荒川スパイ問題をめぐる新事実公表と革共同政治局断罪の表明

水谷保孝、岸 宏一
2014年5月3日

1)革共同が荒川スパイ問題の核心的事実を公表しないのはなぜだ

 荒川碩哉(あらかわ・ひろや)スパイ問題が明らかになってやがて1年になります。70年安保・沖縄闘争の先頭に立ってたたかい、権力による実刑攻撃を受け、未決を含めて15年余という長期の獄中闘争を非転向でたたかいぬいた荒川が、その後、内閣情報調査室と公安調査庁の二重スパイとなって18年間にわたって革共同内外の情報を権力に流してきたという問題は、きわめて衝撃的な事件です。
 事態のあまりの深刻さと、革共同中央派政治局の態度が不透明なばかりかこの事件の発覚を「大勝利」と空叫びしたために、革共同の党員の中には疑問と不信の声が生まれました。「党中央がスパイ断定の重要な根拠となる事実を明らかにしないで、またでたらめなことを言い出した」とか「政治局の責任を棚上げして、党内の反中央分子狩りに使っているのはおかしい」という批判が起こり、それはなお解決されないまま続いています。
 しかも、革共同中央派政治局は『革命的共産主義運動の50年 現代革命への挑戦(上巻)』(13年12月)の中で、「…(権力は)数か月の沈黙ののち、荒川に指示して『スパイはデッチあげ』であるなどという声を上げさせた。荒川はどこまでも国家権力の先兵として行動しつづけ、家族をも全面的に裏切り、売り渡し、死にいたるあがきを重ねている」と一言だけ触れました(79ページ)。そのためかえって不信の声を強めさせ、「荒川が言うデッチあげとはどういうことなのか」「荒川が隠れてどんな活動をしているというのか」「党中央はどうしてきちんとした反論をしないのか」という意見がいたるところで出ています。
 党内外で起こっている意見と批判は当然のことです。
 こうした革共同中央派政治局の荒川スパイ問題における誤りと不透明さが、その後の荒川の延命策動を生み出しているのです。

 私たちもまた、同書によって、荒川自らが「スパイはデッチあげ」と言い回る行動を重ねているものと受けとめ、事態はいっそう重大化していると考えました。内調と公調の二重スパイが今もなお活動しているとなると、放置しておくことはできないからです。事件が明らかにされた13年6月前後から私たちも調査を開始し、逃亡した荒川の足跡を見つけようとしてきましたが、昨年末からさらに調査を進めました。
 以下、私たちが知りえた事実について全面的に公表するものですが、その前に、革共同中央派政治局に問い糺すことがあります。

 すなわち、革共同中央派政治局は、ただちに荒川スパイ問題の核心的事実を党内外に明らかにせよ、なぜそうしないのか、ということです。
 第一に、スパイ荒川やその他の人物が今になって「荒川=白」説を吹聴して回っているのは、革共同中央派が荒川スパイ問題で当然にも明らかにすべき事実を何ら公表しないことによって、彼らに活動の余地を与えてしまっているからなのです。
 政治局は「荒川がデッチあげだと言っている」などとか細い声でささやくのではなくて、権力および荒川によるデッチあげ説がまちがっているというのであれば、スパイと認定した根拠となった核心的事実を公表すべきです。13年6月の『前進』声明にしても、前出の「50年史」にしても、事実公表があまりにも不透明です。これ自体、権力とたたかっているはずの党派の態度としては実におかしなことです。何か弱みがあるのか、明らかにすると困る事実があるのかとしか考えられません。
 はっきり言って、事実を公表することで政治局が自己批判しなければならない問題があり、自己批判を避けるために事実公表をしないということなのでしょう。党中枢にずかずかと踏み込まれたスパイ事件が荒川スパイ問題なのですから、「事実公表イコール自己批判」なのです。
 だが、自己批判したくないから事実公表しないなどということは許されるわけがありません。

 第二に、革共同中央派政治局がつかんでいる、荒川言うところの「デッチあげ」の具体的な内容とはどういうものなのか、明らかにすべきです。
 なぜこう言うのか。革共同中央派政治局は党内外で全然信用されていないからなのです。諸君のやることなすことすべて「話半分だ」とか、「いつもの牽強付会だ」とか、「根拠なし」とか、そうとしか思われていないのです。先の都知事選挙での鈴木達夫の歴史的な大惨敗をこともあろうに「大勝利」と「総括」したことなど、一部の忠誠分子を除いて党員のほとんどが「またおかしなことを言っている。何が大勝利だ。惨敗じゃないか。ふざけている」と語っているのです。まして、革共同中央派以外のたたかう諸人士、諸団体においては、鈴木大敗問題をもって、もはや革共同など見向きもしなくなっているのです。
 何よりも、党内粛清に明け暮れている革共同には、何の公正さも公平さもなくなったと思われているし、現にそうではないですか。
 政治党派であるなら、階級闘争全体の中で自分たちがどんなに不信がられているのかをもっとよく自覚してはどうなのか。
したがって、党内外の多くの人たちは、「荒川が自分はスパイにデッチあげられたと言っている」と聞けば、革共同のやることは信用できないから、荒川にも言い分があるのかもしれないと思うのです。ことが権力によるスパイ化攻撃なのですから、一度ぐらいは公正で公平な態度を示さなければならないはずです。荒川が何を言っているのか明らかにすべきなのです。たたかう人々が客観的に判断できる素材を明らかにすることは、何ら恐れることではないはずです

