共同の70年7・7自己批判の階級的本質を歪曲して、「7・7」にかこつけて、「日本の労働者階級・労働組合は差別主義に汚染されていてそれ自体としては革命主体たりえない」などと主張した。革共同をプロレタリア党と差別糾弾派の連合党に変質させようとし、プロレタリア独裁そのものを連合独裁のようなものへと小ブル革命主義的に変質させるものとしてあった。
 7・7自己批判の本質は労働者階級への不信などではまったくなく、日本と中国の労働者がプロレタリア国際主義のもとで、世界革命に向かって国際連帯と国際主義的団結を強めるための路線にほかならなかった。7・7自己批判での「血債」の確認それ自身は、労働者階級の階級意識の鮮明化・明確化ということであって、侵略戦争の根源は日本帝国主義そのものであり、プロレタリア革命によるこの打倒こそが真の国際連帯の根幹であるということを何ひとつ踏みはずすものではなかった。
 さらに言えば、血債主義派・糾弾主義派の主張の裏側には、日本の労働者階級・労働組合運動一般への不信というだけにとどまらず、実際には5月テーゼをかちとる原動力となった動労千葉の階級的労働組合の防衛・強化・創成の闘いについて、"しょせんは民同的組合の左派的形態にすぎない"などという、不信をこえた蔑視があったということである。
 また、動労千葉を先頭とする労働者同志たちが職場生産点において、資本との非和解的闘いをとおして労働者の利益を守り、組合的団結を強化し、資本主義の支配を打倒し、革命に向かって労働者階級の階級的形成を不断に闘いぬくことにたいして、「経済主義」などとなじりつつ、対抗的に政治決戦主義や小ブル革命主義的主張を強調していったのである。
 重要なことは、こうした血債主義派・糾弾主義派はたんに、イデオロギー上間違っているといった問題ではなかったということである。20年間の内戦期のなかでマルクス主義での党的武装が後退し、何かにつけて「7・7自己批判」をふりかざし、血債主義や糾弾主義のイデオロギーをもって他党派と対峙するのみだったり、党のイデオロギー活動に代えてしまうという傾向が、5月テーゼを迎えた時点で根強く残存していた。血債主義派はこれを明らかに組織してひとつの物質力として、党内分派闘争を激しく展開したのである。
 そしてこれは、じつに深刻なことに、党の中央指導部を二分するものとなり、現実の党活動において、5月テーゼにもとづく動労千葉型労働運動の全国化のための闘いを推進することにたいする重大な妨害物となり、敵対物となって、党を危機的状態へと追い込むものとなったということである。さらにこれは党の革命において、関西で典型的に暴露されたように、党指導の行政権力化、直接的な暴力的・テロル的組織運営、財政的・道義的な恐るべき腐敗をも生みだしていったのである。  また、別の意味で言えば、党の同志たちの活動の一挙手一投足を取り上げて、自己を糾弾者の立場において糾弾し、労働戦線・諸戦線における党活動を阻害し破壊するものとなっていた。

▼私の誤りと自己批判

 このような血債主義派・糾弾主義派の5月テーゼ反対の分派活動とそれによる党内危機の激化について、私自身、議長として中央指導部の最高責任を負ってきたものとして、ここにおいて自分はどんな存在としてあり、どんな役割を果たしたのかについて明らかにしておきたい。
 私はこのような血債主義派・糾弾主義派について、その誤りは一定認識し、批判もしてきたつもりであった。だが、彼らを組織的に打倒し、中央・地方の指導部から一掃していくことが火急の絶対必須のことであることをつかみきれなかった。
 自分は、端的に言えば、彼らをイデオロギー闘争の対象としてしまい、組織内討論をとおして変革できるとしてしまい、彼らを、5月テーゼ路線を現実の階級闘争のなかで妨害し、敵対しているものとしてつかみとることができず、結局その存在を容認してしまった。このことは、現実には彼らの活動を自由にし、結局承認するということであり、この糾弾主義派・血債主義派を支え、助長するものにさえなるし、なったということである。  いまひとつ決定的なことは、5月テーゼ下で、労働戦線のど真ん中で新自由主義の国鉄分割・民営化攻撃と必死で闘い、階級的労働組合をつくり上げていくために全力で闘っている動労千葉から学び、動労千葉型労働運動をめざす中央指導部内の同志や全国の同志から学び、革共同としての「時代認識と路線」を深めていくという立場に、同志たちとともに立つことができていなかったということである。そしてここから必然化したことは、糾弾主義派や血債主義派と懸命に闘いつづけて動労千葉とその切り開いた地平に立ち、革共同の中にそれを全体化していくために奮闘していた中央指導部の同志たちを、5月テーゼ推進派の最高の指導部として、彼らと一体化して闘う立場に立ちえなかったということである。
 私は明らかに、党絶対化の立場に立ち、党を労働組合より上に置くという立場に立っていた。労働者自己解放闘争の立場から労働者階級の労働組合的決起を共産主義運動と一体にとらえる立場を踏みはずしていたということである。
 ここでいまひとつ、80年代・90年代の党指導部としての自己の誤りについて明確に自己批判し提起しなければならないことがある。それは、一連の選挙闘争における革命的議会主義の適用において、現実の階級闘争、党の階級的労働運動の推進ということをあくまでも土台とし総括軸として選挙闘争を闘うのではなく、党のための闘争を自立化し、選挙闘争において当選を自己目的化する誤りを犯したということである。これは当然にも党を議会主義的腐敗へと導くものとなった。これが党建設上、あるいは5月テーゼ完遂の闘いにとって重大なダメージを与えたことは、万死に値するものとして、党と階級の前に徹底的に自己批判しなければならない。
 この現実は5月テーゼと対立するし、新自由主義の大攻撃と全力で闘っている労働運動を革命的労働者党建設の中心軸にすえて、全国で必死の命がけの闘いを展開している同志からすれば、もはや党の革命以前の党のあり方、私の中央指導部としてのあり方を全面的に革命的に打倒し、とって代わる党のあり方、党の指導部をつくりだす革命に決起することは、絶対必須の階級的課題であったということである。

五 「党の革命」がかちとった地平

▼労働者同志の蜂起的決起

 2006年に起こった「党の革命」は、革共同のこうした現実を根底から変革するものとして、06年〜08年をとおして強力に展開された。  第一に、「党の革命」はまず、血債主義派が党の指導部を牛耳っていた関西地方委員会の労働者同志たちの自己解放的蜂起として展開された。そしてこれはただちに東京の労働者同志をはじめ、全国の労働者同志を基軸とする一個の蜂起的決起として発展した。これはまさに、「労働者階級の解放は、労働者自身の事業である」というマルクス主義のプロレタリア革命論の本質を、党の革命的変革の事業において凝縮的に開示するものとして戦取された。
 「党の革命」はきわめて歴史創造的な決起であった。これは、5月テーゼに反対し、血債主義的指導路線を推進し、労働者の闘いに敵対する党指導部とそのもとでのあり方を根底から吹き飛ばし、みずからそれにとって代わる党の最高指導部と党のあり方を果断に創造していった。そして労働者党の指導部そのものも労働者階級自身、労働者自身の力でかちとっていくという、労働者自己解放闘争の最も根幹的な事業の勝利への革命的第一歩がついに世界史的に創造された。実際に、労働者同志たちを最先頭として、糾弾主義派と全力で闘いぬいてきた指導的同志によって構成される革命的指導部が形成された。より本格的な労働者革命党への歴史的第一歩がここに踏みだされたのだ。
 党の革命は、歴史的には、@草創期―60年安保闘争、A革命的左翼の革共同のもとへの統一と3全総、B3全総―3回大会―70年安保・沖縄決戦、C二重対峙・対カクマル戦、D国鉄分割・民営化阻止決戦と三里塚決戦といったプロセスをへて、労働者階級が91年5月テーゼの地平をかちとったという土台の上に成り立っている。そして、5月テーゼの90年代〜2000年代初頭における苦闘の総決算として、ついに党(革共同)をプロレタリア革命の党として、革命的な飛躍した地平へと押し出していくものとして戦取された。