 革共同中央派政治局よ。荒川スパイ問題にかんする核心的な事実の公表に、今からでも踏み切れ。
 私たちの昨年6月の声明(「荒川スパイ問題にたいする私たちの謝罪と自己批判 2013年6月21日」)をここでは繰り返さないが、権力のスパイ化政策とその具体例を労働者階級人民の全体の教訓として共有しようという立場にどうして立とうとしないのか。荒川の家族の苦しみ、星野文昭氏や奥深山幸男氏の受けた衝撃、荒川を信頼してきた支援者の人たちの葛藤を、どうして党として受け止め、政治局として真摯に自己批判しようとしないのか。これをやらないということは、権力がどういう対応をするのかを恐れていると判断するしかありません。

 この点、改めて正面から問うものです。

2)「荒川=白」説のストーリーについて

 さて、私たちが革共同「50年史」での記述を読んだ後、14年の1月に入って、「荒川碩哉が自分はスパイではないと言っている」という情報が聞こえてきました。その「荒川=白」説を何人かに話しているのが、甘糟義信(前年9月に除名処分。運動場面では滝川宗夫のペンネームを使用。以下では甘糟で表記を統一)であるということでした。そこで、私たちは甘糟と会うことを追求し、水谷が甘糟と、2月24日に会談しました。そこで、荒川が言う「真相」なるものを甘糟の口から詳しく聞いたのです。そして27日にも会談し、荒川の言うストーリーをまちがいないよう再確認しました。その内容は、少々長いですが、会談記録として作成しました。

 

●資料:甘糟との会談の記録(※27日に甘糟が読んで朱入れした記録文書)

註:会談内容を文字にしたことにたいして甘糟は非常に躊躇した。そしてこの文書のまま他人に見せないよう要望したので、「この文書をメールに添付して他に回さないことを約束します」という一筆を書いた。しかし、後段で述べるように、荒川と甘糟は相当数の人たちに同じ話をしていたこと、また筆者らとの関係を一方的に断ち切ってきたことから、公表に踏み切ることにした。【 】内は引用者註。 (第1回:2014年2月24日午後2時30分〜5時25分、第2回:27日午後1時〜3時30分)

 13年末、甘糟が荒川と会った。甘糟の方から連絡をとろうと手を尽くし、それに荒川が応じる形で、会うことになった。【どのような連絡方法をとったのか、荒川の居場所はどこなのか糾したが、不可解なことに甘糟は教えなかった。】
 荒川が甘糟に対して語ったことを、甘糟の口調で記す。

「問題がスパイ問題なので、荒川に断って、話をすべて録音した。」

「内調と公調の二重スパイとされているが、まったくのねつ造であることがはっきりした。荒川は白だ。
 【13年】5月8日に荒川は拘束された。坂木【政治局員、労対議長】、有岡【内田透、東京西部地区委員】、新井(中島)【東海地方委員会議長】、坂井【東京西部地区委員長】が自宅に来た。最初は、自宅に上がり込んで尋問してそのまま自宅に置いておくようだったが、(荒川)みどりが都合が悪いと断ったため、ハワイ(杉並区上高井戸の事務所)に移動した。荒川は、11日に沖縄で尾形【尾形史人。1997年離党】と会う予定だった。みどりには、そのことは告げてあった。」
「11日に沖縄にいる尾形から甘糟に電話があった。『荒川が来ないのだが、どうなったのか?』と。自分は、『荒川のことだから日時をまちがえたのではないか』と答えた。その翌日会う約束をしていた星野暁子が尾形に電話してきた。『党中央から、尾形と会うなと言われた』と。【尾形からその連絡を受けて、】それで、自分としては、荒川が拉致・査問をされているのだろうと考えた。」
【荒川は星野裁判闘争の重要な一角をしめ、獄中の星野も信頼しており、連れ合いの暁子とも運動上の関係が強かった。星野裁判闘争の性格上、沖縄の位置が大きく、関係者はしばしば沖縄に行っている。沖縄には尾形がいる。5月11日には荒川が沖縄に行って尾形と会い、星野暁子も翌日合流することになっていた。この三人の沖縄での会合が党中央によってつぶされたと受け止めた甘糟は、非常事態が起こったと推定した。荒川が密かに反中央の動きをしていたことを知っていた甘糟は、拉致・査問と察知した。なお、なぜここで党から逃亡した尾形が出てくるのか、筆者らは疑問に思っている。】

「自分は、荒川に対して、『発表によると、厖大な自白書があって、その中で「自らスパイであることを認めた」とある。自分が聞いているところでは、自白書は100枚のものと160枚のものという2通があるとのことだ。どういうことなのか』と糺した。それに対して、荒川は、『2通の自白書については、署名もしていないし、見てもいない。そんなものがあるとはまったく知らなかった』と答えた。『査問が一区切りするごとに、しゃべったことをまとめろと言われて、自筆のまとめを作成した。それは100枚ある(註:たぶんレポート用紙100枚分ということか)。自筆のものには、スパイであることを認める、などと書いていない』と反論した。」

「坂木から聴取されたのは、甘糟との関係、◯◯との関係、◯◯との関係などなどであり、党内の誰と接触し、どういう話をしたのかということだったそうだ。党の路線への批判をしていることも聞かれた。それらについては、事実をしゃべった。党の路線への批判も述べ、書いた。坂木から、反党分子という追及はあったが、お前は権力のスパイだろうという追及はなかった、と言っている。」
「5月8日に自宅の部屋に【坂木ら党中央によって】踏み込まれて、ガサられた。いろんな物を取られたと言っていた。預金通帳も…?
 その中に、谷垣禎一【国家公安委員長、自民党総裁を歴任、現法務大臣】とのツーショットの写真があった【撮影時期は不明】。兄の長男の結婚式に出席した際の写真だったそうだ。兄と谷垣は東大法学部時代の友人同士で、兄の長男の結婚式に呼んだもの。谷垣とはその時だけで、何の関係もない、と荒川は言っている。」
(註:兄と谷垣は麻布高校―東大法学部と同期の間柄。兄と荒川は異母兄弟。)