▼私自身の新たな決意

 この「党の革命」において、私自身は革命的に打倒された。私はこれを真っ向から受け止め、自己批判をした。
 糾弾主義派を容認し、結局それを助長しはびこらせたこと、5月テーゼ反対派と全力で闘い動労千葉の同志たちとともに5月テーゼ下の革命運動の新地平を戦取するために闘っていた同志たちと一体化できず、対立的ですらあったことは、断じて小さな誤りではない。「党の革命」に立った労働者同志たちから断罪され、打倒されたことを真っ向から受け止める。徹底的に自己変革し、一共産主義者として再出発するために、マルクス主義を生きた形で学び、動労千葉が切り開いた、革共同が切り開いた階級的労働運動の路線とその闘いから学び、そうした闘いの前進のために全力をあげて取り組んでいく決意を固めた。
 これをやりぬくことは、現実の労働者階級が現実の困難と闘いつつ資本のくびきを吹き飛ばして前進していく過程とどこまでも一体化し、労働者の自己解放の力の無限性への信頼を強め、日常不断に同志たちとともにどこまでも闘いぬくことだと確信している。

▼労働者自己解放思想の再獲得

 「党の革命」のかちとった地平はきわめて大きい。
 まず第一に、党の革命自体が労働者同志の自己解放的決起としてかちとられたことから、全党が自己解放の気風にあふれ、権力・資本との断固たる闘いと「階級的団結、党的団結」の獲得をめざして切磋琢磨する党風が巻き起こり、全党に、指導部・被指導部ということをこえて主体的決起の闘いが嵐のように展開されるにいたっていること。
 第二に、動労千葉と動労千葉のかちとった地平が圧倒的に全党的に確認され、動労千葉を先頭にした動労千葉型労働運動の拡大強化こそ、新自由主義打倒の階級的・政治的闘いの根幹をなすものとして明らかにされ、全党がその路線のもとで奮い立ったということである。
 第三に、動労千葉論の深化のなかから労働運動・労働組合運動の革命論的意義が明確となり、実践的にも理論的にも、反スターリン主義・革命的共産主義運動は圧倒的な大爆発の時代への幕を切って落としたということ。
 そして、これは具体的には、日本での新自由主義化攻撃の基軸となった国鉄分割・民営化攻撃との不屈の闘いのなかで、「時代認識と路線」という形でマルクス主義的労働組合論を現代的に獲得するものとなった。
 そして、労働組合が労働者階級解放闘争における基礎的団結形態として位置づけられ、そこから革命に向かっての開かれた体系としての労働組合の意義がつかみとられ、党と労働組合の一体的建設論へと突き進んだ。
 そして、プロレタリア革命は労働者階級自身の階級的行為としてかちとられることがあらためて明確になり、革命的階級への階級形成論の立場がつかまれたのである。そしてそこから、労働者階級自身の力でつくり出される労働者党と、労働者階級の基礎的団結形態としての労働組合の本質的一体性が明らかになり、労働者党としての党の決定的意義もスターリン主義的疎外をうち破る生きいきとした内容で確認されることとなった。
 第四は、マルクス主義の党としての党建設、およびマルクス主義そのものを革命的に主体的に発展させていく方向が明確になった。現実の労働者の自己解放闘争、階級的労働運動との具体的一体化のなかでこそ、その実践的前進と結びついてこそ、理論的作業は深化・発展し、マルクス主義の創造的主体的把握は可能となっていくということ。
 5月テーゼ下の任務として措定され、実現された「マルクス主義基本文献学習シリーズ」の刊行も、まさにこのことを示している。また、このかんの党学校・労働学校の意義は明確である。この実践と結びつくことなしに今回の50年史もありえなかったのである。
 第五に、この第四点目の一環でもあるが、このかんの新自由主義論はまさに動労千葉の労働者同志が実践のなかで直接につかみとったものであり、今日の革共同が新自由主義を「最末期帝国主義の絶望的延命形態」と規定していることもその延長にある。さらに言えば、新自由主義は、たんにそれが基本的に帝国主義だという規定だけではとらえられない絶望的凶暴性・反社会性・自己破綻性を、実践のなかで動労千葉の同志たちが新自由主義としてとらえ、つかまえたということ。これから革共同は必死に学んでいるということである。
 第六に、綱領草案もまたそうした労働運動の実践と結合したものとして、マルクス主義を主体化することで可能になったものであり、まさに現代の『共産党宣言』といって過言ではない。綱領草案には、「労働者階殺の解放は、労働者自身の事業である」という思想と理論が、『共産党宣言』の革命的再生としてみなぎっている。

▼新自由主義論の決定的深化

 党の革命の切り開いたもののなかで特別に重要なものは、現代の労働運動・革命運動にとって新自由主義こそ打倒対象であり、新自由主義打倒こそ現代プロレタリア革命の戦略的課題であるということだ。
 そして、さらに新自由主義はその歴史的特質からして、労働者階級の階級的団結、とりわけ労働組合的団結の根底的一掃・抹殺をめざして運動することで、自己をかろうじて維持しているということ。この意味で今日の動労千葉(および動労水戸―動労総連合、国労共闘)を先頭にかちとられている日帝・JRの外注化・民営化攻撃との闘いは、新自由主義の延命の根幹をうち砕く闘いであり、日帝の体制を転覆していく闘いとして決定的意義をもってきていると言える。
 ついでに確認するならば、すでに5月テーゼをうち出した91年の時点で動労千葉の闘いはこの点を突き出していたのであり、新自由主義の民営化・合理化攻撃との革命的決戦こそが5月テーゼ下での90年代の革共同の闘いの戦略的基軸にすえられ、階級的労働運動の創成に向かって進むべきだったということである。19全総・20全総はこの線で大きく前進したが、6回大会ではこれを中心軸として、一切の総括軸としてすえきれなかったのである。ここに6回大会の致命的限界があった。

▼全党の飛躍的前進

党の革命以降の反スターリン主義・革命的共産主義運動の前進は、以上ではまったく言いきれていないくらい大きい。まさに全党が生まれ変わって、階級的労働運動の前進のためにほとばしるようなエネルギーを発揮して総決起している。そのことによって、いたるところで画歴史的な前進がかちとられている。
▽国鉄決戦の著しい前進。新自由主義打倒の戦略的決戦。
▽国鉄決戦と反原発決戦の一体的爆発への闘い。動労水戸の被曝労働拒否闘争と国労郡山工場支部の闘いの一体化の画期的地平。
▽マルクス主義青年労働者同盟の闘いの本格的・原則的前進。全逓の闘い。東京西部ユニオン鈴木コンクリート分会(合同労組)の闘い。非正規職撤廃闘争の前進。
▽激動する日米の安保・沖縄政策の展開と対決する、階級的労働運動路線と国際連帯にもとづく沖縄闘争の新たな展開(画期的地平)。
▽新自由主義と対決する三里塚闘争の現代革命における意義は巨大である。
▽13年参院選における山本太郎氏の勝利をかちとった日本の労働者階級の闘い。
▽学生運動の圧倒的な画歴史的勝利。戦後学生運動史上最高の学生運動の革命的発展の時代が到来した。法大闘争での新自由主義大学との闘いの創造的・戦闘的前進は日本学生運動史の金字塔であり、新たな学生自治会にもとづく革命的学生運動の始まりである。この闘いは、新自由主義を大学から打倒し、全社会的に打倒していく道を切り開いている。それに続く偉大な闘い――京大同学会の再建、東北大、広島大。
▽全戦線での闘いの路線的武装の前進。