「自分(甘糟)の方から、1995年に内調のスパイになり、2000年に公調のスパイとなったとされているが、事実はどうなのか、と糺した。」
「荒川は、『それは親の遺産の金が入った時のことだ。オレは父親の生前に遺産相続は放棄した。それでも父は兄にこれだけは渡してくれということを言い置いた。1994年に父が死んだ後、翌年、兄から6590万円(甘糟:「もしかすると6950万円かも」)が振り込まれた。父がそうしたのは、孫(荒川の娘)が可愛かったからだろう。内調がスパイの報酬として一度に6590万円も支払うわけがないだろう』と言った。
 また、『もう一つは、自分に年金がないことを知っていた父がオーストラリアの外国債券を購入して、それを年金方式にしたものがあり、2000年から一定額が振り込まれてくるようになっていた。それを指して、公調からのスパイの報酬とこじつけたのだろう』と言った。年金方式というから2カ月に1回、ひと月10万円ぐらいだろう。」

「母(名古屋在住)が1995年に亡くなった。その遺産の方で今の自宅を00年に建て、さらに住居の土地を駐車場にした。その金が毎月定期的に入ってきている、と言っていた。このことだけは女房に言ってある。荒川は、かなりの収入があったということだ。
 前の二つの父の遺産からの金については、みどりに話していなかったとのこと。」

「荒川は、坂木からの追及を受けて、天田【天田三紀夫、革共同書記長】はオレの金が欲しいのだろう、と感じた。党は金に困っていることはわかっていたし、天田は金にしつこい奴だから…。荒川は膀胱ガンがあって、オペを3回受けた直後でもあり、体力、気力がなかった、と言っていた。『この査問を受けながら、死ぬかもしれないという気持ちになった』と言っていた。そのため、自分の命さえあれば金は党に全部渡してもいいと、いったんあきらめた、という。
 坂木との間で、金庫を解約し、中にあるものをすべて渡して、預金をすべて解約して、別の通帳に入れ替えるという話になったようだ。
 坂木からは『2年間、三里塚に行け』と聞かされた。そこで自己批判しろということだろうと理解したとのこと。」

「しかし、荒川は、思い直して、金は絶対に渡さない、渡してたまるか、と逃げ出すことを考えた。そのため、みずほ銀行の貸金庫のことをしゃべり、脱出の手立てを考えた。
 6月4日の午前9時30分にみずほ銀行(荻窪支店)に行った。山森【中央常任】、片山【中央常任】、みどりが同行した。本人しか入れないので、彼らを待たせ、貸金庫に入った。銀行側に監禁されているということを話したところ、銀行側は他にも似たようなケースを扱ったりするようで、警察が来たが、すぐ帰り、難なく通用門から出ることができた。みどりが銀行側に、どうなっているのかという談判をしていたようだった、と言っていた。だから、荒川は逮捕はされていない。
 『貸金庫には預金通帳など金、契約書の関係のもの一切を入れてあった』という。党の内部文書はそこには置いていなかったようだが、荒川に確かめてはいない。
 党の内部文書はきちんと隠した方がいいので、貸金庫を作った方がいいというアドバイスは、自分がやった。だが、荒川はその前から貸金庫を作っていたようだ。」

「坂木が尋問の際にもらしたことがあるそうだ。天田と坂木とはちょっと違うところがある。坂木は、荒川とWOB【革共同中央労働者組織委員会】で一緒にやってきた仲だという関係がある。
 その坂木が、12年に本社ガサがあった際に、ガサが終わって引き上げる時に、デカが天田に『荒川は内調と公調との二重のスパイだ。知らないのか』と告げた、ともらした。そのため、天田は荒川を調査することにした。その後、ずっと調査していた。立ち入り先を追尾したりしていた、と言った。
 坂木には、何月何日にはどこからどこに行ったのだと、具体的に追及された。荒川の行動を追跡していたからだろう。
 荒川は、自分をスパイだというのは、天田がやったことに違いないと思っている。天田という人を考えると、デカがささやいた言葉から突っ走ったのだろう。荒川のことを調べ、後に引けなくなって、スパイだということで押し通したとしか考えられない。」

「12年12月末に、荒川の部屋に坂木と片山が踏み込んできた。その際、パソコンに入れてあるファイルなどのデータをプリントアウトさせられて持って行かれた。かなりの分量があったようだ。スイカの乗車・下車情報を取られ、乗り降りの履歴をつかまれた。」

「荒川は、13年段階では病気療養中であった。坂木とは一定期間を決めた会議をやっており、藤掛【藤掛守、政治局員】とはたまに話をしていた。有岡が毎週、機関紙を届けに来ていた。
 荒川は、05年6月都議選の時に、胸が苦しくなり、阿佐ヶ谷の川北病院の救急に行った。ちょうど循環器の医者がいて診てくれたが、うちの手に負えないということで、杏林病院に送られ、そこでも循環器の医者がいて、胸部大動脈瘤破裂と診断され、緊急の手術を受けた。2か所穴が開いていたそうだ。
 その後、膀胱ガンが発見され、12年に3回手術している。
 査問を受けた時は、病状についての相当強い不安があったことだろう。」