▼11月集会と国際連帯闘争の発展

 動労千葉が主導し、党の革命をとおして本格的・爆発的に発展したものとして、11月労働者集会の組織化の闘いがある。
 重要なことは、11月集会は、国鉄分割・民営化の武器となった国鉄改革法を合法化し、大量解雇を正当化した98年5・28東京地裁判決への階級的反撃として始まった労働者集会であるということだ。これを支えたのは、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部、全国金属機械労働組合港合同、動労千葉の3組合共闘である。
 これはきわめて強靭な階級的労働運動をめざすものである。この3労組共闘は、かけがえのない階級的・革命的統一戦線である。これは、国鉄1047名解雇撤回闘争の解体を狙った2010年4・9反革命と対決する国鉄闘争全国運動の母体そのものとなった。国鉄闘争全国運動をともに創成するなかで、3労組共闘はいまひとつ階級的団結を深めた。3労組共闘は、日本の労働者階級の宝である。革命的共産主義運動の50年史においても燦然と輝く存在である。
 そして動労千葉と3労組共闘の闘いは、2003年から韓国民主労総および米ILWU(国際港湾倉庫労働組合)を11月集会に迎え、日韓米の3国連帯をつくり出した。職場生産点における原則的な職場闘争を基礎として新自由主義と闘うという、革命的共通項で結合するすばらしい連帯である。2003年から13年まで、3国連帯の内容は年々豊かになってきた。またこれはドイツ・トルコ・ブラジル・フィリピンなど世界の多くの闘う労働運動を強く引きつけ、連帯の質と量を拡充している。
 労働者階級は本質的に国際的存在である。まさに労働者は自己を国際的なひとつの階級の一員として自覚したとき、真に階級的となり、共産主義者になると言える。毎年の11月集会が、闘う国際的労働者が一同に会するというだけでものすごい革命的インパクトを参加者に与えるのは、真の団結のもつ迫力がそこにあるからである。
 革共同は、この11月的国際連帯の発展とがっちりと結びつき、一体化することで、真に国際的なプロレタリア革命のためのインターナショナルな党(諸党)の建設への道が開かれると確信する。
 大恐慌が大失業・戦争と革命を生みだすとき、国際連帯の闘いは、世界革命のための闘いそのものである。この闘いは、「党の革命」より前から始まって、「党の革命」を促進したと言える。そして、「党の革命」がこの闘いの革命的・爆発的発展への扉を開いた。国際連帯をさらに力強く発展させよう。

 

六 国鉄決戦に勝利し、革命情勢を革命そのものに転化しよう

党の革命をへて、2013年の時点で革共同は、次のように言いきることができる。 大恐慌と3・11情勢は資本主義の終わりを示す。大恐慌と3・11情勢はともに新自由主義の大破産である。革共同の提起する国鉄決戦と反原発決戦の革命的爆発は、必ず新自由主義の絶望的延命のあがきを粉砕する。大恐慌と3・11情勢は、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命に転化する。
 これは国際連帯闘争の爆発的発展のなかで必ず勝利する。
 世界金融大恐慌は、大失業と戦争と革命を生みだしつつ、さらに全面的に爆発していく。そしてそれは帝国主義間・大国間の全面的争闘戦を非和解的に激化させ、世界経済の分裂とブロック化を推進する。
 このなかで最末期帝国主義の絶望的延命形態としての新自由主義は、自己の延命と当面の利潤の最大化のためなら何でもする。すなわち労働者階級への絶望的な犠牲の転嫁に走るとともに、必ず戦争、侵略戦争、世界戦争へと(体制が続く限り)突き進む。イラク戦争からわずかの間もたたないのに、帝国主義的中東支配・世界支配のためにあらゆる口実をもうけてシリア・中東への侵略戦争へと突入しようとしている。新自由主義のこの大破産の向かうところは、人類史上経験したこともない地獄図以外にない。
 資本主義はいまや労働者を働かせることも、食わせることも、生かすこともできない。それどころか戦争において労働者階級同士・人民同士を殺し合わせることでかろうじて日々延命しようとしている。
 これと一体にとらえるべきものは原発問題であり、核問題である。
 新自由主義のもとで福島第一原発の大事故は、絶対に収束などできない。なぜなら新自由主義は、儲けにならないことはしないからだ。また原発事故はたんなる大きな事故ではない。地上に置かれた原爆が爆発したものなのだ。地震国日本で54基も原発をもっとは、信じられない暴挙以外の何ものでもない。このままなら必ずさらなる大事故が発生する。福島の県民200万人を、そして東日本・全日本の労働者人民を放射能の洪水の中で平気で働かせ、搾取を続けようという者には、いまや人間社会を担う資格はない。しかし新自由主義は絶対に原発を手放せない。核兵器も手放せない。
 こうして、いまや圧倒的多数の労働者人民自身が、「このままではやっていけない、社会体制がおかしい」と自覚し、行動を自主的に起こしつつある。反原発・原発再稼働阻止のために100万の規模の人びとが首都を埋め尽くし、その中から立ちあがった山本太郎氏は全都・全国の青年労働者・学生の支持を得て、参院選で66万余の得票で圧倒的な当選をかちとっている。世界中で同じような闘いが、いや革命そのものが爆発しつつある。
 つまり、いまや世界も日本も完全に革命情勢に突入しているのだ。このことをしっかりと、世界の現状分析として確認することだ。この確認のもつ意味はきわめて大きい。 それは、労働者階級が生きていくためには、そして労働者階級として団結して闘いぬくためには、この革命情勢をプロレタリア革命そのものに転化すること、発展させることが階級的・絶対的義務となるということだ。具体的には新自由主義を打倒することである。