「水谷・岸連名の荒川スパイ説の声明について、荒川は、水谷は自分をわかっていてくれると思っていたが、そうではなかった、と言っていた。岸とは、藤本【関東の部落解放戦線担当常任、06年除名】を含めて3人でフラクションをやった仲だったのに、と言っていた。」
「水谷・岸連名の声明で、喜んでいるのは天田だ。あの声明は、影響力も大きい。荒川と会って、黒か白か確かめたいなら、会うように仲介する。ただ問題が問題だけに、お互いに複数で会うという形にした方がいいだろう。荒川に会う場合は、2人の声明について謝罪してほしい。
 荒川が白だということについて、岸と検討をしてほしい。」

「荒川が自分は白だという訴えをするかどうかは、わからない。気力、体力のこともあり、どうするかは決められないようだ。それは荒川が決めることである。荒川がそうするなら、手助けするつもりだ。
 荒川は、この話は自分(甘糟)とほんの一部にしかしていないようだ。
 荒川は、今回の拉致・監禁・査問をめぐる経過について、克明なメモを作っている。かなりの量になっているとのことだ。いずれ公開することを考えているのではないだろうか。」

「荒川は、その後も党の情報についてよく知っている。党が自分をどういう扱いにしているのか、とか……。最近の動きについても、知っている。知るルートがあるのだろう。」

「12年12月に自宅をガサられた【前出の坂木と片山が部屋に踏み込んで諸文書類を押収した件】後、5月に拉致されるまで、荒川は、注意しながら、甘糟、◯◯、○○などと会っていた。」

3)荒川に「出てきて事実を公表せよ」と通告

 即日、その話を私たち両人はつぶさに検討し、荒川が語る「自分は白である」という話を分析すればするほど、「荒川=権力のスパイ」という結論しか出てこないという判断を強めたのでした。同時に、「荒川=白」説を何人もの人に話している甘糟も荒川と共犯ではないかと疑いました。
 そのため、私たちは、水谷が27日に再度、甘糟と会談し、荒川への3点にわたるメッセージを口頭で甘糟に託しました。そのメッセージは甘糟への疑念を通告するメッセージでもありました。肝心な点は、“荒川が自分は白だと言うなら、そんな大事なことを皆の前に出てきて公表しないのはおかしい。公表せよ”という突きつけにあります。口頭だけでは正確に伝わるかどうか不安であったので、3月9日付けで甘糟のメールアドレス宛に同内容を文章化して送信しました。その際、荒川にたいして、3月31日までに回答するよう要求しました。

●資料:甘糟を介しての荒川への通告(2月27日に口頭、3月9日にメール)

滝川宗夫【甘糟義信】様【再録にあたって強調部分に下線を付けた】

 2月27日に会って、私の方から話した内容を再現して文章にしました。これを荒川に伝えてください。何よりも、あなた自身がよく読んでください。

 そこでも言いましたが、対権力の問題、権力のスパイ問題の取り扱いは、透明に、公明正大に、やるべきことではないのですか。こそこそと隠れてやることではないでしょう。荒川が「自分は白だ」と語っている問題について、「人によって言い方を変えている」(あなたの言葉)というやり方は、おかしいのではないですか。

 あなたが荒川に対して言うべきことは、荒川自身が姿を現すこと、労働者人民の前に出て、黒なら黒、白なら白と、社会的にはっきりさせることを要求することではないのですか。荒川の友人であることを自負するなら、そうすべきではないのですか。
 荒川がそれをやるというなら、当方は、そのための舞台設定を引き受けましょう。当方が間違っているなら、潔く、自己批判し、謝罪するということを重ねて強調しておきます。

 3月31日までに荒川の返事を当方に知らせてください。
 もし、3月31日までに、何の返事もない場合は、当方としては、荒川が「自分は白だ」と主張しているが、むしろますます内調および公調のスパイであったという判断を強めるほかありません。それゆえに、一定の限られた友人たちには、この間のやり取りをすべて明らかにします。

 第一。
 甘糟を介して伝わってきた荒川の説明を検討すればするほど、われわれは、荒川が権力のスパイであったという心証を強めた。
 荒川よ。こそこそと動いて、甘糟やその他の人を惑わすような言動をふりまくのをやめよ。潔く姿を現し、自分がスパイであったことを認め、たたかう労働者人民に謝罪し、自己批判せよ。何よりも、星野文昭氏、奥深山幸男氏に、そして自分の連れ合いと娘さん、およびお前を革命家と信じて最後まで支援し続けて亡くなったお母さんに土下座して謝れ。自分がなぜ権力のスパイになったのか、どういう心の闇があったのか、権力の側はどのような手口で荒川に接近し、籠絡してきたのか、権力側の人物の所属、氏名など人定事項をすべて明らかにせよ。どのようなスパイ行為を働き、何を権力に流したのかを明らかにせよ。
 この行為を全面的に行うならば、それは権力とそのスパイ化工作を真っ向から告発するものとなる。それをやれ。
 スパイとなった過ちをとりもどすことはできない。だが、自分の過ちを率直に認めて、すべての関係者の糾弾を受けるとともに、権力の悪行を暴くということは、やらなければならないことなのだ。人間としての尊厳と良心があるならば、人々の前に姿をさらし、スパイであったことのすべてを明らかにせよ。
 かつてロシア革命のなかで、スパイ・マリノフスキーは、発覚を恐れてドイツに逃亡したが、17年革命の後にロシアに舞い戻って、スパイであったことを認め、革命ロシアの処断を受けて死んだ。
 荒川よ。せめてマリノフスキーがロシアに戻ってきたように、人々の前に姿を現せ。自分の娘に、お前の人間らしい誠実さを示したいとは思わないのか。お前が、告白と謝罪をするというなら、その場を設定するよう力を尽くそう。革共同・中央派が関与できない形で、公表する場を作ることはできる。
 スパイであったことの真実を明らかにすることは、何も恐れるようなことではない。権力サイドからの報復から身を守るには、すべてを白日の下にさらすことだ。
※追記:荒川が岸、藤本とフラクションを形成していたと語っているが、そのような事実はない。荒川はなぜそんなウソをつくのか。

 第二。
 もし、こう言われて悔しいなら、自分はあくまでも白だというなら、それこそ姿を現して、身の潔白をすべて明らかにするがいい。いや、荒川個人が公表するかどうかを判断するという問題ではなく、もし冤罪ならとてつもなく重大な組織犯罪を革共同中央派がやったということであって、必ず全社会、全労働者人民に公表しなければならない義務がある問題である。
 われわれがもし荒川を白であると確認したならば、昨年、出した2人の声明を撤回し、全面的に謝罪し、自己批判する。そうすることに何のこだわりもない。
 そして、スパイでない同志を権力のスパイとデッチあげた革共同中央派とその組織犯罪を全社会的に暴き、左翼世界での生命を絶つように、あらゆる手段でたたかう。もし荒川が白であるなら、その一点で革共同は潰れるだろう。
 何よりも第一に、娘さんに白であることを伝えるべきである。ぐずぐずするのはおかしい。何を躊躇しているのか。
 デッチ上げを暴露された革共同中央派が荒川を追及してくることに対しては、弁護士、表現者、運動団体を結集して、荒川を守る陣形をつくるよう力を尽くす。そこは、度胸を決めて出てくるべきである。
 しかし、荒川は、われわれを白であると説得できるか。われわれは、むしろますます黒であると考えている。荒川よ。出てきて、われわれを説得してみよ。

 第三。
 甘糟は、「荒川=白」説をもって回るのは、もうやめにせよ。荒川にいつまでだまされているのだ。いい加減に頭を冷やして、自分のやっていることを考えてみよ。
 甘糟は権力というものの恐ろしさをまったく自覚していない。権力はすべての活動家をスパイに誘い込もうと虎視眈々としている。荒川はその餌食になったのだ。
 荒川が権力のスパイであるという仮説を立てて考えたことはないのか。そうすれば、すべて辻褄が合うのである。それなのに、白説を何人もの人に話すようなことをしていると、甘糟はスパイ荒川の共犯者になる。そんな甘糟は怪しい、甘糟も権力のスパイではないのかと思われるだけだ。
 荒川の話にはウソがある。
 査問の際に、坂木は「反党分子」という追及をしてきたのであって、権力のスパイという追及はしなかったという話が、おかしいと思わないのか。天田が本社ガサの時にデカからささやかれたというなら、査問は最初から内調および公調のスパイとして徹底的に追及することになる。スパイ追及がなかったなどという話が、そもそもありえない。
 自白書には、自分がスパイであることを認める記述はないという話がおかしいではないか。自分はスパイであると追及もされていないし、自白もしていないのに、スパイにでっち上げられたというストーリーが作り話だと思わないのか。もし、荒川が、査問の追及に抗しきれず、病気を抱えて苦しかったために、心ならずも、スパイではないのにスパイであると供述させられた、しかし自分はスパイではない、潔白だ、と訴えるというなら、わからなくはない。警察の密室での訊問と同じで、ウソの供述をさせられるということはなくはない。しかし、査問過程でスパイうんぬんという話はまったくなかった、という説明が、そもそも説明になっていないではないか
 荒川が査問を受けてからほどなく、党内には「荒川がスパイであった」という情報が流された。連れ合いのみどりは、査問から逃亡までの過程をずっと知っていたはずだが、みどりは夫が権力のスパイであると認める手紙を高崎経済大学関係の友人たちに送っている【みどりの手紙については 6)で言及】。それなのに、当の本人だけがスパイ容疑をかけられたとは思ってもいなかったというのは、ありえない話である。荒川の作り話でしかない。

 そもそも、荒川がスパイでないというなら、中央派はどうしてわざわざスパイ規定しなければならないのか。反党分子として断罪し追放すればいいのであって、その証拠は十分すぎるほどある。スパイでないのにスパイだとデッチ上げるというリスクを冒す必要などさらさらない。無実の人間が名乗り出れば、たちどころに崩壊するようなデッチ上げを、どうしてやる必要があるのか。政治党派がそんなリスクのあることをやるはずがない。昨年6月の党の声明では、荒川が他に多くの反党分子とかかわっていたと書いているが、他が反党分子であるのとは区別して、荒川だけをスパイとしている。それだけの根拠があるからだと推測できる。
 現在の天田体制がでたらめな、妄想にしがみつくカルト集団みたいな組織であっても、とんでもないリスクを冒すとは考えられない。天田が超でたらめでも、政治局には弁護士である鈴木達夫がおり、清水丈夫もいる。そういう連中が全部、わけもわからないスパイ話をデッチあげるとは、想定できない。
 また、党の側は荒川の預金通帳を手に入れて中身を見たのか。もし、見たのなら、金がどこから振り込まれたかがわかる。兄からであり、年金の生命保険会社からである。それを内調と公調から振り込まれたとは言うまい。預金通帳を見ていないなら、見せろと追及するだろう。だから、スパイの報酬の金については、荒川が自白したと考えるのが、自然であり、荒川の話は嘘くさい
 それに、荒川は、12年12月の自宅ガサ以後も、反党分子とみなされたことが明らかなのに、反中央のメンバーと会うなど、活発な党内情報収集の活動をしている。昨年6月に逃亡以後も、党内の情報を良く知っているという。それこそ、スパイとしての使命をもっているから、そんなにも精力的な活動をしているのではないのか。
 甘糟は、頭を冷やしてよく考えよ。                    以上