▼革共同の到達地平

 革共同は、この革命情勢を革命に転化する鍵は新自由主義の本質そのものにあることを、この50年の闘いのなかで学びとった。新自由主義は、反マルクス主義(マルクス主義の世界史的勝利への反動)と労働組合的団結の根底的一掃、帝国主義的労働運動への変質ということにすべてよりかかって成立しているということだ。これは日本での国鉄分割・民営化攻撃を見るまでもなく、恐るべき凶暴性をもつが、しかし革共同と動労千葉は、この二つの点こそ逆に新自由主義の弱点であることを歴史的苦闘の末に学びとった(これが本50年史の内容である)。
 革共同は、長い歴史をとおして反スターリン主義・革命的共産主義運動として自己を形成し、帝国主義打倒・スターリン主義打倒のプロレタリア世界革命の路線を闘いとった。
 これは、新自由主義による、スターリン主義をマルクス主義とすりかえるペテン的反マルクス主義の脆弱性を圧倒的にうち破るものとしであったのである。
 動労千葉は、この革共同と一体で反スターリン主義・革命的共産主義での階級闘争を展開し、労働戦線のただ中でマルクス主義を学ぶ階級的労働組合という画期的な地平を創造的に切り開き、新自由主義の労組破壊の決定的戦略としてある全面的合理化(民営化・外注化・非正規職化などの)攻撃を、国鉄分割・民営化決戦とその後の闘いでうち破ったのである。労働者階級の階級的団結こそ、資本のあらゆる攻撃をうち破り、労働者階級の当面の利害と将来の革命への利害を守りぬく力であることを、労働組合として学びとったということである。
 そしてこの二つは党の革命をとおして、党と労働組合の一体的建設をとおして労働者階級を革命に向かって階級的に形成するものとして、がっちりと結合したのだ。
 いまや労働者階級はこの情勢、すなわち資本主義(新自由主義)の全面的破綻の切迫情勢のなかで、プロレタリア革命を遂行する力と陣形(巨万の陣形)をいかに準備するのかということが任務となっているということである。
 この革命的準備の最大の戦略的環は何か。それは新自由主義のあらゆる攻撃に反撃するとともに、革命に向かって労働者階級の階級的準備をつくり出すことである。  具体的に言えば、いま連合ダラ幹など御用組合幹部や、社会民主主義的・スターリン主義的既成指導部が牛耳っている労働組合運動を彼らの腐敗した手から奪い返し、労働者階級の革命に向かっての基礎的団結形態としての労働組合をつくり出し、発展させることだ。この労働組合の攻防において、反スターリン主義・革命的共産主義運動が勝利を収めていくことこそ、今日、日本でも世界でも決定的任務となっている。 言うまでもなくこの闘いは、動労千葉・動労水戸―動労総連合、国労共闘を先頭とする国鉄決戦をはじめ、4大産別決戦―6大産別決戦、全産別決戦として、この2012〜13年において著しい戦略的前進をかちとってきた。とりわけ動労千葉を先頭として、日本の新自由主義の中心攻撃としての国鉄の第二の分割・民営化(外注化・民営化・非正規職化の攻撃)にたいする闘いが、ついに検修外注化攻撃を先端で打破して組合的団結を守りぬく闘いとして大前進をかちとっていることである。さらに動労水戸・国労郡山工場支部を先頭に、この外注化決戦と一体で被曝労働拒否の大闘争をつくり出していることである。反原発決戦が被曝労働問題を基軸に全面的・階級的に爆発する展望を切り開き、200万福島県民の怒りと完全に結合する道を進んでいることである。
 さらに、国労・動労千葉をとおして巨大な闘いとなった1047名解雇撤回闘争において、4・9反革命をついにうち破る闘いが開始されていることである。1987年の国鉄分割・民営化時の不当労働行為を認めた12年6・9地裁判決戦取の地平、さらには国鉄改革法そのものが全体として不当労働行為の体系であることを示す歴史的文書の発見と暴露をかちとったことは決定的だ。そして13年9・25高裁判決が不当労働行為の事実を否定できずに再び認めたことを受け、最高裁での解雇撤回を求める新たな10万筆署名運動が全力で推進されている。いまや国鉄決戦は、現在直下の外注化攻撃(これはこれから大々的に展開され、全国鉄労働者の闘いを呼び起こす)との闘いと、国鉄分割・民営化自体を違法不当なものとして押し出しJR体制そのものを打倒する闘いとが、一体化する展望すら切り開くにいたっている。
 これは、日帝・安倍のアベノミクスの大破産が始まり、一切が労働者階級への襲撃としてしぼり上げられてきているなかで、巨大な意味をもつ。すなわち公務員500万〜1000万への攻撃として展開され、「成長戦略」の名のもとに戦後憲法下の労働三権をことごとく破壊しつくす大攻撃が進んでいることにたいして、真っ向からの反撃を組織するものとなる。ここでの労働者階級の怒りは、国鉄決戦を軸として、すさまじい迫力で日本の労働運動の地図をぬり替えはじめている。
 このように、いまや労働者階級の闘いは、新自由主義を打倒する階級的労働運動の再生をめざして、歴史的高揚の時代を迎えようとしている。ここに革命情勢を革命に転化する、革命への大準備の進行がある。