4)荒川メールを受信

 その後も、甘糟には私たちのメッセージメールを荒川に伝えたかどうかを確かめようと、何度も電話を入れましたが、まったく応答がありませんでした。

 期限の31日には甘糟に何回か電話をかけました。すると、31日の期限ぎりぎりの23時台に、名前を名乗らずに、荒川と思われるメールアドレス(hiroから始まるメールアドレス)からの返事が水谷のメールに送られてきました(hiroメールとする)。さらに午前4時台に甘糟のメールアドレスから同趣旨の返事が送られてきて、追加して「先のメールは荒川硯哉くんからきたものの転送です」という註が付けられたメールがきました【「硯哉」と誤記】。同趣旨の、と言うのは、hiroメールの文章を何カ所も添削したものだったからです(添削メールとする)。

●資料:荒川からの返事(hiroメールおよび添削メール)

《hiroメール》

水谷様
 滝川君から最近メールが転送されてきました。3月31日までに返事を、ということでしたので、一筆します。メールを拝見した結論は、申し訳ありませんが現時点ではとりたててご返事することはありません。
 ただ、私の意思ではないにせよ、このデマにより党の再生に向けて努力されてきた多くの同志に対して、結果的にご迷惑をかけることになったとすれば、申し訳なかったとお詫びいたします。この間の「前進」記事のねつ造をはじめとするさまざまな迫害に対しては批判と反論する権利は担保【留保のまちがい?】します。また三人組(党中央)【天田、坂木、木崎の3人を指す】に反発を強めていた同志たちを恫喝する目的で展開されたデマに対しても、反撃する権利を担保【前同】します。
 私は三人組を断じて許さない。いまはその対決に全エネルギーを集中したい。だから願わくは事実を確認しないまま声明など出さないでほしい。天田・坂木の主張そのままの、前進発表を追認するのはおかしい。彼らが都合の悪い事実をあきらかにするはずもなく、事実をねじ曲げて発表しているのは、記事に具体性がないことからも明らかではないか。ただただ自分たちの主張を書き綴っただけの何一つ具体性がないデマ記事です。まして三人組はあなた方を除名した張本人だ。彼らに怒りが向かないのはおかしい。向いている方向き反対でしょ。
 監禁からの脱出以後、すでに多くの支援と援助を受け、行動し、考え、実行してきました。事態を把握せんとされたされてきた多くの方たちのに対しては、いくらでも何に対してでもすべて具体的にお話してきましたし、今後もいたします。隠すものはありません。

 すでに革共同はまったく別の党に変節しました。50年史は、その宣言だと考えています。

2014.3.31.

Windows メール から送信

《甘糟が添削した荒川からの返事(添削メール)》【下線は添削部分を示す】

水谷・岸さん。
滝川君から最近メールが転送されてきました。3月31日までに返事を、ということでしたので、一筆します。メールを拝見した結論は、申し訳ありませんが現時点でとりたててご返事することはありません。
ただ、私の意思ではないにせよ、このデマにより党の再生に向けて努力されてきた多くの同志に対して、結果的にご迷惑をかけることになったとすれば、申し訳なかったとお詫びいたします。この間の「前進」記事のねつ造をはじめとするさまざまな迫害に対しては批判と反論の権利は担保します。また三人組(党中央)に反発を強めていた同志たちを恫喝する目的で展開されたデマに対しても、反撃権利を担保します。
私は三人組を絶対に許さない。いまはその対決に全エネルギーを集中したい。だから願わくは事実を確認しないまま声明など出さないでほしい。天田・坂木の主張そのままの、前進発表を追認するのはおかしい。彼らが都合の悪い事実を明らかにするはずもなく、事実をねじ曲げて発表しているのは、記事に具体性がないことからも明らかではないか。ただただ自分たちの主張を綴っただけの何一つ具体性がないデマ記事です。まして三人組はあなた方を除名した張本人たちだ。彼らに怒りが向かないのはおかしい。向いている向きが逆だ
監禁からの脱出後、すでに多くの支援者と援助を受け、行動し、考え、実行してきました。事態を把握せんとされた多くの方たちに対しては、いくらでも何に対してでもすべて具体的にお話してきましたし、今後も致します。隠すものはありません。
すでに革共同はまったく別の党に変節しました。50年史はその宣言だと考えています。

5)二つの荒川メールに関する私たちの見解――荒川と甘糟は一体

●荒川メールは辻褄が合わず説得性のカケラもない

 すぐに気がつくことは、荒川はこのなかで、どこにも「私はスパイではない。白である」と書いていないことです。「ねつ造」「迫害」「事実をねじ曲げ」「デマ記事」という言葉はありますが、「私は無実だ」という叫びがないのです。同じく、全体の論調がまるで他人事を書いているごとし、なのです。権力のスパイではないのにスパイにデッチあげられた当人であれば、このような真剣さ、必死さが、もののみごとに欠如した文章を書くでしょうか。
 荒川にたいして何度も言うが、もし「白」であるなら、「オレはスパイではない。デッチあげられたのだ」という叫びと訴えをどうして自らの娘と連れ合いにしないのか。「多くの人たち」に話すより何より、まずもって娘と連れ合いに話すのが人間として当然やることであり、義務でもある。それは、おのずと湧き起ってくる衝動ではないのか。そうする方法はいくらだってあるにもかかわらず。

 荒川は「批判と反論する権利は担保する」「反撃する権利を担保する」と繰り返しています。それは、私たちが、皆の前に出てきて事実を公表せよと強く要求していることに対する返答です。担保という言葉をどういう意味で使ったのか、留保のまちがいなのか、定かではありませんが、文意から、「荒川=白という事実をすぐには公表しない」という意味なのでしょう。私たちにたいして「事実を確認しないまま声明など出さないでほしい」と言っているわけですから、荒川自身が事実を公表する予定はないということなのでしょう。
 それでいて、「三人組を断じて許さない」「その対決に全エネルギーを集中したい」「今後も多くの方たちにすべて具体的に話しする。隠すものはない」などと言っています。
 要するに、表には出ないで、裏で暗躍する、権力のスパイ活動を続けると表明しているに等しいのです。

 そこには実に注目すべき「事実」が明らかにされています。
 荒川は、監禁から脱出した13年6月以降、「多くの支援と援助を受け、行動し、考え、実行してきた」「多くの方たちに対しては、いくらでも何に対してでもすべて具体的にお話してきた」と言っているのです。また甘糟は「荒川はその後も党の情報についてよく知っている。最近の動きについても、知っている」と語っています。そこからは、荒川が精力的に人に会い、連絡し、「白」説を流し、革共同のさまざまな情報を収集している姿が浮き彫りになってきます。もし、荒川がほんとうにそんなに精力的に動いているなら、何のためでしょうか。権力のスパイだからかと疑わざるをえません。
 しかしながら、私たちの知るかぎりでは、荒川が誰それと話をしたなどの動きを起こしているという情報は皆無です。ですから、前段で引用した荒川の言葉はまったくの嘘という可能性が高いと見ています。
 前述したように、事実は「荒川=白」説は甘糟が吹聴しているのです。私たちがわかっているのは5人ですが、それ以外の人からも「甘糟が荒川は白だと言っているようだ」という話がいくつも聞こえてくるのです。とすると、荒川が「私が多くの支援者、多くの方たちと話してきた」と言う時の「私」とは甘糟のことになります。荒川にとって甘糟は「私」であるということです。
 驚くべきことですが、荒川と甘糟は一体となって動いていると考えるしかないのです。

そうすると、hiroメールを甘糟が添削して私たちに送ってくるというのも、非常によくわかります。

 いずれにせよ、2)の荒川の弁明と4)の荒川からのメールのどこをどう読んでも、荒川はスパイにでっち上げられたと感じさせる要因、そう判断させる説得性がまったくありません。

●甘糟はなぜ「白」説を吹聴するのか

 甘糟は荒川の文章をわざわざ添削しています。常識的に考えれば、荒川が書いた返事であるhiroメールを甘糟が添削して、それを水谷宛に二重に送ってしまったものということでしょう。しかし、荒川の返事をなぜ甘糟が添削するのか、これは奇妙なことです。長年編集の仕事をしてきた甘糟がhiroメールを読んで、習い性から思わず添削したのかもしれませんが、スパイ問題で焦点になっている当の本人の文章を第三者が朱入れしたりするでしょうか。
 別の観点に立てば、hiroメールは果たして荒川本人から発信されたものかどうかも、疑わしいとも言えます。
 2種類のメールについての疑惑があるため、私たちは、hiroメールの主と甘糟に対して、「あなたは誰ですか。名を名乗れ」ということと、「甘糟がなぜ添削などしたのか」を問いました。同時に甘糟に電話をかけました。しかし、3度にわたるメールへの応答は一切ありません。何回かかけた電話にはまったく出ません。4月29日に甘糟にかけた電話には、どうも勘違いしたようで、折り返し電話が入りました。こちらが水谷であるとわかると、甘糟はちょっと舌打ちした感じで「会いたくないんだよ」か「話したくないんだよ」とかつぶやいて、一方的に電話を切りました。その言葉の調子から、私たちと「絶交する」という表明に聞こえました。

 加えて、甘糟は筆者らにたいして、「荒川はこの話は自分(甘糟)とほんの一部にしかしていない」とか「自分がこの話をしたのは水谷以外にはあと一人だけだ」と言明しました。しかるに、その直後に分かったことは、甘糟は同じ話を複数(少なくとも5人以上)にしていたということです。また、荒川からのメールでは、荒川自身が「多くの方たちにたいしてすべて具体的に話してきた」と言明しています。
 つまり、荒川と甘糟は、一緒になって、かなりの数の人々に「白」説を吹聴して回っているのです。「あなたにだけ話す」などとささやきながら…。「荒川=白」説を聞かされた人は、すでに相当数にのぼるのです。隠れて、こそこそと「白」説を流しながら、それを公表しようとはしないということは、あまりにも不自然であり、陰謀的・謀略的な動きであるとみなすしかありません。