▼非合法・非公然の党建設

 さらにここで、ある意味で最も大切な確認をしよう。
 それは、プロレタリア革命に向かっての準備という点では、革共同と動労千葉(階級的労働運動)の闘いは、いまひとつ、革命の最大の必須の条件をつくり出す闘争にも圧倒的に勝利してきたということだ。
 それは、プロレタリア革命は本質的にブルジョア国家権力打倒の暴力革命としてのみ実現されるということである。
 したがって、反スターリン主義・革命的共産主義運動は、50年の歴史をとおして日帝・国家権力、治安警察などのすべての反革命攻撃と闘いぬき、それに断固反撃し、勝利して前進してきた。そして、プロレタリア党は本質的に非合法・非公然の党であることを結成以来の党是として、70年闘争も、二重対峙・対カクマル戦も、その後の国鉄決戦もすべて闘いぬいてきた。非公然党の建設と防衛の闘いは階級闘争における最深の、最高の闘いだ。
 このかん明らかになった日帝の本格的スパイ工作である荒川スパイ事件において、革共同はみずから、階級的労働運動の爆発の力と、それと一体の非合法・非公然の党をもってついにこれを摘発し、日帝権力に致命的打撃を与えた。革共同は、これを史上最大級の勝利としてがっちりと確認する。
 また、70年決戦以来、じつに39年もの超長期にわたって獄中生活を強いられてきた星野文昭同志の奪還の闘いは、星野文昭・暁子夫妻の革命的決起と全党・全労働者の決起として前進し、星野同志絶対奪還の闘いはいま階級情勢を揺るがすものに発展している。星野奪還闘争とはまさに国鉄決戦・原発決戦とならぶ一大階級決戦である。星野同志の闘いの地平は、世界史的に未曽有の画期的地平である。星野精神でこそ、革共同は全面的に武装していくということである。
 革共同はいかなる弾圧も、スパイ工作も恐れない。これは50年の歴史のなかで、ある意味で最も誇ることのできる革共同の到達地平だ。

最後に再び訴える。
▽国鉄決戦と反原発決戦の力で、日帝・新自由主義を打倒しよう。
▽国鉄決戦と反原発決戦を国際連帯の巨大な闘いへと発展させよう。
▽階級的労働運動の前進と国際連帯闘争の発展で日帝の改憲・戦争攻撃を阻止しよう。
▽新自由主義打倒、帝国主義とスターリン主義の打倒に向かって革命的に決起した全世界の労働者と連帯しよう。
▽反帝・反スターリン主義世界革命万歳!
▽全世界の労働者の団結万歳!
▽21世紀前半の早期に、日帝打倒・プロレタリア革命をかちとり、世界革命の先頭で闘おう!
▽労働者の党、革共同万歳!

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