 いずれにせよ、3月31日以降、甘糟は私たちとの関係を異常な状態にしています。甘糟は荒川とかなり密接に相談しあっていると考えられるわけですから、荒川=甘糟の態度として、「荒川=権力のスパイ」の判断をもち続けている私たちを「白」説に移行させようとした説得に失敗したと総括し、一切話さないことを決めたものでしょう。
 以上の経過から、第1に、荒川碩哉が権力のスパイであり、今もなおスパイ活動を展開していること、第2に、甘糟義信もまた荒川と共犯であり、甘糟自体も権力のスパイである可能性が非常に高いことを判断するにいたりました。「甘糟までもか!」とまさに痛恨の思いです。そうでないことを祈る気持ちにも陥りますが、権力による大がかりなスパイ化攻撃として、心からの怒りをもって確認するものです。

 荒川と甘糟に再び通告します。
 荒川は潔く労働者人民の前に出てきて、真実を語れ。権力のスパイであるなら、全面的に謝罪せよ。そして自らをスパイに転落させた内調および公調のやったことのすべてを明らかにし、権力を告発せよ。もし、「デッチあげであり、スパイではない」というのが真実なら、それは左翼を名乗る政治党派による重大な人権侵害事件へと性格を一変させるのであり、労働者人民の前で革共同を告発し、名誉回復を訴え、記者会見ならびに裁判所への提訴を行え。その場合は、私たちは判断の誤りをみとめて全面的に謝罪し、革共同の組織犯罪を許さず、ともに闘うであろう。ただし、荒川と甘糟は、逃げ回るのではなく、正面から私たちを説得してみよ。
 同時に、友人・知人の皆さんに対して、スパイ荒川の暗躍を知りえた場合、また甘糟による「荒川=白」説の流布に遭遇した場合、各位におかれては、適切に解明、判断されるよう注意を喚起するとともに、情報を私たちに通報されるよう、呼びかけるものです。

6)荒川スパイ問題のどこが「歴史的大勝利」か

 最後に、革共同中央派政治局に問います。荒川スパイ問題のどこが「歴史的大勝利」なのか。ふざけたことを言うなと。
 この点で一つ補足します。荒川碩哉の妻・みどりは、6月16日付で、『前進』第2588号を同封した私信を高崎経済大学時代の友人たちなどに送っています。党中央から素早い対応を指示されたのでしょう。そこでは、『前進』の記事は「全て事実です」と記し、本来なら直接会って話すべきことだが、手紙という方法をとったことを「お許しください」としています。
 さらに「謝罪する」という言葉が書かれ、苦悩している様子が吐露されています。 また、荒川碩哉が現住所から転出の手続きをし、権力機関の庇護下の別の住所に転入したことを知らせ、碩哉宛ての郵便物は権力機関に転送されることに注意を促しています。
 短い文面ですが、荒川スパイ問題の当事者である家族の一文として読んだ時、革共同中央派政治局への心底からの怒りが湧いてきました。荒川みどりは、中央への忠誠派として知られる人物です。その人物が、「大勝利」と報じた機関紙を同封した私信で、「謝罪する」と苦しんで書いているというのに、どうして政治局は一言の謝罪もせず、何一つ組織の指導部としての自己批判をしようとはしないのか。まったく許しがたいことです。
 彼ら政治局は、荒川に対して「家族への裏切り」などと非難していますが、あまりにも言葉が空しいではありませんか。天田三紀夫や清水丈夫や鈴木達夫らがスパイ摘発によって生じた組織責任に頬かむりし、何の責任もとらず、重圧をただただ家族にのみおしつけているのは、それこそ家族への最大の裏切りではないのか。彼ら政治局は、「歴史的勝利」などというふざけた態度を全面的に謝罪し、撤回し、スパイの暗躍を許した責任を徹底的に自己批判することしかないのだ。

 もう一つ補足します。中央派が荒川を摘発する端緒について、私たちに別のルートから寄せられた情報は、「12年12月に荒川の自宅の部屋からみどりが不審な文書を発見した」というものです。その情報は、今回、甘糟を通して荒川が語っている話――「12年12月末に、荒川の部屋に坂木と片山が踏み込んできたうんぬん」――と微妙に食い違いますが、状況としては重なります。
 他方、スパイのする話ですから信用できませんが、荒川は「12年に本社ガサがあった際に、デカが天田に『荒川は内調と公調との二重のスパイだ。知らないのか』と告げた」という話をしています。もし、これが事実であるとすると、これが摘発の端緒ということになります。そうだとすると、中央派が「稀代のスパイを革命的に摘発した歴史的大勝利」という言葉とは裏腹に自信のない態度を続けているのも、なるほどと納得できるというものです。
 ちなみに、革命運動組織や左翼人士へのスパイ政策では、内調と公調と公安警察はお互いに張り合っています。荒川スパイ問題では、公安警察が内調や公調に対してそのスパイ網に打撃を与えるような振る舞いをするということもありうることです。
 しかし、その摘発の端緒を隠しているのが彼ら政治局なのです。もし、警視庁が天田に荒川スパイの事実をリークしたというのが真実であれば、それを党内外に隠すということは、革共同中央派政治局と警視庁=政治警察との間で秘密を共有したということなのです。権力と共同の秘密をもつ政治党派は、権力の手の内に取り込まれた存在へと転落した転向組織以外のなにものでもありません。
 荒川スパイ問題についての革共同中央派政治局の態度は終始どこをとっても、権力からのリアクションを恐れている態度としか見えません。その真相はどこにあるのか、階級的にきわめていかがわしい問題がそこにはあるとしか考えられません。そうではないのか。
 天田、清水、鈴木ら政治局は、「歴史的大勝利」などという空叫びを全面撤回し、荒川スパイ問題についての核心的事実をすべて労働者人民の前に明らかにせよ。

以上

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